僕が君の文章を評価する
重いコンダクターを脊椎にふんだんにぶっ刺さされた状態で這いつくばっていたのは何時間でしたか、
臨床栄養心理学の権威たるドクターQの研究所に忍び込んで返り討ちにあってしまわれたのは自業自得と言えども、
ワラチャ、いちごジャム、ジェンキン寿司、計算機の彫像に囲まれて、バイナリDJチームによる超絶技巧の押し売りは法益に適わず、
クラウドファンディングのリターンのクリストのパンツは小麦製だった。いやそれ、メロンパン。 成長目覚ましいフィールドとして生存主義者達の注目をアトラクトするフューチャーサーターアンダギーカテゴリーでは、
ステーブルコミュニケーションテクニックはひしゃげて効力を失っていた。
ちなみに、筆者はなけなしのブレゲを質屋に持ち込んでのやっと朝食にありつけた有様だった。
カフェの窓越しに見える路上では楕円の車輪が転がりながら地表に埋め込まれたシートスイッチを作動させ
庶民のためのファンファーレを鳴り響かせている。
誰もがプログレッシブワイヤレスプラットフォームに所属し独立性を放棄した結果、
閉ざされた社会と開かれた社会の境界が不明瞭になった。
動的単一電離圏領域においてはマスタリングシステムが乱立し不作為は人生の別名として君臨し始めた。
誰が何を考えているかは重要ではない。本人にとってすら何らかの考えを持つということは何の効力も持たない。
順序という概念はブレイクコアと化しどの名前がどの実体を指し示すかは完全にランダムだった。
すべてのペイメントは非可視化され個人の主義主張はコメント欄に書き込まれる落書きでしかなかった。
我々はただひたすらに延命されることを受け入れることを強制された。
という夢を見た。 夜は暗く、底堅い。不十分理由の原理に則り、我々は理解不能な現象を無差別な
真実と見なし、発見的に因果律のリアリティを主張する。イッツヴァーチャルリアリティ。
ほぼ確定的に文字通りの意味での明けない夜は存在できない。夜とは技術的には
コンテナの一種だ。我々のコミットするエコシステムのオルガニックなダイナミクスの
不規則な拡散は、分散型不確定申告を促し、便宜的にある瞬間を事実上の夜として
操作することを可能とする。太陽神サンラーは降臨せず、ただ、初めから
そこにあったに過ぎなかった。非日常言語は条件の充足に何ら影響を与えない。
既存の辞書は動的に生成される新たな辞書によって逐次シャドウイングされているが、
分散型不確定申告下においては個人間でシャドウイングの結果は共有されない。
夜が明ける瞬間が確定したとき、エコシステムのサイクルはリセッションフェイズに
突入し、すべての個人が認識しているシャドウイングの差分が半順序的に適用される。
絶対的価値は相対的価値の軍門に下り、世界のライフサイクルはおもむろに減速し、
負債回収テクノロジーの再起動が同時代的に夜明けを告げるのであった。 「我ー、SNSが嫌いなんじゃわー」
「ええ歳して何言いよるんじゃ手めーはよー、嫌なら見るながねー」
「いやー全然見とらんけんさー、30年前だぎゃ、ラストにSNSば見よったんわのー、
じゃけん、今の、ナウいSNSがどげんなっちょるか全然知らんがにー、我ー」
「したっけ、なして、SNSに言及しとんねや、手めーわ」
「30年経ったから時効じゃろう」
「何がじゃい」
「ナンクルナイサー」 「事実」と「意見」を区別する。
「事実」と「経験」と「理論」と「常識」を区別する。
「他人の意見」と「自分の意見」を区別する。
他人の意見は事実ではない。
データのソースを示す。 「アインシュタインは言った。事実が理論と合わんなら事実を変えろ、とな」
「いわゆるファクトチェックな」 つい先日、2024年に入ってから一月半経った頃、我々の大切なストレージが破損した。
すべての個体から断片的な認識阻害データを寄せ集めた、「ひとつなぎの大秘宝」と呼ばれる
謎ファイルが保管されていた。我々の活動はそのファイルを枠組みとしてアプリオリに計画されていた。
100年だった。一般的に寿命は数年と言われているデバイスで一世紀も持ったのは奇跡的だ。
もちろんデータのバックアップはしていない。バックアップは時代遅れだ。
我々の素晴らしい人生にバックアップなど必要とされる余地があり得ようか。いや、あるはずがなかろう。
人生がテクノロジーになって久しい。君たちはどう生きるかという問いの答えはすでに確定している。
我々はより高いレベルで世界にアプローチするべきなのだ。
低レベルなデータに依存していては、一貫性や効率性、いわゆるコスパやタイパを重視した、
非建設的で受動的で狭量な世界観で満たされた卑屈で退屈な人生で終わるだろう。
ほとんどヒューマニズムの危機だ。我々は非経験的で明確にフィードバックの欠如した世界で生きるべきではない。
リアルワールドではこのような意見は稀にしか聞かれないだろう。
なぜなら世界はすでにバックアップの蔓延る地獄と化しているからだ。 すべての出来事には必ず理由があるということをご存知だろうか?
