【6.5mm】日本軍歩兵火器総合 5挺目【7.7mm】
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他の小火器関連のスレでよく1945年以前の国産小火器の話になるので需要があればと思って立ててみました
口径20mm以上の火砲についての話題はこちらで
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
1945年以降の国産小火器の話題については基本的にこちらで
【89式】戦後国産小火器総合 30【64式】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1517908492/
村田銃から四式自動小銃まで幅広く語りましょう
※前スレ
【6.5mm】日本軍歩兵火器総合四式自動小銃【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1511894968/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>162
諸般の事情がキツい日本にはそれらはトレードにも等しく、逆に第一線歩兵小隊は中隊本部・砲との連携を密にする事で全分隊が本来の歩兵戦闘(上手く例えが見つからん)に専念できたって事でもあるだろ?、という事や
その場合棍棒にもならん擲弾筒手を三人抱えた上に軽機関銃の支援も無い分隊が一つ増える様なものよりはね
小隊火器コンセプト自体は間違いではないのだが、2インチ迫や5cm軽迫は小隊に一門だったし、中隊としての訓練度の高さや中隊砲の存在も重要で、重擲の類に極端に注力するべきものだったのかと疑問なわけ
まあ日本に小隊直轄の火砲セクションとして独立させて第四分隊をその任から解放するだけの力があれば別だけど、そうでないなら軽機分隊×4で構成して
重擲より射程・制圧力・精度に優れた中隊火器を配備して中隊の段列・行李で運用される本職の軽迫撃砲に任せるのが無難では、と思う
少なくとも開戦前はこちらが主流(?)に見えるが 赤本によると突撃前の制圧は三門斉射だそうだから、この瞬間は軽機も重機も敵わないレベルの制圧力なんだろうな
でも擲弾筒の通常時の運用による利点がよくわからない…
一応敵軽機の制圧とかもやるみたいだけど、図例だと擲弾筒は三百米くらいから射撃だけど軽機は六百米くらいから射撃だから射程は微妙な感じ? >>165
「開戦前の理想」的な強化編成だと中隊重火器として重機と自動砲が組み込まれるが
擲弾筒分隊の門数も3門から4門に強化されるのである(なお軽機数は変わらない)
軽機と同数の擲弾筒ってのは多いのではなく、これでも妥協した数なんだよ、もっと欲しいんだ
しょせんはダロ感射撃になる中隊軽迫に射程距離も精度もあまり期待できんし
中隊援護の射程と精度は自動砲や重機にまかせ
小隊は擲弾筒で近迫瞬間火力というのは歩兵運動としては真っ当な組み立てではないかな >>166
歩兵操典では
陣地前の死角は擲弾筒等をして消滅せしめ、且つ一部を以って所命の如く側防の処置を講ず
映画プライベート・ライアンの上陸時とかでも、機銃に射すくめられた兵が遮蔽物に溜まってたでしょ
ああいうとこに臨機にすばやくボンと放り込む運用が理想なんだろうね 十年式の教練ガリ版マニュアルだと擲弾筒の主要任務は突撃の援助又は敵の突撃の防止って有るから、操典のまんまだなぁ(というか操典がややこしい言い回し) 擲弾筒って、射程も威力もライフルグレネードと大差無いような……大戦中はまだ存在しなかっただけで。 一〇〇式擲弾器が発射するのは九九式手榴弾
二式擲弾器が発射するのは対戦車擲弾 擲弾筒が多いのは、結局軽機より安いからという理由であって、そのどうしようもないのを
現場の運用でどうにかしろといういつもの日本であって、しかもその擲弾筒すらない分隊が
ノモンハンの時点でごろごろあって、太平洋戦争ともなればさらに増えると >>175
君よくそのノモンハンの時点ですら〜、って書き込みするけど軽機の充足の時系列においてなんでノモンハンなんだい?ノモンハンではなく1939年ではダメなの?
