もう一つ例を挙げよう。
清代、または民国時代に書かれたと思われる「洪秀全演義」に次の文章がある。

「楊戴福信以為真、約以二更時分、與彭玉麟同率水師、直搗西濠。」
「楊戴福は真と(以為)信じて、二更時分に、彭玉麟と(與)ともに(同)水師を率いて、直に
西濠を搗くことを約す」

太平天国軍の策士が清国軍の司令官・楊戴福に偽の内通をしたところ、楊はそれを本当と信じて、
もう一人の将軍・彭玉麟とともに水師を率いて、深夜十時ごろに西濠を直接に攻撃することを
約束した、というのである。
主語「與」人名「同率」軍隊、という構文は張禧伝と全く同じである。

このように、百度百科と併せて三つの文章で、「同率」は複数の将軍が一つの軍隊を協力して指揮する
ときのお約束のような表現であることが示された。

改めて張禧伝を見れば、
「(張)禧請行,即日拜行中書省平章政事,與右丞範文虎、左丞李庭同率舟師,泛海東征。」

張禧が、範文虎、李庭という二人の将軍と(與)ともに(同)舟師を率いて、海に浮かんで東征した。
主語である張禧が舟師を率いることは当然だが、江南軍総司令官の範文虎もまた、同じ一つの舟師を
「ともに率いて」いるのである。
この場合の舟師とは取りも直さず江南軍であり、舟師の意味は「渡海遠征軍」であることがわかる。