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近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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0001名無し三等兵 転載ダメ©2ch.net
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2016/04/23(土) 23:58:23.34ID:PoPQHH/z
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。

国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。

中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。

このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照

前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/


参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm
0196名無し三等兵
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2016/11/19(土) 19:53:51.98ID:7c21bvIe
国産だとフリントの質がよろしくないのも一因と聞いたことがあるが真偽は不明
0197名無し三等兵
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2016/11/19(土) 21:43:48.65ID:azTEcHHi
>>195
トリガ−の引きが硬くてガク引きになるからじゃないの?
0198名無し三等兵
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2016/11/20(日) 09:59:52.12ID:KxhCGwnX
フリントロックの最大の利点は連射性であり、つまり日本の火縄銃のほうが単発の命中精が高かろうが
連射性で総射撃量で命中精、制圧力、コスパ全部よくなるってのが後装式ライフルの利点
で精度よりも連射と制圧力で進化してきたのがライフル

実際アサルトライフルはボルトアクションライフルよりも完全に射程も命中精も劣るけど、全部負担の大きくアサルトライフル主流に切り替わったろ
これと同じ
0199名無し三等兵
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2016/11/20(日) 10:02:13.35ID:KxhCGwnX
銃がそれまでの武器と比較していかになんにおいて優れてただが
単一の兵器としてみると初期の銃はフリントロックライフルまで含めて、連射性、射程、精度、威力事態は全く大したことない。
ところが
・弓よりも錬成が容易である
・弓よりも武装が軽量で済み、低人数で運用でき補給の負担がない
・束ねうちや射撃の集約、指向がまっすぐ飛び弓より軽量なため容易であり、これによる集弾効果で
最強の制圧力、最大の射程、最高の命中精度をもった最高の武器になる。
この集弾性によって最強の武器となる特質は既に火縄銃の前から戦術として体系化されてる
・これによる効果で部隊の生存性を確実にし、また負傷兵ですら戦力化が容易であるため、生存性、持続性、射程、威力、コスパすべてが優れたハイブリッド次世代兵器部隊として運用できる

というのが銃の特質と利点。
単発、単体的な性能では劣ろうがこれ全く本筋じゃなくて、斉射=制圧力で価値が決まるってのが古典からの銃のドクトリンだからね。
それからすればフリントロックライフルの登場と採用は最適な戦術で高度な戦略的な選択肢であり
火縄銃の単一的な射程で評価する方向性は戦略的、部隊単位の戦力比較では大きく間違ってんのよ。
銃はフリントロックライフル登場で制圧力あがって、戦列歩兵なんていうものができるようになったてのが
進化だったわけだから
0200名無し三等兵
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2016/11/20(日) 11:59:31.05ID:KxhCGwnX
もっとも日本軍は銃器にたいして物資の負担、消耗が追いつかなかったから、消耗的にフリントロックライフルに切り替えれなかったんだよ

既に火縄銃の消耗でも1丁に対して戦時1000発/年、平次200発/年、備蓄弾は約1丁2000発単位の計画でいくと
戦時「鉄3.5kg、硝石650g」、平時「鉄700g、硝石150g」、備蓄2000発で「鉄7kg、硝石1.3kg」も消耗する。
既にたった1丁の連射の効かない火縄銃でも莫大な物資消費量

仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。

そんなわけで江戸期に硝石を輸入して硝石自給率は低かったのだが、火縄銃数万丁の運用が硝石調達都合で限界
仮にフリントロックライフルに切り替えたら国産で1000丁未満しか運用できないために、フリントロックライフル切り替えはむしろできなかった

そんなわけで戦国時代に銃器が10-20万丁あったってのは盲言で、あれってEUにおいて一種の黄禍論やら対日侵攻世論を巻き起こすために作ったプロパガンダで
実際銃は2-3万丁の運用が限界で5万丁も生産してなかった、これは硝石の輸入と消費、銃の生産速度上それ以上作ることができないから
0201名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:22:21.90ID:fW+azOsw
小文字君こんなところにも現れるのか・・・
0202名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:35:15.08ID:KxhCGwnX
また当時火砲はほぼ運用してなかったが当時の火砲の砲弾が1-2kg、装薬が500g/発であるとして
1時間に20発、1日100発も砲撃できないとしても

一度の大規模交戦で200発/門
一度の戦争で500発
維持に年次100発を消耗すると備蓄1000発硝石300kg、維持年次30kg
大隊で門数16-24門で備蓄数トン、維持に年500kgも硝石を消費するためむしろ完全に維持、保有できなかった。
江戸時代に火砲は大隊規模でモスボ保管されてたが、砲撃などは数十年に一度、年次ペースで1発程度も砲撃っsれてなかった

こういった実情から幕末でペリー前に火砲の整備計画はあったものの幕府は渋ってて
(火砲大隊の維持に年1トン弱の硫黄の輸入、重要港湾に各大隊を整備し10大隊編成すると、硫黄の消費額だけで年10万両規模)
結局ペリー前の軍事整備ができなかった。

幕末における軍事支出は年次10-30万両規模(年度により50万両下手したら100万両)
これを税収100-150万両の幕府では維持できず、借金を重ねて軍事整備を行ってたが、これはまともな値段で日本に対して商売した結果。
逆に不平等条約以前だと日本にたいしてまともな商売を行うかわからなかったから
同じ額を消費しても軍事整備はうまく行かなかったかもしれない。
0203名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:36:14.57ID:KxhCGwnX
16-17世紀に話を戻すが、当時火砲大隊でトン単位、銃5000丁の戦列歩兵連隊で30トンの硝石を年単位で消耗するために
日本の師団は戦国期には銃保有10%計算で編成10-15師団規模、動員力50万はあった。
しかし同時代の白人並の火砲+銃保有計算にすると、3-5師団しか保有できず、後方支援団を充実させて7-10師団も持てない。

