【群像☆】批評の新人賞が全滅!【すばる】
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新潮の評論賞が消え、群像評論賞も休止、すばるクリティーク賞も休止。
日本の思想は文芸批評が牽引してきた。
小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、柄谷行人、蓮實重彦、福田和也など。
どう思う? 三田文学新人賞がまだ残ってるぞ(なお10年近く評論部門の該当作出ず) >>2
そこって慶応大学の出版局から出してるんでしょ?
それもありなら、早稲田もやってなかったっけ?坪内逍遙賞は違うの?
まあ、芥川賞に候補作を恒常的に出してるような
五大文芸誌から評論新人賞が消えたってこと。つい最近まで三誌あったのに。
すばるクリティークのやつは平岡正明を題材としたラップみたいな批評があったり、椎名林檎論があったり、けっこう伸びると思ってたが。
少年ジャンプでボロ儲けしてるような大手・集英社こそが
商業的に成り立ちにくい批評を支えるというのが必然だと思ったが駄目だったか。
ジャンプとかも、あんまり売れてないのか?鬼滅一億冊というのは凄いと思ったが ポストモダンと言われた時期に嘲笑された大江健三郎が再評価されてきて
(この時期にサルトルが嘲笑されたのに似てる)
かつ、平野啓一郎とか綿矢りさのような
文壇アイドル(と言っても、もう年齢的には中堅だが)たちにも大江が評価されてるどころか、斎藤飛鳥のような正真正銘のアイドルからも読まれてる。
大江論を競い合うような形で批評ブームを再建できないものか。 先行批評を参考にしてね。
柄谷のアレゴリー論とか蓮實の数の祝祭とかの
『万延元年のフットボール』論とかを。 4,5,6などは無力な阿保馬鹿編集者の虫のいい考えかな。
お前らは月給20万円で十分だ。 962吾輩は名無しである2022/01/07(金) 11:27:46.80ID:E1y8g0zd
文芸誌みてきた。
文學界月評→水上文が就任。綾門氏はあと半年やるらしい。
すばるクリティーク→中心になってやってた編集者がすばるを離れる(異動?)ので
やめるらしい。 今の時代、まともな文芸批評家がいるとは思えない。
いまや冴えない出版社や純文学部門の子飼いの批評家しかいない、というのが世間の目だろう。出版社や編集者の顔色ばかりうかがって、自分の意見も堂々と言えなそうだから。
それは各賞の選考委員も同様。
だいたい経済力が無さそうだから、仕方ないか・・・ そういや東浩紀率いるゲンロンでやってた批評家養成はどうなってるんだ すばるクリティーク受賞作の村崎百郎論を読んだけどこのレベルのが選ばれるぐらいならなくていいやと思う
選評見ると全員村崎百郎のことを知らないのが功を奏したみたいだけどこの内容は大学生のレポートレベルだろう... >>10
前回ついにすばるで佳作かなんか出た
群像はたしか最終候補作にさえいけなかったはず 柄谷らが出した『近代日本の批評』シリーズ。
これは、日本の批評を海外に紹介するプロジェクトの準備として
出された座談会らしい。
しかし、柄谷はある日そんな意味が突然無くなったような気がして、このプロジェクトを放棄したそうだ。もったいない。批評が思想ジャンルとして確立されたかもしれんのに 実作者ほど批評家の数は要らんから
評論賞はオリンピックみたく四年に一度、閏年だけ開催すればいいんじゃないか。そのくらいがちょうどイイ >>7
しかし、戦前の漱石鴎外じゃ、今時関心持たれないだろうからなー
大江だったら、持たれる。
江藤淳は柄谷に「批評家は売れないと駄目だ」と言ったらしい。
作家なら売れなくても、いい作品書いてます、やりたいことやってます
で、通るけど、批評家はそうではない。
村崎百郎論じゃ、駄目だろうなー 村崎百郎論、自分は面白く読めたかな。生前の村崎の活動を知ってるけど、村崎の下衆で悪魔的な文章、思考がネットに凌駕されていくあたり90年代のサブカルを象徴してると感じた。
そのあたりって今まで誰も書いてなかったよね。 村崎百郎論、自分は面白く読めたかな。生前の村崎の活動を知ってるけど、村崎の下衆で悪魔的な文章、思考がネットに凌駕されていくあたり90年代のサブカルを象徴してると感じた。
そのあたりって今まで誰も書いてなかったよね。 レディースコミック漫画家の森園みるくの旦那だね>村崎
睦影なんたらという官能小説家と混同してた。 睦月影郎か。ムで始まってキで終わる名字と郎で終わる名前、似てるじゃないか。この人もケンペーくんなんていうサブカル?漫画描いているようだし
なんか区別つきにくい 批評家ってそもそもメシ食えるのかな?
すばるの大澤とかも日本映画大学の職がなかったらまともに生活できるのだろうか? 批評でメシ食えてるの、大学教員以外だと、東1人くらいしか日本にはいないイメージ
古市を一応無理矢理批評に入れれば古市もか 成績優秀だったらしいが高卒の三浦雅士でさえ立教で特任教授
在野の批評家というと
吉本隆明以外はあんまり聞かないね 宇野常寛と古谷経衡って
ともに北日本(東北と北海道)出身で
ともに1980年前後生まれで
ともに立命館大学で、ツネヒロとツネヒラって
出来すぎてないか?
ツネヒラ・ツネヒロって漫才コンビ結成すればいいのに >>20
小山田事件がきっかけと見られがちだけれど、実は
数年前から90年代の鬼畜系カルチャーへの関心が高まってはいたんだよね
香山リカ「ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論」(2019)とか、
ロマン優光「90年代サブカルの呪い」(同)などの本が出てた。
最初のきっかけは雨宮処凛のコラムらしいが↓
https://togetter.com/li/1322020 あとはwikiのページが謎に充実し出したのもあるか。 >>30
もっと古いと思う
少なくともヘブンとかビリイには遡れる 群像新人評論賞最後の受賞者曰く「群像新人評論賞は復活を狙ってるみたいですよ。その復活条件をつくるのは、私たち次第なのかもしれません。がんばりましょう!」
ふむ。
https://twitter.com/clinic_hizumi/status/1479593115321528320
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) (傲慢の誹りを承知でいえば)12月7日に本屋で群像を手に取って「こんなんに負けたんか 少なくとも「シールズ論」よりは自分のヤツの方が絶対マシだ」としみじみ思った
先日すばるの「休止追従」の事実を知って、賞金50万に目の眩んだことをーーじゃなくて「上限60枚じゃちょっと」と思ったことを心底後悔してる
(恥の上塗りで告白すると)「文学は社会とどう向き合ってきたか」というのが私の一貫したテーマだけど、んなもん「三田」に送っても多分ダメだろーな もう純文学で「コロナ」や「3,11」を取り上げることが出来るのって「おエライ大家」の特権でしかないのかな でもってそーいうのって結局(私の読解力不足かも知らんけど)「優等生の模範解答」
まあ「三田」は多分今後も(偏見かも知れんが)「該当作なし」が続くんだろーナ
>>34
三田は今まで評論賞は応募数1桁だったから該当作出にくかった
今後、行き場を失った作品が集まるから、受賞作出るようになると思うよ
みんな送れ! 36>>
どうもありがとうございます ただ今回改めてどういった評論が受賞作が検索してみて、(もともと応募者が少ないのだとしても)コロナや3,11をテーマにして送ることがホンマに出来るんかいなと心配になってもおります あと(大変失礼ながら)「応募数一桁」って三田のHPとかに出てたんでしょうか? 36>>
すいません アンカー付けるの失敗しました 恐縮ですが差し支えなければ上37番を御覧下さい 36>>
二度もアンカー付け失敗してすみません 差支えなければ37番をご覧ください(恥) >>36
何度もアンカー付け失敗してまことに恐縮です 正直「応募数一桁」がホンマなら9か月間改めて構想を練り直したいと思っているのですが、その情報HPとかに出てたんでしょうか? あと変な質問ですが選者達の中に「コロナ」や「3,11」である特定の立場を明確にしてる人っているんでしょうか? 群像の選者の中には正直特定の応募作品にあからさまに腹を立ててた人がいたので、(被害妄想的かもしれませんが)ちょっと気になります 三田文学と言うと
柄谷と中上健次の出会い
月下氷人は遠藤周作
異様な組み合わせ アマゾンレビューに載ってるような
良く書かれた批評を集積して
分厚い雑誌みたいな形態で出してみるとイイね
そういうところから何か始まる 北村サエの『批評の教室』が売れたらしいから
ニーズはあるのか >>4
>文壇アイドル
朝吹真理子も大江健三郎好きだね >>40
三田文学の応募者総数に出てますよたぶん
小説200〜300くらい、評論5〜10くらいと記憶してます >>45
どうもありがとうございます でもみんな(というか俺もだけど)大手の賞に「幻想」持ちすぎたかなぁ 失礼な言い方だけど一昨年群像評論賞取った人って、確かまだそのあと何も書いてないよな 来年の秋は(オレみたいな諦めの悪いバカが)三田文学に殺到するのかな? 間違えた 「今年の秋」または「来年発表の発表の」だ またミスった 「今年の秋」または「来年発表」です 何度もすみません 批評新人賞全滅のショックですか。
落ち着いて。
この際5大誌合同で新設したらどうかな。 本屋で読んできたところによると、
すばるクリティークの最後の応募総数は67人だそう。 >>20 >>30
すばるのあの論考、「村崎百郎(筆名)=鬼畜、黒田一郎(実名)=良識」っていう図式だったように思えるが、「鬼畜村崎の中の「コンプラと対立する良心」」にはあまり触れてなかったように見えた 単純につまらんとは思わんけどその点だけが残念 >>52
それは面白い
鬼畜系は、そこに苦しんでたように見えるので
反政府ビジネスとかのロッカーが苦しんでるのと同じような >>53
正直もろもろのサブカルの中でも鬼畜系には不勉強 だから今からいうことも検討違いな部分を含んでいるかもしれんが、村崎ってとても政治的な主張を(黒田としてでなくあくまで村崎として)してたと思う それってコンプラの信奉者からすればヒトラーよりあぶなく見えたかもしれん(あんまり覚えてないけど唐沢俊一との対談とかね) 私自身はニヤニヤしてたけど コネで受賞させたりしてきただけの、空気みたいな賞だし、もともとなかったようなもの。
コネさえあれば、だれでもとれる。
それにあきたんでしょう。 「努力」しないグータラが「コネ(という現実)」を口実にそれを正当化する それはそれで実に見苦しい そういう怠け者はコネがあってもどの賞も取れない 「批評」って結局のところ何なのっていう基本的な部分で未だに躓いてる
「批評とは何か」というテーマで書かれた書籍や文章を今まで色々読んできたが、
読めば読むほどに分からなくなり迷宮に入っていくような気分になる
「狭義の(文芸)批評」と「広義の(文芸)批評」なんて表現も
(特に柄谷やあずまんとか)たびたび目にするけど、それもイマイチよく分からない >>17
大江による「批評の再構築」に賛成のようですが、その場合大江や、他に柄谷や加藤典洋といった人々が「いかに文学を「政治」化してきたか」 特に大江が「ヒロシマ・ノート」で「被爆者の同志」なんて当の被爆者たちの神経を逆なでするような発言をして吉本隆明にど叱られた事実は、これからもタブーであり続けるんですか?
村崎百郎がダメなのだとしてもより鬼畜な「ポスト村崎」を探さなければ、結局当座しのぎにしかならないと思う、といったら言い過ぎでしょうか? >>57
深く考えるより
まずは好きな小説とか評論について
自分の思うところを書いてみればいいんじゃね
最初は軽いメモや感想レベルでも書いてるうちに批評っぽくなっていくだろう。 >>57
xとは何か、それは適当な用法しかない
プラトンが本質を探求したのが妄想、失敗
定義ってのは適当な便宜的指針でしかない
そう考えれば楽じゃね 三田新人賞のことだけど、よくよく考えたらやっぱ江古田文学とかと違って慶応出身の応募者が圧倒的に多いんだろうな(私は違うーー) 虫のいい話だけど今年の秋は慶応の人はみんな小説部門に「専念」して欲しい ダメか(笑) いわゆる大御所作家に頼ることしかできない批評はもう「批評」じゃない そしてそれはまた純文学そのものの「終わりの始まり」でもある 今後「小説」の分類はエンタメとSF(そして柔らかめのラノベ)のみになるのだろう 栗原裕一郎
@y_kurihara
·
9時間
『群像』は思想誌・論壇誌・総合誌化を目指していると思われるが、その過程が「文芸評論」の排除を含んでいるように見えるのが興味深くて観察している。文芸評論をなくしたって、創作を載せているかぎり文芸誌としてのアイデンティティは保たれるという心算なのであろうか(事実そうだろうし)。 出版社の顔色をうかがっているばかりの評論家なんて不要では!
小説の批評は、Amazonのレビューでも読めばわかる
読者の批評はよほど正直で率直だから すばるクリティークの最終受賞作が村崎百郎論で終わったこと、一昨年の群像評論賞が武田泰淳論かシン・ゴジラ論かで大揉めになったことのいずれも、純文学そのもの硬直化(無論全面的なものではないにせよ)に伴って「文芸批評」の内にいわゆるサブカルを取り込むかどうかの問題だったように思える 結果、もともとお荷物になっていた文芸批評は事実上大手誌からは消え去ったーー >>66
読んで面白いだけじゃだめかってかんじかな
リテラシーが基準に達してるかどうかとか >>67
私の群像での落選作、実はある被爆者のインテリについて論じたものなんだけど、書き出しは「被爆者としてのゴジラ」というオタな内容だった(そもそも個人的に核やヒロシマ・ナガサキに関心を持った大もとの理由が、小学生の時ゴジラを観たからだったせいもある) ともかくも「シンゴジラ」が最終選考までいってあずまんがそれを高く評価してたこともあってそうしたんだけど、やっぱ文芸誌でそれやっちゃいけなかったんだな 私のがホントに面白かったかどうかは別にして(すばるならよかったのかな?)(笑) 価値の最終的な決定者たる権威ある批評家という幻想があるんだよな
そういうのはこれからは必要ない >>70
近代批評を日本で確立した小林秀雄にしても自分が誠実に、
真摯に生きていく上で自分の尊敬する芸術家に命懸けでぶつかって
教えを乞おうとする様な態度で他者への命令的な批評ではなかったものね
尊敬がその根本にあるような批評がまた蘇るなら嬉しいね 中傷やシニカルな物言いが芸になったら、そりゃ終わるわ 北村匡平|新刊『アクター・ジェンダー・イメージズ』
@Kyohhei99
学生の書く論文に年々ポリコレ的な批評が散見されるようになってきている。もちろんこういう視点は重要。だが、これで批評したことになっているケースもある。それからフィクション=虚構/現実の境界がなく、映画が現実社会と地続きに捉えられ、どう描くのが正しくて何が悪かの価値判断も多い。
北村匡平|新刊『アクター・ジェンダー・イメージズ』
@Kyohhei99
加えて言えば、作品分析も「SNS的な切り取り批評」になっていることもあって(まさにTwitter的な文脈無視の批評)これは非常に心配。女性の胸や足を映したら悪。映画でいえばショットの編集など複数の要素で意味づけられるはずが、切り取り批評においては作家の批評性が徹底して見落とされてしまう。 >>73
北村氏の言うことを全否定する積りは全くないが、この部分だけに関する限り「このてのポリコレ・コンプラを振りかざした「批評モドキ」は昔からあった」という反問を禁じ得ない
その極北に輝くのが○江健三郎の「破壊者ウルトラマン」であり、あるいは〇実重彦の(こっちは昔じゃないけど)最近群像でやってた連載での「シンゴジラ」へのイデオロギー丸出しの罵倒である
誰でも老いるし最後は骨になるが、外見がいくつであれ、正直「心の老いぼれ」だけにはなりたくない
(無論他にも理由はあるだろうが)批評を衰退させた一因は、文芸誌やアカデミズムがリベラリズムのドグマ化を維持・強化し続け「心の老いぼれ」たることを読者や学生に強いたせいではないのか といったら言い過ぎかな? 追伸
まあ、この問題と関わる事実で一番ひどいのが(ちょっと古くなるけど)○波が「ちびくろサンボ」絶版にして他社が次々と追従してったときの「批評家達の(事実上の)沈黙」だよな いまはもういくつかの出版社が復刊してるけど(ただ個人的には「註釈(=お母様お父様方へ)」必須にすべきとも思うが) >>73
言いたいことは何となく分かる
社会反映論かジェンダー批評みたいなものばかりと言いたいのだと思う 実際には特定分野のことしか分からず偏見・偏愛に凝り固まってるだけの、(コンプラ・ポリコレという名の「模範解答」に従って)自分の専門外の物を口汚く罵倒するだけの批評家が権威者ぶるのは辟易だけど、単なる「感想」を越えた批評(=作品の内に「人の内面」「世間」「国家社会」etcを見出す)は出来れば残って欲しい まあもう無理だろうけど 柄谷の『終焉をめぐって』は優れた批評集だと思うな。
大江論(アレゴリーうんぬんの方)と春樹論の並びが良い。 「日本浪漫派批判序説」に目を通したとき、正直橋川は(「日本の橋」や「蒙疆」と違って)保田の「絶対平和論」(の農本主義的平和主義)に正面から向き合っていないと感じた
「静かな生活」で大江健三郎が大江光を単なる「お涙頂戴ヒューマニズム」のネタにして、障碍者と健常者との間に横たわる「隔絶」(これは丸山真男が自らの結核療養体験をもとにいっているのだが)には全く触れないという事実を論じない大江論に、一体何の意味があるのか私には分からない(えっ、そこそこカネになりゃそんなこたどうでもいいって?) さえぼーが
蝶のように舞い蜂のように刺せ
だってさ
カマのように掘れ
って言いたいんだろホントは。性欲おばさん 石原慎太郎が弟んとこ逝ったことで思い出したけど、昔○塚英司が某保守オピニオン誌で石原批判したがために同誌出入り禁止になったって、自分の主宰する「新○実」(休刊)で繰り返しボヤいてたことがある で○塚(ほぼ同じ考えのメンバーだけで凝り固まった)同誌の執筆陣の内、○台シンジが独り改憲論ブツとそこでまたグダグダいってた まあ現実にはなかなかムズイんだろうけど、大きなサル山であれ小さなサル山であれ、その中だけで吠えててもしゃーないんだよね
ところで今回上のレス見て、大江ファンでも5ちゃんの中ではリテラシー無視した差別語連発するんだってことがよく分かった 昔○江良介(某社元社長・故人)がある在日の編集者から「差別問題を思想的に利用すんな!」と反発されていたのが思い出される この80の人、大江本人やその息子の前でも「○タワ」とか使うのかな? すいません 「○塚英司」の「英司」を「英志」に訂正します >>81
5ちゃんみたいなとこでも派閥できたりするからね
自由に話し合うのは結構むずかしい >>84
亡くなってすぐの人にあれこれゆうのもホント品がないけど、石原も大江同様政治的党派性に凝り固まってたよね 激情型と慇懃タイプのどっちがまだいいかってのは人それぞれだけど
ただ石原のいわゆる問題発言は反対の立場からの「政治的」批判(てか批難)に晒されたけど、大江の被爆者や障碍者(の息子)への「上から目線の同情」を「文学的に批判する」人はほぼ誰もいなかった このスレのタイトル「批評の新人賞が全滅」だけど、少なくともこの「見せかけの憐み」をテーマにした文芸批評は、そもそも我が国には初めっから存在しなかった >>85
政治って調整妥協ですよね
大江さんはなんかな、小椋桂も同様の境遇だけどずっと自然でかっこいい
もっとも自分がそうだったら、大江さんほどもできないと思うけどね >>85
>「見せかけの憐み」をテーマにした文芸批評は、
>そもそも我が国には初めっから存在しなかった
磯田光一がそういうテーマの仕事幾つかしてると思いますけどね 左派の詭弁や偽善や皮相なら磯田光一は繰り返して批判したけど
「見せかけの憐み」のような85さんの求めるテーマにぴったりとは
当てはまらない気もしてしました、書き込んどいて何ですが
早とちりで御迷惑おかけしたならどうもすみません >>88
あえていえば「下下戦記」の吉田司と「友情」の西部邁かなぁ ただこの二人とも厳密には「純」文学ではないんだよね(前者はルポライター、後者は社会経済学者兼政論家) パヨク批判が必ずしも彼らがマイノリティを自分達の主義主張を正当化するための「広告塔」にしてきたという問題への批判に繋がらないのが悲しいところ
「見せかけの憐み」なるものへの批判的視点なら
初期作品である「他人の足」がまさにそうであって
作家としての名声を獲得していく過程でかつては自分が批判的に書いていた
偽善者に近いものになっていくところが悲しいですね
また、そういう自分に全く鈍感というわけでもないところがさらに悲しい
しかしこちらの方は欠点というよりは美点でもあるわけです
すくなくとも道徳的に愚鈍というわけでもないですから
たとえば太宰治だと大江のような他者批判よりも自己批判に向かうので
たしかに作品は輝くのだけど書き手の精神はボロボロになって終には破滅という結末になる
倫理的な攻撃を他人にはもちろん自分に対して行うのも考えものですね
そう考えるのなら、われらがわれらの隣人の罪をゆるすがごとくわれらの罪もゆるしたまえ
という言説はよくできていますよ 大江本人はなんだかんだ嫌いじゃないのよ
問題は彼の理論に依拠する左派言論人ね
大江のような才能もないくせに、文学を政治の手段として叩き棒にして
憚らない奴ら。 >>86 >>90
もう時効だと思うので書いちゃうけど、院で日本文学専攻してた頃梶井基次郎の「呑気な患者」やった時なんだけど、突然ゼミの教授(故人)が「私はマイノリティなんです」とだけ言ってそれ以降具体的なことは何もいわずじまいになったことがある あとで別の教授から障碍者の子供がいるって聞いたんだけど、正直子供の障碍を勝手に「取り上げる」姿勢に唖然としてしまった 私が大江が苦手なのは多分この教授のせいなんだけど、ただこの人基本とっても温厚だったんだよね
「悲惨」なのは、今の日本では(いや、多分日本だけじゃない)障碍者の親は自分の子を事実上「ペット」にすることでしかやってけないってことなんだけど、大江の子供でも何でもない被爆者や沖縄戦の生存者まで「巻き添え」にされちゃ、彼らも堪んないと思う >>91
その理屈だと畢竟昭和天皇に戦争責任はないってことになる ワタシ的には象徴天皇支持するけど、それと「道義的責任」のこととは別だと思う こういう擁護のやり方は丸山真男に対してもなされるけど、彼が晩年「本当の社会主義国を擁護する」って言い張ってたのは、どう考えても「無責任の体系」 でもまあ、マイノリティーとして米国大統領の地位にまでのぼりつめた男が
中東ではテロ対策として現地人一般を巻き込む掃討作戦を展開したり
国外ではそういう非道行為を平気で行っているくせに国内の黒人射殺問題で慟哭しているわけであって
理想主義として「核なき世界」を謳ったはいいのだけど
大した成果も出せずにその弁解のように広島まで行脚して被爆者や遺族と抱き合ったりするわけです
こういう欺瞞に満ちたエセ正義がはびこる世の中において
たとえば「アトミックエイジの守護神」のような作品をだして
道徳的エスタブリッシュメント層を下からスナイプしていくことは無効とは思えません
まあ、最弱者視点では同じ穴の狢のように映るのかもしれませんが すみません 93の「社会主義国」を「社会主義」に訂正します >>92
これを読んだだけだと、その教授が苦悩をちょっと吐露しただけで、悪い印象ないですけどね
>>93
丸山は頭脳明晰だけど詐偽的で信用できない
日本政治思想史の目的的ご都合論証は酷い
まあ、時代に対する皮肉なんだろうけど
あと、近代主義に対する評価も真逆なので >>90 >>94
(正直に白状すると)「他人の足」も「アトミックエイジの守護神」も概略しか知らない でもこういった類いの筋立ての作品が「傑作」(単なる秀作ではない)であるのなら、北条裕子の「美しい顔」いかに剽窃が取り沙汰されようとどれほど被災当事者の顰蹙を買おうとそれもまた傑作でなければならない じゃなきゃ結局「大家のアバタならそれはエクボ」ということになる
>>96
この教授、ゼミのときとても穏やかな顔つきのまま「反核(反公害)運動に参加しない、沈黙したままの被爆者(公害病患者)なんて、要するにただの臆病者、卑怯者でしかないんだ」って言ってた その妄言を聴きながら私は、障碍者の子供を「ペット」化した親は等しく、それ以外のマイノリティにも善意に満ちた自己犠牲を強要するものなんだとしみじみ感じた
それから前にもちょっとレスったけど、丸山は自分の結核療養経験をもとに障碍者と健常者の「隔絶」さらに個々人の隔絶を前提にしない民主主義の無意味さについて述べている が、それはいつの間にか忘れ去られイデオロギーとしての「戦後民主主義」を擁護するようになり、末期癌となったときも「本当の社会主義」なんてことを言い出してしまっている 子供や赤の他人の傷跡にすがって文学を政治に売り渡すのは正直見ているだけでイヤになってしまうが、自分自身の傷跡から「逃亡」する形で政治的であろうとするのは、(個人的には)どこか滑稽で、そしてとても悲しい
あと、丸山の研究業績では「日本政治思想史研究」よりも「忠誠と反逆」の方が印象深かった >>97
よくわかりませんが、西洋近代って闘うことがいいことみたいなとこあるけど、これも罪深い考えに思えます 闘うことがいいって考えなら、程度の差こそあれ多分世界中どこでもそうだと思う 日本だって700年間おサムライさんが支配してたじゃん >>99
仏教は本質的に戦いません。
祖国が殲滅されても何もしなかった釈尊
イスラムに虐殺されても戦わなかったインド仏教
中共に侵略されても復讐でなく慈悲をかけるチベット仏教の聖者
日蓮は非仏教で、僧兵や南アジアの他派殲滅はどっか退廃してると思います てかそもそも近代兵器が大量虐殺する一方、近代そのものを否定したら日本を始め多くの国が飢餓と病気に見舞われる このことは確か小林秀雄が少し論じてたと思う 無責任だけど出来れば小林読んで欲しい >>102
そうでしょう、チクロンの開発者が空気中から肥料作ってから食料生産量があがって人口増加した
そういう近代科学的生産なしに増大した人口は維持できない
でも、人口を維持することで持続不能になりつつあるのも確かでしょう
私には今回のコロナがチャンスだったようにも思えます。老人や弱者が死にやすいからで
私も結構歳なのでいつ死んでもいいです。
小林は無常についてとか、美術関係のいくつか読んだだけですが、清沢満之とか和辻哲郎みたいな仏教を西洋化してダメにした人より、かなりよかった印象があります。
たしかヴァレリーだったか西洋人の影響にあるのは同じですが、プロテスタントや文献学よりずいぶんよかったような >>103
小林秀雄は一般的に社会問題を自分の内面の倫理や克己や抑制が
どのように実践可能かを考える為の問いに変換するストア派風の所が
ありますから包括的な社会問題へのアプローチはそんなに出て来ない気が
します
どんな社会問題も自分が解決出来る立場に関与出来ない以上、
結局は自分の覚悟や美学を磨き上げて小規模でも良いから
自分が尊敬する芸術から学んだ道徳的な行為を日々小規模に実践しつつ
円熟して死ぬような主体のあり方が小林の理想だったのではないかなと
自分は愚考しています >>102
一時期の小林の立場は近代という認識や規定自体が非常と漠然としているから
近代を乗り越える為には近代の一部分を批判しながら厳密化しつつ
極限まで推し進めて行く事によって近代によって近代の負の側面を乗り越えるみたいなスタンスですよね
上山安敏氏の『神話と科学』が日本の近代思想の受容の捩れや日本における
知識人の西洋近代のとらえ方を批判的に論じていて勉強になった記憶があります 正直に告白すると個人的には近代文学の中で一番目を通したのは小林よりも保田与重郎 しかもその前に中村光夫と橋川文三を若干読んでたから勢い初めから批判的なバイアスがかかってたと思う 近代ーーとりわけ日本の近代ーーのアポリアを真正面から見据えてた一人が中村(の「「近代」への疑惑」と「「移動」の時代」)だったように思う >>103
あなたはフリッツ・ハーバーの例を挙げておられますが、こうした二分法の論理は(恐縮ながら、というか先の主張とある意味矛盾してしまうのですが)チェルノブイリと福島でもう終わったーーてか終わらざるを得なくなったーーと思います
あと余談ながら、ハーバーのチクロン製造を激しく非難してたアインシュタインが(結果的に)それよりもずっと酷い原爆の開発に間接的ながらも関わることになったのは、ホント歴史のイロニーだと思う(おっと、ここあくまで文芸批評スレだった) >>106
中村光夫って過小評価されてますけど、
小林秀雄、福田恆存、江藤淳等にも見られなかった
鋭い史眼を時折発揮することがありますよね >>107
二分法とは、西洋東洋とか近代非近代とかですか?
それとも、根本的な分別、二項対立判断のことですか?
そして、矛盾とはどこでしょう?
小林と言えば、宣長ですが、熊野純彦の宣長は素晴らしかった おお、いつの間に
レスが100越えてる
批評復活の日も近い? >>109
いやだからこの「二分法」確か小林が言ってたはずなんだけど、要するに近代科学の「軍事利用=悪\平和利用=善」ってことで、「矛盾」ってのはこの二項対立では「平和利用による人災」って問題が解決出来ないってことなんですが
>>90 >>94
あと確か「美しい顔」について、そこでのマスコミ批判(=「お涙頂戴批判」)はそのまま「見せかけの憐み」に吞み込まれてくって批判がSNSであったと思うけど、これもそのまま「他人の足」「アトミックエイジの守護神」にも当てはまんじゃない? どうせならせめて「静かな生活」のラスト 障碍者小説で儲けた作家が札束数えながらほくそ笑むシーンとかで終わって欲しい でなきゃ結局はナントカの貉だと思う 大江批判を前提にしない北条叩きってつまるところ事大主義でしかないんじゃ >>112
いやいや、そんなこと言ってません。
近代主義全体が世界に不幸をもたらしたと思ってます オスカーワイルドは批評は創作と言ったんだぞう!
もっと批評を >>113
少なくとも近代は「否定」出来ない ただ単に「批判」出来るだけ あとはもう(勝手ながら)103さんにお任せします いつ死んでもいいって言ってる位だから、少なくとも私よりはきちんとしたこと言ってくれるに違いない >>115
私のはただの思いですので、聞かれれば答えますが、戦ったり主張することはありませんよ
その上で今結構理解が進んできてるように思います
植民地主義が批判され、虐殺や殲滅が反省されるようになってきてます
また、ユダヤ人であるユヴァル・ハラリがユダヤ教を批判し仏教を高く評価し実践もしてるのに、代表されるように深く本物の仏教を学ぶ西洋人が沢山いることです。
ハラリは結構表面的あるいは目的的ですが、元物理学者のマチウ・リカールなど本格的な方も結構います。
ハラリのようなタイプは、マインドフルネスやヴィパサナ、ヨガなどをやって集中力や知恵の発展開発をめざしますが、この流れは政府も教育に取り入れる国もあるので、こういう流れたが主流になり、平和で緊張や苦悩の少ない社会が来ることを祈っております。 >>116
やはり丸投げするのは無責任だと思うので若干補足します
前にも確かレスったのですが、私は正直小林についてはそんなに詳しくありません ただ彼は確か何かのエッセイの終わりで「ミサイル←→文明」という二項対立述べたり、他にも「近代の超克」の座談中に「機械←→精神」という二分法口にして下村寅太郎(だったと思う)に「機械を作った精神が問題ですよ」と嚙みつかれてた記憶がある(記載された冨山房の本は家のどっか 目下行方不明)
人の考えは長い目で見れば変わるものだからこういう主張ばかりではないのだろうけれど、本当の意味での反近代主義ならミサイルは文明に含まれるしやはり下村のように考えると思う
あと、これはあくまで「要望」の域出ないけど、出来れば皆さんもハンドルネーム付けて貰えると助かる アンカーだけだと誰に言ってるのか正直混乱するので、、、
最後に、仏教に僧兵(の強訴)の歴史やロヒンギャの虐殺に関わってる坊さんという事実が現実にある以上、「右の頬を打たれたらーー」をいつの間にかどっかへやっちゃって十字軍や宗教裁判やったキリスト教やナチ顔負けのジェノサイドやってるイスラエルを単純に仏教の下に置いちゃうのはそれ自体偏見だと思う アンベトガルはカーストに対決したけれども、それはヒンドゥーだけでなくそれと事実上癒着してたインドのいわゆる伝統仏教も含まれてたと思う すみません 最後のところ「アンベトガル」じゃなくて「アンベドガル」です 「ト」に濁点付けて下さい >>110
>批評復活の日も近い?
文系院卒で社会復帰が難しくなった人による
キャリア形成のためのたたき台のようなところがあったから
文芸誌とはいえ、いちおう商業誌ではある文芸誌が
そういうリサイクル工場のような役割を担うのが嫌になった
というのが批評系新人賞停止の理由だとおもうけど?
ジャンル特性上もめごとが多そうだし
じっさい、せまい業界向けの文芸時評程度でもいろいろあったし >>119 てか要は文芸批評に需要がなくなったってだけのこと(悲) 代わりにこういう5ちゃんスレがかつての批評のいわば「短歌」「俳句」版になってるってことで、その辺は多分110さんも分かった上で、半ば諦めのレスしてるってことじゃないかな
それから(あえてまた蒸し返すけど) >>90 さんや >>94 さんはどうして大江(的ヒューマニズム)に「しがみつく」んだろう? 大江の言うこと聞いてると、結局「ヒューマニズム=お涙頂戴=正義の押し売り」ってことでしかないじゃん >>117
下村など近代の超克系の人たちは結構方向性が近いですね
ですか、いわゆる京都学派の仏教理解はかなりおかしいです
僧兵や日蓮、ロンヒギャなどについては、先に述べたように退廃や非仏教と考えます
ロンヒギャなどイスラム問題は難しいものがありますが、排斥運動している僧はおかしいと思います
ミヤンマーはテーラワーダの最も生きた国ですが、そういう僧もいるでしょう
中共進攻以前のチベットは大乗の最も生きた国と思われますが、その中でも悪霊派が大いに力を振るったことからも、いつの時代も聖者は希だということでしょう。
ともあれ、仏教が世界平和の希望であることは確信しています。 人口爆発の問題がある以上弱者や老人は流行り病で死んだほうがいいってのは、ある意味真理かもしれんが決して救済ではない(まあ、現実の世界で人が人に出来るのはあくまでも「助け」であって「救い」じゃないけど)
丸山真男のいうことで個人的に一番ヤなのは「悪」よりは「偽善」って考え お釈迦様はカンダタのあとに大勢の亡者が糸を掴んだとき、カンダタが「来るな!」って言ってくれるのを待ち焦がれてたに違いない 文学者が「悪人」をやめてただの「偽善者」になってしまったら、そしてそんな文学者が世界的な勲章貰ってしまったら、そしてそんな文学者を文芸評論家が肯定・礼賛するようになってしまったら、批評は勿論のこと文学そのものも、もう終わりだ >>122
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007044529
上はポレミックで優秀なインド学研究者による『蜘蛛の糸』批判の最新のもの
文献学としては明解で妥当だと思います。
ただし、この学者および19世紀欧州文献学者が仏教が分かっていたとは思いません。
この方法はルネサンスの源泉へ(ad
fontes)運動を取り入れたプロテスタントの、聖書原典探求、カトリック批判を植民地主義とドイツのアーリア主義に応用したもので、言語分析や文献批判は見事ですが、それで法(ダルマ)になるとは思えません。
例えば、無我をアイデア、命題と捉えていて、それを信じることで助かると書かれていますが、それでは助からないでしょう。もちろん、信じないよりいいですが。
その意味で19世紀欧州文献学者より、ヴィパサナを実践しているユヴァル・ハラリの方が仏教を知っているし、批判される大拙の方が仏教を知っている、さらには前に紹介したマチウ・リカールなどの実践者の方が知っていると思います。
ですが、確かに芥川よりの学者および19世紀欧州文献学者の方が仏教に近いと思います。
その論文に書かれるようにお釈迦様は縁ある人に教えを説くだけで、相手が求めもしないのに自分の意志で糸を垂れるようなことはありません。
まして、お釈迦様が〈「カンダタ「来るな!」って言ってくれるの待ち焦がれてい〉ることは有り得ません。
まあ、私が言わせたようなものですし、芥川の作品はそう考えてもしかたないように書かれているので、学者は批判しているのですが、
そういう皮肉は言わない方がいいですよ。私に対して言ってもかまいませんが もともと文芸批評スレだったはずのこのスレ、90番代辺りから「正しい本来の仏教とは何かスレ」にすり替えられてしまい、しかもこのしょーもないスレチ行為に結果的に私も加担してしまっている(恥) だがそんな詰まんないことに関心があるのは実際、宗教学専攻の好事家インテリかファナティックな坊さんだけだろう(もっともアンベドガルの仏教が単なる「回帰」かそれに留まらないある種の革新運動なのかは個人的には興味深い ただ、いわゆる「畜生」戒名をうっちゃって来た私達日本人の大多数には、それは結局他人事でしかないというのが現実なのだ)
「蜘蛛の糸」のお釈迦さんが必ずしもホントのそれじゃないなんてことは高校生でも知ってるし、そんなことはどうでもいい 問題なのは現代文の授業で私達は皆、「あんなこと言うカンダタが一番悪い」と「教えられる」ことなのだ (話がすっ飛ぶが)トランプの移民政策を批判してたバイデン(ハリス)は今頃内心、「芥川のお釈迦さん」を心底羨んでることだろう お釈迦様を責める人はいないのだから
そして丸山や大江といった戦後民主主義者は、おそらく仏教か儒教のいずれか(もしくは両方)に端を発するだろう「悪よりは偽善」という観念を受け入れることで、(長期的には)戦後の思想・文学を確実に腐らせてきた この場合の「腐食」「頽廃」は必ずしも近代主義とは関係ない 近代主義者としての丸山を一本調子に批判(=擁護)する人にとって、私がこのスレで繰り返ししつこく問題にしていることは(傲慢の誹りを承知で言えば)理解不能の問題でしかないのだ
つまるところ「悪人は自らの悪を自覚する可能性を持つが、偽善者は自らの偽善を自己欺瞞の中に隠蔽する」ーーこのアポリアは文芸批評のものではあっても好事家のそれではない(無論それは「悪人正機」や「罪なき者石を投ぜよ」に通じているけれども) >>124
アベンドカルは唯の仏教に仮託した平等運動、伝承もないし輪廻否定してるので
マルコムXとかキング牧師に近い >>124
仏教で偽善つかってる人は偽物
まあ、いいやここで止めとく
スレ違い失礼 >>124
要するに釈尊をああ描いた芥川が悪い。
すまん、一つ重要かもしれないので最後に追加しときます。
それまで重視されてなかった悪人正機、歎異抄を使ってプロテスタント化したのが清沢満之
それが倉田百三などによって流布され、仏教の核心のようにいわれるが、歎異抄は自著でなく、蓮如以前に痕跡すらなく、清沢以前は重視されてない
流布してる説は、ほとんどプロテスタント的なので仏教とは思えないし、真宗で妙好人などを出していた生きた伝統とは全く違い、この流れからは、妙好人は出てないように見える。
つまり、結果が出せない誤ったものと思います 実は私、アンベドガルについてはほぼなんにも知らない ただかつて野間宏が沖浦和光との対談でアンベドガルについて延々とくっちゃべってたのに目を通したことがある そのとき野間があたかもアンベドガルこそ真の仏教者であるかのように持ち上げつつ、彼が社会主義(=スターリニズム)に批判的だったことについてはほとん触れない姿勢に「これだから政治的な文学者はーー」と若干失望した覚えがある
仏教が「輪廻」の概念をバラモン教から引き継ぎつつ、一方で「解脱」を唱えたのはおそらく事実だろう そしてその宗教史的事実こそ仏教が結局カーストをそのものを否定出来ず、ヒンドゥーの「付録」になり果て、我が国における差別戒名にも繋がっていった原因でもあろう 多分アンベドガルはこの事実を薄々知ってたからこそ、そして反面で社会主義にも与しえなかったからこそ、「輪廻」を頑なに斥け、その否定こそが真の仏教であるといわば強弁したのだろう(マルコムXはムスリム組織からの離脱後も自分をイスラムと思っていたのか?)
私の実家が一向宗(浄土真宗という言い方はコンプラ的に法然の浄土宗との関係上よろしくないらしいので、ここではあえて古めかしい歴史用語を用いる)の檀家なこともあって同宗派については乏しいながらも知識がある 「歎異抄」が親鸞死後のものだということぐらいは知ってるが、悪人正機が蓮如以前に遡れないというのはホントだろうか 仮にそうだとしても基本的に「救いの対象者が誰かは初めから決まってる」とするプロテスタントと「悪人こそはーー」という「近代的(?)一向宗」はホンマに類似品なんだろうか?
個人的には、「正しい仏教」なんてことはどーでもよくって、アンベドガルや明治以降の一向宗がなぜああいう教えを仏教として主張したのかが少し気になる(この問題も文芸批評というより社会批評、オピニオンというべきなのかもしれんがーー) それは私が大江の「戦後民主主義」に「多事争論」よりも「同調圧力(=空気読め的な)」しか感じないこと、そして「もともと民主主義はこんなもんじゃない もしこれを民主主義と呼ぶなら、もう民主主義なんか要らない」と思ってしまうことと、多分どっかで関わってる アンベドカルは不可触民を差別しないのが仏教なので利用した
清沢は江戸以来の反仏教思想と外来の科学的プロテスタントの批判の中で、廃仏毀釈が起こり、仏教が滅亡の危機にあったので、プロテスタント化を図り精神主義というものを唱えた
その根幹に歎異抄を用いたと考えます
それがインテリ層に受けた。
なので、方便としては一時的にしょうがなかったとは思います
問題は未だにそれを正しいとしてるとこ、安田理深みたいによりプロテスタント化を正当とするような人もいて、彼のような人が尊敬されてるとこですね
歎異抄が蓮如以前に遡れないのは調べた限りそうです。
少なくとも最古写本は蓮如本なのは確実です。
覚如、存覚、高田門徒などの現存本にも言及されません。
江戸期でも註釈が数点あるだけで、中心的なものではないように思います
私としては清沢と同時代の七里恒順師のような方の教えが真宗の本質と思います。彼は有名な妙好人も育てていて、行動と教えから本物と思われます >>128 すいません 「アンベドガル」の「ガ」から点々とって「カ」にして下さい
もうそろそろこのスレも終わりだろう 最後に改めて個人的に思うことだけいっとくと、(最近では「美しい顔」に見られるように)文学における「お涙頂戴批判」「見せかけの憐みへの批判」そのものが、当の「お涙頂戴」「見せかけの憐み」に取り込まれてゆく状況にあって、文芸批評だけがこの問題に対峙し得る武器になると勝手に思い込んでた その武器が事実上消え去ってしまったのが、何とも無念でならない お早うございます
文芸批評なんだから基本「好き嫌い」入ると思うけど、その延長線上で言葉のやり取りするとしたら、もう(ネットの)noteだとか5ちゃんぐらいしかないだろう 問題はそういうとこで「マジメにヒマツブシ」したい人がどれだけいるか(てか残ってるか) ネット上で自分の好きな作品がどのように語られているかを調べまくって
宮沢賢治論に対する山下聖美みたいなことやれば
面白いんじゃ? >>133
その山下聖美の宮沢論に吉田司(ノンフィクション作家)の「宮沢賢治殺人事件」入ってるんでしょうか? タイトルからも分かるようにどっちかってゆうと(とゆうかかなり)批判的なやつーー賢治の日蓮ベタベタなところとかクローズアップしたりしててーーですが 入手できるかぎり全部読んだらしいから
入ってるかもよ?>吉田 >>129
>清沢は江戸以来の反仏教思想と外来の科学的プロテスタントの批判の中で、
>廃仏毀釈が起こり、仏教が滅亡の危機にあったので、
>プロテスタント化を図り精神主義というものを唱えた
>その根幹に歎異抄を用いたと考えます
国学の隆盛による神道思想の高まりから
幕末期には神仏分離運動が発生して(とうぜん幕府によって弾圧された)
この流れの中で本願寺の資金援助を受けた明治政府が神仏分離を進めたところ
一部過激派が廃仏毀釈に向かった
たとえば葦津珍彦のような神道思想家によるとこの運動は組織的かつ計画的なものであり、
本願寺の策謀によるものだったとされている
実際、西本願寺派が仏教的地位を確立したのは明治以降であり
それまでは修験系の流れをくむ道場的なものだったのでそれなりに説得力のある指摘ともいえる で、歎異抄の発見は明治以降であり
このテキストをたとえばプロテスタント神学(理神論ともいわれる)のように
仏教の理論化に利用したのが清沢であって >>136
廃仏毀釈が本願寺の策謀ということなら、始めて聞きました。その根拠はなんでしょう?
>>137
発見は現状では蓮如になりますね
プロテスタント化に利用したのが清沢でしょう
清沢については、通説といっていいと思います。 >>138
また話を教理問答に戻してる 「正しい仏教」なんてのは文芸批評的に意味なし そもそもそんなことにこだわること自体が日蓮宗や教条的な一向宗(浄土真宗)の一部、それから(ヒンドゥー教典を批判的に読み直すのでなく焚書始めた)アンベドカル派の一部とおんなじでしかない
とどのつまり釈迦が輪廻を否定しなかったことが、(結果論的に)インドの「伝統仏教」がカーストの正当化・黙認に吞み込まれた理由であり、それは神の前の平等を説いたイエスが反面で「皇帝の物は皇帝に」といったことが、キリスト教がローマ帝国やのちのフランク王国といった権力と癒着してった淵源になったことと根本的には変わらない
ある宗教や政治的イデオロギーの正当性を説く人には、そもそもなぜそこでの主義主張に全面的な同意を得られないのかが、決して理解出来ない それは石原(の憲法改正)や大江(の戦後民主主義)見ててもよく分かる
どうしても仏教の話したいなら、近代における仏教文学の話(=例えば賢治の話の中にいかなる仏教説話の影響が見てとれるか)をするべきだろう だだし、そもそもプロテスタントが近代的自由のもとになった一方で、その予定説が「黒人の魂は救われないと予め定められてる」という人種差別の正当化にもなってしまっている以上、それはストレートに悪人正機とは結び付かない そんなこと言う人は(失礼ながら宗教オンチの私から見ても)メチャクチャ 多分特定の文献だけを掘り下げたが故に、あちこち見落としてしまったのだろう >>139
>その根拠はなんでしょう?
葦津珍彦著「国家神道とは何だったのか」に詳述されているよ
個人的には説得力がある説明だとは思えないけど
宗教革命としての明治維新(井之口章次)の諸派中で良いとこ取りをしたのが
西本願寺派だからとうぜんやっかみは多いのだとおもう
葦津珍彦は神社本庁の設立者だけど朝鮮併合に反発してその独立を支援した
元社会主義者でもあるのでそこらへんも考慮して考えるべきかと
でもまあ、いろいろ面白い指摘があるので読んでみても損はないでしょう そういえば日本植民地下の朝鮮半島をニューフロンティアたる
布教の場としたのは東本願寺派と曹洞宗だったかな
曹洞宗の場合は柳川藩の武田範之の手引きによるものだけど東本願寺派の進出過程はよくわからない
まあ幕府側だったのでそうとう冷や飯を食わされたのだと思うのだけど
で、これらとは別に長老派、青年派、メソジスト派というプロテスタント系諸派の布教活動もあって
プロテスタントと真宗が教義(と信者獲得)面で衝突するのは日本よりも半島だったような気がする で、朝鮮半島でキリスト教徒による政治活動が
独立運動とも絡んで活発になるのは三・一運動の頃からで
地域的にはいろいろもめごとの多い全羅道が中心だったかな
こういった動きは大戦期にも続いたのだけど
日本政府はこういう反政府運動に対して
キリスト教全体の監視と管理団体たる日本基督教団を組織したわけだな 今度は「日韓近代宗教史」スレになってる まあ「仏教は絶対正しい」スレよりはマシか でもなして別のスレ立てないんだ?
では今日はこれで お休みなさい >>140
そこまで言うなら、正直に感想を言わしてもらうけど、そういう狭い近代文学批評の視野では批評自体が縮小再生産にしかならないので、面白くないんだと思います
せめて漱石ぐらい和漢洋に通じてないと批評はね
強烈な体験とか、原典読まないと新しい発想、視点が出てこないので
>>141
そういう政治的な方向はあんまり興味ないし、葦津さんみたいな怪しいものを扱うのは圧倒的な情報量で裏づけないと信憑性低いように思いますね
まるでユダヤ陰謀説みたいな ついでに、正しい仏教といのもおかしいですね。
一時、批判仏教というどうしようもない非仏教説が流行ったけど、ああいう観念的で一義的な正しい仏教というのは、プロテスタント的な源泉主義で仏教的では決してないと思います。
仏教の妥当性はサンガの聖者に伝承されてきたことと、それが聖者を生み出してきたこと、つまり道として結果を出してきたという証拠にあると思われます。
道も空で縁起して変わるので、文献批判、歴史的批判的方法のような19世紀的なやり方では文献伝承ぐらいしかたどれないでしょう。
文芸批評的にいえばポストモダン以前の歴史的事実の一義的実在を信仰しているような幼稚なかんじに見えます。 >>146
つまり「正しい○○教なんておかしい」ってことでは同意して貰えるわけですね
教理問答するなっていったのは、冒頭(>>1)で挙げられてた人物の多くが基本文芸評論家で、一部に映画評論、社会評論関係が含まれていただけだから(ちなみにこのスレ立てたのは私じゃありません)
したがってもし宗教関係論じるならスレ立てた方の意を踏まえつつ(私の乏しい知識で考えると)宮沢賢治と国柱会の関係とか「最後の親鸞」とか遠藤周作関連から始めるのが筋じゃないかと今でも確信しています
スレタイトルが「批評の新人賞が全滅」なのに90〜100番代以降、このスレの内実が「正しい仏教スレ」「日韓近代宗教史スレ」へと立て続けに変わってしまうのは、どう考えても単なるスレチ、もっとはっきり言えば「あらし」でしかありません
実は私自身は文芸よりもサブカルの方に詳しく、このスレの前半ではそういった問題に関わるレスもしましたが、それは「すばるクリティーク」の最終受賞者がサブカルを論じていたことが話題になったからです
必ずしも宗教や政治を扱うなといってるのではなく、扱うにあたってマナーは守って欲しいという、ただそれだけです
あと「仏教は絶対正しい」と繰り返しスレしてる方、私の「仏教は輪廻を否定出来なかったがゆえに、インドでは(少なくともアンベドカルまでの間ずっと)ヒンドゥーの腰巾着になり果て、我が国では「畜生」戒名を再生産した」という問題にはお答えになっておられませんが、それはどうしてでしょう? 社会問題に関心のない宗教ディレッタントの8割はオカルティストかネトウヨだというのは私の偏見でしょうか?
すみません 147番の後半「スレしてる方」を「レスしてる方」に訂正します >>149 >>150
「うずひこ」 確か「朝生」で故・野村秋介が「あしづうずひこ」って言ってました
>>145
言い忘れたので補足しますが、陰謀論は確かに問題なのだけれども、しばしば陰謀論批判は大局的なものの見方そのものの否定にもなってしまうと思う
優れた実証研究で知られる秦郁彦が「陰謀史観」の中で石原莞爾の「(太平洋戦争の責任追及するなら)ペリーを呼んで来い!」と言ったことを批判してましたが、現実問題として韓国が豊臣秀吉を恨み(一方で元寇でのかたば担ぎは忘却し)、パレスティナ問題がなかなか解決しないことを考えても陰謀論そのものをタブー視するのはちょっと疑問です >>151
野村秋介
朝生、
世代を感じるね
塩田丸男とかw 度々すみません 151番の「元寇でのかたば担ぎ」を「元寇での片棒担ぎ」に訂正します
「陰謀論」について重ねて補足しますと、例えばいわゆる「偽史」ものの類いには、往々にして敗者の精神史が含まれているものなのだと思います 呉座さんみたいに一刀両断で終わらせるべきじゃないのです(このことも文芸批評から逸脱したテーマになってしまいますがーー) >>147
冷静なお答えありがとう。
そうですね、荒らしですね。
しかしながら、貴方以外にも面白い方が出たので、
もうちょっと、いいですか?
ダメなら、必ず打ち切ります。
挙げられた方々はみな清沢系統の親鸞なので意味ないと思います。賢治は不思議ですね、非仏教の日蓮から結構仏教的です。
近代文学だと漱石と露伴かな、ちょっと仏教分かってるかんじは
輪廻は思想じゃなく、体験ですので否定しようがありません。ただし、何か実体が輪廻するのではなく、変化しながら縁起して輪廻するというのが仏教の立場です。
これが近代で受け入れられなくなって、日本仏教やテーラーワーダで色々変なこと言う人がいますが、それはおかしい。
そして、輪廻を信じなくても、仏教は実践可能です。何らかの苦を除く道だからです。究極的には輪廻から解脱しないと苦は完全に除けませんが、例えばヴィパサナ、マインドフルネスなどで効果的に除くことができ、輪廻を信じる必要もありません。しかも集中力や智恵が出ます。なので西洋人に受けてると思います。 >>151
石原莞爾のその発言には賛成。近代の諸悪はほとんど西洋の植民地主義だし、背後にキリスト教の支配欲があるのは間違いないでしょう。
パレスチナ問題はイギリスとユダヤのせいでしょう。あんなとこに新たに国つくるは、アラブは分割統治するは、酷すぎ。
韓国が秀吉恨むのは当然だと思います。
ユダヤも金持ちも色々裏工作はしてるでしょう。しかし、陰謀論はちょっとしたネタに妄想てんこ盛りなので、これは扱えない、あるいは妄想力として分析するのがいいと思います。 >>153
なるほど、そういう意味での読みはありですね。
平家とか太平記でそういう論を兵藤さんだったかが論じてて、それは面白かった記憶があります。 >>152 (笑) この言い方だと平成右翼の代表格が野村で昭和(戦後)は三島と村上一郎になるのかな? ただネット検索って結構タイムマシンとして機能するんですよ まあこういうとこではおっさんとして見られてた方が変にディスられたりしないかな
>>154 この答えではあなた自身が、インドの伝統仏教がヒンドゥー(=カースト)に吞み込まれた事実や、我が国での畜生戒名の事実を黙認してるとしか受け取れませんが、そうとってよろしいですか?
>>155 パレスティナ問題については上記2国の他に、(ナチの)ドイツ、(サイクス・ピコ協定の)フランス、ひいては大なり小なりホロコーストに加担したヨーロッパ諸国の大半に責任がある
安藤礼二が群像で仏教関係の連載してるが(もう終わったっけ?)専門用語が多く正直ムズイ (宗教論議はここではスレチだということの他に)宗教を取り上げるにあたっては、もう少し分かり易くならんのだろうか >>157
輪廻でヒンドゥーに飲み込まれたとは誰が言ってるのですか?
まず、ヒンドゥーは釈尊よりずっと時代下がって成立したとされます。
ブラフマニズムなどヴェーダの宗教をも含めた意味で誤用しているとしても、輪廻、サムサーラという言葉も、生まれ変わり死にかわって経めぐるという意味で用いたのも仏教が最初とされます。
安藤礼二さんはよく覚えてないけど、彼がよく言及している井筒俊彦とかの仏教理解はダメですね。 「真の仏教」の名においてカーストや畜生戒名を黙認し、「正しいキリスト教」の名において魔女狩りや反ユダヤ主義容認するのも、それが主義主張の範囲に留まるなら(信教の自由に照らして)勝手なのかもしれんが、そんな視野狭窄な宗教談義は、「本当の社会主義」と言い張って社会主義の現実から終生逃げ続けた丸山真男とでもやって欲しい 少なくともここはそんな「都合の悪いことはパスする」スレチの居場所じゃない
ここはあくまで文芸評論の、「批評に関する大手文芸誌の新人賞の消滅」についてのスレなのであって、もうみんなこのことに関心ないなら(あるいは諦めてるなら)このスレが終わりになるのも、致し方ないのだ >>159
たぶん理解できないでしょうが、仏教には主張はない、ただアドバイスのような道を示すだけ、その道も最終的に捨てられるので 社会主義に完成はない ただアドバイスのような理念を示すだけ(そして多くの人々が警察国家の管理下に置かれるーー)
そういえば林達夫の「共産主義的人間」って、共産主義こそ宗教だといって批判してたんだよな >>161
仏教に完成はある、解脱成仏。社会的には世俗のあるがまま
共産主義、マルクス主義は世俗的キリスト教の一形態でしょう 社会主義は世俗された宗教 内面オンリーの救いでなくウチ・ソトを越えようとして結局偽善まみれになった
宗教ファナティックがいくら「自分は違う」と正当化しても、世の東西に関わらず内面だけにこだわる宗教は、世俗での差別や抑圧、戦争を黙認し正当化する そして看過について問われるとどこまでも抽象的に、つまり厚顔無恥に「アレは正しい教えでない」というは「切り捨て」に逃げる
もうスレチ大概にして欲しい まあ国策文学も戦後民主主義文学も、その意味では同じだけど 「カースト」という語のルーツはインドの言語からではなく
ポルトガル語の家柄・血統を意味する「カスタ」という言葉から派生したもの
たしかに出自による階層分けというのは昔にもあったわけですが
現在につながる差別というのは
植民地化の過程で生まれたものだというのがさいきんの説ですね たとえばインドで最もカースト差別の激しい北西部パンジャブ地方は
19世紀に大英帝国に植民地化されるまではシク教を奉ずるシク王国の領土だったので
ヒンズー教の残照としてのカースト制という説明は納得のいくものではない
また、この地域はいわゆるアーリア人の侵入によって
ガンダーラ仏教が興った地域でもあり、日本では天竺国として知られています カーストは正しくはヴァルナおよびジャーティという二つの身分制の総称で、いずれもインド古来のものらしい イギリスの植民地支配下で強化されたといわれるが、当時イギリス人はカーストのような因習がある以上、我々は彼らを啓蒙する義務があるといって植民地支配を正当化した(イギリス国内の階級制は棚に上げて)
どの国も、どの個人も、結局自分には甘く他人には厳しい
ある作家が「破戒」のラストで主人公が海外に渡るのは「逃げ」だといったという 逃げた先でも、また「イエローモンキー」でしかないことが分からなかったのだろうか
そういえば1982年のフガニスタン(だったと思う)現地調査では
仏教系寺院の台座からアブミスラという文字が確認された
この場合のアブとはアラブ系部族が使用する父などの尊称であるアブであり
ミスラとは光明信仰のミトラと推理することも可能
直訳するのなら「父なるミトラ」という意味だと解釈し得る
仏教中の光明神信仰(阿弥陀仏信仰)はアミターバ(光)が語源と説明されるわけですが
実は仏教によって集合されたミトラ教がルーツだったのかもしれない
まあ、仏教にも成立過程においていろんな事情があるんでしょうね カーストは決してイギリス支配によるものではなく、ヴァルナとジャーティという2種類の身分制に起源を発しているとみるべきだろう それは、ホロコーストがそれ以前のキリスト教世界における反ユダヤ主義の延長線上にあり、我が国の部落問題が江戸幕府以前の、中世におけるいわゆる神人・供御人の零落と関わっており、賤民制が単なる政治的な分断工作だけで現出するものではないことからは明らかといえる 要するに、いずれも元々あったボヤが煽られたのである
あえて話をすっ飛ばせると、いわゆる戦後文学のダメな部分に(無論全部が全部でないにせよ)「政治」だけ見て「社会」「歴史」を蔑ろにする姿勢があげられる それは群像最後の評論賞となったシールズ論を見ても明白だ そこで論じられてることは(任意にいくらでも書き換え可能という意味での)「政治史」であり、ただ文面上シールズ以前の大衆運動が参照されているに過ぎない そこに起きた「葛藤」も「挫折」も、この受賞者にとっては基本どうでもいいことなのである すいません 168番目の半ば「現出するものではないことからは」の最後の「は」を「も」に訂正します >>164
その最近の説とは何でしょう?
カーストは西洋語ですが、インド語でヴァルナというものなどがあり、マヌ法典などに古来より規定されてますよ。 >>165
なるほど、イスラム政権下でどのように運用されていたか知りませんが、マヌ法典はイギリス支配期にインド人学者の協力のもとにいち早く訳されたので、当時も有効だったと思います
地域によって色々だったかもしれません。 >>166
プロテスタント文献学を応用した植民地支配の論理ですね
アフリカ、アメリカ、オセアニアなどでは、それでいけたけど東洋では無理だった
なぜなら、文化が西洋より古く高いから。
特にインド、そのなかでも仏教。
なので、ほとんど暴力制圧です。
シナに対しては、アヘンも使って、何の正当化もできないでしょう。 >>167
そういう起源説はほとんど好事家、物好きの域ですね。
言語習慣の変化にはなっても、尊格の起源にはならないように思います。 アフリカにはエジプト、エチオピア、ガーナといった文明国家があり、アメリカにもマヤ、アステカ、インカが存在した というより文明を築いた人種・民族より小規模の部族社会のそれの方が劣っているというのがそもそも単なる偏見(例えばアステカはヨーロッパとの関係では被害者だが、元々周辺の諸民族に対しては侵略国家だった) 仏教やキリスト教が生き残ってきたのは権力、特に覇権国家の権力と癒着してきただけのことで、それもカースト国家のインド本国では結局ヒンドゥーに吞み込まれてる(かろうじて独自性を保ってるのはアンベドカル系のそれだけだが、カースト肯定のヒンドゥー経典を「焚書」するというやり方は、現在のドイツが「我が闘争」発禁にしてるのと基本おんなじ このままだと多分ヒンドゥー改革派に再び吞み込まれるだろう) 要するに宗教の歴史は血まみれ、差別まみれなのであり、決して宗教スレチの言うような欺瞞・偽善に満ち満ちたものではない
もっとも、かつて「ちびくろサンボ」が問題になった時、イージーに次々とに自主規制した我が国の出版界も、あんまし人のことは言えない 「チャタレイ」のとき独り戦ったのは福田恒存だけだったが、いわゆる戦後民主主義者は(おそらく「良識」に怯えて)ほぼ何にも出来なかった つまるところこのままでは、我が国の民主主義は幾度となく「空気」「既成事実」「あるがまま」の前に翻弄され続けることになるのだろう あ、違った この時少なくとも中島健蔵が福田とタッグ組んだったんだ あ、違った この時少なくとも中島健蔵が福田とタッグ組んだったんだ >>174
少なくとも西洋人が認め、恐れたのは仏教とヒンドゥーだけですね
アンベドカルを仏教というのはオウムとか幸福の科学を仏教というのと一緒
もっとも、オウムの幹部は三昧に入れるし、神通あるひとが多かったけど
そして、インドにはベンガルにバルア仏教、各地にチベット仏教、テーラーワーダがいる。こっちのが本物
ポリコレとかルッキズムは、関わりたくないです 連投すみません 少なくとも「チャタレイ」については「戦後民主主義者何も出来なかった」取り消してお詫びします 何度も言いますが、「本物」「偽物」なんてな神学論争したけりゃ別にスレ立てて下さい
ポリコレ・ルッキズムに対して(「賛成」「反対」「中立」のいずれでもなく)「関わりたくない」人がここにレスするのはスレチ、あらしです >>179
そりゃ、批評は批判しなくてはという前提があるからじゃ
批評についてアリストテレス詩学のでんとうより、文心雕龍、文鏡秘府論のが深く、インドの詩学はもっと深く多様、ここらへん見た方が批評として豊潤だと思うけど 批評が受け入れられなくなったのは、(前にもちょっと触れたけど)仏教の経文のような専門用語で分かりにくい文章が増えたということも一因 とにもかくにも文芸批評スレで「本物」「偽物」の区別なんて邪教狩り意味ないし、それをカーストや人種差別を「肯定」する人から言われたくもない オウムの教えがどんなもんだったかは知らんし、分かってるのは無差別テロという事実だけ(そしてその教えに一定の意義を見出したことで、「大衆」にこだわってたはずの吉本隆明が叩かれたことがあったってことだけ)
ここは意味不明の経文唱える布教の場じゃない 文芸批評の場 その他大勢無視して分からないことを言いたいだけなら、宗教スレ立てるべき
>>181
これで最後にするけど、オウム幹部十人ぐらい、それいがい三十人ぐらいと会って、ちょっと内情とか聞いただけだけど、サリン後、色々適当な評があったけど、吉本隆明ともう一人は結構当たってた。
サリン事件の日、晴れてたので職場へ丸ノ内線使わず、自転車で行ったら、騒ぎになってた。
丸ノ内線に乗ってたら、遭遇してたかも。
いろいろ、どうもです おそらくこのスレこれでホントにお終いになるのだろう >>133 さんのいうこともやってみたかったが、自分の力量不足を恥じ入る次第(てかそうゆうことやろうとしても、どうしても自分自身の関心事に偏った内容になってしまいそうでーー)
批評の永遠を、私も信じたかった >>168
>ヴァルナとジャーティという2種類の身分制に起源を発しているとみるべきだろう
そういう旧来の宗教的区分けが植民地化の過程で
階級差別という形で変化したというのが最近の説ですけどね
>それは、ホロコーストがそれ以前のキリスト教世界における
>反ユダヤ主義の延長線上にあり、
反ユダヤ主義の萌芽は近世では原理主義ジュズイット派からで
汚れ役であったユダヤを撲滅してカソリック世界を宗教的に純化しようとした
それとシオニズムの台頭は中欧〜東欧、ロシアにかけての反(アシュケナージ系)ユダヤ
にたいしてのもので、これは19世紀半ばからのことで比較的最近の出来事
西欧世界における反ユダヤとは別の形で生まれたんですね (続き)
>我が国の部落問題が江戸幕府以前の、
>中世におけるいわゆる神人・供御人の零落と関わっており
でも幕府崩壊のきっかけは三宝院と聖護院の対立によるものだから
宗教勢力はそれなりに健在だったとおもいますけどね
それと斃牛馬の皮革加工は部落特権であり苦役ではありません
その集積と販売を担ったのが本願寺とその門徒総代であったわけで
で、各藩の革奉行が両社の間に立って支払いの交渉にあたっていた
本願寺が支払いを渋るので特権を放棄した村落も少なくはない
そのていどの自主性はあったわけです >>177
>インドにはベンガルにバルア仏教、各地にチベット仏教、テーラーワーダがいる。こっちのが本物
チベット仏教の成立は比較的最近のことで15〜16世紀じゃないの
その前身はバン教でしょう
バンとは輝くや火というていど意味であり、光明信仰の一種のようなきがするの
で、清王朝の王家が信仰していたと記憶しているけど
北方系女真族の愛新覚羅一族が信仰していた理由がよくわからないけど >>184 >>185 お早うございます
まず、これまで何度も同じことを繰り返し述べましたが、このスレは元来(私が参加する以前に)文芸批評スレとして立てられたものであり、宗教史を問題にするのはスレチでしかありません 今後このようなアンカーを付けられた場合、それが文芸評論と関わる内容(宗教を扱った小説などに関するものなど)でなければ、勝手ながら(スレを立てた方の意をくみ)回答を留保します
初めにカーストと反ユダヤ主義についてですが、これはもう価値判断に関わる事柄であり基本議論は無意味だと考えます ただ前者の問題をイギリス支配に限定した場合「インドは自力ではカースト差別を克服出来ないしする必要もない」という考えを正当化し易いし、後者の近世(近代)を分離する歴史観についても、つまるところ「ナチだけが悪い、ドイツに占領された国々での「見て見ぬふり」「片棒担ぎ」は免責されるべき」ってことになる確率が高いと思います そして私自身はそうしたスケープゴート史観には同意しかねます(というよりそもそもこの話題に踏み込むなら、ヨーロッパ社会の世俗化に伴う「宗教的偏見から人種・民族的偏見へ」という問題は避けて通れないとも考えます ただ私はこの問題の専門家ではないので、これ以上は何も申せません 期待外れだったらご免なさい)
次いで部落問題に関してですが、「三宝院と聖護院」が「健在」だから零落した神人はそれほどいないというのは(私は宗教史自体の専門ではないので断言出来ませんが)正直極論ではないかと思います また「部落特権で苦役じゃない」といった場合、じゃあ「穢多」「非人」への差別はいつから始まったのかという基本的な問題が出て来ますが、このレスではほぼ全く触れられていません 単純に考えるなら、「苦役でない(?)部落特権」(てかそもそも皮革業は基本いわゆる3K労働のはずだけれども、そうじゃない皮革業もあるの? 私が無知なだけならお詫びします)こそが差別と背中合わせのものなのであって、正直あなたが私の主張の何処を問題にされているのかがよく判りません 少なくとも「特権を持つ者≒(準)特権階級のまま」だとお考えならば、明治期の賤民解放令も不要なはずではとしか申し上げられません(続く)
(187の続き)
私自身はあくまで日本近現代の文学・歴史を多少かじっただけの人間です もしも次に私のレスにアンカー付けられるときには、くれぐれもそのことをお含みおきの上、あくまで文芸批評(せめて社会評論や政治評論を含んだ「批評一般」)に関わるレスをお願い致します (188の続き)
ただ解放令によってそれまであった皮革業関係に関わる「特権」を失ったことが、かえって部落における貧困化を促進したーーそういう面はあるかと思います
話は変わるけどある歴史学者(祖父が部落出身であることを公言)が、大河ドラマで穢多頭弾左右衛門を取り上げて欲しいと(冗談交じりに)いってたけど、ハリウッドの「ミナマタ」の公開でも現実問題としていろいろ起きたし、まあ無理なんでしょうね 10時台の歴史教養番組とかなら何とかなるかな? 何度も失礼します 「弾左右衛門」→「弾左衛門」です」 悠仁親王が北条裕子と同じことしたと問題になってる まあ正直にゲロると、私も小学生の時、読んだ本に出てた言い回しほぼそのまま作文に引用して、先生に褒められたことがあったっけーー >>189
>ただ解放令によってそれまであった皮革業関係に関わる「特権」を失ったことが、
>かえって部落における貧困化を促進したーーそういう面はあるかと思います
部落の窮乏化が進んだのはおもに松方デフレ以降
浅草長吏弾左衛門の長吏とは吏員の長という意味で
現代の官職でいえば長官職のようなもの
警察業務、金融業、風俗などを統括した
警察庁と日銀総裁を兼務したような役職だったので
別に皮革業の特権を失ったぐらいではビクともしない 江古田文学賞って評論も募集してるのな(受賞例は今のところゼロなので
三田文学以上に漂う荒地感
これぞという評論を送ってみたら案外通ったりしてなー >>195 お早うございます
あくまでも独断と偏見だが、江古田文学審査員確認した限りでは、評論送るんでもあんまし理屈っぽいの(観念的なもの、専門用語の多いもの)はダメだと思う もっとも、だからってエッセイにする訳にもいかんし、ウーム……
で、三田文学今年も批評合格皆無ってホント? 大江も石原も柄谷も、そして吉本ですらも、結局「政治」に身売りして批評、否文学そのものを内側からダメにした それは(規模の大きさを除けば)保田やハイデガーやルイセンコの持っている現罪と何一つ変わらない 二百get
総理の値うちを書いた福田和也は政治的すぎると思ったけどね 批評そのものはもう終わってる なぜなら要するに「売れない」から そしてその前提に批評家同士の議論が畢竟単なるケンカであり、そうした「プロレス」(=文字通りの政治ショー)であることにみんな飽きてしまったから 今現在柄谷や福田といった、特定のレスラーを御贔屓にしたり悪役にしたりすることは、もう全く無意味だから
あくまでも個人的な希望に過ぎないが、評論は「政治」を語る前に「社会」「世間」「向こう三軒両隣」を語るところからやり直して欲しい まあゾンビ、骸骨に何言っても無駄なんだろうけど 201補足
「ヒロシマ・ノート」に目を通したとき、大江にとって重要なのはあくまでも「ヒロシマ」であって「広島」でなく、3,11以降脱原発に関わったときもやはり「福島」でなく「フクシマ」が大事なのだとしみじみ感じた そしてそれはつまるところ、彼にとって実の息子が単なるお涙頂戴のネタでしかなく、しかもそのことに気づかぬままでいられる、何とも「おめでたき人」であることと同じことなのだ
こういう人は、いっそのこと櫻井よしこと心中して貰えぬものかと、自分ながら実に政治的な、不謹慎な思いが脳裏によぎる ところで今年も三田文学評論該当作なしだったけど、何人ぐらい応募してたんだろ? (少なくとも小説は過去必ずしも慶応オンリーではないらしいけど、今年はどうだったのかな?) あらしは出てって もうホンマこのスレ実質的に終わりだ
終わりついでにまた言っとくと、北条裕子の「剽窃」(てか過失?)が事実上のバッシングの原因になる一方、悠仁親王の「コピペ」(てか「特別入学コース」)がそんなに問題にならんのは、やはり菊タブーのせいなんだろうか てかそもそも正直皇族、ことに将来天皇になる皇族がいちいち「お受験」などという世俗の価値観に振り回されてしまうようなら、それはもう「国民統合の象徴」とはいえないのではないか 天皇は勲章を授けられる側であって欲しがる側じゃないと思う
もっとも、愛子親王が即位したらしたで、(女帝であるかどうかということ以前に)水俣病の原因つくったチッソの血筋が天皇になることになる 無論妃殿下自身には何の罪もないが、水俣の人々も日本人である以上、それはそれで問題かもしれん 今回の事態に対して
「批評は永遠に不滅です」と選手引退時の長嶋茂雄みたいに泣きながらコメントする人がいるとしたら、誰だろうな。
柄谷ではない。蓮實は、泣きながら、ではないが、言うかもしれない 鶴見俊輔の評価はどう?
オイラ的には面白いんだけど >>210
がきでかも評価してるみたいよ
それよりも、あの時代なのに歴史とか文化の見方が、西洋を超えていて面白い 鶴見は「がきデカ」に関してだけは評価してた ただ(話が飛ぶけど)小林よしりんについてはなんもいわんかったよな やっぱり「東大一直線」や「お坊ちゃまくん」だけそこそこ評価して、「ゴーマニズム」はくさすってことになるのかな?
あと彼は丸山から確か「学問における「型による修練」をおろそかににしてる」って批判されてたよな ただ修練を大事にする鶴見って、正直想像もつかんわな 212補足
あと、この人は「危険な思想家」の推薦文書いて吉本その他から批判されたけど、この人のヤマギシに対する姿勢って吉本のオウムへのそれと基本おんなじ
結局知識人は宗教やイデオロギーに振り回される それだけで全否定まではしないけど、正直大学時代(学部時代、大学院時代に)一部の目上の教授、准教授から左右のレッテル貼りされた、いわゆるアカハラの苦い思い出は決して忘れられないし、正直許すことも出来ない >>212
なるほど、丸山が言いたいことも分かるが、
だからこそ、西洋的な型に嵌まらなくて面白いのかも
西洋学問のデシプリンして、嵌まらなかった人は少ないように思う
オイラ的には小林は、ゴーマニズムまでかな
あそこだとまだエンタメになってた
もっとも、その後はほとんど読んでないですけど >>214 度々失敬 その「オイラ」ってひろゆきのマネ? roosters かな、ヒロユキが使ってるのは知らない
共感しないし ホンマ度々失礼
鶴見の丸山に対する近代主義批判は他のインテリのそれとは違っているように思えるが、どんなものだろうか? 保守派知識人のそれは無論ある意味吉本のそれにも、丸山の西欧主義への批判には実質彼の敗戦トラウマへの批判が隠されていて、それはおそらく丸山同様戦中派だった批判者自身の自己嫌悪の投影でもあったように見える これに対し鶴見のそれはもっと淡々としているように感じられるのだ この点でやはり鶴見は帰国子女なのだなぁといったら、これは偏見になってしまうだろうか >>217
すいません、読み始めたばかりで分かりません
何に書いてあります?
転向? >>218
目を通したのが大分以前のことなので間違ってたら申し訳ないのですが、確か丸山真男の「自由について――七つの問答」だったような 今改めてネット検索したら「閲覧不可」になってた
テレビを見ると今日もウクライナ情勢やウイグル問題をやってる
敗戦直後、文壇・論壇では(極端な言い方をすれば)独り保田与重郎のみが弾劾されて、小林や川上といったその他大勢は事実上免責になったんだった
そして現在、ロシア(=旧ソ連)に全面的あるいは部分的にせよ幻想を抱き、あるいは中国べったりだった連中(「本当の社会主義」にしがみついた丸山や中国初の核実験を「ようやった」といった竹内好、そしてある意味鶴見自身ーー)には、当然かかる面での道義的責任があるはずだが、今のところ誰も問題になってはいない やはり私達日本人は(良かれ悪しかれ)「水に流す」文化なのだろう ミスター本屋
@hahaha8201
知らん作品の知らん解釈を批判して知らん思想を展開されても誰も読まんだろうと思うんですよね。今文芸誌でやられている思想がオタクに毛の生えたものにすぎないのはそのためかと。ではどうするべきかと言えば、むろん、解釈によって見方を変える実践的な文章を書くしかない。
ミスター本屋
@hahaha8201
今福田恆存とか橋本治にいる位置に白饅頭がいるんじゃないですか。それを嘆かわしいって言っても仕方ないでしょ。対抗するには自分達がとりあげて批判するしかない。 「知らん作品」「知らん解釈」「知らん思想」ーーそれは「毛のはえたもの」などではなく「オタク」そのものでしかない、場合によってはそれ以下だ(とサブカル好きの私は思う)
てか、数年前のことだけれども、都内の某マンガ・アニメ専門のミュージアムで目を通した、一昔前の(中小・零細出版社の)アニメ誌のアニメ批評の方が、正直粗削りではあっても相対的に分かり易かった
そうしたサブカル批評誌が次々と潰れていった時、もう「批評そのものの死」が胎動していたのかもしれない お、鶴見の話からまた盛り上がってきたね
橋本治も批評家と言えば言えるね >>220
ちょっと読んでみた白饅頭かなりいいけどな
現代の問題を的確に今の言葉で論じてるかんじ
親がちゃ、反出生主義とか
それらは当たり前のことで、問題は今までの世俗プロテスタント的進化論という夢が間違ってただけだと思う 正直御田寺圭のことは詳しくない ただ反出生主義ってポケモンや進撃の巨人にも関係するんだね(個人的には、人間は人間である前に動物、生物だと思うけれども) 225補足
ただ御田寺がリベラルやフェミゴンのみならず、いわゆる「自己責任」からも距離を取る形で反出生主義、親ガチャを取り上げてるのは興味深い なんだかんだいって自己責任論に囚われてた村崎百郎のような鬼畜系も、もはや過去の人だということだろうかーー >>226
オイラも知らない。そう自己責任について面白かった、というか明解だった。障害者は自己責任じゃないが、親ガチャは自己責任といわれることとか。まあ、社会保障の線引きみたいなもんなんだろうけど、切り捨てられるほうは、たまらないって諦念が親ガチャという言葉に集約されていることが、よく分かった気がしたので。
反出生主義は進撃でも出てきて、インド的ですね。ま、ここはスレ違なので流すね。
実はここで発言するキッカケは村瀬、ちょっと間違ったら、ああなってかもしれなかったので。彼とは接触なかったけどね。 >>227 お早うございます
(勘違いだったらはなはだ失礼なのですが)もし「村瀬」が「村崎」のことであれば、あなた仏教スレチと私の言い合いずっと見てたことになりますね(恥) ただ(脱線しますが)反出生主義的な考えは、インドだけでなくショーペンハウエルなどのヨーロッパ哲学にもあるんだそうです
もっとも、現実問題として女性の高学歴化を止めるんなんてムリだろうし、そうしたOLが自分より低い学歴のオスどもを見下すことも、また避けられないだろう(そういえば御田寺のウィキペディアでの履歴、単に大卒ってなってたな オレとおんなじでソコソコのとこしか行ってないのかな?(笑))
ただ個人的にどうしてもフェミゴンが受け入れられんのは、中絶を「時と場合によってはやむを得ない緊急避難」としてでなく、「選択の自由(リプロだっけ?)」として主張すること 院時代の同じ専攻のフェミゴンが「妊娠したら出生前検査する 障碍児出産の確立大と判ったら即座に堕ろす 女の権利として」って言ってたけど、正直(こんなこと言うたらまたミソジニーとか言われるんだろうけど)私には彼女とナチの優生学者の区別がつかん >>228
オイラが仏教スレチですよ
仏教については発言辞めたので、ショーペンハウエルのインド起源についても止めときます
フェミについても白饅頭よかったな。政治って初動がよくても段段、変になってくことが多い。 手塚治虫の「火の鳥(鳳凰編)」で権力者と結びついて出世した彫り物師が、死の間際に現われた火の鳥を前に今こそ一世一代の鳳凰像を作ると意気込むものの、火の鳥から「もうお前は死ぬ そして来世以後他の生き物に生まれ変わることはあっても、もう二度と人間には生まれ変われない」と告げられるクライマックスに、それまで宗教と政治の癒着を批判的に描いてたはずの内容が、急転直下で人間の可変可能性を全否定してしまうものに変わってしまうことに、正直違和感を禁じ得なかった
釈迦の時代、いわゆるカースト制(=ヴァルナ・ジャーティ制)にどこまでモビリティがあったのかは詳らかにしないが、釈迦が「全ての人間ではないにせよ、修養による解脱は輪廻を超越し得る」とはっきり言ってくれてれば、手塚はこんなラストにはしなかったのではなかろうか つまるところ2000年前のイエス自身があくまでユダヤ人改革派でしかなかったように、釈迦もまた、バラモン教の改革派に留まったということなのだろう
もっとも、御田寺が遠回しに暗示しているように、ある格差・差別を別の差別に取り換えることは簡単でも、オーウェルのいう「例外なき平等」は、現実的には「輪廻」によって不可能を宣告されているのかもしれない(ただそれでも、正直「空気」「既成事実」「あるがまま」なんてものはヤッパリ真っ平ご免だが) 5ちゃん(2ちゃん)始めたヒロユキが、ロシアのウクライナ侵略に関し、日本の核武装主張してる 40年前旧ソ連のアフガン侵略の際清水幾太郎が「日本よ国家たれ」出したときは、同じ保守で清水の知己でもあった福田恆存でさえ猛反発したが、とうとうその類いの「タブー」はなくなったのだろうか
もっとも、オルテガの「大衆の反逆」の新訳が数年前出たとき、それまでいくつか出てた邦訳ではハショられてた「平和主義について」(20世紀前半におけるヨーロッパの教条的・情緒的な平和主義の空想性を辛辣に批判した一篇)の邦訳が付け加えられてたから、もうそのときこの禁忌は消えてたのかもしれない
オルテガの生涯は第一次大戦、スペイン内乱、第二次大戦といった絶え間ない戦争に翻弄されっぱなしのものだったが、正直21世紀の現在、ヨーロッパという下手をすれば全面核戦争に発展しかねない場所で、一国家の完全な転覆なんて最悪のギャンブルおっぱじめる国家元首がいるとは思わなんだ
ヒトラーはヨーロッパが平和主義にのぼせてる状況に付け込んでドイツを二度目の敗戦に導いたけども、プーチンもある意味アメリカの厭戦気分に付け入ってるといえる ドイツはウクライナに武器輸出は出来ないといってウクライナ側の猛反発買ったが、我が国の文学者もまた性懲りもなく有効性のない反戦アピールするんだろうか?
(大袈裟かもしれんし、てかそうあって欲しいが)2月25日が第三次大戦開戦記念日になりませんように 何度もすみません
後半の「平和主義ののぼせてる状況に付け込んで」のあとに「その結果」を補います
核武装なんてタブーでもないだろう。
今の国連では、
第二次大戦で枢軸国だった日本は敵国だから核兵器もったら国連軍から攻撃されるんじゃ? 「アメリカの承認」も大事だが、それとおんなじぐらい重要なのは国内世論の統一
中国がウクライナ侵略でどっち付かずの態度採ってるの見ると、正直この問題がこじれるの待って台湾(or沖縄?)に牙向こうってのが透けて見える
こんなこというのは正直断腸の思い(大袈裟かな?)だが、少なくとも仮に台湾が武器援助求めてーーてか「要請」してきたら、もう「平和国家」の看板かなぐり捨てざるを得ないのでは?
今著名な批評家達は何を思ってるんだろう? 正直「戦争家」「死の商人」のレッテル貼られまいという「空気」を気にしてるだけ、といったら言い過ぎかな? たとえばイージスアショア建設を断念する日本政府と
それをしぶしぶ認める米政府が非常時に強気に出るはずもなく
今回も世界の警察がまったく機能しなかったからああいう風になったわけで
こういう世界構造の変化を博引旁証の技術でもって得々と語ってお茶を濁す
それこそが濁世たる世俗社会とは一線を画した
高邁な理念を有す文芸批評家の処世の術だとおもうの
そういう逃げ方ね >>236
あー、実に身も蓋もないホンマのことをーー(やっぱり今でも安全保障アレルギーってあるのね)
○日新聞が沖縄と中国の人権弾圧を同列においた記事書いてたけど、そしてそれは確かに一面の事実ではあるのだけれど、中国ではそういった問題が国内で報道されることはまずないって点は、決定的に違う
現在の日本にもオルテガや福田恆存が必要だとつくづく思う(今のところ期待出来るのはテラケイぐらいかな)
夜更かしして「朝生」を見ながら 度々すいません
ネット検索してたら「盗人にも三分の理」的な感じでプーチンのウクライナ併呑を論じてる○カがいて、そうしたツイートの中にはリベラル改憲のあずまんのも入ってる 結局私達は中立主義という名の平和ボケにまだしがみついてるのだ
それから、新聞開いたら水平社100年の特集記事が出てて、解放出版社による宣言の現代語訳が載ってる よく見ると原文にあった「男らしき」が消され、「穢多」も「被差別部落民」に言い換えられている
そしてその一方、平和運動関係で「ノーモア・ヒバクシャ」という言い回しがマスコミで問題になることはほとんどない(多分、そういった運動に一部の被爆者が関わってるから、少なくともジャーナリズムの表舞台で「被爆者はもう要らない」なんて「差別用語」を問題にする必要はないのだろう)
「批評の死」以前に言葉そのものが死んでいるのだ 生き生きしてるのは要するに「空気」だけ 力による現状変更は国際法上許されざる行為でありこれについて抗議する
平和を重んずる国際社会の一員として諸外国と協調して非難する次第だが
経済制裁については他国の出方を見たうえで考える
というのが本件に対する岸田総理の弁(大意)であり、
ようするに、国際法上許されざる行為については国際協調の原則上
諸外国に倣って批判する次第であるのだが、この批判はただちに経済制裁に及ぶものではない
しかしこの決断を放棄するわけでもない、それは先述の国際協調の原則によるからである
ということで清々しいほどに日和見をきめこんでいるわけですね
まあ、それがベスト
永田町のお公家さん集団の長であり批評家的優秀さが定評だった人の弁は
どこかで文芸批評につながるあいまいさがある
大江健三郎のいう「あいまいな日本」におけることなかれ主義の典型 まあそれがベスト
選挙区、地盤としての「ヒロシマ」か、小説のネタとしての「ヒロシマ」か、それはどっちにしても「広島」じゃない 「被差別部落の人」であって「誇り得る穢多」でもない
「あいまいな日本」とは、批判されるべきものじゃなく、礼賛されるべきものだったのか 知らなかった 力なき正義に基づく平和主義で暴力と被害を最小に抑えようとするのなら
旗幟を鮮明にすることを避けて中立を維持すべき
であるのなら護憲という白旗を掲げることのみ鮮明とする
曖昧主義こそが活路となる、たとえそれが奴隷の道であったとしても…
多国籍軍による湾岸戦争と日本国の参加に対する非難声明を発表したときの
柄谷、浅田、高橋の態度がまさにこれ
ちょうどファジー理論がはやったころだったので大江も
のちの講演に「曖昧」をだしたのだろうが
じっさいは、大江やその左翼的党派の理論こそが曖昧そのものであり
現行憲法下での戦後従属体制という民族的屈辱をごまかすための論理に過ぎない
簡単に言うと自己欺瞞の装置
江藤のような文化右翼による批判対象となるのはこの点だな 強大な力を持つ相手に
しかも自国民の人命を弊履のごとく利用しようして捨てようという外道に対して
軍事的抵抗と協力を同時に回避して安命を確保しようとうのなら
それなりの見栄の切り方もある
文学的闘争なんてその程度のものだよ
はた目にはブザマだけど大衆の自己欺瞞のネタにはなる
力なきもの正義の限界だからしかたないよ
左翼文化人はちょっと威張りすぎだけどね >>242 お早うございます
オタの端くれとしていわせて貰うと「シン・ゴジラ」観た時、こんな立派な、決断力のある日本人ばかりの映画なんてファジーならぬファンタジーそのものだと思った (もう20年も前の作品でDVD化もされてる)「ゴジラ2000ミレニアム」での、冒頭東海村原発を破壊して放射能を吸収し、ラストで東京を火の海にするゴジラになす術のないままって方が、まだリアリティがあると内心思った そして蓮實重彦が(確か「群像」で)シンゴジをファシズム映画とか言ってるの見て、「ああ、自己欺瞞の音頭取り(の一人)にはそう見えんだ」と、正直呆れている
「ノーモア・ヒバクシャ」が不問なままの一方、「穢多」や「メクラ」「ツンボ」はいちいち言い換えして逃げるってショーモナイ風潮が、「その低度の文学的闘争」の背後に隠されてるのなら、その処方箋は江藤は無論のことオルテガにも福田にも期待出来ないことになる 少なくとも福田が「一匹」といったとき、かかる自己欺瞞から「排斥」される存在など、全く念頭になかっただろう >>244
新横浜、新大阪、新神戸…… アンタ新宿区在住? >>243
そらエンタメだもん
ダメダメで核で首都消滅、日本はダメだったなんて話じゃ企画も通らない、仮に上映されても多くの人は見ないでしょう 高度成長が終わり公害やオイルショックに見舞われた当時の日本人にはまだ、「日本沈没」(映画版)に殺到する余裕があった リメイクのテレビ版のラスト見て、今の私達にはもう「絶望の中の希望」にカタルシスを感じる余裕が著しく低下しているのだとしみじみ感じた あらしふぜいにはどうでもいいことか >>247
趣味、習慣、文化が違うってかんじですな それなのに新版「沈没」のラストについてはSNSでご都合主義だって声が飛び交ってる リアルでないのはやだけどリアルそのままなのもやだ だから表面上はリアリズムに徹しつつどこまでも凛々しい「あるべき日本人」にこだわる「シンゴジラ」がヒットした でも内心「あれはウソだ 「エヴァ」の方が(庵野秀明の)ホンネだ」と思ったのは、私だけだろうか まあシンゴジが「九十九匹」でエヴァが「一匹」ということか それとも2次元なら「ホンマモンのリアル」でも耐えられるということだろうか
ところで薄カツラ被ったプーチンがギレン・ザビ役の実写版「ガンダム」って、みんな観に行くかな(笑) シンゴジ>エヴァの順でみたが、エヴァは気持ち悪くて1以外見てない
あんなオタク設定、エンタメとしてもダメだ
絵は綺麗だったけど こりゃ時代差じゃなく個人差だな(笑) オタでない者が5ちゃんに首突っ込んで文句垂れるとは 要するに大江が「文学」だけを崇高なものと看做し、蓮實が元々大衆文化として生まれた映画に「昔のもの=○、今のもの=×」って差別化してるのと変わらん 自分のシュミ押し付けるだけの人に絡まれるのは正直真っ平、ヤレヤレ 逆に言えば子供のころからゴジラ見続けてきた私にとって、あの「凛々しい日本人」はそれまでのゴジラに出てた人間側の登場人物と比べなんか「空々しく」、けれどもその反面同時に「3,11」が「生々しく」伝わって来た(ただモノクロの第一作と比べても、「シンゴジ」の人間キャラは、「原子力災害の単なる狂言回し」のように見えた) ただそれはあくまでも私個人の感じ方に過ぎない >>251
それしかないでしょ、芸能文藝とかは個人の感受でしょ
あの主人公とアニメ的エロくて強いネーチャンとか無理だ。しかもエロくないオタク絵だから
批評も妥当性より面白味でしょ、文藝なら、研究なら妥当性とかだろうけど
進撃、攻殻、本郷・原のクレシン、声の形ぐらいしかアニメは楽しめない >>243
>そして蓮實重彦が(確か「群像」で)シンゴジをファシズム映画とか言ってるの見て、
>「ああ、自己欺瞞の音頭取り(の一人)にはそう見えんだ」と、正直呆れている
あの人はたぶんファシズムの意味すら分かってないだろうから >>253
「芸能文芸」と「文芸」の違いってナニ? よく分からん
昔「夕凪の街 桜の国」の映画版観た時、そこに出てくる被爆者達のケロイドのメーク見て、あまりに作り物めいた「綺麗」なものなのでびっくりした 私がそれまでゴジラだとばかり思っていたものこそ、極めて現実的なSFでも何でもないものなんだと、改めて思わざるを得なかった
エヴァの設定上のグロさには耐えられないけど、シンゴジのあの視覚的なそれは気にせずエンタメとして楽しめるってのは、正直私には(自分でもエラそうなこと言ってると思うけど)要するに「平和ボケ」としか思えない
>>254
いや多分オレもその意味ちゃんとは分かってない ただ蓮實にせよ(「破壊者ウルトラマン」での)大江にせよ、「逃げてる」ってことだけは、よく分かる
ところであなたもしかして、100番台後半のレスで宗教史・差別史で私に何回かレスしてきた人? もし間違ってたら恐縮の極みなのだけれど、個人的には「偏見」というのは表面上の形が変わるだけで場所、時代に拘らず普遍的なものだと思う 近現代になって加速化・固定化された差別というのは確かにあるけど、そこばかり強調するのは身分制より学歴社会の方がマシだというのの鏡像だと思う
今日はこれでお休みなさい
普通の日本人「この情勢でも左翼党支持する人って中国の工作員か統合失調症だろ、どちらも話が通用しない人種」
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1646007575/
普通の日本人のツイッター
ウクライナ情勢見ても左翼党を支持する人はC国の工作員か統合失調症だ
普通の日本人は保守政党を支持する
国会では憲法改正核武装がテーマになるだろうね
左翼党支持する人はC国人か精神疾患だと思った方がいい
要するに話が通じない人達って事 >>255
文藝は 読み物としての literature
芸能は見せ物、舞台、映画、youtube などの見物を指したつもり。
設定のグロさというより、オタク臭が気持ち悪くて、なんつうかディズニー的プロテスタント風味の日本的解釈みたいな。だいたいアニメ見られないのはここら辺が原因だと思ってる。
要は性欲を抑制して変な形で現れてるのが気持ち悪い。
その点、シンゴジは長谷川くんも石原・市川もまっとうな俳優なのでオタク臭がなくなって見られた、楽しめた。 >>256
普通の日本人は自民党を支持する なぜなら保守主義だから そして保守主義なるがゆえに憲法を変えず非核三原則も変えない まして一部の人々が「アンタは○合失調症」なんて差別発言してアジろうものならますます引いてしまう
かくて私達が3つもの軍事独裁国家を隣国として抱えているという現実は、完全に見失われてゆく ああ、困った……
>>257
これはもう一部のアニオタが「アニメは好きだけどエヴァだけは嫌い」って言ってるのと同じ 要は「オタ嫌いのオタ」「自分がキモオタの一人だということが認められない臆病者、否卑怯者のオタ」 でなきゃエヴァの屈折した性描写なんて全く気にならない
自分自身の「感想」をそのまんま押し付けてくるところは、アンタが100番台で宗教スレチとしてやってたこととちっとも変わってない サブカルであれ純文学であれ「感想」をそのままぶつけてくるだけ 自分と違う考え方をする相手に対してはそれなりのやり取りを踏まえるべきであり「場のルール」を弁えるべきだということは、これまでも何度か申し上げてきたはずです(>>147他)
どうかもう私のレスにアンカー付けないで下さい 竹田青嗣は西尾幹二と小田実を「一方的に喋ってるだけの人」と名指ししていいましたが、聞く耳なしのコミュ障(否、これはコミュ障の方々に失礼、彼らはわざとそうしてる訳じゃないのだから)とは関わりたくありません
まして「シンゴジ」や「進撃」といった「3,11」を「単なるエンタメ」として享受するようなデリカシーの全くない人ならなおさらです! >>256
>ウクライナ情勢見ても左翼党を支持する人はC国の工作員か統合失調症だ
>普通の日本人は保守政党を支持する
あいかわらず日本のマスコミは報道しない自由の行使ということなのか
ウクライナ情勢の背景を説明しないのだけど
両国間の軍事的緊張の原因はロシア人が居住する東部地区への出資をウクライナ政府が出し渋っていたことと
ドイツからの武器輸入による軍備増強そしてイージスアショア配備による
ロシアによるミサイル戦略の無効化
そしてNATO加盟による集団的自衛権の確保 ちなみに西部地区というのは第二次大戦後に併呑された地域だったかな
ほかにもスターリン時代に中央アジア地域から入植した
タタール人やギリシア系住民もいるので
ウクライナ国民は決して一枚岩というわけではない
クリミア半島は白軍最後の拠点であり、歴史的には東部地域のロシア人の方が
相対的に古くからの住人だったともいえるわけで
この紛争はロシアの地域安全保障の確保とロシア系住民の保護という側面もある すみません 後半の「屈折した性描写」を「性に関わる屈折した表現」に訂正します
好き嫌いをそのまま出して来るだけの文章、まして自分の中のオタを棚に上げて「オタのキモさ」をくっちゃべるだけの、ゴジラの「キモさ」(≒3,11)に向き合わず、エンタメとして消費するだけなんて、傲慢以外の何ものでもない 安保法制による集団的自衛権の強化(安保条約の完全双務化)というのは
安倍政権下で実現した安全保障政策なのだが
ミサイル攻撃を無力化するイージスアショア配備は断念せざるを得なかった
それはトランプも同意した
というのも核大国である近隣国との間に
深刻な軍事的緊張を発生させることにつながりかねなかったからだ
ウクライナは国を立ち上げた経験者が健在なので意気軒高だったのかもしれない
しかし、無謀ともいえる行為だったのかもしれない >>259 >>260
あなたが日本人なら、てか少なくとも自由世界の人間なら問題をすり替えるのはやめるべきだ そもそも少数民族の問題はジョージアにもあるが、ジョージアへのロシアの軍事介入はこんなに問題にはなっていない 問題はギレンーー否プーチンがウクライナ「東部」でなく「全土」を攻撃対象にしたこと あなたがロシアの体制派工作員なら仕様がないが、あのガンコジジイが「東部だけの侵攻」に留めていれば、あなたのいう「報道しない自由」はてらいなしに報道されてた 習近平が完全にロシア寄りになっている状況で、こんな傍観者的、「高邁な理念を有す文芸批評家的もの言い」には、何の意味もない そうか、絵柄の問題もその性倒錯に関連して結構重要だと思うんだけどね
プロテスタント的禁欲主義と努力信仰みたいな 言い忘れてたけど(てかこのスレでは必ずしも適切ではないのではと思って言わなかったのだけれど)先日「大怪獣のあとしまつ」という「ゴジラ」と「ウルトラマン」と「怪獣8号」(マンガ)の3つを掛け合わせたような映画を観てきた 要するに絶命した怪獣の死体処理に関する映画だが、福島原発の廃炉をオーバーラップさせてる点では基本「シンゴジ(の後日談)」 ただシンゴジのように理想化されたリーダー達の群像劇じゃなく、総理を始め各省庁の大臣・お役人達のいいとこどりや責任の押し付け合いをコメディタッチで描いている点が大きく異なる 「シンゴジ」のときはまだ2011年から5年だったけど、11年たってやっと(あくまでもコメディの観点だけれども)「3,11」を等身大の視点に引き下ろすことが出来たのだとしみじみ感じた
これが純文学の場合だとやっぱ(色々取り沙汰された)「美しい顔」だけってことになるのか…… 青怪人 赤怪人 というとダンジョン男二人組だけど。女神転生。切ない忘れ去られた
ダンジョン男はマザーだよね。ゲームの話。 無限に大きい世界と無限に小さい世界とか言ってるのあほじゃないの。
男女が読めない。ダンジョンと。 人間だものじゃないの、ギンザ阪急展の詩人だったよ。本稿じゃないかも。詩文学も賞金あるよ。
ゴーギャン系が絵付けしてくれたし。 人間(達)はどこから(歩いて)きてどこへ(走って)行くのか、古今人はいくつもの問いを立て問いに答えてきた。
お前人間か。俺は人間だ。 推敲後。 哲学もそういうところあるよね。問題提起と答え。
問題を作ることのほうが大事かもしれない。なかなかする人がいない。 新人賞と言ったら永遠の新人賞はランボーかもしれない。 荒らしは読んだことある。ん嵐は呼んだことある。
腰に雷落とされた。落下寸前。原爆じゃねえんだけど。原子核で。 地獄の季節とか惡の華、考えると文学の批評がおとなしいよ。善意すぎ。きれいな言葉すぎ。 ヴィッチとかアバズレとかそういうのが板にないのは文学のホントじゃない。
連中のやることさ。 まあ出だしの人物は、あまり勉強しないしお坊ちゃんすぎる。言文一致とは。
毒舌で出版物塗り固めろということだ。善意であれ悪意であれ。 ネットで子供に見せたい番組NO1に君臨されるんじゃないのログアーキヴ。
音楽や画才も上々だし。日本昔話は。 グリムアンデルセンなんかの話題も少ないなあ。子供の発達には子供の内容。
大人目線身に着けて。 ↑ なんじゃこの厨二病丸出しの意味不明のあらしレスの群れは 今度こそこのスレ本当にお終いか……
最後に改めてちょっとだけ政治談議すると、ウクライナは核兵器を放棄したまさにその理由でチェルノブイリ原発のっとられてしまった これも「報道しない自由の行使」(>>256)とやらで問題にされないけど てかみんな清水幾太郎の二の舞恐れて核兵器の賛否以前のところでだんまり決め込んでるけど…… すいません (>>256)を(>>259)に訂正します 間違ったアンカー付け、大変失礼致しました >>287
>ウクライナは核兵器を放棄したまさにその理由でチェルノブイリ原発のっとられてしまった
ゴルバチョフ政権時代に軍縮には乗り出したけど放棄はしていないでしょう この度の軍事侵攻はロシア系住民の居住する東部2州の自治権をめぐっての紛争であり
ウクライナ政府と軍中枢に巣食うネオナチ系極右勢力による虐殺というのが争点
それゆえこれまでの東部の自治権をめぐる交渉を打ち切って独立支援に切り替えた
その独立政府の保護国としてウクライナ兵と国民に対してクーデターを呼び掛けている
このことは外国では報道されていて(日本ではほとんど報道されない)
たとえば在仏の西村博之はユダヤ系大統領であるゼレンスキーがネオナチと組むはずがない
と批判している(それは論理的にただしい) しかし、このネオナチとの類似性は3年前に米国議会で
民主党系議員によって問題となり
それゆえに米軍は問題となったアゾフ連隊への訓練から手を引いた
この勢力の排斥をプーチンはネオナチと同定してその排斥を主張しているわけだ
奇妙なところで米国とロシアの意見は一致する
そしてこの背後にいるのはウクライナのオリガルヒといわれる新興財閥なのだが
この度の大統領教書演説においてはプーチン=オリガルヒという形で教書演説にて指弾される
たしかにプーチンはKGB系(つまり旧ソヴィエト系官僚)財閥の代理人であるのだが
どういうわけか彼が排斥対象としている極右勢力金主と目される
イスラエル国籍を有すウクライナ・オリガルヒについては一切触れていない
日本ではオリガルヒについての報道すらなされてはいない ロシアにおいてはエリツィン政権下でのマフィア系オリガルヒの跋扈が
KGB出身のプーチンによる掃討作戦で壊滅に追い込まれた
これは官による民の圧迫ではあるがロシアへの企業進出を目指す国際資本としては
市場の綱紀粛正という点では好ましいものであり、実際プーチン政権も
初期段階では景気が向上したわけだ
だから一概に自由の敵ということで否定はできない
ただ、この手法が現在のロシアやウクライナで有用するかは別 >↑3つのレス お早うございます
こりゃやっぱこのスレ出してるのはロシアの現体制派工作員ということになるのかな(笑) 正直細かい点までは把握してないけど、まさにこれらのレスで指摘されてる点こそ(旧ソ連時代での)バルト3国独立のときもジョージアやウクライナの独立の場合にものちのち問題になったこと 要は独立で少数民族に「転落」したロシア系その他の人々の存在をどうするかってことが問題化し、結果ジョージアやウクライナの「当該地域限定」でのロシア軍侵攻は(ブーブー言われながらも)国際的に事実上黙認された 今回の出来事は第二次大戦直前ヒトラーがチェコ領内のズデーテン(=歴史的なドイツ人居住地域)の返還を求めながら、ミュンヘン会談後にチェコを丸呑みしたのとほぼ全くおんなじ はっきりいうと正直傍観者の事なかれ主義に初めてこれ以上関わりたくない 「チェルノブイリ乗っ取り」でも事実関係をあからさまに歪曲してるが、いくらプーチンがガンコな○ケ老人になってしまってても、核保有国に全面的な侵略などしない(あえて申し上げる アホか!)
これだから大江や柄谷(の同類、でなきゃロシアの工作員)はヤなんだよね なぜなら自分の間違いをなかなか(あるいは全く)認めることなく妄想にしがみつくから もう「平和と民主主義」は完全に破綻してる ただ全面核戦争だけは防がねばって中で、ジョーカーだらけの悲しいババ抜きをやってるのである 「3つのレス」を「4つのレス」に訂正致します 何度もすいません ホンマ何度もすいません 半ば過ぎの「事なかれ主義に」のあとの「初めて」を省かせて頂きます >>290
ヒトラーだってユダヤの血が少しは入ってたし、やしきたかじんだってコリアン系の血筋なのに嫌韓を装ってたから、簡単には言えないよ。
ナチスっていうのは愛国主義っていうことでしょ?反ユダヤっていう意味ではない。イスラエル・ナチスなんていうのも有り得る ヒトラーとかナチが絶対悪みたに記号化するのもおかしいし、プーチンなどをそのように言うのはいいが、その妥当性を論じると問題ずれるでしょう
問題はプーチンが起こした戦争が、ウクライナ、諸外国はもとより、ロシア国内でも、ロシア兵士にさえ余り支持されてない報道があることじゃないだろうか?
この報道が妥当なものだとすれば、ナチや日本より無茶な戦争してることになると思う。
なぜなら、ナチや日本の戦争は当時多くの兵士や国民が支持していたからです。
つまり、本当に一部の人だけのための戦争である可能性が高く、もっと戦争が長引けばロシア兵士が戦争を止める可能性を感じるのです。
報道がフェイクでなければだけど。 >>289 >>296
今一度いっとくと不確かなこと、明らかに間違ってるかもしれないことはきちんと裏取りすべき
ウクライナが核放棄してなければ、プーチンはヒトラーのチェコ併合を再現する気を起こさなかった(最悪の場合、モスクワやサンクトペテルブルク核攻撃される心配があるから)
ヒトラーにユダヤ人の血が入ってるってのはあくまで憶測の域を出ない(手塚治虫の「アドルフに告ぐ」では隠された真実って設定だったけど) ただ金髪碧眼に憧れユダヤ人を「黒髪」と呼んだヒトラーの髪の毛は真っ黒で、大戦中ドイツ人のフリをしてドイツ国内で生き延びたユダヤ人少年を描いた映画「僕を愛した二つの国」はこの辺を風刺の対象にしている
話が脱線するけどコンプラ・ポリコレが問題なのは、いわゆる言葉狩りがヒトラーみたいに自分の特徴を人を見下すときに使う人々には意味がないってこと むしろそういうことにこだわるリベラル気取りの方が偽善者に見えるってことで、実はある意味私もそうだ(無論程度問題はあるけど) 言葉が問題なんじゃなく、動機や用法が問題なんだけどね
法律が現象記号主義だから、色々歪む 国連の議決で反戦してる国から交戦権を取り上げろ。かつて戦争して領土を拡張しなかった国はないのに矛盾してる。 そうすれば思いどうりに戦禍が広がる。同盟を弱体化するのだ。 核戦争になったら、持続不能確定だろ
世の中そう単純じゃないんだよ 核戦争のオタクさにはフット気を失いそうになるぜ居眠り。 核戦争というと両方核装備してるというオタク戦。
核握ったものが負けてきたしこれからもそうだ。 だいたい二次大戦の敗北兵器で三次大戦の火ぶたなんて切って落とせるか。 戦史としての核の敗北なら前座に終わらすよ。まあいいかも。 核なんて昔のこと引き合いに出したら士気が下がるしなあ。 核を恐れる心があるからつけ込まれる。設備投資や開発、武装は勝ち組のセクションでは十分
すぎる。 終戦派は核を下に見ていてほかのことに忙しかったわけだ。 ↑ あっ このレスの束今度は意味の分かることいってる もっとも賛成は出来ないし結局はあらしだけど
やっぱこのスレそろそろお終いかな…… まだVTRみると訓練度もそれほどでもないが、武装度はまあまあ、
意外に日本はバスケオリンピックサッカー女子W杯然訓練のり仕上がりはいい。
飛ばしすぎないことだ。戦争の遠征こそ最強取れ。 管理人です。
あらしもいい点つくからまるでナトーのように荒らしを包囲し集中砲火するが、
ほんとの意味で批判的につるんではいない。 思いつき書くのもいいが、なんでまとめてかかないんだろう
一行以外、読まない書かないという現代の習慣なのだろうか? 学問の神髄は在るということにとどまり字数が伸びない。 それは弁証法ということに関係あるね。小論文などのランカーにはフォーム字数がいいとか。 プーチン チェルノブイリに続いてまた別の原発攻撃し始めた 一体このジジイの目的は何なんだ ウクライナの占領かそれともウクライナ人のホロコーストなのか そういえば大江、旧ソ連のチェコ侵攻のとき、取りあえず非難だけはしたんだっけ だが悲しいかな独裁者はーー特に長期政権化した独裁者とはーー往々にして話し合う余地が見出せなくなる 原発が爆発したら、ユーラシア壊滅だから
もし彼の意志で攻撃してるなら、世界ジョーカーじゃね 原発のエネルギーは爆弾のとんでもない倍だから、守備に徹して一時双方同盟を。 333 毎回この作業やってる方 もし余計かお世話だったらご免 ハリウッドの女優ウーピー・ゴールドバ―グが「ホロコーストは人種問題じゃない 白人が白人に対してした非人道的行為」という趣旨の発言して謝罪に追い込まれた これもまた文芸誌でのコンプラのネタになるんだろうか? 実際ナチはユダヤ人を「劣等人種」として差別したんだからおかしいといえばおかしい ただはっきりいってアメリカ社会の中でユダヤ人は「白人」として黒人差別をする側にいたのも事実だろう 無論細かくいえば黒人だから必ずしも被害者とは言えない場合もあるのだが、日系人の強制収容の場合ならともかく「あれ?」って思うのは認識不足なんだろうか 若手の批評家志望者に賞を与えれば、批評家として成長していくのかといえば、世界の常識では
批評家は育てられないということになっている。あるいは、批評家養成塾も何の意味もない。
日本でも、四方田犬彦や松浦寿輝に賞をどっさりやったところで、ヘボはヘボのままだよ。
日本の文芸出版界もようやく世界の常識に到達しただけ。
批評家を育てられない一方で、批評家は自力で成長するんだよ。 私の落選作品、3,11関連のものだったんだけど、実は応募する前フクシマ関連の本集中的に出してる中小出版社に持ち込みして断られたことがある そのとき言われたのが「私のものは未だ原石に留まってる」「正直私に何らかのネームバリューがあれば出版するけど、あくまで私はただの人」という2点だった
実際、大手文芸誌の評論賞はもう以前から登竜門的性格を失っていた だが、「自力で成長する批評家」何つーものは、正直ホンの一握りに限られるだろう 文芸誌は見切りをつけていっそ学会、学術誌とかそっちの方に送るのもアリでは >>338 ありがとうございます ただ院生経験者としてゆうと、とりあえず1次まで通った文芸誌の方がマシ (社会学系の一部を除いて)ほとんど先例のない「3,11」ってテーマで学会誌宛に論文出して、何度ボロクソ言われた不採用通知が返ってきたことか(笑) 理解してもらえそうな他大学の複数の教官に相談の手紙送って何度「お役に立てず申し訳ない」の返事をいただいたことか(爆笑)
決断出来ないといわれ続けて来た日本政府、広島選出の岸田首相がアメリカとの核共有論議はもはやタブーではないと言い切った これを機にウクライナのように一方的に侵略されてる国、とくに民主国家でありユダヤ系大統領を戴いているにも拘わらず、勝手にナチのレッテルを貼る侵略者に蹂躙されようとしている国への武器輸出の論議も解禁されるべきだろう
こうゆうこと言うと、また曖昧万々歳の文学者達騒ぐかもしれんが、それはもはや「平和ボケ」である以前に単なる「穢れ意識」でしかないのだ(そういえば大江って確かスエズ国有化の時、「僕はナセルの下にはせ参じたい」って言ってたっけ ナセルがいいなら当然ゼレンスキーの下に武器持ってはせ参じてもいい訳だ) >>336の主張で一番おかしいのは、はっきりいうと評論賞が絶滅したことで、批評家にとってかえってコネが必須になってしまったという事実にふれてないこと
たとえばすばるクリティークは選考基準に色々問題があったことは否定出来ないけど、少なくとも(これまで批評家の世界には皆無だった)女性批評家をデヴューさせた功績がある
きっとこの人はミソジニーなんだろう(笑) ロシアの国営テレビで反戦プラカード掲げた女子アナのことがニュースになってる 改めて>>297さんの言ってたことが思い出される
ちなみにこの女子アナ、ウクライナ人とロシア人の混血だそうだ 多民族国家のロシアでこういう立場の人達は多いだろう 彼女ら、彼らもまた、隠れた戦争犠牲者かもしれない お早うございます もうすっかり過疎ってるな(笑)
もうすぐ三田文学の春季号発売だけど今年も評論部門は該当作なし 確か去年かおととしのコメントで、選者の一人が「(評論の)レヴェルは確かに上がってきている」みたいなこと言ってたけど、やはりせめて佳作が出ないことには、今現在の文芸評論の投降者達の考えてること、HP見ても分からないままだ
出来れば配慮して貰えないものだろうかーー 無論批評の審査にだけ下駄ばきさせて欲しいなどというつもりはない ただ評論部門の内最も優秀と看做された作品は、(それが佳作にまでは及ばないとしても)HPに載せて貰えたらなどというのは、ムシがいいだろうか 映画や漫画やロックみたいな大衆文化だと批評家はいるけどあんま影響力はない
BSマンガ夜話みたいなのは人気番組だったけど活字で批評読む人は少ないし蓮實重彦の映画批評もマニアにしか影響力はない
文学は小規模な村みたいなとこだし批評家が無闇に偉そうだったけど本当は文芸批評だって大衆文化における批評レベルでいいんじゃないかな
どうしてもやりたい人が同人誌やネットにでも細々とやればいいし本当に面白かったら注目されるから 大分前のレスでもちょっと触れたけど、都内の某マンガ・アニメ関係のミュージアムで、今はなくなってしまった中小出版系のアニメ誌(主に80年代)が、結構長文のアニメ関連の批評をのっけてるのを確認したことがある 乱暴に言えば、今回大手文芸誌がこぞって文芸批評の賞なくしたのは、40年遅れでこうした批評重視の中小アニメ誌の休刊という事実とほぼ同じことが起こったのだと思える だから確信せざるを得ないのだが、ただ単に「本当に面白い」なだけじゃ、世間の耳目を集めることはないだろう(悲)
話は変わるけど、ウクライナの支援感謝の広告に日本の国名が上がってないのがニュースになってる やはり(ドイツですら重い腰上げてんのに)武器援助しないことが原因だろう(実際、当事者から見れば「見て見ぬふり」にしか思えんだろうし) ただウクライナ側は一方で、ヒトラーやムッソリーニに(近衛や東條じゃなくて)昭和天皇並べてファシズム批判した動画上げてるから、向こうも向こうで戦後日本の立ち位置全く分かってない訳だが
「兼業主婦」であり、しかも「仕事≒生き甲斐」だった母にとって、幼い頃の私(♂)は「仕事の障壁」であり、そしてそれにも拘わらず、いい意味でも悪い意味でも(「甘やかし」を含んだ)愛情の対象だった
今現在「生まない自由」を主張してるフェミゴンの女性を見るにつけ、母同様仕事が生き甲斐で、それゆえ家族そっちのけだった父の、単なる女版に思えてならない
フェミニズムの内の一部にある「母」に着目する一群こそが、今の私にとっての関心事だ まあ、マザコンの発想と言われればそれまでだが、それでも「ヒステリックな知的アマゾネス」よりはずっといいだろう 平塚らいてう万歳! w >>346
>今はなくなってしまった中小出版系のアニメ誌(主に80年代)が、結構長文のアニメ関連の批評をのっけてるのを確認したことがある
ドラクエの人が読者投稿欄を仕切っていた雑誌のことだろうね
あれはアニメ作品を対象とする批評雑誌でしょう
たぶん学生時代の庵野秀明や青年時代の東浩紀あたりが読んでいたような
あの界隈でも特殊な雑誌であり
そういうコアな読者向けの雑誌だと存続が難しいという ↑ 堀井雄二の参加してた「out」以外にも「animec」とかいくつかあったけど壊滅した
このスレ建てた人どうも大江健三郎のファンらしいけど、「animec」観てたら大江がウルトラマン批判してるのが現代文の試験で出て、泣く泣くそれに同意する趣旨の「模範解答」書いたって読者投稿が出てたんだよ
結果的に戦後民主主義が現代文嫌い、文学嫌い再生産してる訳だw 現代文学を論じることが時代を論じることだというフィクションがないと文芸批評は成り立たない
最終ランナーの柄谷と蓮實がそういう時代を終わらし福田がフェイクとしてやったけど最早現代小説がしょぼくて話にならない
個々の作家論じたいなら大学でって時代だしそれでいいじゃないの
今更文芸批評家になってもしょうがない 一応ウィキペディアで確認したけど、中小出版のアニメ誌の方が大手のよりも先行してるから、こうした批評主体の方が本来はスタンダードだった 結局いわゆるアニメ系サブカルの大衆化に伴って、情報主体の大手後発アニメ誌に駆逐されてしまったのである
それとまた政治問題に話題移すが、ロシアの外相がヒトラーユダヤ系説持ち出して「最も反ユダヤなのはユダヤ自身だ」なんて言い出してる これじゃある意味戦時中の日独伊三国よりひどい もう完全にいっちゃってるのだ >>353
個人的には「批評」そのものはこれからも続いて欲しい ただし文芸批評、映画批評、サブカル批評なんて無意味な垣根を取っ払った上でだけど ある意味では、それが出来なかったから全ての批評が自閉化の一途を辿り事実上壊滅したともいえるーー 現代小説がしょぼいんじゃない
様々な肉声がネットで飛び交うようになって
一編の小説ごときを時代の表象として代表させられなくなったってのと、
資本主義一辺倒になり誰も主義や思潮を問題にしなくなった、
問題にしていられる余裕がなくなったっていうのがホントのところだろう
なぜか概ね皆、今の世の中に満足してるか、為す術もないというお手上げ状態
面白い小説は書かれていても、それを批評する意義はなくなった
良く言えば、俳句や短歌のように閑人の趣味となった >>354
日本にもそのロシアの外相みたいなヤツがいたら批評も息を吹き返すんだろうけどなw痛し痒しよ てか必ずしも文芸・サブカルと関係なく、コロナやウクライナを批評の立場から論じることって絶対に無理なのかな? 無論これには、それはあくまでルポライターや学者の領分だって異論あるだろうけど 警察=学者が思いつかないような瞠目すべき見解を探偵=批評家が出せばいいだけの話
どうぞ↓ とりあえず現存する唯一の評論部門のあるとこ送ってみよう 来年こそは該当作ありの念込めてw 近代文学では、同時代を生きる人々にとっての大きな物語が取り上げられていると判断された作品から批評家がプラグマティックな解釈を引き出してきたが、今では小説がそれぞれにプラグマティックな問題を取り上げるようになっており、大それた立場から何かを言おうとなんてしていない。小説家も多様な人々の中の一人にすぎない。こうなると、批評家は常に後手に回ってしまうが、読者もそこまでバカではないので、もうわざわざ批評家に補助線を引いてもらわなくてもいい、ということだろう。
多様性云々ってのはくだらなすぎる議論だけど、何かを断定的に言えば、すぐに反証が出されてしまう状況にあるというのも事実。そりゃ空想を前提とするエンタメの方が強くなるわな。小説家が謙虚にならざるをえない時代に批評家が広大な視野でもって何かを言いたがってもどだい無理な話よ。
しかし、時代に取り残されても悪あがきしたがっているということで言うと、批評家の夢を捨てきれていない人は小説家以上に現代のロマン主義者かもしれんね。共感はしないけど。ミーハーな研究者が時々バイトで批評ごっこをする、そんなふうになるんじゃない、てかなってるね、もう。 シンボリックな小説は三島、大江の後に内向の世代がやめちゃたからね
内向の世代の影響が大きい中上はシンボリックな小説が書けなかった
結果シンボリックな小説は村上春樹の専売になってしまいわらわらと批評家から批評家もどきまでが春樹に群がり春樹論ばかり量産されるという
まあ春樹の小説自体はともかく春樹の意欲自体はいいなと思ってますけどね 多様性、いいかえれば分断、崩壊、虚無…… それが文芸の上だけに留まっているのなら、それはそれでいいのかもしれないけど テレビ付けっ放しでながらネットしてたら、アメリカでの中絶問題に関するニュースが聞こえて来た 多分>>359さんならこれについても「瞠目すべき見解」とかいうんだろうと思うしそれは正論なんだけど、ただみんなどこか「多様性という名の二項対立」を前にこうしたことを批評の言葉では語らないように自主規制してるように思える 結果、うるさいオジサンオバサンの「政治言葉」だけが、すばるや群像におどってるように見える >>355
>ただし文芸批評、映画批評、サブカル批評なんて無意味な垣根を取っ払った上でだけど
それらを横断的に論じられる批評家がいない
前世紀末に浅田彰が重用された理由でもあるけどね 横断的にとかいうのが古臭い
タコツボ化上等でやっていくしかない 横断的な批評が偉いっていう風潮が批評を先細りさせ続けたと思う
横断的な批評が扱ってる幅広い分野に通じてる読者なんてそうはいないし
取り上げられてる幅広い分野に触れてから批評読んでみても薄っぺらくてがっかりするんだから 上のレス3つともⅯ・ウェーバーのディレンマだなぁ
ただ文芸批評が「僧侶・貴族」でサブカル批評が「賤民」ってのはもうなしにして欲しい まあ「文芸」はもう没落貴族で、唐様で売り家って書いてるだけともいえるけど 蓮實の映画批評はハリウッドが中心でまさに大衆文化批評なんだけど物語内容を無視してるから大衆文化から大衆文化的側面を捨象したからインテリにウケたというある意味いやらしいものだった
蓮實にかぶれてアホなハリウッド映画観てる奴が漫画やアニメや特撮やロックとかサブカルは途端に馬鹿にしたりしてね >>371 (笑)
大分前だけど、最後のすばるクリティーク賞になった村崎百郎論について「大江なら売れるけど村崎は売れん」ってレスがあった(>>17) あの村崎論確かにいくつか疑問があったけど、正直まだこんなカースト的発想するジイサン(多分)がいるのかって辟易した
今日はこれでお休みなさい >>370追補
今6時か
ホントは一部のことを狭く深く知ってるだけに過ぎない批評家が、横断的な方がいいって前提で、知ったかぶりなまま専門外のとこに首突っ込んだことが、批評の零落の一因だと思う だからその意味で「タコつぼ上等」には必ずしも同意できない(またこのことは、文芸誌が時事問題取り上げるとき、専らリテラシーばかり気にして「根本的に不都合な事実」には触り程度で済ませてしまう風潮とも関係があるだろう)
もっとも、実際には(個別具体的なレべルで)狭く深い文章しか書けないってのは事実だ ただそのとき書いてる自分がその「立ち位置」見失ったままでいるなら全く意味がない それではめぐりめぐって「批評の(=文化の)ジャンル別カースト」が今後も続いてしまうことにもなるだろう カーストの上下を作ってるのは批評家じゃなくて消費者だし
上の文芸じゃなくて下のサブカルだよ
力を持ってるのはサブカルで、サブカルが下に行こうとしているんだから
サブカルは高尚と低俗を偽善と露悪にすり替えたカースト意識を持ってて
偽善を嫌って露悪(「俺たちは正直なだけ!本当は俺たちのほうが道徳的!」)に向かっていくんだから
力のない文芸サイドからサブカルに対する上位を主張したら嘲笑されるだけだよ
文芸サイドには普通にアニメで育ったような人もいるからアニメが文芸的に語られることもあるけど
純サブカル者は「高尚ぶってるw」「作者は何も考えてないよw」と嘲笑する
作品は何も考えてない作者から偶然排泄されただけのものとみなすし
(だからわからないことがあると「私小説」だの「無意識に出ただけ」だの即結論される)
自分たち消費者が論じられることを徹底的に拒絶する(「お前もオタクだろう!自分だけ違うと思っているのか!」)しで
そもそもサブカルは批評を必要としていない
村崎論なんかもサブカルと批評の両方に興味がある奇特な人しか読めないから売れないっていう発言になっただけでカースト意識の発露じゃないんじゃないの サブカルは批評としていないは大嘘でしょ
サブカルは作り手の批評意識が消費者以上に明確だからどんどんアップデートされていく
ただ、それをそのジャンルで何の実績もない部外者が訳知り顔で指摘すると嘲笑される
(まさに「お前もオタクだろう!自分だけ違うと思っているのか!」)
逆に作り手が自らの考えを発信するとこぞって受け入れられる
外からごちゃごちゃぬかすな、となるわけで、
文芸では作家と批評家がどちらも文章も扱っているからまだ同じ土俵に立てる、というだけでは? 日本だとご立派な文芸批評史みたいなものができあがっちゃってるから
ジャンル化しているけど、小説の批評意識を時代毎に更新させてきたのは
批評家ではなくて、やっぱり小説家なんじゃない?
批評のための批評、というのは、これはもうカルトの世界だからね >>358or>>3373追補
今の純文学で現実と格闘してるものってどれだけあるの? 私が無知なだけかもしらんけど、例えばコロナと聞いてまず思い出されるのは「復活の日」 (古い例なら)梶井の「呑気な患者」とかもある意味その範疇だけど、そこから伝わってくるのは末期患者の悲しみが中心で(それはそれで一つの姿勢ではあるけれど)パンデミックを俯瞰的に描いているとはいえない
「批評の垣根を取り払え」ってある意味アナクロなこと(?)言ったのは、要するにタコツボ批評では「ゴジラの皮膚は被爆者のケロイド」って事実さえまともに取り扱えないって現実があるからなんだけど、結局軽々しくそこまで踏み込むべきじゃないってこと? そういえばボードリヤールは言いたい放題だったね
いちおう社会学という学問的枠組からの発言だったけど
俺様社会理論を介しての社会時評にすぎないから
結局、単なる独断なのね
それでも一種の話芸として楽しむ読者は多かっただろう 独断は困る でもゴジラの表皮について論証しろって言われたら、もう映画のスチール持ってきて、「じゃこれなんなの?」って聞いてみるしかない だが特撮オタクの多くはまずそんなことしない これと似た事例は他のジャンルにもあるんじゃないか ただよくよく考えてみれば、社会学の歴史自体が科学主義・実証主義と直感・独断とのせめぎ合いみたいなとこあるよな
ボードリヤールにはあんま詳しくないけど 構造主義や記号論、テマティスムの後に批評がどういう言葉を発すべきかみんなしっくりいってない
頭のいい浅田彰はむしろオーソドックスな批評に徹してる 結局というかやっぱしというか、このスレ次第に映画批評専門屋と文芸批評専門屋、そして(あくまで相対的にだけど)サブカル系の私の3人(?)による「バベル」になりつつあるーーといったら早計だろうか >>372
俺か。いや、売れる売れないは、世間というモノへの判断よ。
批評は一流をやらないと、というのは、どの批評家の発言か忘れたけど、誰もが知ってる作品への斬新な解釈を与えるのが
売れる批評なのだよ。そのような土俵でポジションを確立してから
マイナーな物に光をあて、フックアップする、というのが王道 蓮實重彦はシネマ69、福田和也は諸君、大塚英志はロリコン漫画雑誌で細々と書き始めて頭角を現した
逆に群像新人賞取っても消えた人が大半
とりあえず同人誌でもエロ本でもどこでもいいからあとは本人の才能次第じゃないかしらん >>17 >>385
あなたが本当に先のレスの人ならガンコジジイ呼ばわりして失礼しました
ただ批評賞が大手誌から消えた今日、正直もう批評で「売れる売れない」考えても仕様がないと思う
(戦後民主主義者、障碍者の父としての)大江自身本買う人はいても、大江「論」買う人が果たしてどれだけいるか……(柄谷とかのならまだしも) >>386
ゴジラのケロイドなんてテーマ(>>378、>>381)特撮系同人誌じゃまずムリだわな(苦笑)
あと>>387の「大江自身本」を「大江自身の本」に訂正します 村上春樹本てやたら出てるけど春樹ファンは結構そういうのも買うのかねえ? 実をいうと今はなきサブカルチャー系雑誌の一つでいわゆる新人原稿募集してたところに、このテーマで送ったことがある(そしていわゆる「預かり」のままその雑誌は休刊した)
その後都内某所の特撮オタイベントで偶然この雑誌の元編集長K氏と出くわし、その時K氏は休刊に至るいきさつやその無念について静かに延々と語っていた
その後は(あるいはそれ以前からか)映画評論家として活動してるらしく、数年前SWの最終作について某朝日新聞に書いていたのを覚えている
多分このスレ見てないと思うけど「お変わりありませんか?」 >>383
頭がそこそこだったからオーソドックスな批評がつまらない
ポスト構造主義の熱烈なフォロワーだったってだけで今もひきずるほどの名前じゃない 本日文在寅が遂に引退 最後まで反日新北朝鮮の人だった ドイツはウクライナに武器援助してるがイスラエルは(シリア問題もあって)拒否し続けてる(ただドイツの武器援助は事実上黙認している) 文大統領退陣で日本も武器援助出来るようになるのか それともこれからも「平和=見てみぬふり」の図式にしがみつき続けんのか プーチンの無内容な対独戦勝記念演説が、全世界にこだまする
「新北朝鮮」→「親北朝鮮」 厳密には融和主義で一定の距離おいてるけど
あえて江藤淳以来の文芸批評の王道の漱石論で勝負してみては? 上のスレ>>391に言ってんのかな それとも案外>>385(>>17)になのかな 早乙女勝元逝去 これでまた戦中派の語り部が一人旅行く 「正義の戦争よりは不正義の平和の方がーー」という時代がまた遠のく もっとも、私にこのことを教えたのは、やはり戦中派の漫画家だった手塚治虫の「アドルフに告ぐ」(のラスト)だったけれども あのいかさまの鬼婆め、もう信用せんぞ。二枚舌でかけひきして、約束は守りながら、期待を裏切る―きさまと闘うのはよしにした。・・・・降参などするものか。・・・俺は最後まで戦うぞ。さあ、楯も捨てた。かかってこい、マグダフ。最後に「参った」といった奴が地獄へ落ちるんだ。 ↑ 浅田や田中のごとき厚顔無恥がまたアホな座談会やろうとしてる シリアとウクライナの決定的な違いは(それは韓国や台湾にも言えるが)そこがもとから議会主義・自由主義(つまり「リベラリズム」)の国で、そこがまさに浸食されてるってこと 別の言い方すればもとから独裁国のシリアにはあえて見てみぬふり決め込んで来たのだ そこがロシアの勢力圏だから
エラそうにリベラルの危機云々などと戯言ほざくんじゃなく、正直ジャイアンは怖いから見てみぬふりしようって言え!
賛成反対別にして、このバカども絶対オルテガ読んだことないな ヤレヤレ リベラルというのは西側(とくにプロテスタント)の価値であり、それゆえ東方世界のロシアには異質なものに過ぎない
だから今回の紛争はキリスト教圏の分裂であり「文明の衝突」ともいえるわけだな
(もっとも東方世界でも本家ウクライナと宗家ロシアによる骨肉の争いになっているわけだけどね)
シリアや中国といった非欧米圏がロシアに対して「敵の敵は味方」ということで融和的かつ自国利益最大化を目指す理由でもある
日本人はリベラルの倫理的側面などぜんぜん理解していないので自国利益最大化に動いても良いのだけど
損失覚悟で必要以上に欧米に義理立てするのはまずはチキン国というのもあるのだけど欧米のマーケットで商いをして
おまけに安全保障にもタダ乗りしているからだね
つらいですね 群像今月号の「Nの回廊」に西部邁の「友情」のことが出てる
保坂正康とは院生時代のゼミの飲み会で、指導教官のゲストして会う機会があった このとき彼は作る会を激しく非難する反面、ニコニコしながら「文学者としての西部」について語っていた
実は初期の「表現者」(じゃなくて当初はまだ「発言者」)のとき2年間だけ定期購読してたことがあるのだが、正直イデオロギッシュな紙面づくりに食傷気味になり早々購読を降りた しばらくしてから「友情」に目を通したとき、なぜ「表現者」にはこの類いの連載がないのかと思うと同時に、自分が歴史(政治史)にも文学にも向かない中途半端な存在だと改めて思い知らされた
もっとも、保坂は(私と違って)「友情」の文学的価値には否定的だ そして西部の塾が(極端に言えば)一種の新興宗教のようなものになっていったという保坂の指摘も、多分に事実である
余談だが、周知のように西部は「介護で家族に迷惑をかけたくない」という理由で自殺した(しかも塾生を巻き添えにして) そうした名分での自裁が家族にとって一番重荷になるってことに思い至らなかったのが、本当に不思議だ
>>400
マスクのこと考えると(「ヤマトQ」みたいな特例除いて)確かにそう ただ半面で(自粛警察みたいな問題があるにせよ)欧米式のコロナ対策は日本には向かない そしてそれはおそらく、憲法と自衛隊・安保が両立する所以でもある しかしウクライナ危機が長引けば(イスラエルのように確固たるロビー人脈持たぬ)日本は必ず改憲と武器援助求めらtれて来るだろう 残念ながら岸田総理そこまでは考えてない(多分) >>401
自殺についてなんだけど
西部って左翼から保守に転向したことばかり言われてるけど
あの人って本質的には保守の皮を被った虚無主義者だったんじゃない? >>405
てかその話、生前本人が認めてた 何かのインタビューで「8,9割ニヒリストだ」って
もっとも、それが本当にホントなら、保坂正康に感傷的とか言われちゃうような「友情」みたいな私小説(っぽいもの)書かないだろうな(ほいでもって個人的にはそれを保坂の様に否定する気は全くない)
だから最後に家族に迷惑だのどうのいって川に飛び込んだのは少し意外だった(しかも塾生に自殺幇助までさせて) 栗本慎一郎との対談で「三島はゲイバーで腹切るべきだ」とか言ってたのに、最後はやっぱり「迷惑がどうの」なんて方にいってしまったのだ
>>398
フィンランドの首相がNATO加盟宣言したことでロシアが武力行使ちらつかせてる 今度は「マリンへの危うい熱狂」ってところかな >>403
改憲に関しては示唆しているけどね
ただ、武器供与については否定的なので何のための改憲と集団的自衛権なのかよく理解しているとは思えない
現行憲法下で発足した自衛隊の所属官庁の旧称が防衛施設庁であり、なぜそういう名称だったのか
そして防衛省への格上げとほぼ並行する形で日米クロスパートナーシップの確立が進められたのか
ということがよくわかっていない
実は安倍のような確信的改憲論者よりも岸田のように中途半端な情緒主義的国際協調路線の方がリスクが高いんだよ
でもまあ、日本の世論では岸田的マイルド路線の方が良識的かつ良心的だと支持される
そういう「あいまいな日本」であるがゆえに武装化と軍事による国際協調は危険なのだ、という意見はあり得るけどね
簡単に言うと知性(理性)と倫理観の問題です
法(=理性)の下で厳正に管理されてこそ軍事行動はその暴力的本質と暴走を抑制できるわけであって ↑ やはり確信犯改憲だった安倍のじいちゃんが安保改定以上のことが出来ず、晋ちゃん自身も集団的自衛権をめぐる解釈変更しか出来なかったこと考えると、岸田と安倍の違いを言い立てることにそれほど意味があるのかは少し疑問だ
>>402でもちょっといったように、日本は基本「トップダウン」「抜本的改革」より「自主規制」「令外の官」で動く国だって事実は認めざるを得ない
ただそれでも、「日本人の自由、平和って要は見て見ぬふりってことなの?」と問われた時どうするかは、もう無視出来ないだろう それは移民受け入れでも安全保障でも 抜本改革ができなければ憲法停止状態に陥るような非常時になし崩し的に事態が進行する
満州事変のように発生当初は緊急避難的なポリスアクションともいうべき軍事行動が
その後の国際関係の悪化や外交の失敗そして組織内部の軋轢から統制がとれなくなっていく
もちろん思慮分別に欠いた情緒的大衆の意見が後押しすることになる
岸や安倍の様に国家意志なるものを前面に立てた方がまだマシなんだろうけど
そういう理念で動く国民ではないから、いまでも拒絶反応がすごいのね
そういう意味では動物の群れのようなものだけどね >>410 夜尿で目が覚めた(ああ、ジジむせー)w
「同志少女」は駅前の本屋でも見かけた ただ斎藤美奈子って昔フェミの立場から、サブカルに散々イデオロギー批判したいわば女大江健三郎だけど、それは「同志少女」より「女の顔」を上に置く姿勢からしても、根本的には変わってない でもホントはフィクションはフィクション、聞き取りは聞き取りって違いなだけなのだ >>406
「友情」の感傷は己の虚無に対応する絶対的なものだったんじゃないかな?
保守も友情も虚無を埋めるためにあったとすると筋が通るし
自殺とそれを手伝う友人という図式も、その悲しいねじれが結実した姿に見える >>412
それは西部が福田恆存に傾倒したこととも関わってくるだろうな ただ(確か福田がそうだったと思うけど)家族を持った時点でニヒリズムはカッコに入れるべきものなんだよね その意味ではやはり西部は「慢心した坊ちゃん」(オルテガ「大衆の反逆」)を卒業出来なかったってことにならざるを得ない そりゃ保守・右翼からネトウヨまでみんなニヒリストでしょ
まあ左翼もそうだけどマルクス的唯物論があるからみんなとまでは言えない 西部の塾に参加した際、あの事件で幇助の罪に問われたうちの一人と少しだけ話したことがある とても人の良さそうな感じだったけど、「発言者」では他の投降者と違って西部に対しほとんど全く異議も疑問も差し挟む投稿をしてなかったと記憶している
>>413で福田の名前出したけど、「ニヒリズムは所詮ナルチシズム」って小林秀雄も確かいってたはず その意味で、最晩年の西部の周りにはもう(「友人」じゃなく)「信者」しか居なかったと思える
>>409
「動物の群れ」かーー でもこれじゃ某浅田の「土人」発言と実質的におんなじで、いわゆる白人メガネってことになっちゃうんだよね
日本人は「独裁」を決して認めない それは中世期に後醍醐天皇の建武の新政が潰れて以来一貫してる(網野善彦「異形の王権」他) 常に集団合議制(時として無責任化する)だった であればこそ「帰ってきたヒトラー」「帰ってきたムッソリーニ」って映画はあっても、日本版のそれはない(その場合「帰ってくる」のが昭和天皇なのか東條なのか近衛なのか、誰にも決めることが出来ないーー)
>>416
>日本人は「独裁」を決して認めない それは中世期に後醍醐天皇の建武の新政が潰れて以来一貫してる
でも、旧宮家の出である竹田恒泰さんは孝明天皇は独裁者であり
それゆえ明治政府は天皇を推戴しつつ独裁に傾かないように(元勲たちが?)統制してきた
という旨のことを最近明らかにしていたけどね
逆に言えばこういう独裁化予防の運営方式が君側の奸による専横
と熱烈な天皇崇拝者たちの目に映って後の昭和維新運動の源流になったんじゃないの?
浅田彰が「土人」というのはこういう土俗的王権信仰を盲目的に信じ込むような人種や心理のことを指すけどね
これは同時に議会制民主主義や自由倫理を否定するような志向なわけね
ある意味、ロシア正教とロシアの大地の守護者として独裁と専制を肯定するプーチンとそれほどと変わらない
この種の暴徒に対して日本国天皇が2.26事件に際して激怒したのは当たり前ですね 2,26に激怒した昭和天皇は、東北農村の貧しさについておそらくは何も理解してなかった つまりファシズムに駆逐されてゆく自由主義的思潮が結局、富裕なエリートを担い手にしてるだけのものに過ぎないことが分かっていなかった いうまでもなくこのことはワイマールがナチスに取って代わられてゆく流れにも併行している 議会主義は貧しさの処方箋にはならないのだ
戦後のパヨクは分断国家でありしかもまだ途上国の(「漢江の奇跡」を遂げる前の)韓国の独裁制を非難し、しかも一方で北朝鮮の権力世襲には目をつむり続けた
四方田犬彦の自伝的小説「戒厳」のラストで、途韓した主人公は教え子の一人から言われる
韓国に民主主義がないといわれても、私達には結局私達の国のことしか分からない 浅田彰は土人国家を馬鹿にするが、文壇の批評家の読者達も所詮は土人の信者になってしまう。
浅田彰、柄谷行人や蓮實重彦は多くの座談会や対談に参加し、座談や対談の馴れ合いによって文壇の形成に大きく寄与したが、その真似を東浩紀がやっている。
西欧では座談会の習慣は殆ど無いし、対等な座談も無く、あるのは優位者に劣位者がインタヴューする習慣だけだ。リアルタイムの本物の対談など有り得ないと思われてるので、対等者同士は書簡でコミュニケートする。
ミシェル・フーコーと吉本の対談は吉本が聴き手で、フーコーが話し手ならいともスムースに終わってたはずだが、吉本も蓮實も対等な対談を夢想していた。
浅田や柄谷、蓮實らの批評空間世代のみならず、東その他に至っても日本の批評家は土人ごっこをやってる。
これからはどうか分からんが。最近の文芸誌を見てても馴れ合いによる文壇形成=偶像崇拝=土人の構造はそう簡単には壊せない。 >>419訂正 「途韓」→「渡韓」
>>420 それがいいのか悪いのか一概には言えないけど、ともかくも日本は「書簡コミュニケート」でなく「水平関係での対談・座談」がメインだってことでやってくしかないってことだね 言い換えれば、象徴天皇(≒協調性・同町圧力)のもと西欧式でない自由ってのを考えてくしかない
復帰50年 ○日新聞には基地負担の見出しと共に「ドイツや韓国のように日本は分断されずに済んだ」って70年前の同紙の記事を、沖縄を見捨ててると批判してる だけど外国軍基地があるのは沖縄だけじゃなくて、北方4島の出身者はその基地のせいで故郷に帰ることすら出来ないってことは、今もって棚上げにされたままだ
親米タカ派の中川八洋が確か「北海道に核兵器おけ」ってかつていってたけど、現在の国際情勢では彼、もうタカ派じゃないのかもしれない 「同町圧力」→「同調圧力」
だけど「日本人は議論ベタ」ってのの言い出しっぺって誰なんだろ? 向こうの連中も書簡っていうフィルター使ってんならおんなじじゃん 医大入試で男女比に差を設けた事実で、それが不当とされる判決が出た まあ当然のことだけど、根本的には百年スパンで女性がーーじゃなくて男女が等しく育児と仕事が両立出来る社会を目指さない限り、こうした問題は(姿形を変えて)繰り返されるに違いない
ところでこの件で問題なのは、被告側大学が共学を建て前にしながら比率差を設けてたことなのか、それとも男子校・女子高といった区別が、将来的には廃されるべきものなのかってことでもある 東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
36分
ところでこれについて。
批評≒在野と研究≒大学のあいだの往復なんてのは、
そもそも大学への懐疑がなければ生じないものです。
その懐疑の欠如が問題だと言われているのに、
俺らがそうなったのは在野の重要性を大学で教えてくれなかったせいだという意見はど
うなの、というのが呟きの趣旨です。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
2時間
自分たちの世代が批評と研究のあいだを横断できないのは
自分たちを教育した上の世代のせいだという呟きを読み、そういうとこだぞと思った。
東浩紀 Hiroki Azuma
@hazuma
36分
いまの若いひとたちは大学を信じすぎなんじゃないですかね。
そりゃキャリア形成も大事だけど、
人文学とか社会科学なんて大学を疑う心がなければ始まらないと思うけどな。
そしてそれは、「疑ったほうがいいですよ」と誰かが教えてくれるようなものではない。 あずまんの呟きこのスレに挙げたの誰だか知らんけど、正直「ああ、またか」としか思えん(否、いってること自体は正論だけど)
少なくともここでいわれてることは(懐疑の欠落という点では)オルテガがすでにいってることで、それを世代論に還元して蒸し返しても(「上の世代が」「近頃の若造は」)、それは要するに単なる「なすり合い」でしかない
じゃあ「懐疑する知識人」が今現在一体何が出来るのかって問いが、ここでは予め消されてる(無論大したことは出来ないーー) しかしあずまんも「近頃の若い人たち」なんていう歳になったんだ ネット開けたら森達也が菊タブー愚痴った記事が出てる 否確かにそういう禁忌はあるんだけど、このてのそれは何も天皇に限ったことではないし、他の様々な種類の差別問題にタブー的側面があるからといって、それが直ちに皇室のそれに結び付くなどといったら、それはもう陰謀論だろう
最近でもあるブラックコメディ映画の中で3,11や令和改元をネタにしたシーンが出てきてたが、森氏はこの映画観てないのかな?
少なくとも個人的には、天皇の相対化や否定が結局浅田彰の「土人発言」みたいな有色人種全体への人種差別主義の方にいってしまうことに、誰も批判の声を挙げないことだって裏返しの禁忌だとしか思えないけど アカデミズムとジャーナリズムを股にかけた二艘立ち運航というのは
林達夫が戦後間もないころに言っていたけどね
在野(批評)はプロフェッショナル(研究)に抗する
英国風のアマチュア精神なのだということも言っていたような気が
それでも林の批評は教養主義的教条主義の域を脱しておらず
思索を欠いたものである、ということを渡部と谷沢が対談で指摘していたわけ
たとえば小西甚一のようにち密に古典読解をしていくのなら余人の追随は許さないのかもしれないが
世間的影響はほとんど得られないだろう
まあ、学者とは世間を相手にするものではないからね 庶民大衆を土人呼ばわりしか出来ない知識人ーーそれが批評家であれ学者であれーーは己が無力というものを全く理解しておらず(てかしようとせず)、そう蔑まれた庶民の側はときとしてファシズムやナチズム、もしくはトランプ的ポピュリズムを熱狂的に支持する
野田宣雄が「教養市民層からナチズムへ」で指し示したアポリアは、形を変えつつも無限に繰り返される
もう浅田彰のようなポストモダン気取った啓蒙型近代主義者はどっかに逃走して貰いたい(まあ、アイツだけじゃないけど) 大島渚の息子がプロデュースした「私のはなし 部落のはなし」を観てきた まずまず面白かった(てか興味深かった)ものの、正直後半の展開に少々ガッカリした
というのも、後半ではこの映画の監督の学生時代のデビュー作で屠場を扱った映画がお蔵入りになったいきさつが描かれるのだが、その封印に至る過程が今一つよく分からなかったからだ 解放同盟の「申し入れ」が発端だということが理由だと指し示してはいるものの、作中で指摘されている「抗議された後の、主要関係者の空気が変わった」ということが一体どういうことか、ピンボケなままなのだ
映画の終わり近くで天皇と部落差別が共に「空気」によって支えられてる旨が述べられるが、このシーンで私は「ああ、また国家悪玉論か 結局パヨク(=啓蒙主義)になってしまうんだなぁ」としみじみ思った
もし天皇が差別を存続させている原因だというなら、言葉狩り・表現狩りに勤しむ運動家団体だって等しく同罪だろうし、そもそも部落以外の産別(障碍の湯無、学歴、資産云々)はどう考えてもストレートに天皇に結び付くものではない
少なくとも監督の満若氏、この封印の経緯について今一度むきあう義務があるのではないか
屠畜とは主に明治以降の新興産業でありその多くが明治前から起源を有す特殊部落では
特権(つまり主要産業ではない)として公権力から保護されていた「斃れ牛馬」の皮革処理とは少し違う
そういう意味では部落問題の本質ではないし
ここから差別事象を支える心の機微として天皇が導き出されるのはかなりの論理的飛躍がある
確かに天皇を主権者として奉戴する明治政府が徴税権力として幕政期の特権をはく奪したがゆえに
特殊部落の窮乏化が進行したという経緯はあるけどね
これは「空気」でも何でもないので興味本位で屠場をテーマに取り上げたと受け取られても仕方ない
であるのならこういう世間的に特別視される職場で働く人たちの擁護に人権団体が動くのも
それは歴史的経緯から必ずしも本質的ではないことだとしても
やはり人権団体の看板を掲げる以上、動かないことの方が問題だろうね
というか幕政期に村役人が設置されていた(いわゆる郷村制)とは別の旧寺社領に多いんですけどね
そういうところは普通に農業を営んでいたりするわけであって
そういう意味では宗教権力である天皇と深いつながりが推理できます
親密な関係だった、といってもよい >>435
庵野秀明が村上と並んで語られる時代になったのかーー
>>436
正直なところ、解放同盟の「検閲」を基本的に認めてるアナタが、「特殊部落」という差別語を連発してる理由が、良く理解出来ない 同盟の姿勢は結局「屠畜=賤業」の図式を自ら認めて
しまっており、満若監督の姿勢も(紆余曲折はあるにせよ)事実上この既成事実に屈してしまっていると思う
これでは将来ゴジラ映画も上映禁止になってしまうだろう ゴジラのあの表皮は、どっから見ても被爆者のケロイドなのだからーー 賤業ではないにしても並みの精神じゃできないでしょ
貴賤はないと言い張ろうとも現実的なギャップは必ずあるよ あー、今やっと「朝生」終わった(眠)
(あえて差別的な言い方すれば)ホームレスは条件さえ整えばホームレスやめられるし、清掃業や道路工事は屠畜に勝るとも劣らぬ重労働だが、その仕事自体がタブー視されるなんてことはさらさらない 問題なのは「貴賤」じゃなく根拠なき「浄穢」による差別化なのだ
やっぱ仏教(=元は古代インドのバラモン教)の「殺生戒」が原因の一つなんだろうか 「貴賤」じゃなくて「浄穢」ですというのはただの言葉遊びでしょう。殺生の賤しさを多くの人は直視したくないし、それを生業にして対価を得たいとも思わない。それ無しでは人間は生きていけないと言っても、常日頃それを意識せずに生活しているというのが実情だろう。あなたも朝生なんかを生放送でダラダラ見ているような口先だけの人間でしょう?根拠は十分よ 江戸時代までは獣肉食うのも禁忌だった仏教思想と結びついた屠畜=賤業って発想だったんだろうけど今の日本人に屠畜は忌むべき賎しい職業ゆえ差別するって発想あるのかなあ?
私の場合未だ実地に部落差別って経験したこと無いから西日本のほうのあそこは部落なんて噂を聞いてしまうような地域に住む人がどういう発想するのか知らないと言えば知らないんだけど 職業差別はないでしょうがバイアスはかかるでしょう
と言ってもフリーターやニートや生活保護者を暗黙裡に軽蔑しているとかってのより全然マシな程度でしょうけど
普通は他人の個々の事情まで勘案しないしね しかし日本人は千年以上獣肉食の禁忌があって好事家がこっそり薬食いと称して猪や鹿を食ってるくらいだったのに文明開化であっという間に牛鍋が普及するこのいい加減さはなんなんだ?w
魯文の安愚楽鍋読んでもこれまでの禁忌を犯す背徳感は無い単に牛肉美味いなあって感じでw
今の部落差別は曖昧模糊とした根拠薄弱あるいは無根拠ないい加減なもんだとしか思えない >>440 (笑)そら所詮当事者じゃないよ ただ個人的に歴史が好きで、そのことでちょっと有名な学者(もう故人だけど)のいる大学んとこ進学したら、そのセンセイが前近代の被差別民のことやってたってだけ(ちなみにこの先生も実家は田舎の地主) 口先云々てのは解放同盟その他のパヨク運動家が相手を黙らせんのに使う呪文と全くおんなじだなw 「貴賤」と「浄穢」をごっちゃにするんなら、屠畜と他の肉体労働のあり様がどうしてこうも違ってしまうのかってことに、ちゃんと答えるべき
>>441 >>443 私の観て来た映画(>>431)の中で、いわゆる同和マンション(てかアパート?)に住む老人が「部落じゃない一般の貧困者にも、この施設の空室を開放すべきだ そもそも、同和対策事業を他の貧困問題と別個にやったことが、間違いだったんじゃないか」って言ってたけど、そうなると(私は正直好きじゃないが)部落とスラムを同じ範疇で扱えって主張した共産党が正しいってことにならざるを得ない
ちなみにこの映画観た人、私以外にもいる?
もしも同和事業を単に貧困対策の一環としてやってたら、部落は「(「豊か」にもなり得る)貧しい人」に「昇格」してたのか(つまり「貴賤」の中に「浄穢」は「取り込まれてた」のか)? これは難問だ https://www.nhk.or.jp/keijiban/baribara/000157/000429/
こういうの読むと根深いなあとは思うけど部落差別が露骨にある地域では未だ屠畜と結び付いた穢れと認識されてるのか?
同和教育も無く被差別部落の存在も身近で聞いたこともないまま上京した私にはなかなか実感として分からないんよね このスレ本来は一応文芸‣映画批評関連のスレ 私自身はあくまでも「私のはなし 部落のはなし」って映画の批評(てか感想)をレスしたつもりだったけど(>>431) やっぱそれで済むようなことじゃないんだなぁ 群像評論賞一次通過を肩書きにするしかないような社会のゴミは左翼を批判する資格もないんじゃないでしょうか?その辺りどうなんでしょうね?批評はまず自分を動かすものじゃないとね 部落だけじゃなく被爆者やフェミゴンその他にもいえるけど、やっぱ「同和はコワイ」ってのの一因(もちろん全部が全部じゃない)は、活動家が言葉狩り・表現狩りを未だに「糾弾調」でやり続けてること自体にも問題があるんじゃないか 映画ん中で解放同盟の一人が「抗議は正しい でもこうした類いの映画はこれからもつくり続けられるべきだ」って言ってるけど、正直それじゃほとんどの人は逃げる ことに部落の場合、一昔前のオタと同じで、地区出身者全員がみんな一括りに「コワイ」「キモイ」ってことにされてしまう もしかしら「屠場」とおんなじぐらいの大問題かもしれん 人をゴミ呼ばわりする差別主義パヨが差別を語るな あとはもう相手にせん パヨどもはネトウヨのヘイト批判するくせして自分のそれはいっつも棚上げにしてる 浅田の土人発言が典型 「こうした類いの映画」→「こうした類いの、社会問題を扱った映画」 少なくとも「私のはなし」による限り、満若監督は当初屠畜場のスタッフの同意を取り付けた上で、自らのデビュー作の撮影に入ったとのこと それが解放同盟の「鶴の一声」で全てがひっくり返ってしまったのだ
これが反核・脱原発運動とかの場合に、例えば「フクシマ50」に対して「風評問題を蒸し返すな」という抗議が起きたらそれで直ちに上映中止になるだろうか
かつて橋下徹が自らの冠番組の中で「僕の出自の問題」という言い方をしていたが、こういう文字通り「奥歯にものの挟まった言い回し」こそ、部落問題の深刻さを示しているように思う
批評家なんていらねーもの
いまはツイッターにいけば学者以外でもすげえ発言するやつ多いし
もはや商業作家すらいらないかも? このスレで度々浅田彰の土人発言批判してきたが、「弱者の味方」気取るパヨクインテリの差別発言は他にもある
戦前に大学を追われ、戦後東京裁判に検察側証人として出廷した大内兵衛は「世界」での座談会で「大学は特殊部落の様」って言って謝罪に追い込まれたし、80年代反核運動の発起人の一人だった中野孝次もやはり特殊部落発言して、こんな奴のやる反核運動なんて信用出来ないって批判されてた
もっとも、このことは言い換えれば、反差別団体の「呼び出し」が「単なる糾弾」「報復リンチ」といわれる所以でもある 部落民もまた同じ人間である以上、知らず識らず「逆差別の誘惑」に囚われるとしても、そのこと自体は何ら不思議ではない(ただ結果的に「同和はコワイ」ってステロタイプはますます固定化されてゆくが) >>457
>>浅田彰の土人発言批判してきたが、「弱者の味方」気取るパヨクインテリの差別発言は他にもある
浅田の「土人」は現代日本の天皇崇拝=偶像崇拝・者を批判したもので、世界の常識的に、近代人の条件
としての偶像崇拝の自戒がある。 浅田彰の「土人」発言は、柄谷行人との対談でのものだ。
中上健次が、その「土人」発言について文句を言ったさいに、
柄谷は「しかし、あれはそもそも北一輝の言葉なんだよ」と返した。
これは三島由紀夫の「北一輝論」に、北は天皇を土人の酋長くらいのものだと考えていた、
というようなところがあり、柄谷の言は、三島の「北一輝論」からの受け売りだと思われる。 >>459
>>浅田彰の「土人」発言は、柄谷行人との対談でのものだ。
機会はそうかもしれんが、浅田は昭和天皇の回復を祈る人たちの記帳の行列に対して土人と罵ったんだろ。三島も北一輝も明らかに、天皇崇拝者ではなかった。
>>これは三島由紀夫の「北一輝論」に、北は天皇を土人の酋長くらいのものだと考えていた、
花田清輝の戦前のごく短い北一輝論で、処刑される直前に、西田悦から「天皇陛下万歳を叫びましょう」と勧められたが、それに対して北は「いや、それには及ばんでしょう」と低くサビの利いた声で応じ、黙って銃殺されたエピソードを花田は代表的に扱っている。三島は熱心な花田の読者だったが。「土人の酋長」という表現は花田が好んだもので、再三再四使ってたような。少なくとも「鳥獣戯話」で使っている。 群像やスバルを含めて、日本の文芸批評の本質は偶像崇拝にあると断言したのは少し前のスガ秀実だったが、偶像崇拝は浅田にとって蔑むべきもののはずなんだが、浅田は周囲から座談会や対談の名手と目されており、偶像崇拝の塊である文壇の形成に大きく貢献して来た。 浅田が「土人」といったのは、
昭和天皇の回復を祈って皇居前広場で土下座をしていた人たちに対してだ。
記帳のために並んでいた人たちに対してではない。 >>458
このレスと同じ内容前にも見た 多分全部同じ人だろうけど、浅田の「土人」がよくて石原の「三国人」が悪いなんてことは絶対ない 浅田のそれが「近代人の自戒」なら石原のそれもただ単に治安維持の観点から不法入国批判しただけってことになる
「私のはなし」(>>431)でもやってたけど、「特殊部落」がダメなのは、部落の人々が実際は同じ日本人なのに「特種」な連中(=劣等な異民族出自)というニュアンスを持ってるから はっきりいてあなたの言う「近代人」には「偶像崇拝する卑しい野蛮人・賤民」が宿痾として付随してる これは歴史的事実であって単に言葉狩りで言ってるのではない
先日「シン・ウルトラマン」観て来た 往年の怪獣のオンパレードだったけど、怪獣達の大ボスである「怪獣酋長ジェロニモン」はヤッパリ出て来ない まあしゃーねーわな(もとが怪獣総統ヒットランとかだったらよかったのかなw) 浅田彰は当時まだ、ポストモダニズム全盛期の露悪趣味のほうが偽善よりはよい
というかのような気分が抜けていなかったのです。
石原慎太郎のヘイトスピーチ的発言は確信犯的なものでしょう。
ただし、浅田は、一昨年にも、コロナはたいへんな問題だが、
観光客がいなくなった京都は静かでそうわるいものではない、
というようなことを言った。坂本龍一らとの日本料理屋での会食の際の発言で、
ほかの人も、そうだね、みたいにうなずいていた、ということです。
このように、京都の旅館だとかバス会社とか飲食店とか、
多くが中小企業であるだろう会社のの経営者や従業員の苦境にたいしては、
ひじょうに配慮がない無神経なことを平気で言うのです。
それでいて浅田は、政治家の発言などをつかまえて、
バカだのなんだのと言う。
しかし、もし国会議員が、上記の浅田のような無神経なことを言ったら、
たいへんでしょう。 >>465 石原だったら間違いなく「俺は政治家である前に文学者」って居直ると思う ついでにいうと浅田の言いぐさは決して浅田だけじゃない 「露悪」と単なる「無神経」を混同してる輩は保守・リベラルを問わず存在するが、あからさまに「弱者の見方」を気取る点ではパヨクの方がたちが悪い
>>436 私の言いたいのは、何の説明もなく「特殊(=特種)部落」って言ってる人が浅田の土人発言の弁明しても、無自覚な人種主義・身分差別主義の共犯者としか思えんということです まあだんまり決め込むのはご自由ですが ヨーロッパの文化人類学における文化相対主義の根っこに、その相対化の尺度としての「欧米の隠された優位」を指摘したのは、保守派の西部邁だった そしてその一種のダブル・バインドは人類学だけでなく欧米リベラリズムの 基盤でもある そしてこのリベラリズム、日本ではいわばバナナ・リベラルとでも言いうる輩の専有物だった 彼らにとって庶民大衆は(大袈裟に言えば)単なる愚民であり、そしてまた個別に政策提言するよりは憲法(による鎖国)を保守与党に対して振りかざすだけだった
せめて、例えば「ウクライナには武器援助する代わり、難民受け入れはミャンマーやアフガン方面をメインにすべき」とかもう少し具体的な提言しないんだろうか(てか言ったら「村八分」になるのかーー)
>>469のレス、多分これまでも何回かこのスレに顔出してる人のだろう まあ文学者・文学志望者なんて元々(漱石・鴎外以外)○食だけど >>469
>>470
ひじょうに説得力のある内容の書き込みだと思う。
ただし、わたしとしては、西部を「保守派」だと思ったことはない。
思考回路が左翼のものだとしか思えないからだ。
わたしは、本来の保守というのは、無思想、もっと極端に言えば、
無思考なものだと思う。
理屈っぽい保守などというものは、存在しないだろう。 >>472
お褒めの言葉、どうもありがとうございます ただ私個人としては「保守」ーーこの場合日本的保守ーーの原型は多分保田与重郎や宣長だと思っていて、理屈っぽいことと無思考(てか相対主義・虚無)は矛盾せずに同居してるのだろうと思ってます(まあ宣長についてはまだまだ不勉強なのですが)
ついでにいうとあなたの場合、西部の師だった福田恆存みたいなのは(「左翼の思考に基づく保守」「政治的保守」であっても)「本物の保守」じゃない訳ですね 繰り返しになりますが、私の思う保守は、理屈を言わないのです。
積極的には、ものも書かないのです。
なにか革新的に事に対しては、
理屈なしでそれはダメだ、とかいって首を横に振るだけなのです。 理屈っぽい保守はいないけれども、
理屈っぽい右派というのは、数多いるでしょう。 社会のゴミのニート同士で誰にも聞いてもらえない会話できて楽しそう
匿名のネット上でしか成立しない珍風景よな
的を射ていようが射てなかろうが誰にも必要とされていない駄弁には何の意味もないという10代でも知ってそうなことをすっ飛ばして年寄りになってしまったのは、ろくに他人と関わってこなかったからでしょうね
それだけでも人生を大間違いしたと言って過言ではないでしょう
文学関係者はみんな〇〇だ、と底辺の自分を基準にして他を落とそうとしても、現実的には世の中そんなもんじゃありません
みんな働いていますよ
まあゴミニートは詭弁すらまともに耳を傾けてもらえないので、死ぬまで自分の浅ましいだけの言葉に溺れ続けることでしょう しかし、こういう人らは自分の発言からニート特有の醜悪な厚かましさが溢れていることに本当に気づかないものなのかな?
不思議だわ 文学者と志望者を一括りにしてるの草生える
雲泥の差だわ
志望者はどこまでいっても自称止まりだろw
ニートの言い訳乙 確かにあんたのようなのから見れば、非正規も体壊して肉体労働できなくなったのも、新聞の求人欄見て溜め息ついてるのも親の介護に専念してんのも、もう人間じゃないんでしょうな
ただそこまで言うなら名前公表したら? ハイル! 名無しの臆病者 批評は形而上学じゃないんだから読者がいなけりゃもう無能なんすよ
無能なのに自分のモノの見方には一理あるはずだと匿名で足掻こうと無理っすわ
発言力もない、誰にも聞いてもらえない、ニート
それでも自分の発言には正当性があるはずだとか図々しすぎるのよね〜 社会のゴミのくせに社会に一言物申したいとか無理よ
何十年もゴミじゃなくなるチャンスはあったのにフイにしたのはお前自身じゃんっていう
誰がそんなやつの無駄話聞くかね?自分は何者かであるはずだ〜と思い込みながら社会も他人も見くびって生きてきたのが言葉の端々から滲み出ている ゴミ同士で誰にも聞いてもらえない自己満会話を続けていきたまえ
それこそがお前らの実人生なんだから
ここがピークよ
常人の目から見たら世にも恐ろしいことだが… ≫社会のゴミのくせに社会に一言物申したいとか無理よ
これはたぶん、
なんたら批評家養成講座とかの受講生などのことでしょうね。
文芸評論なんてたいがい2000部とかしか売れないのだろうから、
それでいくらになるか、ふつうの経済感覚の人なら
仕事にしようなんて思わないでしょう。
文芸評論なんてのは、経済的に余裕のある人が道楽でやるのが、本来の姿なのですよ。 例えば、柄谷行人なんて、世界のなんたらかんたらみたいなことを書きたがる。
そんなのセカイ系の妄想とかわりないわけね。 精神異常者の打ち子みたいなのが、
住民を誹謗中傷しようとして、良識に照らせば
おかしいんではないの、と判断されるような書き込みをする。
5ちゃんねるのお決まりなんだろうけれど、
たいがいもうやめたほうがいいと思うね。 476〜482というのは、月曜日の早朝に2時間近くこのスレッドの特定の住民を
ひたすら誹謗中傷する書き込みをしているわけでしょう。
打ち子のバイトでなければ、精神異常者だとしか思えないな。 群像評論賞に応募しといていうのもなんだけど、この批評スレのいいところ、「紙一重」の人達がそのことを暗黙の前提に(大手文芸誌にない本音で)わちゃわちゃやってるとこ(>>486の人とは若干意見を異にするのかもしれんが、「異常」の自覚があんなら別に一向構わない 私自身自分を「正常」だと思ってないし)
問題は明らかに「異常」なのに自分は「常識人」だと思い込ん出る人 まともな勤め人なら月朝にずっとヘイトレスなんかしないだろうし(>>476〜>>482) オンラインの向こうの上司の顔が気に入らんのか唐突にクビになったのか分からんが、やってること自体もう「土俵割り」なんだけどね
文学は大学教師だろうが親がかりのニートだろうがサラリーマンだろうが金持ちの高等遊民だろうがビンボー人だろうが医者だろうがゲイで泥棒の乞食だろうがジャンキーだろうが犯罪者だろうジャズ喫茶のオヤジだろうがが決定的な作品を書いた奴が勝ちさ >>483
でも柄谷も浅田もこれまでに何十万部も本売ってるじゃん
>>484
でも大学教授になれてるじゃん
>>485
でもお前ニートじゃん
>>486
でもお前ニートじゃん >>487
でもお前ニートじゃん、後半は妄想じゃん
>>488
でもお前何も書けてないじゃん 「文芸評論なんてたいがい2000部とかしか売れない」
>>483
これ言わせたかったんだよね〜
でもお前の駄弁は数部も買う人いないじゃん
2000部を30冊出せたら6万部じゃん
編集者にも求められてるじゃん、読者も数千人いるじゃん
柄谷も浅田も何十万部、いや恐らく合計100万部以上本売ってるじゃん
お前の話し相手ニートしかいないじゃん
匿名にならなきゃ誰も読んでくれないじゃん
批評家と全然同じ土俵じゃないよね?
今の時代を生きる人間としては知性も遥かに劣ってるよね
誰も聞いてくれない要らん知識だけ持ってるゴミだよね なぜ誰にも求めてられていないことを考える能力しかない人が
自分の知性を劣っていると思えないんでしょうね
自分一人の妄想のためにせっせと本を読んではきたけど
誰からも認められず、話し相手一人得ることすらできなかった
そして匿名で社会からの需要に長年応えてきた有名人をバカにしてみたり
安全地帯から気ままに映画の批判してみたり…
こういう人がゴミ扱いされて怒り狂うというのは滑稽ですよ 2000部で著者に入る金額は100万円もないだろう。
三十年かけて30冊出して、3000万円だ。
私大の教授がそんなに大した地位なのかね。
尺度が違うようなので、何を言ってもしょうがないだろうけれど。 >>493
それって印税だけじゃん
30冊出せるような批評家なら講演もあれば講義もあれば教授職を得る人もいる
ほぼ自費出版のような人でない限り、安く見ても年収1500万は下らないでしょう
お前の話し相手はニートだけ
尺度もクソもない、どこからどう見てもただの無能 怒っているのではなく、あなたを精神異常者だろう、といったのですよ。 精神異常者に精神異常者と言われてハッとする人はいませんよ? わたしのかつての知人の社会学者は、20冊本を出しているが、
かけもちの非常勤講師だからなのか年収300万円以下らしい。 収入の少ないほうが、収入の多いほう、
知名度のないものが、知名度のあるほう、
それにあれこれいうな、
ということだろうから、それなりに筋は通ってはいる。 君らのやっていることは芸能人の不倫を批判する匿名主婦とかとやっていることは一緒
使っている言葉が違うだけなのに、自分になまじ知恵が思い込んでいる分、なおさらタチが悪い
誰にも聞いてもらえない知識の混淆物を何十年と持て余してきただけのただの暇人でしかない
そうだ我々はただの暇人なんだ、我々の生きる場所を奪うなー!という主張ならまあ分からんではない
>>487「私自身自分を「正常」だと思ってないし」とか言ってるからそういうことなのかな?
気持ち悪いよね
社会のゴミのくせに主張だけはしたがる
ムリムリムリムリ >>497
それが誰か名前挙げてよ、話はそっからな 人の懐具合のことを、名前をあげて書くほど、あなたとちがって、
精神が異常ではないから、むりだね。 わたしはただの暇人ですよ。
だいたい、暇を持て余していなければ、ここに書き込まないでしょう。
体調を崩しているので、活動的になれないし。 ≫芸能人の不倫を批判する匿名主婦とかとやっていることは一緒
それとは違うだろう。
紅白歌合戦をみて、この歌手はへたくそだ、この曲はつまらない、
とかというようなことにちかい。
つまり感想の対象が、歌謡曲ではなく、文芸批評などになっているだけの違いだ。 >>501
思った通りの返答でしたわ
柄谷やら浅田やら有名人のことは好き放題にけなしても
20冊著作を刊行している社会学者のことはなぜか言えない
年収については自分から言い出しておきながらw
これぞゴミ独特の方便 >>503
変わらんよ
不倫していいか悪いかなんてのも自分を物差しにした浅はかな批評に過ぎない 懐具合はプライバシーだろう。
発言や著作物の内容について何かいうのとは、
全然違いますよ。 何の実績もないゴミが自分を物差しにして言いたいことだけは言わせてもらいたがっている
これがゴミの勘違いね
ゴミは自分を物差しにしちゃダメよ、ゴミなんだから
>>481でも書いたよね?
何十年もゴミじゃなくなるチャンスはあったのにフイにしたのはお前自身じゃんっていう
誰がそんなやつの無駄話聞くかね?自分は何者かであるはずだ〜と思い込みながら社会も他人も見くびって生きてきたのが言葉の端々から滲み出ている いずれにせよ、文芸評論家の話をするのは、
芸能人の話をするのと似たようなものだ。 >>506
え?なんでお前の発言を皆信じると思ってんの?
誰も信じないよ?w
そもそも>>497の発言すら信じようがないんだけど?
どうせ言えないと分かっててツッコんでんだよw そうそう、お前の話は芸能人の話をしている匿名おばちゃんどもの醜悪な無駄話と似たようなものってことだ そいつらが話のネタにしてくれるおかげで有名人は潤うわけだからいいんでしょうけどねw
しかしこれほどまでにゴミばかりとは思わなかったな〜
顔も見えないゴミ同士で傷をなめ合って虚しくならないのかね ≫え?なんでお前の発言を皆信じると思ってんの?
皆なんて言うほど、ここには人がいないだろう。
精神異常者のあなたとそのほかに二人くらいいるだけではないか。
文芸評論家がしょうもない芸能人とおなじよなものだから、
それはしょうがないでしょう。
話の趣は対象に見合ったものになります。 出た出た、ゴミの方便w
対象の論じ方はいくらでもありますので
匿名のゴミどもの趣が共通しているだけでしょう 少なくとも私の取り上げたインテリは、他の人(人々)を何らかの形で批判(非難)した人達だけ
以下もう>>511のようなあらしレスは相手にしない 他の被害者ももう関わらん方がいいと思う 結局この人自分のこと棚に上げたただのかまってちゃんに過ぎないから 飽きたからもういいや
またゴミが言い訳するだけで堂々巡りでしょう
じゃあね、楽しかったわ とりあえずヤレヤレ
こういうあらし(てか真正の自閉者)が出て来ると単なる罵倒だけになってしまって、「多事争論」が出来なくなってしまう これも5ちゃんのの宿命か
一応一安心していいのかな ホントに 柄谷行人、浅田彰を熱烈に支持しているようなことを書いていて、
かつ、知名度、収入、これらが高いものに対し、
低いものは批判的なことを言うなというかのような、中道左派・リベラルの思想信条とは
真逆のことを書き、さらに低所得層などに対してはすごい侮蔑の言葉を連ねる。
先ほどの名無しさんが、柄谷、浅田両氏になにかしら関係する人物なのかどうなのか、それは不明だけれども、
文壇・論壇とかいうものの正体というものが垣間見える書き込みで、
それはそれで意義があったでしょう。 一歩間違えば、ホームレスの人などを
襲撃して殺してしまいかねないようなメンタリティーの持ち主が、
柄谷・浅田という批評家・思想家の熱烈な支持者というわけだ。 てかこのあらしの人、多分柄谷も浅田も全く読んでないと思う ただ「有名=富=正義」の前提で素朴に自己責任論振り回してるだけ BTSのファンがキノコ雲の一件忘れてキャーキャーいってるように、自分自身の立ち位置考えてないだけで、それ自体直ちに文壇「全体」のあり様とはおそらく関係ないでしょう
もっとも470番台からのレス、第3者がざっと指スクロールしたら、「ゴミ」も「精神異常者」も(私が言った)「真正の自閉者」も、ぶっちゃけ等しくヘイトでしかないな
フィリピンでドゥテルテに代わってかつての独裁者だったマルコスの息子が大統領になった 朝日は民主主義の死だと書き立ててるが、アキノ以来のリベラリズムは同国の貧困と治安の悪さを解決できず、すでにドゥテルテ自身「フィリピンのトランプ」とあだ名され、無関係の人間を巻き込みながら強権的な取り締まり続けてきた やっぱ「貧しい民主主義」は権威主義に勝てないーー 「第3者」の前に「(一晩立って改めて見直してみると)」追加 あの精神異常者のような名無しさんは、どこかの打ち子のバイトではないでしょうか。
文壇・論壇関係者も、その種の会社に、直接ではなくエージェント的なものを通してだろうけれど、
委託しているケースが多いと思われます。 >>520
ゴミはゴミでも君はまだ「紙一重」と言えるだけマシなのよ
>>522は自分だけは違うと言い続ける本物の畜生だからね
糞スレでゴミ同士仲良しごっこするのは結構ですが
こういう本物のゴミに吞まれないように気ぃつけて下さいや
最後の一線は越えないようにね
あ、>>523みたいな痴呆な妄想にも振り回されないようにw ]≫てかこのあらしの人、多分柄谷も浅田も全く読んでないと思う
あるていどは読んでいると思いますよ。
ファンなのはあきらかなのだから。 >>523
大分以前読んだ精神障碍者犯罪に関するドラマのお蔵入りした件を扱った本の中で、ある識者が「事件を起こす障碍者はいるが精神障碍者の全てが危険な存在であるかのように描いているのは問題」っていってた その前提そのものを問題にせずこういう陰謀論的なこと言われても正直受け入れられないし、同意を求められても困る
>>524
もう飽きたんじゃなかったの? 約束は守れ! このかまってヤロー
「帝国の構造」「世界史の構造」こういう本の中で
「理論」であるかのようにして書かれていることは、
セカイ系の妄想気味のセリフみたいなものだろうけれど、
柄谷行人氏の関係者なら…やるかも…というのは、冷静な人ならば思うことでしょう。 精神障碍者とはいっていないでしょう。
精神異常者といったので。
精神医学者でもないものが、診察もしないで、特定の他人を精神障碍者だとしたら、
それは不法行為になりかねないが、
虚偽にもとづく罵詈雑言を浴びせてくる相手にたいして、
精神異常者というのは、日常語のレベルです。
通り魔殺人などをしたようなものに対して、
精神異常としか思えない、という感想をいっても、
それには精神障碍者に対する差別的な意味はありません。 SNS上での「火消し」を請け負うような業者は、
サービスでそのほかのこともいろいろやってくれる、
というのも常識になってきているようなので、
「陰謀論」なんて大げさなものではないでしょう。 しかし「土人」という言葉を使うかはさておき皇居に向かって自発的に土下座する薄馬鹿を肯定的に捉えてるの?
あれを一番偉いってことにしとこうそうすれば纏まりがいいからってのがクールなかつマトモな保守だと思うが本気な奴は左右両方にとって迷惑な存在だと思うが 柄谷行人「帝国の構造」では、
交換様式A(贈与体系)が、それを抑圧するものであるB(国家)とC(資本主義)の揚棄ののち、
Aの高次の回復である「抑圧されたものの回帰」(フロイト)としての
D(世界宗教)が到来する。
その到来は「強迫」的なもの(フロイト)、
ということだ。
むろん「原始共産制」のユートピア幻想の焼き直しという面があるが、
互酬経済の「土人」文明は、国家による略取がなくもちろん資本による搾取(柄谷本人はこの語はつかわない)もないので、
「歴史の必然」において揚棄されるべくしてされたものではあるが、
柄谷行人は、一応良いこととしている。 あかはた 2008・5・31
「原始共産制」から
〈エンゲルスは、『家族・私有財産・国家の起源』のなかで、ヨーロッパ人の侵入以前のアメリカ先住民(いわゆるインディアン)の社会の姿を、当時の民族学の研究に基づいて紹介しています。それによれば、一つひとつの部族が、「氏族」と呼ばれる血縁集団を単位として生活していました。そして氏族の構成員は互いに平等で、他人の支配を受けず、男女すべてが参加する選挙によって指導者(酋長=しゅうちょう=)を選んでいました。
このような氏族を単位とする平等な共同社会は、世界の多くの地域で最も古い段階に存在していた証拠が発見されています。〉
かつてのアメリカ先住民にしても、首長が病気になれば、みなして祈祷したりしたでしょう。
土人が酋長の回復を祈って拝跪するのは、日本共産党的にも、
そうわるいことではないだろう。 >>464
>>偶像崇拝する卑しい野蛮人・賤民
それは日本において新興宗教の中で偶像崇拝者の代表のような創価学会信者の中に
賤民が大多数を占めているという事情のことを言ってるに過ぎない。
それは創価学会が悪いだけだ。
偶像崇拝を忌避する者は全て近代人となる資格の第一関門を合格している。
あんたは他人の発言を勝手に変更してはいかん。
あんたの相手は何の進歩にもつながらない。
あんたは先ず、自分の周囲の阿保創価を教育した方が良い。 ↑ 結局、突き詰められた偶像忌避はそれ自体狂信的ヘイトや単なる無関心に堕してくってことね
何かの番組で人の先祖が埋葬するようになったことと、老いた親族をみんなで面倒見るようになった時期は同じだってやってたっけ 確かに親族間の仲を引き裂いてしまうような宗教あるけど、それは行き過ぎた近代主義(って宗教)にもいえることだって、パヨク(?)には分からんのかね >>535
パヨクなんて言ってるから駄目なんだよお前は。
もうすでにお前が創価、ネトウヨ、維新らと同レベルなことがバレている。 欧州には、偶像崇拝はもっぱら賤民がする、という歴史的な先入観はないのではないの。
もっとも偶像崇拝をしないのは、ユダヤ人だったんだから。 柄谷行人の「帝国の構造」「世界史の構造」の「理論」の最大のネタ本は
フロイトの「モーセと一神教」なのだけれど、
そのモーゼは、ヘブライの民が偶像を拝んでいたことにはげしく怒った。
そして、偶像崇拝者たちには、神罰が下ったでしょう。 ネットパヨにとって、創価学会の問題は藤原事件に代表される 言論の自由や政教一致をめぐる問題じゃなく、そこに「賤民」が多数関わってるからなのね こりゃ中野孝次や浅田以上のヘイトだわ
こういうあらし関係者は、それがウヨであれパヨであれその他なんであれ、もう黙殺するしかないな
そういえば浅田が土人発言してからしばらくして、鎌田哲哉のアイヌ人言語学者に関する論考激賞してたっけ 過去の自分のもの言いと整合性の無い発言する点は、ここに出入りしてるあらしとおんなじだ 浅田の「土人発言」は、
わざと荒くいったんですよ。それがいいというわけではないが、
とうじは、わざと荒くいう、ということが普通に行われていたのです。
柄谷行人も、発展途上国とはいわず、後進国といったし、
水村みなえにしても、お手伝いさんなんていわず、女中といいました。
そういう人は、ほかにも大勢いるでしょう。
浅田彰が、たまに無神経な言葉遣いをするということと、
敢えて荒く言った「土人発言」はまたべつの話です。 蓮實重彦にしても、お手伝いさんといわず女中といいました。 確か土人発言当時は、もう「旧土人保護法」が問題化し、アイヌ新法への動きが始まってた 少なくとも自らを弱者・少数派の立場に置く者がそんなこと言うのは紛れもなく偽善でしょう 「障碍」は悪いが「異常」はよいというのも、少なくとも自分はそういう立場の人とは一切関わらないってことが前提になるべき 自分のことを棚に上げて「ゴミ」って繰り返してるようなのにはふさわしいかもしれんが 浅田とかの「わざと荒くいう」を見習って出てきたのがネトウヨなんじゃないのかと考えるとね。。
反動主義者に隙を与えた点については総括いるでしょう。平岡正明的に開き直るならともかく、大学教授としてのポストもある人間なんだから.... 日本のネトウヨにかぎらず、
世界的に、新極右は、
ポストモダニズムの負の遺産だと思う。 〈『暗黒の啓蒙(けいもう)書』。この不穏なタイトルを冠した文章は英国の哲学者ニック・ランドが二〇一二年にブログに連投したものだ。
書籍化されているのは日本だけということからも「新反動主義」と呼ばれる彼の思想が注目されていることがわかる。
ランドは近代社会を特徴づける啓蒙という大義、そしてそれを実現する民主主義に反旗を翻す。〉
このランドの新極右思想にしても、ドゥルーズ=ガタリの思想をポップな感じに手直しした
浅田彰の「逃走論」と理論構成がほとんど同じです。
およそ、左が右になったただけです。 https://realkyoto.jp/blog/asada_akira_190501/
「一九八九年一月七日の朝、赤坂プリンスホテルの上層階に泊まっていた私は、何台ものヘリコプターの音で目が覚めた。カーテンを開け、TVをつけると、窓の下を行く黒塗りの車の映像がモニターにも映し出される。それは、裕仁の訃報をうけて皇居に向かう明仁の車だったのである。
ちょうどこの日に発売された「文學界」に私と柄谷行人の対談が掲載されており、そこでわれわれは裕仁の病気とともに異様な「自粛」ムードに包まれた日本を「土人の国」と呼んでいた(実は「土人」というのは北一輝の言葉の引用なのだが)。
そういう異様なムードは裕仁の死によってとりあえず終わるだろう。だが、そういうムードを生み出す土壌はそのまま残るだろう。その後の経過を見ると、あの日の予感は正しかったと言わざるを得ない。二十一世紀にもなろうというのに、この国はまだ共和制にすらなっていないのだ。」
これは『文藝春秋』2000年2月特別号の「各界著名人285人が体験した20世紀衝撃の一日」と題するアンケート特集に掲載された私の文章だが、平成の終わりを迎えたいまも私の感想は基本的に変わらない――反動化の速度が私の予感を超えていたことは認めておかねばならないとして。
少し注釈を施しておこう。まず、赤坂プリンスホテル(丹下健三設計の新館)は現在では建て替えられて東京ガーデンテラス紀尾井町になっているが、「赤坂御用地」から青山通り・三宅坂・内堀通りを経て皇居半蔵門に向かうルートに沿っていて、私の部屋はそこを行く車を見下ろす位置にあった。
次に、ここで触れた『文學界』1989年2月号での柄谷行人との対談「昭和精神史を検証する」(柄谷行人『ダイアローグW』[第三文明社]所収)で「土人の国」という言葉を使っているのは、正確には「われわれ」ではなく私である。
ただ、対談の現場では、天皇は憲法で規定された「国家の機関」であって国体論者が神輿にのせて担ぐ「土人部落の土偶」のごときものではない、という北一輝の言葉(『国体論及び純正社会主義』)について両者で語り合っており、慌ただしい編集の過程でその部分がカットされたため、
「土人」がこの右翼イデオローグの言葉の引用であることがわかりにくくなったという事情がある。とはいえ、私自身の言葉ととられてもまったくかまわないことは改めて確認しておこう。 もうひとつ、『文學界』の同じ号には、柄谷行人の盟友だった中上健次と岡野弘彦の対談「天皇裕仁のロゴス」が掲載され、われわれの対談とは逆に、天皇の言葉こそが日本文学を支えるものだ、という議論が展開されており、左右両極が並んだ形となって話題を呼んだ。
実のところ、被差別部落出身であることを公表して作家活動を行っていた中上健次には、一般社会の上に排除された天皇と下に排除された被差別部落民が背中合わせの存在だという神話的構図に惹かれがちなところがあった。
たとえば『日輪の翼』(1984年)では、作家が「路地」と呼ぶ被差別部落が再開発のために地上げされ、追い出された老婆らを若者らが日本各地の霊場に連れて行ったあげく最後に東京の皇居前広場にたどりつく。
そこで嬉々として清掃奉仕をする老婆らをおいて、若者らは新宿歌舞伎町でホストになるのだが、彼らが老婆らを見る目はあくまでも優しい。
私は、ノーマルな日常社会の上にある聖なるものと下にある賎なるものの通底という神話的構図を批判しつつも、私なら直ちに否定してしまうそうした構図を中上健次が複雑なニュアンスをこめて扱っていることをいかにも彼らしいと思っていた。
いずれにせよ、すでに海外に出ることが多くなっていた柄谷行人と中上健次は、「日本の外に出れば天皇をめぐる神話的構図など意味を持たない、ただマイノリティの横の連帯(アソシエーション)あるのみだ」という線で再び一致することになるのだが、それは少し後の話である。 前にもいったが、この件に関しパヨクは二義的な責任しかないってのは間違い パヨもまた近代主義であり、その近代主義の負の部分として、「野蛮人」「土人」が設定され、これが例えばばインドではダリッド(いわゆる不可触民)に、我が国では被差別部落やアイヌその他に当てはめられた 伝統的な偏見が新たなものとして更新されたのである 今までのレスで言ってきたことと矛盾して聞こえるかも知れんが、中野孝次や浅田彰、あるいはいわゆる民族派だけを非難するなら、それは単なるスケープゴートでしかない 前にもいったが、この件に関しパヨクは二義的な責任しかないってのは間違い パヨもまた近代主義であり、その近代主義の負の部分として、「野蛮人」「土人」が設定され、これが例えばばインドではダリッド(いわゆる不可触民)に、我が国では被差別部落やアイヌその他に当てはめられた 伝統的な偏見が新たなものとして更新されたのである 今までのレスで言ってきたことと矛盾して聞こえるかも知れんが、中野孝次や浅田彰、あるいはいわゆる民族派だけを非難するなら、それは単なるスケープゴートでしかない [天皇は憲法で規定された「国家の機関」であって国体論者が神輿にのせて担ぐ「土人部落の土偶」のごときものではない、という北一輝の言葉(『国体論及び純正社会主義』)]
すると、三島由紀夫「北一輝論」の「土人の土偶(酋長と記憶していたが、土偶だったようだ)のようなの」、
というのはあやまりで、ぎゃくに北は、「土人の土偶のようなものではない」と否定していたわけだ。
30年以上たって、ようやく事実がわかりました。 [天皇をめぐる神話的構図]
天皇制批判は、↑ばかり問題にするようなことろがある。
しかし、天皇の国事行為というのは、単に形式的なもの、
という通説がゆるがないとたかをくくっていると、意外と危ない面がある。
アメリカの議事堂乱入も、
単に形式的だと解されていた上院議長(副大統領)による大統領選挙人にたいする承認行為が、
そうではなく、実質がある(いわば上院議長に拒否権がある)というようにトランプ大統領が脱構築的解釈を示したことに
呼応した集団がなだれ込んだということがある。
日本においても、「天皇には国事行為にかかわる拒否権がある、それは国政に対する権能にはあたらないので、
憲法上問題はない、と主張する勢力が現れないという保証はない。 矛盾して聞こえるかも知れんとかようやく事実が分かったとかぬかして
ご自身の発言を簡単に調整したつもりになれるんだからいいご身分ですなあ
ゴミどもの与太話ここに極まれりっ!!! [「British Empire」を「大英帝国」と誤訳し、それに張り合って「大日本帝国」を名乗った頃から、まったく進歩していない。]
浅田彰は誤解していると思う。当時、「Empire」を「帝国」は、
ほぼ主権国家という意味に理解されていたのです。 wiki
(トマス)クロムウェルによる同法の序文には、イングランドは「帝国」であること、
イングランドは教皇庁の管轄に属さないこと(よって国王の婚姻の有効問題も教皇庁の認可を必要としなくなった)などが高らかに宣言された。
つまり、国土のうちに、王権を制限するようないかなる上位の権力(ほぼローマ教皇権のことだが)もない、
という意味なのです。 ×「Empire」を「帝国」
〇「Empire」=「帝国」 浅田は、「British Empire」の皇帝は「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」および植民地を統括しており、うち「イングランド、ウェールズ、スコットランド」の3つの国からなる島を地理用語そのままに「グレート・ブリテン(大ブリテン島)」と呼んでいるに過ぎないのに、その「グレート」を直訳してイギリスを「大」英帝国などと呼び習わし、それに対抗するように「大日本帝国」と名乗るようになった当時の日本を「滑稽」だと言っているのであって、>>554が言うように「帝国」について「誤解」してなどいないし、帝国主義と主権国家が両立することは言うまでもない
文章を全く理解せずに「誤解」とのたまうとは、なんと「滑稽」なことか 「大」は、大八洲から来ているんですよ。
大ブリテンとおなじで、もともと「大」がついているの。 大韓帝国の「大」のほうが「真似」といえばそうではないの。
いまも南は「大」がつく大韓民国でしょう。
当方は、もはや大日本国とは名乗っていない。 「帝国」がどうたらと言っていたのに、すっかり話が変わっていますね
それはそれとして、「大日本帝国」の「大」の付け方には諸説あるようで、ざっと見たところではこれが最も説得力があるものだった
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1421008.html
英国の真似をしたことには変わりないとして、この線から見ると、浅田の「誤解」は「大」の付け方を勘違いしていたという点になる 同様に、この線から見る限りでは、>>558も「誤解」に過ぎない ようするに、むかしは漢字文化圏では、たいがい「大」をつけるんですよ。
日本にしても、古事記からすでに八島に「大」をつけていたんですから。
「帝国」も、帝国主義の帝国とは意味が違うんです。 ≫ざっと見たところではこれが最も説得力があるものだった
そえは、どの文書を根拠にして書いてあるんですか。 [『中華思想』に毒されていた清国に対する対等な立場を強調する意味で、『大日本帝国』の国名を決定したことに始まります。]
こう書いてあるんだから、
我がほうは、清国の属国ではなく主権国家だ、ということでしょう。
中華思想では、ほかの国の国王は、中国の皇帝の臣下だ、
とするのだから。
イギリス国王の王権は、ローマ教皇権に従属しない、というのと
そう変わらないわけです。 wiki 帝国主義
中西治の学術論文によれば、インペリアリズム(帝国主義)は19世紀末頃まで「プラスのシンボル」だった[16]。当時の事例としては1871年に帝国憲法を発布したドイツ帝国、1874年に「エンパイア的連邦(imperial federation)」を主張して発展を目指した大英帝国、1889年に「天皇(emperor)」を元首として憲法を発布した大日本帝国などがあった[17]。中西によれば、インペリアリズムという言葉は「きわめて政治的な用語」である[18]。第二次世界大戦でドイツ第三帝国と大日本帝国が敗北し、戦後に植民地が独立したことでインペリアリズムは一旦終わったが、その後は用語・政治の両面で復活しつつある[18]。中西は「エンパイアを帝国と訳すか,広域支配と訳すか,インペリアリズムを帝国主義と訳すか,広域支配主義と訳すかは,当該国の違いと訳者の政治的立場の違いによる」と述べている[7]。 1854年の日英和親条約で、日本側の約文(概要)において江戸幕府を「大日本帝國政府」と表記しており、>>560のリンク先の「『大日本帝国』は、その『大英皇帝』の呼称を知った明治政府が、『中華思想』に毒されていた清国に対する対等な立場を強調する意味で、『大日本帝国』の国名を決定したことに始まります。」という説が仮に正しいとしても、初めて対外的に「大日本帝國」と称することになったのは江戸時代末期であり、この場合の「大」が、条文の「大貌利太泥亞王國」(大ブリタニア王国)に倣うものであったか、はたまた近隣の大清帝国に倣うものであったかは定かではない
https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/pw/18541014.T1J.html
「帝國」という言葉は、先だって同じ1854年の日米和親条約の前文で「帝國日本」という国号において初めて使われている
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/274 >>562
どこをどう読んでも浅田は「帝国主義」と「帝国」を一緒にはしていません
「皇帝」とはなんぞやという話に始まり、明治期に日本がイギリスの「大○○帝国」の表記を真似したというくだりに移行し、現在も日本は英国の「帝国主義」が蔓延しかねない文化的風土に共鳴しているとオチをつけているだけのこと
先ほども書いたように、帝国主義と主権国家が両立することは言うまでもない 文章を全く理解できない人のために細かく補足しておくと、>>566で日米和親条約の前文では「帝國日本」と称したと示しておいたように、>>562の「たいがい「大」をつける」というのはこの場合にはあてはまらず、「誤解」に過ぎません ≫1854年の日英和親条約で、
≫日本側の約文(概要)において江戸幕府を「大日本帝國政府」と表記しており
すでに江戸時代、日米和親条約の同じ年に、「大」をつけているでしょう。
わたしは、「たいがい『大』をつける」と書いたので、
例外なくつける、と書いたわけではない。
≫帝国主義と主権国家が両立することは言うまでもない
帝国主義と主権国家が両立しない、なんて私は書いていませんからね。
大日本帝国の「帝国」の意味は、のちの帝国主義、
たとえば、今日では、多くの場合レーニンの「帝国主義論」に多かれ少なかれ由来する意味で知られているわけだが、
そういうもにおける意味とは違う、という内容のことをいっただけで。 いえ、日英和親条約の約文と日米和親条約の前文が示しているのは、あなたがのたまうように古来から「たいがいつける」ようにして「大」をつけたわけではないということです
それは「誤解」です
また、「帝国主義と主権国家が両立することは言うまでもない」とわざわざ二度にわたって書いたのは、「帝国が主権国家であることなど言うまでもない」が、その上でさらに、ということです
どこをどう読んでも>>554が言うような「誤解」に当たる箇所は見当たりません ≫大日本帝国の「帝国」の意味は、のちの帝国主義、
≫たとえば、今日では、多くの場合レーニンの「帝国主義論」に多かれ少なかれ由来する意味で知られているわけだが
これは全くの意味不明です
ここにあるのは、多くの場合とか多かれ少なかれとかニュアンスだけですね
「帝国」と「帝国主義」を混同する人などそうそういないでしょう 1854年の日米和親条約の前文では「帝國日本」と称し、その直後の日英和親条約で対外的には初めて国号に「大」という文字が入れられた
英国との条約批准に際して《対外的には初めて》となった、というところが重要であり、これは当の「大貌利太泥亞王國」か、もしくは英国と先だって条約を締結していた漢字使用国でもある「大清帝国」のような他国に倣うものであったと考えられる
>>558や>>562が言うような『古事記』の時代からの慣習とするのは「誤解」である 「帝国主義論」に由来するような
例えば最近ならばポスコロ関係などで「帝国」というのとは違う
ということですよ。
もちろん、ネグリ=ハートのいう「帝国」というものなどは、
まるで違う。 「大日本豊秋津洲(おおやまととよあきずしま)」(「日本書紀」神代)
日本書紀ではすでに「大」をつけている。
のちの世では、むろん「大」をつけないケースもあったでしょう。 先方のイギリスはグレートとついているが、
わがほうは、古来大をつけることが多いから、
同等にみえるように、大をつけておきましょう、
というようなことはあったかもしれませんね。 おおやまと、おおやしま、というのは、
古典に出てくるんです。
たとえば、能楽だったら、「淡路」とか。
これは元が伊弉諾尊の神話ですよ。 550番台から論点がずれてるので出来れば元に戻したい 以前のレスでもいったように、浅田の「土人」は石原の「三国人」に通底してる あえていえば後者が正義心であるのに対し、前者は自己欺瞞 二人ともそれがヘイトだと思ってないのは、前者が共和制の絶対性、後者が治安維持の重要性で他のことに頭がまわらないから そのいずれかのみを擁護して他方を否定するなら、それはどう言い訳してもタダのえこひいき ≫二人ともそれがヘイトだと思ってないのは、
≫前者が共和制の絶対性、後者が治安維持の重要性で他のことに頭がまわらないから
石原は、ヘイトでないなんて思っていないでしょう。
むしろ、ヘイトをヘイトとして、一部の人たちに受けようとしてやっているのです。
ヘイトだ、と非難ところで、口では違うといっても、
本心は、それだからどうしました、といったものでしょう。
浅田の場合も、わざわざ侮蔑的な意味合いを込めて、「土人」と言うことが、
ヘイトみたいなものなのは、承知していたでしょう。
浅田は、どうじの日本の思想界のある種の流れに石を投げたようなものです。
それは、石原とは違って、お茶の間受けを狙ったのではなく、
比較的せまいところでのインパクトを狙ったのです。
柄谷・浅田は、悪い面(彼らにとって)ばかり目立ってきたポストモダニズムからモダニズムのほうに立ち戻る、
という風に方向転換していたのです。
例えば有名なところでは、天皇制は神話と歴史の見事な融合(レヴィ₌ストロース)
「表象の帝国」への賞賛(ロラン・バルト)といったようなものがあり、
その種のものがほかにもたくさんあり、
外国の有名思想家などがほめてくれるものだから、
その勢いで、天皇制と「土人文明」の美点を
ダイレクトに結び付けたがるポストモダニズム的知識人が、国内には多かったのです。
ヘルメスグループなんかは、わりとそういうものの代表でした。
近代天皇をあたかも土人の酋長と混同したかのように素朴に論じることが多かった。
その種のネタをで本を書きたい文化人類学系はそういう方にいきたがります。 ×天皇制は神話と歴史の見事な融合
〇古事記は神話と歴史の見事な融合 ≫二人ともそれがヘイトだと思ってないのは
ヘイトだと思っていないのではなく、
たとえヘイトにあたるようであっても、それを悪い事とは思っていないんでしょう。
ことに石原慎太郎のほうはそうでしょう。 >>494
講演や講義は甘い仕事じゃないだろ。
急に喋れなくなる奴もいるんだよ。 >>580
こりゃやっぱえこひいきっていうしかないな 無論TPOの問題あるけどそれはしょって概括したら、「「土人」も「三国人」も悪いが後者の方がより悪い」ってことになる もう一方で浅田がアイヌ人考古学者に関する論考ほめちぎんのは、矛盾であり偽善でしかないのだ 結局象徴天皇否定するリベラル(≒パヨク)知識人は、自分が文明人になるために「野蛮人」「賤民」を必要とするって訳だ
余談ながらヘルメスって確か山口組関包摂するインテリ集団だよね 山口ってそんなに単純な人とは思えないがーー まあ、創価の人間が批評をやるとかは、自己矛盾だ。
創価は常に他者の言論の自由を妨害してるから。 >>584
お前は創価だろ。
俺は毎日、隣の創価の奴に脅迫されてるんだが。 山口昌男「天皇制の文化人類学」(岩波書店)
【天皇制は制度・イデオロギーとしてばかりでなく,美学的・宗教的に日本人の精神構造を規定してきた.著者は権力の中心と周縁のダイナミックな関係に着目し,英国の王権研究の成果や謡曲「蝉丸」をめぐる論考を手掛かりに,天皇制を支え天皇制によって補強される美意識と,この美意識を可能にする宇宙論的モデルの解明を行う.】 山口昌男著「アフリカの神話的世界」 (岩波新書)
588と589は、分析手法がほとんど同じなのです。 ↑ だとしたら私も「天皇といわゆる未開社会の王権をダイレクトに結び付ける」一人だw 天皇と結び付いてきた神道には元々ドグマがないのは事実なのだから 私の方から見ればあなたも「土人なんかやだ」の一人ってことですね 当然三国人だけが問題になる [天皇は憲法で規定された「国家の機関」であって国体論者が神輿にのせて担ぐ「土人部落の土偶」のごときものではない、
という北一輝の言葉」(『国体論及び純正社会主義』)
浅田彰は、北一輝の側に立って、天皇を「土人部落の土偶」であるかのように論じる
一部の知識人に対して嫌味を言ったというわけだ。
しかし、それが皇居前広場で昭和天皇の回復を祈って拝跪している一般の人たちに対しては、
侮蔑的な意味をもってしまった、ということですよ。 ×侮蔑的な意味をもってしまった
〇侮蔑になってしまった 555の訂正
×国土のうちに、王権を制限するようないかなる上位の権力
〇王権を制限するようないかなる上位の権力 >>591 >>528
「あ、犬」って言って謝罪に追い込まれたお笑い芸人は、おそらくその言葉が以前にも使われてたことを全く知らなかったろう
だが「障碍者=×」「異常者=○」って言い続ける人も、土人発言しながら鎌田哲哉のアイヌ関係の論考称賛する浅田彰も、分かった上でダブルスタンダード用いてる訳だ 「あいつの方がより悪い」って理屈で 神道では天皇は現つ御神なのだから、
拝礼する人がいても、それは信仰の自由ということである。 わたしとしては、3世紀くらいからの神道(複数系統あるだろうが)は、
実体的には徴税システムだと思っていますけれどね。
そして、農業生産力が上がって、商工業に従事する人口の割合が大きくなって、
地神・氏神をつうじた収税方法が非効率的になったので、
仏教で補完したというのが、
神仏習合の政治経済的な理由だったと思います。 大分前の新聞国際面で、元々「ヒトラー」姓だったドイツ人の多くが、戦後改姓した経緯に関する記事が出てた
浅田彰の土人発言の数年前、日韓討論会で大島渚が日本の植民地支配責任追及する韓国側出席者に「そういうことは日本政府に言うべき 私は個人として発言できないなら帰る バカヤロー!」と怒鳴ってたのは有名だが、ここでいうような意味での「(近代的)個人」なんてものはおそらく大島や浅田のようなバナナリベラルや、欧米の知識の頭の中だけのイデアなのだ
日本では、凶悪犯罪者の家族は事実上犯罪者同様社会的に断罪されるが、無論これは人権侵害である だが欧米で(日本と全く同じではないにせよ)類似したケースはあるのではないか でなきゃ冒頭のごとき事実は生じないだろう 柄谷も日韓作家会議みたいのに参加したら全く同じ様な感じでぶち切れたとか言ってたなあ 「戦場のメリークリスマス」では欧米人捕虜を(集団主義的な)日本的価値観で裁こうとすることへの「理不尽」が、テーマの一つになってる だがこの「日本的価値観」ホントは何も日本に限られたものじゃないのだ でなければ、確かピーター・バラカンだったと思うが、ナチの犯罪とは何の関係もないメンゲレの息子が「メンゲレ社」って会社運営してることにケチ付けるなんて「おかしなこと」しないだろう >>603
≫「戦場のメリークリスマス」では欧米人捕虜を(集団主義的な)
≫日本的価値観で裁こうとすることへの「理不尽」さが、テーマのひとつ
それだったら、連合軍側の日本兵捕虜の扱いやらと比べないとしょうがないでしょう。
バラカンさんが、何か言ったとか言わないとか、あまり関係ないんではないの。 (笑)(観てない人もいるかもしんないのでいうと)ラストシーンに、ちょっとそこ描かれてる いちいち補う必要ないって人もいるだろうけどw 以前にも別の映画の感想レスったことあるけど、やっぱ観た上でレスって欲しい 「戦場のメリークリスマス」はもちろん見ていますよ。
バラカンさんがメンゲレ社について何か言ったということと、
どういう関係があるの。 「集団主義的な日本の価値観」というのは、
収容所長の大尉が、捕虜たちに飲食断ちの「行」を強いるところかな。
それが、バラカン氏が、メンゲレ博士の息子がメンゲレ社とういう会社をやっていることがけしからん、
といったというのと、どんな関係があるのかわからない。 推測だが、バラカン氏がメンゲレ社についていったらしいことは、
↓のようなこととは類似点がありそうだとは思うよ。
東条英機のひ孫東条英利氏談
「東京裁判に関するドキュメンタリー映画が公開され、母と見に行ったんです。そこで『あれがひいお爺ちゃまよ』と言われたのがきっかけです。
それから小学校の先生にも、くり返し『東條英機の曾孫』だと指摘された。本当かどうかはわかりませんが、『先生はお前のひい爺さんと知り合いだった。自分は特攻で飛行機に乗ったが、途中で墜落して泳いで帰ってきた』というようなことも言われましたね
「イジメや差別ということでは、祖父や父の世代はずっと過酷だったと聞きます。祖父はどこの会社にも雇ってもらえず、祖母の内職で食いつなぐしかなく、経済的にも苦しかった。父の場合は小学校の先生が担任を引き受けたがらなくて、クラスが決まらなかったそうです。一人だけ授業が受けられず、校庭の登り棒に登って2階の教室の中を眺めていたこともあったといいます。 大分前のことなので細かい描写は詳らかでないが、日本軍側が捕虜に「連帯責任」を強いるシーンに捕虜の一人が反発するシーンがなかったかと思う(だから多分上の方が言ってることだと思う(「ちゃんと観ろ」とか言っといてゴメンナサイ)
分り易くいうと鈴木という犯罪人がいたとして、その子供が「鈴木社」って会社立ち上げること自体には、理屈の上では何の問題もないが、バラカンは確か、メンゲレジュニアが「自分の姓」の会社を経営してることを非難してた もし欧米が真の意味での個人主義社会なら、親子といえども別人だろうが、実際にはそうでない部分もあるってことです 大分前のことなので細かい描写は詳らかでないが、日本軍側が捕虜に「連帯責任」を強いるシーンに捕虜の一人が反発するシーンがなかったかと思う(だから多分上の方が言ってることだと思う(「ちゃんと観ろ」とか言っといてゴメンナサイ)
分り易くいうと鈴木という犯罪人がいたとして、その子供が「鈴木社」って会社立ち上げること自体には、理屈の上では何の問題もないが、バラカンは確か、メンゲレジュニアが「自分の姓」の会社を経営してることを非難してた もし欧米が真の意味での個人主義社会なら、親子といえども別人だろうが、実際にはそうでない部分もあるってことです 「連合軍側の日本兵捕虜への扱い」(>>604)については、映画のラストで死刑判決を受けたハラ軍曹に対し、こんな判決は不当だという趣旨のこというローレンス中尉に、「メリークリスマス・ミスターローレンス」と笑顔で返すハラという、戦争映画史上屈指の名シーンがある
現実の大島渚は笑顔どころかほぼ毎回怒号だったのだけれど ハラ軍曹が「メリークリスマス」ということについては、
原作では映画と違い、ロレンス中佐は、「ヘっ?何を突然」てなもんで、
当惑するのです。
なお、わたしとしては、公開当時にみたときは、そのラストシーンに感激したが、
のちにビデオで見返したときには、くだらないと思い、
十代のころに感激したのが恥ずかしくなった。 ↑ 「くだらない」って思い直すことになったのは、原作にも目を通したからか(私は読んでない) 歳をとったせいなのか くだらないと思うようになったのは、20歳台のことだから、
歳をとった、でもよいが、大人になった、というほうが適切だろう。
原作の翻訳を読んだこととは関係ないと思う。 613の訂正
映画のローレンス中佐は、
原作では、作者のサー・ローレンス・ヤン・ヴァン・デル・ポスト本人。 (もう手遅れだけど)ローレンス中尉→ローレンス中佐 ではお休みなさい そういえばこの映画、(ウィキペディアにも出てたけど)「俺たちひょうきん族」で散々ネタにされてたなぁ すばる7月号に奥憲介の石原慎太郎論が出てた 奥によると、精神病患者の女性を集団レイプして捨て去るといった内容に代表される石原の反倫理的な小説の背後には、そうした行ないに批判的な、つまり極めて倫理的な存在としての石原が隠れており、それは石原が彼の弟との関係で育んでいったものなのだそうだ
これ、浅田が土人発言してそのままふてぶてしく居直ってる問題と、根っこは多分おんなじだろう 浅田に弟がいるかどうかは知らんが
ただ、私自身はこういう浅田の姿勢を、というよりこういう浅田の姿勢を批判しない「共和制リベラル」の姿勢を、単なる身びいきとしか考えないが かつて編集長に「差別主義者」と呼ばれ掲載を拒否された雑誌に、
死後になって石原肯定論が載るというのもなかなか皮肉で面白い。
https://www.j-cast.com/2013/12/18192103.html?p=all ホントはこの女編集長、載せたくなかったんじゃない? でもさすがに石原「論」まで拒んだら大人げないっていわれると思ったからかな
あるいは奥の石原論が、石原は実は、輪姦される被害女性の側に立ってるって指摘したからな
個人的には(それがよっぽどの極論でない限り)いかなる立場の意見であれ発表の場を奪うって時点で、もうアウトだけど モーパッサンの『ベラミ』も物語内容ゆえに否定さるべきと思う? あらすじしか知らんけど、これがダメだと「ルパン三世」(の峰不二子)もダメってことになるのかな?
大分前にもちょっとレスったけど、一時期「ちびくろサンボ」が全社絶版になり、藤子不二雄の「ジャングルくろべえ」にも飛び火したことがあったっけ 軍隊から除隊し、アフリカからパリに戻った美貌の青年デュロアは、職もなく困窮していた。再会した戦友、フォレスティエの紹介で新聞社の記者となるが、エッセイ記事が書けず、フォレスティエの妻、マドレーヌに代筆させる。
デュロアは記者の立場と美貌を武器に上流階級の夫人たちに取り入り、マドレーヌの友人であるド・マレル夫人、勤務する新聞社の社長夫人であるヴァルテール夫人を次々と愛人にして利用していく。
フォレスティエの死後、マドレーヌを妻とするが、彼女の財産を奪ったうえ、さらに上昇するために、彼女の不貞を理由に離婚する。最後は、愛人ヴァルテール夫人の娘であり、新聞社の社長令嬢であるシュザンヌと再婚する。
不道徳な物語であるこれを非常に客観的に書くわけだよ。自然主義ってやつですな。
物語内容=作者の思想かどうかは本当は原理的には分からないはず
完全なる遊戯は不道徳なこと書いてるからと単に否定すると小説の可能性の一部を抹消してしまうことになるんじゃないかなあと https://twitter.com/orionaveugle/status/1488413098541080579
石原に関しては、左翼系の批評で有名な岡和田の「カノン作家との関係史においては無視できな」いという奥歯に物の挟まったような評が印象的
それこそ大江と仲良くやってた時期さえあったわけで。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 石原に詳しくない私がいうのもなんですが、問題は、しばしば保守本流の眉をも潜ませるほどの「反動的暴言」発したことと、奥憲介のいう「輪姦される女性被害者の側に立つ」ことがどう両立してるかってことなんだよな
奥のいう「弟との関係」だけとは思えんし、都知事のときポルノ規制に乗り出したことも関わるんだろうけど、やはりそれだけとも思えん
保田與重郎が「国粋」であるのは間違いないとしても、そこだけで批判するのが無意味なことと、ほぼおんなじなのは間違いないだろうけど 某公共放送観てたら、ウクライナ関連の番宣のナレで「かつてキエフと呼ばれていたキーウ」って言い方がされてたが、厳密にはこれはおかしい (私自身も今度の侵攻まで知らなかったのだが)ウクライナ政府は独立後ずっと「ロシア語読みの「キエフ」じゃなく母国語読みにしてくれ」っていい続けてたと、確か何カ月か前の朝日に出てた
この放送局、前にも「ウクライナに勝利を!」っていってる同国民へのインタビューを「ウクライナに平和を」って訳し変えてたってネット記事で読んだが、またおんなじことしたってことだろうか
まあ、些細と言えば些細だし、行き過ぎれば言葉狩りだけど、正直こういうとこに受信料納めんのはヤダナ― では今夜はこれでお休みなさい 田中と浅田の「憂国放談」に関する5ちゃんが出来たが、110番台から事実上書き込み不可になってる きっと(私もその一人だが)リベラル否定のプーチンにも「盗人にも三分の理」的擁護するこの両人への批判レスが相次いだためだろう 第二次大戦前のヨーロッパの反戦運動がヒトラーには全く無意味だったことに、この二人はなんにも学んでいない(てか多分知っててとぼけてる) 結局、「天皇」の代わりに「憲法9条」担いでるだけ そこから先は判断停止ってことなのだ 陳述書 第1 囲い込みの始まり
投稿日: 2022年6月13日作成者: dontoverlook.harassment
http://dontoverlookharassment.tokyo/2022/06/13/1-2/ ↑ まあ気の毒とは思うものの、元男子院生としては、(大学自体がまだまだ男社会だからこそ余計感じるのだが)オス教授のオス院生へのアカハラの方が頻繁だと思ってしまう
私自身指導教官から「研究テーマを抜本的に変えないならもう面倒見ない」と突き放されたことがあるけど、この教授はもう故人なのであれこれ蒸し返すことはしない ただ現代政治史で著名な人物だったってことは補足しとく
それとついでにいっとくと、フェミゴンの副指導教官の前で「中絶を正式に女性の権利として認めるのには反対」っといって睨みつけられたことがあるが、「おなかの赤ん坊にもそれなりの権利が認められない社会からは児童虐待は亡くならない それに出生前診断による堕胎が事実上黙認されてる状況で、これ以上障碍者の権利を蔑ろにすることが男女平等だというんなら、差別主義者のレッテル貼られても個人的に決して支持できない」っていったら、それ以上はもうなんにも追及されなかった
ただ年度末の成績表でこの副教官のゼミ成績は「良」だった 他のゼミ生はみんな「優」と知り、参加者の一人に「猫被れよ」って笑われ、このときこれだからイデオロギーに凝り固まっってんのは、(それがウヨであれパヨであれ)ヤダナーと、しみじみ感じた 「凝り固まっってんのは」
小さい「つ」一つとってね 「児童虐待は亡くならない」の「亡」の字、多分ここで使うの間違ってる >>631
セクハラ被害女性が希望した作家の人気ゼミに入れなかったのは分かるとしても、第二、第三希望のゼミを女性が主張する機会は無かったのかね。
女性とゼミ教授らの面接時に威圧的で女性が不快感を覚えた渡部が女性を無理やりに自分のゼミ生にしてしまったのは、古代のアラブの女奴隷の競り市を連想せざるを得ない。これは早稲田教授による人買いに等しい。 >>635
自己レスだが、渡部はゼミ生を自分のゼミに獲得することと、性風俗店で店所属の女性達の中から好みのタイプの嬢を指名するのと
混同してる。指名権の乱用。 教師などという連中は、もとより性根が小役人のたぐいだし、
文芸評論家などというものは、もともとゴロみたいな連中のうえに、
しかもワナビーのへつらいに慣れすぎているものだから、
刑務所の看守なんかと似たような心理状態になりやすく、
その結果として、節度のない威張りん坊になってしまうことが多い。 ≫この教授はもう故人なのであれこれ蒸し返すことはしない
≫ただ現代政治史で著名な人物だった
>>632
ここまで書くのならば、その教授の名前も明らかにしたらどうですか。
そのほうが世のためです。 >>638
「現代政治史で著名」といっただけで、その筋の専門家が読めば誰のことかはほぼすぐ判りますw
私も院生受験の時自分のやりたいことは伝えていたので、あとになってから「やっぱり全面的に認められない」といわれるとは、つゆほどにも考えてませんでした
それと631番の被害院生についてだけど、正直他大学の院で村上春樹研究するってことは全く考えてなかったのかな? 大分前にも某一流国立大の政治学者がセクハラ批判されて「同意の上」って居直ってたけど(確か結局は退職)、実際637さんのいう「節度のない威張りん坊」になってしまってるって自覚は、こういうタイプの人達には全くないのだと思う 現代政治史の先生で著名な故人というだけではわからないね。 正直「死者に鞭打ち」と非難されるのは嫌です 失礼ながら、そういうことなら野次馬的好奇心だけの門外漢から、場合によっては事実無根とか吹聴される方がまだましです これ以上はご自分でお調べ下さい w 個人的には「誰か」よりも「その「名無し」が何を言い何をしたか」の方に興味がゆく 特に著作で示していることと実際の行ないやもの言いが著しく食い違ってるとき、何でそうなっちゃうのかってことが 村上春樹信者の院生の指導教官が渡部直己ってこんなミスマッチって大学院ではありふれたことなの? 他になり手がいなくて仕方なくってことならあり得ると思うが >>635さんが「奴隷の競り市」っていう所以だろう ただこの女子院生が他大学の院を射程に入れてなかった点も、ある意味準備不足なのではないか 渡部の被害者女性への暴力的な物言いが頻繁に起きていた件だが、言葉の暴力の後に、実際の物理的な性暴行に至るケースはインテリ男性のレイプ事件には非常に多いんじゃないかな。
渡部が被害者の女子院生のレイプを狙ってた可能性は大きいような。
世界的に有名な文芸評論家のイタリア人モレッティはアメリカの大学で教えてた時に、数回のレイプで問題になったが、彼は奇しくも渡部直己と同い年だが、かなりハンサムな点が渡部
と大違いwww
文芸評論は文芸に興味ある女性の抵抗を奪うのに効果的なんだよ、お立合い!
柄谷行人「同意だよ君い〜〜〜w」 >>647
失礼かもしれんが、この人ミサンドリーのラジカルフェミゴン女性ではないか
年長女性教授による男子院生へのセクハラだって(表沙汰にならないだけで)絶対ある 数は少ないかもしれんが
確かハリウッドでも、ミートゥー運動の主要メンバーだった一人が、年下男性からセクハラ告発されたって皮肉なお話があったし
実際はセクハラなのに「いい思いした」と思われんのがイヤで黙ってる男子はそれなりに存在してると思う 柄谷行人の「憲法の無意識」には、↓の要約のようなところがある。
内村鑑三が札幌農学校へ入学したとき、
先輩たちの多くはクリスチャンになてちた。
その先輩たちは、内村に対しく入信するよう迫った。
内村はそれを拒むが、けっきょく強いられるようにしてクリスチャンになる。
しかし、しばらくすると、その先輩たちは棄教してしまっていた。
内村のみがクリスチャンとして一生を歩んだ。
それはなにゆえか。内村にとってキリスト教は
「押しつけられたもの」だったからで、内村は、
自ら撰んだだものでなかったからこそ、キリスト教を信じ続けることができた。
最初に無理強い(露骨に言えばレイプ)されたからこそ、愛は末永くつづいた、
みたいな理屈である。 加藤典洋はこの理屈に反発して「原爆民主主義」っていったけど、晩年は結局リベラル解釈改憲に落ち着いてる
ただその立場から安倍の対米追従批判しても、喜ぶのはリベラルだけ いかなるレイプであれレイプはレイプ その前提に立たない自民党批判は、「オマエだってレイプ肯定じゃん」ってなるだけなのだ
そして改めて問いたいのは、年上女性による少年セクハラって、フェミゴンはどう考えてんのかってこと 少女へのレイプはセクハラでも、少年へのそれはロマンティックな「エマニュエル夫人」ってことなの? 「教える−学ぶ」という関係を、権力関係と混同してはならない。実際、われわれが命令するためには、そのことが教えられていなければならない。われわれは赤ん坊に対して支配者であるよりも、その奴隷である。つまり、「教える」立場は、ふつそう考えられているのとは逆に、けっして優位にあるのではない。むしろ、それは逆に、「学ぶ」側の合意を必要とし、その恣意に従属せざるをえない弱い立場だというべきである。 (柄谷「探求T」)
かつては合意が大事だとしていたが、いまは無理強いがよいという。
「教える−学ぶ」という関係を、権力関係と混同してはならない」
大澤真幸先生や渡部先生は恣意的で、
柄谷先生の「教え」から「学ぶ」ことをしなかったのでしょうか。 憲法(=レイプの産物)を肯定してる柄谷が、「権力関係」を批判すること自体がそもそも矛盾だ 彼には「権力関係」を根底から相対化することなんか出来ない どうも>>651は>>649と同一人物らしいけど、その点無視して渡部や大澤を非難しても仕様がないと思う
そもそもこの被害女性が、渡部のごとき「毒グモ」のいる早稲田の院に進学すべきじゃなかったのだと思う なぜ他大の院じゃだめだったのだろうか 「おまえを犯す」
そののち
「憎いはずはない」
(柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控」
なお、上記は市川雷蔵のセリフ回しを思い浮かべて読んでください)) 主演 : 市川雷蔵 「眠り狂四郎炎情剣」予告編
この55秒あたりからのセリフがいい。 あなた多分私よりずっと年配の方ですねw
どっちにせよ、もう眠狂四郎の時代じゃありません 問題なのはエマニュエル気取りのセクハラ・パワハラおばはんの場合、ほぼ全く問題にならないってこと 柄谷の「教えるー学ぶ」とか「売るー買う」は権力批判というより他者の他者性が現れる関係性を指し示すために持ち出されたものでしょ
大学院の教師と生徒なんてどう取り繕っても権力関係は消去出来ない
もちろん生徒がぶち切れてちゃぶ台返しして他者性を発揮するかもしれないけどね
俺は内容の是非はともあれ面と向かって偉そうにゴチャゴチャ言われるの大嫌いだから+頭も大したことないから大学院は無理だけど蓮實や渡部の教え子になったら最後は追いかけまわしてフルボッコにタコ殴りして新聞ネタになりそうで怖いw 柄谷行人の「教える―学ぶ」=「売るー買う」の説というのは、
権力批判どころか、当たり前ならそうなるべき権力批判
それをむりして避けていたのです。
当時の柄谷行人は、そうだったのです。
だから、【「教える−学ぶ」という関係を、権力関係と混同してはならない】
こんなことを書いていた。
ちなみに、クリプキなどは、「教えるー学ぶ」関係を成り立たせるものは、
ふつうに共同体=権力というふうにしていたと思います。 ↓のような批判は正当なものだったと思う。
志紀島啓
ある言葉がある意味を持つとか、ある商品がある値段で売れるということには、これといっ
た根拠はなく、そのような規則は事後的に見出されるにすぎない。こうした事態でのコミュ
ニケーションの危うさを「命がけの飛躍」と呼ぶ。
柄谷はデリダを批判するが、柄谷は経済モデルで考え、それに対してデリダは暴力モデルで
考えている。柄谷の批判は十分にデリダに届いていない。柄谷にとって規則の外部は「生活
様式」や「貨幣の謎」である。一方、デリダにとって規則の外部は美、転移、暴力である。
経済モデルで考えている限り、不公正な交換である搾取であっても表向きは等価交換に見
えてしまう。ここには暴力の隠蔽があるのだが、デリダは端的に暴力の探求の方へ向かうだ
ろう(中略)
コミュニケーションを可能にするために「生活様式」を同一にするのは暴力に他ならない。帝国主義的侵略によって貨幣も押し付けられるだろ
う。福田和也もまた同様の指摘を行っている。「「権力関係」が柄谷氏の批評文において問わ
れないのは、批評の不敗性を守るために他ならない」(『甘美な人生』P45)「柄谷氏は、
「偶然」と「必然」を並置してその差異を検討する事で、「力」に直面する事を避けている」
(『甘美な人生』P48)。すなわち柄谷の行う形式化とは「力の排除」である。 >>656
w「峰不二子気取り」とかだとセクハラ・パワハラの比喩じゃなくなるからね
>>651 >>658
この二つのレス、同一人物が発したのだとしたら明らかに一貫性がない 特に柄谷用いて渡部・大澤批判してるのがおかしい
大分前にもこのスレで「三国人」は差別語だが「土人」「特殊部落」「精神異常者」はそうじゃないなんてご都合トンチキな書き込みがあったけど そりゃ「冗談」が「自分の時だけ」なら、通じる訳ないじゃん この程度のたいしてひねっていない冗談ならば
ふつうに通じますよ。 だいたい、649の要約と651の引用では、柄谷行人の言っていることは全然違うでしょう。 もし>>651がホントに冗談なら、冗談と判らないような真面目な文体使うの、絶対おかしいと思う わたしは、蓮實重彦先生の影響を多大に受けているから、
そうなってしまうのです。 もう完全に天動説だな あとから「言い訳」することになるんなら、初めからアンカー付けて「断わり書き」すべき こういうやり口は、際限のない自己正当化にならうってつけだけど
もうこれ以上、この件で「上書き」続けるだけなら、以下黙殺します 元々のセクハラ・パワハラ問題とも関係なくなってるし 蓮實って自分が修論や博論出すときも、この文体だったのかな? きっと賛否真っ二つだったろうな 正当化も何もないよ。
一方的に言いがかりをつけられているだけで。 「文芸(時)評2001 ストレッチ 番外編/セメント・マッチ──「呪文」の効用」(『早稲田文学』2001年1月号、渡部直己との対談)
渡部 そこで福田さんのご意見を聞きたいんだけれど、松浦寿輝の『折口信夫論』はどう思いますか。
福田 それについていうと、蓮實スクール全般に対する軽蔑みたいなものが出てしまうんだけれど(笑)。
渡部 それはぼくも入っているわけね(笑)。
福田 いや、入れて欲しければ、入れますけど(笑)。ぼくは、松浦さんが大嘗祭の問題を表象として扱ってしまったために、シェイクができなくなってしまったと思っています。世代的な問題もあるんでしょうけれど、
ぼくには蓮實さんが導入しようとしたブロンヴェールとかのネタ本全般に対する強い反感があります。好むと好まざるとにかかわらず、ぼくも修士のときにフローベール読みだったので、蓮實さんがいかにみっともない博士論文を書いたか知っているわけですよ(笑)。
渡部 ぼくも、いくつか蓮實さんの紀要の論文に接する機会があって、その一本でたしか『サランボー』を扱ったものがリシャールそっくりに始まるものを読んだことはあるけれど。
福田 それは、いいんですよ。だけど、蓮實さんの博士論文って、マダム・ボヴァリーの精神分析ですよ。
渡部 それは読んでません。
福田 フロイト流のね。そのように大時代的な論文を書いている横で、紀要ではちゃんと「マダム・ボヴァリーの手」とか書いているんです。江藤さんにその話をしたら、感心して「蓮實君はやっぱり立派だ」とかいっていたけれど(笑)。博士論文では硬いところをやって、紀要では遊んでる。先生、逆でしょう、と(笑)。
肝心なところでは羽織袴を着てるじゃないか、というような、つまりはなにをやっても遊びでしょう、安全なんでしょうというテマティックな批評に対する反感で出てきたところがあるので、テマティシズムはけっきょくなにもしなかった気がしているんです。 福田和也「蓮實重彥 どうしてそんなにエライのか?」(『諸君!』1997年2月号)
もう少し人が悪いのもいます。こうした政治的な自覚の欠如を、「荒唐無稽」とかいってスリリングに見せる、「知の技法」で楽しい大学生活、みたいな脳たりんを使役している人です。まぁ蓮實重彥氏のことですが。
昔ヌーヴェル・クリティクの紹介をしておいて、今は旧態依然とした文壇的時評をやる、といった程度の「政治」ですけれども。要するに若手の時には横紙破り、出世したら清濁あわせ呑むという高級官僚みたいな。
元はフランス文学者でフローベールが専攻なんだけど、この分野で書いていることはものすごく地味なんだよね。昔、院生の頃友人が蓮實がフランスで提出した博士論文をコピィしてきたんで、ざっと見たことがあるんだけど、おそろしく古風なものだったと云う印象がある。
なんでそんなものを見たかというと、私も一応フランス文学徒だった時代があって、今をときめく蓮實センセイがどんな論文を書いていたのか興味があったから見せてもらったわけ。そうしたら拍子抜けというか、日本で見せている顔と全然違うなぁ、と若かりし私は思いました。
日本に帰ってきてから紀要なんかに書いたフローベールについての論文は、博士論文と打って変わった、当時流行の最先端で、今もセンセイの手法の中心になっている、リシャールとか、ルーセといった新批評(ヌーヴェル・クリティク)をそのままパクったような代物で、まぁよく勉強しましたね、という有り様のものだった。 w もう>>631以降のパワハラ問題に話戻さない? 蓮實(やその「信者」)が、言葉遣いにおいて「イジワル」ってのは良く分かったから
今日はこれでお休みなさい 蓮實がいい年になった弟子たちに何時までも現実的な影響を与え続けたというのは見てて不愉快しか感じないのが
正常だろう。
教える―学ぶという関係はヨーロッパの前キリスト教時代のエッセネなどの秘教組織では、入門レベル―自立レベ
ル手前のメンバーに限られることがはっきりしていたのではないか?
だからこそ、現代で注目されている。教える側の権力や暴力を一定に制限しなければならないというのは、世界の
教育分野の大きな問題になってる。
signifier-signifiedの関係やその暴力性は渡部直己のセクハラ事件で顕在化した。
蓮實が50才をとうに超えた映画監督らにあがめられてるのは映画業界の前近代性の表現でなくて何? 蓮實は大学院では徹底的に抑圧されたんだよ
ヌーベルクリティック風の修論書いて渡辺一夫は横向いちゃうし杉捷夫は本気で怒ってこんなんじゃこれから先面倒見られないとか言われたとか
フランス留学してもバルトーピカール論争の時期でピカール側のソルボンヌに留学しちゃって流石にここでやらかすと大学でのキャリアを完全に棒に振ると恐怖を感じたんじゃないかなあ
横に出て在野のチンピラ文芸評論家になるなんて真っ平御免だったんだろうし
渡部問題もそうだけど教育制度の中で文学とか人文科学一般は本当はいろいろ無理があるよなぁ
教師のキャラに左右されて寛容ならいいけど猫被らなきゃいかん場合もあるし >>632 >>638
大学院時代抑圧された蓮實が、今では蓮實教団の天皇になってる かつての柳田や丸山のように
先に、大学院時代に干された話ちょっと愚痴ったら、そのパワハラ指導教官の実名いえってレスが来たけど、でも現代史ではそこそこ有名だった故人を非難しても、「死者に鞭打ち」批判とか、せいぜいこの教官と対立してた他大学の教授喜ばして終わりなだけなんだろうな 正直、個人的には違憲判決が出ずホッとしてる 実際、自分自身が同性愛だという人でも、同性婚にも賛成だという人がどれだけいるだろうか 否、いるからこそ裁判になったという人もいるだろうが、その中で同性カップルが精子提供や代理母で子供をつくることに、積極的に賛成だという人がどれだけいるだろうか
男女平等における中絶の問題と基本的には同じで、子供の人権や「借り腹」をすることになる女性の人権を、根本的に否定しているのも同然なのではないか
まあ、こういうこというと「すばる」や「群像」のリベラルな論l客の一部から、ネトウヨとかいわれるかもしれないけど それを知ることは女性の本質を守ることや女性の愛を得ることに必須。 意外に低い世界と高い世界もが現れ隔離されたり近接したり。 レベルの低い同性のなばりとレベルの高い執着は関係があって後者が勝る。
仏教徒はあきらめが早いな。 新人が文学畑なのかは神のそういう世界で伺えるだろう。 若いうちにいろんなレベル特に低レベルの長さ下の乱れを知ることは、反転して身を
高雅にむすぶ。フロイトじゃだめだ。低次は解放じゃなくて切り算監視、断捨離。
世界が負担分だけ責任を背負えばいい。 >>632 >>676
子供の頃、名字の変わった同級生がいて、内心「親が離婚したんだ」って軽蔑してた
今現在、選択的夫婦別姓(ながっ)主張してる運動家の報道とか見てると、どうせなら、日本国民全員に夫婦別姓義務化した方が、「親がきちんと揃ってない子」にはまだマシなはずなのにって思って、どうしてもしまう 「どうしても」のあとに「思って」補足
<他、以下の文補足>
結局、夫婦別姓も中絶の権利や同性婚と同じで、「平等」をオトナ目線でしか考えてないのだろう 「はずなのに」の直後の「思って」は要らなかった(汗) 大塚英志は大学院に進学したかったが君の発想はジャーナリスティック過ぎて学者に向かないと引導を渡され渡部直己は博士課程進学に失格し福田和也は院出た後家業を手伝ったりプー太郎やりながら奇妙な廃墟を書き続けた
蓮實に限らずみんな苦労してるんだよな 大塚氏のことはしらないが、
ほかの二人は、蓮實重彦とおなじくぼっちゃんだから、
世間並みの苦労をしている、とはいえない。 >>686 >>632
この引導渡した人、実は私もゼミ生だったことある ジャーナリスティック云々ってのは私も言われたw この教授、都市民俗学の代表的存在で、ゴジラを江戸の妖怪と比較した本出してたんで、この人のゼミで「被爆者としてのゴジラ」論じたレポート発表して一応ソコソコうけたんだけど、「言いにくいけどこれじゃ民俗学の徒にはなれない」って通告されたんだよね
仕様なく(まあ元々そんなに嫌いじゃなかった)現代政治史に鞍替えし、「(ゴジラじゃなく)平和運動に参加しない被爆者達」ってテーマで改めて色々調べ直したんだけど、始めの内は了解だったにも拘わらず、またもや指導教授にちゃぶ台ひっくり返されたんだっけ 結局「被爆者」「障碍者」「部落」の類いってまだまだアレなんだよね 院生の皆さん、教授に嫌われてアカハラされたくなければ、テーマは慎重に考えましょうねw 江藤淳は慶応で西脇順三郎に徹底的に嫌われたんでしょ
柄谷行人は大橋健三郎が寛容な人で好き勝手やって修論はローレンス・ダレルw
英文学者になる気もなく日本医科大の英語教師になった
浅田彰は如才なくやったんだろうなあw もう多分上映終了してると思うけど、先日ドレフュス事件扱った「オフィサー・アンド・スパイ」観て来た
ちょっと驚いたのは、この事件が単なる一ユダヤ人軍人の処遇をめぐる問題ではなく、映画の中でユダヤ人街(?)の家に六芒星描いて暴れまわるナショナリストの暴徒達が出て来るとこ こういう激しいタイプの反ユダヤ主義は、中世の魔女狩りからあと、ナチまで存在しないもんだとばかり思ってたが、そうでもないらしい
大分前、ドイツで保守系の政治家が「ユダヤ人迫害は昔からあった」って趣旨の発言してかなり問題になったことがあったけど、その発言の文脈がどうだったかを捨象して考えるなら、この政治家の言ってたこと、確かに事実なのだ
話は代わるけど、この映画、フランス公開の際セザール賞とかいうもの受賞したらしいが、監督のロマン・ポランスキーによるセクハラ(疑惑)に抗議して、授賞式を欠席した女優がいたそうだ まあ何とも皮肉な話ではある
夜尿で目覚めたついでにレスったけど(笑) 今夜はこれでお休みなさい 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ
@tonton1965
·
Jun 20
西村賢太をしのぶ会の案内が先月あたり来ていたのだが、発起人に島田雅彦がいたし会費が一万円もしたし賢太とは会ったことがないので欠席ハガキを出しておいた
小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ
@tonton1965
·
Jun 20
年収200万円で会費一万円の西村賢太をしのぶ会には行けないだろう 島田雅彦が仕切る「西村賢太をしのぶ会」の会費が1万円というのは、多少の違和感を覚えて
しかるべきなのかもw
島田「西村は俺が育てた」とか、ないかw 小谷野はあれだけ本を書いてて年収200万円なのか。
長年に渡って多数の本を書いてれば、そこそこ固定読者が増えて来るもののような気がするが、
そうじゃないんだな。 「禁煙ファシズム」なんて文句垂れてタバコふかす時代遅れの輩はホント迷惑だ いわゆる「愛煙家」だった父は、結局肺気胸で長期入院し家族(特に母)に多大の迷惑かけてる いまだ「喫煙の自由」なんぞにしがみついてる輩は、文字通り「非モテ」人生歩んで欲しい 間違って結婚したり、子供ができちゃったりしても、赤ん坊の前にそのやに臭い顔絶対に近づけないでもらいたい お早うございます あーアツい
ネット検索してたらまたイヤなもの見つけてしまった
かつて訪れた第五福竜丸展示館のおエライさんの一人が、大学院時代に私を干した故人の指導教官の、東大時代での同窓生だったらしいのだ
被爆者問題で博論まとめることを認めなかったあの指導教官の同窓が、なして福竜丸と関わってんのかと思ったが、どうやらこの人元日弁連関係の弁護士で、靖国訴訟やら日の丸・君が代訴訟やらに関わってたらしい
(前にも少し書き込んだけど)指導教官が私の論文見て激怒したのは、被爆者の中で反戦運動やってるのはごく一握りであって、ほとんどの被爆者はイデオロギーに乗っ取られたその類いの「政治」には関わってないってことを問題にしたためだった
この元弁護士、おそらく私の元指導教授同様、丸山眞男の著作や「ヒロシマ・ノート」の類いを熱心に読んだんだろうね ただ「この子を残して」とかは絶対読まなかっただろうなw 民俗学や現代政治史やってた人がなぜに文芸批評?
好きな文芸評論家は江藤淳や福田和也? 逆に言えばなぜ文学を歴史や民俗から分ける必要があるの? (私は彼のサブカル小説よりは安彦義和の方が好きだけど)民俗学者なり損ねの大塚英志が作家になっちゃいけないわけ? どっちにせよ丸山と大江出したら江藤と福田の名上げるなんて、典型的な政治主義だなw 好きな文芸評論家や小説家や詩人は国内外問わず誰なんですか? 「好き」と「嫌い」兼ねてる人なら僅かながらいるし、このスレでも以前少し書き込んだ ただ純文学だけじゃなくルポルタージュやサブカルの場合にも基本そうだけど
ただそもそも何でこんな○×式の質問するのかが、正直よく分からない
あなたが江藤や福田を単純に「好き(嫌い)」なだけなら、答えても意味ないし……
パワハラ、セクハラの話題はこのくらいにして、
せっかく民俗学を勉強した人がいるのだから、
つぎの御題は「山人と遊動について」でどうでしょう。 柳田国男
「(神道の普遍化は)先祖信仰によって、しかも固有形態に遡行することで可能となる」
折口信夫
「神道の普遍化は先祖信仰を否定することで可能となる」
折口のいう「否定」が、弁証法的な意味の否定(→止揚)ならば、
まあ、その通りだろうと思う。 柄谷行人
「狩猟採集遊動民の場合、獲得したものを共同寄託する(平等に分配する)システムがあります。
これは彼らが遊動的であるから、自然におこなわれるのです。遊動的生活では、蓄積することができない。
だから、みんなで消費する。ゆえに、富の格差は生じない。」
(『「世界史の構造」を読む』 第U部 遊動の自由が平等をもたらす(大澤真幸・苅部直・島田裕巳・高澤秀次・柄谷行人) (インスクリプト、二〇一一年)) 「たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。
しかし、人間の性格の個人差を作る、愛と憎しみ、権力に対する欲望と服従へのあこがれ、官能的な喜びの享楽とその恐怖、
といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。
人間の最も美しい傾向は、最も醜い傾向と同じように、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を作り出す社会過程の産物である。」
(フロム 「自由からの逃走」)) >>649
の要約にあるように「憲法の無意識」で柄谷行人は、
いわば「欲動の断念」には最初に外的な力による強制が不可欠だ、
というようなことを述べていた。
しかし、遊動状態から定住状態への移行の際には、
どういう外的な強制があったのか、なにも述べていない。
人間は、遊動の自由がいやで逃げた、「自由からの逃走」だった、
と考えれば、
「神霊に強いられた」とか「宇宙人に強制された」とかというようなとっぴなことを言わなくとも、
とりあえず、その空白は埋まるのではないか。 文芸ーーとはいってもこの場合、エンタメやサブカルーーの中で、「山人」とは要するに大和国国家以前の「縄文人の直系の末裔としての先住民」だった
最も有名なのは宮ア駿の「もののけ姫」に登場する主人公のアシタカだが、他には笠井潔のコムレびとや、さらに古くは子供向け番組「アイアンキング」の不知火一族などがある
いずれも、学生運動崩れだった作り手達が、現実のアイヌや被差別部落といった存在に対し、おそらくかつて行なったように「反体制の広告塔」としての役割を当てがったものだ
現実の「広告塔」はしばしばこうしたパヨクの観念性に対しあからさまに反発することになるが、フィクションの世界なら宮崎も笠井も彼らを思うままに「動員」出来る、ということなのである
「もののけ姫」を礼賛した網野善彦は、かつて「柳田は山人から逃げた」といったが、その言葉の内にマルクス主義者としての彼の、ある種の無自覚的な思い上がりのあったことは、如何ともし難い
そしてこのことはパワハラ・セクハラで騒ぎ立てるフェミゴンにも全く共通している
彼女らにとって、加害者は常に男であり、「被害者としての少年」などというものは、広告塔として無意味なのである ピエール・クラストル「暴力の考古学―未開社会における戦争」
いうまでもなく、ドゥルーズ=ガタリの「千のプラトー」の戦争機械というアイデアのネタ本だ。
この本によれば、「未開社会」には、搾取はなく、経済的な不平等もないそうだ。
しかし他方で、戦争は、その社会の根本的なあり方と不可分なもので、
戦争こそが、そうした社会を維持し再生産する機能を担っている、
ということだった。
たしかに、共産党的マルクス主義の言う「原始共産制社会」にあたる狩猟採集時代とされる「原始社会」の時代には、
人類は戦争ばかりしていた、
というのは、現段階では考古学的に実証されているということらしい。 モーガン→エンゲルスの説だと、
「乱婚(無規律性交)→血族婚→プナルア婚→集団婚→対偶婚→父系制単婚」
性についてはこうで、
暴力については、「万人の万人に対する闘争」が大元みたいな話なのだが、
「もののけ姫」などは、当然そういうことには触れないわけでしょう。
柄谷行人くらいいい加減ならば、「原遊動」とかといいながら、
上で書いたようなおぞましさがあったのではという疑念を無視できるだろうが、
柳田国男のほうは昔の知識人なので今の知識人よりは真面目だろうから、
そこまでテキトーなことはできなそうだから、
あえて、山人論の「遊動」を掘り下げて「原遊動」の素顔のようなものが出てくるのを避けた、
ということが、もしかしてあるのではないか。 現代でも遊動化が起きてるだろ。
若い女のパパ活の流行がそれだ。
売春の流行は女のノマド化なんだよ。
中世から近世の熊野比丘尼が売春しながら日本全国を売春してたように、コロナの頃の人気デリヘル嬢は全国に出張したり、移住を繰り返していた。
茨城の別荘で起きた女性遺体遺棄事件にも、売春の移動性が伺える。 柳田を批判した網野は、山人に天皇への「まつろわぬ民」としての役割を「押し付けたかった」に違いない
事実、中世史家たる彼は、平将門や源頼朝に、西国の朝廷に対する東国国家独立の契機をみてとっている だがそれは(もうすぐ大河ドラマで描かれるけど)、頼朝が奥州藤原氏に対する侵略者だったことの「隠蔽」の内にしか成り立たない
マルクス主義者最大の罪は、それがファシズムと同様、安直な「友・敵」二元論(カール・シュミット)を忍びこませるせることなのだ 反戦運動や女性運動のように 網野は、「まつろわぬ民」についての俗説の多くを否定していた。
たとえば、「道々のもの」にしても、職能の諸道の者という仏教的な意味で、
平安時代から職制の化内ものので、(意外や)官位を授かっている者も多かった、というように、
「実像」は、歴史・時代小説や漫画などにでてくるような「化外」のものではない、
というふうに述べていた。
「網野史学」はそれほど単純ではない。 網野はマルクス主義者といっても、日本共産党からはみ出した徳田分派のほうだ。 そもそも「網野史学」なんてものはない 本人が口を酸っぱくして言ってたんだから(そしてその一方、マルクス自身の言葉無視して、自分はマルキストと言い張り続けた)
網野最大の矛盾は、要するに「無縁(=中世的「自由」)」が、特に被差別民にとってのそれが、究極的に天皇の権威による保証だったって事実について、きちんと答えられなかったこと だから歴史的事実として天皇に繋がってる者の中に「反体制の英雄」の広告塔を見てとってしまうのだ(正確には、そこで自家撞着に陥ってしまうのである)
社会的に疎外されてる人々が、そうであればこそ秩序の中心に媚びへつらおうとする その屈折した悲しい心理は、結局フェミゴンや平和ボケ運動家といったリベラル・パヨクには、本当には分からないのだ
網野史学とは書いていないでしょう。
カッコをつけて「網野史学」と書いたので。
こういう場合のカッコは、いわゆる、とか、世にいう、とか
そういうことでしょう。 「化内」、官位を授かっている、というのは、
天皇につながっている、ということだろう。
だから、聖と賤、中心と周縁、その構造論の一種であるかのようにいわれるわけだ。
網野がヘルメスグループなどと仲良しだったのは、そのためだ。 >>710
柄谷によると、ドゥルーズ₌ガタリの「ノマド」と
自分の「遊動」は違うのだそうだ。
「ノマド」というのは、いつごろからかIT業界のグローバルエリートみたいなイメージになってしまったから、
(そういう格好よさげなのが、いまどきの日本の現代思想家は好きで、自己陶酔的に自分らも「ノマド」なんだー、とか言いそうだし))
左翼的言説としては、プロレタリアートの「遊動」というふうにイメージチェンジしないといけない、
ということはあるのだろう。 >>580の話繰り返したいだけなら、正直私にはもう関係ないです ≫売春の流行は女のノマド化
これは歴史的に本質的な問題だろう。
なお、互酬交換にしても最重要なのは女の交換だ。
しかし、こういうことは今の風潮のなかでは、
言いにくくなっているだろう。 >>717
大工や鍛冶屋は渡り職人という言葉があったが、
中世や近世のヨーロッパもmasterマスター親方に
なるまでは他国で修行をするのが普通だったのでは?
「包丁一本晒に巻いて」じゃないが、職人は腕さえあれば、
どこでも生活できると思ってたのは日本もヨーロッパも同じでは?
江戸時代の遊動民として、西の長州大工は周防大島で東の北前船の
造船所が佐渡島にあったように、島そのものが山であり、山の勾配が
住民を外部へ押し出すエネルギーになってたのでは?
同じではないか?それだけ彼等はより普遍的な技術を求めていた。
渋沢ー網野的に兄弟子の宮本常一の長州大工の移動性も有名だが、
何よりも、江戸時代の国内貿易の主力を担っていた商用和船の大部
分は >>720
むかしのそういう鍛冶屋や大工のような「職人」というのは、
いまならば高度な技能を有するエリートの「ノマド」にあたるでしょう。
それは、現代の単純労務者のようなものではなく、IT業界の技術者などに近い。
あるいは、「包丁一本…」の板前のほうは、ミシュランなどから星をもらうような腕利きのシェフでしょう。
そいう連中は、映画の「ノマドランド」に出てくるようなものとは違うのではないか。 なんだかんだいって網野は東大卒で地主の出自でマルキスト だから「アジア的」って差別語平気で使う(厳密には、一方ではそれに疑問投げかけるけど、マルクスにしがみついてるから、自分自身の肌の色棚に上げてこの言い方に固執する)
やはり自称マルキストでもあった浅田彰が土人発言したーー正確にはその発言の一方で鎌田哲哉のアイヌ人言語学者(大分前「考古学者」って言っちゃったけど、遅まきながら訂正)の論考礼賛したーーとき、私は心底マルキスト(というより共和主義リベラル全体)がイヤになったw
確か吉本隆明も「アフリカ的」「アジア的」って頻発してたけど、これには彼の弟子筋だった古橋信孝もさすがに批判してる
結局、(象徴)天皇制度批判するパヨク(=近代主義者)は、「白人メガネ」って意味でのヘイトスピーカーなのだ >>721
>>そいう連中は、映画の「ノマドランド」に出てくるようなものとは違うのではないか。
海のノマドがインドネシアの島々の潜水漁の漁民で陸のノマドがインドの急勾配地の焼畑民を連想すれば、そうなるでしょうね。焼畑に対しては世界的な対立的見方が共存してますから。
最初にノマドに共感した表現の最初はローマの政治家タキトゥスの著作でのゲルマン人の焼畑に触れた部分ではは? 柄谷行人は、焼き畑をするような狩猟採集民は、本来の「遊動民」でなくほぼ定住民だとしている。
それで、「原遊動」という近代の人類学等の知見では
あったともなかったともいえないような、いわばSF的な人類史の「段階」を提示している。 【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】西谷修氏(哲学者・東京外国語大学名誉教授)【 #参院選2022 】
https://youtube.com/watch?v=Yx-L942mgNc
【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】島田雅彦氏(小説家)【 #参院選2022 】
https://youtube.com/watch?v=fzPWx9XQl7c
【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】白井聡氏(京都精華大学 人文学部 専任講師)【 #参院選2022 】
https://youtube.com/watch?v=iqutkWkkKuo
【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授・思想家)【 #参院選2022 】
https://youtube.com/watch?v=E0yUr8EiEqQ
【山本太郎・れいわへの応援メッセージ!】中島岳志氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)【 #参院選2022 】
https://youtube.com/watch?v=9DWkgF8dFWY 「遊動」は柄谷の専売特許ではないが、「遊」の意味からして、直線的ではない部分を含む移動で、さらに出発点に戻る円環性もあるのだろうか。それでいて、ゲルマン人の焼畑より相当に大規模な移動と言えば、ちょっと分からないwww
だが、移動→移民→定住でいえば、ギリシャ人のイラン、アフガニスタン、インドへの移住やフェニキア人、スキタイ人やその周辺の民族の移動は大規模だが、戦争絡みで遊という表現は相応しくない。 柄谷先生によると、↓のようなことなのだそうだ。
いつもながら、テキトーなかんじである。
「定住がもたらす社会の葛藤―遊動論、柳田国男、山人」
柄谷行人
「柳田は山の民を調べましたが、「山人」は「山地民」ではなかった。山人は定住以前の狩猟採集遊動民ですが、山地民は定住後の狩猟焼畑(やきはた)農民です。僕はこれまで、『世界史の構造』などで現代の国家と資本を超える理論を研究してきました。一番最初の未開社会の構造を「原遊動性」と呼んでいますが、柳田の「山人」はヒントになりました。柳田の「山人」とは「原遊動民」なんだと。
忘れられた原遊動民の平等な社会
ノマドとも呼ばれる遊動民には遊牧民や山地民が含まれますが、彼らは原遊動民とは違います。彼らはしばしば定住社会に侵入し、国家を作りました。80年代のバブル時代にも「ノマドロジー」という思想が流行しましたが、結局、国家や資本を補完し、グローバリズムを拡大しました。これでは国家や資本を超えられない。
国家という枠組みができると、必ず戦争などの葛藤を生みます。現代社会は資本と国家が密接に絡み、経済格差や差別を生み、権力や富の不平等が当たり前になる。それを克服するには、定住以前の社会の形、国家ができる以前の状態を考える必要があります。」 次の選挙、私は絶対にれいわに入れないつもりだ
第一に、足尾鉱毒の時と違って普通選挙が実現してる現在、上皇さん(事件当時は天皇さん)に直訴状持ってくような「前近代主義者」には入れたくないから
第二に、れいわの脱原発の主張は「反原発で猿の惑星」っていった「近代主義者」吉本隆明と何ら変わらないから
山本太郎が真面目な人なのは間違いない が、善意はときとして暴力にもなり得る 批評家も学者も、往々にしてその点を理解しない(ここでの動画の人達のように) ピエール・クラストルによれば、
ある種の未開社会は、戦争をすることで権力を分散し、
強権的な国家が誕生することを回避しているということだ。
そうした「戦争機械」としての社会は、(社会構成体の)国家化にたいし抵抗するものなのだそうだ。
「国家という枠組みができると、必ず戦争などの葛藤を生みます」
柄谷行人の上のような考え方と、クラストルの考え方は逆です。 かつて笠井潔も佐々木守も、縄文時代に「非戦」と「平等」のユートピアを見た
しかしコムレびとが天皇族から日本列島を奪還しようとする善玉として描かれるのに対し、不知火一族が悪役として描かれアイアンキングに退治されてゆくのは、後者が子供番組の体裁をとっているだけに余計アイロニカルだ
いずれにせよ縄文時代はもはや、ユートピアではなくなってしまった それは日本の歴史学・考古学による洞察が、そうした「いにしえの理想化」が幻想でしかないことを証明しつつある(してしまった)からなのだ 少なくとも「平等」についてはもう否定されてしまった
あとに残るは「非戦」だが、当時の人骨からい「諍い」のあったことはほぼ間違いない ただそれが「喧嘩」なのか「戦争」なのかーー >>728
僭越ながら、どこに入れるのか気になる(笑)
今度の参院、かつての大政党だった社民党などいま、危ないようだが。 絓秀実みたいに現行のリベラル左翼、反スタ新左翼嫌い過ぎて保守派と仲良くしたり冗談みたいなボルシェヴィズムだスターリン主義だとかw
相変わらずどこにも行き場がないのが21世紀なんかな 古代や中世に天皇制にまつろわぬ民を見出してどーたらこーたらの意味が全く分からんな
今だって農民の代わりの社畜じゃなく資本主義内の「遊動」的な人らはいるだろうけど天皇制はそんなもんでビクともしない >>733
社民党にも絶対入れないつもり
少し古くなるが、「テレビタックル」で福島瑞穂が出てた際、拉致被害者家族の一人が「社民党は北朝鮮の政党」と非難するインタビューが流されたとき、全く釈明出来ずただオロオロしてるの見て、心底呆れた
れいわよりずっとひどい
>>734 >>735
本当の差別者は、広島・長崎や水俣や福島の人々安易に「広告塔」にしようとしたパヨク連中 常識で考えればそんな「古傷に塩」なマネ簡単には出来ない 自己批判した上での天皇制度批判ならまだしも、結局いっつも「他者批判」だけに留まってる「卑怯者」
それならなんにもしない方がまだマシだ
被害者が反対運動なり抗議なりやりたいならやれ
被害にあったわけでもない左翼振った奴らが勝手に被害者の想いを代行したり協力したり余計なことはするなってこと?
代理=代行批判は現代思想のイロハだしまあいいけど
選挙はフィクションとはいえ代行者を選ぶわけだけど昔の自民党なら露骨に利権政治で各団体の利益を守ってくれる人を選んだわけだけど今の自民党の人気はイマイチよく分かんないね
リベラル嫌いの無党派は自民党にとっては有難い存在なのは分かるけど 北田暁大なんかはリベラル最大の党の民主党が経済政策的には英米保守の緊縮派に傾いてることに苛立ってたけど山本太郎は北田と松尾とブレイディみかこの本とかいろいろ読んだんじゃなかろうか >>737
w 大学時代(院の前の学部時代)のゼミ合宿での飲み会で、かなりお年の指導教官の前でおんなじこと言ったら、普段は比較的温厚なこの人「俺の知ってる被爆者は平和運動に関わってるぞ! コノヤロー!!」ってなって、飲み干した缶ビール投げつけられたっけ
あとでこの人、この教官の指導教官で、進歩的文化人として有名な人だと判って、思わず吹いてしまった 「人類初の戦争とは?」
高橋龍三郎
「現在のところ歴史上で最も古い戦争の跡とされているのが、スーダンのヌビア砂漠にある「ジャバル= サハバ117 遺跡」です。ここから見つかった約1 万5,000 年前の旧石器人骨は武器で殺傷されたもので、しかもその数はおびただしいものでした。穀物の生産も家畜の飼育もまだ始まっていない旧石器時代に戦争の可能性が示されたことは、余剰生産物がもたらす富の偏在と分配を戦争の原因と考える従来の戦争史観に対する大きな反証でした。
日本では、戦争の起源をめぐって縄文時代か弥生時代かで学者の間で意見が割れておりますが、弥生時代に戦争をしていたことはほぼ間違いないといえます。その最たる証拠が殺傷人骨と高地性集落跡の存在です。弥生人は小高い山の上にムラを築くことで、敵の来襲を防いだのではないでしょうか。また、縄文時代に比べて殺傷能力の高い大型の石鏃(せきぞく、石製のやじり)や金属製武器が多く出土していることも、弥生時代の戦争を証拠立てるものです。
そもそも、武器が武器として最初から存在したとは考えにくく、縄文時代に使われた狩猟のための弓矢や槍(やり)が戦闘に転用されたとみる方が自然でしょう。実際、縄文時代の「高根木戸遺跡」(千葉県・船橋市)からは腕に突き刺さった石鏃(せきぞく)が致命傷になったと考えられる人骨が出土するなど、戦闘の証拠となる事例が複数知られています。戦闘の連続性・継続性があるか疑問が残りますが、狩猟採集社会でも戦争があったことは疑いないと思います。しかし、それは政治経済的な角逐が原因だったのでしょうか」 ↑ 「縄文平等ユートピア」はもうダメだけど、「非戦ユートピア」に関しては、まだまだ分からないってことなんですね 冷静に考えれば、「非戦ユートピア」も怪しいと思いますよ。
旧石器時代(しかし、これも確実ではないという学説があるようだ)の戦争の痕跡のあるスーダンの遺跡の例があるので、
(土器がまだ作られていない)中石器時代すらほぼ駄目のようだから、
土器を使用していた半定住の縄文時代の非戦₌平和のイメージは風前の灯火でしょう。
だから、柄谷行人は、「原遊動」というSF的な「段階」を持ち出したのでしょう。 事故の被害者でも活動やってる人もいれば何もやってない人もいるなんて当たり前じゃない?
部外者が協力してもいいしぶっちゃけしなくてもいい
何もやってない被害者もいるって言われて怒るのもよく分かんないけど
無垢で気の毒な被害者みたいな表象は嘘くさいし直接会えば結局大衆だしウンザリするようなこと言うだろうなとか左翼活動家もウザいだろうなと思ってそんなん関わる気はゼロだけどw 708の訂正
「狩猟採集時代とされる「原始社会」の時代には、
人類は戦争ばかりしていた、
というのは、現段階では考古学的に実証されているということらしい」
↑は極端な学説を鵜呑みにしていたことによる間違いであった。
狩猟採集時代に戦争をしていたという証拠は、ほとんど見つかっていない、
というのが多数派の認識らしい。 「旧石器人の「謎の穴」から見えるのは?
サイカル」
日本では、三万年前の旧石器時代(先土器時代)に、大規模な集落があったようだ。 やれとは言わないし言えないけど黙って運命に処した大衆という小林秀雄的な美も大嫌いだけどね
文句タラタラで何かあればすぐ動く大衆のほうが望ましいと思うが最近の日本は全然給与が上がらない問題をマスコミが言うけど今回も日本国民は美しく黙って処すんだよな
戦時中浅草の軽演劇場に入り浸ってた荷風は唯唯諾々と運命を甘受する劇団関係者に煮えたぎる怒りも感じたみたいだけど日本人はいつまでも待機するだけなんだ wiki
「ナイフ型石器期の旧石器時代は縄文時代早期の10倍の長さ継続していることから、小川修三(1989年)はナイフ型石器期の旧石器時代の人口を2600人(2000〜3000人)と推定した。」
日本全土で人口が2000〜3000人ということだそうだから、
それでは、戦争をしようにも相手がいなくてできないだろう。
先土器時代の日本人が「山人=原遊動民」であったとして、
それが戦争をしなかった、というのは
おもえば当たり前のことではないのか。
それでも敵味方合わせて十人くらいでの戦闘は、おそらくあっただろうし、
殺された者もきっといるだろう。 >>745 >>748
基本そういうことなんだと思う
「給与が上がらない問題」も、特効薬がない以上(ことにコロナがそれに関わってる以上)「待機する」ってか「諦める」しかやり様ないってことだと思う
リベラル・パヨクは「皆さん、もっと怒りましょう」っていうんだろうけどw 小池ゆり子が初めて立候補した時、私は彼女に投票した
ただ、彼女が休業要請(あくまでもこれ「要請」だったよね)に応じないお店屋さん名指しして、その後自粛警察騒ぎが起こってからはもう入れてない
政治家がリンチ焚きつけてどう済んだってのが、私のせめてもの「怒り」だけど、「じゃあ他に誰かいるの?」ってのが、都民の大多数の意見だろうし、実際、私もそれに正面から反論することは出来ないw 今更だけど最後の「w」 やっぱ「(溜め息)」に変える 大分前にもちょっとレスったけど、改めて(しつこく)風評問題について触れときたい
745氏は多分考えてないのだろうけど、活動に関わらない被害者にとって最大の「敵」は、実際に差別する連中なんかじゃなく、「もう広島には草はえない」だの「福島の食品は一切合切食べれない」っていうアホパヨクに「協力」する同じ被害者達だ
だから実際に活動してる人(拒んでる人)から見れば、「どっちでもいい」ってのは、よくよく考えりゃ無責任の極みってことにならざるを得ない(この点反省せねば)
福島の非政治的被害者にとって一番腹立たしいヘイトーー正確にはヘイトの自覚のないヘイトーーは、いうまでもなく雁屋哲の「美味しんぼ」だが、広島での沈黙者にとってのそれは、大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」での、あの末尾の部分に他なるまい(この点をおそらく最初に指摘したのが、原発推進派の吉本隆明だって事実は、何とも皮肉なことだ) 「広島には草はえない」は敗戦直後の風評でした
マジヤバものなので、しつこいと思いつつあえて訂正レス出しました 一言、戦えばいい怒るだけじゃ何の意味もない
戦う気ないんなら風評被害だろうが給料上がらなくても何だろうが日本人らしく運命として黙って処してればいいじゃないか
と言いつつ左翼として横から格好いいこと言ってるだけならともかく日本的風土の中で消耗するだけで徒労に終わる可能性大なんだけどね
結局日本だとアホと運命共同体になるくらいなら自分だけは何とか生き延びる逃走としてのミーイズムくらいしかお薦め出来ないかなぁw 夜尿ついでにスレ見たら「戦えば」なんて抽象的な言葉がw……(溜め息) 歴史オンチの私でも、連合赤軍が元々反スターリンだったってことぐらい知ってる
それが「日本人らしさ」と関係するなんてのはそれこそ「自虐趣味」でしかないが、「何もしない=迷惑にならない」ならそれが一番いい
問題なのは、「黙って耐えてる人」の中から、ネットでのヘイト(これはウヨだけに限らない)やら自粛警察みたいなリンチ集団が出て来ること ああ困ったw 事変の性質の未開の複雑さ、その進行の意外さは萬人の見るところだ。そしてこれに処した政府の方針や声明の曖昧さを、知識人面した多くの人々が責めた。無論自分達に事変の見透しや実情に即した見解があつたわけではない。
今から思へば、たゞ批評みたいな事を喋りたかつたに過ぎぬ。それにも拘らず、事変はいよいよ拡大し、国民の一致団結は少しも乱れない。この団結を支へてゐるのは一体どの様な智慧なのか。
それは日本民族の血の無意識な団結といふ様な単純なものではない。長い而もまことに複雑な単純な伝統を爛熟させて来て、これを明治以後の急激な西洋文化の影響の下に鍛錬したところの一種異様な聡明さなのだ、智慧なのだ。
この智慧は、今行ふばかりで語つてゐない。思想家は一人も未だこの智慧について正確には語つてゐない。僕にはさういふ気がしてならぬ。この事変に日本国民は黙つて処したのである。これが今度の事変の最大特徴だ。
事変とともに輩出したデマゴオグ達は、自分達の指導原理が成功した様な錯覺を持つてゐるだらうが、それはあらゆる場合にデマゴオグには必至の錯覚に過ぎぬ。(小林秀雄「満州の印象」) 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。
必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。
僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。──「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」 >>755 (757・758)
正直に告ると、個人的に小林よりは保田・橋川の方読んでた だからかもしれんが、「一種異様な聡明さ」なんていうと、日本人も随分過大評価されてると思う 進歩派の自虐趣味への単なる皮肉じゃないのって言ったら、口が過ぎるだろうか
(今までも言われてきたことだけど)要は単に同調圧力が強いだけで、それはトップに立ってるはずの天皇ですら呪縛してたってだけのことでしかないんじゃないの?
「戦う」って言い方聞くと、正直私より一回りか二回り上の、学生運動崩れじゃないのってどうしても勘ぐってしまうw
例えば福島の非政治的な被災者ってどの立場採ることになるのか どう考えても推進派・廃止派のどっちにもならない、単なる塵芥でしかないってのが現実だ
アメリカで、中絶の権利は一律合憲ってのが覆ったけど、大喜びの保守派の内、一体どれだけ障碍胎児の出生前検査のこと理解してる人がいる? それは被害者ヅラするリベラル女達も同じこと
本当に大事なのは「戦う」なんてばかげたこと言う前に、まずきちんと仕分けして考えること、これに尽きる 昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、
方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。
たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕ちんの命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ!
我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。
忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨みじめとも又なさけない歴史的大欺瞞ぎまんではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。
最も天皇を冒涜する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎なれており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。
何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑つかれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。
人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度ごはっとだの、
義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。 日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。
天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう。
私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪ちんりんしているのであって、我々はかかる封建遺性のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。
我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。
先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕おちよ。復員軍人は闇屋となれ。堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。
表面の綺麗きれいごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。
道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。(坂口安吾「続堕落論」 安吾にも詳しくはないが、それでも「堕落論」は読んだ
で、これが私の提示した疑問とどう関係するの? 天皇批判してた連中、しばしば自身が「小天皇」になってったし、中絶の権利唱える(=「障碍者は生まれる前に「殺処分」してやる方が、彼ら彼女らにとって幸せだ」って思ってる)フェミゴンパヨクの欺瞞、口開いて批判したら、そのままトランプ主義者にされるw 平和裏の策略に弱いのは日本の弱点。
戦争の師範であるべき。 病院にはチャンスがあれば入院しなさい。若い人は特に。そこから解ける。 師範に死はつきもの。魂は腐っていない。しかし敷居をあげよ。 アメリカ白人には礼をもって。黒人コミュニティーを以前より狙えばいい。 アメリカには厳密に敗戦はない。無傷だが欧州に平和憲法をかがされてる。
憲法を汚された。ドイツ物理がきな臭い。
インドが気付いてる。 そういう意味で今はまだ弱体化して発揮できていない。 原爆から何かがおかしい。原爆に無条件降伏などいらぬ。
持つもの使うものが報復されレベルが下がっていると。 覗き集り粘り威嚇またぎ低劣な高貴で自我を休ませてくる低レベル層を世界から排除。 活気を敵に持たせて、自我の曇りをなくせ。それが叶うのが好敵手。 >>632 (759・762) お早うございます(眠)
ヨーロッパ中世史の阿部勤也によれば、当時の社会で五体不具の赤ん坊が生まれると、「悪魔にすり替えられた子」として「処分」されるのが認められてたそうである
サブカル映画評論家でリベラルな論客としても知らtれる町山智浩は、「中世では、貧しい家庭に書かん坊ができたとき、直接手を下せば殺人だが森への置き去りならよしとされた」って言ってる
今日では無論、悪魔の子って理屈も置き去りも、法的に許されない
だが「中絶の権利」で騒ぐフェミゴンって結局、世俗化されたクリスチャンーーしかもかなり狂信的なクリスチャンーーでしかないって思えてならない 天皇制の天皇と世俗の小ボスを同一視してるの?本物の薄馬鹿?w 新聞見てみると「中絶の配偶者同意規定廃止に8万票の署名」――なんてイヤな記事だ
今現在、堕胎の理由になってる主なものは、
@貧困による育児の不可能性
A出生前診断による障碍児誕生の可能性
B強姦による妊娠
の3つだろう
だが本来、@は福祉の充実 Aは障碍者向けインフラの拡充で解決されるべきものだ
それでもBは致し方ないって声多いだろうけど、このことが、離婚して片親に引き取られた子供が「別れた夫(妻)に似てる」って理由でDVやネグレクトされる問題と、軌を一にしてるのは間違いない
そもそもこの問題を個人単位、家族単位の「自己責任」で解決すること自体がおかしいのではないか
まあフェミゴン達の多くがこれに署名したんだろうけど、正直私には、この署名者達がネオリベの「共犯者」にしか見えない >>706
(ちょっと古いけど)「網野は「柳田は山人から逃げた」っていった」ってのを「柳田はケガレの問題から逃げた」に訂正
もしかしたら「山人から逃げた」ともいってるのかもしれんが、改めて確認したら「ケガレ」しか見つからなかった」 網野に代表される「非教条的」マルキストは、ケガレの問題を被差別部落発祥の一因と看做す一方、性懲りもなく(といわざるを得ない)「天皇(権力)悪玉論」にしがみつき続けた
だが、3,11問題で最後の群像評論賞に応募し、ともかくも一次までは通った者としていっときたい 「もう福島には(そのどこにも)住めない」なんてバカげた風評被害は紛れもなくケガレであり、そしてそれは天皇とは何の関係もない むしろケガレ意識煽ったのは脱原発一本ヤリのアホパヨクである
もう「反差別=反体制」の図式はとっとと葬られるべきなのだ ソ連自体、30年も前に潰れてるのだから >>791
>>3,11問題で最後の群像評論賞に応募し、ともかくも一次までは通った者としていっときたい
群像評論賞一次に大した価値は無いwwww
お前はネトウヨだから、下駄履かされたんだろ。 網野の良い所は日本は多民族国家である事実を提示したことだろう。
柳田は山人論を突き詰めると、山人=異人に行きつくことを恐れたんだろう。
人口の殆どを農民が占める明治大正の日本の農務官僚のトップとして当然のことだった。
柳田が途中で山人論から離れたことは柄谷行人も赤坂憲その他も認めてる。
山人=焼畑・狩猟の民は世界の常識だろ。
焼畑の異端視に繋がることを柳田は恐れた。
山人は小さな島の人でもあるだろう。
小島は孤立した山そのもの。 柄谷行人「遊動論 柳田国男と山人」
「柳田は山の民を調べましたが、「山人」は「山地民」ではなかった。
山人は定住以前の狩猟採集遊動民ですが、山地民は定住後の狩猟焼畑(やきはた)農民です。」 柄谷行人によると、縄文人すら「山人」ではない。
「山人」が現実にいたとすれば、それは旧石器時代のことだろう。 >>795
柳田の山人は山地民だったということかな? 柳田の遠野にしろ、椎葉村にしろ、妙見信仰の盛んな地域だが、世界的に妙見信仰は確かに古い。
言葉の存在以前だろう。 データ隠蔽するのも罪深いが、風評被害煽る「ネトパヨ」は、東池袋事故で事故被害者にディスレス送り続けてとっ捕まった大バカ同様、否それ以上に犯罪的だ 本来なら住所氏名公開されてもやむを得ないことしてるって自覚がまるでないクズ
野党第1党の立憲民主に維新が迫りつつあるのも、立憲が党内の「パヨは正しい」って幻想(=てか結局ウヨパヨにこだわる時代錯誤)清算できなかったせいだろう 日本人単一民族説批判した網野は、単一文化論の代表的歴史家たる津田左右吉に学びつつ、それを乗り越えてゆこうとした そんな網野に批判の矢浴びせたのは同じヨクの歴史家たちである 単一説は左右越えて往年の歴史学会の常識だったからだ(今現在網野を礼賛してるパヨども、ホント便乗主義も甚だしいねw)
だがケガレの問題取り上げてた網野も、反核(脱原発)がその被害者や地元民への「ケガレ意識」煽ることになるって現実には、ほぼ全く理解を示さず、「正しい反核(脱原発)運動」なんて言い続けた
網野でさえこうなのだから、あとの凡庸パヨなど、推して知るべしだろう(溜め息) >>800
>>今現在網野を礼賛してるパヨども、ホント便乗主義も甚だしいねw
網野を礼賛してる左翼など殆どいないにも拘らず、網野をもって左翼を叩く道具にしてるお前が便乗主義だ。
文学板は作品の中の表現そのものや、表現の形式を論じる場であって、お前のように雑な話をしたいものはニュース速報板でやれ。 「もののけ姫」は間違いなく網野がバックボーンになってるし、柄谷行人の山人論とも関わるから全く無関係とはいえないが、一応筋の通った批判ではある もっとも、700番台で延々とノマド論じてたスレチパヨクにいわれたかないけどw
ここで網野持ち出したのは、結局ケガレ論じてる彼が、福島の風評がケガレだって事実に気づこうとしないからーーそして同様の脱原発パヨク学者が現存しているからであって、ノマド論に脱線してる輩が「雑な話」って因縁付けるのは、単に小ズルいだけの話
スレチではないかというのは一応反省点として受け止めとく(もっとも、「いっちゃってるヘイトスピーカー」なんか、もう今後は相手にしないけどねw) それと、群像評論賞の一次まで通った事実ハンドルネームにしたら、若干名の名無しから「チンケな誇り」とか言われたw
自分の経験からいって、それなりに問題意識抱えてて、それを客観的にまとめる能力さえあれば、正直誰でもーーオツムの出来が良くなくてもー一次までは行くと思う
それが出来ない「唯我独尊」「ファシスト」は、何度送ってもダメだろうけどw
じゃ、行ってきます >>803
>>700番台で延々とノマド論じてたスレチパヨクにいわれたかないけどw
802の俺は別人だ。 わたしとしては、群像新人賞第一次選考通過の人が、民俗学をやっていたというので、
山人、遊動、ノマドの話題をだしたのだが、
基本的な知識がないらしく全然その種の話をしないから、
一人で書き込むことになったわけだ。 >>807
の方が言うように、群像新人賞最後の応募者さんは、
文芸批評をやるのは、しょうじきちょっと無理だと思う。
ネット右翼的言論活動に専念したほうがいいだろう。 >>809 >>744
民俗学とか言いつつやってることは「私は柄谷が大嫌いだ」っていってるだけなので、一部のレス除きまともに相手する気が起こらなかっただけ(しかも最後は「全部間違ってた」だったし) せめて柄谷ヘイトの「理由」述べてくれれば、それなりに真面目に対応する積りだったけどね
それと、このスレで「異常者」「特殊部落」「土人」連発してる人にネトウヨ呼ばわりされても、正直お笑い種 あくまでも自分自身のこと棚に上げたいのなら、もう私に絡んでこないで欲しい(他の人でも、おんなじこというと思うが)
「砂の器」ーー清張の代表的小説であり、方言に着目した謎解きが秀逸 ただ私には原作よりも映画版のラストに写る「ハンセン病に関する時代錯誤の偏見」批判の字幕の方が印象的だ
少なくとも映画公開時、いわゆる隔離政策は不要であるといえるだけの治療法が確立していたはずだが、実際には隔離は存続した
福島における福島における残留放射性物質は、決して福島全域に及んでる訳ではないし、いまだに人体への微々たる影響にまで問題にするなら、そもそもそういう人は日本から逃げ出すべきだろう
しかし現実には「放射能はケガレじゃない」なんて言いつつ、日本に留まってるバカパヨク(>>806のような)が、少なからずいる
そしてこういう輩が結果的に福島の人々をさらに追い込んでゆくのだ
大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」の末尾に「ヒロシマの人々は、核戦争後に現われるかもしれない「血と細胞の荒廃した種族」の「最初の兆候」という趣旨の一節がある これにある被爆者の評論家が抗議の声をあげているが、ノーベル賞作家のこの妄言は、今なお免責されたままだ
らに傷つけてゆくのだ おまえは放射能をケガレだと思ってんの?馬鹿きこいつ 中段冒頭「福島における」 間違って2回繰り返してました
一番最後の1行カット このスレ本来は文芸批評のスレなのだが、実際はあっちこっちに話題が飛んでる(私もその原因つくっちゃってるw)
400番台あたりで、私が 大島渚の息子がプロデュ―スした部落問題に関する映画のレスしたら、部落差別に関するレスが集まり、600番台では渡辺直己の引き起こしたパワハラに関するレスが集中した
いずれも、そうした差別や圧力を批判するものばかりだった
しかし今、残念なことに脱原発パヨク(ないしそのシンパ)が、福島の人々を傷つけるディスレスを飛ばして来る…… ありもしない悪い左翼を想定して「声なき民」を代弁したつもりで正義の味方面してる姿勢が気持ち悪い
今現在福島産農産物はかなり放射能に関しては厳しい規制値で出荷されてて心配するようなレベルでもなんでもないし科学的にやり広報してくしかないがいまだ無知な一般人に福島産に対する偏見があるのは事実だろう
しかしそのことに関しては左翼が悪いとかいう話ではないよ パヨクが悪いって前提で「それだけで済む話じゃない」っていうのならともかく実に言い訳めいてる(この人自身多分パヨ政党支持か政党関係者だろう)
「偏見がある」って現実、それがまさに「ケガレ」 原発政策推進してきた自民が、当時与党だった民主批判してんのの、正に鏡w…(溜め息) しかしそんな無知な一般人でも福島県民を「ケガレ」を帯びた存在として差別するなんて子供なら知らんがさすがに今時皆無じゃないか?
一体どんな妄想膨らませてるんだ? 偏見は根拠の全く無いことではない
ケガレなんて仏教由来のしょーもない言葉じゃなく放射能だ
チェルノブイリよりは劣るとはいえあれだけの原発事故で放射能に汚染された土地の農産物をわざわざ購入したくないってのは分かる
だから福島で除染もするし規制値を設定して農業生産者と県は努力してるわけだ
しかしそんな努力を知らない人たちがいるのも事実だしそれは左翼や反原発がどーしたって話ではない
もちろん放射能汚染がどれだけ高レベルだったとしてもそんなもん問題ない、あるとすれば心理的なケガレだと主張するなら福島県民の努力も何も全て無駄って話になるが 間違いない 差別パヨ確定 まともな福島市民ならこんなレス出さない こういう無神経なバカパヨ、広島・長崎の反核運動にも、水俣の反公害運動にも、その同類間違いなくいた そう「ノーモア・ヒバクシャ」ってふざけきったスローガン一般化したバカが(ホントなら「ノーモア・核兵器」っていうべきなのに、誰も訂正しなかったのは、このてのパヨ運動家が、被爆者達を無意識のどこかで「化け物」と思ってたからだ) アンタはその「無自覚的冷酷」抱えてる一人に間違いない みんなが自民に入れんのは決して積極的に支持してるからじゃない
人としての最低限度のデリカシー持たぬ輩に国を任せたくないから
福島における「高レベル放射性物質残留地域」は、今となってはごく一部
その地域除いたとき残るのはあくまで「心理的なケガレ」ってアポリア その事実ごまかしてはいけない >まともな福島市民ならこんなレス出さない
もうこの書き方が気持ち悪い
俺は福島市民じゃないし福島県民でもないが勝手に福島を代弁するのがとにかく気持ち悪い 実際、今現在のような電気代の値上げやら逼迫宣言やらが常態化して何年も続いたら、一方では原発再稼働を、他方ではより激しい脱原発運動が起きてくるのじゃないか
前者はまた設置場所の住民札束で懐柔しようとするし、後者はそんな地域が「おどろおどろしい場所」になるって強調するだろう
どっちにしても、少なからぬ住民達にとっては、迷惑な話だろう >>825
電力なんて洋上風力と波力のハイブリッド発電で設置工事期間1年以内で全国に設置してあっという
間に電力供給体制が出来上がる。これに反対してるのは原発を稼働させたい奴らで、お前もその一人
に過ぎん。今年の後半に世界初の実用レベルの波力発電ファームがポルトガル西北部沖合に登場する
予定。この技術を開発したのはスウェーデンの企業だが、世界中の大手原子力発電機メーカーは一切
かかわってないので、彼等には殆どメリットが無いので反対してるだろう。
さあさあ、原子力など全く要らない時代が来たんだよ、お立合いww w ああ、バラ色の再生可能エネルギー
60年前、70年前も、基本おんなじこと言われたような そう「原子力の平和利用」って大義名分で
歴史は繰り返す 何故なら愚かな私達は、過去からなんにも学ばないから どんな技術にもメリットとデメリットの両方がある 私を原発推進派(=反対派)にしたい人、そういう
こと全然わかろうとしない 単なるネトウヨじゃん
大学の先生方もこれは見込みが無いと見切りをつけるのもむべなるかな
妙な功名心の悪足掻きで文芸評論家目指してるんだろうけど先生方の判断に従っといたほうがいいのではw デメリット黙殺した時、そしてその結果また新たな被害者・犠牲者出た時、こういう「技術進歩至上主義者」今度は次の、そのまた次の技術に飛びついて、それまでの技術を批判するために、こういう犠牲者たち「広告塔」に利用しようとする 実にさもしい 進歩派のライターとかは認めたくないだろうけど、「ネトパヨ」の書き込みはネトウヨのヘイトに決して引け採らない
でなきゃ、少なくとも広島・水俣・福島の風評って現実に正面から向き合うことなく、「バラ色の新エネルギー」なんておめでたい話問答無用で掲げるなんて、軽々しく出来はしないだろう
○日の土曜版の「もう一度読みたい確料理マンガ」の特集で「美味しんぼ」が出てて、雁屋哲の「出来れば続き描きたい」ってインタビューが載ってる まあ「脱原発」が実現することが仮にあっても、このマンガの復権はまず無理だわな これだから脱原発パヨクは……
別のページで辻田真佐々憲って歴史学者のインタビュー載ってて、「過去の(問題)発言を現在の基準で判断した上で行動する」今のリベラルのあり方批判して、「寛容な左翼」構築しろっていってる 主旨は分かるが、事例として挙げられてる問題行動が、なんで小山田圭吾なんだ? あれは「障碍者同級生へのリンチ」っていう「行為」だろ⁇ 辻田のいう「まともなリベラル」ってこんなヤツ無罪放免することなの だったら絶対反対だ 冒頭の「確料理マンガ」の「確」と中段の歴史学者の名前の「々」とってね >>827
>>w ああ、バラ色の再生可能エネルギー
60年前、70年前も、基本おんなじこと言われたような
日本は原発族企業が半分ゴミ化してるんだよ。
三菱重工、川崎重工、日立、東芝、千代田加工、日揮とか。
これらの企業も原発部門を完全に切り捨てる時代が来たんだよ。
大体がこれらの企業も年を取り過ぎてる。
会社設立後、30年以内のハイテク重工業企業が日本には存在しないのが問題だ。 石頭に何いってもムダ 風評問題について何も答えとらんし、プーチンみたいなのがいる状況で非武装中立にしがみつくのとおんなじ(都合の悪いことは考えない) 結局「第2、第3の原発事故か火力発電による温暖化か」 そんなのどっちがいいかなんて簡単に決められる訳ない 悪魔じゃないんだから 姑息な揚げ足取りしかしないなら、以下黙殺 脱原発論者がいっくら「夢の新エネルギー」だの「原子力ムラ批判」だのしても、そしてそれに一定の真理が含まれてたとしても、「美味しんぼ事件」について沈黙してる限り、風評被害差別肯定論者のレッテルは決して免れない 明日はいよいよ選挙、おそらくほとんどの人、「この人」じゃなく「まあマシな人」に入れるんだろう あっ 選挙日はもう一週先だった 期日前は受け付けてるはずだけど 安里 朖
@St8GWBikWwNVhOV
·
Jul 1
〈女が孕み、子を授ける〉。これがミゲリスモにおける人間発生論の原点。敢て近代語によって敷衍すれば、〈女がその自己決定権に基づき妊娠し、特定の男ひいては人類に子を授ける〉とでもなろうか。近代的父権制秩序においては、そのSamenism的虚偽意識から〈女は神または男から子を授かる〉とされる。
安里 朖
@St8GWBikWwNVhOV
·
Jun 30
一般論としていっても、子を望む特定の男(父)の立場を度外視した"妊娠=新たな命の受胎"という発想は、女性の避妊や妊娠中絶に対し、いわば"男一般=人間"としてあれこれ介入(口出し)する隙を与えかねない。要は"人間(=男一般)"からする抽象的生命尊重イデオロギーの下への女性抑圧を補強しかねないのだ!
安里 朖
@St8GWBikWwNVhOV
·
Jun 30
もう少し突っ込んで考察すると、"新たな命を授かりました"は、むしろ男に相応しい。女にも諸事情あって"授かり物"的感覚が生じる場合もあろうが、通常(=報告する程)の場合なら、女は"妊娠しよう(してもいい)"としてした筈。それを"天からの授かり物"のようにいうのは、rhetoricとしてもいかがなものか?
安里 朖
@St8GWBikWwNVhOV
·
Jun 30
妊娠も一種の年中行事と捉えれば、"新年あけましておめでとう"的に"新たな命を授かりました"てのも便利っちゃ便利で、悪くはないと思いつつ、やはり新〈年〉ならぬ新たな〈命〉の場合、表現にもう少し独自の工夫をこらすか、さもなきゃいっそのこと"妊娠しました!"の方がすっきりする感じが否めない。
安里 朖
@St8GWBikWwNVhOV
·
Jun 30
文句をいうつもりが全然ないといえば嘘になるが、先日の「いきものがかり」の誰かに続き、声優アイドルの竹達彩奈が妊娠発表した際の文句が全く同じ「新たな命を授かりました」ってのは芸がなさすぎやしませんか。でも後者の場合、配偶者の男性も別個に報告文を出していて、ああいうのはいいと思った。 大分前にも何度かおんなじレスしたけど、「女の自己決定権としての中絶」なんてもんは、結局、児童虐待を容認し障碍者(障碍胎児)の人権を全否定するもので、正直虫唾が走るばかりだ
「現実に仕方ない面もあるじゃないか」なんていう主張じゃなく、そんな「T4」あからさまに肯定するなら、フェミゴンどもいっそナチ式敬礼でもしてりゃいい
こいつらのいう「女性」には「女の子」も「障碍者女性」も入ってないんだろう ヤレヤレ 急進的なリベラル・パヨクはいっつもこう (「正しく怖がる」って原則無視して)風評被害煽る脱原発関係とおんなじ 主張も行動も「自己目的化」してる そもそも、こういうオバハン連中から、私らオスどもへのイクメン参加要求がほとんど出て来ないままで、社会全体への男性育児休暇に関する提言が(全くじゃないにせよ)二義的なものに留まってるままなのは、何故なんだ >>845
お前はニュース速報板に書き込めんのか?
文学板に書き込むなら、それなりに作品の表現に即して
問題化しろよ。 首相官邸
福島県産の食品の安全性について
https://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g31.html
福島のことは政府がやってるから単なる無名の君別にいらんよw さらにその後、今年の8月25日からは、福島県産の米については全袋検査が行われています(図3)。30キログラム入りの米袋あたりの放射能を測定し、規制値である1kgあたり100ベクレルを超えた米については、出荷停止の措置が取られることになっています。
漁業については、福島県沿岸での操業は原則として自粛されています。事前調査で放射性物質のレベルが低いことが確認されたタコ、イカ、貝など、一部の対象のみ試験的に操業がおこなわれ、サンプリング調査によって規制値をクリアしたもののみが出荷されています。
だから福島の食物は安心安全
もちろん買う行為は柄谷行人が言うように自由意志で買う買わないは購買者の自由としか言いようがないが そういや原発事故から一ヵ月前後だった四月に鼻血出てビビったことあったな
同じ日に午前中の仕事中と夜ブックオフで立ち読みしてる時にブーって出たw
成人してから多分初めてあれっきり10年以上鼻血は出てないちなみに東京
それっきりだったんで医者にも行ってないし何故だか未だにわからない鼻糞ほじったわけでもないんだけど
あん時は東京の水道水もヤバいって石原慎太郎が安全ですって渋い顔して東京の水飲んでたっけw
ミネラルウォーター飲んでたけど面倒くさくなったのかいつのまにか水道水飲んでたけど >>845
あなたぐらい見識高い人は当然ヴィーガンですよね
共に動物の権利を守り無意味な殺傷の撲滅のために闘いましょう
ミート・イズ・マーダー! The Smiths - Meat is Murder (Live @ Oxford Apollo, 18.3.1985)
https://youtube.com/watch?v=J4pS6mREwpA 字幕付CONFLICT【This is A.L.F.】Live at Bunker 1987
https://youtube.com/watch?v=sIzZqLgMr0w
字幕付 CONFLICT Tough Shit Mickey
https://youtube.com/watch?v=E3g_fQChYSU >>847
鼻血ドバの割には随分呑気だ(ホントはエロ本読みながらだったりして)w
ケガレの研究もやってるおエライ宗教学者(事故当時確か東大教授)「全部が全部じゃないにせよ、福島の放射性物質でケガレた食品規制しろ!」って騒ぎ立ててたこと、この人多分知らんのだろうな
>>850
ヴィーガンの場合結局、「下等動物なら」「植物なら」って考えになってしまう
命奪った食材、出来るだけ残さず食べることしか、とりあえず私には出来ない このスレ原発関係のレスばかりで(別にそれは全く構わないのだが)、フェミゴン関係(>>845)へのそれがない やっぱ5ちゃんてオレみたいな非モテのオスばっかしなんだろうか
今日はこれでお休みなさい 結局、脱原発アホパヨク、「美味しんぼ事件」なかったことにしてる(てかこのスレの一部の連中のように、それを他者にまでやんわり押し付けてる) 本当に愚劣かつ卑怯だ そして文芸批評家もサブカル批評家も、この「文学」的スキャンダルから逃げ回ってる訳だ >>853
動物性たんぱくは植物性たんぱくで栄養的には完全に代替できるし、
世界の食糧供給を確実に満たす観点からは、牧畜は減らしていくべき。
>>854
お前はオバチャンだろ。 脱原発パヨクは一方ではまだまだ「大規模・全面的」実用化には程遠い再生可能エネルギーについて極楽トンボなキレイゴトいい、他方では福島の風評被害強迫的に煽り立てる 「福島産食品の徹底規制」っていう宗教学者や「鼻血マンガ」の作者がそれだ
少なからぬ人々はそうしたパヨに疑問持ちつつも、内心では結局どうしてもケガレ意識に囚われてしまう それはかつて、治療法が確立されてるにも拘わらずハンセン病患者への隔離が終わらなかったことと、基本おんなじだ
もっとも、こうした人々とは別に「政府がきちんと規制してるんだから大丈夫」って、本気で思いなす人達もいるらしい >>748のいう「待機する日本人」の一例だろう だがこうした人々が「煽りパヨクの風評被害」に目を瞑るなら、その「視野狭窄」の罪深さは、前述したパヨと何一つ変わらない
>>858
>>「煽りパヨクの風評被害」に目を瞑るなら、
売り上げ数千億のスーパーで売られてた野菜から高濃度の残留農薬が検知された事件が何度もあった以上、消費者が食品の汚染に過敏になるのは当然だ。他方で産地偽装は世間を賑わしてる。
>>実用化には程遠い再生可能エネルギーについて極楽トンボなキレイゴトいい、
洋上風力は世界的大ブームだ。
デマを流すな。いくら、お前が体制=原発推進側の人間でも言葉が過ぎる。
お前は「群像評論賞ラブ♡♡♡」を言い続ければ、群像に書かせてもらえると思ってるに違いない。目立ちたがりのおばちゃんらしい売り込み頑張れ。 「#15 菜食主義」
https://note.com/ishiya148/n/n332eb5415e86
平成も中期に入ると海外進出するバンドが増え、それとともに菜食文化が日本のPUNKSの間でもかなり認知されるようになってきた。昭和の頃からCRASSやCONFLICTに代表されるような海外ハードコアに菜食主義のバンドはかなり多くいて、知識としては日本のPUNKSたちも知っていた。
昭和の時代でもハニーディープウェットというバンドがいたのだが、色々と揉め事などもあったようだ。REALなどと一緒に活動をしていたが、当時の日本ではほとんどいなかった動物愛護を掲げたメッセージ性の強いバンドで、今思うと時代が早すぎたのかもしれない。
当時の日本ではそれほど菜食主義というものがハードコアやパンクシーンに受け入れられないものだった。
俺も昭和の頃には菜食主義が理解できず、ハニーディープウェットと仲の良かったNO LIPのボーカルであるフクダ君と、言い合いというほどではないが話をしたこともあった。
当時の何も考えていない俺の言い分としては「いただきます」と「ごちそうさま」を言い生命に感謝をしながら食べるし、残さず食べることで生命に対する感謝がある。というものと、植物なら殺してもいいのか?植物だって生命だ。
そんなことを言うならコンクリートなどの無機物を食べるしかない。というものだった。今考えてみると、もう少し生命について考えろよと個人的には思ってしまう自分の考えだ。
その点某友人はもっと論理的で、CONFLICTが大好きだったその友人だが、肝炎を患い入院治療して治ったときに「動物実験反対と言うが、その実験がなければこの病気の薬は開発されなかった。ということは俺に死ねと言うのか?」と、かなり説得力のあるものだった。 菜食主義、シェアハウス、パーティ……現役パンクロッカーが見た、アメリカ・パンクスの生活
https://realsound.jp/2015/01/post-2279.html/amp
前回のレポート(参考:東海岸には禁欲的な“ストレートエッジ”のパンクスも 現役パンクロッカーが米国各地のシーンを紹介)でも紹介したTRAGEDYというバンドのメンバーは、2006年に一緒にツアーを廻った際には全員ヴィーガンで、ベジタリアンについて疑問に思っていたことがすべて払拭された。
それまで日本で見聞きした、あるいは接したベジタリアンには、魚介類を食べる人間がいたり卵を食べる人間がいたり、動物愛護と言いながら革製品を身につけているパンクスもいて「それっておかしくないか?」と思っていたが、
TRAGEDYのギターボーカルのトッドは、革製品も身につけず、コーヒーに入れるミルクも豆乳であったり、何もかもがヴィーガン生活そのもので、それを当たり前にやっており、それを押し付けるでもなく日々色々なサポートをしてくれた。
世界のパンクシーンでは、ベジタリアンやヴィーガンは当たり前なので、生活の基本となる食事に慣れることは海外でツアーをやる上で重要だ。食事に慣れることは海外ツアーを成功させる第一歩であり、最初の難関だろう。 「3,11」の名を関した書籍読んでて正直胸クソが悪くなったことが一度ある 評論集のようなものの一つで執筆者名は失念したが、要は「金に目が眩んで原発を受け入れた福島県民は、今その報いを受けてる」って内容だった ったく「報い」論といい「風評被害」煽りといい、脱原発クソパヨクどうしてここまで「無神経」かつ「冷酷」なのか
おそらく私同様首都圏在住で福島原発の「恩恵」受けてきて、何上から目線のタワ言ほざいてるのって感じ
今現在再稼働望んでる県民は多分一人もいないだろう そして「全く同様に」脱原発派の夢物語(そしてその裏に隠された「傲慢」「思い上がり」)に吐き気を覚える県民は、そのほぼ全てに違いない
>>860 小学生ののときフナの解剖実験で実験を拒否し、下校前のはんせいかのとき 下校前の反省会のときチクられたことがある あのとき「(食べるために殺すのは仕方ないけど)教科書に解剖図出てんのに解剖すんのは残酷だ」って言い張ったことがあったっけ まあ、空気読めなかっただけともいえるけどw もしかしたら失礼かもしれないが、おそらく>>850氏はヴィーガンじゃないのではないか
なぜなら(前にも述べたように)「動物を植物の上に置く」って考え正直賛成出来ないし、ベジタリアンの庵野秀明はハムサンドのハム抜いて食うらしいが、それはそれで「人参嫌い」ってのと同じでしかないと思うからだ
そもそも食生活を個人の問題と考えるヴィーガンは、キリスト教ファンダメンタリストのようにフェミゴンを「赤ちゃん殺し!」などと非難しない その意味でも私自身ヴィーガンには同意出来ない
850氏はなぜ私をヴィーガンだと思ったのだろう?
大分前ロシアの国営テレビの職員でウクライナとロシアの混血の女性キャスターが反戦プラカード掲げたことがあったが、5日の朝日に、やはりウクライナとロシアの混血の作家が、プーチン批判の論説載せてる
その中で「私達はドイツ人のようにニュルンベルクを経験しなかった たとえプーチン政権が終焉することがあっても、このままではその後も第2のプーチンが現われる」っていってる(溜め息)
自民党のおエライさんが(またしても、というべきか)「女性はもっと男に優しく」なんて選挙演説ぶったそうな
こんなこといくら言ったって女性の社会進出自体は止められないし(そもそもウチのオフクロからしてそうだったんだからw)、「平等=名誉男性化」って勘違いしてるフェミゴンの増殖もなくならない
いい加減「シルバー民主主義」見直して、結婚した若者家庭には減税云々ってフランスみたいな政策導入して欲しい
まあ「結婚希望の若者一般」よりマイノリティの権利優先する野党(もちろんそうした人々に一定の権利認めんのは大事だけど)も、この件ではほぼ全く期待出来ないけど 安倍晋三元首相死去 合掌(今もそのニュースやってる)
ただ不謹慎ながら、多分彼の死はあさっての選挙で、自民の基盤をさらに盤石にするだろう
重ねて不謹慎なこというと、彼の引き起こした森加計問題は、結果的に赤木俊夫さんを自死に追いやってる 某アニメの主人公のセリフ「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるヤツだけだ」が、ある意味現実になってしまったのだ
安倍嫌いの白井聡、内心今頃大喜びだろう 白井に筋違いの悪罵浴びせられたユーミン、今頃どんな気持ちだろう 子供の頃の知人の一人にシングルマザーの子供がいた 手癖が悪く家から私のミニカー持ち出そうとして母に見つかり、お目玉食らってた(鈍感な私は全く気付かず、この話は後から母に聞いたw)
この知人の母は比較的私の母と仲が良かったのだが、やがて疎遠になっていた その理由は確か、私がコイツの家に遊びにいったとき、私がある新興宗教の「ご神水」飲まされたことがきっかけだった
そもそも安倍晋三元首相が霊感商法でお馴染みのあの宗教とどこまで関わってたのかはよく分からないし、そのことが殺人を正当化する理由には全くならないのも事実だ ただ狙撃した犯人がこの詐欺まがいの商法の被害者と分かってしまった今、「民主主義への挑戦」って言い方が、どこか白々しく思える
5chにおける【統一教会カルト人間】の定義:
・自民に疑義を呈すると、レッテル貼り攻撃をしてくる
・自民を唐突的に短絡的・極論で擁護する単発IDが多い
・「お前パヨクだろ?」のレッテル貼りや「どこの政党支持してる?」などの論点ずらしのレスが大半を占める。
・自民を支持するか?しないか?だけの二律背反の二元論で「パヨク」認定をしてくるので、第三者的にも明確に不愉快な言い掛かりとして写る。
・そもそも「パヨク」という言葉には「ネット右翼」の様な表意的属性が皆無である。相手を認識して受け止める気がない。切り捨てて封殺しようとするだけ。
・5chにおける集合知の自由闊達な推論を妨げて、時間をかけて有耶無耶にするのが狙い。議論をする気がない。要するに荒らし。 今7時か
↑のレスカルトの定義とかいいつつ実際はパヨクらしき輩の自己弁護に終始してる ここでこのパヨのいうカルトならぬネトウヨの定義、ほぼそのままパヨク自身に当てはまる まさにニーチェの(確かあのヒゲの人だったよな)いう「ヘビに対抗するもう一匹のヘビ」w
ワイドショー観てたら故安倍元首相と統一教会の繋がり述べるコメンテーターの一人に対し、比較的リベラルで知られるキャスターが「だからといってあのような行為が許されるものではない」って反駁してた(まあ確かに正論だが)
かつて保守派の批評家福田恆存は「一匹と九十九匹と」というとても印象的な一文を著わした
進歩派キャスターの前述のごとき「正論」はまさに「九十九匹」の側のものだろう だが今批評に求められるのは、「一匹」の側に立つーーといって言い過ぎなら、もし自分があの犯人のような境遇だったら、統一教会の広告突になってる権力者に刃を向けていなかったと言い切れるのかという自問自答ではないだろうか
私達は権威に弱い そしてその一方で社会的立場の低い人には(私自身もおそらくそうなのだが)はっきりいって冷淡な態度を取りがちである
これまで安倍元首相はじめとする自民党の一部政治家と統一教会の癒着に寛容な反面、いわゆる脱会信者に対し「詐欺商法の協力者」の色眼鏡向けてはこなかっただろうか そしてこれからは「テロリスト予備軍」のレッテル貼りも始めるのだろうか >>872
>>私達は権威に弱い
そら、お前はネトウヨだから当たり前w
ヤクザも右翼もサツの旦那には逆らわないw 統一教会は(このカルト宗教の反共的性格もあって)自民党タカ派とのパイプが太いが、これとは別に、複数のカルトに「一定の理解」示した「進歩的知識人」のケースも、またいくつか存在する
鶴見俊輔や越智道雄はヤマギシに「共感」してたし、吉本隆明や中沢新一のの場合も(後になって否定したものの)オウムに「接近」している(ちなみに吉本は、この接近を弟子筋の小浜逸朗に批判され、結果的に彼を事実上の破門にしてる)
こうしたパヨクインテリの「黒歴史」も自民党タカ派のパイプ同様批判されねばならないはずだが、まあ現実的にはいずれも「水流し」のままなんだろう…… 中沢や吉本は散々批判されただろw
島田は大学辞職したし
何言ってんだこいつ
まあ安倍と自民党はこれからでしょw というか国家権力握ってる奴らと所詮単なる知識人じゃ悪質さのレベルも段違いだろ 竹中平蔵的なものをなぜかスルーするんですよね、リベサヨ知識人の連中は。
不思議なぐらいネオリベラリズムに対しての嗅覚が弱い。
上野千鶴子なんかわかりやすいね。 あー、今日も夜尿だ 今5時か
上野が出たからいっとくと、フェミゴンの「中絶に関する自己決定(=リプロ)」って、ネオリベの「自己責任」と相似形に思える
どっちも「結婚しやすい国」「子供育てやすい社会」蔑ろにしてる点は、全くおんなじ
要は結局のところ「シルバー民主主義」(>>866)の露払い こんな低レベルな奴をたかがとは言え一次通過させた群像は恥ずかしいなw
まあ群像もまさかこの程度の経歴を誇る厚顔無恥な馬鹿ぎ現れるのは想定外だっただろうから同情の余地はあるがw 吉本隆明の場合、その死後「猿の惑星発言」って極論がおんなじ極論好きの脱原発バカパヨク騒がしてたけど、オウムについてはそれほど蒸し返されなかった 結局、目立ち過ぎの島田裕己だけ一人貧乏クジ引いたとしか思えん(もっとも、彼の場合そもそもパヨといえんのかーー) この問題、遡れば多分昭和天皇の道義的戦争責任まで行きつく 今回もおそらく、自民の一部政治家の統一教会との癒着はウヤムヤなまま、「安倍さん(「はずれ」引いて)お気の毒」でオシマイ 少なくとも、ヤマギシやオウムとパヨ・リベラル知識人のこと、今一度きちんと見直すんでない限りは 元首相や閣僚経験者と
どうでよい存在でしかないたんなる知識人とでは
話が違うだろう。 島田裕己→島田裕巳(巳)
余談ながら(ホントはきちんと読んだ上でいうべきことなんだろうけど)中沢新一のレーニン本も、かなりのシロモノなんだろうね(パヨクの白井聡は夢中で読んだらしいが)
余談の余談で付け加えると、中沢のオジサン網野善彦、確かに教条石頭じゃないんだろうけど、甥に悪影響及ぼした一因といわざるを得ないのかもしれん 浅田 中沢さんでさえ、この現実と違う世界をエキゾチックに描き出して若者たちを誘惑したとは思わない。一見そのように読める部分でも、それは本当はユーモアをもって書かれていて、『よくこんなこと言うぜ』と言って笑いながら読めるようになっている(笑)。そんなこともわからないやつは、単なる馬鹿でしょう。
中沢さんの『チベットのモーツァルト』を読んで、本当に幽体離脱みたいなことが起こると百パーセント信じ込んで、自分も同じことをやってみたいと思ってオウム真理教に入信した馬鹿がいたとして、それは中沢さんの責任だと言う人もあるけれど、僕は書き手はそんな愚かな読者のことまで責任を取れないと思う。
中沢 笑いのために書かれた本が生真面目によって誤読されてしまう不幸はドンキホーテの昔から、防ぎようのないことです』
(『諸君!』八月号対談「オウムとは何だったのか」) 中沢新一は麻原彰晃と対談したこともあります。そのときの麻原に対する印象を踏まえて、中沢新一は浅田彰との対談の中で、「報道で麻原の俗物的部分が誇大に流されているけど、麻原を甘く見てはいけない。本当に悪魔的な男だ。麻原は心の中に深い闇と、とてつもない妄想を抱えている。あんな男は、おそらく戦後初めて現れたのではないか」と述べています。
吉本 それは妥当な見方だと思います。僕はずっと、「麻原をちゃんと宗教家として評価しなければいけない」といってきましたが、それは、いろんなニュアンスを削ぎ落としていっているわけです。
悪魔的というか、怪物的というか、比較するとしたら毛沢東ですね。でも、毛沢東と比べると、麻原ははるかに小さな怪物です。毛沢東の主治医が書いた『毛沢東の私生活』という本を読むと、毛沢東ってやつは、ものすごい怪物だったということがわかります。
毛沢東は、普段、何もせず、寝そべって本ばかり読んでいるんです。読んでいるのは中国の古典です。そして夜は、女の子がかわりばんこにやってきて、毛沢東の相手を務めるわけです。
日本人はとにかく潔癖好きですから、日本人的な感覚からすれば、毛沢東は単なる“女ったらし”ということになるのかもしれませんが、そんな域はとっくに通り越してしまっていて、もう怪物というより仕方ないぜ、というところまでいってしまっているんです。
そしてまた、毛沢東には、やはり思想家としての面があります。たとえば、反乱を起こそうとした林彪(りんぴょう)が、その動きを察知されて、逃げようとしていると聞かされても、毛沢東自身は「逃げたいやつは、逃がしてやればいい」と、いたって寛容なことをいっているんです。飛行機で逃げた林彪は、結局、撃ち落とされましたが、あれは毛沢東の意志じゃないんですよ。そういうところは、やっぱり、毛沢東というのは思想家だなと思いますね。 麻原は思想家としてはどうですか?
吉本 麻原は中沢新一やビートたけしと対談しても、けっして見劣りはしないですが、テレビなどでは、学生運動家に毛が生えたようなつまらないこともいっていましたね。
麻原の著書を読む限り、麻原がヨーガに収斂や原始仏教、チベット仏教の経典に通じていることは確かですが、思想家として自分のオリジナリティを発揮しているかというと、そこまではいっていないように思います。
ただ、身体的な修練に加え、信者をこれだけ集めたことなど見ても、かなりの怪物だとはいえます。
麻原は「自分は最終解脱者である」と公言していました。でも、中沢新一によれば、仏教でいう解脱とは、人生を無限に開かれたプロジェクトとして生きていくことであり、どこかにたどり着いたら、それで終わりということはない。
「最終解脱」といういい方は、仏教用語としてもおかしい、そんなことはありえない、といって中沢新一は麻原を批判していましたが?
吉本 それは中沢新一らしい批判ですね。僕は、ある宗教学者に「麻原は、このくらい高い修行をやったのはチベットのダライ・ラマと自分だけだと著書で書いているけど、どう思いますか?」って聞いたことがあるんです。
そしたら、その宗教学者は、「ダライ・ラマは制度的な統括者であるけれども、修行者としては、そんなに高くない。修行者として一番高いのは、道端のお堂なんかにこもって、物乞いのようなかっこうをして座っているような人たちなのだ」と答えました。
それともう一つ、その宗教学者はこうもいいました。「麻原は自分は修行を全部したようなことをいっているけれど、頭のてっぺんに精神を集中してイメージを出すという修行はやってないんじゃないか。やったのは、額のあたりまでの精神集中じゃないか」と。
鑑真をはじめとする、昔の高僧の木彫りの彫刻などを見ればわかりますが、鎌倉時代とかの高層の肖像っていうのは、たいてい頭のてっぺんが膨らんでいます。なぜかが知りませんが、頭のてっぺんに精神を集中してイメージを出すという修行を俺はやったんだ、ということをいいたかったのかもしれません。
麻原が「自分は最終解脱者だ」と公言していたのは、その頭のてっぺんまで精神を集中してイメージを出すという修行を俺はやったんだ、ということをいいたかったのかもしれません。 >>885
またまた夜尿 今日は4時目覚め
もう今となっては確かめる術もないが、生前網野善彦は「レーニンのカウツキー批判、ことに「絶対間違ってる」って繰り返す箇所には正直辟易した」って言った教え子に、「それでも学問から「絶対」消去することは出来ない」って言ったそうだ
甥の中沢はちと違うのかもしれんが、少なくとも↑レスの対談相手の浅田はマルキスト自称してたはずである 土人発言(=天皇制度批判)の浅田といいオウムにいかれかけた中沢といい、要は「絶対」と「相対」都合よく使い分けてるだけ(載ってる雑誌が今はなき保守論壇誌ってのも笑える)
天国のオジサン、これじゃもうパヨク完全にダメだね(認めたくないだろうけど)
被害信者のこと考えない、毒ガス後遺症犠牲者に全く思いをはせられない政治家・知識人(大学人) 多分両方とも人としての最低限度の想像力・共感能力持ち合わせてない >>881
一般的にアピール可能な予選落ち経歴は「最終選考に残った」だろう。
あとここまで考えをオープンしてしまうと今後何かの賞に応募した時に
「あ、奴だ」となってしまいそうなもの。 7月10日のニコニコ選挙特番で福島瑞穂が安倍晋三と統一教会の繋がり指摘した時、福島の退席後三浦瑠璃やあずまん、石戸といった他の出席者が一斉に福島非難したそうな 一体何が問題というのだろう あえていえば社民もまた北朝鮮とかつて繋がってたって事実で、所詮そのこと棚に上げた批判でしかないってことではないか
「死者の悪口はいわない」って日本人のマナー(=空気)が、霊感商法や拉致被害の「隠蔽」に使われてしまうなら、そのことの方がずっと問題だろうに
≫「死者の悪口はいわない」って日本人のマナー(=空気)が、霊感商法や拉致被害の「隠蔽」に使われてしまうなら
拉致問題は今回の暗殺事件とは今のところかかわりがない。
だったら、それについてちゃんと追及する、ということと
「『死者の悪口はいわない』って日本人のマナー」は関係ないだろう。
それに統一教会と自民党のつながりがどういうものかというのは、
はっきりしたことを明らかにすべき国民の関心事なのであって、社民党がどうとか、
あるいは、共産党がどうとか、そういうこととは別の問題である。 ネット記事検索したら政治家と統一教会のズブズブ関係に関する記事が出てる なんと維新やリベラルの立憲にまで関係者がいるそうだ もう与党内タカ派だけの問題じゃなくなってしまったってことらしい
かつて「たけしのTVタックル」で拉致被害者家族の一人に「社民は北朝鮮の政党」って非難されながらなんにも釈明出来なかった福島瑞穂、今後はこの問題を反転攻勢の「道具」にするのかーー 狙撃犯の「政治信条で殺そうと思ったのではない」って言葉、改めて思い出されるが、まあパヨクの福島にはどうでもいいことなんだろう
あずまんも三浦も石戸も、今回の「欠席裁判」に関する責任おそらく問われまい かつて(吉本隆明だけでなく)大学って小宇宙での権力者だった中沢新一も、オウムに関わったって事実の道義的責任問われることはなかったのだから(教授の進退問題って、基本学内でのパワハラだけなのねーー) けど実際、統一教会に関してはずっと報道されなかったよな (大雑把ながら改めて確認してみると)カルトについては確かオウム報道と入れ替わりに下火になってったって感じ 一部の良心的なパヨク人権派弁護士だけが闘ってたことになってしまうのか テレビに出ているような輩や知識人とか文化人とかいうような輩が、
たいがいろくなものではない、ということは、
ほんとうならば大人が常識としてわかっていなければならないことであって、
取り立てて問題にするまでもないのだ。 >>895
リベラル系の弁護士や議員が長年世間から全く無視されながら粘り強く統一教会問題に取り組んでたのを嘲笑うかのように政権与党自民党の議員たちが統一教会のような悪辣なカルト教団にお墨付きを与えてきた
そんな自民党を支持した貴方はどう責任取るんですか?
