【西那須野〜京都】二十歳の原点2【高野悦子】
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独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。
前スレ
【カッコ】二十歳の原点【高野悦子】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1287500812/
案内サイト
高野悦子 二十歳の原点案内
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/ この頃、私は演技者であったという意識が起った。
集団からの要請は以前のように絶対のものではないと思い始めた。
その役割が絶対なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。
演技者は恐ろしくなった。
集団からの要請が絶対のものでないからには、
演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなくてはならないのだから。(1969.1.17) 原点案内サイトの写真を見ると、知的な美人だね。
ギターの写真とかだけだったらそれほどでもと思ってた。 私達もいつかは死んでしまう。
さまざまな喜怒哀楽の記憶も消えていく。
昨年、大学時代からの友人が病気で亡くなった。
亡くなる7日前に、「お前のことは絶対に忘れない」と別れの言葉を
病気の友に告げた。
リアルな現実を真正面から告げる別れの言葉など言わないで、「大丈夫
、治るさ」とでも言っておけば良かったのかもしれない。
私達も、とりあえず生きているにすぎない。多少の時間があるかどう
かでしかない。人間の死亡率は100%なのだから。
かと言って、特別な人生を送るなんてこともできない。 往来を歩いていて、私と同じようなおどおどした臆病なまなざしをいくつか見つけ安心した。
私のような人間が他にもおるんだと。
生きることに強い欲望をもたず、かといって自殺する気もなく、
波にゆられて小さな手をバチャバチャとさせて生きていく人間が。 青春を失うと人間は死ぬ。
だらだらと惰性で生きていることはない。
三十歳になったら自殺を考えてみよう。
だが、あと十年生きたとて何になるのか。
今の、何の激しさも、情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。 読書家のカッコちゃんがフランクルの「夜と霧」を読まなかったのだろうか?
人間は何かのために生きているんじゃ無くて、自分で出来ることをするために生かされているのに。
だから、自殺という選択肢はあり得ない。 >>1乙
こないだフィギュアを見てたらミリアム・マケバの曲が出てきてびっくりしたw
改めてYoutubeで聞いたら良い曲だった。
かっこさんと同じ曲を聴けて嬉しかった 思想や宗教そのものが必ずしも悪いというわけではなくて、
それを信じる個々の人格との融解の中から様々な悲喜劇が生まれる。
概して余裕、遊びが無い性格、生真面目な性格の人は、その思想や
宗教に全面的に染まり、突っ走ることになる。
「青春の墓標」の奥浩平なんかはその典型。
自虐性、エリート意識、自分の墓穴を掘る自意識の罠。 日記を読んでると高野さんはラジオやテレビで時間を空費しまくってるから
今だったら絶対ネットに依存気味になってるだろうな
独り黙ってると自己が露わになって辛くなるけど、
人と居るのもキツイし積極的に何かを成すほどの気力もないタイプの人間は
こういう方法で思考停止状態にして時間をやり過ごす様になる
無駄に喫茶店とか入ったりするのもそう。
人と一緒に居ても、独りで居ても苦しい人間には生きるってのは本当に過酷 高野さんはメチャクチャ焦ってる。
まだ二十歳なのに、っていう考え方がないように見える。
デモに出て焦り、片思いに焦り、未熟未熟と焦ってる。 >>青春を失うと人間は死ぬ。
>>だらだらと惰性で生きていることはない。
>>三十歳になったら自殺を考えてみよう。
>>だが、あと十年生きたとて何になるのか。
>>今の、何の激しさも、情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。
三十どころか二十で青春を失ってしまったのか?
自分を自殺へと駆り立てている、あるいは狩り立てている。
というか、一週間もまともに飯を食べなきゃ誰だっておかしくなる。
ましてや睡眠薬を多量に飲んでる。
このころ、高野さんには深く長く相談する友人がいない、孤立している。
学生運動がクライマックスになっていて個人的な悩みなど吐いている場合で
はなかったのか? 闘っている同士など友人ではなかったのかもしれない。
本当にひとりぼっちになっていたのかもしれない。 学生時代に何でも話せるような相手を見つけるのは難しい。
見栄張ったり格好つけたりしてるから。
人間の脳なんて弱いものだ。 期待が大きすぎたのか?