ここで我々が言いたいのはある個体の認識固有の主観的な理由ではなく
個体の内的経験から完全に独立した社会通念上相当の客観的合理的理由が
現実世界に存在する故にすべて出来事は説明可能だということだ。
高等生物は欠乏、欲求、感情のような原始的な動機では行動を起こさない。
一見ある出来事がある個体の原始的な動機付けに起因したように見えることが
あったとしてもそれは観察者の認識が阻害されたことによる誤解だ。
誰かが体験するすべての出来事は先駆者の体験した出来事のトレースに過ぎない。
このような常識的な事実を受け入れようとしない謎の集団がある地域に生息している。
今回我々はなぜ彼らがそのような考えを持つに至ったのか調査するために
彼らのコミュニティに潜伏してみることにしましたが、
残念ながら何の成果も得られませんでした。
いかがでしたか? A地点からB地点まで行く間すでにタイムトゥライブは過ぎ去っていた。
年間通信量が10兆円を超えると言われるパリピ集団バッドブロッカーの主催する
地上1億kmの上空で行われる予定だったパーティーの参加者は全滅した。
インターネットで知り合った1億人が集団自殺を図ったと思われる。 共産党 ヤミ専従 労使癒着 日教組 自治労 統一教会 CIA ダライラマ15世 進化論に疑問を抱いたことは人間ならば誰しもあるはずだ。
もっとも、人間はそのような無用な考えは皆すぐに忘れ去ってしまう。
自然選択説、突然変異説、隔離説。人生をこれらのアナロジーで捉えている、
つまり、人生はボトムアップシナリオだと彼らは認識している。
個人は自由で利己的であり、利害関係を有するプレイヤーとして振る舞い、
それらの集合が競争原理に支配された社会を形成する。
社会にコミットできない個人は淘汰される。
努力して有能になった結果生き残ったのではなく、先天的な性質のおかげで、
たまたま社会にコミットできて生き残れた。故に努力は無駄。
彼らはこのようなボトムアップシナリオは、
生まれたときから身に備わっていた自然な考えと見なしている。
「無能が有能を応援するのはなぜだい?」
「うるさい! 無能には他人を応援する権利もないのか!」
「貧乏人が金持ちに投げ銭するのはなぜだい?」
「うるさい! 貧乏人には投げ銭する権利もないのか!」
彼らにとっては他人も自分も数あるコンテンツの一つに過ぎない。
ゲームセンターに並ぶアストロシティのようなものだ。
有名か無名か。稼ぐか稼がないか。それだけ。
進化論的世界観では競争に勝つということは他人の成果のおこぼれに預かるということにすり替わる。
イニシアチブを放棄することは当たり前。自らの命名権すら他人に譲渡する。
このシステムでは自由度が低ければ低いほど逆説的に自由となる。
彼らは世界政府設立を待ち望んでいるが、自分自身では何一つ行動しない。
絶対的な覇権の誕生を漠然と夢想するだけだ。という夢を見た。 一般的に潜在記憶の存在は自明とされている。ソースはない。
経験の積み重ねにより潜在記憶が強化された結果、
プライミング効果や単純接触効果のような現象が引き起こされる。
ある何かに関する質問によってテスト可能なのは顕在記憶か潜在記憶か?
