>>32-33
日本は1970年代に、PX-Lで一度は哨戒機を国産しようって話になってたんだよな
しかしエンジンは外から買う予定だったが、オイルショックや田中内閣の圧力で断念、か
当時の日本はターボファンエンジンそのものが無かったが、この時はC-1に倣いエンジンは
海外から購入する予定だった

その後、FS-Xでもエンジンが無い事を付け込まれて海外機の改造しか道が無くなるという状況が発生することになり
エンジンから開発して行こう、っていう道筋が出来て来るんだよなあ

そしてエンジンはF3エンジンをまず作ったが、その燃焼室サイズで高圧縮比化したらうまく
P-1くらいの航空機を4発で飛ばせる規模になるんじゃね?って気付いた、偉い人がいたのでは?
というのが、どっかで出ていた説だっけ

一方でF3の技術水準に近いが、もっと大きなエンジンであることを活かして余裕をもって圧縮比20前後にした
FJR710なんかも1970年代後半には作られる
それをイギリスで試験した縁で、RJ500を英日共同で作り、更にV2500に繋がっていくって訳だ

で、RJ500のお陰でコア流量50kg/sクラスのエンジンの経験はあった(RJ500の高温部はRRが担当したが、日本がいくらでも
調査できる契約だった)のでFS-XでF404を売らないと言われた時にIHI社内で「じゃあうちがRJ500クラスの高温部のある
エンジンを、AB付きで作ったるわ!」って話も出たみたいだが、ABの経験ないじゃんwwwって事で断念

だが、1990年のXF3-IHI-400では、初めてAB付きのターボファンを動かす事にも成功する訳だ

アメリカのFS-Xに対する対応も、アメリカ国内で国防省はある程度容認、商務省は貿易赤字解消のため断固反対というわけで
当時は割れていた
だから「アメリカは見守ってあげたんだよ?」「アメリカは潰す気満々だった」というのも、どちらもある面で正しく、一面しか見ていないって事になるんだよなあ

とにかく、アメリカはF-16を弄って良い部分を制限して弄らせることを許可して、F-2開発が1990年にやっと承認される訳だな
最後にF110-GE-129を使う事を許可したのはパパブッシュ
この時、両院とも使用を認めないという法案を可決していたので、これが無かったら日本はどう動いたのかねえ?
1989年でバブル真っただ中
そして翌年、1990年からXF3-IHI-400の試験