第一次世界大戦について語るスレ 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>980
中古でも7000円近いってよっぽど貴重な本なのかな、リストに入れておこう >>971
ユーモア小説 兵士シュヴェイクの冒険にも チェコ人とハンガリー人の喧嘩が
描写されていた。
作者の死去により未完となったことが惜しまれます。
第一次大戦を描きかつ日本語で読める文学作品ってだけでも貴重な存在。
作者が生き長らえ作品が続いていたなら オーストリア ハンガリー帝国の敗北
チェコスロヴァキアという独立国家の誕生までえがいていたのだろうか。 1918. 5. 21
アルメニア戦線の停戦破れる
バトゥーミでの講和会議は、アルメニアの強硬な抵抗によって遅々として進まなかった。
これに対してオスマン帝国は実力をもってアルメニアに城下の盟を誓わせるべく、
アルメニアの首府イェレヴァンに向けて進撃を開始した。
オスマン軍はアルメニア軍の抵抗を押し切って旧国境を超えた。 お それ岩波のやつかなぜか手元にあるわシュヴェイク
新スレ乙 一次大戦の物語だと「戦場の一年」が良かった。当時の塹壕戦の様子が良く分かるから資料としても良いし、お約束のように狙撃される新兵や将軍、ストレスで裸に目覚める同僚とか出てきてダレなくて面白かった 1918. 5. 26
グルジア・アゼルバイジャン独立
4月に「トランスコーカサス連邦共和国」の独立を宣言した南カフカスの諸民族であるが、
民族自決の原則に従ってそれぞれの民族ごとに独立国を建設することとなった。
この日、連邦議会は自らの解散を決議し、グルジアとアゼルバイジャンは独立宣言を
行った。2日後にはアルメニアも独立宣言を行った。
1920年にはソヴィエト軍が侵攻して南カフカスは再びロシア=ソ連領となるが、それは
このスレッドの話の範囲を超える。 1918. 5. 27
「ブリュッヒャー・ヨルク」攻勢発動
北部での攻勢が失敗に終わると、ドイツ軍は戦略的に価値のある目標を失ってしまった。
しかし兵力はなお余裕があり、アメリカ軍の到来前に何としてでも戦線突破を果たして、
講和の糸口をつかまねばならなかった。
アメリカ軍はすでに5月には戦線に到着しつつあった。急がねばならない。
攻撃はなるべく敵の防御の弱い場所を選んで行われることとなった。選定されたのは
「ミヒャエル」作戦突出部の南、かつてフランス軍のニヴェル攻勢が行われた区域であった。
この地域で突破ができれば、突出部はパリをうかがうこととなり、連合軍は必ずや
この地域に兵力を集中するであろう。そうすれば北部での再攻勢によって今度こそ
イギリス軍を海に追い詰めることができるに違いない。
兵力は29個師団、対するフランス軍は19個師団。攻勢は5月27日に開始された。
この地域を守るフランス軍は防御の経験に乏しく、多線防御の基本ができて
いなかった。ガス砲撃と突撃歩兵の突破の前にフランス軍はもろくも崩れ、前線に
露出していた大兵力が降伏して、戦線は無防備となった。
初日にドイツ軍は20キロ前進し、エーヌ川に迫った。 1918. 5. 29
スクラ・ディ・レゲンの戦闘
この日、サロニカ戦線において、前年の内戦を経て新たに連合軍に加わったギリシャ軍
初の攻勢作戦が実施された。
目標はテサロニキ北西の山岳部にあるスクラの町で、ブルガリア軍によって陣地化
されていた。
ギリシャ軍は3個師団をもってこれに攻撃をかけ、3日間の戦闘でここを占領・確保する
ことに成功した。
ギリシャ軍は、来たるべきサロニカ攻勢において十分その役目を果たせることを証明
したのである。 1918. 5. 30
ドイツ軍マルヌ川に到達
「ブリュッヒャー・ヨルク」攻勢はドイツ軍優勢に進んでいた。
この区域を担当するフランス軍のペタン将軍が死守ではなく機動戦と反撃による防御を
目指したこともあり、ドイツ軍は前進を続けて、この日1914年以来久方ぶりにマルヌ川の
線に到達した。
フランス軍の反撃は撃破され、パリに危機が迫っていた。 1918. 6. 4
バトゥーミ講和条約締結
首府イェレヴァンに迫るオスマン軍を前にして、ついにアルメニアは抵抗をあきらめて
バトゥーミ講和条約を承認した。
条約に従ってオスマン帝国の国境は東へ移動し、百万以上のアルメニア人が住む
領域が帝国領となった。
他のザカフカス諸民族もこの条約に参加し、オスマン帝国との戦争状態はようやく
ひとまず終止符が打たれることとなったのである。
オスマン軍は同時にアゼルバイジャンと協定を結んで同地に進駐し、バクーとその
油田を巡ってイギリス軍・ボリシェヴィキと争うことになる。(下記項目) 1918. 6. 4
オスマン・アゼルバイジャン協約
ロシアから独立を果たしたアゼルバイジャンはイスラム教徒が多く、オスマン帝国に
親近感を抱いていた。
オスマン帝国はこれを利用してカスピ海岸バクーの油田を手中に収めようとして、
アゼルバイジャンと協定し、国内への進駐を認めさせた。
また、オスマン帝国は南カフカス近辺のイスラム教徒から民兵を募って、
ボリシェヴィキやイギリスが狙うバクーへ進撃しようと企んでいた。
実はドイツはボリシェヴィキと協力してバクーの石油の割当を得ようとしており、
キリスト教徒の多いグルジアに進駐してバクーへ圧力をかけようとしているところで
あった。
バクーの石油をめぐって複雑な闘争が繰り広げられようとしていた。 (6 lゝ、_ .ノ ヽ、__ノ |!/
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|\ ´ ` , イト、
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