若き武豊・松永幹夫と共に将来を嘱望された逸材、ジュンペーとファンから親しまれた騎手がいた。
彼の名を"岡潤一郎"と言う。

'88年にデビューした彼は岸滋彦・千田輝彦などと同期であり、初年度から岸滋彦JKと壮烈な新人賞争いを演じ、見事に新人賞に輝く。

その後彼は脚光を浴び、その安定した騎乗と甘いマスクで人気を集め関西リーディングの常連に成長していく。
初重賞勝利は以外にもデビューから3年経った春のNHK杯でユートジョージに騎乗、府中の直線を豪快に差し切っての勝利であった。

そんな順風満帆な彼も大きな挫折を味わうこととなる。
それは'90年に行われた宝塚記念で、
圧倒的1番人気のオグリキャップに初騎乗、勝って当たり前と言う凄まじいプレッシャーの中、4コーナーまでは抜群の手応えで上っていくオグリキャップであったが直線は前を行くオサイチジョージに突き放されて失速、
ヤエノムテキの急襲を何とか退けての2着確保であったが、マスコミやファンの風当たりは厳しく、レース後も罵声を浴びせられる日々が続いた。

翌年、その屈辱を跳ね除けて天才はエリザベス女王杯でリンデンリリーを駆り、圧勝して初のG1タイトル制覇を果たす。
初重賞制覇がユートジョージ、そして初G1がリンデンリリーと共にミルジョージ産駒であったのは何かの縁か。

しかしながら天才に待ち受けていた運命は皮肉なもので