日本軍は何故自走砲を量産しなかったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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チハとかよりずっと役に立つと思うけど何故量産しなかったの? 追随して弾どうやって運ぶんだ?
トラックも貴重だし。 九四式山砲は確かに優れてはいるけどドイツ、チェコの山砲の方が射程と最大仰角面で上なので特筆して高性能ということは無い。
一方で機動九○式野砲は野砲を排した米独の師団砲である105ミリ榴弾砲に比べて発射速度と射程、機動力に勝るし、ソ連のは対戦車砲にもステータス振ったんで最大仰角や機動性で勝る。
あるいは日本も九一式十糎榴弾砲に振り分ける手も大いにある。
なので自走砲作ってる暇など無い。
一刻でも早く師団砲兵を充実させる必要があった。 91式榴弾ってのが駄目で作ったけど活躍しなかったんだよな。
傾向性、機動性の恩恵があるように見えつつも
・無理に肉薄に作ったから砲身寿命が短い
・無理に軽量に作ったから反動修正できず精度が悪い
・初速と射程が75mm榴弾、150榴弾に劣る
・91式榴弾に限らず105mm榴弾規格自体が、弾薬消費トン量において150榴弾にも75mm榴弾にも劣る
弾薬消費率でいえばもっとも非効率
主流化させたらむしろ90式野砲より使えなくて、対戦じゃ活躍しなかった
使うなら90式、95式、41式山砲(流石に使いたくない)、94式山砲で、威力なら150榴弾
もっといえば射程の90式野砲か威力の150榴弾、あるいは山砲か正規榴弾の150榴弾だった
他国でも効率の都合で105mm榴弾は一旦主要砲のいち付になるんだけど、使い勝手が悪くて
150榴弾が正規砲、軽砲、歩兵砲、山砲、連隊砲は75mmみたいな扱いになるんだ
ここで75mm砲ならまだ軽砲、歩兵砲、低消費砲、馬車運搬砲としてはっきりいって必須なんだけど、105mm榴弾は中途半端で駄目ってなるんだよな 現代戦の81mm迫撃や120mm迫撃のいちづけに75mm砲、75mm山砲はあったから
75mm砲はあるいみ性能不問で莫大な数が必要だったし、歩兵連隊レベルから必須の火砲だった
で150榴弾が正規砲ならば、中間的ないち付は現代では120mm迫撃が担うのだが105mm榴弾は負担が大きく中間火力になれんかった
ここで120mm迫撃を中間火力に位置づけたのがソ連とコピったナチス
そういう意味でスレタイの自走砲というのはまさに120mm迫撃のような中間火力にあたるわけだけど
自走砲かはともかく、自走砲=機動砲がほしいならば機動75mm砲、究極的には自走120mm迫撃おけよってところなんだろうな
自走砲は米、独、ソでは積極的に配備してたものの、あくまで軍団機動支援砲的ないち付で一部での配備で
基本的に末端の軍団や師団は自走120mm迫撃で戦うのがベターだった
120mm迫撃は消耗多いが、量トン負担は少ないし、強力、かつ使い勝手が良くて兵站負担、準備負担がないから
簡易自走砲的な動的支援火力として最適だった
まぁ日本軍の場合は81mm迫撃増やすか、できないなら94式山砲、90式野砲を完全充足させろよってことだったろうよ
105mm砲は消耗都合なのかなんなのか、数があって正規変成されてるんだけど、いざ実戦となったら全く投入されない
兵站と手間都合でどうしてもなら馬車運搬の94/95式増やしてくれ、でも上位互換の81/120mm迫撃のほうが嬉しいってのが現場の切実な要望なんだろうな >>25
軽視って言うか事故とかで作れなかったと言うか敬遠されたと言うか 火砲スレに長文書かないでここでずっとしこってればいいのに >>2
>というか日本の中戦車自体が対歩兵自走砲みたいなもんだから57mmの榴弾を正確にかつ速射で撃ち込めたから要らなかったんだよ。
大陸打通作戦で証明済みだなw 大砲だけ早く移動しても、もっと重たい砲弾を移動させる手段がない。 米軍でもラスト1マイルは夜間に人力搬送だし。
一方で台湾で砲兵の段列にいた祖父の話だとひたすら歩兵戦闘の訓練で見に来た参謀から銃剣が黒染めでないことを注意されたとか。
上陸戦闘も訓練したらしい。 >>43
ヴェスペやフンメルには砲取り外した弾薬運搬車があるやん
というか、>>1は対戦車用の自走砲が欲しいのか火力支援用の自走榴弾砲が欲しいのかわからん 自走砲より機動野砲のが良いなら、チハに47o速射砲牽引させてシャーマンが出てきたら牽引していた速射砲で対戦車戦闘でもすれば? "しなかった"なんて選択肢があるわけ無い。
戦車や自走砲を量産できてたらノモンハンも勝ってた。 ていうか、
チハたんを牽引車にするとか、弾薬運搬車にするとか、自走対戦車砲にするとか、バチ当たりだろ >>46
>戦車や自走砲を量産できてたらノモンハンも勝ってた。
ナチは戦車や自走砲を量産できてもベルリン陥落w 量産といってもレベルがソ連とドイツでは5倍ぐらい開きがあった。 ナチの場合自走砲結構作ってはいたが、末期になると計画狂うからな
ただナチの場合はソ連のような全面的自走砲って方向じゃなかったな
日本の場合は自走砲じゃなくて、自動化牽引迫撃部隊、150榴弾、カノン砲、203榴弾がほしいってところだな
機動性じゃなく、数やパワーや自動化の問題だったから そもそも当時はまともな道路がないのだから牽引砲が主体になるのは当然だろうよ
ハーフトラックやAPCに牽引させて道が狭くなったら人力って時代だし 山砲や歩兵砲の人力運搬業務と人力運搬性って重要だったからな
ナチやソ連の場合割りと積極的に自走砲を配備できたけど、それは湿地、泥地こそあっても、ほとんど平野で自走砲が通る道くらいはあるからだ
アジアと全然道路条件違う >>51
末期になると狂うっていうけど独ソ戦はどっちも頭おかしいかスターリングラード攻防戦中にスターリングラードの工場から完成した戦車を出荷とか
ドイツもドイツで軍需省がいい意味で頭いいからベルリン攻防戦中にも残った資材で戦車作って出荷とかやってるからな
当時の日本陸軍の分隊投射火力は他に列強より優れてたよ
回線時点ではそうだったけどだんだん劣勢になっていってるぁらな ディエンビエンフーの戦いで山に引き上げられた牽引砲が威力を発揮したし、山砲用途では便利だから今も自走砲と平行配備よな
昔と違うのは運搬が人力じゃなくヘリってところだが 最大的に自走砲や火砲の問題じゃなかったな。
WW2で火砲は兵站と専属部隊が必要で、錬成と兵站負担がかかる
けど迫撃は錬成と兵站負担、製造負担が少ない。そして何より、戦力が少数単体で構成されて、戦力を機能させるためのサイズが非常に小さい
このため使いやすく、なにより準備構築期間が劇的に短い
81mm迫撃ならば休憩状態から敵の襲撃をくらっても15-45分で反撃できる。
陣地を作るのも1-2時間で仮設できる
けど重榴弾は即反撃が難しい装備で当時の火砲は運用体型上即応戦まで2時間、陣地仮設に4-6時間もかかる
また部隊が大規模だから完全な準備に10-12時間は費やす
砲撃の前の準備がほんとは1日はいる装備だ
おまけで部隊がでかくて、準備する場所に制約がかかる。だから坑道陣地戦術なんかだと十分大量の火砲は運用できない。 火縄銃が普及する時代、英国では弓矢と銃の威力を比較したんじゃなく、その差は一長一短だった。
とくに銃機は兵站負担が大きく、というか近代的な兵站概念は銃の負担解消のために普及していった学問だ
この銃が弓矢にたいして最大的に優れる点は射程でも威力でもなく、錬成コストが極短期で短くすむことと
たくさん手に入る雑兵ですら集めれば十分な戦力になること。それ以前の足軽感覚でかんたんに錬成できて大量供給、補充(雑兵はいくらでも作って補充できる)できること
これで兵力の消耗を補填できるから戦列歩兵が普及した
これと迫撃は同じで、重榴弾は錬成が大変な弓矢で、迫撃は戦列歩兵だった
だから迫撃は重用されて、山砲やあるいみ正規砲兵連隊すら塗り替える主力火器に切り替わった。
WW2前記の歩兵師団は歩兵砲12-24門に重榴弾24-48門を組み合わせるのがソ連でもナチでも標準だった。
玉数比率で歩兵砲が2-5トン、重榴弾が5トンくらいの比率であった
WW2の歩兵師団は迫撃100-120門級に榴弾30-40門ほどを組み合わせた。
弾数は迫撃150トン、重榴弾100トンほどだった
迫撃、歩兵砲の依存度が極端に大きくなり、これが戦後標準的歩兵師団として主流になる
WW2は迫撃ー銃ー無反動砲を組み合わせた軽量自動化歩兵に切り替わった時代で
ハイテクや正面火器の進化でなく、むしろローテク、標準的歩兵の進化が鍵だった
日本においては地理的に重正面兵器を運用しにくい地形で補給戦が弱かったから
何が何でも迫撃を量産させないと行けなかった
日本軍が3000門の120mm迫撃、10000門の81mm迫撃と砲弾10万トン分を運用したとしても
それは錬成、製造、補給、運送すべての負担上軽くて合理的だったが、この合理性に気づいてなかった そもそも弾を運べてないんだから、いくら迫撃砲用意してもなぁ 日本軍のニーモーターはコストパフォーマンスに優れた歩兵用高性能火器だな いるいらねーだの、べきだった―論は置いといても
砲兵部隊の上層部は自走砲欲してたじゃねえか。
地形云々は半分後付論だろ 日本にもRSOを1万台こさえられれば迫撃砲の弾を段列で供給できたよね 日本の自動車生産能数は欧米と2ケタ違う。欧米で一番低いイタリアと比べても
1ケタ低い生産能力しかない。 イタリア対日本だったら陸戦は確実に日本負けてるだろうしない
イタリア弱いみたいに言うけど山岳連隊がドイツ軍と一緒に山岳部で戦闘継続してたのにね >>64
戦前の日米もしくは主要国の自動車生産台数をぐぐってもでてこない
サイトか台数を教えてください >>66
アフリカ戦線でも逸話だけ有名なだけで遅滞戦闘普通にやってるよ いうて日本軍も大陸や南方で散らばってる武器弾薬人員を本土に集めて
なおかつドイツと陸続きでドイツ軍の支援を受けれるなら連合軍相手に普通にそのくらいは持つでしょ
沖縄戦では2個師団ちょっとの兵力で米軍相手に3ヶ月持ったんだし 本当に陸戦だけならともかく、すでに航空支援もあること忘れてないか? 沖縄では航空支援だけじゃなくて戦艦の艦砲射撃もあっての3ヶ月でしょ
結局イタリア軍が強いとか日本軍が強いとかいう話じゃなくて、
そこそこの装備を持った軍隊が丘陵地帯に隠るとそれを攻略するのは本当に難しいというだけの話のような >>70
補給も途絶した状態で戦闘を継続していたのでヘタリアヘタリアって言うほどヘタリアじゃねーよって話だし
次にやるときゃイタリア抜きでじゃなくって日本抜きで出しドイツ軍と「共闘」していたのであってドイツに助けられてたわけじゃないよ
東部戦線ってドイツだけじゃなくって普通にイタリア軍も参戦してたしドイツは延々と日本に満州側から攻め込んでくれって言ってるのにドスルー
せめてアメリカのレンドリース船沈めてくれっていわれてもドスルー
そのくせドイツが降伏しそうになったら残ったUボートを日本に回航してくれ!バーカって言われるに決まってんだろ
イタリアとドイツは共闘していたのであってドイツがイタリアを支援してたわけじゃないよ?東部戦線は特に。
上記の理由もあるのにドイツが日本を助ける理由なんてあるわけねーだろ
防共協定の意味も忘れていやー不可侵結んでるからってどスルー決め込んでた日本をどうしてドイツが助けてくれると思うんだよw
>>72
東部戦線の山岳部隊は別に陣地なんて作ってる時間もないよ?後退中に殿を務めるために山岳部にこもって戦闘を続けてたとかなんだけど
同等と言えるのは満州のソ連侵攻時に山岳部でゲリラ戦を展開した部隊ぐらいだよ
アフリカ戦線なんぞ日本軍が行けばイタリアの比じゃないレベルでボロボロだし越冬装備もろくすっぽ整備してないことから分かる通り防共協定結んでてもソ連と戦う気なんて関東軍にも日本軍にもなかったんだよ
沖縄はそもそも隆起したサンゴなんかで地形が頑強で陣地準備してるから条件が全然違うだろ
沖縄は本土防衛と現地部隊で考え方が全く違うこととかも問題だけどね >>71
日本機がスピットファイヤに苦戦したのと同じレベルのMC200 とかあるし日本がまともに量産できなかったDB601(ハ40)とか生産出来てる国ですし
日本軍しゅごいみたいな思想は好かん イタリアが航空エンジン作れたのはドイツから工作機械を導入したからだろ イタリアの素の工業力なんて機関銃どころかボルトアクション小銃でさえまともなものが作れなかったんだし色々お察しでしょ 今は知らんが1940年代までは小火器の製造では日本の方が普通に上でしょ
ブレダM30とか日本の十一年式の方が数段マシなレベル イタリアは軍艦も優秀だな
日本は海外へ主要な軍艦の輸出はなかったがイタリアはかなりの輸出もしている
日本もイタリア製の日進、春日を所有していた >>67
1940年で日本の生産台数が約5万台位でアメリカが約450万台 >>75
いや、冶金技術の問題だけど
エンジンシャフトにニッケル使えなかったのは日本もドイツもイタリアも対して変わらなかったけど表面に窒化処理とかしてクラックを防ぐだけの冶金技術の有無でしかない
>>76
そら1943年には脱落して連合国側になったりして国力が半分とかになってますし。
>>77
ふぁ!?軽機関銃がアレだっただけで短機関銃もライフルも別に当時の標準レベルではあっただろうに
そんなこと言ったら三十八式を使い続けた日本もまともにライフル作れてないよ カルカノ小銃は輸入した国では散々な評価を貰ってるし当時の標準レベルだったとはとても言えない気がするなあ >>73
>ドイツは延々と日本に満州側から攻め込んでくれって言ってるのにドスルー
これはノモンハンでやられたと思ってたっていうのと、朝日新聞、尾崎秀実らの工作で日中戦争に動員されたというのが
あるだろうけど、
>アメリカのレンドリース船沈めてくれっていわれてもドスルー
これはなんでしなかったのかな。対戦初期ならできたんじゃねえの? >>84
満州側からは「え、不可侵結んでるし」
レンドリースも「え、不可侵結んでる国との貿易船だから。。。」
日本が結んでいた同盟とはなんだったのかが問われて次にやるときゃ日本は抜きでが基本
後は日本は艦隊型潜水艦が基本でそう言う輸送船狩りとか外道って考えてたとか
国内スパイ君が頑張ったお陰で関東軍攻めて来ねーから満州国境の部隊ぶつけようぜ!でドイツに勝つからな
>>83
威力不足だなんだは割と言われていて試行錯誤している時代ですし。 カルカノは威力じゃなくて耐久性が不足していたような
日本がイ式購入した時はかなりの数が不良で問題になったそうだし >>67
www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol5101_11.pdf
陸軍の自動車工業統制とトヨタ自動車工業
http://i.imgur.com/NccQCJL.png アメリカの自動車生産台数がピークを打ったのは「1929年」。
総生産台数は535万8420台、内訳は乗用車444万5178台、トラック88万1909台。
staging.ilo.org/public/libdoc/ilo/1947/47B09_25_engl.pdf
翌1930年には、335万5986台と激減しているが、これはいわずと知れた
大恐慌の影響で、工場のキャパシティはあるのに売れないから作れない。
よって30年代のアメリカ自動車産業は高性能化と多品種生産に向かう事になる。 >>77
イタリアの数字は調べるのがめんどくさいからわからないが、戦前の
フィアット主力車種「Fiat 509」1車種で1925〜29年に9万台生産されたらしいから
さすがに日本とは比べられるものではないだろう。 >>85
ドイツがロシアとの条約を破って、戦争したんだから
ドイツとしてもロシアを日本が攻撃することを当然期待してたということなのか。
しかし、日本ではゾルゲや尾崎秀実ら朝日新聞勢力の謀略により南進論が勝利したと。
でも、時系列的には南進論勝利→三国同盟→真珠湾では? >>91
単純に、極東ソ連軍の兵力が減らなかったから、対ソ戦に着手しなかっただけ。
ゾルゲもコミンテルンも無関係。 >>92
日中戦争しなかったら、北進できたよ。少なくとも、ソビエトは戦力を西方に移動できなかった。
ゾルゲもコミンテルンもそれを狙ったので、無関係ではない。 >>93 日中戦争しなかったら、北進できた
関東軍の兵力は、極東ソ連軍より多くなった事すらない。関特演で兵力集中した時
でさえ50%弱、戦車大砲航空機の比率はもっと低った、日中戦争してなくても北進
は無理だった。 >>85
>日本が結んでいた同盟とはなんだったのかが問われて次にやるときゃ日本は抜きでが基本
でもドイツ人はソ連軍に『感謝』してるぞ?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>80
自国のが足りてないのに売っちゃうのがイタリア。
スペックを吹いて売るのもイタリア。
でも、魚雷艇は優秀。 >>94
そもそも、日本軍は相手の兵力に応じて作戦を立てたりしない。
もしそんなまともな対応ができたなら、太平洋戦争なんて起こしてないし、
だいたい、日中戦争じたいできない。中国軍の方が露西亜軍より圧倒的に多い。 日本にも南信論と北進論があって共産主義者のご活躍によって南信論が採択されたから。。。
まぁ実際南信論しないと物資がないからしょうがない面もあるけど共産主義と戦うって言えばアメリカ国内がワンチャンで日本に着いた可能性もなくはない
アメリカにもイギリスにもドイツと手を結んでソ連打ち倒すべしって派閥はあったんだよ >>97
兵力を考えてやってるに決まってるでしょ。中国軍の装備は、日中戦争以前から
第二次大戦まで日本軍より良かったが、組織が前近代的で数が少なくても対抗は
可能という判断だ。 >>100
じゃあなんで日米戦争したの?
中国も勝てなかったよね。 海軍にとっては、アメリカに勝てる最後のチャンスだったからという話が有ったな
なんでも史実の開戦タイミングを逃すと、ひっくり返っても絶対に勝てないと子供でもわかるレベルまで戦力差が広がるのだとか
史実の開戦タイミングでも遅すぎたという話もある
中国は単純に作戦ミスじゃね?決戦に失敗しまくってるし >>101
海軍が軍縮条約から脱退したせいでアメリカがドンドン建艦し始めた。時間が
経つと、日本海軍の対米比率が70%から急激に30%以下に下がるから、その前
に開戦する必要があった。石油ばかりが問題じゃないんだよ。 アメリカが弱いうちにせっかく無理して真珠湾したのに
いつまでも南方侵略してたら戦争放棄じゃないの
資源獲得しても輸送船がないんじゃあ国力の浪費にしかならんような >>104
南方作戦で日本が持つ総海上輸送力の7割近く投入しているからな
それ以上使うと国内が死ぬし長期間使っても死ぬ
って言うか1944年ぐらいになるまでは国内でも普通に飯食えてるし輸入でむしろ飽食だぞ >>101
ベルリンに赤旗揚がって南京に日章旗揚がって、第二次大戦が終わった。 中国が弱すぎたからアメリカは本気出して日本を攻めたんだけどな >>106
いや広すぎて人数多すぎて勝てなかったじゃん。その時点でアウトだろ。勝てるか勝てないか考えてるといってるんだから。
北進論が正解かどうかは微妙だが、南進はアウトだよ。歴史的証明されてる。
>>107
じゃあ、アメリカが参戦する前に勝てないとダメじゃん。 >>108
3500万匹のシナゴキブリを討伐した。 >>109
勝てなきゃダメだろ。
あと、3500万の内、ほとんどは、殺したんじゃなくて死んだんだよ。戦争死だけど戦闘死じゃない。
南進論がアウトなんじゃなくて、日中戦争がアウト。すまそ。間違えた。
南進論はやってもいいと思う。場合によっては。
たとえ負けても。
日中戦争はほんと無意味で、不正義で負けた原因だけど。 スターク案の大量建艦が決定したのはパリ陥落が直接の引き金だ 戦争論を読めばわかるけど戦争における各種作戦の目的は敵の無力化であって殺す事は結果であって目的じゃない
>>108
違うぞ
対共産国に対して日本潰しても大丈夫、中国おるしな!
は?なんであいつら俺らが日本散々爆撃したり海路潰してるのにあんな負けてんの?
なんで大陸打通作戦成功されてんの。。。もしかして中国弱い。。。?
ソ連がこっち来る前に終わらせなきゃ!って思考で大分激しくなってる >>112
そもそも、日中戦争泥沼化が対米戦争の原因だから、やらなきゃ良かっただけだよ。
支那にさえ勝てなかったって話だ。 >>113
日中戦争に流れとか全部みろよ
日本が中国に対して武力行使をする事は各国が認めてたよ >>114
だから、保証占領とか限定的な支那の侵略に対する報復にとどめるべきだったって話。
自己の力の限界を理解できない馬鹿な日本の自滅だ。 >>114
それから、満州事変に国際連盟が反対したように、各国が認めていたというのもウソだろ。
限定的な許容があっただけ。 >>116
違うぞ
満州事変に至る前段階で色々とあるんだよ?
そもそも世界各国から日本はアジアの警察を期待されてた時代だし。 それも違う
日中戦争で停戦したのに中国側(共産の息のかかった部隊)がちょっかいかけて来るから武力で武装解除しようとしたとか
日本側が正しいって欧米でも認められてたよ
で、国民党も戦うべきは共産軍ってわかってたのに統治の正当性争いがあったから共産軍がナショナリズム煽るもんだから下手に停戦も出来ない
なので世界中でロビー活動して日本をぶっ叩く流れにしていったとかもあるし
そもそも日中戦争における日本軍は黄河決壊作戦やった中国軍を尻目に救助活動展開したり飢餓が発生したら軍事糧秣開放したりとかやってるから大陸打通作戦でも現地住民が山岳部案内したりしてるから成功出来てるんだよ
戦略的には意味なかったけど >>117
いやいろいろあるのは知ってるよ。
それでも、やり過ぎだからアウトなんだよ。
あんなに侵攻せず、満州を保全するために
保証占領にとどめておくべきだったんだよ。
中国に傀儡政権つくるとか頭おかしいだろ。
>>119
いやだから、だったら、なんで日中戦争でABCD包囲網とか作られるわけ?
史実と合わないよね。 >>120
満州に対しても欧米に普通に日本の言い分もそうだよねって勢力も普通にいるんだけど
とりあえず色々と調べて勉強してから言った方がいいよ
第二次世界大戦は太平洋戦争と欧州大戦の二つであったのではないかとか共産軍が日本や欧米人に対して何やったのかとか
そもそも何故ドイツと手を結んでるのかとか
別にABCDにしろ何にしろ矛盾してないよ
国際政治で負けていっただけだし >>110
>日中戦争はほんと無意味で、不正義で負けた原因だけど。
チャンコロヒトモドキ3500万匹討伐達成だが? >>116
満州事変の前に中東路事件ってのがあってな、張学良がソ連軍にボロ負けして
満州全体を一時的にソ連が占領した事件があったから、日本が満州国を作って
独立させた事にも一定の国際的支持はあった。 >>121
いやだから、やり過ぎがダメって行ってるんであって、全否定などしていない。
史実として、日本の破局をさけるためには亜米利加との戦争を避ける必要があったし、
その最終的な、日本側の引き返し限界点は、満州事変から日中戦争初期だろうってはなし。
アメリカが中国に積極荷担して日本側の軍部が形を取っちゃってからでは遅いだろうという話。
>>123
そういう事実については別に否定していない。ただ、中国人をいっぱい殺しちゃったら
日本も米国も引くのはもう無理だろうってはなし。 >>124
>中国人をいっぱい殺しちゃったら
中国人は虫けらだからいくら虐殺しても良い。 >>124
嫌だから日中戦争の戦線広げることもある程度国際的に認めてたの
停戦するって言っても中国が煽ってくるから武装解除しかないって事で戦線を広げざる得なかった
だから首都落としたのに首都移転して戦争継続
そこにイデオロギーの矛盾があったの 日本の自走砲は試作の数だけは列強並に多いが、実戦配備が少なすぎて論外だ。
戦前から試作されてるモノも有るには有るが、大抵は昭和19年になってから量産
しようとして数が揃わないモノばかり。 部隊名がこんがらがってきた
日本の自走砲部隊で正規編成で実戦投入されたのが戦車第2師団・戦車第4旅団・独立自走砲大隊(ホニ1・6両、ホニ2・6両) 海没後解隊
独立自走砲大隊の海没を受けて編成中(車両評価中…)の第1自走砲中隊(ホロ・4両)と戦車(砲兵?)学校基幹の機動砲兵第2連隊(第1大隊にホニ1・.4両)を急遽
フィリピンに派遣。
第1自走砲中隊は揚陸中に資材とホロ1両を損失、第14方面軍仮編自走砲中隊と改編してクラーク地区防衛戦に参加
機動砲兵第2連隊はご存じのとおり
ビルマのホニ1はどういう形で送られたか分からん >>127
なんで防御ガン無視の自走砲ばかりだったんだろうね?
ハンティングパンテルのような、攻防のバランスがとれた駆逐戦車のほうが
扱いやすいと思うんだがなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています