海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 27
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陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は?
史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は?
近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。
初心者から本職まで、幅広く参加者募集。
煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。
現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。
※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical)
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世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。
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前スレ
海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 26
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1507004904/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured このスレに関係する『ジェネレーション・キル』見る所は一つ重要な部分がある。
当時、主人公たちが所属した第1海兵師団(当時の師団長はまさにマティス将軍)第1偵察大隊の大隊長は、
実に海兵隊式機動戦をよく理解してる、師団長の意を汲む、事前偵察なしに装甲なしハンビー部隊で奇襲を繰り返した。
しかしこの行動のリスクは非常に高く、必ず兵士達に人気があったではない。
前で言ったアフリカ傭兵部隊のジープ電撃戦と近い行動なので、敵の防衛線と激突して失敗する時は、部隊が全滅される可能が多い。
主導権を握るためにとにかく偵察なしでも奇襲を出ることは、実にドイツ軍らしいだが、死ぬ時は死ぬなのだ。
虎薬局のオットー・カリウス先生が生き残ったのは、彼の偵察重視による部分が多いと思う。 >>920
>敵を打ち倒すに最も有効な手段は、必ず戦後の処理に最も有利とは限らない。
これも「戦争の階層構造」という概念で整理できる。
戦術次元での勝利が戦略次元での勝利に結びつくとは必ずしも限らない。
現代のCOINのむずかしさは、その戦略次元での得失の判断が伍長にも求められること。 >>922
> 現代のCOINのむずかしさは、その戦略次元での得失の判断が伍長にも求められること。
人格体力知識に優れた院卒を3K職場の主任にして途上国の僻地に長期出張させるようなもんで、
人材ミスマッチ甚だしいな。
どこの国にも変わり者が10人やそこらいるとしても
100人千人揃えるのは不可能だ。 >>920
ソ連もナチスドイツも、当然、ポストモダンに向かう先進国じゃないよ。
「資本主義」が前提なんだから当然。
資本主義でないと、利益の再投資ができないし、信用のレバレッジ効果が使えない。
軍事に限定しても、圧倒的な技術力・生産力の差が出る。
ナチスドイツで大量生産に手がかかった企業は、メッサーシュミットやホッケウルフ含め
嫌になるほどアメリカ資本(GM系)の影響受けてるし。
彼らは、他国を侵略して収奪しないと経済が回らない。
(ナチスは金準備を狙った。)
自力で国富を作れる文明段階に到達していなかった。 >>920
>ノーマン・シュワルツコフは真の名将
そろそろ再検証が必要だろうね。
シュワルツコフの業績は。
インスタントサンダー(瞬雷)作戦ぐらいまでが限界で、
パウエルにどやされてデザートサーベル(砂漠の剣)作戦を「ジェダイの騎士」に立案させたものの、理解できていなかったんじゃないかと。
この人も早々に自叙伝だして自己弁護したが、それよりヒストリアンに協力して湾岸戦争全体の戦史検証に協力すべきだった。
「昔風」の虚栄心が強い軍人でしょう。
今は「名将オーラー」なんて必要な時代ではない。凡人集団がシステムで戦う時代です。 >>920
>逆にソ連は若い人が死にすぎたのせいで、世代交代が上手く行かず、長期的国力が弱体化された。
◇計算できない物質的財産の破壊
「日本の侵略戦争が中国に与えた財産上の損失も、莫大で驚くべきものだ」、戦争中、日本軍はいたるところで、
狂気のように公共や個人の財産を略奪し、文化遺産を破壊し、鉱物・森林資源を採掘、伐採し、偽札を発行し、
軍事・民生施設を焼き払い、爆破し、中華民族の物質的精華は日本侵略者によってほとんど全部奪い去られた、卞博士はこう指摘した。
この数年、抗戦時代の損失問題を研究し続けてきた卞博士は、当時、直接戦禍にみまわれなかったチベット、
新疆の両省クラス行政区を除き、残りの省は全部または部分的に陥落するか、一部が戦場になり、多くの都市、
郷・鎮が日本軍の盲爆にさらされたとみている。
卞博士は、近年の研究結果で、全戦争期間中、中国が受けた直接の財産損失は1000億ドル、間接的損失は5000億ドル
に達することが明らかになったと語った。
「むろん、戦争状態という制約から、抗戦の損害調査は、時間的完全性からも、空間のカバーという点からも、
極めて不完全なものである」、「日本の侵略戦争が中国に与えた巨大な物質的財産の破壊と壊滅ぶりについて、
正確な回答をみつけるのは不可能に近い」、卞博士はこう語った。
そして日本の侵略戦争がもたらした大きな傷が、中国の近代化プロセスの重大な障害になったことは、学術界で突っ込ん
で研究する必要があると強調した。
◇中国社会の近代化を半世紀遅らせた
日本の侵略戦争は中国社会に一大災難をもたらした。それは国家の安全、主権独立と領土保全を著しく破壊し、
中国の物質的、文化的財産に巨大な損失を与え、中国社会の発展と進歩を著しく停滞させることになった。
卞博士は、「中国は世界の反ファシズム戦争中に最もひどい被害を受けた国であり、この戦争のために、
中国のように大きな犠牲を払った国はほかにないというのは少しも誇張ではない」と述べた。
日本の侵略戦争は中国にどれだけの損害を与えたか 新華社解説
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/qqq115/t202631.htm >>927
チンピラゴロツキバカだつおは存在そのものが面汚しだがなw >>920
>実績を見れば、ノーマン・シュワルツコフは真の名将と言えるだろう。
状況判断と指揮においてなにか傑出したことがありましたかね?特段なかったようですが・・・
むしろフランクス中将と意思の疎通に問題があったようですが・・・ 米軍の公式戦史は、シュワルツコフよりも、フランクス寄りの記述になってる。
(TRADOC司令官だったので当たり前だが。)
当時のC4Iはオーバレイと音声無線で、軍団も隷下部隊をリアルタイムに指揮する術はないし、
シュワルツコフも前線のリアルタイムな実状を知りようがない、と。
それゆえに、フォース21やフューチャーコンバットシステムが必要・・・という黒歴史の流れになっていく。
銀河を暗黒面に引摺り混む「シス」は常に二人一組で行動する。
どの「二人」かは言うまでもない。 FM100-5の最盛期は、米陸軍自体がクラウゼヴィッツ-モルトケに心酔してて、
F2(Fog-Friction(霧と摩擦))の必然性と、これに対応するためのOperational art(作戦術)、
Auftragstaktik(訓令戦術)は硬く教義に組み込まれていた。
それを湾岸戦争後に誤ったC4ISR信仰が蔓延り、見当違いな方向に研究開発努力を指向してた。
ネットワーク化しても、よりテンポラリーになるだけで、霧と摩擦は無くならないんだよね。
戦争の本質なんで。 今のIoT信仰にも言いたいことがある。それは「目的」じゃなくて「手段」だろうと。
何を早くしたいの?費用対効果は?セキュリティリスクは?と。
おそらく、全てを、ぶっとい高額なネットワーク繋ぐと言うより、
末端エージェント間の自律分散協調というところでコスト含めた実効性が出てくると思う。
人口知能の活用を含めて。 >末端エージェント間の自律分散協調
末端エージェント=各部隊
自律=それを実現する手段としてのミッション・コマンド
分散協調=それを実現する枠組みとしての(共有化された)ドクトリン
軍隊でいうとこうなるかな COINのむずかしさに、伍長が戦略的判断を求められる
(例えばデモから武力衝突に発展しそうな民衆を撃つべきか?)、
というのがある。
逆にCOINの対象となる反乱側からいうと、戦術次元の敵部隊に対して、
戦略的な敗北につながりかねない行動を強要する、ってことになる。
つまり、戦争の階層構造をうまく利用しているんだよね。 イスラム教徒の反乱(insurgency)なんぞ「放置」しとく、という考え方もある。
好きなだけ爆弾テロでも何でもやらせといて、周辺地域への拡大防止にのみ軍事力を行使する。
宗教対立や部族抗争で殺ったり殺られたりを繰返したって、何ら積極的な価値を産み出さず、
イスラム圏が自ら科学技術を停滞させ、経済的に貧困になってくだけ。
重心(政府・国民・軍隊)が明確で無いってことは、17世紀以前の文明レベルに過ぎない、ということでもある。
クラウゼヴィッツも未開部族の抗争には適用できないが、「それが何か?」とも言える。 逆に"COIN"なんてもんを無理矢理、イスラム圏で遂行してるのは、アメリカ支配層の私的な利権確保でしかない。
特に、イラク戦争後に最初に傀儡政権に据えようとしたアフマド・チャラビは、亡命イラク人という触込みだったが、
実態はイラクに何の政治基盤も持たない唯の詐欺師。
MITに留学してたってことと、ネオコンと「お友達」だったってだけで。
「これ」をイラクの首班に置いて、石油利権を美味しくムシャブりましょうという戦略目標では、
どれだけ"COIN"に軍事力や経済力を投下したってアッラーがお許しにならんだろ。
「サダムが核開発してる」というのもこの詐欺師が言い出したことで、
こいつの詐欺を弁護したばっかりに哀れコリン・パウエルは晩節を汚した。
満州帝国の宣統帝・溥儀の方が何百倍も良心的だと思う。
米帝に旧日本帝国を批判する資格は倫理的には無いね。 >>936
満州での対叛乱戦を知りたいならまず「馬賊」を調べる。日本軍兵士の回想録にも対馬賊戦の逸話が出る。
あれはなかなかカオスだった。
一応満州での植民地政策がそこそこ成功したため、現代でも中国東北において反日感情は比較的に薄い。
後藤新平と愉快な満鉄調査部仲間達を感謝すべきだ。
ただし関東軍、テメーらはだめだ。 >>929
>>湾岸戦争のノーマン・シュワルツコフ
1.多国籍軍の連携を上手く纏めた。イギリスとフランスからも高く評価された。(バス勲章とレジオンドヌール勲章を貰った)
2.兵站指揮官として有能の中の有能、W.G. パゴニス(William G. Pagonis)将軍を昇進して、兵站を上手く進めた。
私が軍にいた時代で、湾岸戦争当時アメリカ軍の兵站部隊が戦闘部隊より早く指定地点に到着したことが、授業に必ず出る逸話だった。
中国語は軍事に関して「三軍(大軍/兵馬)未発、糧草先行」という言葉がある。あれはまさにそれだ。
詳しいことはパゴニス将軍の本『山・動く―湾岸戦争に学ぶ経営戦略』を見れば分かる
3.「左フック」作戦を採用し、海兵隊を利用して、イラク軍の動くを見事に誘導した。多国籍軍に有利の野戦に誘い出されたイラク軍が速やかに撃滅され、クウェートの民間被害が非常に少ない。地上戦を200時間終わったことは伝説になった。
4.広報戦略は当時としては完璧に近いといえる。
5.戦後の1991年8月9日すぐに退役して、まさに范蠡並に勝ち逃げした。
など評価ポイントがあった。
勿論大軍の勝利は彼一人の力では達成できないが、彼は自分の任務は非常に上手く遂行した。指揮官を評価することは難しいため、彼の実績は揺るがないだろう。
シュワルツコフ本人を見たことあった人曰く、彼は体が大きく「ペア」という二つ名ある割りに、手先が器用な人でもある。(ピアノが弾けるらしい) >>938
>>地上戦を200時間終わったことは伝説になった。
すまん、100時間だった。 >>指揮官を評価することは難しいため、彼の実績は揺るがないだろう。
これもミス。
指揮官を評価することは難しいため、簡易な評価方法は実績を評価すること。
彼(シュワルツコフ)の実績は揺るがないだろう。
勿論サラリーマンとスポーツマンと同じく、実績だけでは評価しきれない部分がある。(特に地味な「縁の下の力持ち」タイプの人間)
しかし実績は揺るがない。 >>940
>しかし実績は揺るがない。
であれば、シュワルツコフは、過早に停戦してフセイン政権を不安定な形で残存させた責任も受け入れるべきでしょう。
大統領から、「100時間戦争は政治的に語呂がいい」「死のハイウェイ事件でマスコミが五月蝿い」からと停戦の打診があったときに、
戦域戦略の立場から、フセインの軍事的重心である共和国防衛隊の殲滅が不十分であることを説いて追撃を諫言すべきだった。
「ジェダイの騎士」の作戦計画上では、明確にこれを重心と認識し、ペルシャ湾まで攻勢を貫徹して殲滅する計画だった。
大統領からの打診があったとはいえ、停止命令を出したのはこの人です。
湾岸戦争をイラク戦争と一まとめにして考えると、この時の不徹底が延長戦(イラク戦争)を招き、
今日の中東の混迷を招いたとも言える。 でもあの時共和国防衛隊が殲滅してたら湾岸戦争後のシーア派の蜂起を抑えられずに
今の泥沼がもっと早く来ただけじゃね? >>938
>パゴニスの功罪
これも、再検証の要ありかと。
第7軍団が、共和国防衛隊と接触する直前の、最も重要な時期に深刻な燃料不足に陥って攻勢が停滞してる。
これが、パゴニスの責任なのか第3軍のチョンボか、第7軍団のミスなのかは要検証だが、
兵站上でも明確な課題があったってことです。
作戦目標(共和国防衛隊の撃滅)に大きく影響したので。 >>941
政治的目的はあくまで「クウェートの奪還」であり、「イラク軍の殲滅」ではない。
少し前で、「敵を打ち倒すに最も有効な手段は、必ず戦後の処理に最も有利とは限らない。 」という話があったぜ。
それに大統領の意思は最優先と思う。
>>943
第7軍団はあれだろ?