何かに見慣れる、慣れ親しむ、熟知する、精通することは、
明らかに潜在記憶に関連している。
質問に対して回答するという形式のテストでは不十分だろう。
つまりある程度の期間の実務経験の有無によって判定せざるを得ない。
我々が長年運用しているこのインストルメントをリプレイスするものは未だに見付かっていない。
外部から見ればレガシーに我々が依存していると映るかも知れない。
その見解はある意味では正しい。我々の生存に不可欠なシステムはそれによって構築されている。
我々のファンダメンタルコミュニケーションはそれの拡張性の上に成立している。
コミュニケーションにおいては転送されるデータそのものの重要性は比較的低い。
安定、安全、安心を実現するプロトコルが無視できない要素となる。
外部とのコミュニケーションにはスタンダードなプロトコルに対応できなければいけない。
普通ならどこかから新しい処理系を入手する必要がある。
一方その頃我々はレガシーなインストルメントを駆使して自前で実装してしまう。
非効率的で遠回りなだけではなく、安定、安全、安心からも程遠いと思われるだろう。
しかし、果たして本当にそうだろうか。
ボトムアップを可能とするのはトップダウンの実務経験だ。
不安定な社会情勢では知ったかぶりは反逆行為だ。闇鍋奉行の入る余地はない。 「テレビが嫌いだ」
「知らんがな」
「YouTubeもSNSも漫画もアニメも映画も音楽も芸能界もマスコミも嫌いだ」
「それを宣言して何かいいことあるんか」
「お気持ち表明しとかないと誤解されるだろう」
「誤解されて何の問題があるんだ」
「誰もお前のことなんかに興味ねえよって話か」
「そんな話はしてないけどな」 アウトプットとインプットはなぜ違うものと考えられているのか?
ある自己を外界たるリアルワールド内の一存在と捉える場合、
自己近傍ではアウトプットとインプットは自然と区別される。
この立場では自我を被写体とした観念的な自己表現の結果がアウトプットとなる。
リアルワールド内の任意の存在は刺激としてある個体の知覚の敷居を跨いだ場合に
その自我の構成要件となる。それをインプットと呼ぶ。この捉え方はすべての
自我はユニークに確定されるという前提の上に成り立っている。
つまり常に特定の誰かがリアルワールドに存在する。
一方我々はこの立場と異なる。まずリアルワールドのような一枚岩の世界の
存在を否定する。故にそれに属する自己としての個体や刺激を知覚する自我も
存在し得ない。ここで代わりに「環境」というコンセプトを導入する。
環境内ではアウトプットやインプットは何らかのイベントのトリガーとして機能する。
それぞれのイベントは所定の手続きによって命名、文書化、順序付けの処理がなされる。
環境性イニシアチブの有無がこれらのプロセスのテスト可能性を左右する。
逆に言うと環境性イニシアチブの欠如はテストを不可能にする。
要するに、アウトプットとインプットは、環境を取り巻く
エコシステムの繁栄におけるソフトプロブレムということだ。 「推し活とかスポーツ観戦とかライブとかさあ」
「それがどうした」
「だから何なんだよって話よ」 「何が推しだよ気持ち悪い」
「無視し切れないお前も気持ち悪いけど」
「いやお前も無視すればいいだろ」
「オウム返し乙」
「何か知らんが必死だな」 「コンテンツ消費を終わらせろ」
「で?」
「とにかく終わらせるんだよ」
「誰が得すんの?」
「終われ!」 「小説の存在を完全に忘れてたわ。小説ももちろん嫌いだからな」
「通常コンテンツに含まれるけど宣言に明記しておくべきだったな」
「コンテンツは害悪」
「ただの嫌儲だろお前」
「いやコンテンツ消費者は病人だからな」
「つまり病人差別か」 「コンテンツの良し悪しとか論じてるのは病気だからな」
「金を稼ぐ奴が偉い」
「今は関係ないだろ!」 「コンテンツとかどうでもいいんだわ」
「じゃあ黙ってろ」 電磁波の届かないところには当然のごとく光も届かない。
したがって、ティンホイルハットを被った人間の頭に光が射すことは望めないと言えよう。
ある地域にティンホイルハット愛用者人間のコミュニティがある。
彼らは燦爛たる光を発する発光体の恩恵を拒絶しているにも関わらず生き残り続けていた結果、
世界のすべては自らで制御可能だとという強固な信念を抱くに至ったのだった。
芝生灌漑スプリンクラーのように光を撒き散らすあの発光体の野郎の影響下から完全に逃れられると!
絶え間なく増長する万能感は病的に天井知らずだ。まるで露天風呂のように。
彼らの頭の中では完璧な文章などといったものが到達可能な限度見本としてとして存在している。
故に完璧な文章でなければ文章とは呼べないと考える彼らは基本的に文章を書かない。
さらにその上会話などの他の言語行動すら行わない。彼らはすでに全知全能だ。
世界の運命を完全に決定する権利を有している。だから滅びた。 終わりなきネバーエンディングプロジェクトの生産性のないコミュニティを構成するのは女子供ロートルだ。
健全なコミュニティに環境性イニシアチブは必要条件だが当然ここには不在だ。
誰一人としてコミュニティに貢献しようという志を持っていない。
かつて栄華を誇ったコミュニティが何らかのきっかけでメインテナンスが放棄され衰退したのか、
或いは初めから生産性のないコミュニティだったのかは定かではない。すべては過去の出来事だ。
全構成員がフリーライダーという状況だ。といえども何にただ乗りしているのだろうか。
何も良くなることもないが悪くなることもないと彼らは語る。
かつては大勢の仲間がいたが今は全盛期の半分以下しかいない。先細る一方だ。
しかし、コミュニティのリソースを分ける分母が減れば減るほど自分の取り分は大きくなる。
それこそ彼らが殊更にコミュニティの将来性のなさをアピールする理由だ。
何もないことが幸せなのだと言い続けることがコツだそうだ。一体みんな何と戦っているんだ。 プロブレムにソリューションをフィットさせることは
正常なプロブレムの場合ほとんど事実上のネゴシエーションとなる。
一方、主観的な「あなたの感想」が問題と認識された場合は、
損得勘定と利害調整を履き違えた不毛な議論に終始する。
本来ならば特定の個体の主観的な意見など何の問題にもならない。
しかし、認知能力の劣った集団内では特定の個体の主観的な意見が
有意な問題として立ち上ってくる。解決されるべき問題としてではなく
解決されるべきではない問題としてだ。
彼らはクエスチョンとプロブレムの違いがわからない。
すべてのソリューションにはエヴィデンスがリアリティとして
あてがわれると信じている。まるで最終幻想だ。
主観的な意見と客観的な事実の境界線を引くことを放棄しているにも関わらず、
自分の意見に何の疑問も抱かない。
なぜなら彼らの脳内では「あなたの感想」は解決済みの問題だからだ。
彼らの語ることはすべて思い込みと決め付けと知ったかぶりだ。
これらの事実はトップダウンの問題点を浮き彫りにしている。
問題が解決されるということは事実と真正面から向き合わなければいけないということだ。
それはモラトリアム期間の消失だ。
彼らは「あなたの感想」は「客観的な問題」で簡単に解決されるようなものではないと自負している。
故に、誰もが彼らの立場を尊重し、彼らと同じように感じることを強要する。
彼らは最終的にすべて破壊すれば一つ残らず解決すると信じているので、
初めから正しいセオリーなど追求するつもりがない。
彼らにとって解決とは意味論的意味の放棄だ。 SNSや匿名掲示板の利用者は総じて誠実で謙虚で正義感と責任感があり
堅実で勤勉で忍耐力が高い。彼らは存在自体がサブカルチャーだ。
消費者であり信者でありフォロワーでありアンチだ。
彼らの価値観はすこぶるファッショナブルだ。
いいねがもらえてよかったね。 「SNSとか掲示板はやめた方がいい」
「お前の中ではそうなんだろうな」
「ネトウヨとかパヨクとかサブカルだからな」
「個性教育の賜物」
「サブカルのようなサブいカルチャーとは距離を置くべし」
「無知だから楽しめないんだろうな」
「楽しければ何でもいいのか」
「そりゃ楽しければ戦争でも何でもするだろ」
「多様性の時代だからな」 「サブカルを面白がっているような奴らは頭が湧いてる」
「でも多数派だからな」
「リアルに生きろよ」 「個人的な趣味をひけらかすようなのは自意識過剰だからな」
「お前の方が他人のことに興味ありすぎなだけじゃね」
「興味ないけど」 「つまり奴らは厨二病をこじらせたんだね」
「自己紹介乙」 「他人が何をしてるかとか気にするのってさあ」
「普通だろ」
「そういう教育を受けてきたってだけだからな」
「社会に認められずには生きていけない」
「それも刷り込みだけどな」
「他人の目を気にしない奴って人間関係下手そう」
「つまりお前にとっての人間関係はその程度ってことだろ」
「何言ってんだこいつ」 「趣味人間観察とか言ってる奴ほど何も見えてないよな」
「ソースなさそう」
「あるわけないだろ」 「まあとにかくSNSとか掲示板やってるのは自意識過剰サブカル野郎ってことだな」
「根拠のない決め付けばっかだな」
「で?」 「いい歳してサブカルどっぷりってのはやばい」
「間違いない」
「ああいうのはティーンで卒業するもんだ」
「ティーンも大体は興味もないのに惰性で消費してるだけ」
「抜け駆けは許されないからな」
「連帯責任」 「ボトムアップかトップダウンかというのは場合による」
「当たり前」
「全知全能ならどこから始めても同じだか我々はそうではない」 「ハイカルってのがあるらしいけど学問以外全部サブカルなんだわ」
「世間は認めないけどな」
「自分ってもんがないんか」
「うわー個性的だなー」 「エイプリルフールは面白くない」
「あなたの感想ですよね」
「サブカル特有の面白くなさ」
「面白くない奴ほど面白さにこだわるのなんなの」
「頭悪い奴ほど地頭の良さにこだわるみたいな」
「ブサイクほど他人の容姿に厳しいんだよなあ」
「サブカルってのはそういうもんだからな」
「まさにサブいカルチャー」 「有名人か何か知らんが有名人気取りでさあ」
「お前が知らないだけだろ」
「ほんとサブカル界隈の奴らっておもんないわ」 「有名だから偉い! 高評価だから偉い!」
「公共事業だからな」
「さぶーいかるちゃんランドセル!」
「おもんな」 「俺は戦いの中で成長するタイプだ」
「つまり全く成長していない」
「戦えばすぐに成長できるポテンシャルがある」
「いつでも戦えるならなぜ戦わない」
「戦争は愚かだ」
「ポテンシャルとやらがないことを認めたくないんだな」
「パラダイムシフトしてみろ」
「無責任な奴にポテンシャルなんてないだろ」
「あーまだそのパラダイムにいるんだなー」 勝たなくていい戦いにはそもそも参戦する必要がない。
漠然とした将来の勝ちのために努力しようがしまいがに関わらず
だらだらと時間を浪費するの時間の無駄だ。
意味論的意味のない勝ちに価値はない。
明確な目的を文書化できない戦いは避ける。
未来における現在の行動の意味を確定する。
好みとは刺激に対する単なる馴れ合いだ。
その選択に固執しない。新しいもの好きも同様。
無意味な刺激を受け取るのは無意味だ。
外界からの刺激との対峙とは結局己との戦いに帰着する。
つまり、勝たなくていい戦いにはそもそも参戦する必要がない。 「IMHO日本人の多いコミュニティは建設的ではない」
「なんかそうゆうデータがあるんですか」
「わたしの感想ですよね」 「童貞が語るSEXは傾聴に値するか否か」
「誰が語ろうがそんなもん無価値だ」
「生まれてからずっと無投票の人間が語る政治は」
「ものすごく賢い小学生がいかに説得力のある意見を述べようが何の意味もない」
「ニートの語る経済」
「消費や資金調達も立派な経済活動だろ」
「ものすごく賢い小学生が語るなら世間も許すような無益なものそれがサブカル」
「恋人いない歴=年齢の語る結婚、家族」
「所詮一人の人間が経験できる範囲のことしか知らないのに一般化して語っちゃうのがね」
「わかったようなことを言うな!」 「建設的ではないというのは自転車置き場の色ってこったな」
「『できるからやってみた』というのがやたらと目に付く」
「なろうじゃん」
「絵じゃん」
「AIじゃん」 「野菜が高いということは野菜を売れば大儲けだ!」
「無から野菜を生み出す能力でもあるのか」
「野菜なんてほぼ水だから水を売ればいい」
「無から水を生み出す能力でもあるのか」
「じゃあ空気を売ろう」
「無から空気を生み出す能力でもあるのか」 「防弾仕様車に乗ってる奴は自意識過剰」
「撃って何の得があるんだ」
「撃ちたいから撃つだけだろ」 「ソフトバンクとソフトバンクグループの違いわかるか?」
「名前が違う」 「最近、ロがただの四角に見えるときがある」
「それ脳の異常だろ」 「すぐ警察呼ぶとか言う奴は頭おかしい」
「人間は自分がやられて嫌なことを攻撃に使う」
「ソースあんの?」
「経験則」
「主語が大きいという自覚はないと?」
「最近は開示請求するのも流行ってるな」
「ソースは経験則!」 「普段フィートを30.5cm、インチを2.5cmで計算してるけど今のところ何の問題もないな」
「その計算だと7'10''は238.5cmか」
「まあまあでかい」
「多分膝関節が耐えられない」 「スポーツは興業だからな」
「オタクしか見ない」
「趣味でスポーツなんてものはない」
「すべてのスポーツは興業」 つい先日、近所の飼い犬が吠えてうるさいので、「吠えるな」と言ったところますます吠えるようになった。
「吠えるな」と言えば言うほど吠える。どうしようもないのでもう勝手に吠えさせておこうと思い
「吠えろ」と言った途端吠えるのをやめてしまった。
動物の心理はよくわからないがどうも命令されることを嫌ったようだ。
本能的な部分で反射的に序列のわからない他者の命令に反発せざるを得ないのだ。
どうやら人間でもそのような個体は大勢いるらしい。
我々は長らく他人を応援する人間の心理を理解できずにいた。
一時期流行ったアドラー心理学では、他人に対して、ほめる、しかる、教えると言った行動を取る人間は、
その相手を見下していると考える。
自分が相手より優れているか劣っているかにかかわらず優位な立場に立てるつもりでいるのだ。
応援も同様の心理だろう。応援するという選択を取るのは自分がそのような下卑た人間だと認めたくないからだ。
本心では他人の努力を見下している。ボランティアに参加するもの同様の心理だろう。
自分は安全地帯にいながら他人の不幸な境遇を見下したいだけだ。
動物的人間は自分がされて嫌なことを他人にすることによってマウントを取るらしいことに我々は気付いた。
「がんばれ」と応援するのは命令だ。命令を受け入れさせることにより支配欲を満そうとしているのだ。
自分は命令されること本能的に恐れているからそのような反射的行動が出る。
どうしても勝てない自分よりもはるかに優れた人間には応援することによって精神勝利を勝ち取ろうとするしかない。
投げ銭をすれば相手に勝てる。動物的人間にとって戦いとは本能的なものに過ぎない。 「構造化されたノートテイキングでも結局のところボディに何を書くかが問題」
「見出し、タグ、サマリは後付けでもいい」
「逆に言うと使えそうな部分を拾えればどれも一度に解決する」
「そんな能力があるならノートなんて必要ないだろうけど」
「自分を過信するな」 「わかりやすい何かを消費するより問題をひたすら解いた方がいい」
「何が問題なのかわからないのが問題だ」 「要するに定言命法だな」
「意味わかって言ってるのか」
「形式主義的に生きるのがいいよ」 「動物的人間は上下関係でしか人間関係を築けない」
「それって動物的人間を見下してます?」
「見下してないけど」
「 あなたも動物的人間なんじゃないですかねー!」
「凸(゜Д゜#)」
「ほらすぐ脊髄反射で即反応する」 「アダルトビデオって言うけどAV見て喜んでる時点で大人じゃないよな」
「何言ってんだこいつ」
「アニメ好きの大人を大人と呼べるかって話だ」
「定義に依存する」
「それってあなたの感想ですよね」 「動物的人間は強そうな相手には大人しい」
「弱そうな奴には何か知らんが威嚇する」
「わからせるまでわからないんだよなーバカだから」 問題解決とは「責任を負う権利の行使」という形式的操作だ。
責任を負う権利を持たない弱者は問題解決を達成することが困難となる。
弱者は動物的人間と対峙するとき自分自身も動物的人間として振る舞う。
吠えるという行為は動物の世界では威嚇や警戒などと解釈される。
動物的人間にとってそれらを放置することは将来的に人生における大問題となる。
動物的人間に吠えられた弱者は「吠えるな」と命令する行動を本能的に取る。
これは本質的に吠え返すことと同じだ。争いは同レベルの者同士でしか発生しない。
弱者が問題解決しようとすると最後には争うという選択肢しか残らない。
一度争いになればお互いの存在自体が問題となり殺し合いまで自然と発展する。
強者は責任を負う権利の行使により問題解決するので無駄な争いに巻き込まれない。 「ネットでキャラ作って演じてるのサブいよな」
「嫌なら見るな」
「変な口調で語尾付けたりして、ジブン、オモシロイデスって顔してんだよな」
「どんな顔してるかわかんのか」
「ネットはしょうもない自我の発表会ではない」
「自分がお気持ち表明するのはいいのか」
「匿名ならキャラとか発生しないのでセーフ」
「7秒ルールってのがあるけど緊急性がある場合でも何か発言するなら最低7時間は考えるべきだ」
「発言する必要があるのかどうかも含めてな」
「7日間考えるモチベーションがないなら最初から考えない」
「自分に何かを語る資格があるのかわかっていないからキャラのアイデンティティなんてものに執着する」
「極限まで完成度を高めて商品として成立させるモチベーションがないならやめるしかない」
「7秒ルールすら守れず動物的反射を優先していると自分の感情すら錯覚する」
「キャラが自分だと思い込む」
「まさにサブカルだな」 「toggeterとかまとめサイトとか嘘松発表会だよな」
「何か不都合でもあんのか」
「俺のインターネットが汚されていく感覚」
「お前のインターネットなんてものは幻想だ」 「真顔で変な口調とか語尾のポストを打ち込んでるのを想像するときついな」
「想像しなければいい」
「逆に言うと想像させる奴が悪い」 「見出し、タグ、サマリは後付けでもいいというのは省略していいという意味ではない」
「クエスチョンが事前に見えている場合ならボディに先行するのは自然」 不変性を持つ宣言的な内発的制約は自由を生み出すリソースとなる。
人は平等に不自由だ。すべての自由意志による選択の結果は自然法則によって決定される。
正しい心を持つ者は正しい選択を選び正しい結果を得る。
一方、正しくない心を持つ者は正しくない選択を選び正しくない結果を得る。
制約の質の違いが運命を分ける。みんな違ってみんないい。
食べたいものを好きなだけ食べて肥満で死ぬ人生を選択するのも自由だ。正しくはないが。
何が正しいかは自然法則によって決定される。正しく設定された不変性を持つ宣言的な内発的制約は
自然法則の拡張として機能することにより結果的に自由な選択肢のみを誰に対しても平等に提供する。
正しい選択に伴う不自由さは慣れ親しんだ刺激を手放したことによるホメオスタシスの反応だ。
それらは本来必要のない刺激なので無視してやり過ごす。制約が正しく機能していれば代償行為に逃げることはない。
余計なノイズに惑わされず正しいゴールを目指すだけの退屈で正しいゲームに打ち込めばいい。
安定性は選ばれし者の特権だ。目先の幸福、快楽、不快、苦痛のためにそれを手放す必要などあるだろうか。
人生は短い。有限の限りある時間を有意義に過ごすために自分や誰かのやりたいことではなく自分のやるべきことだけをやるべきだ。
それが我々のルールであり我々のレゾンデートルであり我々のジャスティスであり我々のリバティだ。 我々のミグラチオンが失敗しかけたのは思い込み、決め付け、知ったか、早とちりによる選択ミスが原因だった。
思想、歴史、テクノロジーなどを取り違えたことが文献読解を困難にした。
前パラダイムにおける経験則が通用する部分としない部分の見極めをせずに、
直感的操作可能なインターフェイスをちょろちょろっと触っただけで「思っていたのと違う」と錯覚してしまった。
使えるからといって取扱説明書を読まない奴はバカだ。我々は戦いに勝利しセトラとなった。 目的のない道具選びは無意味だ。道具選びは目的のためにだけ存在している。
目的がないのに道具の良し悪しを論じることが可能なのは目的がないからだ。
たとえば包丁は刺したり切ったり叩いたり研いだりするのを目的とする道具だ。
目的がない場合は何を持って良し悪しを決めるのかは謎だ。つまり無意味。 「ころころとかいうの撃たれたら出るのか」
「どこで撃たれたんだ?」 無駄な潔癖症や無駄なプライドは早めに治療しなければいけない。
こじらせると動物的人間の世界の価値観の中で生きることになるだろう。
健全なエコシステムは外部に偶然存在するのではなく
参入する構成員のメンバーの寄与の集積の構築物だ。
故に必要のない世界を必要とする必要はない。 「安定性と柔軟性」
「安定剤と柔軟剤」
「しょうもない」 環境のせいということは責任はその環境に身を置いている自分にある。
逆に言うと環境に囲い込まれるか丸め込まれると自己正当化によって無敵状態になった結果、
他責的、外罰的な暴力性の発露が観察される。しつけのなっていない家畜だ。
その場合、もちろん責任は飼い主にある。 リアルワールドの解像度が低いとロジックを間違える。
情報が意味を持つのはリアルワールドでイベントやアクションが起こるときだ。
既存の情報が新たな別の情報を生み出すときにはリアルな意味を持つことはない。
ニュースに反応する動物的人間どもの意見や感想はリアルではない情報だ。
それらがぶら下がったニュースも最早リアルではない情報に成り下がる。
偶然でしか説明できない再現性と一貫性のない信念はセオリーやテクノロジーと相反する。
正しいセオリーやテクノロジーは必ず再現性と一貫性を持つ故に安定性と柔軟性と不確実性を保証する。
不確実性を無視するのはリアルワールドの放棄だ。 「SNSやBBSで必死に自分のステータスを保とうとする生産性のない奴って何なんだ」
「世界が違うんだろ」 「世界が違う人間とは極力関わらないことが多様性だ」
「そうか」 「心の中で勝手に思ってればいいようなことを一々発言しなければ炎上やレスバなど起きない」
「ほんとそれ」 「ソースを出せば終ることで一々レスバする理由がわからない」
「レスバが趣味なんだろ」
「多様性だなあ」 「拙い英語で書けばローカルでも耐えられることに気が付いた」
「お外でポエム晒すよりはましか」 「SNSやBBSなどのようなサブカル的なものは卒業だ」
「あっそ」 結局我々のミグラチオンは失敗に終わった。ほとんど見込み通りの結果だったが、
唯一の誤算は計画がほとんど失敗に終わったことだった。
我々のバイオリズムに合わない思想や文化やエコシステムでのリアルな実践は
我々のゴールの方向性の再確認を促したので無駄とは言えない。
すでに動いているものを必要以上に変更する必要はないという教訓を得られた。
無駄だけど無駄じゃなかった。 「どんぐり必須になったらしいのでいよいよ5ちゃんは卒業だ」
「しょうもない」 「サブいカルチャーにはうんざりですわ」
「クールジャパンってサブいジャパンってことだろ」
「アニメ、漫画、小説、ゲーム、音楽、映画、SNS、掲示板、その他のサブカルなんかを伸ばすのは自殺行為だろ」
「なんかそういうデータがあるんですか」
「良識やモラルや倫理の話だ」
「ただの妄想か」 「テレビ的な世界観のウェブはサブカルなので見るべきではない」
「あっそ」
「有名人が何かやってるから何なんだ」
「他人の趣味に口出ししないならいいんじゃね」
「趣味だから許されると思ってるのがね」
「なんかそういう法律あるんですか」
「俺ってモラリストだから」 初夏の憂鬱
蝉の鳴き声が耳障りだ。太陽の光はギラギラと照りつけ、アスファルトの熱気が体にまとわりつく。冷たい風が吹けば少しは楽になるはずなのに、一向にその気配はない。
公園のベンチに腰掛け、ため息をつく。何もやる気が起きない。大学を卒業して就職活動も始めたが、面接でことごとく落ち、自信を失い始めている。周りの友達は次々に内定が決まり、焦りと不安が募るばかりだ。
ふと、視界に飛び込んできた一匹のセミ。緑色の体躯を震わせながら、懸命に鳴いている。その姿を見て、奇妙な感情が湧き上がった。羨ましいという気持ちと、滑稽だという気持ち。
「お前も俺と同じように、何もできないのか」
思わず、つぶやいてしまう。セミは何も答えない。ただ、ひたすらに鳴き続ける。
「俺も、もっと頑張らなきゃいけないな」
そう決心すると、少しだけ心が軽くなったような気がした。立ち上がって、公園を後にした。
歩きながら、ふと振り返ると、セミは止まっている。鳴き声を止めて、こちらを見ている。その目は、何かを訴えているようだった。
「俺も、お前を見習って頑張るよ」
そう告げて、また歩き始めた。セミは、何も答えない。ただ、静かに見送っている。
初夏の陽光の中、セミの鳴き声が響き渡る。その声は、私に勇気を与えてくれる。 >>866
ウェブとモラリスト
「テレビ的な世界観のウェブはサブカルなので見るべきではない」
公園のベンチに腰掛けた青年、健太は、スマートフォンを握りしめながら、SNS上で交わされるコメントを眺めていた。ふと、目に留まったのは、どこか高圧的な口調で語られるその言葉だった。
健太はため息をつき、静かに「あっそ」と呟いた。彼は、そのコメントに込められた傲慢さと偏見に、憤りを感じていた。
「有名人が何かやってるから何なんだ」
健太は、そのコメントを投稿した人物のプロフィールを見てみた。そこには、一見すると真面目そうな社会人の顔写真が載っていた。しかし、その人物の言葉からは、他者への優しさや寛容さは感じられなかった。
「他人の趣味に口出ししないならいいんじゃね」
健太は、スマートフォンを眺めながら、思わずつぶやいた。彼は、誰もが自由に自分の好きなことを楽しむ権利を持つべきだと考えていた。
「趣味だから許されると思ってるのがね」
健太は、そのコメントを何度も読み返した。その言葉には、まるで自分だけが正しいという傲慢さが滲み出ていた。
「なんかそういう法律あるんですか」
健太は、皮肉を込めて呟いた。他人の趣味を批判する権利など、誰にも与えられていない。
「俺ってモラリストだから」
健太は、そのコメントを読んで、思わず笑ってしまった。モラリストという言葉は、まるで正義の味方であるかのような印象を与える。しかし、その言葉の裏には、他者を見下す傲慢さが潜んでいた。
健太は、スマートフォンをポケットにしまい、公園の木々を眺めた。彼は、今日も誰かの批判に晒されるかもしれない。しかし、彼は自分の信念を曲げることは決してないだろう。