司馬遼太郎をあれこれ語る 37巻目
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江戸時代に対する司馬史観を先鋭化すると小山ゆうの漫画になりそう 蓮實の『赤の誘惑』読んでいるんだけど、この人らしいチクチク刺す言い方で『菜の花の沖』を皮肉ってたなあ。 >>850
山本七平も含めて従軍させられた言論人で辛辣じゃない人っているか? 作戦主任や副主任候補として作戦を学ぶ士官と一兵卒じゃ
軍事面で無能な人間への具体的な辛辣さが変わって来そうではある 天下を簒奪し主家を滅ぼした世に隠れなき大罪人極悪狸親父徳川家康!!!みたいに痛罵してるところとかものすごく大日本帝国の価値観や道徳観が心底染みついてるのを感じる 松本清張との対談で光成マンセーして明確に家康嫌ってるから、からかわれてたな 司馬大先生はただただ家康が嫌いで三成は敵の敵は味方くらいに思ってるのが本音そう 何をやったかよくわからん坂本龍馬をブレイクさせた司馬ですら
褒める所が本当に一つも無いので小説で主役にしなかった山形有朋を
元総理やアホな国民が絶賛するとは思わなかっただろうな 軍政の才能は高く評価してるけど作戦家としては凡だったって評価だったね
鹿鳴館かどっかでの仮装パーティーで自分の唯一の戦歴で誇れる長州クーデター時の
武者装束で槍もって出てきて周囲が唖然としたって話と、
西南戦争で西郷軍全滅の前に西郷に送ってた手紙の下りは割と好き 河井継之助に比べたら山縣のほうがはるかにマシ。
山縣ほめてもいいだろうよ。 山縣は第一次世界大戦まで生きて負けてないんだから、
死んだ後のことに、組織のありようで責任取らすのは
おかしいと思うわ。 司馬の人物評っていえば街道をゆくの中国を旅したやつか、長安から北京へか、
どっちかわすれたけど蜀漢の諸葛亮に対して書いてる話があって、
「三国志演義のようなフィクション性の高い小説では優れた内政家であり軍師も兼ね、
主君である劉備やその息子に忠心をもって仕え、民をいたわり汚職などしない清廉な
人物として描かれているが、不思議な事に実際の人物も概ねそのようであったらしい」
って評価をなぜか覚えてる
当時は「?」って思ったけど西晋東晋の実力者たちを見ると諸葛亮の生き方の方が珍しかったからかな 研究の進展が目覚ましいから、司馬の戦国ものは依拠してる説があまりにも古臭すぎて読むに耐えないという読者が多くなるだろうな
書かれたの昭和だし 家康否定の部分はそのための思想や大義名分が臣下は君主に絶対服従すべきという戦前戦中でも最もクソな部類の価値観か江戸時代のせいで日本は衰退したそれは主に家康や徳川の家風や気質のせいみたいな非実証的な結果論しかないから、感情論も相まってかなり支離滅裂になってるところある
それでも売れる小説書けるのはよく考えなくてもめちゃくちゃすごいのでは 単に個人的にああいうタイプが嫌いなだけじゃないかな
坂の上の雲とか見てると謙虚だけど自分を卑下するタイプも嫌いだったようだし
割と生な感情出てるよね 司馬は豊臣贔屓とか言われるけど、史実だと家臣と大坂の民を見殺しにして自分だけ助かろうとした秀頼をエンタメのために美化したりしないのは隆慶とか他の作家と比べて誠実で偉いと思うよ 西郷の忖度で山城屋和助事件もみ消してもらったのに西南戦争であっさり裏切ったり
森鴎外を軍医にして陸軍に脚気を蔓延させたり
(森はその後帝室博物館に栄転)
西南戦争可愛岳の戦いで五万の大軍で包囲したにもかかわらず
敗走する西郷軍百数十人に本陣急襲されて食料と弾薬まで奪われる大失態犯したのに
天皇に直訴して陸軍の統帥権独立させた山縣すげえ
山縣が実際やらかしたことそのまま小説にしたら面白くなると思うぞ 「豊臣家のひとびと」読むと関白になって耄碌した秀吉を書いてるから
贔屓とは思えないな 司馬遼太郎が今の戦国史学を見たら天地がひっくり返った思いをしそうだ 西南戦争が始まる辺りから西郷含めた西郷一党に対する筆がめっきり冷えてるのも
軍事的に色々とアレだったからか
西郷という魅力的な人物の風韻に触れたい
↓
頭ぶつけておかしくなってたんじゃねーの?
は笑った >>872
いや、認めようとせず自分の書いた事の正当性を主張すると思うよ。 鉄砲三段撃ちに関しては何かの対談で疑義を感じてたようではあったみたいだけど >>872
亡くなったのが90年代だしそんなに驚かないだろ 通説打破系のが一般人に浸透してくんの2000年代に入ってからだからどうだろ 北条早雲の生年は司馬遼太郎が採用した説よりも
年下なのが有力になってるんだよな >>859
小山ゆうとかもそうだけど、昭和の坂本龍馬ファンの江戸時代観は閉鎖的で抑圧的な暗黒時代とだという人が多そう >>874
最近の研究だと方広寺の鐘銘に対する幕府の反応はごもっとも、大坂城の堀の埋め立ては双方同意の元で、その他諸々の件も理屈で考えると基本的に非があるのはほぼ十割大坂方という結果になることに対してはムキになりそう 竜馬がで中岡が桂より上とか書いてたけどw
山内容堂と飲み友達になれる桂と中岡ごときじゃあ格が違う。 まあ時代小説だし
「関ケ原」なんて最新の学説を採用したらほぼ話成り立たなくなるよね 自分の史観が史学の実証で全否定されるという事態に直面したとき、論理的に破綻した感情論や陰謀論を文才を駆使していかにももっともらしく聞こえるように言って読者を煽るような往生際の悪いことはまさかさすがにしないだろうと信じたい 通説否定の論説や新しい学説をネットで一般人が簡単に
閲覧できるようになる前の時代で亡くなった人だから、
その辺は想像するしかないけど、
「翔ぶが如く」で読者からの桐野利秋が文盲ってのは間違いだろって
突っ込みにわざわざ連載上で「文盲だよ!」って反論してる下りを見るに
割とその辺は香ばしさが感じられるというか炎上要素はもってそうな感じ
実際は桐野は普通に日記つけてたし自筆の書簡も発見されてる
(司馬は全部代筆だと切り捨ててた) まあ歴史家でも文学者でもなくて最悪面白ければなんでも許される職業柄のエンタメ作家だからね司馬センセ 司馬は遺族や親類に直接話聞いて取材してるから
自説が正しいという自負があるんだろう >>887
知らん
反論に対して「桐野はやっと自分の名前が書ける程度であった」って根拠提示せず書いてるだけ >>888
ありがと。思い込みの間違いを指摘されて開き直ったか。他にも色々ありそうだな。 そういや漫画の「風雲児たち」でも同じ間違いをやってるけど「翔ぶが如く」でも
西郷と大久保は家が隣同士ってなってたけどあれどこから生まれた誤解だったのかね
実際は百四十~百六十メートルくらい離れてるけど >>890
それこそ話を面白くするためのフィクション的創作ではないの? 司馬の創作といえば坂の上の雲のラストの秋山好古の今わの際の言葉って司馬の創作なの? ここで司馬の創作リスト書き始めたら、意図的な創作だけでもどのくらいあるのだろう。 功名が辻で長曾我部の家来を相撲やると騙して銃撃したこととか 寝待ノ藤兵衛とお田鶴様が創作上の人物と知った時は地味にショックだったな 世に棲む日々
高杉の いよ征夷大将軍 事件
「このとき将軍の従士たちはよほど悔しかったらしく、このあと江戸までこのことを手紙で送ったものが多い」
歴史家の一坂太郎氏曰はく
「そのような手紙は見たことがない」 翔ぶの桐野だと郷士だから虐められて川に何度も放り込まれたってのが創作かな
城下士だから 単純な質問だけど、司馬は故意に創作したの? それとも無知から結果創作になってしまったの? 司馬信者は「創作」については、小説だから面白くするためにはいいじゃん、目くじらたてるなよというスタンスなの? 関ヶ原布陣図を見たドイツ軍人ケンペルもオリキャラらしいのは恐れ入った 司馬の大名家に対する自論で家風は始祖によって決まるというのがありそれで幕末の藤堂家とか非難してたけど、大坂が乱取りされてるのを見殺しにして蔵に篭ってた秀頼を見るに他人をなんとも思ってない上に当主の自分は何しても許されて当然と思ってるような言動をする豊臣家だけにはマジで当てはまるのが草
早々に血筋を根絶やしにされて現在地上に子孫が一人も残ってなくてよかったと思ってもあながち言い過ぎでもないと思うし、そりゃあんな家が滅べば世の中何百年も平和が続くわ >>900
もう読んだがね、たいへんおもしろかった
ここで雑言う人がいかにマト外れのことほざいてるかよくわかる 司馬遼太郎が歴史で善悪語ってるのは家康が腹黒狸親父として出てくる『関ヶ原』と『城塞』の他になんかあったっけ 司馬遼太郎は好き嫌いがはっきりしてるから、
嫌いな人間に対する罵倒がひどいから、反論されても仕方がないよ。
坂本とか新選組とか河井みたいな微妙な人間組織をマンセーしてるし、
信者もいっぱいいる。 女の腐ったようなとか女のヒステリーみたいなとか書くから多分今だと女にも叩かれる 徳川の犯罪や悪逆と司馬が見なしているものは21世紀以降の史学だと徳川に非がないどころかむしろ相手が悪いことが明らかになってきたけど、『城塞』などであそこまで口を極めて罵ったことが無罪だった以上現在まで生きてたら吐いた唾の責任を一体どう取ってたんでしょうね わからんなー
意固地になったかもしれんし、
晩年見方を変えてた韓国や朝鮮みたいに修正かけたかもしれんし 家康公はそこまで悪く感じないわ。
豊臣なんて名門でもなんでもないんだから房総にでもいってれば
潰されることはなかった。 >>908
意固地になったら耄碌したとか晩節を汚すなとか言われそう 片桐且元追放はあからさまに狙って罠にかけてるよな家康
引っかかる淀殿や秀頼や大野母子が馬鹿ともいえるが あれ家康としては取次の片桐は公的な使者だから幕府の立場上断固とした態度を取らなきゃいけなかったけど淀殿の侍女の大蔵局には歓待して家康の本心としては友好的な態度を示すつもりだったのでは
なお秀頼は赤ん坊と同レベルの世間知らずだったのでそんな政治的なことは全く理解できなかった模様 「家康は豊臣家をどうにかして残そうとしていた節がある」って書いてたのどの作品だったかなぁ
多分エッセイかな
オチが確か「英雄や実力者は後の時代に対して自分のイメージをアップする
ポーズをするが、豊臣家に対しての家康は焦っちゃってミスった」みたいなやつ 「竜馬がゆく」のおりょうさんが庭の菊を全部切って
竜馬のために菊の枕を作ったという創作エピソードを
他の小説家が史実だと思って流用したという笑えない話もある 一般に事実だと広まっちゃった問題といえば三成と大谷吉継の茶会のエピじゃろ…… 「天と地と」の松江や藤紫も創作なんだが、アンチ司馬は当然海音寺潮五郎も批判するんだろうな? 司馬はあたかも史実であるかのように書くから悪質
歴史小説家は数多いるが司馬以外にそんな小説家は知らない >>919分かる
他の作家は「これは物語ですから・・・真に受けないでね 物語として軽い気持ちで楽しんでね」的なオーラがうっすらとあるような気がするが
司馬作品にはそれがない
真顔で堂々と嘘つかれて、うっかり信じてしまう的な
で後で歴史書で調べ直すと嘘ばかりなので頭がクラクラしてくるというか、時間を無駄にしたなぁと腹が立ってくるというか・・・・ 坂の上の雲のドラマ版の解説本で、洞窟で児玉と乃木が会話する内容を史実と思って書いてる人もいたな >>895の藤兵衛やお田鶴様を実在の人物と思ったみたいだけど
竜馬がゆくの前半は小説っぽい雰囲気に溢れていて
この2人が創作であることは明らかに分かる
でも後半あたりからいかにも史実しか書いてませんよ、みたいな書き方に変わるんだよね
ここが司馬の小説スタイルの分水嶺な気する 『関ヶ原』の初芽あたりもオリキャラなんだっけ
>>913
家康の誤算は秀頼は殿下の息子だからさぞ英邁に違いないと思って相手してそうなところ
実際はまだ青年なのに耄碌した殿下そっくりな知能と思考回路してた 司馬のお田鶴は、後書きで、お田鶴様の子孫が司馬を訪ねてくる話を書いてたから、
史実だと思ってる人が割りといたりする
あの当時は今みたいにググれないしまあ仕方ない
↑の件では司馬が「驚いた」って書いてたが一種の皮肉だよなアレ エッセイストの椎名誠も実在の人物を使った架空のキャンプや飲み会の話を書いて
実際の出来事じゃないのかよ!って突っ込みくらいまくったんだよな
彼の場合実際にキャンプしにいってるから話がややこしいんだが るるぶとか旅雑誌に連載してるやつとかTV局が絡んでるやつは、話は多少盛ってはいても実際に行ってる
スーパーエッセイみたいなやつは架空のキャンプ話や架空のイベント話が混ざってる
そういうのは話盛ってるとかそういうレベルじゃなくて話自体が架空 >>927
なるほど。ありがと。騙されていた。というかこっちが勝手に実話だと思っていただけだが。 >>928
関係者や読者からの突っ込みがあったのか、単行本の後書きで
実在の人物の名前を借りただけの創作ですって説明してるのがあったね
(俺が覚えてるのは2人だけでキャンプする話と、大人だけで運動会する話)
当時から書評で「実際に有った事なのか無かった事なのかよくわからない
話を書くことで有名」とか書かれてたりするんで、まあそういう。 >>929
なるほど。司馬遼の場合は歴史的事実と違うから発覚の理由も分かるが、椎名の場合はどうしてバレたのかと思っていたのだがそういう事だったのね。 椎名って、
「新書100選」とか書いてて、先般若死にしたあの椎名か? 武市半平太が8月18日政変の後、山内容堂に呼び出されて土佐に戻るとか
(実際は土佐勤皇党メンバーの処分撤回のため戻った後に政変が起こった)
捕縛されて獄中にいる岡田以蔵に武市が毒を盛ろうとしたとか
司馬はまぎらわしい嘘が多い >>119
あれも司馬史観の創作だったのか(゚Д゚;)
小説なのだから創作でも結構だけどあたかも史実のように分かった風に書いて
ちゃんとした資料をそっちのけで史実みたいに後世に伝えられるのは考えもんだよね
いくら「小説家であって歴史研究家ではない」とはいっても、いや、だからこそだよな
その影響力を利用して読者を無責任に煽ったわけだから、自分ではそんなつもりは無かったのだろうけど 秋山好古の最後の言葉が「奉天へ・・・」ってのが司馬の創作だと知った時はショックだったな オリキャラはまだ許せるけれど、実在の人物で創作するのはさすがにちょっとだな。 切腹した西郷隆盛の首を部下が持ち去って行方不明、というのは司馬だっけ?
実際はすぐに見つかったらしいけど >>939
司馬の方でもあっさり見つかってた
小川か水路の流れのすぐ横だったから露出してたとかなんとか説を提示した上で
で、山縣の首実検での「西郷と自分は会って以来いろいろあったけど、今は・・・(泣)」
ってシーンにつながって、
「多少英雄趣味の嫌味はあるけど山縣の素直な感情だったのかもねー」って 司馬や隆慶みたいな戦前生まれは忠義を至上の美徳と考えてるのが透けて見えるあたり骨の髄まで教育勅語を染み込まされた世代なんだなって思う 司馬の作品だと井上馨は尾去沢強奪の三井の番頭さんのだけど、
城山三郎の雄気堂々だと三菱大隈に対抗する自由競争主義者。
司馬ばっかり読んでると偏っちゃうよね。 今は東郷隆の桐野の本よんでるけど、
桐野は無学なんでしょ、司馬の作品ではw 自分の字がやっと書ける程度の教養しかなかったって断言してたな
無学じゃないぞって読者の突っ込みに対して
上でも書かれてたけどネット時代まで存命してたらブログ炎上させたかも 江戸時代や幕末ものの挿絵なら宇野信哉さんしか勝たん 大河ドラマの青天を付けスレがったが、渋沢栄一の妻が教育があったけど
西郷隆盛の母は無教養だったが、理由は、
大都市の近郊の地域は、教育のある召使を雇っているから、主人の側も
教育を受ける必要があるが、
薩摩のような商品経済の発達していない地域では、文字を知らなくても
それほど困らなかったからだという。
それは、男でも同じで、桐野も、そんな理由で無学だったのでは?
でも、司馬遼太郎の作品は、高度経済成長期に書かれたものがほとんどで
幕末や戦国が舞台でも、中身は昭和。
だから、昭和の価値観が嫌いな人は司馬も嫌いだろう。
私的に言えば、学生の頃、司馬の人物論にかぶれた人から
ネチネチと嫌味を言われた。
だから、今でも司馬が苦手。 自筆の書簡が公開されたのが昭和40年、自筆の日記が公開されたのが昭和43年
翔ぶが~の執筆開始が昭和47年
資料の鬼といわれる司馬がこれ知らない訳ないから無学どうこうはもはや意図的としか
天皇陛下を「てんのうかいか」って読んでたっていうエピソードも多分創作だろ >>945
『翔ぶが如く』をパラパラ読み返してたら
「寺子屋課程での文字が書ける程度の素養しかなかった」という書き方だったよ
自分の字が書ける程度なんて書いてない 「桐野は寺子屋程度での文字がやっと書ける程度の素養しかなかった」
んで掛け軸とか揮毫の類は全部代筆だ読者が言ってきて困るわみたいな
流れじゃなかったっけ? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。