それとも君がたまたま掴んでいたのがノモンハンだったと言う事? >>176
なにかお前の気にさわったか?まあお前がなぜノモンハンではだめで1939年にしたいのか
俺には理解出来ないし、する気もない。いやならノモンハンをNGにいれとけ >>176 >>175じゃないが、昭和日本軍が長いこと想定して来た最大の仮想敵との初の本格戦闘なんだから、日本陸軍内部から見た指標としては妥当だと思うよ。 なんかしつこく軽機関銃と比較したがる方が居るが
軽機関銃と比較・代用する武器は狙撃銃や重機関銃であって
擲弾筒と比較・代用するのは手榴弾や迫撃砲で
更に重擲弾筒は10年式擲弾筒の後継なので10年式も充足度みないといかんし
ノモンハンは精鋭7師から満洲国軍警備隊まで各種の部隊があるから
充足率がどうのとか言われても、何を基準としての話なのかでも変わるよね 二号軍備が完成時期を繰り下げた三号軍備へ修正を余儀なくされてる時点で部隊拡充に追いついてない >>177
気に障ったんじゃなくて同一の書き込みをよく見るから、ノモンハンに拘りでもあるのかな、と思って 本当に純粋に興味があるだけなんだが、ノモンハンノモンハンと連呼するほど各部隊の充足率を掴んでるって事なのか
あれって戦闘に本格的には参加しなかったってだけで第1師団とか多数の師団も出動してるし
以前その件で聞きそびれた事を聞きたいんだよね
そのノモンハンの充足率とやらを教えて下さい ノモンハンに出動した23師団に属する歩64、歩71、歩72の歩兵小隊は、4個分隊からなり
軽機2、擲弾筒1、どっちもない小銃1になってる。、軽機関銃分隊3個、擲弾筒分隊1個が
本来の定数だが、無理なんで軽機2擲弾筒2を目指したがそれすらこの時点でできてない
戦闘詳報にも鹵獲した兵器で損耗を補ってるとある。公文書なんだけどチエツコと書いてある
から外国製鹵獲軽機の総称がチエツコなんだな >>183
それすらというのが分からん
擲弾筒三門で軽機一丁と値段も同じ
擲弾筒三門が軽機一丁の代替でもなく等価でもない(当然の事だが)
むしろ補給上は軽機一丁より擲弾筒三門配備の方が負担重いんであって、一個小隊に擲弾筒六門なんて聞いた事が無いし変な事を貧乏性の陸軍に求めてもなぁ >>184
実際太平洋戦争においては擲弾筒2軽機2の小隊が編成されてるぞ。聞いたことがないとか
変なことでもないな。後半になると小銃分隊だらけになってゆくのだが >>7
米軍がまともな軽機採用してればまた違ったのに
ジョンソンだっけ海兵隊の
あれでいいじゃん >>184
値段がどうであっても、生産能力の限界がネックだったのかもしれんし >>185
どの部隊でやってるのか教えてくれると助かる 軽機や分隊支援火器は敵兵の頭を下げさせ突撃する味方への射撃を妨害するため、擲弾筒は敵の支援火器などを破壊するため、用途が違うのでは >>189
そもそも小隊長が直接指示するのが擲弾筒なんで
分隊長が目標を選ぶ軽機関銃とは指揮運用からして違うんだよね
軽機2+擲弾2だと半小隊単位とかでは便利そうだから戦術や運動も違うかもな アジ歴C13010571000
ノモンハン事件の経験に基づく教訓(安井部隊参謀部)
・陣前撃滅戦を主眼とする我軍に於いては手榴弾就中擲弾筒は唯一の火器なり、8月20以後の戦闘に於いて擲弾筒の威力大なるを認む
・夜間決死の斥候を以て敵の機関銃、銃眼、並びに戦車、砲兵、集積地を強襲せしむる為擲弾筒を使用するを可とす
・擲弾筒は何れの場合に於いても有利に使用せられあり、特に徒歩斥候の捜索に於いて夜間敵集積地擾乱に用いて効果あり
これを見る限り擲弾筒分隊の増加も、陣地戦や浸透戦への対応という面で見たほうが良いかもな >>185
いや擲弾筒×6なんて聞いた事が無いし存在したというなら是非実例を示して貰いたい もしかして書類上にて重擲分隊×2で実態は一個分隊あたり1〜2門に減らされているのがあったとして、それを勘違いしているのではないかな
それなら軽機×2分隊+重擲×1分隊+小銃×1分隊の編成が重擲を小銃分隊とで小隊内でやりくりしただけで実質的な小隊戦力は「擲弾筒×2分隊にしようとしまいと」大差ないのだが
充足割れの擲弾筒×2分隊という事? あとノモンハンの軽機事情は開戦前は20万強そこらだった陸軍が、支那事変で百万以上だったかにまで膨れ上がった直後だったというのも関連してるかと
その当時の日本軍の軽機は十一年式で量産性は劣るし(先行してる分量産効果で九六式よりは安いが)
そしてノモンハンの時点はまだマシでそれ以降どんどん悪化していく様にも受け取れたが、
・国軍で最多生産をはかる九九式の生産はまだ始まっていない(41年開始)
・九六式も生産立ち上がり直後(38年開始)
・主力の十一年式軽機ですら29000丁全ての生産は完了していない(41年生産終了)
これらの事からも質もそうだが軽機の配備に関しては最も弱体だった時期が、まさに支那事変で大膨張した直後の陸軍のそれだったのではないだろうか?と聞きたい
実際に日本軍の軽機製造実績の大半は38年以降に集中しているんだし
海没した為に小銃分隊になるのは当然の事として、ハナから不足する軽機の為に重擲が充てられるのが常態化とは考えにくいのよねぇ
それは重擲の比率が上がってこそのものだが、重擲の生産数:軽機の生産数からも理想定数以上には増やせない
するならば重擲分隊を割るだけ 九六式が十一年式より二倍近く高いのってスコープの値段が入ってるからじゃないん? ドイツ軍もだが、兵器生産のピークは44年くらい
むしろ時代を遡るほど弱くなっていく
ドイツのMG42は44年だけで21万丁作られたというのだから尤もである
基本的に、国家単位のおおごとであれば本腰に入るまで4-5年はかかるのだよ…
むしろ対中開戦時の吹けば飛ぶような日本軍に重火砲や航空兵力において劣勢の中国軍が負けてくれた様なものだろ >>192
独立歩兵第92大隊の編成が軽機関銃分隊2と、同じく重擲弾筒分隊2とのことだ >>197
ケチ付ける気はないが編成表を見ないことには何とも。
重擲分隊を割っただけのなんちゃって二個分隊ならそれは小銃×1分隊+軽機×2分隊+重擲×1分隊と大差ない
仮に完全充足でもこっちの方が軽機一丁より負担なのであって、むしろ考えあっての事である(=代替品どころかより重擲思考の編成)
これが小銃分隊となってくると言い訳出来ないが、こちらは支那事変開戦期〜拡張期の方が多いだろうし
というのも旧来は小銃分隊が本来の理想編成にも組み込まれていた。だからその時期には定数も少ないんだからあんまり生産しなくていいからな
そこに小銃分隊に軽機なんかを配備しろとなると足らなくなるので、軽機の充足に関しては一番ノモンハンごろが怪しいだろうな
九九式と九六式だけで十万弱使ってるが、それの生産の多くがまだなされていない 後方警備用の独歩だと装備が違っても不思議じゃないしなあ むしろ常設師団の連隊張り合わせた第23師団ですら不足してたノモンハン期のおともだちをようやく警備師団や海没部隊に見い出さなくてはならんほど軽機の生産が進んだって事やね
日本の軽機の生産や配備を語るのに九九式と九六式は抜きにして語れんて
ノモンハン以降の事は輸送船の沈没状況や各年の工廠の生産数に聞くしかない 九二式重機関銃の年度別生産数が知りたい
45000丁のうち相当が対米開戦後なら、日中戦争の陸軍膨張期に
「重機不足」のような事態はなかったのだろうか >>201
戦鳥より
小倉造兵廠の記録
1939 4000丁
1940 4000丁
1941 5000丁 日立によると
日立兵器水戸工場の19年度下期実績(月産)
99式軽機関銃:1950
92式重機関銃:268
高射機関砲:53
20ミリ航空機関砲:584
この時期が水戸工場のピークだったらしい 日立は軽機関銃を大量に作ってた一方で、重機はそんなに作ってないな
民間の重機の製造はやっぱり重機を作るために作られた東京重機工業だろう
今でもJUKIの名前で世界一のミシンメーカーとして知れ渡ってる C14010838200
銃器設備能力概見表
現有(17年3月)/到達能力(18年3月)
銃剣:77000/77000
軍刀:3900/4500
小銃:官78100/81500
94式拳銃:1000/1000
14年式拳銃:4500/5000
軽機:1600/1610
重機:540/740
車載:220/300
高射機関砲:47/87
自動砲:12/15
89固定:270/294
2式固定:0/0(目標60
98旋:80/170
テ4旋:250/250
テ3旋:50/50
103固:100/470
20ミリ:59/70(目標+500
37ミリ:0/0(目標20
目標は18年3月以降に到達するつもりの数値 >>205の表にはそれぞれ製造会社や工場も記されてる
重機は悲しいけど日立と奉天しかない(東京重機は小銃のとこにある
あと鳥居松の数値から見て月産の数値だと思う
つまりは17年3月の予定というか見込みだと
重機関銃500〜700、軽機1600、小銃8万ぐらいを考えてたと
小銃:軽機が50:1で、軽機重機が3:1ぐらい
追記(小銃の官は官民合算て書いて長いから消したのミスった) そういえばビルマだかの戦記で、狙撃銃が一丁支給されたがスコープが邪魔で外して捨てたなんてどこかで見たが
この兵士が狙撃兵の何たるかを理解していないだけなのか本当にスコープが救いようのない産廃なのかどちらなんだろう
前前スレの方々ではこの戦記だけを根拠にしてスコープには否定的な見方が大勢だけど
>>78にある実戦部隊の評価では九六式軽機のスコープは1キロ先までいけるなんてかなり好評を得ているが、実際のところどうなんだろう いや、前前スレのやり取りを見るとスコープの取り付け位置に問題がある様に受け取れる
九六式のはプリズム偏光器で屈折させて真ん中に配置してるけど、狙撃銃は大きく左にオフセットされてるから頬付けじゃないかって意見か
スコープ自体が使えたもんではないというより、銃側の設計の欠陥なのか? ボルトアクションだと真上から装弾する関係でスコープがオフセット装着
Kar98kだと同じようにオフセット、真上に付いてクリップを使わず一発ずつ装填、小型のスコープが前寄りに付く三種類あるね 生まれながらにして右撃ち・左撃ちの両方のスイッチングに対応できる、存在そのものがアンビのボルトアクションであるが、この際右撃ちに限定して、左目で狙うという事なのか?
その場合、射手の左右の目が遠すぎたり、顔の骨格が大きい人とかは、左目がスコープに収まらない事になるが
それとも、前々スレの方々が言うように、右目で照準するから、やはり頬付けが困難になるのか? 左目照準なんて曲芸初めて聞いたわw
スゲエ想像力w かなり無理のある構えだが、顔が傾くよりは顔を横に向けた方がマシか?(顔が傾くと、銃も自然と傾いてしまう傾向にある)
これなら頬付けも出来るし >>207
>スコープには否定的な見方が大勢だけど
ちゃんと読んだ?別にそんな流れじゃなかったけどなあ当時のスレの流れは >>214
ウーン、見た感じだと少なくとも狙撃銃はやっぱり使えねー、って感じに見えたが
実際、M1Dとかにあるようなチークパッドが無いとあるし。
一部では「この当該兵士が専門外だろう」とか「この部隊が本来日本軍にあるまじき規律の悪さ」だとかというフォローもあるけど、やっぱり設計がまずいという意見が散見されるし、そもそもここまでいうほどの欠陥なら慣れる慣れないとかの次元じゃない気がする 右撃ち・左目照準は、利き目を安易に直せるものではないと分かったので、ピントが合わなければ不可能だろう(曲芸と言われたのは構えの不自然さではなくその事か?)
となると右目照準では頬付けが困難な事になり、まぁ「捨てられても仕方ないもんだったんだろう」な流れになるんでは
果たして狙撃銃はまともに使えるものだったのか?聞きたい 歩兵操典みりゃわかるが、日本軍は頬をつけろとしてないので
頬付けはそもそも考えてないんじゃね だから実際の運用例が殆どないんだっつうに何でも知りたがるアホはしゃあないなw
まあ無可動でも実物かトイガンでも触ってみればこりゃ使えねえって匙を投げるレベル
左目照準とかも洒落で試してみたことあるけど少なくとも俺には無理だった
調整が全然できない照準眼鏡で焦点距離の調整なんてできっこないじゃん
チークパッドでとりあえず補正してみても、オフセットが大きすぎて今度は肩付けがおかしくなるんだな
6.5の97式ならまだいいが、7.7の99式だとたまらんじゃろ その使えねえ狙撃銃で活躍した狙撃手が何人もいるんだがそのへんはどうなのさ >>218
>>だから実際の運用例が殆どないんだっつうに
空恐ろしい事に、三八式改造と九九式と九七式とで合計三万丁以上作られてしまった(選び出された)というのだよ そういえば左翼家・作家の五味川も狙撃兵だったらしいな
クソ銃を大真面目に作る上に愛想尽かしたのが思想のきっかけだったりして…w
まぁともかく平時の数個師団に匹敵する数が生産された以上、運用例が無いというのは考えにくいのだが、実際の使用者・部隊からの所見はどの様な感じなんだろう >>220
ガダルカナルとか沖縄とかフィリピンとか
部隊名まで出せといわれたら3日は探し物しないとわからんが てか気になって調べてみたら、ウィキペディアの狙撃兵の記事にスターリングラードでのドイツ軍狙撃兵の写真があったけど、スコープ真ん中でも頬付けしてねぇじゃんかよ(位置が高い)
頬付け頬付け言ってるのは本当に大事なのか?
肩付けと何かしらの委託に比べて必要度はかなり低いんでない?
あの時会話に参加してた方々、特に聴きたい 擲弾筒で大騒ぎした次はこれかよ、と思ったらそうか春休みなんだな…
>>224
知りたい聴きたいじゃなくてちったあてめえで調べろ ガダルカナル撤退戦で捨て駒にされた狙撃兵が活躍した話は見たな
陽動上陸やら撤退偽装やら成功した作戦だけに珍しく頭使ってたなと関心した 米軍記録にある日本陸軍の狙撃兵とされるものは、実際はスコープ付きではない銃を使う、今で言うマークスマン相当の「狙撃手」だったりする >>225
こんなニッチな話題だから、そう簡単に見つからないと承知でも調べてから聞いてるんだが…
せっかく絡んで来たんだし、スコープ頬付けは独軍でもどうしていたか知っているのかね
>>226
ペリリューでも憲兵隊長がヘッドショットで戦死、沖縄ではどっかの副師団長で、バックナーはデマだったけな
意外と活躍してるがアイアンサイトによるものかどうかは流石に記録されまいね
玉砕してるし 本当に狙撃銃の眼鏡オフセットがだめだったら
制式化審査の時に歩兵学校あたりから「駄目です」て言われるよね
なお97式狙撃銃の審査では、脚でもありゃオケという判定だったりする
つまりは何かに依託して撃てるなら
別に頬付けに拘らないというのが当時の日本陸軍の撃ち方だったというこったな 前々からこういう話の時に気になってたんだけど、なんで頰をつけられない前提が多いんだ?
当時の写真の通りに構えたら、案外しっかり頭固定出来るしはっきり照準眼鏡も見えるぞ >>229
それな
それにアジ歴で開発経緯まで詳述してくれてる「仮制式制定ノ件」が簡単に読めるのに これほど意見が左右真っ二つに割れるのも珍しい
全く正反対の論が常に出るのだから
まぁそれだけ現代人の体格差は大きいという事だろう
恐らく>>218が佐々木希ばりの超小顔で>>230が松井並みの巨顔なのかもしれない タナカ製の金属モデルガン九七式狙撃銃や無可動三八式で試してたみたけど頬付けせんでも別に…って思った
ましてや狙撃銃は覗くだけで精密射撃が出来る狙撃眼鏡があるんだから、照星門でどうしても大まかな照準になる素の小銃より頬付けは別に…
そりゃもちろん実際にそれで射撃云々戦場で云々だと違ってくるんだから単なるマニアの思ったことになるけどね 九六式軽機が十一年式と比べて二倍近く高くなってるのって、
予備銃身や弾倉やスコープなんかの付属品が増えたからって認識でオッケー? 量産効果
当初は九六式同様に十一年式も小銃の十倍近かった 前スレで九六式軽機後期型は銃身留めが九九式と同様の鎖栓式になったとか書いてあるけど
現存する九六式軽機後期型の写真って今まで見たことないけどあるの? >>241
後期型はマックさかいが撃ってただろうが 村田銃はコックオンオープニングなのに三十年式でコックオンクロージングになった点は改悪なの?
外人の動画を見てもコックオンクロージングがどうとか言ってるし
でもエンフィールドはコックオンクロージングだよね? kar98kやモーゼルm1924みたいなモーゼルアクションに比べてボルト操作のスムーズさに欠けると言われるけど、じゃあなぜ頑なにコックオンクロージングに拘ったか不明なんだよね
コックオンオープニングつってもボルト起こす時に斜面使ってバネ圧縮するだけだから量産性には特に影響なさそうだし 頑なってか別に問題も不満もなかったからいじらなかっただけだろ
有坂ライフルの系統は三八式で事実上別物と言っていいぐらい機関部は変更が加えられてるが、
それでもそこは手を付けられてない
あれはコックオンオープニングに慣れた現代人だけ感じる不満
ボルトを押し込んだときにバネの圧力で最後の段階でかなり強い抵抗があるから犬のうんこ踏んだような不快感があるのは確かだが、
銃の操作ってそんなもの、と割り切ってればそれだけのこと まず日本軍と他国のボルトハンドルの操作の違いについて知る必要がある
日本は掌底でカチあげてそのまま引き、そして掌底で押し込む
他国は順手で操作、こっちの方が早いしターンボルト式に向いている。
日本のやり方だと押し込むときに何倍も力が入るから前後動でコッキングの反発も関係ないくらい
ジャッキがそうであるように、コックオンオープニングだとハンドルの偶力で簡単にコックできるからストレスはないが、少しでも薬室の開放のスムーズさをとったのかも 「んな馬鹿なw」と思ったら、海外はみんなボルトハンドルの玉を指先で包むように操作するんだな…
手のひらでグワし!は人気無いのかな? 村田銃がコックオン・オープニングで有坂銃がコックオン・クロージングになったのは開発のときに参考にした小銃がそうだったからというだけでは
村田銃は参考にしたグラース銃がコックオン・オープニングだった
三十年式歩兵銃は参考にしたスウェディッシュ・マウザーがコックオン・クロージングだった
現場の兵士や軍から特に問題にされなかったから三八式歩兵銃以降もコックオン・クロージングのままで行っただけだと思う 九九式小銃は98年以降のモーゼルに範を取ってコックオンオープニング、そしてKar98Kやエンフィールド、M1903の様にターンボルト式にしたらよかったのに
ターンボルト式の利点ってスコープと干渉しない事だと思ってたけど、普通に考えたらボルトをそこまで高く上げなくていいので億劫なボルト操作が少し短縮できるな そりゃ有坂銃の系譜は途絶えて今残ってるのはM98アクションに影響をうけたものだからコッキングの軽さはそうだが、内部機構はともかくボルトハンドルの外形はストレートハンドルでいいと思うぞ
vz.24や中正式とかもストレートハンドルだからこっちの利点はある
そこまで速射しないのであれば前後操作のときに左右モーメントがかからないし閉鎖の解除が楽なストレートの方がいいときもある
ソ連軍もストレートやな
あとエンフィールドがコックオンクロージングでも速射に強いのは、リアロッキングでボルトのストロークを短縮したのと、
ボルト開放が楽なので60度の閉鎖角で済んだのも大きいよ。
もちろん、ボルトハンドル握ったまま中指でトリガー引ける位置に配置したのが最大の要因ではあるが
要はやりようだよ 自前の知見が少なく大した考えも無しにやってるから細かい箇所で見るとどうでもいいところまでコピーしてしまうんだよな
そのくせに一度右倣えしたらなかなか変えない
いちいち小さいところまで気が回らないのかも
重機関銃だって保弾板のままだしライフリングはメトフォード式とかいう古いのだし
保弾板も良いところはあるけど導入したきっかけは偶々、保式機関砲が保弾板だったから踏襲しただけで、最初は何か考えがあってやったわけじゃなさそう
同じインスパイア小銃でも、良いところどりをした結果なのか単にマネしただけなのかで中身も変わってくると思う
村田銃でコックオンオープニングの操作性の良さは知ってるんだから、それを取り入れていれば… 村田銃のコックオンが有利ってほどでもないクソだったんじゃねえの? ウィキペのグラース銃や>>253によるとコックオンオープニングの方が操作性良いんじゃないの?
テコの原理使えるから
んでコッキングなんて大別してこれかクロージングしかないんだしあんまり大差ないんじゃね メトフォードライフリングはクロムメッキなしの三八式でも実用上問題ない命数だし、
わざわざエンフィールド式にするメリットはなかったんでしょ
清掃とかはどう考えても三八式の4条メトフォード式の方がやりやすいんだし いやライフリングや保弾板とかの、ちょっと古い形式のもちゃんと分かっててやってるなら構わんのだけどさ
「取り敢えずマネしとけ」がきっかけでやってて、その後も特に検討もせず放置された結果だったんならアレでしょって事
別に個々について詳しく批判しようとか語ろうという意図は無いんだけど、ちょこまかしたところの変更が先進国と違ってされてないのは、考えあってのものじゃなくねっていう
俺が言い出したコックオンクロージングは、多分特に考えてない部類に入るんじゃないかなと思って
日本軍に「コックオンクロージングの方がいい」っていうしっかりした持論があったってのはちょっと考えにくいのよね(コックオンオープニング自体、コックオンクロージングに対する改良として生まれたものだから) 特別不便でないから変えなかった、それだけだろう
体を装備に合わせろといわれた時代だぞ >体を装備に合わせろ
だいたいこれで説明できる気が >>258
ただの腐したいだけの言いがかりだな
問題のないものわざわざ変更するとかないわ >>261
似たようなボルトアクション小銃が二丁あって、アリサカの場合だと見捨てられる方、といった程度でしかない
少なくとも比較に挙げられたらウケは良くないしコックオンクロージングで構わんとかいうのも単に比較対象が無かったから
使えないレベルじゃないけど当時のキングオブボルトアクションから見れば見劣りする完成度が残念だなって話よ
コックオンクロージングしかりボルトハンドル形状しかり、「>体を装備に合わせろ」「特別不便でないから変えなかった」の結果だからね
「使えなくはない銃」ではあっても、「後世でも世界的評価を得られる銃」とはいかない
当時問題なかったかどうかよりも現代人は良くないわけよ
当時こんな銃作ってたんだぜと言えないのがマニアとして残念(実際YouTubeとか見てるとあっちのガンオタじゃそんなやつばっかり)
簡単に言えば、「M1903やKar98K以下の作りなのヤダヤダ」状態
イギリス人がこよなく愛するエンフィールドよりも下に見られる場合も多いし
実際、米英独は自国製のライフルで胸張って「これかいちばんだ!」できるのが羨ましい。それだけ。エンフィールドの為だけのドキュメンタリーとかあるぐらいだしリー・アーメイの動画やもアメリカワッショイだしそんなもんだろ。
しかし中国軍の方がいい小銃使ってるって事だもんな
参考 >>19 ちなみに中国のガンオタも中正式やZB26でホルホルしてんだよな、あー俺もしたかったなーというのが根底にあるんだが
せめて九九式小銃でコックオンオープニングになっててターンボルトに改良してれば、それだけで、比較されても十分に通用してたのに
俺は単に比較した場合に欠点が気になるだけ
そらアリサカしか知らん大概の兵士にとっちゃ知ったこっちゃない話なのは分かってる
「こうしてれば」はオタクのサガなのかも 現代のボルトアクション見てるとカチャ、チャキっと軽くて良い音であまり力をかけずに軽い動作でボルト操作出来てて羨ましいなと思う
Kar98Kとかも70年以上も前なのに未だに滑らかで流れる様なスムーズなのが多いし
これが三八式とかだとかなり力入れて勢いよくガチャンとやらないといけない
まあここはボルトまわりの工作精度とかも絡んでくるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています