>>38-39
高麗史には「遂引兵還」とかいてあるだけで「博多湾」云々は一切書いてないが。
三郎浦に船を捨てた場面から始まってることを考えれば、「三郎浦」からの撤収が
「遂引兵還」だろ。

>こう見てくれば「遂引兵還」は「(復亨も船に乗り)それに続く全軍の乗船もやっと
終わって、本国に向かって帰途に就くことができた」であり、それが「ところが運悪く
ちょうどその夜・・」の「会夜大風雨」に続くわけだ。

「会夜大風雨」は「遂引兵還」に続く出来事じゃないんだよね。
「遂引兵還」の「ちょうどそのとき」が夜であり大風雨であったと書いてあるわけで。
つまりあんたの書いてることは全部間違いってこと。