映画『The Red Pill』と「ジェンダーを考える」会/Kネット(共同親権運動ネットワーク)のこと
(なっつまん, 2018-05-19)
http://www.ganji-dokoiku.love/entry/2018/05/19/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8EThe_Red_Pill%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%80%8C%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%8D%E4%BC%9A%EF%BC%8F%EF%BC%AB%E3%83%8D%E3%83%83

(前略)

 「女性は弱い不利な立場にある」とばかり思っていたら、じつは「男性もまた社会の
なかで犠牲をはらわされ不利益を被っていた」ことに気づかざるをえなかった…。

 男性たちが命の危険にさらされる仕事を負わされている問題、自殺者も男性たちに
多い問題、DV被害は男性側にもあるのに救済されにくい問題などなど…。

 つまるところ、女性の側にも、男性の側にも、人権はなかった。どちらも被害者だった。
 なにが、そうさせたのか。

 それにもかかわらずアメリカでは、フェミニストたちとマスキュリストたちとが、たがいに
相手を非難しあう現状がある。
たがいに主張してゆずらない背景には、「男女の性的分業意識」という、差別感にもとづく
対立感情があるばかりではないのか…。

 深く考えさせられる、むずかしい内容でした、が。
 このテーマ、じつは日本にもすでに、あちこちに萌芽が見られるのを、ぼくは感じて
いました。
 それは、ぼくも関わったことがある、「男女平等」意識の向上を目指す運動のなかにも
認められたことでした。

 この問題の解決にも、いまの政治状況や憲法論議と同じく、「対立の構図」をはなれた
ところからの、論議より対話や会話が必要、不可欠なのに。
 それができない、ヒトってアンガイな、たいしたことないやつです。

(後略)