すると当時5師団程度しか保有しない白人国の軍と同規模になるため、目立って規模の巨大な日本軍とのギャップは解消され、日本は普通の軍事大国規模で
EU連合には完全に叶わない事になる

日本が江戸時に年次10トンの硝石を輸入し続け、備蓄100万トン体制を構築したとしても
ナポレオン戦争時代においては1師団で維持に年50トン、戦時で100-200トンも硝石を消費可能なため
この時代においては10万トンの消費量では2-3師団、備蓄100万トン体制でも5-7師団しか維持できなくなる。

ナポレオン戦争代においては日本軍はオランダ軍並みの戦力しか軍事開発を推進して戦力を最新化させ続けても無理であるため、もうこの頃には中堅程度の軍事力しかなかった
0204名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:36:46.00ID:KxhCGwnX
日本軍は戦国時をピークに衰えるが、あれはコスト都合、平和都合ではなく、硝石自給都合によったため
これによって日本軍は最新化させ続けても、維持可能な予算であれば
ナポレオン戦争期に正規師団5個未満、フリゲート10-20、
ペリー段階でその1.5倍の戦力も元来維持できず、幕末軍未満の戦力しか保有できなかった。

また明治初期も金銭都合以上に、鉄と硝石の生産力都合で物的に軍事増強ができず、日清日露戦争まで軍拡出来なかったが
工業生産的都合で軍拡できなかったんだよね。幕末ー明治の5師団編成って国力限界で打倒で
最低限の侵攻戦力対処に妥当な軍事力
0205名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:48:03.14ID:KxhCGwnX
こういった実情がむしろ明懲罰(死傷損害1-3万にたいして相手は死者のみで10-15万)、日清戦争で軍以前の雑魚を斬殺しまくったことで
雑魚素人相手の勝利で強い日本軍と一般的に軍ヲタ?の間でご錯覚されてるが
極端的に軍事遅れ以前に重無能指揮で軍事敗北する雑魚チャイナに対する当たり前の勝利でご錯覚されてるだけであり
資源的に弱い日本軍は江戸時代が軍事的ごまかしのきく(EU軍は小さく太平洋に来れない)限界であり
また弱すぎるチャイナ軍あいてこその限界でもあった

そういうわけで日本は客観的に物量的には今の自衛隊程度の戦力が資源都合で限界であり
そこそこ強い地域軍事大国的ではあるが、あくまでチャイナに勝てる程度でスーパーパワーには全く及ばない。
なぜならスーパーパワーは資源包括大国であり、軍事コストを下げれることが前提

よって帝軍は工業力以前に資源時給を太平洋戦争下でも完全確率してないから、とてもスーパーパワーではなかった。
ぶっちゃけハイパー雑魚チャイナに打痛作戦をかける程度の雑魚に勝てる弱小軍が日本軍、戦国軍
0206名無し三等兵
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2016/11/20(日) 12:53:00.30ID:KxhCGwnX
つまり日本軍は火縄銃までの消耗が限界で物量資源負担で軍事進化しようがなく、黒船と不平等条約は軍事を常備化でおいだせたが、3-5師団もいじできないために
ある程度の不平等条約は結び、明治でも実際そうであったように、不平等条約に屈したろう(マシ程度にはなる)

硝石の消費ペースは戦国軍で師団10トン/年、17世紀で30トン/年、18世紀(仮定)で50トン/年、ナポレオン軍で150トン/年
を生産できるとして、フランスの例で年300トンまでしか人糞法で生産できず(日本ならば500-700トンが限界か)、大量供給は1820年のチリにおける硝石鉱床の開発からであり
それ以前はむしろチャイナとフィリピンでフル生産してすべての硝石を年間100万両以上だして購入したところで、
それほど大規模な1000トン単位などの供給はできなかった(というかこれだけ運べば商船不足で日用輸送を圧迫)

であるため硝石の様々都合でどちらにせよ日本軍は近代化障壁があり、戦国を臨界点として
努力改善したところで、江戸期に十分な大国軍事力構築は無理で、せいぜいオランダ軍規模で
フィリピン、アリューシャン列島、ハワイに牙城作るのが軍事国力限界だったろうな。

とすれば外交、政治、軍事的には
・オランダ、イギリスに兵力を3000と物資を貸して、スペイン駆逐でフィリピン硝石利権を半分貰う
・鄭成功政権が成立+兵力と物資を支援して、鄭成功は大陸一部の硝石鉱床を獲得、維持
・オリバークロムエルの乱は起きずイギリス同盟が成立
・オランダ、イギリスに外交アドバイスされて、外語、国際法、国際紛争、の知識をもとに、ハワイ、フィリピン、ASEAN、アリューシャン、北方領土などの一部を獲得。

とかこういう外交ミラクルがなければ軍事や外交のレベルアップはできなかった。
0207名無し三等兵
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2016/11/20(日) 14:35:32.33ID:ENa/Ld7p
フリントロック化を含め、江戸時代に銃器の進化が停滞したのは、
鎖国による平和の下で、軍事関連が形骸化・儀式化した+中期以降は
幕藩に軍備に回す余裕が無かったのが理由だろうね。

部隊(備,組)の編成、防具(足軽用装備を南蛮胴にしたり鎧を廃止するとか)
刀の構造(鎧相手の戦闘でなければ軽い刀の方が実用的)など、火縄銃
以外にも全く変化が無い。江戸時代初頭を墨守してるだけ。
弓組なんて弾幕構成が目的なんだから、フリントロック銃化が当然の進化なのに
幕末まで弓のまんま。伊達の馬上筒部隊とか、せめてピストル持たせろと‥

んで江戸末期に大慌てで海外から物も知見も輸入しだすんだろ‥
0208名無し三等兵
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2016/11/20(日) 14:41:44.56ID:+N13OtBY
下手に開発したらそれ口実に取り潰されるからな
平和維持には最適だろうけど技術の停滞は痛い
0209名無し三等兵
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2016/11/20(日) 15:41:00.82ID:KxhCGwnX
ついでにドリフターズの描写ってあれ弾薬の生産、供給性(人糞鉱床の限界)と、火縄銃の威力と射程の上限性をあまり理解してない上での描写になってる

あれ一番問題なのは長篠の戦いまで含めても、完全に当時の銃は騎兵に勝ちきれない不完全兵器で騎兵の衝撃に敗北する。
それ以前に野戦の歩兵に勝ちきれず、歩兵のしょうげきにすら完全に勝てない。

射程と威力と補給のネックで師団規模の戦線で司令部や補給体などの一部や退路確保などで
一部的な狭すぎる戦域において銃陣阻止陣地を形成するためのものであり
野戦主力の近代銃型の兵器ではない。

ゆえに信長は信玄に負け続け、武田国の政治混乱期に物資、準備、兵力物量で押切、包囲と各個撃破で破ったのであるから
これは完全に当時の銃がコスパや同等の両規模で騎兵に勝てない最大の証明になる。
0210名無し三等兵
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2016/11/20(日) 15:41:31.46ID:KxhCGwnX
でドリフターズにおいてエンズ集団軍(装甲歩兵、胸鎧騎兵2万を含む10万以上)を阻止するのは物理的に不可能であり、相手の規模を
装甲隊5000総員3万でも阻止不可能で、あれはまさに榴弾火砲で対処しなきゃいけないもんなの。

榴弾火砲の登場でそれまでも歩兵中心の集団的な攻勢、突破を完全に叩き割ることができて、また火砲が銃に完全に対抗できる火力になった。
だから榴弾対処が正当で、銃の対処はご都合的すぎて、ホントは信長がグスタフ2世に榴弾をレクチャーされて火砲20-50門の支援貰わないとクリアできないシナリオになる。

でこの無敵砲台榴弾砲兵を撹乱して回避して破るのが騎兵の役目で、ここで三兵が成立するんだよね。
つまり戦国軍の限界と弱さは榴弾+三兵まで行けなかったことで
銃弾を全面化させてその銃物量で対処するのは高コスト、非効率的な前時代的な物量アプローチで
イメージはスペインのてるしお単純物量法に信長軍のイメージは近いが
あれは三兵とドクトリンで撃破できて、その三兵とドクトリンスタイルでもって、近代軍、あるいは亜近代軍という次世代の圧倒的な軍事スタイルになるのであり

つまり信長軍はそれ以前のところであるために、単に銃の門数と物量もあって、銃1万丁を配備するか(補給も生産も無理)、銃がマモン平原古城床から見つかるか
、グスタフ2世が火砲50門を伴って参戦するか(ヒラコーは絶対やらずまずその知識がない)
、飛竜に12.7mm機関銃をのっけて弾幕をはるか(威力は17世紀の火砲なみだろうが持久力がない、しかしやり損そうな展開である)

ホントはグスタフ王だすのが正しいんだけど、ヒラコーはバトルアクション書きたいから、大砲の知識があってもそれはありえない
ヒラコーは信長と島津が活躍しないような、活躍が隠れる作りにはは絶対しない。

但し白人の軍ヲタに突っ込ませればグスタフ2世よこせで解決ということにしかならないんだと思う。
0211名無し三等兵
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2016/11/20(日) 16:09:51.39ID:+N13OtBY
銃なんかよりジャンヌとかアナスタシアとかの方が不思議能力だしな
黒王軍が銃にビビる訳ないわ
0214名無し三等兵
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2016/11/20(日) 21:35:06.02ID:M8JdbJmJ
いや小文字くんは別に読んでもらいたいわけじゃないからw
0216名無し三等兵
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2016/11/21(月) 20:03:23.67ID:IsnkKgZS
>>210 ランペルールを棺に入れてくれゆーてる作者だし、いずれなんか出てくるだろ。
0217名無し三等兵
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2016/11/24(木) 19:00:03.28ID:swcyzESU
>>215
sugeeeee
200年前にスナイドル銃と変わらないし閉鎖方式を考えてたわけか
0218名無し三等兵
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2016/11/25(金) 08:23:13.03ID:N1abs+cf
>仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
>完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。
江戸期の加賀藩は年に4トン余りの硝石の生産を行ってるから
日本全体で生産を勤しんで年数トンというのは過小評価かと
加賀藩は廃藩時には560トンほどの火薬を備蓄してたと言われている
0219名無し三等兵
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2016/11/25(金) 09:47:33.53ID:dma9U9fa
肥料とトレードオフなのが厳しい
0220名無し三等兵
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2016/11/25(金) 10:43:16.61ID:sYI7omzf
>>215
予備のカートリッジケースが有れば速射も出来るんだね
サックス元帥が理想とした編制では、散兵には後装ライフルを持たせるべきと有ったけれど、その1世紀以上前に存在していたとは
まぁ、軍用に求められる耐久性や費用の面から装備化は無理だったのかな?
彼の理想の編制自体が実現していないし
0221名無し三等兵
垢版 |
2016/11/25(金) 11:48:51.73ID:uj9CFdg+
南部藩は幕末に藩を挙げて硝石産出に励み、古土法により年最大28tを生産。
加賀が江戸中期に年産4.5t、幕末には最大年50tまで産出量を急増。

古土法は数十年土を休ませる必要がある。南部の硝石は幕末期の総生産高が
4万貫=150t程度と目されている※。古土法による安定収穫を30年周期とすれば、
150÷30=5t/年。日本全体の人口を、江戸後期で3000万・戦国で1000万(±20%)と推計。
江戸後期 南部藩の人口は約35万人。
単純に人口比を当てはめれば、江戸後期=5t・90倍=450t、戦国5t・28倍=140tが
国産硝石の安定生産量限界と目される。って感じかなぁ‥

※南部は産出開始が1848年と遅く、維新後は産出量がほぼゼロに戻ってる。
 少な目に、幕末の4万貫で古土が払底したと見積もり。
0223名無し三等兵
垢版 |
2016/11/26(土) 14:13:51.43ID:zzUmJAJ1
>>222
金属製薬莢っていうか火薬ケースで閉鎖を行う方式みたいだね
水圧プレス機なんてない時代だから火薬ケースをおいそれと使い捨て出来ないのがネックか
0224名無し三等兵
垢版 |
2016/11/26(土) 16:46:54.99ID:GN4IuRYJ
欧州じゃ本当に試行錯誤がすごいね
王公貴族や大商人なんかが資金を出してくれる仕組みがあったようだけど
日本で行われた改良なんか微々たるものであることがよくわかる
まあ欧州はそれほど高性能火器が渇望されるほど戦乱に明け暮れていたってことなんだろうけど
0225名無し三等兵
垢版 |
2016/11/27(日) 09:40:07.32ID:zoxpGLcX
戦闘無いから日本での改良は巨大化、多砲身、仕込み銃、等のゲテモノ方面に行ってたからな
0226名無し三等兵
垢版 |
2016/11/27(日) 10:56:14.66ID:vcUPMea7
>>215
これ火薬ケースは鉄製だろうけどどうやって作ったんだろう?
火薬ケースのコストが解消できたら大量生産されたかもしれないなあ。
0227名無し三等兵
垢版 |
2016/11/29(火) 10:16:37.09ID:WAY1ZAki
このスレの扱う時代から800年ほど前の遺構だが、7世紀に大したモンだな。


大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
http://news.livedoor.com/article/detail/12343773/

>大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、
>未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。

> 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡(太宰府市)から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁の
>ようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で
>東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの尾根をほぼ南北方向に約500メートル(残存部分
>390メートル)にわたって走る。周辺は宅地開発され、どこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で
>造られていた。
0228名無し三等兵
垢版 |
2016/11/29(火) 14:26:38.19ID:OZqWkQ66
7世紀あたりってえと、白村江で下手打って大陸から叩き出される前後の本土防衛遺構か。
ダンケルク前後の英国が、RAF(レーダーサイト網含む)に費やしたのと同等以上の比率で国力を費やしたんだろうねえ。
0229名無し三等兵
垢版 |
2016/12/01(木) 20:29:38.14ID:UDYA2ccC
叩きだされた後の防衛線だよ。唐・新羅の整備された軍にまともに勝てなかったんで
あわてて律令制取り入れて統治機構再編していた時代
0231名無し三等兵
垢版 |
2016/12/02(金) 19:24:17.20ID:F2ExgLRG
ww2時代のドイツ軍の10.5cmleFH18を使うシリア反政府軍の動画をみたことはあるがまさか19世紀以前の青銅砲まで使っているとは・・・
爆発しない鉄球弾だからこそ建物にとっては脅威なのかもしれないが・・・w
0232名無し三等兵
垢版 |
2016/12/05(月) 08:26:56.79ID:aL9dVwnt
動画:ナポレオンの雄姿を本格再現、チェコで歴史イベント
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3110122
0233名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 13:42:23.59ID:gaiYsIQh
グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされていますが、三列射撃はどういう局面で使われるものなのでしょうか?
六列横隊を三列ずつ射撃させるのは射撃間隔が開きすぎるように思えますし、一列ずつの斉射と使い分けていたのでしょうか?
0234名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 13:48:17.23ID:FyzZX826
>グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされています
誰が言ってるの?初耳
0235名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 13:53:32.36ID:gaiYsIQh
>>234
wikipediaのPike and shot(英語記事)と田村尚也『用兵思想史入門』
この時代は全く門外漢なので、グスタフが始めたかどうかの真偽も含めてお聞きしたいです。
0236名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 14:26:50.08ID:BRb0UhSJ
グスタフ・アドルフの軍制改革で小銃の軽量化できたから
3列ずつ交互の一斉射撃が可能になったって本に書いてあるし
グスタフ・アドルフが始めたのは正しいと思う

神聖ローマ帝国軍はテルシオだったんだし射撃速度は問題無かったたんじゃないかな
0237名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 15:13:38.00ID:QSguAooI
日本人がイメージする信長の三段撃ちみたいのじゃなくて
6列とかのカウンターマーチで敵陣に近づいていってある程度近づくと
3列に展開し直して3列同時に一斉射撃するんでしょ。
0238名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 15:46:47.81ID:BRb0UhSJ
この時代、部隊規模の隊形変換は戦闘中にやらない
正面16列、縦深6列の横隊で槍隊の両翼に配置してた
射撃戦は1列目膝撃ち2,3列目立射で行ってる
同時じゃなくて交互の一斉射撃
0239名無し三等兵
垢版 |
2016/12/11(日) 17:35:04.48ID:TXRuBQ3P
もともと考案されてたものをマウリッツが取りまとめて
グスタフ・アドルフが大規模戦で初めて使ってメジャーになって
ナポレオンも使ってた。
0240名無し三等兵
垢版 |
2016/12/20(火) 04:19:05.05ID:zYzTX9+8
「華麗なるナポレオン軍の軍服」を買ったけどこの時代の兵隊でも礼服とか勤務服とかの区別はあったんだな
0241名無し三等兵
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2016/12/20(火) 08:07:43.24ID:I9m4snrw
>>240
きっちりとした規定が有ったのは親衛隊位ですが
親衛隊徒歩擲弾兵や徒歩猟兵の下士官兵士用ゲートルなら
礼装は白に白のくるみボタン
夏服は白に真鍮ボタン
野戦は黒に真鍮ボタン
将校なら
礼装は白に白のくるみボタン
野戦はブーツ
等々
親衛隊騎馬猟兵に至っては服のデザイン自体が別物だし

戦列部隊ではシャコーに飾りを着けるか否か位で、野戦用のズボンは部隊や個人で調達した規定外の代物だし・・・
流石に腰丈の兵営服兼作業服は親衛隊、戦列部隊共に支給されていましたが

でも、大事な?アビコート(燕尾付)を痛めない為、夏冬関係無くグレートコートを着用した姿が戦場でのフランス軍歩兵だったと
ワーテルローでの親衛隊徒歩擲弾兵も映画とは異なりグレートコート姿、ベアスキンも多くの兵士は被っていなかった

イギリス軍ではパーティー用のドレスコードまで有って、映画ワーテルローの夜会シーンで再現されています
0242名無し三等兵
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2016/12/23(金) 16:25:32.67ID:+rzpPJAJ
映画でも絵画でも再現したら、なんも見えなくなるからしないけど黒色火薬の
煙がすごくてアレくらい派手じゃないと統制できないんだろうね
0243名無し三等兵
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2016/12/23(金) 21:58:26.17ID:+6nwR8BJ
以前読んだワーテルローの本には
18万の兵士と300門の大砲の出す煙により、1950年代のロンドン(スモッグによる大気汚染が市史上最悪だった)並みに視界が遮られていたと思われる
みたいに書かれていましたよ
両方を経験した人間は存在しないので、適切な喩えなのかは不明ですが

識別の為か、国毎に軍服のベース色がある程度は決まっていましたね
フランスなら青、イギリスなら赤、ロシアなら緑みたいに
でも、白は多くの国(オーストリア、ザクセン、イタリア、スペイン等々)で被って使われていました
その為に同士打ちさえ起こったと

ワグラム会戦でザクセン軍歩兵がオーストリア軍歩兵と間違われ、味方から発砲を受けました
しかも、同じザクセン軍歩兵から・・・
これにより攻略寸前だった村落を失う事に
0244名無し三等兵
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2016/12/23(金) 22:55:31.54ID:OmWuIrE1
今までボロしか着たことない農民とか都市の下層階級の若者が
軍隊に入ればああいう軍服を支給されるのは嬉しかっただろうな
0245名無し三等兵
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2016/12/24(土) 03:25:03.64ID:xmoDr5E9
>>243
横レスな上にスレ違いスマンのだが
ロンドンの大気汚染が最悪だったのは1950年台だったのか
石炭使ってたビクトリア朝だと思いこんでたわ
0246名無し三等兵
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2016/12/24(土) 07:07:15.34ID:bqx7KY3H
>>244
これって重要みたいですね
軍服で釣るのって

少し時代がずれるけれど、南北戦争での両軍義勇兵連隊の軍服が正規軍に比べて華美だったのも、これが目的だったと
移民向けに出身国風(英仏伊)の軍服で郷愁を誘ったのも有りましたが、仏軍ズアーブ式の軍服は出身国に関係無く人気が有りました
維持するには旅行鞄で持ち歩く必要が有ったのでは?と、現在のコレクターに言わせる程華美な代物でした
0247名無し三等兵
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2016/12/24(土) 07:15:16.20ID:bqx7KY3H
>>245
石炭由来の汚染は20世紀当初が最悪だったみたいですね
スモッグと言う言葉も、この時に出来たと
対策を打ち改善して行きましたが、それを追い越す勢いで車の排ガスに依る汚染が拡大
1950年代は複数の原因からなる汚染が最大になったそうです
中でも1952年が最悪
ロンドンの大気汚染は濃霧と相まって、特に視界への影響が凄かったらしいです
0248名無し三等兵
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2016/12/24(土) 18:48:44.06ID:6GGgqONq
フランス王国陸軍の歩兵の制服って白だっけ
オーストリアも確か白だったからわかりにくそうだね

19世紀以降のあのフランス軍の青と赤の制服はどこからきてるんだろう?
パリの衛兵からだっけ?
0249名無し三等兵
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2016/12/24(土) 19:07:06.23ID:01yzpRK+
由来はそうなんだろうけど、革命後はトリコロールの色っていう意味もあるんじゃない?
19世紀末期に赤と青と白の糸を使った紫色の軍服が試作されたりしてるし
0250名無し三等兵
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2016/12/24(土) 21:02:25.06ID:bqx7KY3H
旧王制時代のフランス軍白軍服が全連隊オーストリア軍の様に純白1763年の規定からだった様です
それまでは純白に加工された軍服を着用していた連隊ばかりでは有りませんでした
費用の面からと思われますが、灰色掛かった白の連隊も多く有りました
また、革命以前にも近衛・騎兵・外国人連隊を中心として、青の軍服を着用していた部隊が有りました
0251名無し三等兵
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2016/12/24(土) 21:04:30.52ID:bqx7KY3H
>>250
抜けました・・・

純白になったのは1763年の規定
0252名無し三等兵
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2016/12/29(木) 14:15:30.70ID:eVOr2uHH
>>244
傭兵ブレーカーさん読むと兵隊の暮らしがわかるぞ
全体のごくちょびっとしか兵隊時代の話ないけど(書くのも嫌らしい)

>>245+247
パリは今現在大気汚染がひどくて車を日ごとにナンバー奇数偶数で分けて走らせるとかひどいことになってんぞ



しかし純白の軍服とか平時にはきれいでかっこいいかもしれんがすぐに汚れて金ばっかりかかるだろうにようやる
0253名無し三等兵
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2016/12/29(木) 21:43:28.02ID:bvy6lLpS
>>252
ナポレオン軍の戦列歩兵も1806年4月に純白のアビコートを採用しています
王制の軍服を懐かしがった訳では無く、イギリス海軍の封鎖によりインドから染料のインディゴを入手出来なくなったので・・・
この白服は評判が悪く、青の代用染料を国内で生産出来る様になった事も合わせ、1807年10月に青服に戻す通達が出ました
採用期間が短かった為、白服への切り換えが行われていたのは20個連隊程度でしたが
0255名無し三等兵
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2016/12/30(金) 13:38:05.97ID:2ZU6RTGi
なんで評判悪かったんだろ(誰が批判したかも気になるけど、兵隊か着てるのを見た偉い人か)
やっぱり洗濯が大変すぎたのかな
0256名無し三等兵
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2016/12/30(金) 13:59:01.96ID:kEn7CI45
>>254
そう、これです
1806〜1807年に掛けて帽子関係もビコーンからシャコーへの切り換えが始まったので、上下の組み合わせが新旧入り雑じってしまった様です
アイラウ会戦での軍旗のエピソードで有名な戦列歩兵第14連隊はビコーン+白のアビコートの組み合わせで1807年戦役を過ごしたと言われています
1807年のスペイン戦役にはシャコー+白のアビコートに部隊で調達した茶色のオーバーズボンと言うちぐはぐな姿で従軍した連隊も

1809年11月、この混乱が終わった頃にスーシェ元帥は
「ごちゃ混ぜは終わった。ビコーンはもうたくさんだ。白服はもうたくさんだ。」
と、書き残していると
でも、この白服はフィギュアモデラーには評判が良いんですよねw
0257名無し三等兵
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2016/12/30(金) 14:16:04.51ID:kEn7CI45
>>255
汚れ易いのも有りますが、負傷時には出血が目立つので士気(本人と周りの両方)が下がるので不適切だと

オランダやザクセンと言った同盟軍も白服、そもそも宿敵オーストリア軍が白服なので、あらゆる点から紛らわしいとか?
旧王制と同じシステム(白服の各部の定色で連隊を識別)なので、未だに多い共和派から嫌われたとか?
(ナポレオン戦争従軍記の著者は戦場では皇帝万歳を叫んでいましたが、ナポレオンの事を革命の簒奪者と呼ぶ事さえ・・・)
後半の2つの理由は想像ですが
0258名無し三等兵
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2016/12/30(金) 14:21:32.35ID:2ZU6RTGi
>>257
あー確かにすぐ真っ赤になったら本人も周りもすげービビルわな

わざわざ敵同じ格好ってのもそりゃ誰も賛成しないわな
真似してるみたいで腹立たしい(実践的に何かすごい効果があったら真似せざるを得ないけど)
0259名無し三等兵
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2017/01/04(水) 20:44:43.69ID:6OwNUSVL
19世紀半ばに人工染料が発明され大量生産されるようになるまで、染色した制服をそろえるのも、
結構な費用がかかったそうだからの。
0260名無し三等兵
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2017/01/04(水) 20:51:09.35ID:6NwDPdEg
帆走艦時代の英海軍では、飛び散った将兵の血が目立たないように、艦内を赤く塗っていたって話を思い出した。
0261名無し三等兵
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2017/01/04(水) 21:12:50.23ID:OQ8fRnr9
まさかイギリス軍の赤服も・・・
0262名無し三等兵
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2017/01/04(水) 21:19:48.09ID:xrMul/F1
>>259
プロイセンの軍服の軍服に使われたベルリン青はそういう意味で当時としては画期的だったんだろうな
0263名無し三等兵
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2017/01/05(木) 13:39:01.65ID:ULw6WKDN
18世紀から19世紀の初めに掛けて白軍服が多かったのも染織費用の関係なのかな?
白は基本的に漂白だから
糸や生地を痛めない漂白は、それなりに手間や費用が掛かるから、18世紀のフランス軍では灰色や黄色掛かった生なりの白の連隊も多かったと
民兵などは開き直ったのか灰色に染織してる
(染め易かったのかな?)

ナポレオン時代のフランス歩兵(親衛隊を含む)でも下士官兵の白いキュロットは生なりの黄色掛かった白
漂白すると強度が落ちるとか?
厚さの関係で漂白出来ない?
謎・・・
0264名無し三等兵
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2017/02/13(月) 07:48:15.67ID:Cwc1QayP
日本は何で鎖国前に大航海時代の造船技術や航海術は手に入らなかったの
鉄砲をあれだけ量産したり城や何だと建築できる技術とGDPがあれば
金なんかいくらでも積めたよね
船ごと艦隊ごと買うとか容易かったろうに
海賊はいくらでも買えたろう

蘭学事始並の語学力がいるわけでもなかろうに
0265名無し三等兵
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2017/02/13(月) 12:10:22.52ID:npZYIzz2
秀吉の朱印船数百隻は洋式帆船と中国帆船の良いとこどりの構造で東南アジアを縦横にしていたし
伊達政宗のサンファン・バウティスタ号は幕末の咸臨丸に250年近く先立って太平洋横断をやってるし
最新の造船技術や航海術は江戸時代初期に入手していて日本にとっての大航海時代は目前だった
それを止めたのが徳川幕府で、船は1000石積みの一本マスト以上の高性能な大船は建造禁止
何より幕府以外の海外交易禁止という政策のせいで、日本の海外進出は300年以上遅れることとなった
0266名無し三等兵
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2017/02/13(月) 14:52:05.80ID:/EYJch6T
>>265
これ以降、幕末にヘダ号が作られるまで西洋式造船は途絶えることに・・・
0267名無し三等兵
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2017/02/13(月) 21:43:55.12ID:/HCundpW
>>265
いや、和船が1本マストの1000石積み以下に制限されたって俗説で、実際にはそんな禁令出てないんですが。
いわゆる千石船が標準的なサイズになったのは、それが一番経済的だったからで、
幕府の制限によるものじゃないし、マストは普通2本、幕末期だと3〜4本が普通ですよ。
0268名無し三等兵
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2017/02/14(火) 20:36:25.58ID:AQopXsL+
参勤交代とか公共工事等の経済的締め付け
で大船を作る余裕が無かった
んじゃないの?
どこの藩も借金まみれだし
0269名無し三等兵
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2017/02/14(火) 21:25:10.97ID:hkZ6eLYJ
てか、西欧式の大型船を作る意味が無いよね
藩独自の海外交易が出来た訳でも無いし
0270名無し三等兵
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2017/02/14(火) 21:44:47.00ID:B1z+s51R
独自の海外交易が禁止された時点で外洋航行能力のある船は持てなくなって
沿岸航行用の割安な和船で充分て事になったのは仕方ないけど
「空には動かない星が一つだけある」だなんて話が口伝になってたり航海術まで退行しちゃったね
0271名無し三等兵
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2017/02/15(水) 23:07:00.23ID:mhiPFxRJ
海外交易は儲かるから、家康は俺の幕府だけでやる、お前ら禁止がいつのまにか
幕府自体も長崎だけになってしまったのは極めて日本的だ
0272名無し三等兵
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2017/02/15(水) 23:13:51.67ID:NnekA4Ip
貿易するとキリスト教に浸透されるという諸刃の剣があるから
0273名無し三等兵
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2017/02/16(木) 12:42:07.57ID:2woBKFo6
スペインが布教とセットじゃないと絶対に交易を認めないというスタンスだし
じゃあ来んなつっても紛れ込んで来るし、統制がきつくなるのは仕方がない
0274名無し三等兵
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2017/02/16(木) 13:35:13.58ID:DVw8hZ4l
はっきり近世に入ってもな…ハワイにキリスト教を持ち込んで崩壊直結の統一させたのはスペイン人じゃないのは確かだし。
0275名無し三等兵
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2017/02/22(水) 05:07:10.26ID:QlU2pTqF
ラッパ銃って嘘みたいな名前の銃を知ったんだけど
これって何時頃に登場したものなんでしょうか?
0276名無し三等兵
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2017/03/06(月) 16:07:45.43ID:I9f7WV7S
>>267
俗説ではない
江戸幕府は1635年に500石以上の船を禁止し没収した
が、3年後には商船については例外とした

ただし百-五百石積ががメイン(弁財船)
19世紀初期には菱垣廻船が千石積
19世紀後期には樽廻船が1400石から1800石積を主に
なかにゃ二千石、三千石積も登場している

俗説は
"甲板、竜骨、二本以上の帆桁、二枚以上の帆の使用の禁止"の方ですな
単純に内海航行用の船なので竜骨はいらないし、
帆が一つなのは水夫の省力化が目的で、必要なら補助の帆を張った
甲板がないのは荷物を多く詰むため
さらに言えば洋船とくらべると建造コストが安かった。商用船だからね
以上の理由から使用され無かっただけで禁じられてはいなかった
0277名無し三等兵
垢版 |
2017/05/06(土) 21:14:47.81ID:NpCnVxUO
キリスト教なんて信じる者しか救わないケツの穴の狭い神様は日本にはそぐわないんじゃね?
0278名無し三等兵
垢版 |
2017/05/06(土) 23:40:21.99ID:qMGUFd8n
でも苦しさゆえに信仰するの日本人もいるんだな
0279名無し三等兵
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2017/05/07(日) 02:00:45.05ID:XqAmkI2x
神の前では皆平等・信仰さえあれば誰もが救われる って教義は
社会の中上層以外の-持たざる者にとっては正に福音だったのよ

定められた諸々の寄進や儀式を継続してやらないと先祖もお前も救われんで〜
墓建てて毎年供養して〇回忌盛大にやろうね♪なんて当時の庶民には夢のまた夢。

戦国時代に一向宗が爆発的な普及と狂信的な支持を得たのも、正にこれ故。
当時の日本にはピッタリの宗教形態ですがな
0280名無し三等兵
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2017/05/08(月) 08:53:59.25ID:LVBhwzK7
すでに"南無阿弥陀仏"と唱えれば阿弥陀様に救ってもらえる(これは方便なのでちょっと違うんが)
というキリスト教より制限が少ないお手軽宗教浄土真宗があったし
ただひとつの仏を拝めばそれで良し、の日蓮宗も存在したので
キリスト教の入り込むニッチが…

なにより先祖崇拝の強い日本人に「神を知らないものは天国に行けない」なんて説いて
「じゃあうちのご先祖様は天国に行けないのか。なのに俺だけ天国行くとかそんな不義理はできん」
と論破されて退場
0281名無し三等兵
垢版 |
2017/05/08(月) 08:58:01.07ID:LVBhwzK7
それにアブラハムの宗教の中でキリスト教だけが階層的な身分制度を取り入れているので
神の前での平等はただのお題目に成り下がってたし、国家とつながって他国への侵略にも手を貸してたので
為政者にとっても平民たちにとっても奇妙な宗教にしか映らなかったという
0282名無し三等兵
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2017/05/08(月) 16:21:35.12ID:StH1ILwv
それでは、一向宗やキリスト教が爆発的な普及をした事も、その後の(厳しい禁教下ですら)
根強く信仰が続いた事についても、何の説明もできないでしょう。
そんな事は無かった・あり得たはずが無い、と主張したいのならともかくさ
当時一向宗があれだけ急速かつ強固に普及した事が、当時の浄土真宗含めた既存の
仏教・神道がニーズと合致していなかったから、でしょ?

それに先祖崇拝が強い‥って、それが庶民層に普及したのは江戸時代に入って以降の
事でしょ。土地・階層への定着と帰属意識とのセットでの事ですので

基本的には宗教や教義は何でも良かったんだと思うのよ。絶望的・不安定な状況下にある
ものにとって、「コレが正しい道。コレで救われる」「あなたは正しい・無価値じゃない」って
言ってくれる、既存のシステムとは別な何か って事が重要なんでさ。
オウム、IS、アラブの春 なんかに救い/希望を見たのと同じ構図だね
0283名無し三等兵
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2017/05/09(火) 23:19:58.89ID:RWLbahzB
宗教にあんまり興味ないんで本も流し読みでメモとって無いから
話半分で聞いてくれるとありがたいが

戦国期の宗教を取り扱った本(多分一向宗が専門の神田千里の本)で
キリスト教と日本的仏教が似てるとイエズス会自体が認識していて
一向宗もキリスト教もその日本的仏教に合致する路線(大名から庶民まである程度共通する宗教観)で布教したから成功した
みたいな話があったと思う
0284名無し三等兵
垢版 |
2017/05/10(水) 15:30:13.36ID:WaUztxTP
神田千里の本だとキリスト教は日本人に受け入れられる段階で変質化して
島原の乱の時点ではまんま一向一揆になってたという論調だったな
0285名無し三等兵
垢版 |
2017/05/20(土) 19:41:16.87ID:NnqYKtSg
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ   いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,   
   ~i_ンイノ
0288名無し三等兵
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2017/05/23(火) 20:20:10.90ID:Nnh6UwxK
>>286
ブッコワ少佐の記録イラストに馬上で射撃中の物が何点か有ったはず
でも、検索したら竜騎兵の物しか見当たらなかった・・・

Bucquoy+英語かフランス語での兵科名
Bucquoy+uniform
Bucquoy+Grande Armee
この辺りで検索を

普通の構え?以外に、左腕を水平にして肘から「く」の字に曲げて、その肘の上辺りで騎兵銃を支える感じの構えが載っていたのだけれど
(西部劇なんかで有る構え?)
確か、ユサールか騎馬猟兵だったかと
0291名無し三等兵
垢版 |
2017/06/07(水) 17:15:03.02ID:eq2ZxBcP
>>89
まずその前に、北海道の近世について
渡党(日本文化を取り入れたアイヌ)≒蠣崎家→松前藩

つまり、松前藩(≒アイヌ一派)も含め
各アイヌ部族が争う北海道の戦国時代は、各勢力ごとに数十挺ほど鉄砲持ってたとか

近世アイヌ民族の社会と生活 - アイヌ文化振興・研究推進機構
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1215.pdf

 津軽藩士は松前城下でアイ ヌ民族の武装についての情. 報を収集していますが、
 それには、. 「〇本具足は少しばかり之れ有るべき由。
 〇自分にて木具. 足仕立て、 着け申し候う。 〇鉄砲三、 四拾挺も之れ有る. べき由。
 〇弓丶 鍵は大方所持仕り候う由」 とか

http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html
 アイヌの鎧、甲冑は基本的に倭人のものと同様で、
 武器の備えもかなり先進性を帯びており、
 たとえば1669年のシャクシャインの戦いにおいては、 倭人側の相当数の武士が
 アイヌの火縄銃の犠牲になったということがわかっているそうである。
0292名無し三等兵
垢版 |
2017/06/07(水) 17:29:45.24ID:eq2ZxBcP
松前藩(≒渡党=アイヌ一派)は
金堀で少しは潤っても、1799で足軽含め武家は170戸規模のみ、の弱小貧乏藩

松前藩は少ない収益を独占しようと、和人の流入制限してたほどで
サンタン交易通じ入り込まれた大陸勢力に、借金や直接朝貢するアイヌも多かった

1669年:シャクシャインの戦い
シャクシャイン一派が、民間の和人らを虐殺した武装テロ事件

  ハウカセ: 江戸前期の蝦夷地の5大勢力のひとつの首長
<参考文献>
海保嶺夫『近世蝦夷地成立史の研究』,喜多村校尉編『津軽一統志』(『新北海道史』7巻)

  また,ハウカセは近江八幡出身の金太夫という娘婿に
  軍事顧問的役割をさせており,
  蝦夷地への武器輸出が不可能になったシャクシャインの戦の時点で
  40〜50挺もの鉄砲を所持していたといわれる点などから,
  松前藩のほかにも和産物輸入ルートを確保していたとも考えられる。

当時、アイヌ5大勢力の1である中立のハウカセすら、40〜50挺もの鉄砲を所持し
北海道には、大陸由来の鉄砲もあったとする説もある
0293名無し三等兵
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2017/06/08(木) 23:50:04.89ID:ZUnsPq04
アイヌって北海道だけでなくカムチャッカや千島列島にも住んでいるんだからそっち通じて交易するのは当たり前
0294名無し三等兵
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2017/06/10(土) 22:50:09.26ID:yFv0CXZA
シャクシャインが蜂起し、各地で和人の商人や労働者ら数百が殺され
松前藩が津軽藩から武器借りたのが6月
国縫では7月に民間の工夫200と藩兵300で土塁作り始め、7月28日開戦
騎馬が少ないからか進軍が遅い
0295名無し三等兵
垢版 |
2017/06/11(日) 16:59:50.86ID:+Hzoy1cQ
1616 ヌルハチが後金を建国
1639 モスクヴィチノフ指揮のロシア・コサック隊、オホーツク海に到達
1644 明が滅亡、清が中国支配開始
1669 シャクシャインの寛文9年の蜂起

アイヌが大陸の銃を輸入してたなら、、、満州製が多かったのだろうか
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