日本史上最高の歌人って誰?
たけじゅん短歌
― 武富純一の短歌、書評、評論、エッセイ.etc ―
わからない歌たちへ ― 前衛短歌、四世代の変容 ―
2015-09-22
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
穂村弘『シンジケート』
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
塚本邦雄『日本人霊歌』
夜明け前 誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
塚本邦雄『水葬物語』
いつかみたうなぎ屋の甕のたれなどを、永遠的なものの例として
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
ダマスクス生れの火夫がひと夜ねてかへる港の百合科植物
塚本邦雄『水葬物語』
殺虫剤ばんばん浴びて死んだから魂の引取り手がないの
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
少女死するまで炎天の繩跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ
塚本邦雄『日本人靈歌』 塚本邦雄、岡井隆、寺山修司から始まり現代短歌に多大な影響を与えた前衛短歌運動であ
るが、とりわけ、多感な青年期にリアルタイムで前衛に出会った、今の七十歳前後の世代
(塚本からすれば「子世代」つまり第二世代にあたる)の衝撃は相当に凄かったことだろ
う。
もろびとに青春一過さらさらにうねれる水の上の稲妻
伊藤一彦『火の橘』
君去りしけざむい朝 挽く豆のキリマンジャロに死すべくもなく
福島泰樹『転調哀傷歌』
湖にふりくらみつつたゆたえるひとりのこころ一漕の舟
三枝昂之『水の覇権』
母狩の山に雪降り母狩を見つつ老いゆく村の嫗は
小高賢『耳の伝説』
真昼間に感電死する工夫あれ かの汗の塩をも吾は愛さむ
大島史洋『藍を走るべし』 塚本の孫世代でその影響を色濃く受けた歌人は、先の穂村の他、加藤治郎、坂井修一、東
直子等が挙げられる。
砕けてもぼくの体がわかるなら母よまっ青な絵具のチューブ
加藤治郎『サニー・サイド・アップ』
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
〃 『ハレアカラ』
工学も思へばなべて一行のボードレールにしかず、さりとて……
坂井修一『ラビュリントス』
WWWのかなたぐんぐん朝はきて無量大数の脳が脳呼ぶ
〃 『スピリチュアル』
そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています
東直子『春原さんのリコーダー』
特急券を落としたのです(お荷物は?)ブリキで焼いたカステイラです
〃 『春原さんのリコーダー』 さて、戦後七十年ともなれば第三世代でさえももはや壮年期である。そうなると当然、第
四世代、つまり「塚本の曾孫世代」がすでに活躍し始めている。
「水菜買いにきた」/三時間高速を飛ばしてこのへやに/みずな/かいに。
今橋愛『O脚の膝』
痣売りや石並べ屋が繁盛する火星がなつかしいね くわがた
雪舟えま『たんぽるぽる』
婦人用トイレ表示がきらいきらいあたしはケンカつよいつよい
飯田有子『林檎貫通式』
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔
〃
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
永井祐『日本のなかで楽しく暮らす』 奥の細道の旅において、松尾芭蕉と弟子である曾良は、旅の情景を俳句に詠み、記録する行為を常に行っていました。歩きながらノートを広げ、一句を詠み、書き込むという行為は、並大抵のことではありません。旅の不安定さや揺れ動きを表現する上で、冒頭が舟旅の情景を詠んだ句であることも効果的な役割を果たしています。このように、松尾芭蕉と曾良の旅における行動は、俳諧師としての資質の高さを示すものであり、特に旅の情景を俳句に詠み、記録する行為は、彼らの芸術性の高さを象徴するものと言えるでしょう。