統一教会の被害者たちに申し訳ないと思わないのですか?
保守としての責任の取り方の範を示してくださいよ ところが、その「リベラル系」の議員も、
社民党みたいな北朝鮮とずぶずぶだった社会党の成れの果ての党に所属しているのがいるだろう、
と群像新人賞最後の応募者さんはいいたいわけでしょう。
共産党のことはいっていないけれど、
こっちだって元をただせばソ連共産党の日本支部みないなものだったのだから、
そんな奴らに言う資格ないだろう、ということではないの。
それはそれで理屈だ。
しかし、だからといって、国民の関心事である統一教会と自民党の深い関係について
国会で誰かが追及しないわけにはいかない。政権与党が外国のカルト宗教勢力に侵されているとすれば、
それはおおきな問題だから。 ああ、おしっこ出た 3時か
昔確か中曽根康弘が首相だった時、共産党に「自民は統一教会と関係切れ!」って国会で迫られて、逆に「信教の自由否定する独裁政党だからそんな横暴なこと言える」って居直ってたな
ドイツのようにウヨ(=ネオナチ)もパヨ(=共産党)も等しく公的活動禁じてりゃ、新左翼も統一教会もあんなに好き勝手出来なかっただろうし、公明党の政権入りもなかっただろう
ただそんな荒っぽいやり方だと、現在ドイツ人が読むことの出来ない「我が闘争」の全訳版(戦前はカットされてた、ヒトラーが日本人見下した箇所も訳されたやつ)読む「出版の自由」も、多分享受出来なかった
ま、ウヨパヨにとってはその方が都合いいんだろうけど 所詮この手の人達の拉致被害家族やカルト信者家族への「同情」は、イデオロギー的打算に過ぎない訳だしね
「三田」夏季号にナコルチェフスキーって慶応で教授やってた人の論考が出てる 現在ウクライナに居るナコル氏、ホントは慶応に戻りたいのだけれど、これまで教えてたロシア語の講義はもう出来ないので戻れないって書いてる
韓国が日本文化全面的に開放したのは確か戦後半世紀以上経ってからだが、ウクライナの場合はたしてどうなるのだろう
>>894 >>898
てかそもそも一応リベラルに入る立憲まで統一教会に侵食されてるとなると、多分もうどうにもならない (ドンキホーテなもの言いだって自分でも思うけど)文芸批評家なり損ねとして、本当に忸怩たる思いだ
田原総一朗、こういう問題こそ「朝生!」で取り上げてくれ 「朝生」飽きて卒業したやつも、みんな見るぞ! ≫一応リベラルに入る立憲まで統一教会に侵食されてるとなると
浸食の程度が、野党は自民党の数十分の一くらいだから、それほどでもないだろう。 >>885 >>901
うっかりしてたけど、田原も拉致被害者家族傷つける発言してたんだっけ ただそれでも、高齢の彼に万一のことがあったら、「朝生」もう終わるんだろうな
それと改めて補足しとくと、浅田や中沢の(885番レスでの)発言聞いてみると、正直(サリン被害者に無神経過ぎるってのもあるけど)この人達の講義聴講者やゼミ生ホント可哀そうだ 相対主義ポストモダンの皮被った絶対主義パヨクの弊害のみ際立ってる
コロナ感染者いよいよ2万人台に 重傷者・死者少ないのが、今のところ救い リベラル叩きで世の苦しんでる少数派を傷付けてきた輩が憂いのポーズ(これが文学的とか思ってんですかねw)きめてよく言うよって話ですね 安倍元首相国葬でほぼ間違いなく統一教会問題はウヤムヤ
共産党のようなパヨク世界観政党(=疑似カルト)がわめきたてたところで所詮ヘビに対峙するヘビ 「九十九匹」に対する「一匹」では決してない……
このスレ、もう批評スレじゃなくなくなりつつある ネットニュースで徴兵忌避するロシアの若者達の記事見つける
ウチ一人に「知人もいて兄弟のような国ウクライナで戦いたくない」って人がいて、このことで家族から非国民呼ばわりされてるって出てた
>>899で「ロシア国内での反戦派は一部だけ」っていって、もはや同国への嫌悪・憎悪隠さないナコル氏のこと、改めて思い出される 同国→同国民全体(プーチンだけでなく、「特別軍事作戦」支持するほぼ全てのロシア国民) なんか簡単に中沢や吉本のオウムとの関わりと安倍自民党の統一教会との関わりを並べて同一視してるけど全然レベルが違うんじゃないか?
中沢や吉本は日本でチベット密教を実践してるオウムを面白がってはいたけどまさか地下鉄サリン事件みたいなテロを起こすような教団とまでは思ってなかったでしょ
対して安倍は年齢から言って統一教会のヤバさを知らないわけがないのに政治家として後押ししてるわけで悪質さのレベルが全然違う
中沢ーオウム問題を云々するなら中沢浅田対談くらい当然読んでるはずがこの人その程度も読んでないみたいだし
この人仮にも文芸批評家目指してるのに考えの全てが雑なんだよな
リベラルー左翼への妙なルサンチマンだけでやってるネトウヨと同レベルw 大江や中沢や美味しんぼ批判するのは勝手だけど傷ついてる被害者を持ち出すのはこれを持ち出せば文句言えないだろうというリベラル叩きのためのネタとして使ってる悪辣さ ウクライナ危機への対応見ても分かるが、私達にとってこうした問題、所詮「地球の裏側」でしかない(でなきゃ「自衛」戦争してる国への非核通常兵器支援について、もっと真剣に議論されてるだろう) てかそもそもおんなじ日本人の場合でも、少数派に留まるカルトカルト被害者には(これまで)無関心だったんだから、当然ともいえる
(パヨクの場合)北朝鮮ズブズブだった社民党党首が統一教会問題で騒いでるが、過去拉致被害者に辛辣に批判された件蒸し返されたら、その瞬間また押し黙るだろうし、サリン事件被害者無視して「冗談発言」でごまかそうとしたニューアカ連中、少なくとも今のところ何もいってない 政治家とカルトの癒着がどれほど深刻でも、これではどうしようもない
ミギ・ヒダリに無関係な良識派の登場望みたいが、これも絵に描いたなんとやらだ
↑のレス(910・911)のヤツ、もしかして以前に取り上げた「福島原発事故は原発招致した地域住民の自業自得」っていってたバカかな だとしたらこれ以上何いっても無駄だな 「名無し」だから分からんけど、出来るだけ関わらんようにしようw
うっかり忘れてたけど、今日は(海の日だけじゃなく)京アニ事件から3年目の日でもある
追い詰められた人間が凶行に至ってしまう点は安倍銃撃犯と同じだが、あの放火犯が激情的に無差別殺人行なったのに対し、銃撃犯の場合、安倍自身への憎しみっていうより、元首相を殺すことで統一教会問題を社会的関心事の中心に浮かび上がらせることが目的だったらしい その意味では逆説的なマキャヴェリストともいえる(狙ったのも安倍個人だけだったし)
先ほどワイドショーでコメンテーターの一人が「九十九匹」の側から犯人を激しく非難してたが、この件で本当に怒りの声、「やり方がおかしい」って声上げることの出来るのは、本来昭恵未亡人とカルト信者の家族達だけだろう
それにしてもどうして私達、霊感商法問題忘れてしまったのだろう
少なくとも今出来るのは、オウムに吉本や中沢が関わった問題、否それよりも前の、ヤマギシに鶴見や越智道夫が絡んだ問題、ヤマギシに失望して脱会しながらオウムの代弁者になってしまった島田裕巳の問題、きちんと向き合うところからじゃないだろうか(人によっては影山のこという人もいるだろうが、少なくとも幸福の科学の場合、かなり政治的、てかナショナリスティックな主張してるものの、サリンテロも霊感商法もやってない こっちの方はもう純粋に「信教の自由」ってことになろう ) カルトを問題にするなら、世界的カルト宗教の創価を問題にしないのは、イカサマ以外の何者でもない。 一方では統一教会と関わりつつ他方では公明党とも連立する まさに自民のーーてか日本人のヌエ的国民性(?)の現われだが、逆にいえば公明党が政権参加してる限り改憲はタイムテーブルに乗らない 妥協出来ない石頭パヨクにとって、喜ぶべきか悲しむべきか
もういい加減このスレ批評スレに戻したいーー政治も「批評」として語るべきだよね 本来 まあ今回の安倍ー統一教会問題でオウムとかましてや中沢なんて話は出てこないだろうね
問題の性格もレベルも全然別物だから何の参照にもならないし
まあ彼個人が勝手にやるのは自由だが散々やられた中沢批判に新たな知見を出せるかと言うと彼のオツムじゃあ・・・w
批評なら中沢の思想にテロリズムが内包されてたのかとかオウムの思想自体チベット仏教とサブカルチャー的な終末論、ハルマゲドン思想との珍妙な混交ではないかとかいろいろあるが
しかし彼の場合例によってサリンによるテロを犯したオウムをちょっとでも認めてサリンの被害者に悪いと思わないのかーの一点張りでしょw
でもそれは批評でも学問でもなくてそこまで被害者のこと心配してるなら地道に被害者の救済活動でもしたらって話で
でもそんな面倒くさいことやる気なんてないんだろうな
あくまでネタでありポーズに過ぎないのだから >>919
w まあ否定は出来ないな ここにレスってるネット民(あなたも私も含め)基本匿名でワチャワチャしてるだけな訳だし それに被害者「救済」って言い方も、どこか宗教っぽくて正直傲慢な感じだし、少なくとも臆病な私にはムリだ
ただ統一教会報道が下火になってった理由ざっと調べ直してみて感じるのは、 有名人信者の洗脳騒ぎが治まってマスコミの宗教報道が次第に新・新宗教に移っていったことが、今回の事件の遠因の一つじゃないかとは、今でも思ってる
あとここでポストモダン取り上げたのは、浅田・中沢の「冗談発言」はじめて書籍版で読んだとき、敗戦後に「絶対平和論」書いた保田與重郎フラッシュバック的に思い出したから 確かその「転向」激しく非難してた一人が吉本隆明だった(と思う)ことも、彼取り上げた理由 この点で浅田・中沢・吉本に対し「批評でも学問でもない」ところから愚直におんなじこというべきと思っただけ
だからあなたの主張決して間違ってないけど、それ、ハイデガーとナチの関係問う本がドイツで出たとき、ハイデガーの弟子達の何人かがとった姿勢と同じにも見える
あ、もうこんな時間 じゃ、今夜はこれで 私は橋川文三じゃないので、彼が保田にいったような鋭い批判は出来ませんw
出来ることなら、是非>>919さんがやって下さい(無責任かもしらんけど)w でもまあ919番そんな「鋭さ」持ち合わせてないだろうな
私のニューアカ批判上げ足取り(=イデオロギー批判)だっての間違ってないけど、そういう反半批判自体が上げ足だからね
私のこの批判、あくまで私がこのスレでずっとやってきたパヨク批判(市民運動はマイノリティ都合のいい広告塔にしてる)の延長で、その補論として頭でっかちのパヨインテリがカルトに踊らされてんの付け加えただけだから、そこだけ取り上げてアレコレいわれたら、まあそうした問題点否定は出来ない けど正直、「じゃ、少なくともアンタがちゃんとしたこといえんの」って聞きたくもなるが、この人多分今までの私のスレざっと見た上で「切り取り」してるだけだから、おそらくそれは出来ない
かつてスガ秀美と三田マサヒロは「僕らの知ってる左翼学生、結局みんな全体主義 でも疎外されてる人達を知らしめる存在としての左翼は絶対必要 今でも左翼な人 絶対転向するな!」っていってたけど(「現代は総転向の時代である」)、鼻血マンガといい拉致被害者家族に非難される社民党党首といい、「俺は政治信条で安倍を殺す訳じゃない」っていった狙撃犯といい、もう今のパヨク、無用の長物というよりむしろ悪性の病原菌だねーー >>923
お前のような阿保が文芸評論とか、どこまで文芸評論のレベルが下がるんだよ。
今ですら、文芸評論家と言えば、馬鹿しかおらんのにw 反半批判→反批判
今までの私のスレ(「スレ」→「レス」) >>925
お前は、一回もあらゆる評論賞に応募したことのない俺を、勝手に落選者に認定したんだよ。お前のような馬鹿無才が他人を簡単に貶せることに驚くわ。 美味しんぼにしろ大江のヒロシマノートにしろ社民党にしろ群像くんは最終的にどうしたいのかがよく分からんのだよな
そんなに問題だと思ってるなら筒井の無人警察をてんかん協会が明快に批判して教科書から削除したように明快に厳密に科学的に誤りを指摘して出版停止に持ち込む運動すればいいんでないの?
社民党が北朝鮮の拉致問題を完全に把握した上でズブズブの関係だったのかは俺はよく知らんが安倍と統一協会の関係は完全に確信犯でしょ
社民党を社会的、歴史的に抹殺したいのか未来永劫責任を問われるという意味なのかよく知らんがそれなら保守の安倍も似たようなあるいはそれ以上でしょ
安倍も統一協会を庇護した男とのみ評価すればいいのかな?
俺は是々非々で行きますがw しかし批評、批評といいつつそれしか無い程度の頭なら被害者の救済活動や糾弾活動とかそっちに進んだほうがいいんでないの? ネット記事に河P直美の暴行問題が出てる 今回は珍しく女性権力者のパワハラか ≫保守の安倍
たいがい安倍晋三を保守主義者だとかいうのはやめたほうがよい。
たとえば、南朝鮮のカルト宗教と親密な保守なんてものはありえないでしょう。
安倍晋三という人に何か主義があるとすれば(私は主義も何もないと思うけれど)、
それは国家主義なのであって、保守主義ではないのです。
岸信介についても「保守派」とかわけのわからないことを言う人がいるが、
岸はいわゆる「革新官僚」だった人で、
経済計画主義的、もっといえば国家社会主義的な考え方の人だったのです。
安倍内閣にしても、増税しまくり(大きな政府への志向)、
金融市場には介入しまくり(市場介入主義。何しろ中央銀行が株を買うという前代未聞のことまでやっている)
保守的でもなければ、自由主義的でもないのです。 しかし安易に第三者が被害者を持ち出すのは書くことの倫理としてどうなんてのはあるな [満州事変後の犬養,斎藤,岡田の各内閣で大蔵大臣をつとめた高橋是清が行なった財政政策。前任の井上準之助が主導した金解禁 (金本位制度復帰) のための緊縮財政に反対し,低為替,低金利,財政支出拡大の積極政策をとった。これはケインズが主張した有効需要創出策を経験的に先取りしていた面があり,高橋を「日本のケインズ」と呼ぶ者もいる。]
こういうのは、ハイエクにいわせれば「隷従への道」でしょう。
アベノミクスというのは、その高橋是清の真似だというのが通説で、
それは安倍元総理の自己の政策についての認識でもあったでしょう。 高橋是清と安倍晋三
ともに事実上の財政ファイナンス政策に踏みこんでいた。 山口二矢を日本の赤化を防いだ義士だと評価する国粋団体もある。
だったら、随神の道を朝鮮カルトから守った義士だ、というように
山上容疑者を評価する国粋団体があってもおかしくないはずなのだが。 >>931
ホント 大江健三郎や雁屋哲、その愚かな信者、根本的に反省して欲しい これは吉本でさえ判ってたことなんだから
その点の自覚ないのが、安直に被害者救済なんて軽口叩く 自分自身の中の無神経さ(=残酷さ)理解してない証拠
>>934
敗戦後の右翼は基本赤尾敏筆頭に反共親米が殆んど あえていえば反米右翼の一水会が思い浮かぶがあそこはテロ否定してる
そもそも「政治信条じゃない」って言ってる山上被告をそんな風に祭り上げるのは、タチの悪い冗談としても彼に失礼 被爆者を「平和の現人神」にした大江その他と、もう変わらない 逆に何でやんないの?
安全地帯でポーズ決めてるだけじゃんw [世界中の金と女は本来全て自分のものだと疑わず、その現実化に手段も結果も問わない自称現人神。
私はそのような人間、それを現実に神と崇める集団、それが存在する社会、それらを「人類の恥」と書きましたが、今もそれは変わりません。]
(山上容疑者の手紙から)
日本社会が朝鮮カルト宗教に侵されていることにたいする義憤があきらかに読み取れる。
義憤にもとづく行為、それが仮に随神の道を朝鮮の邪教から守ることにつながる行為であるならば、
義挙であると評価する国粋団体があっても
本来ならばふしぎではない。 >>932
>アベノミクスというのは、その高橋是清の真似だというのが通説で、
>それは安倍元総理の自己の政策についての認識でもあったでしょう。
金融機関が保有する国債を
故安倍元首相の言う「政府の子会社のようなもの」である日銀に買い取らせる
簡単に言うと親会社の負債を子会社に飛ばし
その代償として通貨供給量を増やす事実上の財政ファイナンス
そうすると通貨供給量が増えるので円安が進行する
円安が進行するのなら海外からの投資が増えて株価が上がる 問題点は円安誘導による価格競争力が上がったのに輸出(特に北米)がそれほど伸びなかったことと
社会保障税源が消費税と紐づけされていたので緩和措置と同時に財源確保のために増税に踏み切ったこと
そしてマクロスライドということで年金給付額の抑制までしたので国内消費が冷え込んだ
緩和と財出は現代経済理論の定石だからいいとして
その一方で正反対の増税と歳出抑制をやると内需型経済の日本では経済が収縮に向かう
GDPの伸びとリフレ率が未達だったのはそういうことですね
完全雇用が実現されても賃金上昇が低位で需給ギャップが存在する理由です
消費税と社会保障の紐づけをやめて増税をしばらく延期すればよかったわけですね
そういう意味では残念な経済政策だった
本人もそこらへんは自覚していたらしいので
結局押し切られたというのが実情でしょうね 美味しんぼは散々批判されてたじゃん。大江は吉本が批判したじゃん。それでいいじゃん。
それ以上というと岩波や小学館糾弾して絶版に追い込むくらいか?
それとも文芸評論家様でデビューして颯爽と吉本の口真似したいとか?w 朝日川柳での安倍元首相死去直後の投降句に対し、決して保守ともウヨともいえないたかまつななや茂手木健一郎といった複数の識者が批判の声あげてる
実際目を通してみて感じるのは、これはもうただのヘイトとしか言いようがないいってこと 唯一マトモなのは赤木俊夫氏に対しても等しく弔意の念持つべきだって句だけ
やはりこのまんまじゃ、哀悼とは別に統一教会とのズブズブ追及すべきってのも「いつの間にか立ち消え」ってことになるだろう
有田芳生ーー彼は文芸誌にはほとんど顔出さない元議員のジャーナリストだけどーー自民タカ派に都合の悪い統一教会問題にも、そして社民の古参党員にも都合の悪い拉致問題にも関わってきたが、さしあたっては彼にエール送るしかない(ま、ヒトラー発言して居直ったまんまの菅直人いる立憲民主は支持しないけど)
ただ正直有田の政治姿勢の全てには賛成できない 個人的にはもう少し「原理主義」引っ込めて欲しい 自民の対外強硬派の一人である青山繁春氏が統一教会の「票回し」について内部告発のインタビューに応じている
今度のことでカルト問題深刻に考えてる人達でも、そのほとんどは、こうした「与党内良識派」に癒着克服への期待寄せてるのが実情だろう 宗教カルトにイデオロギーカルト取って変えようなんて輩は、後者の信者以外誰もいまい
(話は変わるが)石原慎太郎が様々な問題発言で物議醸したとき、少なくとも彼は(それがどんなに露悪なものであれ)何らかの反論・釈明した
しかしながら、平成(令和)パヨクの場合、「土人発言」「オウム冗談発言」のニューアカの人といい、「ユーミン夭折発言」の政治学者といい、ただ居直るばかりで露悪であろうとすらしない
確かに昔に比べてコンプラは厳しくなった だがなぜかパヨクインテリーーことに何らかの公職についてる学者インテリーーは、ほぼ全く無責任なままだ
じゃ、お休み >>942 投降句→投稿句
>>944 青山繁春→青山繁晴(春→晴)
夜尿ヤレヤレ >>942 ヘイトとしか言いようがないいってこと
「い」一個とってね 彼の謎基準では皇居に土下座する馬鹿な日本人や安倍ちゃんを批判する輩は許せないが韓国人、中国人、女性を愚弄、蔑視するのはOKなわけねw >>942 茂手木健一郎 「手」とってね
↑のレスやや意味不明 ただこのヘイトの主、浅田の土人発言支持してるらしいこと つまり第3世界の人への見下しや、中絶の権利のもと障碍者の胎児段階での「処分」肯定してること 故人への賛否と哀悼は別だって理解出来ない下劣な品性の主ってのは分かる
こんなヘイト、その事実性指摘するに留める 政権党が朝鮮カルトにどうやら侵されている、ということは、
「日本は朝鮮人にいいようにされている」というネトウヨの主張してきたことが、
あながちデマでもなかったいうことだ。
ネトウヨは、その点をもっと強調すべきだろう。 個人的に最も望ましいのは日本に自由主義2大政党制の実現すること そしてその点で最もオジャマなのはぶっちゃけ共産党 これさえ壊滅してくれりゃ自民は公明とくっついてる必要もうないし、その消滅を機に大規模な政界再編始まるだろう でない限り自民その他の既成政党と統一教会の癒着も、基本このまんまだろう っていっても以上はあくまでも私の妄想 ただ統一教会の自民他の既成政党への食い込みの起源、元々共産社民(旧社会党)ってパヨクイデオロギーカルトへの対抗が原因って事実、ユメユメ忘れてはならない
これ以後は妄想じゃなく真面目なハナシ 政治家の失言があれほど問題になるのにこれが大学(=象牙の塔)の中だとほとんど問題にならないのは完全におかしい 大学人ってのは学生との関係上れっきとした権力者な訳だから 「土人発言」「ユーミン夭折発言」の主は本来きちんと謝罪させなきゃダメだし、当人がそれを拒むなら原則クビにすべき 白い巨塔の内側に篭って他者に対してのみ寛容押し付ける進歩かぶれ教官の自己欺瞞、少なくとも70年代の跳ね返り急進パヨ学生の教授つるし上げのあと、改めて再検証されるべきだったんだよね ホントは 950番のもの言い、確かに筋は通ってるがその視野狭窄ぶり完全にネトウヨ 韓国側からすれば、統一教会のような反共宗教団体大きくさせたのは自民その他の日本の反共政治家だし、そもそもその淵源は南北分断でそれは日帝支配に由来してるってことになろう
統一教会問題で日本側が韓国側にいえること それはあくまで「戦後日本」の韓国人への偏見が、植民地支配だけじゃなく拉致問題や統一教会のことも関わってるって事実だけだろう 亜非利加アフリカの土人に智識少なし、ゆえに未だ文明の域に至らず。
—福澤諭吉、『文明教育論』1889年(明治22年)
恰もアイオー洲のスウ土人が......斯の意味に於て今日の文明人は恰もチェラデルヒーゴの土人が......徳にして、移住の際にブラジル土人が......土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋の土人部落中亦之を爭奪して
......即ち、今日の憲法國の大日本天皇陛下に非らずして、國家の本質及び法理に對する無智と、神道的迷信と、奴隷道徳と、顛倒せる虚妄の歴史解釋とを以て捏造せる土人部落の土偶なるなればなり。
......彼の文科大學長文學博士井上哲次郎氏の如きこの土人の酋長なりとす。......國家社會黨の領袖山路愛山氏の如き其の土人的歴史家
—北一輝、国体論及び純正社会主義 (1906)
事によると泥烏須自身も、この国の土人に変るでしょう。支那や印度も変ったのです。西洋も変らなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明にもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。
ー芥川龍之介「神々の微笑」1922年
昨年の九月このかた、連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです。
—浅田彰、「文學界」1989年2月
柄谷: でも、あの「土人」というのは北一輝の言葉なんだよ(笑)。
中上: まあ、土人というのは悪い言葉じゃないですよ。一見、文脈で言うと悪い言葉に見えるけれど、土人というのは悪くないんですよ。いい言葉だと思います。
—柄谷行人,中上健次、「國文學」1991年12月号
去年の(東日本大)地震を見たあとくらいから、なんだかすっかり「ああ、土人なんだな」という言葉がふっと頭に浮かんだわけです。「土人」という言葉の中にいろんな意味を込めたんだけれども。
—大塚英志、『日本は民主主義社会ではない』 大塚英志×宮台真司 対談全文(前)』2012年2月5日 まあ正確にいえば「私は不法入国した三国人って言った」って釈明した程度には露悪な言い訳こいてたわけだ 厳密にいうとw しかしその後のオウム冗談発言は、結局ある日本人に原爆投下をめぐる道義的責任指摘されて激怒したアインシュタインのミニアチュールでしかない
こういう状の下で渡部パワハラみたいなことが罷り通る訳だわな
石原を珍妙な理由で擁護してお里が知れたな
被爆者や福島県民や不幸に遭った人たちを左翼ーリベラル叩きの道具に使ってるだけのゲス野郎
批評家志望なのにまともな批評=批判も出来ない頭の悪さなのは馬鹿は死んでも治らないというからしょうがないんだけど 朝日に蓮實の西部劇に関する本のことが出てる(今のこのスレもうほとんど覗いてんのいないかもしれんが、今回はこれについて述べる)
ここではジョン・フォードのこと扱ってて、要は彼を単なる保守ウヨとみるべきじゃないっていう、そこだけ切り取るなら町山智浩が昔「別冊宝島」とかでいってたことの繰り返しだが、無論詳細な点は違ってるだろう
ただ大分前にもこのスレでちょっといったけど、蓮實こういう一方で「シンゴジラ」が3,11のメタファーたり得てるか否かってことすっ飛ばして「ファシズムだ!」なんて、一昔前の大江健三郎みたいなこというんだよね つまるところいずれも自分ではトレランスだって思い込んでる石頭リベラル(溜め息)
現在のもう一回り下世代のサブカル評論家、ユメユメ将来自分の「推し分野」以外にはデタラメな妄言吐く「オエライ大家」だけにはならないようお願いしますw
浅田彰も福島原発のアレゴリーとしてのシンゴジラを評価しつつファシズムと批判してたけど批評家志望ならシンゴジラはファシズムではないことを論証すればいいでしょうに
ネトウヨレベルの単なるレッテル張りじゃ批評を放棄してると言っていい
まあ単に頭が悪いんだろうけどこんな低レベルと付き合ってあげた大学の先生方には同情を禁じえない(トホホ 「REAL KYOTO」掲載
浅田彰
〈左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。〉
とはいえ、「シン・ゴジラ」は、日本の怪獣映画であって、
伝統的にそんなような筋書きが制作しやすいのだろうから、しょうがないところがある。
文句をつけるならば、いまさら「ゴジラ」なんか作るのが
そもそもばからしいということではないか。
ただし、わたしは「シン・ゴジラ」をみていない。 ≫蓮實こういう一方で「シンゴジラ」が3,11のメタファーたり得てるか否かってことすっ飛ばして「ファシズムだ!」なんて、一昔前の大江健三郎みたいなこというんだよね
アメリカに亡命したユダヤ人のジークフリート・クラカウアーの「カリガリからヒトラーへ」では、
ワイマール期のドイツ映画のほとんどについて、
ナチ体制の美学へ橋渡しの役割をはたしたものだというような評価をした。
リーフェンシュタール監督の「意志の勝利」は、
フリッツ・ラング監督の「ニーベルンゲン」の「壮麗」な美学を引き継いだものだとも論じた。
蓮實重彦はながらく、↑のようなクラカウアーの映画史のような映画批評の在り方自体を
批判していたものだが、「シン・ゴジラ」に関してそのようなことを述べたというのが事実ならば、
さすがに歳をとって気弱になったということではないだろうか。 なお、↑のクラカウアーの説は、スーザン・ソンタグが「ファシズムの美学」で、
援用していたはずだ。 七十年代「宇宙戦艦ヤマト」、八十年代「機動戦士ガンダム」、九十年代「新世紀エヴァンゲリオン」
こういうふうに、大ヒットアニメにも、ずっと軍国主義的なかんじのするものがあるではないの。 >>959 以下6つ
959以降の6つのレス、その文体からして多分おんなじ人ので、このスレの比較的初期から頻繁に書き込んでた人のだろう 以下その前提で話を進める
浅田のいわゆるオウム冗談発言以後のニューアカの本全く読んでないが、彼のこのもの言い、彼が(キングコングがアメリカ人のアフリカ系への差別の表象であるように)ゴジラが日本人の被爆者への(上から目線の同情を含んだ)偏見の表象であること、 蓮實・大江の石頭コンビ同様全く分かってない証拠だろう(この点、中沢の方がまだサブカルに理解あるかな?w)
ただ上6つのレスの主、ここでは蓮實に疑問呈してるけど、これまでの書き込みからも感じるのだが「批評」ってよりは「政治主義イデオロギー批判」の色彩が濃いと思う それは(毛色の異なる)「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」をまとめて「軍国主義的」っていってる粗雑な点にもあらわれてる かつて橋川が、杉浦昭平の保田與重郎批判を「罵倒ではあっても、「批判」「断罪」には当たらぬ」っていたのが思い出される
少なくともはっきりしてるのは、「エンタメ映画で3,11メタファーとして描けるか?」ってアポリアに挑んだのは、「シンゴジラ」とその露悪パロディたる「大怪獣のあとしまつ」だけなのだ その意味で、蓮實も浅田も平和ボケパヨクとしか言いようがないーー
〈左右の政治的対立による停滞を超えたプラグマティックなテクノクラート集団が、例外的事態に際して非常識とも思える大胆な決断を行い、事態の収拾に成功するという政治的ファンタジーこそは、ファシズムなどを生み出した「維新」のイデオロギーであるということを、忘れるわけにはいきません。〉
これへの批判に全くなってない
意味不明の飛躍ばかり
もうちっと論理的に書けないのお馬鹿さん? ≫彼が(キングコングがアメリカ人のアフリカ系への差別の表象であるように)ゴジラが日本人の被爆者への(上から目線の同情を含んだ)偏見の表象であること
そういうのは解釈だから。解釈をしないのが蓮實流なわけよ。
それに解釈としても、あまりにありふれていて、つまらないというか、くだらないだろう。 浅田彰は、上つ方がああでもないこうでもないといっている間に
命令系統などを度外視して決断するようなテクノクラート(など)をヒーローとして描くのが、
ファシズム美学的だというのだろう。
しかし、そういうのは、パニック映画なんかはもっともそうだけれども、
ある種の娯楽映画の定番だからしょうがないわけよ。 ≫毛色の異なる)「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」をまとめて
わたしはテレビアニメをほとんど見ないので細かいところがわからないのですよ。 ファシスト的決断主義を難し気にすると、
「決意性は、その存在論的本質からすれば、そのつど、そのときどきの現事実的な現存在の決意性なのである。現存在というこの存在者の本質はその実在である。決意性は、了解しつつおのれを企投する決意としてしか「実存する」ことはない。しかし現存在は、決意性において何を基盤としておのれを開示するのであろうか。現存在は何へと決意すべきであろうか。答えを与えるのは決意自身のみである。(…)決意こそ、はじめてそのときどきの現事実的な可能性を開示しつつ企投し規定することなのである。」
(ハイデガー『存在と時間』)
こういうことになる。そして、その決断主体がテクノクラットだと、いかにも左右の国家社会主義的ということになる。 ゴジラの皮膚をいろいろ試行錯誤の上でケロイドをモチーフにしたとして制作者にそんな被爆者云々な意図があったかどうか
制作者の意図に関わらず結果としてそのように受け止められかねない表象として機能したかどうかも怪しい
というかはっきり言って誰も思ってないだろうw
言われてみればなるほどケロイドかと思う人がほとんどじゃないかな? 『新しき土』(あたらしきつち)は1937年(昭和12年)2月公開の日独合作映画。ドイツ語版のタイトルは『Die Tochter des Samurai』(『侍の娘』)。
蓮實重彦は、原節子追悼文でも
↑の映画で彼女が「ファシストの美少女」を演じたことには触れなかった。
そういう人がきゅうに「ファシズム!」なんて書いたのだとしたら、
わたしなんかは、思いがけないことを言う、やはり人は歳をとるものだ、
という感をもつのですよ。 おしっこ終わり
キングコングを観て奴隷船で運ばれる黒人を思い浮かべることなく(ま、これは仕様がない面もあるが、私はコングの主だった複数のリメイク目を通した上で、このありきたりのことだけをあえていってる)、ゴジラ観て被爆者や特兵器のこと全く考えないってところが、まさに度し難いまでの平和ボケパヨク(こういう批判する人の脳みそ、日本には原爆投下も原発事故もなかったことになってるんだろう) それとも何か別の考えがあってそういってるならきちんというべきだろう
そもそも作品そのものをたとえ断片的にせよ観もせずに好き勝手いうってことがおかしい その原因の一つは、間違いなく大江、蓮實や浅田のごとき連中のせいってことだわな(溜め息) この種の上げ足もう沢山
統一教会取り上げたワイドショーに教会から一斉に抗議の電話がかかってきてるそうだ 負けずに頑張って欲しい
さっ 寝よう
特兵器→核兵器
ああ、一度目がさえるとなかなか眠れん
このスレあと25か >>973
蓮實自身が左翼から右翼への転向組だからな。
転向者ほど転向者にきつい一例が蓮實であって、
それがブランショへの嫌悪にも出てるんだろう
が、自分の転向や、そのコンテクストには無自
覚だ。だからこそ、宮川淳のブランショ好きを
無邪気に馬鹿にできる。蓮實は自分自身を馬鹿
にしてるに過ぎない。 そもそも敗戦後すぐに丸山真男 が論じたように、日本はファシズム国家だったことなど一度もない 「シンゴジラ」が単純に福島へのエールだったのに対し、その露悪パロディ版「大怪獣のあとしまつ」では怪獣の死体処理をめぐるドタバタ(=無責任の体系)を皮肉たっぷりにコメディタッチで描いてた(それだからか、少なからざる観客に不評をかった やはりそんなもの観たくないってのがあったんだろう) 浅田のいってることきくと、風評被害問題スルーするばかりか、ありもしないファシズムに怯えてみせたりとか、要は何も考えてないようにしか思えない 大体非常時の「動員」は何ら問題じゃない(石頭パヨク以外には) ホントにまずいのは「動員不可能性」ってことなのだ ゴジラは被爆者への偏見の表象とあんたが言ったからんなことないって話なんだが
しかしあんたはそう思ってるみたいだけどそんな差別的な表象を延々何十年も使うのはあんた的にはいいのか? わざわざ言うのもアホらしいけどゴジラを見て原爆や原爆被害に思いを馳せるのと(ゴジラ自体が福竜丸事件の余波の中で制作されたのだから)
ゴジラを被爆者への偏見の表象と受け止めるのは全く異なるんだけどな >>971
訂正
×国家社会主義的
〇国家社会主義革命的 パヨクインテリの自己欺瞞の一つに、反核運動のもとで被爆者の古傷が蒸し返され、脱原発運動が風評被害煽りになるって事実無視して、全てを怪獣映画に押し付けようとした問題がある(大江「破壊者ウルトラマン」) こんなんだから大江、吉本は無論当の被爆者からも叱られる
コンプラ・ポリコレだけ厳格に考えんなら、ゴジラやウルトラマンはもとより「ヒロシマ・ノート」発禁にし、この種の差別扇動運動も取り締まるべきだろう 表現の自由の問題一切無視すんなら 事故から10年以上経っても今現在国が帰宅困難区域に指定する地域があったりする不幸を繰り返さないためにも脱原発運動は必要でつね 岡田斗司夫
人々が考え出す“モンスター”、恐怖の対象というのは、意外なことに、その時代の最新の科学の形を纏うことが多いんですよ。
例えば、生態電池が発見された時代、ボルターが「電極をカエルの死体に当てると、ビクッと動く」という実験を行った時代には、『フランケンシュタイン』という小説がメアリー・シェリーによって書かれました。
つまり、「最新の科学というのは、恐ろしい結末をもたらす」というのは、人類が、もうずっと昔から持っているイメージなんですね。
ゴジラというモンスターも、原爆の実験から生まれました。これは、僕らもよく知っている一番最初のゴジラなんですけども。これは、原爆によって産まれた、原爆怪獣とか、水爆怪獣というふうに言われています。
ところが、このゴジラも一番最初はこんな姿ではなかったんですね。
初期のゴジラのデザイン案はこうでした。これはもう、ゴジラファンにとっては当たり前なんですけども、全身が鱗に覆われているんですよね。
なぜ鱗が付いているのかというと、元々は「ティラノサウルスみたいな巨大な恐竜が原水爆の実験によって目覚めて、海から出てくる」という設定だったからなんです。
ところが、これではテーマ性をハッキリ出せないということで、頭の部分からこんな感じのデザインになっていきました。
これは“原子雲”と呼ばれる、原爆水爆が爆破した時に起こる雲に似せて描かれた、ゴジラの頭の形のデザインスケッチです。いわゆる“キノコ雲”です。
ゴジラのデザインというのは、こういうふうに段々と固まってきて、最初のゴジラのワニみたいな鱗というよりは「全身の皮膚が放射線によってケロイド状に焼けただれたような体表面」という表現に近づいていきます。
つまり、その時代の最新の科学による恐怖というのが、その時代の怪物の姿に反映されるわけですね。
例えば『シン・ゴジラ』というのも、福島の原発事故などをモチーフにしてデザインされています。
「最新科学への恐怖がモンスターを生む」という意味では“遺伝子工学”というのがもてはやされた頃に、遺伝子操作で産まれた恐竜が暴れまわる『ジュラシック・パーク』という映画が作られたのも当然の流れなんです。 しかし無論そんな徹底規制さすがにムリだ ただし、反核だの脱原発だの被害者援助だのに根深く育まれてる「いかにもパヨクな、上から目線の思い上がり」拒む自由、そういうことやってる連中やそのシンパ(の無自覚な傲慢)心底嫌悪する自由、当然ある
重ねがさねパヨが因循姑息なのは、例えば大江一方では柳美里の小説問題になったとき、「表現の自由」の側で証人になってんだよね この種のエリートパヨ、表現の自由とコンプラが齟齬きたすと、子供向け作品やサブカルとかに責任転嫁してお茶濁すんだよな かつての「ちびくろサンボ」絶版なんかその典型(まあ、既成事実に屈服して次々追従してったって問題もあるけど) 少なくとも「サンボ」の場合、「お母さまお父さま方へ」つけりゃよかっただけなんだよね(実際手塚マンガのときは註釈つけたんだし)
パヨの大衆運動が120パーダメなのは、関係者の耳がみんな「ウマの耳」だってこと 人間の言葉が分からない(てか分かってても聞かない、全体主義者の耳) 日本の伝統的的決断主義(決意主義)。
「葉隠」
〈武士道と云は、死ぬ事と見付たり。二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。
胸すわつて進む也。圖に當らず、犬死などいふ事は、上方風の打上たる武道なるべし。
二つ二つの場にて、圖に當るやうにする事は不レ及事也。
我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。
若圖に迦れて生たらば、腰ぬけ也。此境危き也。圖に迦れて死たらば、氣違にて恥には不レ成。
是が武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課すべき也。
こういう死への先駆的決意性の賛美というものは、「三島美学」なんぞというもののなかだけでなく、
劇画・マンガのかなにも生きている。 >>971
>>ファシスト的決断主義
安部元首相を警護していたSPらも、それなりに決意は持っていただろうが、
現代のテロ戦では前もって決断してるだけでは、テロ戦に対処できないと思う。
むしろ、マイルス・デイヴィスの「クール」のような柔軟な音楽やダンスの即
興性が必要なのではないか?
武道を幾ら練習しても、緊急の危機には間に合わない。 もう緊急事態宣言出しても意味はないだろう ただ、少なくとも舞台の小劇場やムービー・ミニシアターには、「座席一人置き」義務化すべきではないか 確かに死者・重傷者(今のところは)少ないけど 「二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。」
「若圖に迦れて生たらば、腰ぬけ也。此境危き也。
圖に迦れて死たらば、氣違にて恥には不レ成」
生きるか死ぬかどちらかの場合は、死ぬほうを選択しなさい。
図にはずれた場合、生きていると腰抜けになってしまうけれど、
死んでしまっていれば、図にはずれても、きちがいだということになるだけで、
恥ではないから。
そういうことなので、つべこべいわず死ねというのだ。 なお、「葉隠」からの引用文中の「武道」というのは、
武士道のことだ。 特撮(VFX)ファンに「幻の12話」として語り継がれてる作品がある 「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」だ この作品は現在DVD発売されてないし、セブンの再放送があってもすっ飛ばし(11話の次は13話放送)になる
そもそもの原因は核実験で荒廃した星から宇宙人がやって来るって設定だったことだ もっとも、おんなじ設定はウルトラシリーズじゃ他にもある 問題なのはこの作品の監督が、このインベーダーのデザインを(当初は昆虫がモチーフだったにも拘わらず)人間型の、それも全身にケロイドがついたものにしたためだ そう、「ヒロシマ・ノート」の末尾に出て来る「血と細胞の荒廃した種族」そのものにである(安藤健二「封印作品の謎」他)
この意味ではゴジラのケロイドも問題だし、実際被爆者の一部には批判の声もあるのだが、基本恐竜型のためかそこまで問題にはなってない 要は一度一度既成事実として封印が決まるともうどうにもならないってことだ
戦後民主主義ーーそれはイデオロギーに凝り固まったパヨク信者にとっては有り難い「神」だが、その他大勢にとっては統一教会やオウム同様、単なるカルトでしかない 出演者の一人は、DVDのみ解禁主張してるが、残念ながらもうそれは実現しないだろう ただ皮肉なのは、実はこの12話の脚本家・監ともども(いずれも故人)、どちらかというといわゆるパヨクってことだ
脚本家は「被爆の当事者が抗議に関わってる以上封印はやむを得ない」っていったが、監督は「私は反核の願い込めた だからあえて被爆者のデザインにしたんだ」って言い張ってた
あえて乱暴にいえば、かつての大江といい、蓮實・浅田のシンゴジラファシズム発言といい、昔も今もエリートパヨの「責任転嫁」は変わらないってことになる ウルトラセブンの第12話は、スペリウム爆弾の実験で被曝して健康被害に悩んだ宇宙人「スペル星人」が、腕時計に似せた道具を使って、地球人の血液を集めるというストーリーだ。スペル星人は、真っ白な体にケロイド状の火傷の跡がついた、核爆弾で被爆したような痛々しい姿だった。
当時はアメリカとソ連の間の冷戦のまっさかり。軍事的な緊張が高まっていた。脚本家・佐々木守さんは12話に込めた思いを「核実験反対ということだった」。実相寺昭雄監督も「被爆のない国へ、がテーマ」と生前に私のインタビューに答えていた。
第12話は、実相寺監督の前衛的な映像表現もあり、放送時は問題にはならなかった。
しかし3年後、小学館の学年誌『小学2年生』の付録についた怪獣カードで「ひばく星人」というニックネームで紹介されたことが大きな騒動となった。
東京都内の女子中学生がこのカードを見つけ、原爆被害者団体の関係者だった父親に相談。父親が出版社に抗議の手紙を送ったことが、1970年10月10日付の朝日新聞が報じたことで全国に知られることになった。
実際の番組では「被爆星人」という字幕やセリフは使われていない。このニックネームは、放送後にフリー編集者の大伴昌司が発案したものだった。
彼が1968年に出版した『カラー版 怪獣ウルトラ図鑑』で使ったのが初出と見られており、円谷プロが出版社などに配布した設定資料にも書かれていた。
1970年10月21日、円谷プロの円谷一社長(当時)は被爆者団体からの抗議に以下のように回答。『ウルトラセブン』第12話の封印を約束した。
出版物に於けるスペル星人の取り扱い方につきまして、弊社と致しましても、監修、管理の不行届きのありました点及び別名を被爆者星人(※)と称した点、又形状の人間に近いプロポーションであった点等を十分反省し、今後一切、スペル星人に関する資料の提供を差し控える所存でおります。
( ※正確には「被爆星人」) >>997
いわゆる「原爆症」って、要は(白血病含む)癌のことだ そもそも血液交換が治療の一貫として行なわれてる今日、DVDならまだしも(?)テレビ再放送はもうムリだろう
>>968
個人的に「キングコング≒アフロアメリカン」「ゴジラ≒被爆者」でない、より客観的で説得力のある表象説明なら是非とも拝聴したいものと思ったのだが、どうもそうじゃないようである やっぱり蓮實や浅田読んでも、なんにもならないのね このレスの主(今までもそうだったが)多分いうことがないんで黙ってるんだろう(笑・怒・溜め息) よかったじゃん
被爆者を傷つけたパヨクの作品が封印されて
封印を解くのは被爆者団体に封印解かせて下さいと土下座して許しを乞うしかないね
円谷プロはやる気ないだろうけど
しかしウルトラマン、ウルトラセブンがパヨクの作品なんて今更自明だろうw このスレッドは1000を超えました。
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