京極夏彦 Part.88 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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妖怪作家・京極夏彦を語るスレ
次スレは>>970。無理な場合は即申告のこと
関連リンク
●大極宮(公式情報)
http://www.osawa-office.co.jp/
●お化け大学校
http://www.kwai.org/
前スレ
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1462126945/
※コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。
コテハン荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。
釣られて反応しないようにしましょう。 女性ファンっていっても男同士のあれこれが好きな人たちだろ 作品の中での直接的なやり取りはないけど、そういう人達を惹きつける何かはあるんだろうな
そういやネットサーフィンしてる時にそういう二次創作を見かけた事があった 夏彦が痩せてたころはアイドルみたいにキャーキャー言われたりイベントに追っかけがいたらしいな ドラマ『怪』おまけの記者会見映像がそんな感じだったわ #京極夏彦 さん『#虚談』のカバー写真は誰だ!企画の当選者の皆様(の中の数名)が登場した、とある小説原稿を京極さんより拝受。
アノ子やアノ人と一緒に実在の方が登場する様は『#虚談妖怪百物語』感あり。でも別作品です。
新作のタイトル、書いてしまいましょうか。
『#今昔百鬼拾遺 河童』です! https://twitter.com/obakedai/status/1004731896880754690/photo/1 やっぱり河童できたか、次は天狗か人魚だろうな
鬼も河童も天狗も、妖怪というより怪奇現象の名称みたいなもん
山の怪異を「天狗の仕業」と言い、川だと「河童の仕業」
海の不可思議な物事は何でも人魚に絡めて片付けられた
鬼は人間が異常状態になることの総称だろうね
しかしお化け大学校ってことは掲載は怪になるのか?
講談社でも文藝春秋でもなく角川かよ
本の出版はどうなるんだろう どうやら『今昔百鬼拾遺』は超ベタな妖怪を表題にするシリーズみたいね。
……それにしても河童か、いつにも増してくどい内容になりそうだw 海での現象は人魚がメインか?
多くは幽霊怨霊の類いだと思うが 河童って姑獲鳥かなんかで軽く触れてたよな
大工のお守りうんぬんかんぬん
河童は赤いとか @pixiv_bungei: 【山形小説家・ライター講座】「Vol.109 講師:京極夏彦先生」
大反響の3月講座、本日より毎日更新!
https://pixiv-bungei.net/archives/2538
おもしろかった これ、ハウツー系の講座なんか京極さんがやるのは珍しいので結構楽しみにしてたけど
初回は今まで各所でいってたことを要約しただけってかんじだね
ちょっと気になったのは、動機に学究までもを持ち出すのであれば
『面白さ』以外にも小説の価値基準はいろいろある。ということにも言及されるべきだと思った
京極さんはどうも面白ければなんでもいいと考えられてる節があると思うんだけど
それはプロ作家としての真摯さに欠けるように思う
いくら面白がれてもダメなものはダメ、実写版デビルマンはダメだよ 俺はなっちに同意だけどな
自分にとってはひどい作品でもどこかの誰かは面白いと思ってる。だから作品として成立してるわけで
万人から面白いと思われない空気のような文章は果たして小説たりえるのだろうか、という事じゃないのかな >>185
三行目が違うよ
京極さんの主張はそのような文章は存在しないということ
どのような表現も面白がれる可能性を持っているってことね
表現物が存在していることとそれが面白いということが=で結べる
で、この相対主義は完璧に正しいんだけど、いってみれば当たり前の前提でしかなくて
特に作り手から見れば、だから何? ってことでもある
その考え方は認識論としての正しさであって技術論に転用できるようなものじゃないでしょ
読者一人一人の相対的資質に100%委ねるしかない基準は作者側からは操作できない
そんなものはノウハウとしては体系化できない、だからこそ、別の基準も必要になる
面白さだけだと、文学は交換可能な知識体系を維持できない、学問のジャンルとしては死ぬ
で、しかも京極さんは多分別にそうなっても構わないと考えている
文章で喰ってる人がその態度は如何なものかと >>186
それって結局のところ小説に娯楽以上の何かがあると信じているところから来る齟齬じゃないの そうだよ。『娯楽以上の』っていうと語弊があるので『娯楽以外の』に訂正させてもらうけど
それは確実にある
もっともその『何か』すらも娯楽性という概念の意味域に強引に内包してしまうのが京極イムズ
でもその考え方は独善的個人主義に陥る可能性を孕んでいるので危険だと思う >>160
「いるのいないの」おすすめ
絵本だから入りやすいよ 価値相対主義じゃなくただのエゴイズムだよなあれ
作品は好きだし京極も尊敬してるけど、読書観には昔から賛同できない
暴論だし、だからこそ議論のし甲斐もあると思うけど
ネガティヴな感想を認めないってのが一番ヤバい
昨今の自己責任論にも通じるヤバさだと思う
「何で面白がれないのか」ってことに対しても読者は誠実になれるでしょ
それすら認めないのは、読者を全く信用してないってことだよ
そりゃ作者の意図を100パーセント理解するのは不可能だろう
でもだからって理解しようとする努力まで否定しちゃダメじゃん
作者だって何かの意図があって書いてるんだから
「伝わらない」って前提じゃ小説を書く意味すらなくなってしまう 認識論としては瑕疵なく合理的なので、エゴかどうかは判らない、違うといわれればそれまで
物凄く暴論だとは思うんだけど、事実、真実なのだといわれれば、それもそれまで
論破するには、何者にとっても面白く読める可能性を全く持たない小説の存在を証明しなければならず
それは不可能なのでね
問題なのは、面白いということが小説という存在に普遍的に附帯する属性であるとするならば
『小説』という意味=『面白い小説』ということになってしまうということ
これは面白いという語の意味が虚無化しているのと同義だといえる
つまり京極さんが「小説はすべて面白い」というのは、「小説はすべて小説だ」という言説に翻訳でき
これは小説という存在に対して何も語っていないに等しい、そんな流儀が技術として体系化できるはずがない
だからこそ娯楽性以外の価値を小説なるものから抽出しなければいかんと思うのだけど
……しかし、こういう姿勢の作家が小説講座で何を語るのかには非常に興味があるんだわ 「小説はすべて小説だ」と言ってるので間違いないと思うよ
より多くの人に面白がってもらえる小説、少数の人にしか面白がってもらえない小説
あとはそういう軽重の話になっていくだけだから
ゲーム業界でも近年議論になってたりするね
「ゲームは単なる娯楽じゃなくアート作品だ」とする風潮にたいして、「私はそうは思わない」と有名ゲーム制作者が発言して物議を醸してたり
そういった見方をする人々は「娯楽」を低いものだと見る傾向があって
(>>188は娯楽以外と訂正してるからそういう見方はしてないと思われるけれど)
娯楽以上の付加価値をつけることでよりその対象の地位、意義を高めようとしているんだな
ただその付加価値自体のほうにより重き意義を見出してしまうと、本質からはどんどん離れていってしまうよね?