楽しいはずの大学生活が何故か苦しかった。
束の間の自由の中で溺れ沈んでいく生活。
自由な時間はあるが、その自由は空白だった。
異性を淡くそして強く、そして不格好に求めた。
そしてうまくはいかなかった。
高野さんもおそらくは・・・・ 高野悦子二十歳の原点案内のサイトで当時の知人たちの
証言を読んでいると、日記から受ける印象とは違う
活き活きとした生身の彼女が見えてくる。
少なくとも学生運動にのめり込む二十歳以降の最後の半年
までは、多少の悩みを抱えつつ
普通の学生生活を謳歌する女子大生だったと思う。 To live is to suffer, to survive is to find some meaning in the suffering. >>16
そのサイトに、少年のような高野さんの写真がある。
少女というよりも少年のような写真。
ナイーブで純粋で潔癖な少年のような写真。
写真から彼女の性格の一端が読み取れるように思える。 生きることに意味を求めるのがそもそもの間違えなのかもしれない
人間以外の生物は単に生きているだけだ
自分で出来ることをするだけで十分生きている意味はあると思う >>19
同感。
心身に十分なエネルギー、つまりは自然な欲望と欲求があれば、意味など
求めなくとも自然と生きていく。
多くの場合、善悪・正誤を別として、意味を持たせようとするのは外部の
思想や宗教や会社などの組織。
生きる意味、生き甲斐、自己の向上、悟り、歴史的使命、社会的役割、進歩の
歯車、弱者・貧者救済、等々の名目で人を動かそうとする組織や団体。 意味を求める人間が「思想や宗教や会社などの組織」を作り出したり、それに頼ったりするのでは。
原理的には無根拠で無意味な人間が自分の穴を埋めようとするのが意味の追求だと思うけど、
そんなものはどうしたってみつからなくて、だから何もない自分をそのまま受け入れる自己肯定感ってのが
大切なんだが高野さんにはそれが欠落していた。 >>21
鋭いですね。急所をズバリと突いていると思います。
あなたは何者ですか? と2ちゃんねるなのに聞いてみる。 大学1年で一緒・長沼さんA「グループデートと幼さの残る文学少女」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~takanoetsuko/daitokuji.html
>>エッチャンはあまりモノを食べないんです。見てても食べない。一緒に食べに行っても、
>>彼女はうつむきながら食べます。下を向いて食べて、顔を上げておいしいとか、そういう
>>ことは言わないんです。あまりうれしい顔を見たことがありません。
たとえ食欲でも、本能的欲望を満たしている姿を見られたくない、恥ずかしい、という感受性
の強い人、羞恥心が強すぎる人がいるが、高野さんもそうであったのかもしれない。
感受性や羞恥心が強すぎて自縄自縛となり、行動が不自然になってしまうというのは思春期に
はありがちなこと。
それと、女性の日記としては食べ物の話しがほとんど出てこないことが不思議だったが、上記
の「長沼」さんが感じたように、食べることに強い関心がなかった人なのかもしれない。
考えてみれば、私もそうだった、腹がふくれればなんでもよかった、食パンでもインスタント
ラーメンでも。野菜を摂らなきゃとか、栄養とか考えたこともなかった。
そして、これが後々心身に悪い結果をもたらすことになる。 >>23
そのサイトに登場する「関係者」の話しの中では、今回の「長沼」さんの話しの
中の高野さんが最もリアルな姿のように思える。
少なくとも入学してしばらくの間の高野さんの様子が分かる。
当たり前だけど、当時の普通の学生がするようなことをやってたんだ。
モテてもいた。 「長沼さん」の話では彼女の自己主張ばかり見える
合同デートをしてたのは意外だったけど
それ以外は長沼さんの自慢話としか思えない >>25
そうか?
長沼さんが告白した男が、高野悦子さんを好きだって書いてきた
人生で初めてふられてかなりショックだったという話し
自慢話にはならんでしょ
高野さんがモテたって話しもしてる
47年前のことだし、長沼さんてサバサバした性格のように思える
陰の高野さんが、陽の長沼さんを求めた、その反対も
だからこそ付き合うようになったのでは? >>26
福岡から冷蔵庫送ってもらったとかピアノがどうとか
それが自己主張じゃなくて何なの?
証言としては貴重な部分も多いけれど
それ以上に自己主張が強いと感じる いつの時代でも? 女子大生は大学1年の夏休みの後に変身してキャンパスに戻ってくるという?
1967年4月〜1969年6月24日、二年と二ヶ月の大学生活で高野さんは、当時の学生運動という
普通ではない環境の中で、少しずつ、そして急速に、大胆に変身していくことになる。
その変身の前の、入学早々の時期の高野さんの姿を、自分自身の体験とともに語る長沼さんに感謝。
そして、その長沼さん達とどう離れていったのか? 続きがあるようなので期待したい。 それにしても大学に入ってすぐに学生運動に目覚めるものなんだろうか?
世間がそういう風潮だったんだろうか?
当時を知らない自分としては謎ばかり 会社の同期で「人生なんて所詮死ぬまでの時間潰し」と言ってる奴が居たな。
辞めちゃったけど。 >>30
表現の仕方はともかくとして、基本的に間違いではないと思うが、
一人で潰すのか二人以上で潰すのか、等々でいろいろと違ってくる。 大学の同じサークルの男と酔っていたとはいえ合意の下で安宿で初体験。
それを日記の中で記憶を辿りながら追体験し、かつ複雑な自己嫌悪。
だが、決して、この初体験で男が嫌いになったわけではない。むしろ
反対であろう。恋愛とセックスへの感心を強めていったと思われる。
それはバイト先のホテルの社会人の男への好意へと続く。
この社会人との関係だが、日記だけではどのレベルまでの関係なのかは不明で
断定はできない。彼女はかなり強い好意を持っていたのは分かるが、その関係
とはセックスを含めた関係なのか、含めないデートだけの関係なのか?
そんなのあったに決まってるという人がいるが、日記からは断定できる記述が
ない。中村との関係として場所が5ヶ所書かれるのみである。その中には
喫茶店や御所の名前が書かれている。セックスした場所ではなくデートした
場所だろう。どちらにしてもその関係の深浅は不明である。
不明であり断定できないが、彼女が強く中村を求めていたことだけは間違いない。
そして中村がそれから逃げていたことも。 小林さん→渡辺氏→鈴木氏→中村さん
結局、男性に依存することでしか自分を保てなくなったのか? 中村とのリレーション。四・二七、五.一五、五・一九、御所で二回あい、テレを数回。
一体、彼との結びつきはどんな関係であったのか。彼との結びつきは単に肉体のみであ
ったのかもしれない。・・・(1969.6.2)
普通に考えると 肉体関係があったと読めるが、どうだろう?
漢数字の三回がセックスした日付か?
あるいは無理な読み方かもしれないが、
中村を好きになった理由が肉体的な性欲のみであった、という表現か? 先ずは国際ホテルでウェイトレスとコックという関係から始まり
その後飲みに行き肉体関係を持った、と読める >>34
>中村とのリレーション。
この表現に高野さんの幼さが出てるように感じる。
三回も肉体関係を持っていればリレーションなんていう抽象的な用語は使わないのでは?
中村と肉体関係を持ちたいという願望の表現のように見える。
つまりは肉体関係はまだ無く、結びつきは私の性欲願望のみという関係のみである。 その何とかいうやつにテレしたが、明日屋上に本をとりにくるということです。
私は「本を渡したい」という、ただひとこと、それがいいたいことのすべてであった。
相手に話をするひまも与えずに切った。その何とかいうやつへの伝言文に「これは私が
信条としたいと思っているアナーキズムについて書いてある本です」と書いたが、この
文自体にうそいつわりはない。(1969.6.21)
彼女はこの本を渡せたのだろうか?
中村は6.22に屋上に来たのだろうか?
アナキズムの本に何か理由があるのだろうか?
会いたかっただけ?
今の時代で言えば、ストーカー寸前か?
中村に、「君は自分を見失っている」と指摘されているが、このころの高野さんは心身に
変調を来していたのかもしれない。 やっぱ自殺者の日記は体に良くない。
負のオーラが漂い始める。
文章を読んでいるうちに引き込まれてしまう。
こっちがおかしくなりそうだ。
かなり強い力が働いている。
寒気がするほどに。 男子学生にもてていたっていうし、なんで恋愛ができなかったんだろう?
かなりの恥ずかしがり屋?
慎重過ぎた?
今で言うところのメンヘルっぽかったのか?
男女の出会いって本当に難しい。 >>22
大学生だよ。
高校の時にこの本を初めて手にとって
最近、彼女の年齢をとうとう追い抜いた >>41
優秀な学生さんですね。
あるいは人生観リテラシーの世代的な進歩なのか
古い世代の私からすれば、「根拠」も「意味」も無い自分を自覚した時点で
自己の無意味=自己否定となり、「そのまま受け入れる自己肯定感」という
発想が無かった、あるいは薄かった。
「根拠」も「意味」も無いという自覚=実存主義の原点的自覚だとすれば、それを
「そのまま受け入れる」ことに耐えられず、次に、アンガージュ、参加、乗り越え、
社会的役割、などの行動や価値付けを自分に強迫する、そういう世代が高野さんの
世代、かもしれない。 小林にレイプされて故郷とのアイデンティを失い、
自暴自棄になって自己否定に走り、酒タバコに溺れ、
自立に存在意義を見出し、過激な活動や愛の無いセックスに
心の救いを求めたが、空回りして破綻をきたし
裏切られ絶望して自殺した。 >>43
何も分かっていない。
現役の学生さんよりも読めてない。 高野さんは左翼カルトによる犠牲者だと思う。
こういう真面目な人はとことん騙されてしまい、
自分で更に穴を掘ってしまう、染まってしまう。
全身全霊で左翼になり、大学を辞め、就職できず食えなくなるタイプ。
左翼の自分でも信じていない奇麗事話とお花畑話を聞いて、本気にしてしまう人。 左翼カルトの犠牲者といったら、浅間山荘の犠牲者でしょ
高野さんは自ら墜ちていっただけ >>42
まあ言うは易しで僕自身それが出来なくて苦しんでるんですけどね。
未熟な自分を愛せない、今の自分を肯定できない人間は、高野さんもそうだけど、それを埋め合わせるために自分に過大な要求を課すようになる。
理想の自分になれば自信が持てるはずだと努力しようとするのだけれど、自分への優しさは皆無だから、心を擦り減らしながらの頑張りで、そのうち無気力や空虚さに悩まされてしまう。
自分で自分を肯定できない、自分で自分を支えられないから、学生運動に意義を見出そうとしたり、酒や他者に依存したりするようになって最後は自分であることをやめてしまった。
人間なんて死ぬまで「未熟」なのだから、どこかでそんな自分と折り合いをつけるしかないんだろうけど、それは難しい人には本当に大変な作業。
自己肯定感のようなものが持てずに苦しんでる人はいつの時代にもいて、それがこれだけ時代背景が変わっても、この本が一定の共感を得続けている理由の一つかもしれない。 自分に自信をもたぬという生来の弱さの隙間に、アットいう間に何かが入りこんで、どうしようもなくガンジがらめにしてしまう。
自分を信ずることなくして一体何ができるのか。 >>50
自分がそんな感じだから分かるが、
内気な性格が顔に出てるね。
環境に馴染めずにおどおどしてる様子。
人物としては小さくて生真面目。
ただし、思い詰めて過激に走ることも有り。
蛇足だが、性に対しては相当に強い好奇心有り。 長沼さんの証言で明らかになったことのひとつとして、
高野さんは部落研には入ったが民青には入らなかったことがある。
そして思想的なことから一旦は離れ、部落研もやめてワンゲルへ。
そして、恋愛や性に感心が向き、ちょいワル女子学生を目指して酒に煙草に眼鏡に成人映画か?
このあたりの変化はむしろ普通のことだっただろう。生真面目で未熟な女子学生からの卒業か?
そして、ワンゲルのコンパの夜、プレイボーイ氏との、酔ってはいたが、意識のある脱処女行動。
そして、快感による性の目覚めと後悔の複雑な自己破壊、自己毀損。
そして、またどういうわけか、フラっと全共闘のデモに入ってしまう軽はずみな行動と、日記で
の自己の正当化。
ここらあたりから、加速度的に壊れていく高野さん。より過激な街頭デモに何度も参加している。
同時に、バイト先の男達への好意が先走る。 >>54
何も分かっていない。
現役の学生さんよりも読めてない。
お粗末。 "「人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。
政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、
現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、
おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこに
あるんだ。」" by 田中角栄 長沼さんの見解とは違って
高野さんは最後には行動を起こした人だった。
問題なのは間違った行動だったということ。
考える人だったが、最後は直感だけで動いた人。
政治的行動も、自殺も、色恋沙汰も、すべて直感のみ。
そして後付けで自分を正当化し続けた。
思想や政治に確かにはまってはいたが、その動機も
異性との価値観や心身を含む深い関係を求めることに根源があり、
それを性急に求め、一方的に失敗して壊れてしまった女性のように思える。
色恋の問題は性別を問わず人をおかしくする。いつの世でも、危険で深い問題だ。 かっこちゃんが男性に依存してたのは、ある意味真実だと思うよ
プレイボーイ氏→渡辺さん→鈴木氏→中村さんと
彼女の心の中に男性不在だった時期が無い。
しかし、だからといってそれが全てではない 原点案内で、自殺する前夜に高野さんの世話をしたバイト先の男が証言している。
そいつが勇気を出してホテルにでも連れ込んでいれば悦子さんは生きていたかもな。
一緒に歩いていたときにもたれかかってきたこともあったと書かれている。
二十歳の男だしドキドキもんだっただろう。
大丈夫?心配だから休んで行こう、自殺したいなんて言うから一人にしておけない、
とか言って。ホテルに行かなくともしっかりと抱きしめてるとかしてたら・・・
そこから恋愛に発展していくのもあったかもな。
そんなことでガラリと変わってしまうのが人間の脳味噌であり人生。 その二十歳の男性が喫茶店にいるときに、雨に濡れた悦子さんを中に入れた。
その時、悦子さんは死にたいと言ったという。
その男性は悦子さんと中村との関係を少しは知っていて、会わせようとして
寮まで歩いて連れて行っている。その際に寄りかかれたり肩を抱いたりして
いる。あくまでフラフラと歩く悦子さんの助けとして。
その親切な男性にそれ以上の何かを期待するとしたら、タクシーなどに乗せ
ずにもう少し話し相手になってあげることぐらいだっただろうが、それを
期待するのは酷だろうな。それほど親しくはなく、顔見知り程度の関係。
その男性が今でも、僕がもう少し違う対応をしていたら・・・という気持ち
を吐露しているが、優しい人だね。こういう人にホテルへ連れ込むなんてこ
とを期待するのは無理。 異性を好きになるって辛いことだよな。
あなたとエッチがしたいのですって、言うのと同じだから恥ずかしい
のも当たり前なのだ。
オスになったりメスになったりしなきゃならない。
その究極の動物的選択を相手に迫ることになるわけで、拒絶されたら
ショックも生物的な底から生み上がることになる。
それで死んでしまった例は古今東西山ほどある。
高野さんもそのひとり。 >>57〜>>61
お前ら全員何も分かっていない。
長沼さんが的確に答えを書いてくださったのに
それすら読めてない。
エロオヤジたちの妄想うざい。 動物は子孫を残すためだけに生きている。
人間はなまじ知恵なんぞついてしまったから小さなことに悩まされる。
人に良く想われようというのは典型的な小さなことだ。
誰も他人のことに関心なんぞ殆ど持たない。
カッコちゃんも宇都宮大にでも進学し、刹那的に暮らしていればよかった。 長沼さんが感じていた高野悦子像
「学生運動の活動でエッチャンは常に一歩引いていたと思っています。自分は何をすべき
かとか、いろいろ悩んでたんじゃないでしょうか。
行動する前に、引いて冷やかに見てるんです。懐疑的なのは若さの特権だし、世の中を
知らなくて大学に行ってカルチャーショックがあるけど、彼女はそこからもう一つ抜け出せな
いというんですか。それに、よく考えているんですけど、人づきあいはあまり上手じゃなかっ
たです。
彼女は悩んで、どこにも行けないで、ずっと自分探しをしていました。」 長沼さんが想う高野悦子の自殺の理由
「その間に男性関係があったでしょう。そのことが大きいです。かわいそうで、“なんでそん
な”って。女の弱さなのかなあと思いました。
人ってみんな周りの見方が全部違いますから、何が真実かはわかりません。
ただエッチャンは人間が信じられなくなったんじゃないでしょうか。それしか考えられない
んです。(談)」 なぜ自殺したか?
それは本人の日記に書いてあるではないか。
恋愛、片思い、セックス、失恋、乱れた生活の果ての極度の疲労、これが主だろ。
学生運動の挫折らしきものは自殺の動機としてはそれほど大きくはない。
残るのは客観的な情報で裏付けするだけだ。
>>62 若い時のエロの力を見くびるな。芸術作品に昇華されることあるし、身を
滅ぼすこともある、美しくもリスクのある欲望であり欲求なのだ。 >>99
美しくはないな。
むしろ醜悪。
不細工で不器用で不自然。
悦子さんの表現を借りれば、「血と糞」の世界。 >>64
長沼さんが知る、対民青では一歩引いてた悦子さんが、
それほど時間を置かずに、全共闘では顔に傷を負うほどに、
一時的に逮捕されるほどに前面に出ることになったのは、
一体何故なんだろうか?
暗く、人付き合いが下手で、未熟が口癖の、考え込む悦子さんが、
この頃に一気に、酒、タバコ、メガネ、成人映画、安ホテルで
初セックス、と自己変身を図ろうとする。
不良の悦子さんか? 全共闘理論の自己解体か? アナキーな悦子さんか?
デモにデートにとハイテンションで気分高揚の一瞬の時を迎える。
この時が彼女が大学生になって最も幸せで充実した瞬間だっただろう。
>>中村とのリレーション。四・二七、五.一五、五・一九、御所で二回あい、>>
この間、一月足らずの日々である。 悦子さんと中村の関係ははっきりしていない。
悦子さんの一方的片思いだったのか、一時的には 付き合っていた 状態だったのか、
中村がちょっと遊んでしまい、逃げに入ったのか、それとも悦子さんの様子がおか
しくて会わないようにしたのか、等々。
「君は自分を見失っている」 「突き放しだ」 云々。
結果としては、悦子さんは、私は避けられている、ということだけは分かっていた。
本を渡すから屋上に来て欲しいとか、これが今私が信条としてる本です、だとか
あまりにメルヘンチックで、本当に中村と肉体関係があったかどうかも分からない。
「肉体だけの関係だったのだろうか」と書かれているが、それもそのまま信じられない。
下記の情報提供者は悦子さんを自殺の前夜に世話をしたホテルの同僚だろうが、中村に
は別に女、婚約者がいた、という話しもどこまで事実なのか不明。 >>また「後でわかったことですが、亡くなる1週間前、訪ねていった私と朝ご飯を食べたのを最後に、
>>あの子はほとんど物を食べてなかったんです。疲れ果てていたんでしょうね」と話している。
中村との恋愛トラブルで心労が極度に達して食欲が無くなっていただろう。
母と会っていても頭の中は彼のことばかり状態だっただろう。
自立すると言ってるそばから母に服と靴をねだる幼さ。
中村に可愛いところを見せたかったのだろうが、その乙女心がもの悲しい。
6/19日の母との京都駅での別れから実質4日後・・・・
6/19〜23に、不運にも3つの大きなショックがほぼ同時に悦子さんを襲った。
1. 中村に拒絶され、 2. 家族との別れ(母への自立宣言) 3. 思想的熱狂からの冷め
好きな男に拒絶され絶望、親への依存を自ら絶ってしまっての不安、学生運動・理論への素朴な疑問。
冷静になってふと我に返れば、生きていく展望も力もないことに気がつき、血の気が引いただろう。
絶望感でいっぱいになっただろう。
加えて、5〜6日も食べていない体に20錠の睡眠剤は、間違い無く脳や気分に影響を与えていたはず。 ODやった後って、すごく気分がめいるんだよ。
空虚感もそうだし自己嫌悪も強くなる。
タイミングが悪かったとしか言いようが無い 学生運動という激しい時代の犠牲になった学生がたくさんいた。
まだ自分から飛び込んでいったぶんだけましかもしれない。
戦時中なら学徒出陣にかかって死んでいった学生達も多くいたはず。
大不況にかかれば就職氷河期で苦しんだ学生達。 青春が終わったら生きている意味は無い、と高野さんは書く。
愚痴や弱さではなく、本気でそう考えていたのかもしれん。
否、やはり弱さがそう言わせたのだろう。
本当は楽しく生きたかったに違いないが、自壊してしまった。 田舎者の初な女の子が都会に出できて、悪い政治団体に巻き込まれたり
糞な男どもに遊ばれて、人間不信に陥り精神衰弱の上、酒タバコクスリに溺れ、
一線を超えてしまった。今の時代にもよくある悲劇。
人は人に支えられて生きている。人に心を閉ざして日記と対話していた
彼女にも問題があった。日記は自分の心の鏡でしかないから。 田舎から出てきて若干のコンプレックスがあっただろう。
それは、ほとんどの学生が程度の差があれ持つコンプレックス。
不安、と言い換えてもいいかもしれない。
悦子さんが気後れしている姿を、同じ新入生の話から垣間見ること
ができる。
悦子さんは二年生になった頃から、入学早々からの環境とそれに
関わる人間関係から抜け出そうとする。民青には入っていなかった
が、それに影響された生真面目で堅い考え方や部活から離脱する。
真面目で未熟な自分から脱皮すべく「冒険」をすることを試みる。
ワンゲルへの入部、タバコ、酒、メガネ、成人映画、鈴木との一夜
の冒険・・・。つまりは、性ある恋愛がしたかったのだろう。
これも、学生ならありがちなことで、大人への階段、成長過程の一
コマだとも言える。
では、なんで自殺という結果となったのか? それを考えてみたい。
原因らしきもの、理由らしきもの、悪い巡り合わせらしきもの。 生きることの意義とか難しいことを考えてしまったのではないかと思う。
生きているだけで、自分の出来ることをすることに意味があると気づかなかったのだろう。 ナルシストな世間知らずなお嬢様だっただけ。
人間なんて生きてなんぼ。
悪人でも生きたもの勝ち。
そもそも単なるメンヘラな日記を親父がまとめただけの本じゃねーか。
アホくさ >>79
ナルシストっていう指摘は新しいのかもな。
ナルシストとコンプレックスの併存。
というか、誰しもがそうかもな。
自分でも可愛いと思い、周囲も可愛いと認めていた。
なのに彼氏ができない、という焦り。
そして、ナルシストの部分が男によって壊された。 汚れまくった俗物たちが自己正当化に必死だなw
彼女はお前らのようになるなら死んだ方がマシだと
思って実行したのさ。 まあ日本人ってのは死人しかも自殺した人間を美化する民族だからなあ。 >>81
言ってることはその通りだ、率直に認めよう。
ただ、汚れても、俗物でも、自己正当化でも、それでも俺は生きる。
デブになっても、ハゲになっても、それでも俺は生きる。
価値観が崩壊しようが、人格が歪もうが、嘘つきになろうが、それでも俺は生きる。 二十歳くらいでは世の中分かってると自分で思ってる人でも後から思えば分
かってなかった、て回想もある。
高野さんなりに読書もしてるし考えてもいるが、異性関係や政治、大人にな
った体の変化、良く分からない渇望、にもみくちゃになったんでしょうね。
夭折した人にある生き急ぎ感、はやっぱりありますね。
高野さんのあの手記を読んだ感想は人それぞれで、同じように思いつ
めて行く人もいれば、俺は何があっても生きていく、と決意を新たにする
人もいるんでしょう。
私の感じでは、私は世代が数年違って「オタク・引きこもり世代」だけど
、感性は似てるとは思います。私もある時期日記書いていた。でも考えて
みると、日記書いてる段階はまだ考えはまとまらず、日記ではなくより
本質的に考え読書ノート作って自分の見解を書くようになってから、何か
が掘削されていった。少し変わったと思います。ハイデッガーのものを
読むと一人で引き受けるしかない存在と運命という概念があって、高野さん
のような夭折した人をどう捉えるかという問いも含めて、人間個々の生と死
の違いって何だという問題で長いこと心につっかえていたものがやや氷解し
た。
そのこらへんで<高野悦子>から本当に離れることができたかもしれない。
それまではどっかに高野さんだけじゃない夭折した人の生き方から離れら
れないでいたかもしれない。 他レス読んでて>>41の方がサルトルの哲学引用して書いてる。で、私も
一時期サルトル一生懸命読もうとしてた。で、サルトルの『存在と無』という
初期の代表作その後サルトル自身が徐々にここから転向していっ
た本があります。あれを読んでると世界がかくあるのは自分の責任というの
が世界による拘束として大きくかぶさっている。私もそこにひかれたんだけ
ど当のサルトルは実は非常に柔軟な人で、また寛大な人。アンガージュマン
についても自己の資質から目をそらさず生きていくこと自体を作家のアンガ
ージュマンとしたり、決して脅迫的な人ではない。でもサルトル主義や
『存在と無』ははっきりマルクス主義の補完哲学だたし、読む人に脅迫的
に作用するもの。ああいう哲学が高野さんの時代には影響力を与えていた
としたら、自責の念にかられ突っ走ることは想定可能。
そういう当時の思潮というか、それも高野悦子の生と死には無縁ではない
という感じはあります。 一人の女子学生の自殺で、ハイデガーやサルトル、マルクスなどの哲学や主義を
持ち出すのは大げさか、間違いなのかもしれんよ。
哲学や思想を持ち出すことによって物事の事実から遠ざかってしまうこともある。
自殺した本人がその話題を書いていようが、少なくとも自殺の直接の原因はもっと
卑近で俗っぽくて、生理的で極私的な悩みや問題で死んしまったのではないか? >>87
>自殺した本人がその話題を書いていようが、少なくとも自殺の直接の原因は
>もっと 卑近で俗っぽくて、生理的で極私的な悩みや問題で死んしまったの
>ではないか?
ハイデッガー思想自体が個々の人間が、自分でも気づけない原-像にひき
ずられていく姿を書いている。没-交渉性という概念で外部からは通じない
固有な世界があると。高野さんにかぎらず夭折した人間を解読する
toolになる。吉本隆明さんの作家論や心的現象論もだけど。
同時代を生きた人間でも高野さんのような人もいれば、同じような体験し
ながら生き続けてきた人もいるでしょう。偶然であった出来事への解釈に
その人間の原-像がかぶさる。生きるに価しないという解釈。それ自体が
個体としての人間の本質からくる外部からの理解不能ともいえる。
私はそういう読み方になっていきました。全面的ではないですけどね。
堂々巡りしてるだけの読み方じゃない読み方があると思っていたので。それ
ですべて尽くされるとは思ってないけどもね。無論これも私の読む方に
すぎず私の存在性からくる事柄ですが。 人が、「持たされる」、思想や考え方やイメージがその人の生活や生き死に
影響を与えることは間違いないだろうが、
人は実際にはこれとは違う別次元のとこで、具体的に俗っぽくも生物的な
動機と価値観で動いている、動かされている、動かざるを得ない。
あの有名な台詞と同じで、人生は本の中で起きているわけではない、具体的な
生活という現場での、喜怒哀楽を伴う日々の生活の中にある。
そして、むしろ、その具体的な喜怒哀楽が『原-像』をつくり上げているのでは
ないだろうか?
人は空っぽの箱として生まれてくる。『現-像』や『固有の個性』があるとしても
後でつくりつくられるものだ。 思想と人間観が総崩れになって彼女も崩壊した。
全共闘運動の敗北、そしてその思想の無力さを自覚し、崩壊。
恋愛を含めた対人関係の崩壊と孤立と絶望。
その結果として、高野さん自身が崩壊。 人間は1本の花のようなもの。というのがハイデッガーや吉本さんから
見つけたことです。
色んな素因を孕んだ種子が土中で芽をだし成長し幹を伸ばし枝を伸ばす。
それは集まって植えてあればどれも同じに見えるが実はそれぞれが違う
<私>をもち違う自意識をもつ。
同じ環境、自然条件にありながら、同じ姿をしているように見えながら、
途中でなぜか枯れてしまい開花にまで生きない花もある。そこに素因が
関係していると見ます。自意識があると思います。仏教でいう業と縁。
因として持ってしまったものと出会ってしまったもの。それが個人という
生の実態と思います。高野さんという事例にしてもそこで出会ったものの
もろもろは手記や証言で出てきます。独白も出てきます。でもそれだけでは
分かったことにはならない。分からないからいまだに語られる。
出来事や人間関係だけでは限界があります。それはもう出尽くしただろう
。次にやることは生誕前後の経歴でしょう。団塊世代の思想家サルトルが
晩年熱意をもって取り組んだのが、1人の人間の真実を解読する方法でした
。それを作家論として彼は取り組んだ。高野さんにもそれは適用できると
思っています。
高野さんは4歳のとき先天性心臓弁膜症と診断されたとwikipediaにあり
ます。この事実も彼女を読み解くヒントになるでしょうね。長生きする
ことはないという自意識、時間がないという自意識、早く人生の秘密に
到達したいという意志はあったかもしれません。それはけっこう大きい
要素にも思えます。 先天性心臓弁膜症が、4才の時の彼女の性格に影響を与えたことはじゅうぶんに
考えられますね。
でも、愛宕山登山はけっこう大変だよ。
大人になっても心臓に疾患があることを自覚してるなら登らない。
先天性心臓弁膜症を引きずってるならワンゲルなんて入らない。
心臓がドキドキするような激しいデモにも参加しない。
心臓が原因で、<長生きすることはない>、なんてことは考えていなかったと思う。
<時間がないという自意識>、は青春時代、あるいは自由な大学生時代という時間
の短さへの焦りでしょう。
彼女にとって、自由な大学生時代への期待感はかなり大きかった。
そして、その期待感を満足させるだけの出会いや出来事が無く、焦ってしまい、政治
にも男女関係にもより過激な行動をしてしまうことになる。 >>92
そうかな。心臓病の影響を別にとらえることもできるでしょう。以前
『未成年』というドラマがあって桜井幸子演ずるモカという女性がヒロイン。
モカは心臓に欠陥がありかかりつけの医師に「無理をしないように」の注意
をうけクスリを呑んでいる。でもそれをぎりぎりまで破るわけです。
モカの心理で特徴的なのは、やはり生き急ぐ感。生きてるうちに色んな
体験をしておきたい貪欲さ。好奇心。で医師に止められている臨界点まで
行こうとする。ロック・コンサートに出かけたりね。ああいう持病を
持っている人の心理がよく出ていた。「いつ死ぬか分からない」は普通
の人でも考えてはいるけど、心臓に欠陥がある人間はよりそれは考える
でしょう。また、モカのように、より色んな体験をしておきたいと出かける
心性にもなって不思議じゃない。人生の答えを見出したい欲求も強い。
自分が生まれてここにいることの意味・価値を掴みたい欲求は強くなって
自然でしょう。これが暴走気味にさせることにもなる。
背景はさまざま考えられるものの、最後の詩から、「ここには何もない」
という地点に来たことと、別の世界を渇望する心性だけが残った。
あの心性から自害はまっすぐにつながる。
心臓欠陥が判明したのは4歳とされています。しかし本人の自覚症状と
してはいつからだったか不明ですね。胎児期・乳児期から発作はあったか
もしれない。高野さんにある「別の世界への渇望」の原点がそこにあった
可能性も捨てきれません。「二十歳の原点」の根幹としての胎児期・
乳児期。あえていえば「0歳未満の原点」。そこが判明すればあの人の
人生の謎は解かれると思いますね。 >>93
私なんかと違って、幅広い知識をお持ちのようですが、
私には文学的過ぎる心理学分析のように見えます。
神秘・審美主義というようなものに見えます。
皮肉ではなく、人間観が私と違って上品なのでしょうね。
私は下品に見がちで、(内蔵+脳味噌+α)×(言語+妄想)かな。
意味不明ですが、言いたいことは何よりも生身の生き物で、妄想する
生き物だということ。 生身の生き物が、一週間以上も食事を摂らないと、なかなか正常ではいられない。
ましてや睡眠剤の過剰摂取。
ふりかえって、食欲を失わせた原因、睡眠剤過剰摂取の理由を分析すれば、目に見え
る分かりやすいものと、目には見えない性格上の問題、価値観なども含めて分析する
ことになる。
最後の詩には、雨に濡れた若葉の世界、そよ風が吹く清浄で静かな少女時代の世界に
戻りたいという願いが出ているように思える。
それは、彼女が入り込んでしまった汚れた狭い袋小路と、耳をつんざく騒音の世界と
は反対の世界。 >>93
>背景はさまざま考えられるものの、最後の詩から、「ここには何もない」
>という地点に来たことと、別の世界を渇望する心性だけが残った。
>あの心性から自害はまっすぐにつながる。
最後の詩は、>>93が書くように、「別の世界を渇望する」イメージとして書か
れているとも読み取れる。そしてそれは、>>95の少女時代の世界なのかもし
れない。
彼女にとっては死の世界ではないのだが、客観的に見れば、死を受け入れる
ためのイメージ化だったのかもしれない。 新しい写真キタ
写真集出したら、おそらくかなり売れるな レスふたつが消えてる。
商品名が書かれた睡眠剤のレスが。 生きる時代と場所、そして出会いによって
人は不幸になったり幸せになったりするが、
なによりも自分自身がしっかりしないと
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