いかにも機甲部隊的な突進屋で、燃料が燃え尽きるまで走る感じの野郎どもだ。
仮に彼らが停止命令を受けるでも多分「偉い人はそれがわからんのです」的な文句を言うと私が推測する。
ちなみに多国籍軍の人の損害の半分は第7軍団から出た。
彼らは73イースティングの戦いで機甲部隊の伝説になったが、突進専門だ。
>>931
そういえば、湾岸戦争後の一時期に軍事界隈で、ハイテクとか空爆とか的な話が主流になったな。
その流行は必ず正しいと言えないが、一応役に立つ遺産を残った。
諸国でC4ISRシステムの進化が受け入れられたのはその一つだ。 >>パゴニス
ちなみに彼の指揮下で、アメリカ軍が「戦地に展開する同時期にM1戦車の主砲を120mmにアップグレードする」という離れ業を達成した。 アパッチは一体一体殺せる。国防軍にせよ。世論も考えが変わる。 適切な補給を受けられる速度で進軍しても逃げられるのは一緒なのでは? >>983
指揮官としての評価として重要な状況判断と指揮についてはどうだろうか?
第7軍団の進撃が遅い、または方向が違うというなら自分で現場に行き状況を確認し情報を得るべきではないのだろうか?
ロンメルはそうしているね。
レフトフックってそんなに良い作戦かな?共和国親衛隊には逃げられている。
中央突破で良かったんじゃないかな?
また人格的なものも名将となると問われる。
小生のイメージだとシュワルツコフ将軍は牟田口中将とダブる(苦笑 >>949
ロンメルがしょっちゅう最前線に行って司令部から居なくなるのは、軍司令官としては問題でしょう。
そこがロンメルの(当時からの)人気とカリスマの源泉なんだろうけど。
現代戦の情報の奔流をさばくのに、軍司令官が司令部を離れるのは不可能では。
まあ、アイインザスカイまでいくとリモートコントロールし過ぎな気がしますが。 >しょっちゅう最前線
辻政信の人気もそのへんにあるよね
士気という意味では重要なのかな? >>949
ロンメルとモーデルはよく前線に行って、仕事を参謀に丸投げしたため、参謀たちからの評判はよくないとあちこちの本に書いてる。
参謀本部正統派出身者の国防軍長老フォン・ルントシュテットからの評判は低い。確か、「ロンメルは師団長」、「モーデルは軍団長」として優秀、それ以上の指揮官ではないと言い切った。
現代戦で上層部による頻繁的な前線視察は士気高揚に有効ではあるが、指揮に有効的ではない。
そもそも私の軍歴から言えば下っ端部隊にとっても上層部の接待と警備はかなり面倒なことである、上層部が着ている間に仕事できない。
北アフリカ戦役で戦史界隈から「バイエルライン参謀長の功績が過少評価されている」とよく言われている。 >>レフトフック作戦
評価ポイント:
1.イラク軍の動きを見事に誘導した。「敵の動きを誘導する」という機動戦で最も重要な要素の一つを成功した。
2.イラク軍との直接交戦よりその退路を断つ、損害が少なく効果が高い。
3.101師団による史上初と唯一の「蛙跳び」空中機動作戦を敢行した。極めて大胆的な作戦と言い切れる。その戦闘機動距離が
4.米軍ではないのフランス外人部隊に地上部隊最左翼を任せた。イラク本国から身を晒すため、重要な位置だ。つまり友軍を信用すること。これは簡単であるが、なかなかできない。
多国籍軍の指揮に極めて政治的な要素が多く、仮に当時で米軍がイラク首都に進撃したいでも他の国の意思を汲むべきだ。
などなど、真面目な湾岸戦争の分析は論文物だ、ここは一部の提示に止める。
その中で第7軍団の燃料切れは第7軍団の突進によるの問題と思う。
空中機動部隊を除けば、そもそも機甲部隊特にM1戦車の燃費が悪い、それに機甲部隊の間では自分達の任務「燃料切れまで走る」と認識する風潮がある。
この図からでも見えるのように、彼らの移動距離が100時間にしては極めて長い。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Operation_Desert_Storm.jpg
機甲部隊が燃料不足をクレームするのは戦史上、稀によくあることだ。
戦史を読めば基本的に彼らはいつも燃料不足をクレームしている。
ちなみにロンメルも参謀本部正統派出身者じゃないため、北アフリカ戦でよく兵站問題を無視する作戦を立てる癖があって、彼の参謀達がかなり苦労した。 >私の軍歴から言えば
ネットとはいえよくこんな嘘を堂々と言えるもんだわw >>950
状況が分からないなら現場に行くしかないんじゃないかな?
状況が分からずわめき散らすのは誰かに似ている(苦笑 >>952
状況が分からないのに判断ができるのかな? >>953
>この図からでも見えるのように、彼らの移動距離が100時間にしては極めて長い。
だから兵站線の短い中央突破でもいいのでは?と言っているのだが。
>兵站問題を無視する作戦を立てる癖があって
兵站関係者だけにまかせるとおよそ歴史上のほとんどの作戦が成立しないんだよね。
ようはサジ加減。
>ロンメルも参謀本部正統派出身者じゃないため、北アフリカ戦でよく兵站問題を無視する作戦を立てる癖
無視はしていないよ。無理をしているだけで。 >>954
匿名掲示板で元自と自称するの人もあるだろ?
それに日本人の感覚と違って、台湾の男性が軍歴あるは普通なことだ。
まあ、信じるか信じないかは君の自由だ。
>>956
会社経営でも行き過ぎた現場主義はよくないぞ。
社員に優しいことは会社に優しいとは限らない。
米軍を例外にして、軍は基本的にブラック会社だ。
実際、前で言ったな、ソ連/ロシア軍は増援を作戦の重点に送る、他の現場からの悲鳴≒支援要請は基本的に無視する。
それに出来る限り情報共有化を目指して米軍C4ISRを日々改良している。
現在は寧ろ上層部がRTS感覚でリモコンし過ぎるが問題に成っている。 >元自と自称するの人
これやってた内の一人がオマエだろwww
兵役逃れなら信じてるよ
つか間違いなく逃れw >>958
>会社経営でも行き過ぎた現場主義はよくないぞ
>社員に優しいことは会社に優しいとは限らない。
なにか勘違いしているようだけど、では指揮官の「決心」に必要な物はなにかな?
そして最新のかつできるだけ性格なその「物」はどこにあるかな?
現場主義とは関係ないよね。
さらに現場主義がよくないというなら兵站関係者の見積りを厳守することこそ現場主義では?
またソ連軍は状況判断できる幹部を養成する手間を省いたから現場に状況判断をしなくても戦えるようにしただけであって、
システムそのものが違う。 >>952
>参謀本部正統派出身者の国防軍長老フォン・ルントシュテット
これは、ない。
この人、確実にヒトラー派。
だから何回失脚しても復活した。
戦後のドイツ軍元将軍の回顧録には「責任はヒトラーやOKWに転嫁」「ドャCツ国防軍や仲滑ヤ内の生存者は�ォく言わない」というルールがあった。
(全てを監修したハルダーが統制)
逆に、モーデルやロンメルのように戦没した将官は悪く書かれてる。
戦後、直ぐに病没したマンシュタインものれに次ぐ。
ここは、カール・ハインツ・フリーザが問題認識を持っているとこ。 >>960
論点を整理する。
私の主張は「現代戦で上級指揮官は一々現場視察する必要が極めて少ない」。
しかし上級の状況認識を正しいにするために、C4ISRの改善による情報共有化が重要であり、偵察とスパイなど情報収集と分析の任務も極めて重要である。
兵站問題として、人間は少し無理できるが、機械は無理できない。燃料や電力が切れると機械が動けない、部品が破損すると機械が故障するため、現代戦で兵站の見積もりは昔より重要だ。
WW2の戦史を見れば、実際、機甲部隊がよく燃料切れな状況に嵌ったため、一度の突進距離は長いが、長期間停止しなければならない。 ちなみにフランス戦でドイツ軍機甲部隊が成功を収めた理由の一つは、フランスのガソリンスタンドを利用したためという。
ロシアでガソリンスタンドはないため、燃料に苦労した。 逆に中東欧ではインフラがまだまだ馬に依存してて
大抵の村や町には飼い葉の備蓄があったから騎兵機械化群のような大規模な騎兵部隊が
主力から離れてかなりの長時間活動できると >>953
>第7軍団の燃料切れは第7軍団の突進によるの問題
一方でシュワルツコフの中央軍は「第7軍団の進撃が遅い」と言ってる。
100時間停戦で共和国防衛隊の半分を討ち漏らした責任をフランクスに転嫁してるわけで。
さて、第7軍団の燃料切れは誰に責任があるだろう?
停戦後にCIAが使嗾したと思われるシーア派が武装蜂起したが、
生き残った共和国防衛隊がこれを鎮圧し、シーア派の親米派指導者は残忍に処刑された。
その間、米軍四十万は、停戦に縛られて指くわえて傍観してたわけですよ。
「これは誰の責任だ?!」となったときにシュワルツコフ第7軍団に責任を押し付けた。
シュワルツコフも、パゴニスも早々に湾岸戦争に関する回顧録を出したが
「犯罪者は現場に戻ってくる」という心理も考察すべきかと。 >>963
>フランスのガソリンスタンドを利用したため
それは利用はしたろうが、かなり素人的な視点。
大きくは、クライスト装甲集団として、タイムリーな燃料の自動車化された追送に成功したからですよ。
装甲集団参謀長のツアイツラーの手腕は高く評価されてる。
この時に「ジェリ缶」システムが生まれたと言われてる。 >>938
2のパゴニスの「山動く」懐かしいな
俺が中学だったか高校だったかの頃に出版されてたわ
3の「左フック」はシュワルツコフのプランではない
所謂ジェダイの騎士による計画
当初シュワルツコフの参謀が立てたプランは何の捻りもない中央突破の力押しだった
フランクスは己の騎兵としての役目を完全には理解していなかった
していれば段列を先頭部隊に優先的に振り向ける手筈を整えていただろう ロンメルがフランス電撃戦で第七戦車師団のうち戦車連隊とオートバイ化捜索隊だけ率いて自動車化連隊ははるか後方に放置して指揮を放棄してたのを見ると師団長としても怪しい
旅団長くらいが適任だろう >>968
さて、では第七戦車師団の任務は何だったかな?
それを考えるとなぜロンメルが師団司令部を離れて一線を見に行ったのがわかると思う。 燃料切れは第一機甲だけじゃなく第24歩兵も燃料切れになっているね。
そして第一機甲の燃料切れは第74野砲旅団が燃料切れで到着したため
燃料をわけてやらなくてはならなかったからだね。
フランクス中将は第一機甲の燃料補給に最優先命令を出している。 >>969
ロンメルの指揮下の自動車化歩兵連隊の指揮の放棄は短期間のものではなく長期に渡っていて
戦車隊とオートバイ隊がフランスで戦闘してる間にまだベルギーの戦線のはるか後方にいて上官のロンメルの位置すら教えて貰えず全く通信途絶状態だった
この部隊は適切に命令をされていたら決して戦車隊に追従出来ないような編成ではなかったし
もしフランス軍の反撃や防衛線構築が迅速だったなら確実に必要となる戦力だった
この状態でこのような運用をしてる時点でロンメルに大部隊運用の能力が無いのがわかる
それは任務がどうとかいう段階の話ではない
結果論でこの時は大丈夫だったに過ぎない 第7軍団燃料切れ事態の根本的問題点は第7軍団の移動距離が時間当たりに長い過ぎる、つまり彼らは速すぎた。
しかし当時であのような大部隊であのような速さであのような長い距離で進撃する事態は、そもそも戦史上でほぼ存在していない、ある程度はしかたないだろう。
そもそも勝ち戦で機甲部隊が突進しすぎたため燃料切れたのはよくあることだ。
例えば湾岸戦争まで史上最速攻勢と言われるの「八月の嵐」作戦でソ連軍も最終的に燃料切れたため停止したと聞いた。
しかしイラク軍を殲滅し切れないの責任問題はどこにあるか?そもそも殲滅する必要あるのか?について意見が分けるのようだ。
だがそれ以外にシュワルツコフとパゴニスと愉快な多国籍軍仲間達がよくやったと思う。 >>972
>この部隊は適切に命令をされていたら決して戦車隊に追従出来ないような編成ではなかったし
追随できなかったのは編制の問題じゃなく道路事情だと思うが?
>もしフランス軍の反撃や防衛線構築が迅速だったなら確実に必要となる戦力だった
>この状態でこのような運用をしてる時点でロンメルに大部隊運用の能力が無いのがわかる
第七戦車師団の統一加入が可能だったかな?遭遇戦形態での戦闘だったようだがね。
>それは任務がどうとかいう段階の話ではない
つまり状況に関わらず統一加入一択ということかな?
>結果論でこの時は大丈夫だったに過ぎない
戦力の逐次投入ではあったが一線部隊の情報を得て判断が早かったことがフランス軍のスピードを超えたから
うまくいったので結果論ではないよ。 >>974
どうやらこの話にあまり詳しくないのにイメージだけで無理やり反論してるな
反論する前に西方電撃戦の第七戦車師団の状態について1から調べ直したほうがいいんじゃないのか 今日的には、戦車師団長が幕僚数名と戦闘指揮群(戦車・装甲車数両)を構成して先遣戦車連隊の位置にいるのは常識。
機動力を発揮する局面では、数分で戦況が激変することもあるので。
ロンメルやグデーリアンの手法がスタンダードになったと言える。
通信は主指揮所が掌握していればいいので。
カール・ハインツ・フリーザの著書だと、フランス戦役のロンメルの戦闘指揮は肯定的だな。 >>973
>第7軍団の燃料欠乏
いやいや、原因はわりとはっきりしてる。
イラク領内へのFSAの推進が遅れたからですよ。
各師団段列はFSAに取りにいくしかない。
第1師団の「三十六時間、停止するしかないかも・・・」という弱音もFSAとの距離が広がりすぎたことによる。
問題は、それがどの階層のチョンボかということ。
パゴニスは、第7軍団の西方へのスイング機動の兵站支援については、
MSRや中継拠点の開設・運営について得意気に解説してて、
それはパゴニスの功績だろうが、
だったら、イラク国内への中継拠点の推進が間に合わなかった責任も潔く認めるべきでしょ。
ダブルスタンダード。 >>973
シュワルツコフやパゴニスの功績を認めないといわけではない。
勝ったしね。
ただし、付随して発生した作戦目標の貫徹、指揮統制、兵站上の課題を、戦史上でねじ曲げているんじゃないかと。
シュワルツコフは、この後、大統領候補の呼び声もあった。
そのあたりも影響しているのではと。
祖国への献身と無名性への悟りをモットーとするSAMSの先輩と見なすには脂っこすぎる。 WW2 独軍装甲師団の指揮
メレンティンが指揮所の進出について詳しく書いてたりします。
つまり前方指揮所、主指揮所、後方指揮所の移動(前進)についてです。
そしてちょうどロンメルの北アフリカ時代の参謀なので、不在がちな指揮官とその不在中の対処について結構書いています。
つまり指揮官が不在でもなんとかなるようにシステム化していた訳で・・・
>972 はちょっと違うんじゃないかなぁ >>979
西方電撃戦の師団の指揮の問題に対して北アフリカ戦の軍団指揮の運用が大丈夫だったからという反論の仕方が妥当だと思うのか?
北アフリカ戦では西方電撃戦の失敗を活かしてロンメルが指揮官でも問題ない体制を作ったお陰だろう
時間軸的に逆でありそれでは西方電撃戦時代のロンメルの擁護にはなってない >>975
任務と状況判断が重要だと思うのだが?
機動戦や遭遇戦の原則、委任指揮、ドイツの戦術教範からしてもロンメルの行動はそれに沿っているのだが?
某自衛組織のアウトドア令やDIVISIONにも逐次加入と統一加入についての行動が記されているのだが?
ところで君は師団運用は絶対統一加入以外は認めないという戦術教育を受けてきたのかな? >>976
>カール・ハインツ・フリーザの著書だと、フランス戦役のロンメルの戦闘指揮は肯定的だな。
ドイツの戦術教育に沿った行動ですからね。 >>981
質問系でしか話せないのは知性が足りない証拠 >>983
ではスバリ君の師団運用の理念は統一加入以外に無いわけだね。
どこの国の戦術かな。 >>984
あのな
ロンメルがやったような指揮下の部隊の指揮を放棄する事は師団運用の方式の1つではないんだよ
ただ単に指揮官としての最も一般的な部下に命令を出すと言う事すらしてないんだから
自動車化部隊に対してそこに待機しろとロンメルが最低限の命令を出してるならまだいいがそれすらないのは運用未満の話なんだ >>985
できるかぎり先遣部隊に追求して欲しいのに「待機」を命じる意味があるのかね。
>指揮下の部隊の指揮を放棄
確かに手が回らないのは事実だろう。それは体が一つしかないので仕方が無い。
それとドイツ軍は委任戦戦術なので連隊長レベルなら命令がなくても行動できる(ことになっている) >>986
待機を命じるのが最良の判断だったとは全く言ってないだろ
最低限の命令としか言ってないんだが
最低限の命令を出す意味が無いと思ってるの?
まあ待機は最低限の命令以下だわな
この場合の最低限の命令はロンメルの率いる主力部隊の位置くらいは教えてそれに追随させる事だし
じゃあロンメルはどうしたかというとその最低限の命令以下の待機の命令すら出さず
部下達は上司のロンメルの位置すらわからず途方にくれていた
これで師団長として最低限の指揮をとっていてなんの問題もないと思うなら単に意見の相違でこれ以上話すことは無い
もちろんロンメルの戦車隊の指揮は最高のものだったと認めていい
戦車師団長としてではなく戦車旅団長レベルの指揮としては >>987
命令以前の問題だな。師団の任務と前進方向についてはわかっているはずだがね。
なんの本を読んでいっているのかはわからないが、第6連隊も第7連隊も一線に追及している。
ムーズ川渡河も行っている。むしろ命令を出してないという根拠を知りたいものだね。 >>977
>>イラク国内への中継拠点の推進が間に合わなかった責任
しかし、その理屈はあまりの勝ち戦ゆえに、イラク境内は危険な敵地であったことを忘れなくないか?
昔で戦闘しつつ一日で50kmを前進したことがすでに神速と思われた。
敵地で警戒しつつ前進して補給拠点を設置することはそれなりの手間がかかるなのだ。
フランスのルノーB1戦車がストンヌ村の戦いで無双した事件は、確かドイツ軍戦車部隊が補給していた途中のできことであった。 そういえば、一例として、2003年のイラク侵攻で、ジェシカ・リンチが所属した第507整備補給中隊が民兵に待伏せされた事件があったな。 だから何のひねりもない中央突破でよかったんじゃないか(苦笑 >980
これ通常の参謀業務についての話で、たまたま北アフリカがちょうど良い実瑛として上げられてただけなのですが Auftragstactik(訓令指導法)は、まだまだ日本人には全貌は理解できいない。研究途上。
その途上で言えば、「敵との本質的な関係性を示す」こと、らしい。
敵情が変化すれば、示された関係性において自主的に判断して行動する。
「よって、命令は第1条に「敵情」を示し、設想が外れた場合は直ちに効力を失う」
by ゼークト
多国の軍人から見れば「指揮を放棄しているように見える」のは有名。
その担保は、ドクトリンを叩き込んだ上で、兵棋演習を反復して、
互いの状況判断が信頼に足るものであることを確信してること。 >>989
シュワルツコフの中央軍全体としては「第7軍団の攻撃前進が第18空挺軍団、第1海兵遠征軍に比して
二十四時間以上遅い」と非難しとるわけです。 他にも「サフワン茶坊主事件(仮称)」とかもある。
攻勢の終末段階で、クウェート・イラク間の道路結合点サフワンを第7軍団はアパッチの行動圏内に捉えたが、
停戦時間切れで占領は出きず。
ところが、前線の状況を掌握しないシュワルツコフが停戦会談場所にサフワンを選んだのでどえらい騒ぎになった。
第7軍団は、押込み強盗同然にイラク軍を排除してサフワンを抑えた。
前線将兵が、疲労困憊してぶっ倒れているところに、シレッとパゴニス隷下が現れ、
停戦会談会場を手際よくセットし、シュワルツコフ司令官から称賛された。
これを聞いたフランクスが「おのれ!茶坊主め!」と呻いたとか
呻めかなかったとかの事件を「サフワン茶坊主事件(仮称)」と称す。 まぁパゴニスはウエストポイントじゃないんでいろいろ気を使わないといかんのですよ(謎
本当は戦闘部隊の指揮官になりたいけどなれなかったとかね。 >>>987
まぁロンメルはそそっかしいところがあるというのはわかる。
命令の出し忘れとかもあるだろう(アフリカでは実際にあったようだ
しかしそそっかしい人間だから師団長に向かないというならまぁそうだろう。
そもそもそそっかしいのは軍人としてどうか、と言われればそそっかしい人間じゃないほうがいいとは言えるだろう。 「生存ナチス将軍の戦没者責任擦り付けの法則」により、バイエルラインの証言は要注意。
特にパウル・カレル関連は脚色が酷い。
他もブルーンメントリットも要注意。
こいつらの中傷で、ロンメル、モーデルの評価が下げで、ルントシュテットが上げ。
実態は、かなり逆。 このスレッドは1000を超えました。
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