そういった些末論化を回避する為に、「面白いかどうかだけだよ」と一元化してしまっているのではないかな >>191
続き読んでねーんかい
最初に語ったことは飽くまで定義論だし、自分のスタンスの説明だよ
その後参加者の作品を寸評するかたちで技術論を語ってる
ただ技術を語るってことは必然的に何らかの善し悪しを語ることだからな
「優劣は存在しない」って言いながら優劣付けてる矛盾は気になるよな
でも京極は賞の寸評や妖怪論でもいつもそうなんだよ
価値相対主義的に全てを均質化してるようで、結局唯一の「真」を提出してしまう
要するに京極堂の憑き物落としと同じなんだよね
一種のショック療法で価値観を揺すって、語り手に都合のいい「真実」を吹き込むと
だから俺はそれがエゴイズムだと思うし、端的に言えば詭弁だわな
詭弁だからこそ語られたことの正否や矛盾はどうでもいいとも言える お恥ずかしい(;^ω^) Twitter更新日から毎日更新なのかと勘違いし読んでなかった
その2まで読んだけど、緻密で、意外に真っ当な小説論でしたね
断定しないように言葉を選んでるけど、結局京極さんにも個人的好みに基づく作法がある訳で
版面すらコントロールするクレイジーな拘りからもそれは明らかで
にも拘らず「小説はなんでもありです」とかいう欺瞞が鼻についたんだが
なるほど憑き物落としねw 便所でうんこみたいに後出し評論しても説得力なし
しょせん小説で学問じゃないのにマジになっちゃってまあ… 評論が後出しなのは当たり前だし、論を展開する場所がどこだろうと関係ない
なので説得力がないことを説得する材料になり得ない
もう少しまともな感想を書いた方がいいですよ 「ラノベ」ってどこら辺のやつを指すのだろう?
感覚的に、ハルヒや俺妹は入るよな。
ひょっとしたら西尾はラノベに入らない?アマテラスを共同でやってたの見ると、
京極はそう思ってる気がするよ。 「どんな小説も、ちゃんと読めば面白い」か
三万年待つことは出来ないけど、できる限りそう読む努力をしたいもんですね
やっぱり、人生は喜びが多い方が好ましいから >>「どんな小説も、ちゃんと読めば面白い」
え、そうなのか じゃあ君の膵臓をたべたいとかミツバチと雷とかも
俺がちゃんと読んでなかっただけなのか…やべぇよ全然つまんなかったよ
膵臓なんか「あれ、膵臓たべはらひたがとろける」とかさ、そりゃ膵臓から消化液が出てるんだから
食べたら溶けちゃうわな あれ?
直樹三十五の本はつまらないって言ってなかったっけ? >>200
それらを楽しみたいと思うなら、折を見て読み直したらどうですか
自分はどっちも読んでないので具体的なことは申せませんけれども
存命という意味で同じ時代を生きる人が同じ国の言葉で書いてしかもわいわい言われてる訳ですから、そんなに望み薄でも無いと思いますよ アホ以下のガキだろ、こんなもん晒す価値もない
「○○が好きな自分が好きなだけ」「○○が好きな自分に酔ってるだけ」
こんなこと何にだって言えるし、何にでも当て嵌まる批判には何の意味もない
要するに自分の中に明確な価値基準が育ってないんだよ
でも何か言ってやりたいから、こういう子供染みた表現に逃げる
ミステリーに対して「先が読めた」って言うのもそう
そんなもん何の証拠もない言った者勝ちの言葉でしかない
大体京極の小説は無駄な改行でページ数稼いでるんだから
文字数にしたら全然大したことない分量だよ
一冊の本として形が異常なだけで、上下巻って考えたらページ数も普通
こんなもんにビビってるのは普段それだけ本読んでない証拠 >>202
確かに私も小学生の時罪と罰を読もうとしたら難しくて読めなかったですが
大人になったら簡単に読めたので、年月の経過によって変わるというのはあるかもしれないですね >>205
楽しめるようになるものもあればその逆もあるでしょうね
ただそれはなくなったのではなく、楽しむまでに多少苦労するようになるだけだと思いたいもんです 思春期に大好きだった本って大人になって読むとまた別の感想になるよなw
まあそれは思春期の頃の辛さとか青臭さを思い出すというまた別の感情が入り込むからだろうけど・・・ 中学生の時あんなに好きだったクラッシャージョウが今はもう全然楽しめないもんな
年齢による好みの変化って不思議だ その点京極さんの小説はどれも再読が面白いね
一見無意味で無駄に思える文章も、二週目以降よく吟味しながら読むと意味が解るし
初読でも勘のいい人には解るんだろうけど、私は再読前提で読むから二週目以降の方が評価上がる
それは単純接触効果も手伝っていると思う。そう考えると改行どころかページ数にすら意味がある
>>203
ただ一読して話の構造だけしか理解できず、ディテールやテクニックが解せなかった場合
こういう評価になってしまうのも已む無しかな(誰かの指針になる為の書評らしいから、この程度の見識なのは問題だが) しかし昔は京極ファンって意識高い系みたいな奴が多かった気がするな
例のノーベル文学賞候補の読者ほどじゃないけど、ただの消費者なのに
なぜか優越感みたいなのを持ってる奴がチラホラいて違和感あったのをおぼえてる 統計取ったわけでもないんだから、そんな傾向お前の頭の中にしかねえよ
村上春樹と一緒で、分母が大きいから色んなファンがいるってだけ
そこからどんな傾向だって見出すのは簡単だよ
漠然とした対象に見出す歪みは、結局自分のコンプレックスの反映
そもそも何かを好きになるときスノッブな喜びを覚えない奴なんかいない
他人のそれが目に付いてしまうのは、自分こそそのコンプレックスに囚われてるから
何かを否定することで自分自身の幼稚な自己嫌悪を誤魔化すな 動機をコンプレックスに起因させるのは、非常にオーソドックスではあるんだが
それですべての物事を解釈できてしまうから思考停止化してしまう危険な考え方でもある
上のやつとかまさにそれだな 昨日から陰摩羅鬼読み始めて100頁まできたけどめちゃくちゃ面白いじゃないの 新幹線で切りつけたあいつが罪と罰とか哲学者とかを読んでたらしいな
意識は高かったのかな 頭はおかしいけど >>217
評判悪いオンモやジャミも実は普通に面白いよね 短編のサイドストーリーは再読する気になれないけど、長編はなんだかんだで全部四回以上は読んでるなー 京極じゃないけど面白さの基準は人それぞれだから別にいいんだよ
でも他人にもそう思って貰いたいなら理由を書くべき
善し悪しは多少なりとも理論化出来なきゃ意味がない
自分の直観だけを根拠に他人の意見を否定するのはただのアホ
子供が駄々こねてるのと変わらんな
傍からはつまらないことを認めたくないだけにしか見えないぞ いや別に好き嫌いに理由つけなくてもいいやろ
勝手なマイルールを他人に適用しようとするな鬱陶しい いやいやそうじゃなくて、223は『好き嫌い』と『善し悪し』をちゃんと別けてるでしょ
マイルールとかじゃなくて確り普遍性のある意見だよ
ただ、つまらないことを認めたくないってのは違う。上の人達はそもそもつまらないとは認識してないはず
京極小説は基本的に全部面白い、Amazonや読書メーターのレビューは概ね高評価
たとえ自分には解らなかったとしても、統計的には全部普通に面白いと考えるしかない 僕は京極夏彦の作品の中でも好きなのと嫌いなのがあるな
女郎蜘蛛のりとかもうりょうの箱とかは好きだけど
覗きこへいじとか嘘つき少年とかは面白くなかった だいたいみんな面白いが、好きなのは「嗤う伊右衛門」だ
語れるような理由は、ない 笑う伊右衛門は僕は個人的な意見だがつまらなかった
なんで最後に家を解体するのか理由がわからなかった 俺はギャグものが好きなんだよな
どすこいや虚実や虚言少年とか
オタクネタが恋しい 『右の方に進むべきである』って打ち切りなのかな。
結構好きだったんだけどな。 個人的な意見ですが、ルーガルーは名前が難しく上に登場人物が多すぎて読めないし
関係性がわからないしもうわけわからなかったです
僕のようなお脳の弱い人にもわかるように登場人物は四人以内におさめて
名前はスズキとかヤマダとか読める漢字の人にしてほしいですね たしかに、神埜とか一度忘れると、読み方なんだっけ? ってなる 先生は字に詳しいとかこだわりとかがあるんでしょうけど
こっちは面白おかしく本が読めればいいのであって
そういうこっち側の事情も考慮してほしいですね
京極堂とか関口くんとか割と一般的な名前なのに
売れたらなんか読めない漢字を連発して 売れるって怖いですね 名前なんて記号なんだから何て読みだろうが自分で決めて読み続ければいいじゃん
人に読み聞かせるわけじゃないだろ? あるに決まってんだろバカかよ
中禅寺も久遠寺も全然一般的な名前じゃねーよ
大体「売れたから読めない苗字を連発する」って理屈自体意味不明
「呉織」を分解して「呉」と「織作」にしたのは上手いと思ったな
しかも織作の「作」は深作欣二にも掛かってる
絡新婦には深作欣二が監督した必殺4の台詞の引用があった
京極は必殺マニアだし、必殺4もある意味操りの話だしな ルーガルーみたいな複雑な人間関係、読めない名前は巻頭にでも人物相関図をのせてほしいよな
こっちは頭がよくないんだよ そういう人も世の中にはいっぱいいるんだぞう いやいやあやしい宗教じゃあるまいし、本を読んだだけで頭が良くなるなら
刑務所に入ってるやつはすげえ本読むけど、別に出所後すごい頭良くなるわけじゃないじゃん >しかも織作の「作」は深作欣二にも掛かってる
うっそーん!?
気付かなかった。
深作のバイオレンス映画を、なっちも見てるものなのかね? 人によるが大体のクリエイターとされる人々は色々なものを見てるよ いまさら漫画の鉄鼠読んだけど
今川がまともになってる
徒然百鬼のときはまるで土偶プリンだったのに・・・ 虚談のムエンのおじいさんが調べた事って、どこまで事実が元になってんの?
みんな京極の作り話? なっちが全否定してた断捨離のパイオニア的な人がお亡くなりになったね 猿まで出たんだから後は虎と狸と蛇だけじゃん
しかし平山夢明の腕太いな
歳のわりには良い身体だしスタイルも良いし、豆タンクの京極とはえらい違い >>247
『怪』のインタビュー読んだ感触では
半分くらい実際にあった出来事を基に書いてるって印象受けた 吾妻ひでおのアル中病棟という本を読んだら、京極夏彦も読んだと書いてあったな
アル中こええわ、酒飲まない人でよかったよ >>256
奥さんはよく離婚しなかった
無理やり入院させたのも娘さんらしいし
ど根性ガエルの作者は完全に家庭崩壊させて嫁さんは娘を連れて新興宗教に走ってしまったと言うのに 離婚しても慰謝料もらえないし、奥さんも高齢だから再婚もむつかしいし
ってとこじゃない 売れてなかっただけで少しはマンガも書いてたし >>256
しかし煙草は一日一箱吸うらしいからな。そっちが心配 若い頃だろそれ?さすがに今はもう止めてるでしょ
まあ煙草吸ってなくてもあの生活習慣じゃ長生きできないよ
歳喰っても改善しないし本人も長生きするつもりはないんだろう
ぶっちゃけ十年以内だろうなって覚悟はしてる 酒と関係あるかどうかわかんないけどガンになったみたいだね
吾妻先生お大事にね >>260
そうでもないよ。これソース6年前くらいの記事だもん
http://mainichi.jp/sp/shikou/25/01.html
たしかに平均寿命は期待できませんね。残念ながら
もっと生に執着を持ってくれるといいんだけどね 大沢在昌先生の「らんぼう」に西極寺という黒装束の妖怪学者が出てきました
最後は悪い刑事二人の妖怪を妖怪落としして正しい刑事にするというとても心温まるエピソードで
大沢先生の京極先生への深い愛情を感じました ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています