南雲忠一中将を再評価するスレ(天)
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南雲長官はもっと評価されるべき(36代目)
前スレ
[35代]南雲忠一中将を再評価するスレ(江)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1530542607/
(>>261〜飛龍はどこに居るかの章、>>569〜即時発進考察再びの章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>440-441 三式爆発尖ですね。
これは日本海軍の九一式航空魚雷に使用されたもので、
磁気信管を用いず、触接式の艦底起爆装置と言えます。 [三式爆発尖]
┏━┓
┏┻━━┻┓
〜〜〜┃ ┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃ ┃ ▲←三式爆発尖
┗━━━┛ ┌┘
┌┘
←■■■━魚雷 >>443の続き
上図のように、海中を進む魚雷から、斜め後方に向かって
ちょうど凧を上げるような形で、爆発尖を曳航する。
爆発尖が目標の舷側に命中すると、曳航索が外れ、
ちょうど艦底の下にいる魚雷本体が爆発するという仕組みです
また、魚雷本体の信管も生きているので、
本体が命中しても当然爆発します。 >>444 wikiによると、台湾沖航空戦で使用されたようですね。
命中前に自爆してうまくいかなかったようですが・・・ >>446
バルチモア級のキャンベラを一発で航行不能にしていなかったっけ?
損傷したキャンベラの写真を見るとキールが折れてるように見える。
他にヒューストンも航行不能になってるけど三式爆発尖装備なのかは判らない。 >>447 ありがとうございます。知らんかった。
でも、キールが折れてよく復帰できましたねぇ>キャンベラ >>439の続き
先に紹介した、構造が簡素で信頼性の高い
触接式や慣性式の信管とは異なり、
この磁気式信管は、もともと技術的に難しく、
本家Uボートを擁する独海軍でも、磁気魚雷G7を
使用していましたが、
高緯度地方では、地磁気の影響で自爆しやすい、
艦底から離れ過ぎたところを通過すると、
起爆に必要な磁力が得られず、不発になるなど、
苦労しています。 >>449の続き
スカパフローに進入して、英戦艦ロイヤル・オークを
沈めたことで有名なU-47のプリン艦長も、
その半年後に、ノルウェー海域で作戦行動したときは、
輸送船に向けて放った魚雷はすべて不発となり、
英戦艦ウオースパイトに向けて発射した魚雷も外れ、
更に別の船団を発見するも、自艦の魚雷に対する
信頼を失ったことから、攻撃を断念。
「”木銃”で戦争ができるか!」と憤ったという話も
残っているくらいです。 >>450の続き
また、U-56のツアーン艦長は、英戦艦ネルソンに対して
3本の魚雷を命中させたものの、すべて不発に終わり、
精神的に不安定となり、潜水艦から降ろされたとか。
これらすべての原因が、磁気信管にあったとは言えませんが、
ついに海軍当局から、磁気魚雷の使用中止の通達が出る
事態となってしまった。 日本海軍の水上艦魚雷の早発や不発問題は最終的に解消されたっけ?
スラバヤで問題になって対策したにもかかわらず
第三次ソロモンでもやはり不発をおこしたから。 >>452
その後のルンガ沖夜戦にコロンバンガラ島沖海戦にクラ湾夜戦にオルモック湾
夜戦では命中魚雷の不発は報告されていないので解消されたのでは? >>452 どうなんでしょう。
スラバヤ沖と三次ソロモンの早発は有名ですが・・・
>>453 そもそも後半戦になると、魚雷を撃つ機会が
あまりなさそうですね。 >>451の続き
世界一イイイイイ・・・な技術力を持つ
ドイツですら、これほど苦労しているのだから、
米海軍が不良に苦しむのは、むしろ当然と言えます。
そもそも、魚雷そのものが精密兵器であり、
どこの海軍も、不発/早発問題には、悩まされていますからね。 >>455の続き
そんなに技術的に難しいものなら、最初から
採用しなければ良いのに・・・と思ったりもしますが、
やはり、艦底爆発による破壊力の大きさが魅力なのでしょう。 >>456の続き
戦間期、海軍休日には、各国の主力艦は、
舷側にバルジを設置し、また多重層防御によって、
浸水に対する抗堪性を高めてきた。
もちろん、艦底に関しても二重底構造により、
同じく多層化を進めてきたが、
船の構造上、底を厚くすると、座礁などがからんで来て、
おのずと限度があります。 >457の続き
軍艦図面の中央構造断面図などを眺めていると、
舷側と艦底の防御厚さの違いは明確で、
「ならば、艦底で爆発させた方が有効」と考えるのも、うなずける。
まぁ、最初から通商破壊に特化していれば
関係ない話かもしれませんが・・・ >>458
港にとまってる戦艦の船底に爆弾しかけたら簡単に沈められるよね。
現にイタリア海軍はそれでWW1でオーストリア戦艦、WW2でイギリス戦艦を沈めてるし。 >>457
改大和型戦艦となる信濃の艦底は三重底だったらしい。 >>459 それはそれで、
「港で沈めても、サルベージされるだけだから、
外洋で沈めないと駄目」って、
真珠湾の時みたいに、ケチをつけられそうな・・・ >>460 うむ、信濃はやはり戦艦として完成させるべきだったな!
『丸』の小高正稔氏の記事によると、
信濃建造中の昭和15年末、用兵側から
「機関室区画の三重底化」の要望が出されたが、
すでに艦底の工事が進んでいたため、
艦政本部側は反発。しかし、 >>462の続き
「だが機雷や魚雷の艦底爆発による脅威を
重視する運用側の主張は強く、機関室艦底は
ほぼ三重化されたが、
復水器底部など構造上困難な部分は、
二重底のまま25ミリDS鋼の張り増しによって対処された」
(『究極の46センチ砲戦艦改大和型』)76
この追加工事により完成が3ヶ月も遅れてしまったが、
米モンタナ級など、当時の次期型戦艦設計においては、
艦底三重底化は、主流だったようです。 >>458の続き
磁気魚雷の運用を難しくするのは、
文字通り、”磁気を感知して起爆する”という
磁気信管そのものにあります。
なぜなら、この地球上において、磁気を発するのは
船体の鋼鈑だけではないからです。 >>464の続き
その代表格が、地磁気。
地球が大きな磁石であることは、
学校で勉強したと思いますが、
やっかいなのは、
「地磁気の強さは、場所によって異なる」 >>465の続き
>>449で紹介したように、
緯度が高くなるほど、(磁北極に近づくほど)、
地磁気は強くなると、一般的には言われますが、
それだけではなく、同じ緯度地域であっても、
地下に磁鉄鉱床などがあると強くなります。 >>466の続き
更にややこしいのは、時間的にも変化してしまうこと。
例えば、太陽活動により、磁気嵐やオーロラが活発になると、
数日単位で激しく変化し、
また、火山活動や地下のマグマの移動などによっても変化し、
先の「磁鉄鉱床」も、ある温度を超えると消磁(磁気を失う)
するのです。 >>468 き、消えた?
船体磁気には、建造時からある永久磁気と
地磁気の影響を受ける誘導磁気があり、
どちらも消磁する必要がありますね。
>>469 そうですね。
地磁気の逆転は、百万年単位の話なので、
スケールが全然違いますけど >>467の続き
このような事情があるため、
磁気信管の”感度”は、非常に神経を使う
調整が必要となる。
米磁気魚雷が不調だった原因のひとつとして
挙げられるのは、この地磁気の地域差を
考慮していなかったためと言われています。 >>471の続き
この魚雷の開発拠点は、ロードアイランド州の
ニューポートだった。
東海岸の北の方にあり、緯度は北緯42度。
ニューヨークより更に北、北海道と同じくらい。
その沖の島にあるニューポートは、
海軍大学校を始め、米海軍ゆかりの地であり、
多くの訓練施設があります。 >>472の続き
そのため、この磁気信管は、ニューポートの
地磁気に合わせて調整されており、
太平洋戦争で主戦場となった、中部太平洋や
比島海域、ソロモン海などの低緯度地域では、
その分、地磁気が弱く、磁気信管の感度も鈍くなり、
不発が多発した、ということのようです。 その話を聞いて日本潜水艦の例を思い出した。
ハワイ沖で潜水艦が潜行して待ち受けてたのだが米艦をソナー探知できず頭上を素通りしてた。
日本近海とハワイ周辺では海水の層の構造の違いから音波の伝わり方が違っていたため、
日本近海で探知できる深度で潜ってたらハワイ沖では探知できなかった。 >>474 これは『沈黙の艦隊』では、おなじみのネタですね。
河水中では、水温によって、音速が違ってくるので、
変温層があると、”消えて”しまいます。
>ソナー探知できず
たぶんソナーではなく、聴音だと思います。 >>473の続き
オレンジ・プラン(アメリカの対日戦争計画)を
検討する中で、
地磁気の違いまで検討されなかったのは、
兵器局の手落ちと言えますが、 >>476の続き
これは、ものづくりにおいては
避けては通れないところで、
どれだけFMEA(故障モード影響解析)などで、
懸念点を洗い出したとしても、
実際に作ってみないと、気付かないところ
というのは、どうしても無くせないものなのです。 >>477の続き
まして、魚雷は高価な兵器なので、
ばかすかと射ちまくって、テストするわけにもいかないし、
同情の余地は残されていると思います。
問題は、信管の不良が発覚した後も、
自らの非を認めようとしなかった、
兵器局の姿勢にあると言えるでしょう。 >>478
ミッドウエイの時にレスリー隊のSDBは安全装置を外した瞬間にレスリー少佐機
を含めて数機の爆弾が落ちてしまったので少佐はパールハーバーの軍需部に
悪態を付いたものの気を取り直して機銃掃射をしようと降下を開始した。
ところがその機銃も故障していたのでレスリー少佐は「今度こそ心を籠めて
パールハーバーの軍需部を呪った」と豊田中尉の著書にありましたね。 >>479 ですね。
「こんな使えない投下装置を作ったのは誰だ?」
「ヤマモトに決まってるさ!」
いったい俺は誰と戦っているんだろう・・・
>>480 ミッドウェースレは、定期的に新しいのが
立ちますからなぁ
通説をひととおり出し尽くした後に、どう落ち着くのかな。 >>478の続き
結局、磁気信管の使用は中止され、
従来の触接信管に戻ったものの、
今度は、信管の強度不足による不発問題が発覚し、
米潜水艦の魚雷が、まともに使えるようになったのは、
開戦から2年近くも経った、1943年10月になってからでした。 >>482の続き
この欠陥魚雷のおかげで、どれだけ日本の船が救われたか。
利敵行為以外のなにものでもないですよね。
これまで紹介したとおり、魚雷は精密兵器で、かつ
高価であるがゆえに、十分な数の実証試験を行うことが
出来ない事情はありますが、 >>483の続き
前線からの不具合報告を無視し続けた、兵器局の態度は、
どこぞの大本営を思い起こさせるような、
無責任と言わざるを得ないものです。
とかく日本の軍組織を批評するときに、
”合理的で均整のとれた”米軍組織が引き合いに出されますが、
安易な先入観は、排除すべきかと。 >>484の続き
>>297に戻りまして、潜水艦ノーチラスが、
炎上停止している空母加賀に対して、
3本の魚雷を発射したのにもかかわらず、
戦果が皆無だったのは、
ブロックマン艦長が未熟だったわけではなく、
欠陥魚雷と分かりながら、それを使うしかない
米海軍の”お家の事情”にあったと言えます。 >>485の続き
それはそれで、大きな問題なのですが、
現在の主題は、
フレッチャー/スプルーアンス両少将が、
「日本空母は残り何隻か」
を、どのように情勢判断していたか、です。 >>486の続き
このような視点から、もう一度眺めてみると、
ブロックマン艦長が、
「炎上する日本空母ソウリュウに対して、
魚雷3本を発射し、沈没させた」
との報告は、 >>487の続き
内容は、事実では無かったけれども、
先に実施した米空母攻撃隊の戦果を
裏付けるものであり、
以降の作戦指導に貢献するものと思われます。
実際に、スプルーアンス少将のもとに、
この報告が届いたのかは、分かりませんけど。 >>486
この場合は健在な敵空母は何隻か?が重要なんだから
1隻にとどめをさしたって報告よりも3隻が炎上しているって方がよほど価値あるよね。 >>489 まさに、そこですよ。
潜水艦だけでなく、パイロットの「撃沈報告」なども、
割り引いて考えなければならないですからね。
「敵空母炎上中」の方は、ノーチラスが射程に入る前、
かなり遠距離の段階で報告していますから、
信頼度の高い内容と言えるでしょう。
いずれにせよ、情報源は多い方が、適切な判断に貢献できるかと。 >>488の続き
さて、もうひとつ、ミッドウェーにおける
米潜水艦の活躍と言えば、
タンバーの被発見ですね。
といっても、彼女は何もしてないんですけど。 >>491の続き
結果としては、日本重巡2隻が衝突、
後に1隻が沈没となるのですが、
こちらの衝突事故は、スプルーアンス少将の
情勢判断に、どのような影響を与えたのでしょうか。 >>492の続き
事の発端は、三空母が被弾した後
GF司令部が、ミッドウェー島砲撃を命じたことに始まります。
赤城・加賀・蒼龍の3隻が被弾したのが0730頃、
それを受けて、GF司令部は0920時に無線封止を解除し、
作戦続行の決意を明らかにした。
更に、1010時には、
攻略部隊に対し、水上艦艇をもっての
ミッドウェー島砲撃を命じます。 >>493の続き
近藤長官は、第七戦隊に対し、砲撃命令を下し、
栗田少将が受領したのが1115時のことでした。
この時点では、飛龍が健在ですし、
敵空母2隻を撃破との報告も、この後入ってくるので、
まだ作戦中止を考える段階ではないのでしょう。 巡洋艦がミ島にとどまって基地砲撃しつづけたら
B-17はハワイに飛んで帰るだろうし海兵隊の単発機は無効化できるだろうね。
もちろん空母機からは攻撃受けちゃうけどさ。 >>495 それは、巡洋艦が島に接近することが出来て、
沖合にとどまることが出来て、
砲撃を続けることが出来たならば、
確かにそうでしょうね。 >>494の続き
とはいえ、飛龍は単艦にて、米空母と
対峙しなければなりませんから、
とても、ミッドウェー島の方に手をかける
余裕はありません。
すなわち、味方の航空掩護は期待できない中、
ミッドウェー島に対する砲撃を実行しなければ
ならないのです。 >>497の続き
ミッドウェー島の敵航空兵力が、どの程度健在なのか、
正確には把握できていなかったでしょうから、
少なくとも、巡洋艦数隻を攻撃できるくらいの
敵飛行機が残っていると仮定したならば、
昼間堂々と沖合から砲撃することは、
現実的ではない。 >>498の続き
夜陰に乗じて接近し、夜明け前に
せめて単発機の攻撃圏外には脱出したい。
そう考えると、おのずと、タイムスケジュールは
限定されてしまいますね。 ガダル砲撃の件でも夜間一時間だけでは飛行場の機能を奪うまで行かないんだから
翌朝まで沖にとどまって飛行場にどんどん砲弾を撃ち込めばいいのに。 >>500 ガダルカナルでも夜明けと共に、爆弾を積んだ
SBDがわんさかやってきますぜ >>499の続き
公刊戦史の付図第三によると、
第七戦隊が砲撃命令を受領した1115時、
その艦位はミッドウェー島の西南西、約400浬 >>502の続き
全速35ノットで急いだとしても、ゆうに
11時間はかかる。
11時間後というのは、日付が5日から6日に替わる
真夜中零時になります。
ただし、これは日本時間で、
現地時間では朝の4時頃。
まさに”夜明け前”なので、そこから砲撃を始めていては
とても避退する余裕はありませんね。 >>503の続き
もともとこの砲撃計画は、航空支援の期待できない
単独での作戦としては、無理がある内容でした。
「近藤長官は、この命にもとづき、現在
ミッドウェーに最も近い支援隊に、同島砲撃を命じた。
支援隊の第七戦隊は、全速力でミッドウェーに向かったが、
命令を受けたときの位置が、近藤長官の予想より
かなり遅れていたので、同隊の砲撃は、日の出一時間前
すなわち黎明直前となる予定であった」
(『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』)p444 >>501
だから島から敵機が飛んでこないようにとどまって撃てといってるわけで。
もちろん艦載機からの攻撃はどうしようもないけどさ。 >>504
栗田司令が変な行動やってて近藤長官司令部が把握してた位置と大きくずれてたとかだっけ? 島にとどまれば敵の心胆を寒からしめ敵機が飛んでこない(キリッ 昨日虎ノ門ニュースに田中三也氏(甲飛5期偵察員)が出ていて南太平洋海戦でホーネットを発見したと言っていたが本当だろうか?
自分が調べた限り敵機動部隊を最初に発見したのは翔鶴索敵4号機(操縦沖村、偵察浮田、電信戸沢)なんだが。
それとも浮田機の敵機動部隊発見後に再度同じ敵機動部隊を発見したということなんだろうか?
田中氏を貶めたいというのではなくて事実関係の確認のためご存知の方いらっしゃったら教えていただけるとありがたい。
https://www.youtube.com/watch?v=gkS1tWsJJ5k
南太平洋海戦の話は1:07:20あたりから >>505 えっと・・・夜明けまでとどまって射撃すれば
敵機は飛んで来なくなるんですか?
その確信はどこから?
>>506 確かに変な行動かな。
詳しくは、今日の本編にて。
>>507 まぁ、敵潜の良い標的になるでしょうなぁ >>508 ありがとうございます。
本職も、それは疑問に思っていたところで、
田中氏の著作『彩雲のかなたへ』にも
同じことが書かれています。
ご指摘の通りで、ホーネットの第一発見機は翔鶴艦攻です。
動画の中で、田中氏も仰っていますが、搭乗機は利根二号機 >>510の続き
公刊戦史によると、
「敵発見の報により発進した前衛の触接機の報告は、
次の他、記録は無いが、触接を確保していたものと認められる。
発利根二号機 26日0645
敵大部隊見ユ、地点南緯7度57分・東経165度37分」
(『戦史叢書(83)南東方面海軍作戦(2)』)p289 >>511の続き
おそらく田中一飛曹の機体が、ホーネットを発見したのは
本当でしょうが、第一報ではなく、触接報告だったと思われます。 >>504の続き
ここで言う、
「命令を受けたときの位置が、近藤長官の予想より
かなり遅れていた」
とはどういうことなのか。
南雲長官が、無線封止を破ってまで、
機動部隊を作戦計画通りに、発進位置まで持っていったように、
上陸部隊にもまた、綿密なタイムスケジュールが
あったはずですが・・・ >>513の続き
まず、攻略部隊の編制について、
上陸部隊を乗せる輸送船団を、直接護衛するのが、
”タフネス・タナカ”こと田中頼三少将が率いる
第二水雷戦隊
それを支援するのが、”支援隊”の名のとおり、
栗田少将の第七戦隊の任務です。 >>514の続き
そのため、グアム出港以来、ずっと
船団の右前方視界内に占位する位置関係を維持してきた。
ところが5月30日の夜中に船団を見失ってしまいます。
この後の栗田司令官の行動が、物議をかもすことに
なります。 GF長官さま
回答ありがとうございます。
なるほど。
或いは利根2号機が先に発見したということもあるかもしれないのでしょうか? >>516 どういたしまして
まず、公刊戦史の記述を信じるならば、利根二号機は
0458時、翔鶴艦攻の敵空母発見電を受けて
発進した触接機なので、第一発見にはなり得ません。
またこの日、機動部隊本隊の艦攻と同時に、
前衛から水偵7機が索敵に出ています。
利根の担当は、一番と三番の索敵線の2機 >>517の続き
もしかしたら、田中一飛曹の利根二号機は触接機でなく、
この第一段索敵に含まれていたという可能性も
残されていますが、
前衛の索敵範囲は南方中心で、
米空母部隊が居た南東方向からは外れており、
全機、敵を発見しないまま帰投しているので、
この線の薄い。 >>518の続き
まあ東雲長官なら、ここで南太平洋海戦AA航跡図を投下して
下さるのでしょうが、公刊戦史のp285を見てくださいな。
よって、利根二号機が先に発見した可能性は無い、
というのが結論になります。
ただ貴官も仰るとおり、記憶違いはよくあることですし、
触接報告もまた極めて重要な情報なので、
田中氏の発言を貶めるものではありません。 >>515の続き
翌5月31日の正午時点で、
船団、支援隊ともに、北東方向に航行していましたが、
栗田第七戦隊は、船団の約45浬(約83km)前方に居ました。
確かに、艦上からの見張では見えない距離です。 [ミッドウェー攻略部隊](5月31日正午)
┏→
▲第七戦隊(栗田少将)
━┛
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
━┛ >>521の続き
もちろん、厳重な無線封止下にありますから、
無電を打つことはできませんが、
わずか50浬後方ですから、重巡搭載の水偵を飛ばせば、
30分も経たずに、見つけることが出来たでしょう。 >>522の続き
しかし栗田少将は、
「船団は予定通り、航路を進んでいるだろう」
との判断で、捜索を行わなかった。
理由は明記されていませんが、他の部隊では
31日は「うねりが大きく、飛行警戒を行わなかった」
とあるので、第七戦隊も天候の関係で、水偵を出せない
(射出は出来るが、収容が困難)状況だったのでしょう。 GF長官さま
再度回答有り難うございます。
謎が解けました。 >>524 こちらこそ、たまに調べ直さないと忘れてしまいますからね。
「南太平洋海戦編」は、まだまだ先ですが、
それまでに、東雲長官も戻って来てくれるかなぁ >>523の続き
さらにタイミングの悪いことには、
翌6月1日は、当初計画では、75度(ミッドウェー島の方向)
に変針することになっていましたが、
船団部隊は、予定の変針を行わずに、
そのまま直進してしまったのです。 [ミッドウェー攻略部隊](6月1日正午)
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
┏┛
┏┛
┏┛ ┌──→予定航路
正午の予定変針点×────┘
┏┛
┏┛
┏┛ >>527の続き
なぜ、こんなことが起きてしまったのかと言うと、
敵潜水艦情報が入ったため
この時点では、ミッドウェー島までは、まだ1千浬以上あり、
敵の航空攻撃は、まだ警戒する必要は無い。
米空母が出現する可能性は、残されていますけど、
友軍のウエーク島哨戒圏内でもあるから、
まぁ、除外して良いでしょう。 >>528の続き
しかし、潜水艦に関しては、内地を出撃した瞬間から
警戒しなければなりません。
わずか1ヶ月前の5月2日には、水上機母艦瑞穂が
横須賀から柱島への回航中、遠州灘で、
米潜ドラムの雷撃により沈没。
”軍艦”(菊花紋章を戴いた艦艇)喪失第一号となっていますから、
本土近海とはいえ、油断はできないのです。 >>529の続き
ミッドウェーにおいても、当初から
敵潜水艦情報は、何件か報告されており、
例えば、第一機動部隊も、5月27日に
内地を出撃した直後、豊後水道を通過した際にも
敵潜水艦発見の騒ぎがあり、航路を若干変更したと
記録されています。 >>530の続き
攻略船団も同様で、5月26日にサイパンを出撃した後は
いったん南下して、その日の日没後に夜中になってから、
北東(ミッドウェー島方向)に変針するという偽装針路をとっている。
これも敵潜水艦の目をあざむくため。
もちろん、航行中は之字運動必須ですね。 >>531
ジグザグ航行ってそんなに必要なの?
ワスプや信濃はそれやったせいで潜水艦に追い付かれたし。
反対にインディアナポリスはストレートに走ってたことを過失ありとして艦長は軍法会議で有罪にされたが。 >>532
証人として証言したトートグの艦長は之字運動は無関係と証言していたが
橋本大佐はえ?関係なくない?と思ったそうだ。
信濃とサラトガは之字運動を実施していたから潜水艦に射点を提供してしまった。 >>532 ワスプは、変針して風上に立ったときに
伊19の射点に入ってしまったのでは。
>>533 船団の航行速度は11ノット
>>535 この人も毀誉褒貶いろいろある人ですな。
「性格破綻者」とは、よく聞く人物評ですが・・・ >>534 『伊58潜帰投せり』(橋本以行)によると、
戦後、米軍事法廷で証言したとき、之字運動について、
「(インディアナポリスは)大角度は認められないが、
小角度のはあったかもしれない。夜間では判定し難い」
と答えたが、p311
「おおむね直線航行」と”意訳”され、
抗議したけど、受け入れてもらえなかった
とありますね。 >>531の続き
そして、5月30日、
二水戦司令官の田中頼三少将は、
「ウエーク島北北東300浬附近に、敵潜水艦らしき電波を傍受」
との通信情報を受けた。
これは、ちょうど船団の予定航路上に位置します。 >>538の続き
翌31日、第七戦隊が船団を見失った日ですが、
船団のうち、ぶらじる丸の敵信班が、敵潜水艦の無電らしきものを
傍受し、水偵2機を発進させたが、発見できなかった。
先に紹介したとおり(>>523)、
この日は、海上のうねりが大きく、水偵収容の際に、
1機がプロペラを損傷しています。 >>539の続き
以上のように、敵潜水艦の活動が活発な状況に鑑み、
6月1日は、当初計画では変針することになっていたが、
田中少将は、しばらく直進して、敵潜伏在海面を
北に回避することにしたのです。 [ミッドウェー攻略部隊](6月1日正午)
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
┏┛
┏┛ 予定航路
┏┛ ┌──→×敵潜伏在か?
正午の予定変針点×────┘
┏┛
┏┛
┏┛ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています