さて>>340さん(同じく便宜上>>340さんにします)

話は少しそれますが、「文永の役」での見込みについては、兵数もバラバラ、軍船の数もバラバラみたいですね。
元・高麗軍が二万か? 万五千か?議論になってるみたいだけど、自分的には『元史』でも「世祖本紀」の方の記述、
万五千を信用します。まあどちらにしろ、「文永の役」最大四万に船九百艘だとしても、一艘当たりに乗り込む人数は平均44.4人です。
当然文永の時には「蒙漢高」連合です。

で、面白いことに「弘安の役」でも議論されている「東路軍」は差異はあれどほぼ同じ兵数船数なんですよね。
そして新しい、いわば捨駒である「江南軍」は大体兵十万の船三千五百艘、一艘当たり平均28.57人の計算です。

これからすると、>>299の説明とは真逆にむしろ江南軍の方が小船の集合体となりますね。
ただ単に「舟師は水軍専門職だ」だけならそれなりの説得力もありますが、それに加えて「舟師」は
「バートル船団」「小舟の集団」とまで言うと果たしてどうなの? という事になるとは思いませんか?

それとここは是非確認しておきたいところがあります。漢文の意味です。

>>行中書省平章政事を拝したことが右丞範文虎、左丞李庭と同じだと言ってる。

確認したいのですが、右丞左丞なのに行中書省平章政事を拝命したという事を言っているという認識でよろしいでしょうか?
元寇というと右派左派イデオロギー本が結構多いのであれですが、圧倒的に数が少ない大陸側から見た元寇の論文でも
範文虎や李庭が行中書省平章政事に任命されたというふうに仰ってる方はおられないのですが?