統合失調症ということで通院療法を受けています。
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今、『ロジャースの中核三条件 一致 カウンセリングの本質を考える』を読んでいます。
自分が体験している感情や態度がどのようなものであっても、
その態度に自分が気付くことによって、それと矛盾しないでいたいです。 >>2
興味ねえんだよ怪物
ヘラで前頭葉叩き落としてから出直してこいよ怪物 p20
すなわち、私が自分自身との間に援助的な関係を形成することができるならば
ー自分自身の感情に感受性豊かに気付くことができて、それを受容することができるならばー
私は他者に対しても援助的関係をつくることができる可能性が高まる、ということである。
それは、私との関係において他者の成長を促進しようとするのならば、
私が成長しなければならないということを意味している。 セラピストが自分自身との間に援助的関係を作ることと、
クライアントとの間に援助的関係を作ることとは、密接に繋がっているということである。
クライアントが成長するためには、
セラピストがその場で客観的にクライアントの変化だけを見つめていくのではなく、
セラピスト自身がその関係の中で変わっていくこと、成長することが不可欠である。 ある意味では、セラピーの中で行われることは、
クライアントに対して本当に優しい気持ちで、
その人が本当に自分の感情を持ち、自分の人生を生きていくように援助することであり、
セラピストが他の人に与えうる最大のものは、最小ではなく最大のことは、
その人の感情に別の人間として、喜んで寄り添って歩んでいくことです。 【統合失調症】〔schizophrenia〕
精神障害の一。病因は今なお不明。多くは青年期に発病し,
感情の鈍麻・自閉症状・意志の減退・奇妙な行動・幻覚・妄想などを示すが,
症状の現れ方や経過は複雑で多様。精神分裂病から改称。 20年前、外側から鍵をかける病室に入れられたとき、
僕は焦燥感にあふれていた
付き合っていた風俗嬢の友だちのヤクザに家を攻められると思っていたからだ
自分も狙われていると思っていた
自分はこの病室に閉じ込められたことで、
何も出来ないし、殺されることもないと分かって、焦燥感がおさまっていった経緯がある 医者の卵たちと話す機会を得られたが、
一般人にはあまりない僥倖だろう
彼ら彼女らは頭が良い上に、専門の勉強を積んでいた
一人のインターンとの博物館デートは一生の宝物だ 僕は今、通院で医者に話を聞いて貰い病状を診てもらっているし、薬も飲んでいる
そして自発的にセラピーも受け、過去に抑圧していた感情を表出させ、解放している 「自立支援」と書かれた手帳を持っていて、
親からの精神的な自立を果たしたいと思っているし、
経済的な自立をしようと一人暮らしも計画している
精神障害とは親からの「自立」の話なのかもしれないと考えている 高校時代、安達哲という漫画家が好きだった
リア充(という言葉は当時なかったが)と俺等、何が違うんだろうな?というセリフがあったが、
当時の僕は、「親と仲がいい奴等が羨ましい」と言っていた 本音を言えない自分も幼稚だし、
過干渉な親も幼稚だし、
「幼稚な親子の深刻ぶったキモイ喧嘩」とは加藤諦三の言葉だったか 親の所為で人生だめにしたな、と暴れてもいい
いいよ、許す
暴れろ 親を許し
自分を許し
運命を受け入れ
前に進むしかない
前に進むのに、
過去を受け入れて行くしかない
受け入れる=許す
受け入れることと許すことは全く違うが、
自分は怒っていた、自分は怒ってもいいと認めることは、相手を許すことに繋がると思う 疲れる人からは離れる
嫌いな人は遠ざける
合わない人とは会わない
尊敬出来ない人とは付き合わない 親は親
俺は俺
親がいつまでも俺の面倒を見てくれるワケでもないし、
「自立」しなければいけない Noを言う
はっきり言う
自分の人生を生きる
気持ちはありがたい
気持ちだけ受け取る
「だが断る」 俺は家を出る
生活能力を高めるために
「自活」したいんだ じかつ 【自活】
(名)スル
他の援助を受けず,自分の力だけで生活をすること。 親の幸せを祈るし
弟家族の幸せも祈る
親戚親子の幸せも祈るし
一族の発展も祈る
しかしまず自らの「自活」からだ 引っ越すに当たって
生まれ育った地元を深く知ろうと出歩いているが、
ますます好きになった地元を離れるのは辛い
今の生活様式は、今の環境で成り立ってるから
コンビニやドラッグストア、スーパーやデパートが
引っ越し先でどうなるのかは不安 変わって行く自分を楽しむしかないのだろう
「以前はそういうのも、楽しいと思っていたんだがな…」 何を願う?って
あの人との結婚
精神的な成長
生活や人生の充実
感じの良い家庭を作りたい 担当医も治す気なさそうだから
あきらめも大事だと思った 僕ら精神病人は家族を持っちゃダメだ
周りをみんな不幸にする >>43
家族を持つ持たないは置いておいて、
自身の成長が周囲を幸せにすると考えています
自分が本当に楽しんでいれば、その楽しさは周囲に伝わると考えています
実る実らないは別にして、(ストーカーなどにならなければ)恋は人生の充実と考えます 大学時代、心理学とってる友人に参考書見せてもらって、
仮面を被って生きている人は精神的に問題あるような記述があって、
それ見て、「え?みんな仮面被って生きてるんじゃないの?」って思った
一致感という観点では、大いに問題ある生き方だと今は思う。 多分、薬様々なんだと思う
不安とか全然感じないし
親との人間関係を疑問に思うときもあるけど
基本幸せだし、毎日楽しいし 建設的というほど計画的じゃないけど
前向きに生きてるし、
充実感あるし 自分がやりたいと思うことをやれるくらいの
お金と時間はあるし
体も基本動くし、エネルギー(情熱)もある 前にカウンセリング協会の開くセミナーに出たことあって、
そこで学んだのは
自己受容(自己肯定、自己信頼、自己一致)が大事なのと、観察(人の気持ちを推し量ること?)が大事だということ。
もう一回行きたくなってきたな >>51
Sorry, I’m a stranger here.
(ごめんなさい、この辺りのことはよく知らなくて・・・) 多様性を認める社会ってのは
「棲み分け」てる社会だったりするワケで、
「薬のお陰で精神的に健康でいられているメンヘラ」な僕は
このスレに引き籠もってるのがいいのだろうか??? あんまりネガティブな相談というのもないんだけど、
医者に「さっき中国人に割り込まれたこの怒りをどう処理すればいいですか?」って相談したことはある
「ストレス社会ですから」って言われた
「その場で中国人を力ずくでどかしたり、説教始めたりしないのは、怒りをコントロール出来てていいと思います」とも言われた
この憤りは、カラオケ行って歌ったり、サンドバッグ叩いたり、散歩したり、瞑想したり、自分なりの処理方法を持つのがいいのだろう こんな奴ばっか
ここはな
匿名掲示板で自分だけの物じゃないから 『デジタルデトックス』って本で著者が滝行受けてて、
下界に下りるときは注意って言われてたんだけど、
ほんと「下界」だから苦労してるんだよなー >>1
統合失調症患者は自分に可能な事と不可能な事の判断がつかない
統合失調症患者は大抵不器用で何をしても上手くできるようにならないのですが
一つの初歩的な事だけは少し得意になることができるのです
しかしその得意なことはすぐに己惚れにつながるのです
例えば少し資格習得の勉強ができるだけで自分は頭が良いと己惚れて
「私はそこそこ知能が高いですし
今から大学受験の勉強すれば国立医学部にも合格できるくらの知能が私にはある
だから私にとって私立大学卒の医師なんて私より格下でそんな医師は大した知能もってないです」
ということを本気で思っているのです
そんなの統合失 調症患者の大学受験なんて
ただ英単語と熟語の暗記をやる程度の芸しかないだろうと思います
そしてその勉強の仕方では偏差値55以上の大学には合格できないということが理解できないのだろうと思います
例えば 精神障碍者当事者交流会に参加した43歳くらいの統合失調 症の男性で
「仕事するとしたら薬剤師なんていいですよね 私も資格取ってやってみたい」
と言っているのですが
本人は医学部と言わないで薬剤師と言うところに謙虚さが滲みでてるだろうと謙遜しているつもりなのです
統合 失調症患者は自分に可能な事と不可能な事の判断がつかないのです >>61
ご指摘ありがとうございます
リアルに生きたいです 一つの生命主体の能動性の変化は、生の内奥においても、
他の生命的存在に重大な影響を及ぼすと考えてよい
平たい言葉で言えば、「自分が変われば、世界が変わる」だね 宗教家のこれでも平易に書かれているという本を読んでいるが、
「お仲間とやってれば?」
という感想を持った
自分の見てる世界の面白さを他者に上手に伝えるのが、表現とかコミュニケーションとか本ってもんだろうよ 明日死ぬことになっても後悔しない今日の過ごし方、
本当にやりたいことをやる生き方、
というものは皆が模索してると思うが、
今からスタバに行くことにした
オキニのバイトさん居るといいな♪ 幸せになりたいと思って生きてきたし、生きているし、
つーかお前等ムカつく!黙らしてやる!って頑張って来た人生だったけど、
「今ある幸せ」に気付くのが大事なのかなって思った
低レベルな幸せに執着しない(DV男にしがみつく女のようには生きない)で、
次のステージに行くために、「感謝して手放していく」けどさ >統合失調症。100人に1人くらいかかる普通の病気。
高校の偏差値が65で、標準偏差でトップ7%で生きにくいって思ってたのに「たった1%!」
と取ることも出来るが、
まぁ病気としては大してレアでもない普通の病気なんだなと思えて安心した。
僕の「生きにくさ」は学力とは別のところにあるし、
「人と人が違うのは当たり前」の世界に移行したいし
自分は特別珍しくもないから自己愛も自己卑下もそんなにしなさんなと自分に言い聞かせたい
アドラー心理学で言う「不完全である勇気」とか普通でいる(その他大勢の一人でいる)勇気だよな
リアルにいきたい >医学的には寛解(かんかい、英: Remission)という語を用いる場合がある。
>これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す。
>すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なす。
>とくに「社会的寛解」の意味でその語を用いることの多い統合失調症においては、
>その症状により日常生活を含めた社会的な活動がほとんど影響されない程度にまでよくなった場合にそのように言う。
>しかし、その状態を保つために薬を服用し続けなくてはならないなど、一般的な感覚としては明らかに治癒とは異なる。 >精神疾患として深刻なものに位置づけられるが、治療可能な病気である。 妄想というほど確信してないので念慮と言っていいんだろうけど、(学術的にはよく分からないが)
被害念慮
関係念慮
誇大念慮
恋愛念慮
があるなー
特に5chとかやってると被害を被る可能性を常に考えてる感じ >家庭や学校が、歪んでいたりして、本人の意思や努力ではどうにもならないところで、不本意な想いをしていることが多く、
>それが発病のきっかけになっていることもよくあるという。
不本意な想いしまくりの人生だった スタバにココアを飲みに来た
メニューに載ってない商品を頼むのは
常連らしくていいとも取れる >統合失調症者は甘えを知らないか怖がるという。
甘えたいという気持ちを抑えてるかもしれない >誤診されやすいものとしては双極性障害、統合失調感情障害、強迫性障害、びっくり病 (Hyperekplexia)、
>ナルコレプシーにおける情動脱力発作 (Cataplexy) やアスペルガー症候群が挙げられている。
>特に双極性障害は統合失調と遺伝子的スペクトラムをなすとの仮説もあり、しばしば幻聴やてんかんを伴う。
今の医者には双極性障害かもしれないと言われている 空気のいい、景色いい遊歩道を深呼吸して歩くとなおるらしい >一過性精神病性障害
ってのもあるのか
俺、これだったんじゃないの? だいたい5分以内で診察が終わる
別に不満はない
下手に具合が悪いとか言うと
薬が増えるから
貝になってる >>26
上辺を取り繕うな!
