保守。

1998年、ポルポト政権なきあとの国民議会政権下カンボジア。
カンボジア国鉄、プノンペン・タケオ間70kmの区間で、
旅客用の231型蒸気機関車が復活イベント運転されることになり、
情報を聞きつけた日本人も含む外国人鉄道ファンが押しかけることに相成った。

フランスのインドシナ統治時代、
フランスから旅客用の231型、貨物用の141型蒸気機関車が持ち込まれていたのだが、
ベトナムに残った231型はベトナム戦争、特に北爆を生き残ったものもディーゼル機関車化で全て廃車されてしまい、
カンボジア国鉄に残っているらしい、という鉄道マニア間の情報も、ポルポト政権下では確認どころではなかったのだ。

そもそも、復活運転区間がプノンペン・タケオ間、カンボジア南部に決定されたのも、
カンボジア北部では地雷の撤去作業が進んでおらず、外国人鉄道マニアの命の保証がしやすい区間だったからだが、

沿線の地雷は全て撤去されたことになっているとはいえ、
外国人鉄道マニアへの安全対策として武装兵士が同乗し、
231型蒸気機関車の窓にも運転に支障のない程度に鉄板が張られ、

「昔は日に何本もの列車が発着し、本当に賑やかだったんだ」と、
ポルポト政権下を生き残った機関区副主任が鉄道マニアに語る、

キリングフィールドはまだ過去のこととは言えない、緊張感の走る鉄道イベントであったという。