【街とその】村上春樹【不確かな壁】Part2
昔の「街と、その不確かな壁」も読んだから
あの街の話を読むのも三度目か 今回は設定がだいぶ変わってるな
過去2作に比べ第一部の彼女の影が可哀想に見えてしまう >>4
宇野氏は近年の作品はいつも否定的だから…
これが肯定だったら「今回のはひと味違う」「ただ事じゃない」と判断できるわけだが とうか存在すら知らんわ、誰だそれ
お前らまさか新しい本読むとセットで批評を読んでるのか? Amazonで『不確かな壁』を注文したら表紙が破損した本が届いた。
交換を要求したら、また破損した本が届いた。 破損品が届いたことをカスタマーレビューになんども投稿したが、頑なにスルー。
そのくせ同じことを訴える他のカスタマーのレビューは投稿。
同じ人はほかにもいる。あなただけじゃないといわんばかりのアリバイ工作。
交換品まで破損品だった人はいないだろw しかも、破損品が届き、交換品まで破損品なのは、この1ヵ月間で、2度目。 俺もかつてある本をamazonで注文したが、キズありで交換を繰り返して
在庫4冊すべてキズものだったから、結局キャンセルして、
その本はいまだ買わずじまいだ あらすじ
1部
初恋相手が突然「ここにいる私は影で本当の私は壁に囲まれた街にいるの」とメンヘラ全開になる消える
社会人になった主人公はある日突然その街に迷い込み影を引き離される
自分はその街の暮らしを気にいるが影が文句タラタラなので影だけ街から脱出させる
2部
元の世界に戻り40代中年になった影さん会社を辞め転職活動開始
福島の小さな町の図書館長になる
ある日突然前任者に「私は1年前に死んでて今の私は幽霊なんです」と謎の告白される
更に壁の街の存在を知る謎のメンヘラ少年が現れて「その街に行きたい」といいだす
ある日メンヘラ少年が突然家から失踪し消える
3部
街に残っていた主人公本体さん見知らぬ少年に付き纏われる
ある夜にその少年が寝室に現れ「僕と一体になりましょう」と言われ面倒くさいので受け入れる
しかし数日後「やはりあなたはこの街を出て元の世界で影ともう一度一つになるべきだ」と言われる
少年さん「あなたの影とは外の世界で何度も会った彼を信じて元の世界に戻りなさい後は僕が引き継ぐから」
そう言われ続け仕方ないので元の世界に戻る あらすじはそうだけど、表面的過ぎてそこは正直どうでもいい まあ、浅かろうと深かろうと、どうでもいい話だな
読みたくなる話ではない 村上春樹の新作「街とその不確かな壁」はコスパ・タイパが悪すぎるというが・・・
4/18(火) 17:39配信 セブツー
村上春樹(1949年1月12日生まれ74歳)の6年ぶりの長編小説「街とその不確かな壁」が4月13日に発売になった。
初版30万部。新潮社が発行元。どの記事を見てもなぜか値段が書かれていないが、アマゾンで調べると単行本、Kindle(電子書籍)ともに
税込みで2970円! 最近最新本を買ったことがないので、この2970円には驚いた。
食料品や電気代の高騰は身につまされているのだが、672ページの長編(400字詰で1200枚)ではあるが、
2970円ってどうなんだろう。これで100万部は確実と言われているのだが、2970円×100万部=29億7000万円、印刷代・紙代1000円として
原価は10億円。新潮社にとっては10億円以上の利益になるが、思惑通りいくのだろうか。ある出版業界関係者は、「恐ろしく上質の紙を使っている。同じページ数でも半分ぐらいの厚さになっているが、それでも2970円とは爪を伸ばしたものだね。村上春樹も74歳。多分ノーベル文学賞は無理だし、今回も40年前に『街とその不確かな壁』として『文学界』(文藝春秋)に発表されたもの。本人はあといくつ長編が書けるかと思うと、40年ぶりに決着をつけたかったという。それを今さらわずかに題名を変えて発表したわけだから、創作意欲の衰えは歴然としている」と語っている。 それにしても、村上春樹のタイトリングは下手だ。タイトリングのワースト1位は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だろう。編集者に発言力があるなら絶対にこんなことにはならないから、村上春樹が悩み抜いて苦しまぎれに決めているのだろう。今回の「街とその不確かな壁」ももうちょっとなんとかなりそうなものだが。
村上春樹の長編の販売部数(単行本・文庫本の累計)をランキングすると以下の通り。
第1位:ノルウェイの森(1987年):約1000万部
第2位:1Q84(2009・2010年):約860万部
第3位:羊をめぐる冒険(1982年):約247万部
第4位:ダンス・ダンス・ダンス(1988年):約227万部
第5位:ねじまき鳥クロニクル(1994・1995年):約227万部
「1Q84」以降の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013年、長編13作目)、「騎士団長殺し」(2017年、長編14作目)が評判にあまりならなかったから「1Q84」が最後の輝きだったのではないかという声が多い。しかし長編13作、長編14作についても、発行部数は100万部を楽々と超えている。とにかく村上春樹の小説はファンがいて売れるのだ。 一種のサスペンス仕立てのストーリーは凝っているし、随所に面白いエピソードや威言を散りばめ、そこはかとなく喪失感や不条理な運命を考えさせつつ、突如としてSEXに走ってしまう男女というオマケも付いて、これがウケないはずはない。これが村上春樹の小説である。今回も展開は大体予想がつくのである。しかし2970円の値段はともかく、読み始めたら止まらなくなる小説であり、これで丸々2日はつぶれてしまう。「コスパもタイパも悪いじゃないか」とムキになるのは若い証拠だ。もう会社勤めを辞め時間があり余っている「老人」には是非ともお薦めしたい。村上春樹ファンもそうした50〜60代がメインなのだろうから。 村上春樹、6年ぶりの最新長編『街とその不確かな壁』が「BOOK」1位【オリコンランキング】
4/21(金) 4:00配信 オリコン
村上春樹『街とその不確かな壁』が週間16.3万部を売り上げ、4月21日発表の最新「オリコン週間BOOKランキング」で1位を獲得した。 ニポン人はガタガタ言ってないで世界のハルキムラカミを地球上で最も早く原書で読めることを喜びなさい
しかし、文庫化されても、どうせ上・下各千円とか、ヘタすりゃ上・中・下各八百円なのだろうw
さすが世界のハルキムラカミ >>12
俺も2連チャンはある。
1冊目がありえないほどのやつで、
次は最初だったら我慢できる範囲のだったが返品。
結局古書で買った。
ただ何百冊買って、これだけなんだけど。 気に入ったレビューを載せときます(マルチポスト)
10代の頃に読み、衝撃とともにわたしの血肉になってしまった『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。
その物語に別の角度から出会い直したようで、胸がいっぱいになって少しずつしか読み進められませんでした。
これから読むかたのために物語の中身は書けないけれど、物語の中核ではない部分に少しだけ触れさせていただけるなら、「壁」の中の主人公の一人称が「僕」から「私」に、
図書館の女の子への呼称が「彼女」から「君」になっていました。
一見小さな変化だけれど、わたしにはこれはとても大きな意味に感じられました。
物語全体の親密さやコミットメントのようなものが、一段深い別のフェーズへと移行したような。
『世界の終わりと…』にそこはかとなく漂っていた「傷つくことを恐れて近づくことを拒むようなクールさ」が、「傷つくことを恐れない(傷ついても大丈夫だと知っている)温かな強さ」のようなものに変わったような。
主人公と物語の、成熟を象徴しているような。
これはきっとわたしにとって、これから何度も読み返すことになる物語。
最後に、あとがきに書かれていた「この物語が書かれるようになった経緯」を、少しだけ。
この物語の核となったのは、1980年に「文學界」に発表された中編小説『街と、その不確かな壁』。
書籍化されず「幻の作品」のような位置づけになっていたこの作品発表から40年を経た2020年、春樹さんが「もう一度、根っこから書き直せるかもしれない」と感じ、3年近い時間をかけて「まるで<夢読み>が図書館で<古い夢>を読むみたいに」書き上げたものが、本書です。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が好きだったかたにはきっと、溜息のでるような素晴らしい読書体験になると思います。
村上作品がだいたいそうであるように、
本書もまた賛否両論あるのだろうと思いますが、わたしにとっては宝物のような作品。
春樹さん、ありがとう! >>28
僕と彼女から、私と君に変わったと。
これは柄谷のチカコ―の影響かも。
平等で交換可能な人間関係は私と君以外に有り得ないか。
ウンベルト・エーコの「フーコーの振り子」で、語り手のカソ―ボンがイタリアの学生運動の最盛期の1968年当時、人気があった
バーで年齢や社会的地位に関係なく、誰もがtu君、buy me a drink俺に一杯、おごってくれ、と話しかけたことを回想する場面があるが、
無償の贈与は親密でざっくばらんの乱暴な請求がきっかけだったw >>「壁」の中の主人公の一人称が「僕」から「私」に、 図書館の女の子への呼称が「彼女」から「君」になっていました。
↑↑↑
当たり前やん。
時制が何十年か飛んでいることを示すため!!
だいたい、「僕」の時代は17歳で、「私」の時代は45歳。中年のおっさんが「ぼく」じゃオカシイから「私」にしているだけ。
鬼の首でも取ったような大発見みたいに書いてるが、別にどうってことないこと。 >>31
「僕」は僕ちゃんのことじゃないよw
100才超えて「僕」を使う奴も多いぞ。
ボカァとか、ボキュも僕の変種だ。 17歳の時と45歳の時をカットバックする章立てするにあたって、読者に分かりやすくするためなんだろ。
どっちにしろ、大した話じゃないわ。 >>13
一部の初恋の話は革マル女子との駆け引きの話。
二部の福島県Z町の図書館の話はやはり、Zだけに革マルとの因縁の話か。
二部と三部では埴谷豊の「死霊」の影響が伺える。
村上の軽いタッチが良い。これを読んで解放される人もいるだろう。 般若豊 これが本名
転じて埴谷雄高をペンネームとした
『死霊』は戦後日本文学の金字塔
もし村上春樹がこれを受け継いだのなら、それは日本文学にとって喜ばしい 村上春樹は、埴谷雄高とは似ても似つかないけどな。
「死霊」は一文一文読むのがしんどい。
村上春樹は、読むのはスラスラ読める。ただ、思わせぶりな伏線にもなっていない伏線で途中何度か立ち止まるだけだが。
にしても、埴谷雄高はなぜあんな難解な文体なんだろう? 井上光晴の密着ドキュメンタリー映画「全身小説家」に出てくる実際の埴谷雄高は、ごく普通の世間話をする、ただの爺さんなのに。 >>38
もはや、ノーベル文学賞だなんて無理じゃん。
村上春樹の小説の登場人物で、女性たちがセックスの対象でしかないことが、ここまで国際的に認識されていて、しかも、それをインタビューで指摘された村上春樹はいけしゃあしゃあと開き直っているというではないか!!
もしもノーベル文学賞作家となったとすると、後世の読者にとって村上春樹のどの作品を手に取ったとしても、それが全てノーベル文学賞作家の作品となるわけだから、やはり、今までの村上春樹作品のように、女とみれば自分の勃起したイチモツを入れる穴としか思っていない小説は不適格極まりないってことになるわな。 >>39
男女平等が進んだスウェーデンでは、こういう男尊女卑の作風は嫌われる
アメリカの男性白人作家もスタインベックを最後に
70年以上選ばれていない理由もそこにあると言われている
村上春樹より早稲田の後輩小川洋子が有力だよ 小川洋子かぁ。
確かに凄くいい作家だと思うし、実際、海外に翻訳されてはいるけれども、ノーベル文学賞っていうタマではないと思うがなぁ。
例えば、「博士の愛した数式」とか「ミーナの行進」とかが世界水準で海外の他の作家の小説を圧倒しているかと問われれば、まだまだだと思う。 読了した。
あくまで個人の感想だが最高傑作に近い。
でも少数意見かも。 >>43
一気に読めた
退屈なところが無かった
この感じはノルウェイの森以来だ
個人の感想です 少数意見だろうな
春樹の1000枚以上の大作郡の中でも最も文体が薄い作品だし 正直、何が良いのかさっぱりわからん
これが良いって思う人は、自己愛が強いと思う
私は、ぼくは、君は、とか
そこに良いものを勝手に投影している
俺は、そこにバイアスをかけられない
バイアスをかける理由がない
物語がその力を発揮してくれない おそらく村上春樹は物語から離れた小説、物語批判としての小説、
エンタメではない小説を初めて書こうとしたのだろう
それが成功したか否かはまだ判断できないけれども 村上春樹は普通の作家だと思うが、彼のなかで敢えて一番いいのは、残念ながら初期作の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」になるんだろうな。
あれにしたところで奇数章と偶数章とで別の物語をパラレルに語る技法は、フォークナーの「八月の光」や「野生の棕梠」、スタインベックの「怒りの葡萄」とかで既に使い古されているのの三番煎じみたいなもんだし。
別にどうってことない。 >>49
二つの物語を交互に配置する小説はもっと前、19世紀にトルストイが
『アンナ・カレーニナ』で書いている
手法の新しさを競うことは21世紀の現在、あまり意味がない
手法はほぼ出尽くしているから
問題なのは言葉の実質だろう それよか、主人公が努力もしないで、魅力もあるんだかないんだかの人間なのに、ファストフード食べるみたいにパクパクと女の子やおばさんとセックスしまくれることが、やはり見過ごせない。
金払って風俗行くならいざ知らず、女ってこんなに簡単にセックスやらせてくれるもんなの?
同じ問題は、ミラン・クンデラにも当てはまる。
「存在の耐えられない軽さ」とか、政治亡命してる主人公が、ほぼ日替わりでセックスしまくる話。バイト先のご婦人といきなりセックス始めて、手探りで触った肛門の感触をリアルに描写されても、それがノーベル文学賞作家の小説になります、ってことにはならないだろ! >>51
女が簡単にやらせてくれる少数の男は確実にいる
女にとって9割の男には興味が湧かないので、
ほとんどの男が女とセックスするためにチヤホヤするのが現実
クンデラはプレイボーイで、女にモテまくったらしい 村上春樹は普通の作家だと思うが、彼のなかで敢えて一番いいのは、残念ながら初期作の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」になるんだろうな。
あれにしたところで奇数章と偶数章とで別の物語をパラレルに語る技法は、フォークナーの「八月の光」や「野生の棕梠」、スタインベックの「怒りの葡萄」とかで既に使い古されているのの三番煎じみたいなもんだし。
別にどうってことない。 >>53
それは冷静なまともな意見だね
フォークナーの手法ですら別に新しくもないしね
基本答えのない謎かけだから(昔は解決編のない推理小説と言っていた)それも
カフカや安部公房などいくらでも先例はあるしね
それでも面白ければいいんだけど面白くもないだろ >>50
「アンナ・カレーニナ」は、小説というジャンルの最高峰の一作だし、俺も好きな小説です。
ただ、ご高説だが、ハードボイルドワンダーランドのように、一見全く関係のない物語がパラレルに同時進行する小説だと言われれば、異を唱えなければなるまい。カレーニナとカレーニン夫妻の話と、リョーヴィンとキティの話は全く関係がないかと言われれば、そんなことはなく、相互に知り合いだし、物語上、相互に行き来がある。フォークナーやハードボイルドワンダーランドのように完全に分離(もちろん途中までだが)しているわけでは、さらさらない。むしろ「アンナ・カレーニナ」は、映画の「グランドホテル」型式に近いのではないか? >>53
あれはディケンズの荒涼館から影響受けたんでしょ
東京奇譚集で荒涼館出したのはネタバラしだろう
2000年代以降は春樹ももういいと思ったのかどんどん手の内を明かし始めた >>51
俺は村上春樹の住んでた西宮の海岸に近い地域の
育ちだったが、柄の悪い小学校なのでオメコ、チンポとか言い合ってたが、
村上らの西宮の西北部地域は老舗上場企業の創業者一族や上場企業の重役や大学教授や高級船員の子弟が
多くて、子供の頃から男女で気取った話をしてたんだよ。そういう地域の男の子は全ての女子に人気があった。
残念ながら、女は上流の男の雰囲気に弱い。村上の父親は学校の教員だから、収入はたいしたことないはずだが、
幼い頃から、気取った嫌なガキだったんだろう。
女子は北でも南でも気取った男が好きだぞ。 >>58
村上春樹は、ディケンズとトーマス・ハーディとを比べて、ディケンズを読んでも小説を書きたくなることはないが、ハーディを読むと楽しくて、小説を書きたくなると、比較的最近、どこかで書いていた。
その時は、そんなもんかねぇ、と小馬鹿にして読んだ記憶がはっきりとある。 新潮文庫でハーディの小説の新訳復刊の帯の推薦文でだったかな? ハーディの『帰郷』新訳を新潮文庫から出せばいいのに
村上春樹が新潮社に勧めるべし 「野生の棕櫚」についてフォークナー自身は「対位法」だと言っているけどハッタリに近い
フォークナーはこういう虚仮威しが多い
ポール・セローが「ディープ・サウス」の中で、南部小説論、フォークナー評を書いているんだけど、厳しい評価だったな もっと曖昧にすること、メッセージを埋没させること、誇張法により曇らせること、話者を曖昧にすること、読者に謎を解かせること。
この種類の不正は英文学研究の世界では愛されるが、その外では受け入れられない。
ポール・セロー 「DEEP SOUTH」 フォークナーのパラドックス セローなんて二流の戯言を信じるヤツはアホ
フォークナーはメルヴィルとともにアメリカ文学の双璧
曖昧さ、謎めかし、誇張は文学表現に許された特権的手法
これにより読者は現実とは異なる小説の世界に惑溺することになる
ドストエフスキーや埴谷雄高もそうだろ >>65
今では一般読者のほとんど読まれてないらしいよ
フォークナー >>66
一般読者に
キミ、日本語がおかしいぞ
もっと文学を読みこみなさい まぁ、そちらは変換ミスだったとしても、
「ほとんど」とか「らしいよ」とか根拠も示さないうえに、曖昧な誤魔化し表現してることの方が気になる。 村上春樹大先生には読まれていないのは、誰もが認めるが。 フォークナーとセローを比べれば、フォークナーをとるのが当たり前
セローをありがたがるのはまだまだ半人前 柄谷行人は村上春樹の土着性の無さを指摘するが、これは村上からの一見して容易な柄谷への反撃を誘うという点で、明らかに柄谷的な挑発だろう。
何故なら、最近の哲学板の柄谷スレでも言われてるように、柄谷が尼崎のごく庶民的な地域の出屋敷から西宮の西北部の高級住宅地にある進学校・甲陽学院に
進学したこと自体が、尼崎の庶民からの浮き上がりを示すことに他ならなかったから。柄谷の上昇志向や東京志向、東大志向は明らかで、彼が尼崎の
中でも特にごみごみした街の出屋敷の出であることが柄谷の上昇志向を際立たせる。
一方で、村上の「街とその不確かな壁」の前半では、西宮の山の手の高校2‐3年の語り手の大阪の貧しい少女との恋愛の奇妙なフェードアウトが中年になるまで
彼の心の陰影になる。この小説は40年前に文学界に掲載されたものの改作+大幅な追加だというが、たぶん、今回の改作で村上はこの奇妙なフェードアウトに締めくくりを付けたかった。
それが、今回の出版の最大の目的だったと村上は本の後書きで言ってる。
土着性の無いのはむしろ、柄谷行人ではなかったか? 大江、中上と比べて、村上春樹に土着性が乏しいのは明らか
しかし、文学の質は土着性の有無では決定されない
言葉に実質があるか否かこそが問われる 村上春樹って、話題にするほど小説の中にネタがなくて、どのスレも今回の最新刊はつまらないということで衆目一致している。
ほんと、アホらし。
土着性があるとか、ないとか、どうでもいいわ! >>75
>>言葉に実質があるか否かこそが問われる
君の言語感覚の古めかしさは分かった。 75や76のような偏見やアンチを排して公平に読もうw 今回の最新作で主人公がセックスするシーンがなくなったのは、やはり村上春樹も74歳になって、もはや性的不能になったからか、若い時のやり過ぎが祟って性欲減退に陥ったからか?
村上春樹流四十八手を出し切って、ワザが無くなったからか? 今作、全然話題にならないけどどうしてだろう。本屋では入り口にコーナー設けてるのに
35万部こえて売り上げも村上春樹の長編にしては勢いがない。騎士団長の時はいい意味でも悪い意味でもスレ乱立したのに 全作から6年経って読書離れがさらに進行したんだね
読書好きな高齢者が死んで、子供が若者になっても本は読まず、
スマホでゲームか、漫画を読んでいる
書店はどんどん潰れ、一軒もない都市が増え続けている 『騎士団長殺し』も上下各60〜70万部で、大したことはなかった
『1Q84』は800万部以上売れたらしいけど 期待外れの村上春樹『騎士団長殺し』――「大量返本」の可能性が浮上(選択出版)
新潮社は昨年十一月以降に、かなり力を入れたPRを行ってきた。初版は上下巻合計で異例の百万部を刷り、
しかも発売直前に増刷をかけて過去最高の百三十万部を用意した。ニュース番組でも報じられた発売日とその直後にはかなりの売れ行きを見せ「初動で五十万部
くらいまでは一気に売れたが、そこで急激にブレーキがかかった」(大手出版社関係者)という。現に、一般書店では今もうずたかく積まれた状態が続いており、
最近では「五十万部以上が返本される可能性が取り沙汰されている」(出版業界関係者)。全量は保管できないため、多くが裁断処理されることになるが、
新潮社には「返本十万部あたり一億数千万円」(同)ともいわれる負担が重くのしかかる。 村上春樹、鼻息荒く100万部発行も、新刊『多崎つくる』は在庫の山だった!? 今回は初版30万部、第2版5万部と、前回の失敗から新潮社は慎重になっている
『1Q84』の時が異常で、刷っても刷っても売り切れ続出で、本を求める人が
いっぱいいたが、あれだけ売れた理由がいまだによく分からない >>78
公平に読んで、特に今回のは、つまらない。 比喩のキレが無くなってきてるなって思った
わざと控えめにしてるのかな 1Q84までは買って読んだな
以後は図書館で読んで
騎士団は最初の方でやめた 春樹ですら100万部いかないとか出版業界厳しいな
ここ数年100万部超えた本てあるのかな 「街とその不確かな壁」の村上春樹には救いようがない気障さがある。
例えば、女を食事に誘ったが、地元に適当な店がないという意見で一致した男女が、
「もしいやじゃなかったら、うちにこないか?簡単な料理で良ければ直ぐに作ってあげられるけど。」
彼しばらく迷っていたいた。そして言った。「たとえばどんなものを作れるの?」
「小エビと香草のサラダに、イカとキノコのスパゲティみたいなものでよければ。それに合いそうなシャブリも冷えている。この町の店で買えるものだから、それほど上等なものじゃないけど」
「聞いてるだけで心が惹かれちゃう。」
これを言える男女とかキモ過ぎやろwww >>94
>>彼しばらく迷っていたいた。
訂正
彼女はしばらく迷っていた。 自分の喫茶店に何回か来たことがある程度の客と、閉店後に食事に行く女がいるか?
まして、飲食店じゃなくて、男の自宅に誘われて、ホイホイ付いて行く女がいるか?
展開がウソ臭くはないか?
よくもこんなので新潮社の編集者はOK出したな! >>96
普通の男はありえないが、モテ男なら十分現実的な展開だ >>96
この語り手はいわゆる、不確かな語り手なんだろう。
作者の村上は語り手を突き放してる面もある。 >>97
モテ男が主人公の小説ばかり書く作家。
それは村上春樹。 >>99
クンデラ同様村上春樹もモテるんだろう
モテ男は付き合っていない女からセックスを誘われる
ほとんどの男は一生そういう体験はない