川崎はじつはエンジン作る技術がなかった

ダイムラーの数々のトラブルが表面の硬化処理の不足で
またポンプのピストンの「かじりつき」でエンジン停止というトラブルも
三菱製の部品に替えたらとたんに解消
「やわらかい」鉄でエンジンを作っていた、明治大正のレベル

愛知はDB601いぜんからダイムラーに取り組んでいて技術指導もすんでいた
川崎は後発のため工作機械などが十分でなかった

長州閥の陸軍のゴリ押しで液冷採用され推進されていた
薩摩の元老である独逸学協会名誉会・松方正義のむすこが川崎重工の社長
東条首相から直接、土井に一億円の礼金を渡される
そういう庇護のもとにあって安心して推進できた

しかし東条内閣が倒れると陸軍ダイムラーはムダであると整理の対象になった
もちろんそうなると空冷の土俵で大三菱や大中島とたたかうことになる
たぶん川崎に金星エンジンの図面を渡されて製造を命じてもできない
つまり川崎航空部門は全員失業する