ゼロ戦がヨーロッパで戦ってたとしたら★4
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>>724 あらゆる原因で70機しか損失しなかったモスキートが、夜間爆撃の護衛や自らも夜間爆撃の片手間で撃墜したナチ機が258機 単純な空戦のキルレシオなら1:10を超えていたことだろう 英米軍のあらゆる機体に無双されるナチ戦闘機 http://www.nachtjagd.org/history/1944/1944_08.shtml 1944年から1945年の間に第100集団のモスキートは70機の損失と引き替えに258機のドイツ空軍機を撃墜しました。 次第に増大する損害から、いつ第100集団のモスキートに襲われるかもしれないと不安になるパイロット達の様子を、 地上の作業員達は『Moskito Panik』と名付けました。 レーダー技術で大差があるからな 後方警戒レーダーまで開発しなければならなかったドイツ 一方日本ではヒロポンと日中のサングラス着用で夜間視力を鍛えていた >>727 日本軍がうなぎで夜間視力を上げていたころ、ナチは覚せい剤で視力をあげようとしていた でもシャブ中を量産しただけだった(笑) 「昭和18年頃だったと思う。ドイツ空軍がヒロポン入りのチョコレートを航空勤務者用として製造して飛行士に食べさせ、 効果がおおいにあがっているという報告が飛び込んで来た。 川島大佐は、鬼の首でもとったような顔をして私のところへこの情報をもってきて、 『おい、岩垂、直ぐにつくって、航空糧食として補給したい』と命令していったのを覚えている。 このころ、ドイツではペルビチンを様々な形で軍需用に使用しており、航空兵士用にチョコレートに混ぜて支給した https://33765910.at.webry.info/201104/article_11.html >>727 日本軍が栄養満点のうなぎを兵士にご馳走していたころ ナチは凍死寸前の兵士を覚せい剤でごまかしてこき使っていた(笑) 1942年1月には東部戦線に駐留した500人のドイツ兵が赤軍の包囲から脱出しようとした。 気温はマイナス30度。部隊に割り当てられた軍医は真夜中に「より多くの兵士が、もう雪の上で横になり倒れ始めるほど疲れていた」ことを報告書で書いている。 「部隊の指揮官は部隊にペルビチンを与えることにしました!…半時間後、彼ら(兵士)は再び整然と行進し始めました! 彼らが自身の体調について『より良い』と感じていることを報告し、彼らはより良い警戒状態に移行できたのです!」 http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2016/10/14/163902 >>727 人がいい日本軍はナチから覚醒剤が夜間視力向上に役立つと嘘を信じ混まされて、シャブを売り付けられてしまった もうひとつ『重い飛行機雲』という作品には、夜間戦闘機の搭乗員が、ヒロポンを用いた夜間視力改善効果の試験として、軍医から「暗視ホルモン」としてヒロポン注射を受けたというエピソードがあります。 大戦末期の1945(昭和20)年春ころ、横須賀海軍航空隊に所属していた黒鳥少尉は、ある日軍医長に呼ばれ、「夜よく目がみえるようになる、ドイツから輸入の暗視ホルモンをうってあげるから」と最初の注射を受けました。 【重い飛行機雲】著者:渡辺洋二 >>727 ナチは頭目のヒトラーが重度のシャブ中だったので国をあげて覚醒剤を推奨していた。 オーラー氏によれば、1941年以降、ヒトラーは奇行が目立つようになった。 演説にも麻薬の影響が明らかに出始めた。 ヒトラーは1349日の間に800回以上メタンフェタミン、ステロイドその他薬物の注射をうち、1100錠以上の錠剤を飲んだ。 ヒトラーがメタンフェタミンを常用していたことは昨年英国の学者らによって発見されている。 第二次世界大戦中に米国軍事諜報班によって集められた書類によれば、兵士もメタンフェタミンを使用していたし、ヒトラー自身も愛用していたという。 https://jp-sputniknews-com.cdn.ampproject.org/v/s/jp.sputniknews.com/amp/life/20150911884675/?usqp=mq331AQCCAE%3D& ;amp_js_v=0.1#referrer >>731 覚醒剤を作り出したのは日本人だぞ? しらんの? >>733 覚醒剤がメタンフェタミンだけと思ってるのか? ナチヲタファシスト 覚醒剤先進国で自ら覚醒剤を愛用していたマインフューラーに失礼すぎるだろ モンデールさんて何時の人か? なんか懐かしいなあw ヒロポン いわゆる塩酸メタンフェタミンは日本が世界に誇るメイドインジャパンのシャブ 世界中にシャブをばらまいたジャップランド だつおによるヒロポンのドイツ起源の野望を粉砕したのは良心的勢力として軍板に記憶されるだろうな >>734 そりゃちがうけどさ。 でも、メタファミンが一番有名じゃん。 >>737 害を知って取締してる日本と、 ばらまいてるチョン どうして差がついたのか…慢心、環境の違い >>710 >針一つ盗まず、希望をもって畑を耕すことの大切さを説いて人民の心を掴んだ共産党が中華となった んで中共はサンフランシスコ講和会議に出席できたかね? 中共は台湾を領有出来たかね? 中共は日本から戦争賠償を得られたのかね? 中共は日本よりも先に国連加盟できたかね? 日本帝国主義に抵抗しこれを打破する戦争で、最も長期間悪戦苦闘をつづけるうちに、中国人民は最大の犠牲をはらい、 また最大の貢献をしてきた。したがって、中国人民と彼等がうちたてた中華人民共和国中央人民政府は、 対日平和条約の問題において最も合法的権利をもつ発言者であり、また参加者である。ところが、 平和条約アメリカ、イギリス草案は、戦争中日本にあった連合国及びその国民の財産と権益の処理に 関する条項で、適用期間を規定して一九四一年十二月七日から一九四五年九月二日までとし、 かつ一九四一年十二月七日以前における中国人民が自力で抗日戦争を行っていた期間を完全に無視しているのである。 中華人民共和国を除外し中国人民を敵視するこういったアメリカ、イギリス両国政府におけるごうまんな 不法措置は、中国人民の決して許さないところであり、断乎反対するところでである。 [文書名] 対日講和問題に関する周恩来中国外相の声明 http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19510815.O1J.html ↑ 中共は憤懣やるかたなしだったぞw >>727 >レーダー技術で大差があるからな >後方警戒レーダーまで開発しなければならなかったドイツ ならもしもドイツ軍が大陸打通作戦を発動するとしたら、100万人の高射砲部隊が、 ウルツブルグレーダーと88ミリ砲を担いで南北縦貫3000キロを行進するんだってか? 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、 戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。 師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。 <中略> ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした 典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ 機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、 日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、 四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る どころか優れた成果を上げているといえる。 <「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春> あるいはアインザッツグルッペンとアウシュビッツとゲシュタポの三点セットで中国人を絶滅させたか? >>725 >サン・トロンの幽霊と連合軍から恐れられたシュナウファーの部隊に回されなかったのが悔やまれる 彼の乗機は メッサーシュミット Bf110のみなんだが? 撃墜数121機はすべて夜戦でのものであり、これは夜戦における史上最多記録である。 連合国軍兵士のあいだでは「サン・トロンの幽霊(The Night Ghost of St. Trond)」と渾名された (サン・トロンはシュナウファーが指揮官を務めた第1夜間戦闘航空団第4飛行隊の基地飛行場があった場所である)。 乗機は夜戦仕様のメッサーシュミット Bf110で、大戦を通じてこの機種のみを用いた。 >>741 包囲しておわり 機動打撃軍の編成があるから >>724 >夜戦だから英軍相手の戦闘 >ハリファックス、ランカスターは損害甚大で護衛にモスキートをつけることになる ソ連の勇者姫、カッチョええ!!! 夜の魔女はどんな人たちだったのか Po-2の乗員はパイロットと航空士から構成されていたが、航空士は主に女子大生だった。 ポリーナ・ゲルマンはモスクワ大学歴史学部、イリーナ・ラコボリスカヤはモスクワ大学物理学部、 ライサ・アロノワはモスクワ航空大学で学んでいた。3人は講義を行い、雑誌を発行し、 また誌を書くなどして、特別な空気を連隊に吹き込んだ。 第46親衛夜間爆撃航空連隊の隊長はエヴドキヤ・ベルシャンスカヤ。女性唯一のスヴォロフ 将軍勲章の所有者だった。ベルシャンスカヤ隊長の連隊は終戦まで戦い抜いた。戦争中、 第46親衛タマン赤旗勲章・スヴォロフ勲章航空連隊の隊員は、約2万4000回出撃した。 隊員は戦勝の日をベルリン近郊で迎え、この幸せな日まで生き延びることのできなかった 仲間のことを考えた。母国のために英雄的な死をとげた33人の女子たち...9人の隊員はソ連の英雄になった。 上空にあらわれるナイトウィッチ https://jp.rbth.com/society/2015/05/08/52833 >>743 >包囲しておわり >機動打撃軍の編成があるから もしそれで済むなら、わざわざこんなものを用意周到に計画しておく必要なかったろうなw ↓ 1945年1月27日、ヴィスワ・オーデル攻勢にて、I.S.コーネフ元帥の第1ウクライナ戦線第59軍および第60軍、 I.E.ペトロフ上級大将の第4ウクライナ戦線第38軍は、アウシュヴィッツ地域を解放した。戦争で多くの友人や 仲間の死を目の当たりにし、死を見慣れたはずのソ連兵にとっても、アウシュヴィッツは衝撃的であった。 https://jp.rbth.com/society/2015/01/27/51815 >>708 >アメリカもその辺をしっかりみとめているのでモンデール大使が >日中有事に安保は発動しない >と、ウッカリ本当のことを言ってしまった そいつは日本政府の抗議で後送されたんだが? しかし不思議なことに日本のメディアはこれに言及せず、私一人が担当していたコラムに尖閣の紛争に関して アメリカの姿勢がそうしたものなら安保条約の意味はあり得ないと非難し、それがアメリカ議会にも伝わり 当時野党だった共和党の政策スタッフがそれを受け、議員たちも動いてモンデール大使は5日後に更迭されました。 https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/88fbfb5047f80cc371efee197ca89b72 >>708 >アメリカもその辺をしっかりみとめているのでモンデール大使が >日中有事に安保は発動しない >と、ウッカリ本当のことを言ってしまった トランプ大統領は更迭されたか? アメリカのトランプ大統領は17日、FOXテレビのインタビューの中で、 NATO(北大西洋条約機構)に2017年に加盟したモンテネグロについて 「国民は攻撃的だ」と述べ「状況によっては第3次世界大戦 が起きるかもしれない」と指摘した。この発言に対し19日、 モンテネグロ政府が声明を出して反論し、波紋を広げている。NHKニュースが報じた。 「アメリカの兵士がモンテネグロの防衛のために戦う必要はあるのか」という質問にトランプ大統領は 「同じ疑問を持っている。ちっぽけな国だが、国民は強く、攻撃的だ」と言及。そのうえで、 モンテネグロで軍事衝突があった場合、NATOの集団防衛の定めに従ってアメリカ軍が 防衛に参加する事態を念頭に「状況によっては、第3次世界大戦が起きるかもしれない」と述べた。 http://news.livedoor.com/article/detail/15036944/ ミンス党の小浜さんさえ 尖閣事案は加勢すると明言だったしなあw 領有権問題は当事国間で解決してねだしw 嘘というか無知で恥ずかしい売国w >>738 >>737 頭目ヒトラーから下っぱ兵士まで全部シャブ中だったナチがどうしたって? ラリって戦ってたからあんな弱かったゎだよな 覚せい剤中毒 ヘストンはこの謎の注射の中身を調べることにしました。国立公文書記録管理庁に、マイクロフィルムがありました。モレル医師の書いた医療記録です。彼は熟読しました。 しかし真相はわかりませんでした。そのうちに、戦争中にモレルの調合薬を密かに分析していた医師がいることがわかりました。 しかしその報告書は、不利な内容だったことから、ヒトラーの腹心、ハインリヒ・ヒムラーによって破棄されていました。 注射の中身は、メタンフェタミンだったのです。ヒトラーは覚せい剤中毒でした。 第二次世界大戦中、ドイツ軍はアンフェタミンを使用していました。 アンフェタミンとは、ナチスの薬とも呼ばれた覚せい剤です。 これは脳内のドーパミンと、ノルエピネフリンを増やす薬です。 意識は覚醒しますが、同時に攻撃性が高まります。精神障害を引き起こす恐れもあります。 ナチス突撃隊員は先へ進むため、空軍パイロットは眠気を覚ますため、そしてヒトラーは支配力のために、覚せい剤を用いました。 医療記録から、1930年代末に、ヒトラーが錠剤で覚せい剤を摂取し始めたことがわかりました。 http://www10.plala.or.jp/elf_/hakenkreuz/hitler2.html >>737 >>738 ナチのシャブ浸けはEU公式見解だった、ということは現在のドイツも認めてるということ EUの薬物研究機関EMCDDAが2009年に発表したメタンフェタミンに関する報告書です。 『メタンフェタミン―世界の状況のなかでのEUの見解』というこの報告書の最初に、メタンフェタミン問題の歴史的な概観がまとめてあるのですが、そこに次のような記載があります。 「1938年にベルリンに本拠を置くTemmler製薬会社はPervitinという商品名でメタンフェタミンの生産を開始した。 第二次世界大戦の間、戦闘能力を亢進させ集中力を高めるために、ドイツ軍ではPervitinが広く配布され、「パイロットのチョコレート」「パイロットの塩」と呼ばれた。」 [出典] EMCDDA–Europol joint publications Methamphetamine:A European Union perspective in the global context1 >>737 >>738 ナチは軍だけではなく市民も覚醒剤を愛用していた。 つまりナチ第三帝国は全員がシャブ中ないしその予備軍であったと言っても過言ではない。 アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。 麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。 第三帝国ではスポーツ選手、芸術家、軍人、さらには主婦も麻薬を使用していたという。 「メタンフェタミンは特に第二次世界大戦時のナチスドイツで流行していた」とマストロブオニ氏。 麻薬は元気を出し、長時間にわたり多幸感を持続させるための薬として使われていた。 調合を行なったのはフリッツ・ハウシルト医師。この医師は1936年のベルリン五輪で活躍した米国人スポーツマンに対する「ベンゼドリン」の効力に注目した。 しかし薬物には依存性があり、悲惨な結果がもたらされた。メタンフェタミンはすぐに第三帝国で人気となった。 スポーツ選手、歌手、試験期間中の学生らが服用した。メタンフェタミン工場は主婦用に有効成分入りのお菓子まで開発した。 その後遺症で後半のあの老け込みのヒトラー ただ薬物摂取があの惨状に繋がったかは 今でも論争の的に 戦に興奮剤と鎮静剤は付き物!w >>747 本音がでてしまったのはマズイからな トランプは対中強硬派を片っ端から排除 太平洋軍司令官は空軍あがり >>742 素晴らしい戦果だと思わんかね? レーダーで追跡、後部射手は斜めに装備された機関砲で下から安全にランカスターやハリファックスを仕留めていった >>745 日本軍と違って略奪の合間に戦争してる軍隊じゃねえから ウマーニ包囲と同じ、電撃戦、迂回、の連続でおしまい ソ連も迂回を多用したけど突破戦連隊てのを編成していて強硬突破もする 満州に準備された永久築城された要塞陣地群は突破戦連隊に蹂躙される >>754 なんのことだ? ナチ夜間戦闘機のスーパーエース()らは、得意()の夜間戦闘で次々と爆撃機のランカスターにぶち殺されてるのに 54機撃墜のハインリヒ・プリンツ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン少佐が死亡した1944年1月21日にかけてのベルリン爆撃 (正確にはベルリン南西のマクデブルクが爆撃目標)では、第1夜間航空団第I飛行隊(I./NJG 1)の飛行隊長で、 夜間航空団で第3位のスコアを持つマンフレート・モイラー大尉も失われました。 He 219に乗って、マクデブルク上空でイギリス軍爆撃機群を迎え撃ったモイラー大尉は、通算65機目を撃墜しましたが、 あまりの接近したために燃え落ちるアブロ「ランカスター」と空中衝突したのでした。 http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20070706055325/http ://www.raf.mod.uk/bombercommand/nov44.html >>753 > トランプは対中強硬派を片っ端から排除 ≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫ 「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は) 自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、 ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、 自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、 農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士 “ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」 ≪中略≫ 当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、 その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、 一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を 乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。 ≪中略≫ 孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、 その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、 たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。 そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える 孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか? ≪中略≫ スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。 「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、 迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・ もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」 >>756 なにも知らんのだな ランカスターは下部銃座がないから斜め装備の機関砲でカモうちにされてんの 昼間攻撃で大損害だしたから夜間に攻撃を切り替えたんだよ >>751 塩酸メタンフェタミン すなわちヒロポンは日本の薬局で扱っていたブツだぞww >>759 でもナチの夜間戦闘機のエースはランカスターに何人もぶち殺されてるぞ(笑) >>760 >>761 でもナチ第三帝国民みたいに国民皆シャブ中じゃないぞw 独裁者がシャブ中で戦争に勝てるわけないね >>760 >>761 何度でも貼ってやるから声だして読んでみるといいよw 日本軍がうなぎで夜間視力を上げていたころ、ナチは覚せい剤で視力をあげようとしていた でもシャブ中を量産しただけだった(笑) 「昭和18年頃だったと思う。ドイツ空軍がヒロポン入りのチョコレートを航空勤務者用として製造して飛行士に食べさせ、 効果がおおいにあがっているという報告が飛び込んで来た。 川島大佐は、鬼の首でもとったような顔をして私のところへこの情報をもってきて、 『おい、岩垂、直ぐにつくって、航空糧食として補給したい』と命令していったのを覚えている。 このころ、ドイツではペルビチンを様々な形で軍需用に使用しており、航空兵士用にチョコレートに混ぜて支給した https://33765910.at.webry.info/201104/article_11.html >>760 >>761 日本軍が栄養満点のうなぎを兵士にご馳走していたころ ナチは凍死寸前の兵士を覚せい剤でごまかしてこき使っていた(笑) 1942年1月には東部戦線に駐留した500人のドイツ兵が赤軍の包囲から脱出しようとした。 気温はマイナス30度。部隊に割り当てられた軍医は真夜中に「より多くの兵士が、もう雪の上で横になり倒れ始めるほど疲れていた」ことを報告書で書いている。 「部隊の指揮官は部隊にペルビチンを与えることにしました!…半時間後、彼ら(兵士)は再び整然と行進し始めました! 彼らが自身の体調について『より良い』と感じていることを報告し、彼らはより良い警戒状態に移行できたのです!」 http://peoplesstorm.hatenablog.com/entry/2016/10/14/163902 【2018年最新版】年収予想 この年収予想で350万円以下は池沼レベル 2018年度最新版の年収予想が無料できるサイト アナタの本当の年収が分かるので、搾取されているのが分かりますよ! http://9ch.net/1f ブラック企業判別(2018年最新版) 最近は優良企業の求人内容をパクるブラック企業が多くなった。 求人内容ではブラック企業判断は困難か? ブラック企業判別の最新版 http://9ch.net/Yb >>760 >>761 人がいい日本軍はナチから覚醒剤が夜間視力向上に役立つと嘘を信じ混まされて、シャブを売り付けられてしまった もうひとつ『重い飛行機雲』という作品には、夜間戦闘機の搭乗員が、ヒロポンを用いた夜間視力改善効果の試験として、軍医から「暗視ホルモン」としてヒロポン注射を受けたというエピソードがあります。 大戦末期の1945(昭和20)年春ころ、横須賀海軍航空隊に所属していた黒鳥少尉は、ある日軍医長に呼ばれ、「夜よく目がみえるようになる、ドイツから輸入の暗視ホルモンをうってあげるから」と最初の注射を受けました。 【重い飛行機雲】著者:渡辺洋二 >>760 >>761 ナチは頭目のヒトラーが重度のシャブ中だったので国をあげて覚醒剤を推奨していた。 オーラー氏によれば、1941年以降、ヒトラーは奇行が目立つようになった。 演説にも麻薬の影響が明らかに出始めた。 ヒトラーは1349日の間に800回以上メタンフェタミン、ステロイドその他薬物の注射をうち、1100錠以上の錠剤を飲んだ。 ヒトラーがメタンフェタミンを常用していたことは昨年英国の学者らによって発見されている。 第二次世界大戦中に米国軍事諜報班によって集められた書類によれば、兵士もメタンフェタミンを使用していたし、ヒトラー自身も愛用していたという。 https://jp-sputniknews-com.cdn.ampproject.org/v/s/jp.sputniknews.com/amp/life/20150911884675/?usqp=mq331AQCCAE%3D& ;amp_js_v=0.1#referrer >>760 >>761 頭目ヒトラーから下っぱ兵士まで全部シャブ中だったナチがどうしたって? ラリって戦ってたからあんな弱かったんだよな 覚せい剤中毒 ヘストンはこの謎の注射の中身を調べることにしました。国立公文書記録管理庁に、マイクロフィルムがありました。モレル医師の書いた医療記録です。彼は熟読しました。 しかし真相はわかりませんでした。そのうちに、戦争中にモレルの調合薬を密かに分析していた医師がいることがわかりました。 しかしその報告書は、不利な内容だったことから、ヒトラーの腹心、ハインリヒ・ヒムラーによって破棄されていました。 注射の中身は、メタンフェタミンだったのです。ヒトラーは覚せい剤中毒でした。 第二次世界大戦中、ドイツ軍はアンフェタミンを使用していました。 アンフェタミンとは、ナチスの薬とも呼ばれた覚せい剤です。 これは脳内のドーパミンと、ノルエピネフリンを増やす薬です。 意識は覚醒しますが、同時に攻撃性が高まります。精神障害を引き起こす恐れもあります。 ナチス突撃隊員は先へ進むため、空軍パイロットは眠気を覚ますため、そしてヒトラーは支配力のために、覚せい剤を用いました。 医療記録から、1930年代末に、ヒトラーが錠剤で覚せい剤を摂取し始めたことがわかりました。 http://www10.plala.or.jp/elf_/hakenkreuz/hitler2.html >>760 >>761 ナチのシャブ浸けはEU公式見解だった、ということは現在のドイツも認めてるということ EUの薬物研究機関EMCDDAが2009年に発表したメタンフェタミンに関する報告書です。 『メタンフェタミン―世界の状況のなかでのEUの見解』というこの報告書の最初に、メタンフェタミン問題の歴史的な概観がまとめてあるのですが、そこに次のような記載があります。 「1938年にベルリンに本拠を置くTemmler製薬会社はPervitinという商品名でメタンフェタミンの生産を開始した。 第二次世界大戦の間、戦闘能力を亢進させ集中力を高めるために、ドイツ軍ではPervitinが広く配布され、「パイロットのチョコレート」「パイロットの塩」と呼ばれた。」 [出典] EMCDDA–Europol joint publications Methamphetamine:A European Union perspective in the global context1 >>760 >>761 ナチは軍だけではなく市民も覚醒剤を愛用していた。 つまりナチ第三帝国は全員がシャブ中ないしその予備軍であったと言っても過言ではない。 アドルフ・ヒトラーは何種類もの麻薬を使用していた。中でもお気に入りはメタンフェタミンだった。 麻薬を投与していたのは主治医テオ・モレル氏だ。La Stampa のドイツ特派員、トニ・マストロブオニ氏が発表した。InoPressaが伝えた。 第三帝国ではスポーツ選手、芸術家、軍人、さらには主婦も麻薬を使用していたという。 「メタンフェタミンは特に第二次世界大戦時のナチスドイツで流行していた」とマストロブオニ氏。 麻薬は元気を出し、長時間にわたり多幸感を持続させるための薬として使われていた。 調合を行なったのはフリッツ・ハウシルト医師。この医師は1936年のベルリン五輪で活躍した米国人スポーツマンに対する「ベンゼドリン」の効力に注目した。 しかし薬物には依存性があり、悲惨な結果がもたらされた。メタンフェタミンはすぐに第三帝国で人気となった。 スポーツ選手、歌手、試験期間中の学生らが服用した。メタンフェタミン工場は主婦用に有効成分入りのお菓子まで開発した。 >>764 日本は南方に塩鮭おくるので精一杯だからな ヒロポンは普通にお買い求めができたシャブでございます 戦後かなりたってから大問題になって発禁になったシャブ大国 >>772 日本の長井はメタンフェタミンを抽出したが、その中枢神経興奮作用を悪用し 市販化し大量生産して、国家の頭目から一般国民に至るまで常用したのがナチ第三帝国だった 覚醒剤の成分は、メタンフェタミンもしくはアンフェタミンである。 このうち、メタンフェタミンは、日本の薬学者・長井長義によって19世紀末にエフェドリンより抽出された。 ただし、その中枢神経興奮作用は1930年代に入ってドイツで発見され、 「ペルビチン」の名前で商品化された。ちょうどナチス・ドイツの時代だ。 なお、アンフェタミンも同じころに製品化され、英米では「ベンゼドリン」、ドイツでは「エラストン」などの名前で商品化された。 これらの商品は、眠気を覚まし、疲れを吹き飛ばす特効薬として、大いにもてはやされた。その危険性はいまだ認識されていなかったのである。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48659?page=5 >>772 ナチは日本の長井が研究用にエフェドリンから分離したメタンフェタミンを悪用して、市販化して大量に世界にばらまいた 3 メタンフェタミン製剤ぺルビチンの発売 ドイツでは、1938年にテムラー製薬会社がメタンフェタミン製剤のペルビチン(Pervitin)を発売し、ドイツ、英国、フランスで特許を取得して国際市場での供給を開始しました。 これは、1錠中に3ミリグラムの塩酸メタンフェタミンを含有する錠剤で、パッケージには「興奮剤」と表示され、「眠気防止にために、必要なときに限り、1から2錠を服用する」と使用指示があります。 ペルビチンは、眠気をはらって集中力を高め、痛みを鎮める薬として歓迎され、たちまちベストセラー商品になりました。 民生用のペルビチン消費量は、1941年には750万錠、1942年900万錠、1943年900万錠、1944年800万錠という高水準を維持していました。 https://s.webry.info/sp/33765910.at.webry.info/201104/article_8.html >>772 ちなみに今日も主要な覚せい剤として規制されている「アンフェタミン」も「メタンフェタミン」もナチベルリン大学で学んだ研究者により 合成された。 ナチは近代覚せい剤の始祖であり、覚せい剤先進国()であったのだ(笑) 「アンフェタミン」は1887年(明治20年)、ルーマニアの化学者『ラザル・エデレアーヌ 』が「エフェドリン」から合成に成功しています(@ベルリン大学)。 そして「メタンフェタミン」は、なんと日本において1893年(明治26年)に『長井長義』により「エフェドリン」から合成されました。 どちらも「エフェドリン」から合成されていますね。 私が大変興味深く思うのは、『ラザル・エデレアーヌ』も『長井長義』もベルリン大学で学んでいることです。 二人はベルリン大学のホフマン(August Wilhelm von Hofmann)教室の同窓生で、長井が先輩です。長井がドイツから日本へ帰国後にホフマン研究室へ入ったのがエデレアーヌです。 長井は帰国後、漢方薬の「麻黄」から「エフェドリン」の分離に成功します(1885年:明治18年)。「エフェドリン」は、現在も使用される薬です。 https://www.health.ne.jp/column/column150111.html >>772 いくらバカなナチでもシャブ中があまりにも激増したので、民生用では形式的に規制するふりをしたが ナチ軍では引き続き乱用され、ヒトラーユーゲントのガキたちはシャブ漬けにされて本土で大量に無駄死にした 「第三帝国の薬物政策」という論文は、ドイツがメタンフェタミンの販売規制を強化していった経緯を次のようにまとめています。 1939年11月、内務大臣はアンフェタミン製剤のベンゼドリン、及びメタンフェタミン製剤のペルビチンを販売する際に、医師の処方箋を提示するよう義務付ける警察令を出し、 翌1941年6月にはあへん法の改正が行われ、ペルビチン、ベンゼドリンなどが規制薬物に追加されます。 こうしておそらく世界で最初のATS製剤に対する販売規制が導入されたのですが、 しかし、販売が禁止されたわけではありません。患者は、ペルビチンやベンゼドリンを購入する際には医師の処方箋を提示するよう求められ、 長期にわたって処方が行われる場合には、その記録が当局へ送付されます。 軍でも、同様の管理強化が行われ、1941年、空軍はペルビチンをかぎのかかる場所に保管するよう指示を出します。 しかし、民生用の場合と同様、その使用を中止することはありませんでした。戦局が終盤に向かうとともに、 ドイツ帝国軍には年少の兵士が増え、彼らは、ますます薬物の作用に頼るようになっていったのです。 https://s.webry.info/sp/33765910.at.webry.info/201104/article_8.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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