X



【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】8 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無し三等兵
垢版 |
2016/09/14(水) 22:22:24.04ID:5Pt2CVH5
モンゴル帝国による元寇を軍事的に考察しましょう。

前スレ
【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】7
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1413082769/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】6
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1402160978/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】5
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1358050246/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1353671134/

【蒙古襲来】元寇【文永・弘安の役】3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1346923005/
0068某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 17:16:43.50ID:oY6mp/EU
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E6%AD%A6%E6%88%BF
>ところが、肥後の御家人・菊池武房の軍勢が、赤坂の松林のなかに陣を布いた元軍を襲撃し、上陸地点の早良郡のうちにある麁原(そはら)へと元軍を敗走させた[158]。

此れは日本軍は騎射戦では無く下馬戦闘をしていた可能性は
有るのかどうかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#.E8.B5.A4.E5.9D.82.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84
>『元史』では10万[10]

少数の騎馬武者がゲリラ的に騎射での断続的な攻撃を加えたから
日本軍の兵力が10万等に見えた可能性も有るのかだが
一日中こうした攻撃を受け続ければ
無理に督戦されている様な歩兵は疲弊し続けると言う事なのかだが
0069某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 18:07:15.44ID:oY6mp/EU
騎馬武者も多勢に斬り込む事は現実には余り無く共
多勢に対し騎射はしていたのかだが
騎馬武者が乗馬し散開して遠距離からモンゴル歩兵の密集隊形に矢を撃ち続ければ
ほぼ一方的に損害を与え続けられるかも知れぬし
モンゴル騎兵は歩兵の督戦に特化していて迎撃も無いなら
夜間も含め一日中こうした攻撃を続けられる可能性も有るのかだが
0070某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 18:15:02.70ID:oY6mp/EU
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E6%AD%A6%E6%88%BF
>ところが、肥後の御家人・菊池武房の軍勢が、赤坂の松林のなかに陣を布いた元軍を襲撃し、上陸地点の早良郡のうちにある麁原(そはら)へと元軍を敗走させた[158]。

菊池宗房の軍勢も100騎しか居ないと言う可能性も有るだろうが
此れが各24本・2400本の矢を歩兵の密集隊形に遠距離から撃ち込めば
数千の敵の士気を挫くだけの打撃は与えられる可能性も有るのかだが
追撃に備えて各10本程度は残していた可能性も有るのかだが
矢を再度補給して即再攻撃と言う事を繰り返していた可能性も有るかだが
0071某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 18:40:27.20ID:oY6mp/EU
散開して動く騎兵には
50mでも矢を直撃させる事は難しいだろうし
騎馬武者はこの距離なら密集隊形の歩兵に矢を命中させるのは容易なのかだが
騎馬武者が少数で矢が集中すればその限りでも無いかも知れぬが
一定数纏まった相手で攻められば
矢は分散する訳し
少数でも遠距離から矢を放たれれば
多数の矢で反撃しても直撃は難しく成ると言う事だろうか
モンゴル軍歩兵もそうした大量の矢を用いる反撃を続けた結果
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#.E5.85.83.E3.83.BB.E9.AB.98.E9.BA.97.E9.80.A3.E5.90.88.E8.BB.8D.E8.BB.8D.E8.AD.B0.E3.81.A8.E6.92.A4.E9.80.80
>『元史』日本伝によると「冬十月、元軍は日本に入り、これを破った。しかし元軍は整わず、また矢が尽きたため、ただ四境を虜掠して帰還した」[187]としている。

上の元史に有る様に矢が尽きて撤退したと言う可能性も有るのかだが
0072某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 19:22:13.70ID:oY6mp/EU
平治物語絵巻に有る様に歩兵が大鎧を装備している例は
現実には有るのかだが
略奪したとしても25kg等と重い者を果たして使用するのかだが
鉄伊予札の軽量な鎧・兜を装備していたと言うのが
現実なのかだが
0073某研究者
垢版 |
2017/06/01(木) 23:04:44.75ID:oY6mp/EU
https://www.youtube.com/watch?v=rwO_9kd6MJQ
上では55ポンド(24kg)の張力のロングボウで
50ヤード(45m)先の目標を撃っているが
此れで動く馬に命中するのかだが
弩の張力は150kg等であるなら此れより可成り弾速は高速なのかだが
0074名無し三等兵
垢版 |
2017/06/17(土) 06:13:24.44ID:3BXPLdlW
某研究者…生きとったんかワレ!
0075名無し三等兵
垢版 |
2017/06/30(金) 08:56:43.86ID:U3KlAudG
>>72
大鎧着て元軍の船に切りこんどったし武士ならできるんでないか
落ちたらクッソ効果な鎧脱ぎ捨てる必要あるかもだけど

日本の鎧って東アジアどころか世界的に見ても重装甲な印象
当世具足採用した台湾のあれの鉄人部隊も最初は重すぎて苦労したみたいだし
0076名無し三等兵
垢版 |
2017/07/14(金) 10:13:32.87ID:/tX/DIXF
>当世具足採用した台湾のあれの鉄人部隊も最初は重すぎて苦労したみたいだし

それは具体的になんという史料から確認できる情報なんだろうか?
0077某研究者
垢版 |
2017/07/14(金) 18:39:52.50ID:N8RR46EF
>>75
>大鎧着て元軍の船に切りこんどったし武士ならできるんでないか
>落ちたらクッソ効果な鎧脱ぎ捨てる必要あるかもだけど

体力が有る者以外は25kgの大鎧で長時間下馬戦闘は出来るのかだろうが
射手ならどうなのかだが

>日本の鎧って東アジアどころか世界的に見ても重装甲な印象

新紀元社 武器甲冑図鑑では
モンゴル親衛兵ケシクテンは10000居たと言うが
此れは皮装甲の重騎兵と同程度の装備なのかだが
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2015/08/cd6b7d80089db0fe9c72093647605e0e.jpg
https://i.warosu.org/data/tg/img/0313/41/1396968061070.jpg
https://www.pinterest.jp/pin/322077810832458020/
https://www.pinterest.jp/pin/731131320726031441/
https://www.pinterest.jp/pin/466544842630021701/
上の様な金属甲冑を装備している可能性は無いのかだが
大鎧同様に25kg等の重量が有る物なのかだが
http://www.geocities.jp/zhongdong2009/twmu/Medieval/2.2.html
http://www.gaopu.com/soudai.html
上の宋の歩人甲と同様の物なら29kg程度有るのかだが
何れにせよ板金鎧では無いから刀の衝撃は何処迄止まるのかだろうし
胴に防御が大鎧程には集中しては居ないと言う事なのかだが
手足の鉄板は可成り薄い可能性も有るのかだが

現実のモンゴルの鎧を書いた古い絵で
正確そうな物は見ないし
果たしてオスプレイ等の絵の様な構造なのかだが
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:DiezAlbumsArmedRiders_I.jpg
上の様なイスラム勢力が書いた物は
彼等の甲冑と同様の描写が成されている様に見えるが
0079某研究者
垢版 |
2017/07/14(金) 19:25:47.50ID:N8RR46EF
https://www.pinterest.jp/pin/5699937002838167/
https://gr.pinterest.com/pin/445926800587590459/
https://www.pinterest.jp/pin/574490496189966161/
https://www.thoughtco.com/genghis-khan-exhibit-photos-195681
現実のモンゴルの鉄製甲冑は
上位しか無いのかだが
特異な構造はしていない様に見えるが
腕の装甲は有ったが現存していない可能性も有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/546202261031340585/
上は非精鋭の重騎兵の革鎧と言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/7881368072132402/
上の様な鉄札を仕込んだブーツは
鉄鎧を着る精鋭重騎兵用と言う事なのかだが
0080某研究者
垢版 |
2017/07/14(金) 20:26:01.46ID:N8RR46EF
モンゴル等の騎兵・歩兵が小型の盾を持つ場合も有るが
此れは左足を軽い両手持ち武器で打たれれば
対応し難いと言う事は無いのかだが
0081名無し三等兵
垢版 |
2017/07/15(土) 04:42:14.38ID:+FK3gpAp
モンゴル軍を撃退した、という事は鎌倉武士は世界制覇が可能だったのか?
0082名無し三等兵
垢版 |
2017/07/15(土) 05:25:18.83ID:U2fySdQD
ムリムリWWWWWWW
当時みたいな兵站未開の時代にアウェーで戦うとか死ぬほど不利だろWWWWW

ジャップはホームでチョン チャンコロ ドルジに辛勝して喜んでるだけWWWWWW
たかが知れてるWWWWWWW
0083某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 10:33:58.92ID:LHoUkBh4
兵站の問題は
モンゴル同様に戦奴を使用し
必要なら無制限な略奪・殲滅戦をすればどうなのかだが
0084某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 11:23:37.48ID:LHoUkBh4
https://www.pinterest.jp/pin/322077810832458020/
この鎧はよく見ると脚の後部に迄装甲が有るが
https://www.pinterest.jp/pin/317433473720634720/
上の宋の鎧と同構造なのかだが
こんな部分迄保護すると重量は何処迄食うのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/353954851953667089/
上の歩人甲は腿の後部には装甲は無いし
この様なタイプの鎧もモンゴルには存在した可能性は有るのかだが

胴の重量が同等程度なら
大鎧の様に革・漆が混ざる方が弓には強いと言う事なのかだが
0086某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 12:11:35.20ID:LHoUkBh4
https://www.pinterest.jp/pin/317433473720634684/
上を見ると肩甲は宋の場合は胸甲の下に仕込まれているし
https://i.warosu.org/data/tg/img/0313/41/1396968061070.jpg
上のイラストは間違いなのかどうかだが
https://www.pinterest.jp/pin/353954851953667089/
http://www.gaopu.com/soudai.html
上のイラストも肩甲が胸甲の上に有る様に見えるが
果たして何れが正しいのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/7529524348909186/
上の様な宋のライオンの付いた肩甲と言うのも唐の時代当りから良く見るが
此れは指揮官用の物なのかだが
モンゴル兵はこの様な物は使ったのかだが
0087某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 12:44:59.44ID:LHoUkBh4
https://www.pinterest.jp/pin/7529524348943358/
上のイラストでも宋の歩人甲の肩甲は
胸甲の上に装備されると言う解釈なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/317433473720634684/
https://www.pinterest.jp/pin/317433473720634708/
上の宋の兵が装備している様な首装甲は
http://www.gaopu.com/soudai.html
https://www.pinterest.jp/pin/353954851953667089/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560880575/
上のイラストでは無いが
装備していた兵も居ると言う解釈なのかだが

https://qph.ec.quoracdn.net/main-qimg-cbda623f966ee016a99f6e434e12a0f2-c
モンゴル騎兵も下の兵の様に首装甲は必ずしも
無いと言う事なのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E7%B5%B5%E8%A9%9E
蒙古襲来絵詞のモンゴル・宋・高麗兵等も
首装甲は有る例と無い例が有るだろうか
0088某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 13:53:43.46ID:LHoUkBh4
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287476/11
上の鎌倉時代の平治物語絵巻にも佩楯は幾らかは有るが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E
平治物語絵巻は1255年迄に成立の可能性も有るなら
此れは元寇前の装備なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/353954851953667089/
上の中央が二分割されている様にも見える
宋の佩楯に似た構造だが
一体型も有ったのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E5%B0%9A#/media/File:Ashikaga_Yoshihisa.jpg
上の足利義尚の肖像画の様に
直垂の内部に佩楯を仕込んでいた例は有るのかだが
0091名無し三等兵
垢版 |
2017/07/15(土) 14:52:21.38ID:+9iICS8u
なんで末尾逆接ばっかなの
語尾でキャラ付けする漫画じゃあるまいに
0092某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 15:13:37.58ID:LHoUkBh4
https://www.pinterest.jp/pin/611363718135648014/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882169/
上の様な旧金の騎兵もモンゴル軍には居たのかだが
胸部の構造が宋の鎧とはやや異なる訳だろうか

https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882265/
一番上の金の鎧の肩甲は板金なのかだが
面頬も何処迄使用されたのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646560880861/
上の黒い鎧を着たモンゴル兵は
革甲を装備した非精鋭の重騎兵なのかだが
0093某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 15:23:01.47ID:LHoUkBh4
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242793762?size=1024#content
上に有る様な下着及び夏服の大口に佩楯を縫い付けて
冬はこれの上に直垂を着たと言う例も有るかも知れぬが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E8%AD%B7%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%87%BA%E9%99%A3%E5%9B%B3.jpg
上の護良親王出陣図では歩兵の袴に佩楯が縫い付けられているし
大口にこうした形で佩楯を縫い付け
上に直垂を装備する例も鎌倉期に有るのかだが
0094某研究者
垢版 |
2017/07/15(土) 16:20:10.28ID:LHoUkBh4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%99%E5%88%80#/media/File:Kyujutsu10.jpg
茎式の薙刀の柄に金属で蛭巻迄して有るのは
刀だけでは無く薙刀の斬撃も柄で止めていた故かも知れぬし
此れでモンゴル兵の槍や斧・大刀を切断していた可能性も有るのかだが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/200511501
上の蒙古襲来には恐らく騎馬武者が薙刀を装備しているし
1221年迄成立と言う平家物語でも
平教経が大薙刀と大太刀の二刀流をしている場面が有るから
この時点で騎馬武者も下馬時には薙刀を使用していたのかだが
騎馬武者の薙刀なら雑魚歩兵の長柄武器の柄は切断されて
容易にやられていた可能性も有るのかだが
この時点での大太刀はどの程度の長さなのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AA%E5%88%80#.E8.A8.98.E9.8C.B2.E3.81.A8.E5.AE.9F.E5.9C.A8
1250年成立かも知れぬ源平盛衰記には
140cmの大太刀も有るが
90cm程度の物が主流の可能性も有るのかだが
槍・長柄武器切断を狙って弘安の役では多用された可能性は有るのかだが
0096名無し三等兵
垢版 |
2017/07/20(木) 02:52:35.09ID:XOp6LCZp
>>95
西夏の領土だった河西地方の兵は弘安の役に投入されてる。

元史 卷十一 本紀第十一 世祖八 
十八年四月条「賜征日本河西軍等鈔。」
0097名無し三等兵
垢版 |
2017/07/21(金) 20:58:59.98ID:c3MQySYY
服部氏の蒙古襲来借りてきた
今から読むけど俺はこの本の内容を信じる予定
0098某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 11:41:10.56ID:uFP0wuIw
http://www.lykia.pl/en/armours/antiquity?start=1
>Steel lamellar plates 1-1.2mm thick

現実のこうした大陸勢力製の鉄小札鎧の厚みはこんな薄いのかだが
日本の鉄小札の1.5mm程度は有る可能性も有るだろうが
こんな物では弓は止まるのかだが
胴体や草摺の一部は装甲は二重に成っている例も有るから
この部分は可成り弓は止まる訳だろうか
0100某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 12:42:57.55ID:uFP0wuIw
高麗軍の歩兵は南宋兵程の装甲は
少なく共全員には有るのかだろうし
南宋でさえ装甲が余りない歩兵も確か居るだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/611363718135648014/
金の鎧は胸甲は二重構造なのかだが
装甲が二重に成っている様にも見える部分は有るが
現実的に1.5mmしか無いとは考えられぬ訳だろうか
草摺は騎兵戦しか考えていないからか
宋の鎧と比べると軽装である訳だろうか

http://wdykaac.weebly.com/uploads/2/8/9/6/28967125/4571218.jpg
西夏軍の鎧は胸部は二重では無いのかだが
分厚い鉄小札が使われている可能性も有るのかだが
草摺は前後二分割と妙な構造だが
此れは上手く騎乗出来るのかだが
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/80/c3/93/80c39317f9f64e17416eb87147cfbff4.jpg
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882977/
上を見ると草摺は長くは無いから
騎乗には支障は無い訳だろうが
脚の防御は金の鎧と比べ考慮され無いのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882973/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882980/
此れは小札の構造が違うが
大型の鉄小札・鉄板札が使われているのかだが
0101某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 13:31:42.99ID:uFP0wuIw
https://www.pinterest.jp/pin/317433473720170944/
上の唐の明光鎧も胸部は恐らく二重装甲だろうし
金の鎧も同様かも知れぬが
https://www.pinterest.jp/pin/7529524348909200/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560880871/
https://www.pinterest.jp/pin/611363718135648014/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560882169/
腹の綿甲は装甲が二重で無い部分を
弓の攻撃から保護する為の物と言う事なのかだが
どの程度の防御力の上澄みが有るのかだが
此れが無い例も何故か有るだろうか

元軍の左副都元帥劉復亨は胸部の二重装甲では無く
装甲が一重の部分或いは装甲の隙間を撃ち抜かれて重傷を負った可能性も
有るのかどうかだが
劉復亨は漢人であるから金の鎧では無く
北宋軍の鎧を装備していたのかだが
0102某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 14:28:14.79ID:uFP0wuIw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
>文永の役
>蒙古・漢軍 15,000[13]〜25,000人[6][14][15]
>高麗軍 5,300〜8,000人[16]

劉復亨に随伴していた騎兵は北宋系の物と言う事なのかだが
数はどうなのかだが
騎射・騎馬の技術はモンゴルや金の兵より劣り
長柄武器での接近戦指向と言う事なのかだが
接近戦に持ち込む前に弓で可成りやられていたのかだが
0103某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 14:47:23.67ID:uFP0wuIw
旧北宋軍騎兵の弓もモンゴルの様な張力80kg等は
無い可能性も有るのかだが
旧北宋軍歩兵の弩は発射速度は無く
遠距離では太い矢の空気抵抗で威力・精度は低下すると言う事なのかだが
通常の弓も張力はモンゴルより低いだろうが
相当数は有るのかだが
騎馬武者が散開して動きながら矢を放てば
弩も命中は何処迄したのかだが
0105某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 16:24:37.09ID:uFP0wuIw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%82%E7%94%B2
>『日本書紀』の記述として、飛鳥時代、壬申の乱(7世紀末)時、「大分君稚臣(おおきだのきみ わかみ)という勇士が、矛を捨て、鎧を重ね着して、刀を抜いて(以下略)、射られながらも敵陣に突入した」といった記述があり、
>挂甲によって鎧の重ね着が可能となった事が分かる最初の記事である(重ね着をする事によって、余計なものを持たずに突入する戦法の先例でもある)。

南北朝期にも鎧は重ね着されているが
鎌倉期はどうなのかだが
0106某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 20:13:27.56ID:uFP0wuIw
https://imgsa.baidu.com/forum/pic/item/8b3bf8d3572c11dfa2eda0ad622762d0f603c266.jpg
https://imgsa.baidu.com/forum/pic/item/b8df2c9759ee3d6d4d159b4542166d224d4ade4b.jpg
https://tieba.baidu.com/p/2473581393
此れは北宋の11世紀の騎兵の様だが
13世紀と装備は同様なのかだが
槍を持つ重騎兵には弓は無いし
弩を持つ騎兵も居るが
軽装甲の弓騎兵も居るが
彼等はモンゴル軍にやられていた訳だろうから
日本には何処迄来ていたのかだが
0107某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 20:32:33.01ID:uFP0wuIw
旧北宋の槍では無く弓と剣を持つ騎兵に関しては
モンゴル兵程では無いが
それなりの弓の腕前は有る可能性は有るだろうが
軽騎兵・重騎兵共に密集陣形で運用されるから
散開してゲリラ的に四方から襲撃する騎馬武者に
弓を当てられる例も多かったのかだが
馬にも鎧が有る旧北宋の重騎兵は此れを追撃するのは無理だろうが
軽騎兵は追撃出来ただろうが士気の問題等で
余り戦果は上げられなかったのかだが
0108某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 20:43:19.24ID:uFP0wuIw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90#.E4.B8.AD.E5.A4.AE.E8.BB.8D
>唐軍は、隋末の戦乱において、馬に甲冑をつけない機動力にすぐれた軽騎兵を活用した。軽騎兵は唐の統一戦や突厥との戦いにおける勝利に多大な貢献を果たした。
>そのため、馬に鎧をつけ、防御力や突進力にすぐれるが、馬の持久力や機動力で劣る重騎兵を中心とした隋代に代わり、唐代を通して軽騎兵が騎兵戦力の主力となった。

唐の騎兵も馬鎧は無いだろうし
やられた騎馬民族の騎兵は馬鎧は有ったと言う事なのかだが

>唐の軍隊は、歩兵を主体として、軽騎兵に補助を行わせる形で戦闘を行った。歩兵は50人の「隊」は「隊正」を先頭にする緩やかな「くさび形」に陣形をつくる。
>七軍の一軍ごとに、弓兵・弩兵を前方に、3陣に分かれた歩兵を中央に置き、両脇に騎兵が配置され、後方に奇兵が置かれた。
>まず、弩兵が矢を撃ち、さらに弓兵が撃った後で後方に下がった後で、歩兵の2列目の部隊は下がってきた弓兵を擁したまま動かず、
>1列目の歩兵と騎兵・奇兵が交互に戦う戦法をとった。

日本軍は此れ程歩兵に依存した戦いは
して居ないと言う事なのかだが
0109某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 20:56:21.05ID:uFP0wuIw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%9D%96
>常勝を誇った李靖の戦術の基本は、騎兵の機動力に依存した長距離奇襲戦法であった。敵の思いもよらない方角から攻め込んで混乱させ、敵が逃げる方向を正確に予測して伏兵を置き、
>挟撃して殲滅するという戦法によって、李靖は味方の兵が敵より少ない場合でも常に勝利を収めた。その鮮やかな勝ち方から、中国では李靖をして史上最高の名将とする書籍が多い。

日本軍の騎兵も唐の騎兵同様に騎兵自身は重装甲で馬に装甲は無いが
此処迄騎兵の機動力は生かしては居るのかだが
騎馬武者を追撃して来た旧北宋軍等の軽騎兵或いは重騎兵迄を
伏兵で倒す様な事はした可能性も有るのかだが

>また同書によると、李靖は「防御力・輸送力に秀でた戦車(偏箱車・鹿角車)は用兵の要である。」としている。

此れは騎馬民族の奇襲や初期の攻撃を撃退する為に
必要と見たのかだが
日本軍も垣盾等でこうした事はしていたのかだが

>この戦法は、馬の運用に長けた遊牧民族との戦いにおいても有効であった。遊牧民族の戦法は、
>機動力に優れた馬上から相手との距離を一定に保ちつつ弓を射掛けるというものであったため(パルティアンショット)、敵陣に切り込めば案外たやすく退却することが多かったからである。
>とはいえ、敵の逃走する方角を正確に予測する李靖の戦略眼は、同時代においては突出していたと言える。

この初期の射撃を防ぐ為に
戦車が必要とされたと言う事なのかだが
日本軍もいきなり騎馬武者が騎兵を迎撃せず
敵の逃走時の追撃に使用された例も多いのかだが
0110某研究者
垢版 |
2017/07/25(火) 21:17:15.07ID:uFP0wuIw
李靖が751年のタラス河畔の戦いに居れば
アッバース朝の20万の兵に3万或いは10万の兵で
勝てた可能性は有るのかどうかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E5%85%B5
日本の伏兵運用も720年成立の
日本書紀に書かれているから
元寇時も行われたのかどうかだが
0111某研究者
垢版 |
2017/07/27(木) 17:18:36.16ID:/2vh+sjn
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%A4%A9%E6%88%9F
方天戟も北宋時代に有るが
https://tieba.baidu.com/p/2473581393
此れは上の絵には無い様に見えるが
https://imgsa.baidu.com/forum/w%3D580/sign=9ec501c19f2f07085f052a08d925b865/490e02fa513d269740fd1bd354fbb2fb4216d870.jpg
ハルバードの様な斧(恐らく大斧)は有るが
此れは何処迄使われたのかだが
引っ掛けるタイプの武器は日本側も熊手や薙鎌が有るから
それより反応性の悪く短い大斧なら
対応は出来たと言う事なのかだが

https://imgsa.baidu.com/%C3%F7%BB%AA%CC%C0%CB%AE/pic/item/f50a446feac682e480cb4a46.jpg
明時代の絵には方天戟は多数書かれる例も有るが
北宋時代には未だ数が無かった可能性も有るのかだが

http://arms.cybrary.jp/db/impact/flail/duanshaozi.html
上の紀元前から有る短梢子や長梢子の様な武器も書かれている例を見ないが
補助武器として携帯されていた可能性は有るのかだが
0112某研究者
垢版 |
2017/07/28(金) 12:01:27.66ID:/I0jnFt0
>威力が高い弓でも射手の手首や腕に掛かる衝撃を減らす事が出来る。洋弓にはスタビライザー(反動抑え棒)があるが和弓には要らない。

モンゴル等の軽く高威力の弓では反動が強く成り
制御が難しいと言う意見も有るが 
動画を見る限りどうなのかだが

pinterest.jp/pin/7881368076541634/
トルコ系弓の矢の重量は25g程度なのかだが

>矢は軽い。全体で500g、鏃だけでは25−35gくらいだ。
 
和級の矢は此れは50gと言う事なのかだが 
トルコ系矢の2倍の重量は有るのかどうかだが
トルコ弓も和弓の矢の約1.4倍高速でないと
同じ威力は得られないと言う事なのかだが
同等以上であれ反動・振動・矢の空気抵抗の問題は出得ると言う事なのかだが
0113某研究者
垢版 |
2017/07/28(金) 15:23:46.93ID:3PaYBDiw
A perfect shot
https://youtu.be/NOpOqgotJZc
モンゴル騎兵は皆此処迄の事が出来るのかだが 
この弓の張力は50−80kg等は無いと言う事だろうか
0114某研究者
垢版 |
2017/07/28(金) 16:05:39.55ID:3PaYBDiw
https://www.youtube.com/watch?v=i4T7PNbKdU8
11世紀には使用されていた
小型の矢を使用し射程を伸ばすこの種のナーワク等も
モンゴル兵は使用したのかだが
遠距離から馬に当てる事は
密集隊形で無いと困難なのかだが
0115某研究者
垢版 |
2017/07/28(金) 17:29:52.79ID:3PaYBDiw
http://koukisya.web.fc2.com/kayaku2.htm
>モンゴルに渡った震天雷は元成立後も使用され、1281年の日本侵攻にも使用され「てつはう」の名で日本軍に恐れられた。
>その様子は「蒙古襲来絵詞」によく描写されている。しかし、「蒙古襲来 その軍事史的研究」によると持ち込まれた数は少なかったらしい。

震天雷も散開した騎兵には余り役には立たないかも知れぬが
船舶や城壁に密集した歩兵相手には有効では無いのかだが
実際何処迄使われたのかだが
0116名無し三等兵
垢版 |
2017/07/31(月) 13:06:26.63ID:jQb3S6u8
某研がコピペしてる酷使様の主張が悲しい
なんだろう 俺も日本の勝ちだとは思ってるけど日本優位を強調されると途端に萎える
あれ?これが酷使様のいうアルファベット四文字の成果なのか?w
0117某研究者
垢版 |
2017/08/02(水) 19:32:34.41ID:QLL4xl8E
http://nonono7.blog12.fc2.com/?mode=m&;no=2395>
>和弓は、矢の長さもロングボウより少し長く、矢の重量も少しだけ重い。矢に質量があるから空気抵抗等での減速に強く、重いから命中した時の威力も大きい。
>矢が長いために強力な初速で押し出されても、飛翔中の矢が激しく振動する事無く、緩やかな振動になるために飛行姿勢が安定する。安定した姿勢で撃つなら、弓は長くて大きい方が安定する。

アーチェリーで精度を高める為に矢を大型化している例は
有るのかどうかだが
和弓も実験ではロングボウよりは精度は上の様だが
強化弓に比べるとどうなのかだが

>それを端的に示すポイントとして、矢の番え方がある。基本的にモンゴル弓等の短弓は弓の左側に矢を番える。対して、和弓は右側に矢を番え、そのまま矢を飛ばすと矢が右側に飛ぶため、弓返しをする。
>短弓の騎馬状態での射法としては、弓の左側に番える方が合理的であり、弓の右側に矢を番え弓返しする和弓の射法は独自の歴史を示しているらしい。

等と有るが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E8%A1%93#.E8.AB.B8.E5.A4.96.E5.9B.BD.E5.BC.93.E8.A1.93.E3.81.A8.E3.81.AE.E6.AF.94.E8.BC.83
>また蒙古式を採る射法では多く矢を弓の右側に番える。これは一説では疾走する馬上で向かい風を受けても矢を取りこぼさないように工夫したためとも言われる。
>ただし、笠懸や犬追物などでは進行方向右側に向かって矢を放つ場合もあり、一様に当てはまる根拠ではない。

等と有るから
右側に番える方が馬上向けの可能性も有るのかだが
弓は左側に向ける方が矢張り多いと言う事は無いのかだが
右側に向ける場合は向かい風を考慮し
矢を弓の左側に番えた可能性は無いのかだが
0118某研究者
垢版 |
2017/08/02(水) 19:50:27.96ID:QLL4xl8E
http://www.nextarchery.jp/original9.html
>基本的に弓のポンド数が高くなればなるほど、スタビライザーの重量を増やさないと安定しない傾向にあります。
>狙っているときの安定感を求めるなら、前のほうをあまり重くしないほうがいいでしょう。
>弓の飛び出しを求めるならその逆ですね。
>風が強い時には重いほうが安定しますが、突風のときは軽いほうが元に戻しやすいといって軽いセッティングを好む選手もいます。

等と有るが
投影断面積辺りの重量は和弓はトルコ系弓より重いのかだが
風に対する強さの差は有るのかだが

http://www.a-rchery.com/x10pointweight.htm
>非常に高価な「X10」というシャフトを使うと、とんでもなくサイト位置が下がることはご存知のとおりです。「ACE」でも下がりますが、それ以上に下がります。言葉を変えれば、異常に飛ばないシャフトなのです。
>理由はカーボン素材だけでなく、中にアルミニュームという金属を配して、重くなっているせいです。この理由をEASTONは「断面荷重」という投影断面積あたりの重さが大きいことを上げます。それによって風に打ち勝つ力が強く、70mでは有利だというのです。

日本の鏃は長い茎が入るから
投影断面積辺りの重さはトルコ系弓より有ると言う事なのかだが
英の大型鏃ボドキンの方が重いと言う事なのかどうかだが
無風状態での射撃等現実には何処迄有るのかどうかだが
0119某研究者
垢版 |
2017/08/02(水) 20:06:37.08ID:QLL4xl8E
http://www.a-rchery.com/x10pointweight.htm
>オールカーボンシャフトのアドバンテージは? と問われれば、X10にはない新たなアドバンテージが見つかったのです。
>それが「トップヘビー」です。
>「FOC」という矢のセンターから重心位置がどれだけ前(ポイント側)にあるかの指標があります。X10であれば9.5センチほどで「12.60%」です。
>それに対してオールカーボンで総重量を同じくらいにすれば(実際には少し軽いですが)14センチ「18.80%」前が重くなります。このトップヘビーのアドバンテージが矢を安定させ、なおかつ的中精度を向上させているのでしょう。
X10と同じようにサイトは低くなります。しかし、X10よりトップヘビーでオールカーボンのアドバンテージが得られます。もしX10でFOCを18%くらいに持ってこようとすれば総重量が重くなりすぎて失速してしまいます。

日本の矢もトルコ系矢よりは鏃に長い茎が有る分トップヘビーだろうが
英のボドキンの方がより前に重心が有るのかだが
0120某研究者
垢版 |
2017/08/02(水) 20:31:46.74ID:QLL4xl8E
英のロングボウも意外に精度は高いのかも知れないが
弾幕射撃だけで狙撃はしていないと言う事なのかだが
騎兵が装備するロングボウは狙撃もしていた可能性も有るのかだが
0121某研究者
垢版 |
2017/08/02(水) 20:49:23.50ID:QLL4xl8E
>騎兵が装備するロングボウは狙撃もしていた可能性も有るのかだが

此れは馬上でも左側に矢を番えていたなら
左側への射撃が多いとすればこの際に向かい風を受けると
精度は低下していたのかだが
0122某研究者
垢版 |
2017/08/08(火) 14:03:51.92ID:XCdoP2ir
https://pbs.twimg.com/media/DGrqOW6VYAA5URz.jpg
上のモンゴル精鋭軽騎兵マングダイの鎧は 
実際はどうなのかだが  
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560871322/
上の絵の5番の様な物なのかだが 
通常の軽騎兵は士気や訓練度の問題等で偽装退却をやるのは難しい可能性も有るなら
追撃・略奪用なのかだが

モンゴル精鋭軽騎兵マングダイも通常のモンゴル軽騎兵も日本には来たのかだろうし
旧宋・金の軽騎兵では偽装退却は出来なかった可能性も有るのかだが
0124某研究者
垢版 |
2017/08/09(水) 20:14:25.66ID:CfnnkpqQ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)#.E5.85.B5.E7.A8.AE.E3.83.BB.E6.AD.A6.E5.99.A8
>宋は西北の馬産地を常に隣国に押さえられていた為、軍馬に乏しく歩兵が部隊の大半を占めた。(仁宗時、禁軍の約七割が歩兵軍)
>北方の騎馬部隊を相手にする必要上、その歩兵の武器は次第に飛び道具に重点が置かれ、中期以降は大多数が弓弩手で、次に槍兵や刀兵が、
>最後に少数の火器兵から構成された。(初期は三割が弓弩手)

宋も唐の軍同様に戦車・歩兵で騎馬民族の騎兵を撃退し
軽騎兵で追撃・挟撃と言う戦術なのかだが
絵を見ると唐と違い重騎兵も多いが
彼等は何処迄使われたのかだが
歩兵は射撃手が7割等と言うのは日本軍より比率は多いのかだが
故に接近戦には脆かったのかだが
射撃手も発射速度の遅い弩が多かったのかだが
0125某研究者
垢版 |
2017/08/09(水) 20:28:40.28ID:CfnnkpqQ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14103247654
「宗史兵志」の中には「突火槍」という、竹で作られた筒の中に火薬を詰め、点火するとまず火炎が放出され、最後に子窠と呼ぶ小弾が飛んでいくという、竹製の使い捨ての火器が発明されています。
今でいう手持ち花火に似たもので、南宋時代の1259年の記録に現れます。
その後、この突火槍がモンゴルに捕獲され、複製品が制作されるようになります。突火槍を改良して筒に長い木柄を付け、筒を金属製(銅製)に改めたものです。この例は現在1332年および1351年の銘があるものが知られています。

https://blogs.yahoo.co.jp/desaixjp/54491492.html
この初期の銃は元寇では
上を見る限り投入されなかったと言う事なのかだが
0126某研究者
垢版 |
2017/08/09(水) 20:45:06.43ID:CfnnkpqQ
https://plaza.rakuten.co.jp/trimoe/diary/201704030000/
>綿襖甲とは、綿(キルト)の裏側に鉄板などを鋲で貼り付けた中世東アジア一帯で見られた鎧、英名はキルティングアーマー。
>綿なので火に強く、鉄板を縫い合わせてあるので斬撃にも耐性があったが、鉄板が薄く、打撃に弱いと言う欠点と、
>当時の東アジアで主流だった連弩に対する騎馬兵用の鎧であった為、連弩よりさらに飛距離、貫通力に秀でた長弓には弱く、蒙古襲来時には当時の鎌倉武士が用いた長堤に定点長弓戦法によりデメリットが浮き彫りとなり、その後、火薬兵器、鉄砲の台頭により廃れていく。

綿襖甲も基本的に雑兵用なので日本の歩兵用伊予札甲冑等の様に
鉄は薄いのかだが
清等の精鋭的な騎兵が此れを着ている様に見える例も有るが
この装甲は厚くなっていると言う事は無いのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646560881009/
上の様な宋等の通常の小札鎧は綿襖甲と異なり
胸部は二重装甲と言う事なのかだが
0127名無し三等兵
垢版 |
2017/08/09(水) 21:18:01.24ID:CfnnkpqQ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1314345476/132
文禄の役から帰国した下瀬七兵衛頼直って人の記録

大明國しゆこしらへの事面には赤きとろめんを仕り候て裏にはくろかねを二寸四方ほとに切り候て
くさり付候ながき道服のやうに候甲もくろかねを白くみかき候て着候小手もくろかねにて矢も不立候
刀共にて候少もきれず候

https://4.bp.blogspot.com/-U89Gcy9-AdE/V0lP8NOa9WI/AAAAAAAACyA/JyVdtWAdNVwvz_OWCpUjV45td4gHO_4LACLcB/s1600/Ming_cavalrymen.jpg
この鎧は上の精鋭騎兵用の綿襖甲の可能性も有るだろうが
此れは胸部の鉄札の厚みは雑兵用の倍以上有るかも知れぬし
小札が6cm四方と通常の小札より大きいから強度が有ったのかだが
同様の厚みの騎兵用桶側胴や最上胴程の防御力は無いと言う事なのかだが
この種の物は西国の下馬戦闘主体の騎馬武者は
何処迄装備していたのかだが
0129名無し三等兵
垢版 |
2017/08/10(木) 17:24:55.21ID:QM/veuem
来襲は事実みたいらしいが
そこで捕虜も出たらしく
それが同和の一つの起源とも言われている
0130名無し三等兵
垢版 |
2017/08/14(月) 17:18:17.21ID:Z3B2RDPe
弘安の役では捕虜のなかで南宋人は生かしたと言われているから、その人数は万単位だろう。
同和の一つの起源はあり得るね。
0131某研究者
垢版 |
2017/09/02(土) 14:29:20.37ID:Fqw/4jHp
https://blogs.yahoo.co.jp/ym191939/22365689.html
鎌倉末期から薙刀の先端の湾曲が小さく成り
突きが入れ易い形状と成ったのは宋の歩人甲等の隙間を
突きで狙う事を考慮した可能性は有るのかだが
単純に宋やモンゴル・高麗の槍の影響も有るのかだが
或いは日本の最上胴・桶側胴的な金胴が普及して来た故の可能性も有るのかだが
槍も此れに対抗する為に増えた可能性も有るのかだが
0132某研究者
垢版 |
2017/09/02(土) 14:41:07.63ID:Fqw/4jHp
南北朝期には有る最上胴或いは桶側胴的な金胴も
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561357005/
元のこうした板金的鎧の影響で出て来た可能性も有るのかだが
元寇時に日本には入っていたのかだが
青銅で作られているとすると中国製では無く
モンゴルが考案した物の可能性も有るのかだが
元寇時のモンゴル騎兵が鉄小札鎧等の下に
此れを着ていた可能性も有るのかだが
金胴も上を参考としたなら桶側胴的な物と言う事なのかだが
後で動作性を増した最上胴的な物も作られた可能性は有るのかだが
西欧のコートオブプレートはモンゴルのこうした鎧を
参考とした可能性も有るのかだが
モンゴルが逆に参考としていた可能性も有るのかだが
0133某研究者
垢版 |
2017/09/02(土) 14:46:42.22ID:Fqw/4jHp
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561159792/
上の様な宋の明光鎧に有る様な護身鏡を参考として
金胴が作られた可能性は果たして有るのかだが
金胴が鉄小札の大型な綿襖甲と言う可能性は有るのかだが
0134某研究者
垢版 |
2017/09/09(土) 20:21:04.14ID:sDZpHAqA
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_53/view/id/179807/page/892?&;sst=wr_datetime&sod=asc
>カリフォルニア大学のサクストン・ポープ(Saxton Pope)教授の実験では、張力21.7kgの日本の弓の飛距離が160.2mだったという。
Japanese…....................48 ” 175 ” 
Tartar…......................98 ” 175 ”
 
張力が98ポンド(44kg)も有り恐らく矢も軽い
タタールの弓が和弓と同程度(168m)しか飛ばないのはどうなのかだが
モンゴルの弓はこの様な事は有るのかどうかだが
0135名無し三等兵
垢版 |
2017/09/09(土) 21:25:09.64ID:2kBYU2Kf
あの反りや矢そのものも
非常に工夫されていて
距離が稼げるらしい

火薬も使い始めている蒙古
0136某研究者
垢版 |
2017/09/13(水) 13:24:38.01ID:pbrfwL+x
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#.E5.92.8C.E5.BC.93.E3.81.A8.E8.92.99.E5.8F.A4.E5.BC.93
>矢を同じように発射した場合、使用する矢の重量、重心位置、箆張りなどの規格が均一でなければ、矢の着点や飛行状態は異なってくる。着点は命中と密接な関係があり、
>その飛行状態は矢が命中した際の威力の大小に関係する。これらの理由により、森俊男は日本の矢の方が性能は良かったと指摘している。

>日本の弦は麻を材料とし、それを縒り合わせて松脂(まつやに)を染み込ませ、絹糸を全体に巻き締めて、その上に漆を塗って作られている。現在、通常使用されている弦の重さは二匁(7.5g)くらいである。
>糸を巻いて漆を塗り、重さが3倍になったとしても22.3gである。一方、蒙古弓の弦は動物の皮を使用し、重さは46gと日本の弦の2倍以上の重さがあった。
>したがって、矢が発射され弦が復元する過程では、弦の重さや空気抵抗などから、同じ強さの弓だとしても、矢の速度に差が生じるため、日本の弦の方が性能が優っているとしている。

と有るが
此れはどの程度威力に影響するのかだが

>鏃および矢柄の重量は発射される矢の飛行速度に大きく関係するが、両軍の使用する矢の重量はほとんど差はなかった。

http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/243
>矢は軽い。全体で500g、鏃だけでは25−35gくらいだ。

日本の矢は500gでは無く50g程度なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/301952350005355413/
上のトルコの矢は25gだが
https://www.pinterest.jp/pin/556968678887688080/
上を見ると大型の鏃装備の物も有るし
こちらは可成り重い様に見えるが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:The_arrow_of_a_Mongolian_army.JPG
上のモンゴルの鏃もそう小さくは無い訳だろうか
0137某研究者
垢版 |
2017/09/14(木) 23:14:02.43ID:bJlIFDcR
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#.E9.A8.8E.E9.A6.AC.E5.85.B5
>『蒙古襲来絵詞』絵八の麁原に陣を布く元軍の騎乗率は約17%で『八幡愚童訓』でも元軍の左副都元帥・劉復亨と思われる人物の共廻りの記述に「十四五騎うちつれ、徒人七八十人あひ具して…」[181]とあり、騎乗率を約15〜17%ほどとしている。

>元軍の構成は軍船の総数が240艘で、1艘につき兵300人、水夫70人、軍馬5匹であったとしている

文永の役のモンゴル軍の兵は72000で
軍馬は1200であるなら
騎兵は1200以下なのかだが
集中運用は何処迄されたのかだが
騎兵の比率は17%等は無く
6%以下と言う事なのかだが
0138某研究者
垢版 |
2017/09/14(木) 23:31:35.81ID:bJlIFDcR
>>137
騎兵の比率は1.6%以下の間違いだが

文永の役で日本に来たモンゴル兵は
72000等は居ないだろうが

>『高麗史』金方慶伝によると、蒙漢・高麗連合軍39,700が女真軍の到着を待ったとあり、蒙漢・高麗連合軍39,700の他に女真軍が存在したとしている。

39700に加え女真兵を入れたら
72000程度には成ったのかだが
日本に来た39700の内騎兵は1.6%以下とすると
最大でも630程度であり
替え馬の存在を考えれば更に小数である訳だろうか
最大630の騎兵に士気の低い歩兵が主体で
騎兵もモンゴルの者は居ないと言うなら
能力の余り高く無い騎兵を偽装退却で
伏兵に誘引する等して壊滅させれば
容易に敗走したのかだが
0139某研究者
垢版 |
2017/09/15(金) 12:53:46.66ID:QPwwCZva
モンゴル騎兵の替え馬は2−6頭と言う意見も有るし
船1艘に馬は5匹と言うから
騎兵は1名しか居ない可能性も有るのかだが
此れが正しいなら文永の役では240名しか居ない事に成るだろうし
騎兵は指揮官級の100名程度しか日本に来なかった可能性も
有るのかどうかだが
将軍等の乗る船だけは騎兵の比率が多い可能性は有るのかだが
0140某研究者
垢版 |
2017/09/15(金) 13:51:58.72ID:QPwwCZva
モンゴル軍も少なく共弘安の役では
殆ど歩兵だけで日本軍を倒せるとは考えたのかだろうし
騎兵の比率が増えていた可能性は無いのかどうかだが
0141名無し三等兵
垢版 |
2017/09/15(金) 14:24:53.16ID:ciAXmLCX
内陸国の船というか
接収した船に馬とか大変そうw
0142某研究者
垢版 |
2017/10/17(火) 15:18:47.60ID:S9oX6NMA
日本軍の弓の上手い騎馬武者が散開して接近し
指揮官に矢をほぼ同時に集中射撃すれば
小数の兵でも可成り厄介と言う事かも知れぬし
こうした方法で劉復亭がやられた可能性も有るのかだが
0143名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 09:12:23.81ID:u5CNQ4hp
劉復亭だけじゃなくモンゴル軍の主力部隊そのものが日本軍に惨敗してる。
文永の役で博多目指して侵攻したモンゴル軍は赤坂以東へは進めず、
日暮れまでに今津へ追い込まれて撤退。
モンゴル軍の人的損害1万3500余人。
0144某研究者
垢版 |
2017/10/22(日) 14:30:52.04ID:o3whpJ+q
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%BA%B7%E3%81%AE%E5%A4%89
>宋は、建国当初から国内の節度使などの武人勢力を抑えるため文治政治をとったこともあって、遼・西夏の侵入に対抗できず、毎年銀や絹(歳幣)を送って和を保とうとした。

元寇のモンゴル軍もこうした者が主体であれば
まともな戦いが出来るのかと言う事は有るだろうが
歩人甲等の装甲は多いだろうが
接近戦には弱かったと言う事なのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)
>しかし平和が長引き、女真人の気風が形骸化すると、女真族と非女真族(契丹族を含む)との割合は1:6ほどであったので、女真の軍事力の弱体化が問題となった。

女真兵も居ただろうが
こちらも弱体化していたと言う事なのかだが
0145某研究者
垢版 |
2017/10/22(日) 14:44:11.81ID:o3whpJ+q
>劉復亭だけじゃなくモンゴル軍の主力部隊そのものが日本軍に惨敗してる。

旧宋の兵も歩人甲も全歩兵は装備していないだろうし
騎兵も非常に少なく
先ず装甲の無い兵士が弓の命中し難い遠距離で散開した騎馬武者に
弓でやられて全軍の士気・射撃力が低下した後
(宋の兵は弩も多いし
 此れはクレシーの戦いの様に日本軍の弓に
 一方的にアウトレンジされる可能性も高いのかだが
 弓も散開していれば500ー400m等の遠距離で
 余程狭い範囲に集中せぬ限り馬に当たるのかだが)
近距離で弓を撃たれて装甲も貫通され
やられず共動きが鈍り
白兵戦で止めを刺されたと言う事なのかだが
高麗兵には歩人甲の様な装甲も恐らく無いだろうから
遠距離からの射撃のみでも可成りやられていたと言う事なのかだが
0146名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
垢版 |
2017/10/22(日) 15:35:25.25ID:LjySWxvX
当時の女真人は弓を持つことすら禁止されていたから兵士としての活躍を期待されてたわけじゃない。
女真人に求められてたのは操船能力。
実際に刀伊の入寇で日本まで攻めてきたこともあるんだから操船能力なら高麗人より上。
女真人を動員した元のサハリン遠征では戦船1000艘も投入してるしね。
文永の役の大船300艘の内、高麗に求められた操船要員の定員は半分以下に過ぎなかった。
0147名無し三等兵
垢版 |
2017/10/23(月) 12:49:11.92ID:u0Ft++Mk
米高官「韓国から資産移動を」 非公式勧告の報道 w
0148名無し三等兵
垢版 |
2017/10/26(木) 09:34:52.93ID:gnjx85Z7
みんなイベントきたぞ

【水軍】元寇で奮戦した松浦党を称える祭り「松浦水軍まつり」10/28、10/29長崎県松浦市で開催
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1508157794/
松浦市は元寇(文永の役、弘安の役)終焉の地であり、この元寇に際して
勇んで戦い、郷土を守った松浦党を讃えるまつり。武者行列や山車パレードのほか、
多彩なステージイベントや物産展が催される。近年は「出張!まつうら食堂」と題し、
魚介を中心とする地域の新鮮な食材を活かした「松浦らしい食」を提供する
イベントを盛り込んでいる。

開催場所
松浦市役所周辺
開催期間
2017年10月28日(土)?2017年10月29日(日)
0149名無し三等兵
垢版 |
2017/10/27(金) 16:32:24.49ID:SqDsao1Z
>>30
竹島返して謝罪と賠償しろ>チョン
0150某研究者
垢版 |
2017/10/27(金) 16:32:26.75ID:M3alvHr2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
>文永の役
>松浦党 佐志房以下数百人戦死

と有るが此れは海戦でやられたのかだが


http://blog.daruyanagi.jp/entry/2015/08/10/063230
>当時のクロスボウの射程はだいたい200m(有効射程50m)、発射速度は毎分1〜2発程度だったらしい。
それにたいして長弓の射程は250m(射程重視で“空へ”発射する)、発射速度は6〜10発分。

旧宋の兵は弩も多いだろうが
此れの有効射程は50m程度しか無いのかだが
https://www.youtube.com/watch?v=PiCDBHEa6gc
上だと680ヤード(621m)飛ばしているが
中世の軍用クロスボウより矢が可成り細長い様に見えるが
http://abc0120.net/wiki/doc-view-2068.html
中国の弩の場合矢は細長い様に見えるが
射程はどうなのかだが
0151某研究者
垢版 |
2017/10/27(金) 18:22:07.87ID:M3alvHr2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%BC%A9
>連弩の最終的な実戦投入は日清戦争であり、写真では清朝兵士の一般的な装備が連弩であることが示されている。

連弩も装甲の無い兵相手では使えるかも知れぬが
宋の兵には何処迄数は有ったのかだが
0152名無し三等兵
垢版 |
2017/10/31(火) 07:53:48.12ID:8dIM1nJ/
みなのしゅう

元寇がゲーム化だそうだよ?(´・ω・`)

ゴーストオブ対馬wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1509379583/

【PS4】ゴーストオブ対馬Ghost of Tsushima 元寇歴史を語り韓国人やサヨクをビビらせるスレ
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1509386931/
0153名無し三等兵
垢版 |
2017/11/05(日) 06:42:41.73ID:7rXKx39S
海を越えたモンゴル帝国の快進撃、古代に続き行われた韓半島によるポンニチへの文化伝授の渡来・・・まさに歴史のロマン。
0154名無し三等兵
垢版 |
2017/11/05(日) 09:31:27.18ID:+BQAKXu6
元寇のおかげでユーラシア大陸のレベルの低さが明確になった。
ユーラシア大陸史上最大帝国のモンゴルが鎌倉武士にフルボッコにされたんだからな。
日本の方がユーラシア大陸より高度な文明を持っていたと断言できるわ。
0155名無し三等兵
垢版 |
2017/11/05(日) 09:47:35.35ID:YzAHi3DR
ジャップは引きこもり雑魚民族
大韓による征伐を神頼み、すなわち台風頼みで退けたにすぎない

当時のジャップは国をあげて神頼みの儀式をしている
また台風を神風と名付けて第二次世界大戦までありがたがっている
それらが運頼み雑魚ジャップの証拠
0156名無し三等兵
垢版 |
2017/11/05(日) 12:13:59.43ID:H60AOc0y
モンゴル中国高麗、東アジアの連中が束になっても日本には橋頭保すら築くことができなかった。
元寇のお陰で日本の軍事力が大陸より遥かに優れてると分かったから、その後は倭寇が大陸沿岸を席捲。
勇躍する日本とは対照的に、中国や高麗は沿岸部に住むことすらできずに引きこもり。
0158名無し三等兵
垢版 |
2017/11/07(火) 21:47:59.73ID:kWejups5
まあ歴史ロマンだよ
悲劇でもあり壮大な戦いでもあり

朝鮮人が作った元寇船が実は性能良くて戦う気マンマンなのはワロタ
0159名無し三等兵
垢版 |
2017/11/08(水) 06:38:38.86ID:q0bbSPDN
ジャップは雑魚
台風頼みの土人
そうでなきゃ神風なんて名付けない
はっきりわかんだねwwww
0160名無し三等兵
垢版 |
2017/11/08(水) 06:41:50.51ID:q0bbSPDN
ジャップが引きこもりなのは明白
現代でもそう
世界に出ていく大韓人は多いがジャップは少ない
引きこもり雑魚ニートがクソジャップの特徴
0161名無し三等兵
垢版 |
2017/11/08(水) 07:34:42.63ID:MgfNQwfD
出ていって各地でトラブルメーカーにw
日系は名士や起業で大成功に
韓国は棄民や棄国の類w
0163某研究者
垢版 |
2017/11/09(木) 21:27:27.43ID:eVzr/Z4w
南宋軍も適切な指揮官が率いれば
岳飛等の様に金軍程度には抵抗出来たのかも知れぬが
日本に来た宋の軍はこうした戦闘力は無いと言う事なのかだが
0164某研究者
垢版 |
2017/11/09(木) 21:37:28.81ID:eVzr/Z4w
南宋には金を退けた岳飛軍の生き残り等も居るだろうが
100年以上前の12世紀中盤に彼等の軍が解散させられているなら
戦術的影響は無いと言う事なのかだが
0165名無し三等兵
垢版 |
2017/11/27(月) 21:19:59.11ID:iCjzhiLi
https://www.youtube.com/watch?v=XCJTmJQmGRM
長崎県立対馬高校 寮歌
3番の歌詞

秋山峡に紅葉して
小茂田浜辺の荒磯に
文永の役とむらえば
恨みは長し七百年
若人の血は躍るかな

対馬の人は元寇を忘れていない。
この寮歌は旧制高校の寮歌とは一味違うユニークな節回し、正統派の歌詞で、なかなかだよね。
全国に知られて欲しい。自分は対馬にゃ縁もゆかりも無いけれど。
0167名無し三等兵
垢版 |
2017/11/28(火) 08:32:20.69ID:iemboeJ0
>>165
マジか最高な歌詞だな

・百合若(百合若大臣。幸若舞。元寇を舞台にした復讐物語

これもいい話
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況