自分のドロドロとしたゲスな部分と向き合え
本音で生きろ >>81
ある意味賢く
ある意味愚かかもしれませんね
医者との付き合い方も難しいな 心屋仁之助の本をなんか読もうと物色
「もうがまんしない」という本を見つける
まさにこの本のタイトルの通りだわ
もう、がまんはしない
親に罪悪感持たない、親に遠慮しない 自分がリラックスすることで、相手もくつろぐことが出来る 他人の顔色をうかがって、自分を押さえ込むことで成り立っていた類友達と離れ、 誰の中にもちゃんとある、自分の中にもある攻撃的で暴力的な感情にもOKを出す 気持ちを感じてみる
どんな感情にもOKを出してみる
言いにくい気持ちも伝えてみる
違いがあることを認める
新しい思い込みを始めてみる 本音は、相手に嘘をついてきたことを伝える勇気でもある 相手は自分が求めてる答えを知らないだけ
だから、言って欲しい言葉は自分から教える 自分を受け入れる
感じる
Don’t think, Feel. そのまんまの自分を、自分が認めて、
今のどんな感情も受け入れることが出来たなら、
自分の人生は変わり始める 世の中は
「自分とまわりを信じていない人」と
「自分とまわりを信じている人」に分かれている 自分が強がっていると、
まわりにもそんな空気を強要してしまう ありのままに自分らしく生きようとしているあなたに対して、
それを尊重しようとしない人とは、
もはや離れた方がいいと思いませんか? 担当医から
障害年金の話を聞いて
受給できるようになった
クリニックはソフト精神病院 自分が楽しく生きる代わりに
厳しい批判がくることも受け入れる 人の優しさに甘える
人に助けを求める
好きなことをやる 自分の欠点は「そのまま持っておく」。
欠点は「凹んでいる」から
その凹みに人の助けの手(凸)が入ります。
そして助けた人は、自分が役に立った喜びを味わうことが出来ます 昨日、借りた本をを三冊読んだ。
いい暇つぶしになった。
雨音がBGMで心地よかった にゃんぱすー! うちは今日菊池哲男写真集見つけたん さすがのうちも結構気に入ったん
トホホもうイタズラはこりごりなん バイバイなん >>110
何の本読んだんですか?
>>111
山岳写真集とか図書館で見てみたいっす(買う気はない) >>112
Good luck with your 読書 >>111
アルプス星夜ですか
ちょっと大きな本ですよね 昔は本当に聞こえてる音を
幻聴じゃないかと念慮してたものでした 今日は人と会って話して、自分は自信家だと言われることが多いと話し、
「自分は出来る」と思ってると気付いた。
Yes, We Can.と言えるような人になりたい 身の回りに起こることすべて、自分が関係していると考えがち。
それは非二元論という考え方で考えればそうなんだと思ってる。 なんで人は近づいてくるのか
近づいてくる人は嫌い
自分から近づいていくのが好き 体にいい食べ物
からし(からしマヨネーズ→辛くない)
カレー粉(カレーライス、カレーうどん)
しょうが(しょうが冷奴)
しじみとかシーフード(しじみ味噌汁、あさりのシーフードカレー)
レバー、砂肝 就労移行支援事業所は、利用者1名×1日で行政から1万円前後の補助金が出てるんだよね。。 自意識が強いというのは、
「自分に対して真剣」とも言える それは、統合失調症の最も効果的な治療方法ですね。
幻聴、妄想、思考伝播、皆、治ります、いつか。
どうか、B型作業所から、出直してください。
生活、不安でしたら、障害者年金というものがあります。医者で統合失調症と診断
されれば、偶数月の15日に、3級で9万円ほど、1級で20万円ほど、振り込まれます。
引きこもっては、いけません。1か月、工賃、1万から、いいところでは、2万円には
なります。どうか頑張って、社会復帰して下さい。 昨晩は「心因性の何か」で眠れなかった
心が安定せず、落ち着かなかった
一晩寝てずいぶん落ち着いたし安定したが、
昨日までのような「揺るぎない自信」みたいなものがなくなったような気がする
まだちょっと気持ち的に不安定なんだろうか >>97
俺が持っていた自信は「俺は出来る」だったが、
それは「強がり」だったのだろうか 眠れないようでしたら、フルネトラゼパム、効く、と思います。
7時間位、効きます。ニトラゼパム、併用する方法もあります。 今、ドラマで「体の傷がいつか治るように
心の傷もいつか治る」って言ってた もう、「自分を強く見せる必要のない世界」
へ移行したい 散歩していつものスーパーで買い食い
無職は犯罪者予備軍に見られるだろうなーと少し怖れがあったが、
俺はどう見ても「精神病んでる人」だわ もう格好よく見られたいとか
格好よく見せたいとか思わなくていい 人に「今、何やってるの?」って聞かれたら、
「心に素直であろうとしてる」って答えよう
具体的にと聞かれたら、
セラピーを受けてると答えれば、なんとなく分かって貰えるのではないだろうか 自分の自信を支えていた手柄を思い切って捨ててしまう
つまり「役立たず」になる 自分の好きなように生きて嫌な目や危ない目にあうなら「あえばいい」 ありのままの自分で生きてると
他人に干渉する必要なんてなくなるし、
そもそも気にもならなくなります 「みんなから愛されよう」ではなく
「自分をもっと愛そう」 この世には自分一人だけが生きているのではないし、
自分一人だけが幸せになればいいというものでもない
もっとみんなが助け合い、補い合って生きていこうということです
そして人に助けを求めるなら、
自分を隠していると上手く助けて貰えません 私の知っている、ある、統合失調症の例ですが・・・
ある女子高生の女の子-その娘は美人だった。彼女はある日、あるアイドル・グループの男性に
ファン・レターを送った。それ以降、彼女はそのアイドル・グループに知られる存在と思い込んだ。
街で車に乗っている、男性二人と目があった時、彼女はその二人が東京の芸能事務所の
スカウトと思いこんだ。これは本当の事例です。これが統合失調症の妄想です。実話、です。 私の知っている、ある,統合失調症の例ですが・・・
その女性は引きこもっていました。
ある日、となりの家に行って、あなたの家に盗聴器が仕掛けてあって、
私の家の会話を盗聴している、どうか家の中に入れて下さい。盗聴器があるはず、なんです。確認させて下さい、
と言い出した。その、女性はその後、精神病院に入院され、そこで、亡くなった。実話です。 僕は「念慮」に苦しんでいましたね
この聞こえる音がなんらかのメッセージを伝えてるように感じる、
この頭の中の会話が、現実に起こってるテレパシーであるように感じる、など。
まぁ昔のことです。 自分を変える必要があるというか
自分を愛し
自分を喜ばせ
自分を肯定する、受け入れる、信頼する
自分と一致する
必要がある 毎日散歩してて、自分が不審者に思われないか心配に思ってきたのだけれど(通り魔事件以降)
犬の散歩してたって、「こいつ犬の糞ちゃんと処理してるか?」などと見られてるかと思って散歩してる場合もあるかもしれないと重い
そういうのは「神経症」なんだと思い至った
通り魔事件があってちょっとナーバスになる。それもまた人間臭くていい。 働き盛りの男が平日の明るい時間に散歩してたら不審者に見られるでしょうね
平日のイオンモールに行ってご覧なさい
女と老人しかいないから うわべではないコミュニケーションを取る
より深い本音を伝え合うコミュニケーション 占いでは
一目おかれたいと思いすぎている
と出た
当たっていたと思う てらいなく、本心から
人を幸せにしたいとは何か
と問う Kindleアンリミテッドで
『すりへった心を満たして「最高の人間関係」でいられる本』を読む 相手を理解し、受け入れることが出来れば、
人間関係は画期的に変わります 人が生きていく上で、結果だけにフォーカスしないこと
恋愛にしても結果を問えば結婚するか、別れるかにこだわることになりますが、
大切なのは大切なのは相手と出会い、どう向き合ったか。
幸せな思い出があるならば、どういう結果を迎えたとしても無駄な経験ではないはずです トラウマを克服するためには一歩前へ踏み出し
今度は大丈夫だったと確信を得るよりほかに方法がありません 自信があれば「自分は自分、人は人」と割り切ることが出来ます 軸を持つことは物事の優先順位をハッキリさせることでもあります 統合失調症は進化していて、少し前までは「集団ストーカーの被害に遭っています」とか
「電磁波で攻撃されています」とかだったのに、
最近は「顔認証システムで街中どこに行っても監視されています!
私の顔が登録されているので、街を歩けません」とかになっていて、
統失も技術革新するんだなと思った。 自分を理解して欲しいという思いは捨て、相手を理解する
このことで、あなた自身がどれほど救われるかーーーーーやってみれば、分かります 人間関係で生じる問題の多くは、
あなたが「自分の常識の中にあるルールに従って欲しい」と
他者に対して多大な期待を寄せることが原因だと私は考えています あなたの心を頑なにしている価値観の正体は何なのかを分析し、
その部分を手放すことで人間関係のバランス感覚は自然に整います 同じレベルの人としか知り合うことが出来ないという「類友の法則」によって
人と人が引き合うというのは揺るぎのない宇宙の真理なのです 人を魅了する輝く笑顔は心が創り出すもの
本物の笑顔は、常に明るい未来を思い描き、ポジティブな発想に満ちあふれる人だけが備える宝石です
たとえ人がなんと評価しようと「自分の人生は素晴らしい」と信じることで潜在意識を働かせ、
人に笑顔というギフトを提供できる人になりましょう! 統合失調症患者は自分に可能な事と不可能な事の判断がつかない
統合失調症患者は大抵不器用で何をしても上手くできるようにならないのですが
一つの初歩的な事だけは少し得意になることができるのです
しかしその得意なことはすぐに己惚れにつながるのです
例えば少し資格習得の勉強ができるだけで自分は頭が良いと己惚れて
「私はそこそこ知能が高いですし
今から大学受験の勉強すれば国立医学部にも合格できるくらの知能が私にはある
だから私にとって私立大学卒の医師なんて私より格下でそんな医師は大した知能もってないです」
ということを本気で思っているのです
そんなの統合失 調症患者の大学受験なんて
ただ英単語と熟語の暗記をやる程度の芸しかないだろうと思います
そしてその勉強の仕方では偏差値55以上の大学には合格できないということが理解できないのだろうと思います
例えば 精神障碍者当事者交流会に参加した43歳くらいの統合失調 症の男性で
「仕事するとしたら薬剤師なんていいですよね 私も資格取ってやってみたい」
と言っているのですが
本人は医学部と言わないで薬剤師と言うところに謙虚さが滲みでてるだろうと謙遜しているつもりなのです
統合 失調症患者は自分に可能な事と不可能な事の判断がつかないのです
担当医はいつも顔色がいい
白衣を着てなければただのちびデブ 新元号の初め、ひとつの国が壊れた。
経済的危機により完全失業率15%、失業者1,000万人を突破。親兄弟を頼れない世界にニートは暴走し、通り魔や家庭崩壊が各地で発生。
精神障害者は増加の一途をたどり、精神科外来患者数は80万人。
モンスターペイシェントによる職員の殉職者は1,200人を突破した。
キチガイを恐れた健常者たちは、やがてある法案を可決し、施行する。
それが、障害者福祉改革法、通称「キチガイBR法」だ。
誰もが恐れる「死」を利用して、恐怖による支配によって健常者の威厳を取り戻す目的で施行されたこの法律は、
年に一度、選ばれた作業所の利用者に、コンピュータ管理された脱出不可能な無人島で、制限時間の3日の間に最後の一人になるまで殺し合いを強いるという法律である。
今回キチガイBR法に選ばれたのは、富山県某悪徳事業所のキチガイたちだった。
施設外就労のためにバスに乗ったはずが催眠ガスで眠らされ、無人島に連れてこられたキチガイ利用者達に主査の指導の下、食料と武器がそれぞれに渡されゲームが開始。
極限状態に追い込まれたキチガイたちは、様々な行動に出る。昨日までの友人を殺害する者、諦めて目障りな発達ガイジの死を選ぶ者、力を合わせて事態を回避しようとする者。
自分から志願してゲームに参加するサイコパス利用者に殺戮される者……。
そんな中、利用者のひとりである「孤高の堕天使」は、同じ精神病棟で育った地方公務員「セイビア」がほのかな想いを寄せる美人サビ管を守るため、武器を取ることを決意。当て馬としてゲームに参加した「鳳凰星座の一輝」と共に島から脱出しようとする。 今日はマジックミラー号でオナニーした以外これといった成果はありませんでした 今日は定価で買ったユニクロTシャツを返品しました
その後同じTシャツをセール価格で購入しました
約400円臨時収入です
そのお金でガリガリ君を五本買って一気に食べました
帰りの電車で強い腹痛を感じました
途中の駅で飛び降りてトイレに駆け込みました
3人並んでました
必死で耐えました
必死で耐えました
必死で耐えました
ダメでした 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。
今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。
近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。
社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。
社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、
排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。
刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。
前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。
しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。
それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、
社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。
[それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。
しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。
実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。
https://shakaigaku.exblog.jp/21000984/
http://archive.is/GEFMi 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322) 「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、
この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、
この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、
彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、
こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、
家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、
そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、
患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。
R.D.レイン『経験の政治学』(128ページ) 精神鑑定によって、どのようなタイプの対象が出現するのでしょうか?
精神鑑定は、裁判に介入する目的として、また、刑罰の目標としてどのようなタイプの対象を裁判官に提出するのでしょうか。
先ほど紹介したテクスト−他のテクストを紹介することもできます。
私は一九五五年から一九七四年にかけての精神鑑定書をひと揃い手に入れました。
精神鑑定によって出現し、犯罪に貼りつけられ、犯罪の裏地ないし分身となるような、
そうした対象といえば一体どのようなものなのかと言えば、
それは、「心理的未成熟」、「ほとんど構造化されてない人格」、「現実に対する不的確な判断」などといった、
それら一連のテクストの中に絶え間なく見いだすことのできる諸概念です。
実際私は、以下のような表現を見つけました。すなわち、「極度の情緒不安定」、「深刻な感情の混乱」、
あるいは、「補償」、「想像上の創作」、「倒錯的な戯れ」、「ヘロストラトス症」、「アルキビアデス症」、「ドン・ファン症」、「ボヴァリスム」などです。
要するに、精神鑑定は、犯罪の心理学的かつ倫理的な分身な構成を可能にする、ということです。
つまり、精神鑑定は、法典に明記されたものとしての違反行為をそれとして認めず、
その背後に、弟あるいは妹のようにそれに似ている分身を、もはや法律が定める違反行為としてではなく、
生理学的、心理学的、ないしは道徳的ないくつかの規則からの逸脱として、出現させるのです。
ミシェル・フーコー講義集成〈5〉異常者たち (コレージュ・ド・フランス講義1974‐75) 18p.
>あるいは、「補償」、「想像上の創作」、「倒錯的な戯れ」、「ヘロストラトス症」、「アルキビアデス症」、「ドン・ファン症」、「ボヴァリスム」などです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています