南雲忠一中将を再評価するスレ(天)
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南雲長官はもっと評価されるべき(36代目)
前スレ
[35代]南雲忠一中将を再評価するスレ(江)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1530542607/
(>>261〜飛龍はどこに居るかの章、>>569〜即時発進考察再びの章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ [ミッドウェー攻略部隊](5月31日正午)
┏→
▲第七戦隊(栗田少将)
━┛
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
━┛ >>521の続き
もちろん、厳重な無線封止下にありますから、
無電を打つことはできませんが、
わずか50浬後方ですから、重巡搭載の水偵を飛ばせば、
30分も経たずに、見つけることが出来たでしょう。 >>522の続き
しかし栗田少将は、
「船団は予定通り、航路を進んでいるだろう」
との判断で、捜索を行わなかった。
理由は明記されていませんが、他の部隊では
31日は「うねりが大きく、飛行警戒を行わなかった」
とあるので、第七戦隊も天候の関係で、水偵を出せない
(射出は出来るが、収容が困難)状況だったのでしょう。 GF長官さま
再度回答有り難うございます。
謎が解けました。 >>524 こちらこそ、たまに調べ直さないと忘れてしまいますからね。
「南太平洋海戦編」は、まだまだ先ですが、
それまでに、東雲長官も戻って来てくれるかなぁ >>523の続き
さらにタイミングの悪いことには、
翌6月1日は、当初計画では、75度(ミッドウェー島の方向)
に変針することになっていましたが、
船団部隊は、予定の変針を行わずに、
そのまま直進してしまったのです。 [ミッドウェー攻略部隊](6月1日正午)
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
┏┛
┏┛
┏┛ ┌──→予定航路
正午の予定変針点×────┘
┏┛
┏┛
┏┛ >>527の続き
なぜ、こんなことが起きてしまったのかと言うと、
敵潜水艦情報が入ったため
この時点では、ミッドウェー島までは、まだ1千浬以上あり、
敵の航空攻撃は、まだ警戒する必要は無い。
米空母が出現する可能性は、残されていますけど、
友軍のウエーク島哨戒圏内でもあるから、
まぁ、除外して良いでしょう。 >>528の続き
しかし、潜水艦に関しては、内地を出撃した瞬間から
警戒しなければなりません。
わずか1ヶ月前の5月2日には、水上機母艦瑞穂が
横須賀から柱島への回航中、遠州灘で、
米潜ドラムの雷撃により沈没。
”軍艦”(菊花紋章を戴いた艦艇)喪失第一号となっていますから、
本土近海とはいえ、油断はできないのです。 >>529の続き
ミッドウェーにおいても、当初から
敵潜水艦情報は、何件か報告されており、
例えば、第一機動部隊も、5月27日に
内地を出撃した直後、豊後水道を通過した際にも
敵潜水艦発見の騒ぎがあり、航路を若干変更したと
記録されています。 >>530の続き
攻略船団も同様で、5月26日にサイパンを出撃した後は
いったん南下して、その日の日没後に夜中になってから、
北東(ミッドウェー島方向)に変針するという偽装針路をとっている。
これも敵潜水艦の目をあざむくため。
もちろん、航行中は之字運動必須ですね。 >>531
ジグザグ航行ってそんなに必要なの?
ワスプや信濃はそれやったせいで潜水艦に追い付かれたし。
反対にインディアナポリスはストレートに走ってたことを過失ありとして艦長は軍法会議で有罪にされたが。 >>532
証人として証言したトートグの艦長は之字運動は無関係と証言していたが
橋本大佐はえ?関係なくない?と思ったそうだ。
信濃とサラトガは之字運動を実施していたから潜水艦に射点を提供してしまった。 >>532 ワスプは、変針して風上に立ったときに
伊19の射点に入ってしまったのでは。
>>533 船団の航行速度は11ノット
>>535 この人も毀誉褒貶いろいろある人ですな。
「性格破綻者」とは、よく聞く人物評ですが・・・ >>534 『伊58潜帰投せり』(橋本以行)によると、
戦後、米軍事法廷で証言したとき、之字運動について、
「(インディアナポリスは)大角度は認められないが、
小角度のはあったかもしれない。夜間では判定し難い」
と答えたが、p311
「おおむね直線航行」と”意訳”され、
抗議したけど、受け入れてもらえなかった
とありますね。 >>531の続き
そして、5月30日、
二水戦司令官の田中頼三少将は、
「ウエーク島北北東300浬附近に、敵潜水艦らしき電波を傍受」
との通信情報を受けた。
これは、ちょうど船団の予定航路上に位置します。 >>538の続き
翌31日、第七戦隊が船団を見失った日ですが、
船団のうち、ぶらじる丸の敵信班が、敵潜水艦の無電らしきものを
傍受し、水偵2機を発進させたが、発見できなかった。
先に紹介したとおり(>>523)、
この日は、海上のうねりが大きく、水偵収容の際に、
1機がプロペラを損傷しています。 >>539の続き
以上のように、敵潜水艦の活動が活発な状況に鑑み、
6月1日は、当初計画では変針することになっていたが、
田中少将は、しばらく直進して、敵潜伏在海面を
北に回避することにしたのです。 [ミッドウェー攻略部隊](6月1日正午)
┏→
第二水雷戦隊▲
(田中少将) △輸送船団
┏┛
┏┛ 予定航路
┏┛ ┌──→×敵潜伏在か?
正午の予定変針点×────┘
┏┛
┏┛
┏┛ >>541の続き
上陸船団の直接護衛を担当する二水戦の司令官としては、
上陸日(N日)に間に合えば、途中の航路に関しては、
自由裁量が認められるのは、当然と言えます。
問題は、視界内を航行しているはずの重巡部隊
(第七戦隊)の姿が、前日から見えないということろですね。 >>542の続き
至近距離に居れば、行動変更を発光信号で
伝えれば、済むだけの話ですから。
また、無線封止中だから、無電は打てない。
前日に引き続き、海が荒れているので水偵は出せない。
悩ましいところですね。 海戦中にハワイから進出中のB-17が日本艦隊へそのまま攻撃に向かっているが、爆弾を搭載していたのか…。基地間の移動では爆弾は積まないみたいな印象があったから意外だった。
色々見ていると南雲司令部が山口少将の即時発進の進言を採用しなかった理由は分かるけど、山口少将が進言した理由が分からなくなってきた…。
まだ位置情報の誤りに気付いていない状況だし、どういった理由から一刻を争う戦況と判断したのだろうか。 >>544 まぁ、戦場に向かうわけだから、真珠湾の時とは
違うでしょう。>B-17
>山口少将が進言した理由が分からなくなってきた…。
これは不思議でも何でもなく、攻撃可能圏内に敵を発見したら攻撃する、
という至極簡単な理屈です。 >>545の続き
よくミッドウェー談義では、「南雲は兵力集中による攻撃を狙って、
山口少将の具申を却下した」と言われますが、
準備完了した艦爆隊だけ先発させるという戦い方は、
多聞丸だけが特別なのではなく、
南雲長官も印度洋機動作戦にて、同じことをやっていますから、
珍しいことでもありません。
空母戦に限ったことではなく、戦争というのは、
常に「一刻を争う戦況」なのですよ。 >>543の続き
一方の第七戦隊はと言うと、
こちらは予定通り、6月1日正午に針路75度に変針、
まっすぐミッドウェー島へ向かう航路に入った。
これは予定通りの行動なので、何ら批判を
受けることではない。
そして船団部隊は、一日遅れの翌2日正午に変針し、
同じく、ミッドウェー島に向けて、針路を定めた。 [ミッドウェー島攻略部隊](6月2日)
第二水雷戦隊▲ ┏━→
(田中少将) △━━━┛
×━━┛
┏┛2/N
┏┛
┏┛ ┌──▲→
×─────┘ 第七戦隊(栗田少将)
┏┛1/N >>548の続き
こうして、両部隊は南北に約100浬を隔てて、並走しながら
ミッドウェー島を目指すことになったのです。
こういう事例を知ると、大部隊を率いて、落伍艦などを出さずに
予定通りに航行することが、いかに難しいか分かりますよね。
ハワイでもインド洋でも、その他でも、南雲長官が指揮する
機動部隊には、同様のことは、ほとんど見られません。
航空に詳しいから、空母部隊を指揮させれば良い
というような単純な話では無いのですよ。 >>546
すみません、番号を間違えていました…。
理由を知ることができてよかったです。ありがとうございます。 >>550-551 >>746にどんなレスがつくのか楽しみですな
もしや、予知能力の持ち主かも >>549の続き
こうなると、さすがに栗田少将も船団の所在が
不安になったのか、
同日(6月1日)、重巡より水偵を飛ばして
付近を捜索させています。
しかし、捜索範囲が西方海面に限定されていたため、
北方に居た船団を見つけることはできなかった。 >553の続き
サイパン出撃以来、船団の航行速力は12.5ノット
実際は11ノット程度だったと言われています。
もちろん支援隊の重巡も、その速力に合わせるわけですが、
低速での航行は燃費も悪くなるし、視界に直接捉えられない
夜間などは、ついつい先行しがちですよね。 >>554の続き
5月30日に船団を見失ってから、丸二日も見つからない今、
という状況では、低速の船団部隊が、重巡部隊よりも先行
することは考えにくい・
おそらく船団部隊は、何かの故障等により、
予定航路より遅れている。
すなわち、重巡部隊から見れば、後方(西方)に居るはずだ
と考えて、そちらに水偵を飛ばして捜索させたのは、
不自然な考え方ではありません。 >>555の続き
それに加えて、栗田少将は船団との関係位置を
調整するため、
6月2日0325時から0630時の約3時間
”反転”している。 [第七戦隊の反転](6月2日)
第七戦隊(栗田少将)
┏━━━━━━━━━━━▲→
┏━━━━━━╋━━→━━┓
━┛ 0630時┗━━←━━┛0325時 >>557の続き
これまた、>>555と同じ理由で、
>重巡部隊から見れば、後方(西方)に居るはずだ
一定時間、現海域にとどまって、遅れている船団を待とう
という意図ですね。
栗田少将は、この2日以外にも、3日と4日にも、
同様の反転を行ったが、既述のとおり、船団は
はるか北を航行しているのだから、見つかるはずもありません。 >>558の続き
公刊戦史によれば、3日間にわたる反転は、
6月2日0325時〜0630時(約3時間)
6月3日0300時〜0530時(約2時間半)
6月4日0300時〜0600時(約3時間)
合計8時間半。
巡航速力14ノットで航行したとすれば、119浬 >>559の続き
つまり、単純計算ですが、第七戦隊がミッドウェー島
砲撃命令を受けたとき、予定よりも、約120浬も
離れた位置に居たということになります。
>命令を受けたときの位置が、近藤長官の予想より
>かなり遅れていたので、(>>504) >>560の続き
120浬と言えば、全速35ノットでも約3時間半
日の出の1時間前に、ミッドウェー沖に到達するのと、
4時間半前に着くのとでは、
作戦遂行における余裕度が、まるで変わってきますよね。 >>561の続き
公刊戦史では、この間の栗田少将の
行動について、次のように指摘している。
「栗田司令官は、船団部隊の所在を確認する処置を
とらなかった。
同隊は、水偵計12機を有し、海上の模様も不良の日
ばかりではなく、広範囲の捜索を行えば、容易に
船団部隊を発見できたことは確実である」
(『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』)p271 >>562の続き
水偵の場合、収容時はいったん海面に降りてから
揚収しないといけないので、その運用には、
空母艦上機以上に、天候や海面状況の影響を受けます。
実際、船団部隊の方も、
5月31日、6月1日、3日は、
「海面の状況が悪かったため、飛行警戒を行っていない」
と記録されている。 >>563の続き
第七戦隊の方でも、事情は変わりませんが、
1日には、水偵による捜索を行っています。>>553
記録だけを追っていれば、
「2日も天候は回復したのだから、水偵を出すべきだった」
と言えるでしょうが・・・ >>564の続き
空母と同じく、索敵などで飛行機を遠方に出す場合、
機位を失って、帰って来られなくなる機体が出てくる
リスクを伴うので、判断が難しいところです。
作戦開始前は、何より企図の秘匿が第一で、
電波を出して、誘導するわけにはいけませんからね。 >>565の続き
それ故に、本職は、公刊戦史の指摘に
全面的に賛同して、
「そーだ、そーだ、全部栗田が悪い!」
とは、言いたくないんですよね。 >>566の続き
とはいえ、軍人の本分は、任務遂行
上陸船団の直接護衛は、第二水雷戦隊に
任せるとしても、
護衛対象の現在地を把握していなければ、
”支援隊”の任務を果たすことはかなわない。 >>567の続き
そして、6月4日を迎えます。
この日、船団部隊は、ミッドウェー島を基地とする
敵哨戒圏内(700浬)に突入し、
実際に、PBYに発見され、B-17の空襲を受けることになる。 >>568の続き
このとき、栗田少将の第七戦隊は、
何をしていたのかというと、
「しかも栗田司令官は、4日朝、船団部隊が
敵哨戒機に発見されたとの報告により、船団の位置が判り、
自隊が大きく遅れていることを知ってからも、
船団支援に差し支えないと判断し、
その位置を回復しようとする処置をとらなかった」p271
これはさすがに、まずいんじゃ・・・ >>569の続き
どうも栗田長官には、この手の話が多くて、
この後の、三隈と最上を放置して遁走疑惑や
有名なレイテでの謎の反転など、
様々な解釈があるのは確かですが、
そういう印象をぬぐい切れない何かを持っていますよね。 >>570の続き
実はこのミッドウェーでも、出撃前に
こんな話がありました。
上陸船団の集結地はサイパンだったため、
護衛隊の第二水雷戦隊や、
支援隊の第七戦隊は、
第一段作戦の所定の任務を終え、
内地で補給整備の後、サイパンに向かうことになっていた。 >>571の続き
栗田司令官は、5月22日に呉を出港、
サイパンに向かう予定だったが、
「サイパン方面の敵潜情報により、
行き先を変更して、グアムに向かい、同港内に入泊した」(p181) >>572の続き
我が海軍では、所在部隊の中で最先任指揮官が
統制することになっていました。
サイパン集結部隊は、
上陸部隊が、第二聯合特別陸戦隊(大田實少将・海兵41期)
陸軍一木支隊
護衛隊が、 第二水雷戦隊(田中頼三少将・海兵41期)
支援隊が、 第七戦隊(栗田健男少将・海兵38期) >>573の続き
この中で、先任は栗田少将になるので、
彼が指揮すべきところ、勝手にグアムに行ってしまったため、
田中少将が代わりを務めることになった。
この件についても、攻略部隊(第二艦隊)参謀長の
白石少将は、不満を述べています。 明日は飲み会のため、お休み。
この時期の花見は、まだ肌寒いですよね。
このスレ立てを思い立ったとき、
天邪鬼の本職は、世間一般の”評判が悪い提督”を
主人公に選ぼうと考え、候補にあがったのが南雲と栗田。
牟田口という線もあったが、陸軍のことはよく分からん・・・ >>575の続き
二人を比較したとき、南雲長官の作戦指導については
筋を通して擁護できると思っていたのですが、
栗田長官の方は、自信が持てなかった。
それで、南雲スレとなったわけです。
ほんとは、南雲という名前が好きだからなんですけどね。
ナグモタスクフォース!
やり甲斐のある仕事だと思うので、
我こそはと思われる方は、「栗田長官を再評価するスレ」
に挑戦してみては
それではノシ >>570
栗田ンに関しては、これより前のバタビア沖海戦での吸った揉んだもありますねw >>562
>公刊戦史では、この間の栗田少将の行動について、次のように指摘している。
>「栗田司令官は、船団部隊の所在を確認する処置をとらなかった。
全ての人に意地悪く!
ある事象について批判を行うならば、
その責任ある当事者“全員”を平等に批判しなければ、不平等です。
『戦史叢書 ミッドウェー海戦』では栗田司令官の行動に対して批判気味ですが、
「田中船団部隊と栗田支援部隊の分離後、早期に合流を図れなかった事」
については、明らかに不平等な考察・論評である、と私は判断します。 >>578
>「田中船団部隊と栗田支援部隊の分離後、早期に合流を図れなかった事」
結論から述べますと、この事例の発生原因は
「協力部隊間の意思疏通“継続”の不適切」
であり、その各協力部隊指揮官中最大の“直接責任”があるのは、
田中二水戦司令官
と私は判断します。
(もしくは藤田類太郎少将、兵38期、第十一航空戦隊司令官) >>579の続き
>>540のとおり、船団部隊の針路決定(当初計画の針路変更をしない)を行ったのは田中司令官です。
しかしこの時、>>542のとおり田中船団部隊の視界内に栗田支援隊は確認出来なかった。
つまり、栗田司令官は田中船団部隊の行動変更について、知りようがありません。
よってこの瞬間から田中司令官は栗田司令官に対して、
船団の行動変更及び現在位置について
「“能動的に”可及的速やかに報告(通報)」
しなければならない“責務”が生じたのです。
(軍令や作戦遂行がどうこう以前に、常識の範囲内でのなすべきことかと思います。) >>580の続き
ではどのように「伝達」すべきなのか?
>>543他のとおり、“この時点”での無線封止解除はデメリットが多く現実的ではありません。
よって、田中船団部隊と“藤田航空隊”は、天候と海面状況を勘案しながら、
水偵を用いて栗田支援隊を捜索するのが現実的と考えます。 >>575
一昨年あたりに古峰氏がそれを題材に講演や記事書いているけど、それくらいあまり取り上げられない題材だからなあ
他じゃ取り上げてても精々、補給ガーのジンギスカン、聖将ムダグチーンで終わりだろうしな >>581の続き
>>562のとおり同戦史叢書は
>「栗田司令官は、船団部隊の所在を確認する処置を とらなかった。
>同隊は、水偵計12機を有し、〜
と指摘していますが、これは、
田中船団部隊とその協力を担う藤田航空隊にも全く同じことが言えます。
参考(同書P173、含む補用機)
神通 三座水偵1機
千歳 三座水偵7機、二座水偵16機
神川丸 三座水偵4機、二座水偵8機 >>583の続き
同書は>>562のとおり
>海上の模様も不良の日 ばかりではなく、広範囲の捜索を行えば、
>容易に船団部隊を発見できたことは確実である」
と述べていますが、本来「より容易に」に発見できる可能性が高いのは、
田中司令官が藤田司令官へ協力を求めて、栗田支援隊を捜索する場合です。
単純に考えても、
1.田中司令官(及び藤田司令官)は、栗田支援隊が
当初計画どおりの航路付近を行動中と推測可能。
2.両部隊の水偵合計数は36機であり、
支援隊の水偵合計数12機の三倍である
(注、水上機母艦の補用機数の内訳は不明)。
ですから。 >>577 まぁ、船団を守るために戦闘を避けるというのは
ひとつの選択肢ではありますが・・・
>>578 ご無沙汰しております。げそげそ
仰るとおりで、栗ターンが相手だと、どうしても色眼鏡で
見てしまうんですよねぇ >不平等な考察 >>585の続き
>田中二水戦司令官
そうですよね。南雲機動部隊においても、濃霧で飛龍を見失い、
無電を打って探すかでもめたことがありますが、
そういう時って、南雲司令部の判断ばかりが批評されますが、
逆に、旗艦を見失ってしまった飛龍の方は、あわてたりしなかったんだろうか
と思ったりします。
田中少将としては、船団護衛が主任務なので、
それの妨げとなるようなことは、わざわざやる必要は無い
と思っていたのかもしれません。
あるいは、敵潜情報があった海域を抜けたら、本来の航路に
戻るつもりだったとか。 >>582 まさにそれで、
本職もスレ立て以来、基本方針としているのは、
「純軍事的な視点から考察する」ところです。
どうしても政治的な話や、戦略論がからんでくると、
結局答えは出ないし、”春だしな”という輩がたくさん湧いてきますから。 >>574の続き
当スレの立場から申し上げますと、
安易な結果論や、神の視点から、批判することは好まず、
当時の前線指揮官が、知り得たことから、公平な態度で
考察していくべきではありますが、
いかんせん、南雲長官のときと違って、
栗田長官が、なぜこんな行動をとったのか、については
考察の材料が、あまり無い。 >588の続き
ほんとはあるのかもしれないが、
本職にとっては、南雲長官ほど好きな提督でもないので、
興味も無いというのが、正直なところか。
軍板の姿勢としては、ふさわしくないのかもですが、
それは後進に任せるとしましょう。
つ「栗田長官を再評価するスレ」 >>589の続き
>>560のとおり、現実問題として、栗田第七戦隊は
作戦計画よりも、120浬遅れて、ミッドウェー島へ向かうこととなり、
また、第二艦隊司令部もそれを把握していなかったため、
ミッドウェー島砲撃を命じたときにも、気付かなかったわけです。 けど日本軍人からの擁護の声は栗田のほうがけっこう多いよな。 >>591
捷号作戦のことなら命の恩人だからな。
突入していれば幾許かの戦果と引き換えに全滅は間違いなしだったから。 >>591 そうなんです。
奥宮参謀なんかも、小澤長官は酷評していますが、
栗田長官は同情的ですよね。
>>592 なるほど 祝!新元号令和
早速、単語登録しましたよ。
昨日は昼休みに入って、ヤフーを見たら、
トップが全部新元号の話題でびっくり
家に帰ってニュースを見て、号外争奪戦にびっくり
今朝は、全国紙を全て購入
官房長官も歴史上の人になりましたなぁ
当面の目標は、令和生まれの女の子と××・・・
おっと、まだ気が早いか >>590の続き
>>494の通り、第七戦隊がミッドウェー島砲撃命令を受けた
1115時は、未だ飛龍は健在ですので、妥当性を論じることが
出来ますが、
その後、14時過ぎには、頼みの飛龍が被弾して、
空母航空兵力を完全に喪失してしまった。 >>595の続き
ところが、GFの作戦継続の意思は変わらず、
水上艦艇のみの夜戦決行を企図。
作戦継続に消極的な姿勢を見せていた南雲長官から
機動部隊の指揮権を取り上げるほどだったが、 >>596の続き
結局、2355時になって、ようやく作戦中止を命令。
それに先立つ2120時に、GF機密第三〇四番電として、
「AF砲撃ヲ止メ、明朝0600、主力部隊ノ位置ニ向ヘ」
と砲撃中止命令を出した。
この間、第七戦隊は35ノットで、島へ向かって、
全速航行を続けていたのです。 >>593
レイテの反転の件はいくらでも擁護できる。
ただサマールで正規空母と誤認してたのに追撃しなかったのは栗田のミスだよな。
重巡戦隊はあと一歩のところまで接近してたけど大和は魚雷回避のため北に舵を切って
戦場から離れてしまい状況が分からず集合命令を出してしまったためにチャンスを逃した。
なのにヤキイカの位置に敵空母発見の電文を便りにこれを撃滅しようとしたって下手な言い訳するからおかしくなる。
なんで離れた位置のそれより目の前の敵空母を攻撃しないのか?ってなるわな。 >>592
>突入していれば幾許かの戦果と引き換えに全滅は間違いなしだったから。
捷号作戦の検証はまだ手をつけていないので、あくまで現時点の私見です。
通説ではサマール沖海戦後の反転時点での栗田艦隊には、
小沢機動部隊が米機動部隊からの空襲を受けている旨の電文は、到達していない、
と言われています。
つまり反転後の栗田艦隊は、
他の健在な米空母群から前日同様の激しい空襲の反復は必至で、
かつ新型戦艦他有力な米水上部隊との交戦も予想されます。
その意味では、能代や野分等の予想外に低い損害で撤退できたのは、
「たまたま運が良かっただけ」
とも言えるかと思います。 >>599
実際には小沢部隊の電報は大和に届いていたという説もあります。
受信した大和の通信員は当然ながら大和の所属する第一戦隊の司令官である宇垣少
将に届けた。
宇垣少将は電報の宛先が第二艦隊司令部(だったと思います)になってるのでこれまた
当然ながら栗田中将にも既に見ていると考え栗田中将には知らせなかったらしいです。 >>599の続き
またシブヤン海空襲で反転し進軍が遅れた栗田艦隊は、
麾下の西村部隊に対して単独レイテ突入を事実上命じる(敢えて止めない)ような電文を出しています。
「西村部隊はレイテ“東方”で本体と合流せよ」と。
この時点で作戦の要の一つだった“同時突入”は崩れさります。
小柳2F参謀長は同電文について、「一種の作文だった」と述べています。
意図や解釈は色々あるかもしれませんが、
厳しくみれば、部下の西村部隊の壊滅を放置したとも取れます。
個人的には、栗田長官は西村司令官にも反転命令を出して、
あくまで両部隊の同時突入を目指すべきだった、と考えます。 >>601の続き
これは栗田長官及び同司令部だけの責任ではありませんが、参考まで。
サマール沖海戦について栗田長官は、
「米正規空母群1個を撃破」
と戦果報告しています。
その他基地航空隊の戦果報告等も併せて、
豊田GFと大本営はレイテ決戦を続行します。
結果レイテ島では莫大な陸軍兵力を失い、
レイテ沖海戦を生き延びた二水戦等の海軍艦艇も
多号輸送作戦等で壊滅的な損害を受け、
捷号作戦は大敗します。 >>598- まぁ、レイテの話は日をあらためて・・・ >>597の続き
近藤長官は、栗田司令官より、第七戦隊の艦位に関する
報告を受けており、予定より遅れていることも把握していた。
そのため、同戦隊に対し砲撃命令を下令したものの、
1200時にGF司令部に対して、次のような状況報告を行っている。 >>604の続き
「聯合艦隊電令作156号ニ関シ、
当部隊第358番電ノ通リ、発令セラレタル処、
ミッドウェー到着ノ最モ早キ支援隊ノ1030ノ位置ハ、
ミッドウェーの255度・410浬ニシテ、
黎明直前同地ニ到着シ得ル状況ナリ、念ノ為」 >>605の続き
(註)
「聯合艦隊電令作156号」とは、1010時に、
GFが攻略部隊に出した、以下の命令。
「今夜AF陸上航空基地ヲ砲撃破壊スベシ」
「第358番電」とは、上記の156号を受けて
攻略部隊から第七戦隊に対し、ミッドウェー島砲撃命令
を打電した電文と思われます。 >606の続き
>>605の最後の一行は、意訳すると・・・
「第七戦隊が、ミッドウェー沖に到着するのは
夜明け前だから、そこから砲撃を始めてたら、
すぐに、ミッドウェー基地の敵飛行機が飛び始めて、
離脱が間に合わなくなりますよ」 >>607の続き
公刊戦史の解説にもあるとおり、
砲撃中止をうながしたものでした。
しかし、これに対して、GFは何ら回答をしていない。
近藤長官以下、第二艦隊司令部の誰もが、
砲撃任務の困難さを理解していましたが、
「GFの命令だから従わざるを得なかった」(p467) >>608の続き
第七戦隊としても事情は同じで、
個人の考えとして、疑問を抱いていたとしても、
軍人にとって、命令は、
「上官の命を承ること、實は直に朕か命を承る義なり」
と心得なければなりません。
旗艦であった熊野の鈴木正金首席参謀などは、
「聯合艦隊は空母を喪失して、血迷ったな」
と漏らしていたとか。 なおさらアホ南雲が「攻撃機の半数を雷装して待機しろ」という命令を
ないがしろにしたことが際立つよなw >>610 攻撃隊の編制にまで口を出すGF司令部が異常
ってわけですな。 >>609の続き
とにもかくにも、問題解決の唯一の策は、
一刻も早く、ミッドウェー沖に到達して、砲撃を実施し、
さっさと避退することですね。
第七戦隊司令部が、どの程度戦況を把握していたかは
分かりませんが、第一機動部隊のミッドウェー島空襲により、
敵基地航空兵力は、ある程度損耗しているはず。 >>612の続き
また、敵空母部隊が出てくるとやっかいですが、
一般に空母艦載機の行動半径は狭く、
飛龍が健在である以上、島の西側まで進出してくる
ことは、あまり考えられません。
状況によりけりですが、
案外うまく離脱できるかもしれないですね。 >>613の続き
というわけで、最大戦速35ノットで急進撃を開始した
第七戦隊。
もともと、護衛として第八駆逐隊の2隻(朝潮・荒潮)が
随伴していましたが、付いていくことが出来なくなって、
途中で落伍していきました。 >>614の続き
朝潮型駆逐艦もまた、最大戦速は35ノットですが、
全速航行をすれば、あっという間に燃料が尽きてしまうので、
仕方ないでしょう。
こうして、最上型重巡4隻のみで、
一路ミッドウェー島を目指すことになった。 >>615の続き
栗田少将は、後のガダルカナル島をめぐる戦闘において、
戦艦金剛・榛名の2隻を率いて、ヘンダーソン飛行場砲撃を
成功させています。
そのときは、ガ島沖を一往復して、計900発余りを
叩きこんだのですが、 >>616の続き
今回のミッドウェー島砲撃計画について、
公刊戦史の記載によると、
「各艦500発、射撃距離1万メートル(10km)、一往復」
だったようです。 >>617の続き
500発というと多いように聞こえますが、
最上型重巡は、20.3センチ砲を10門搭載しているので、
1門につき50発、すなわち50斉射
射撃間隔は約30秒なので、ざっと30分で終了する計算です。 >>618の続き
旗艦熊野の艦長だった田中菊松大佐の回想によると、
同大佐は鉄砲屋の専門家だったので、栗田司令官に対し、
「距離8千メートルまで接近して、射撃効果を上げるように
進言したところ、
栗田司令官は、
「ぐずぐずしていると夜明けとなり、敵飛行機の反撃を受けるから
砲撃は一航過で行い、全速で避退する」
と却下されたとか。
妥当な判断ではないかと。 >>619の続き
史実では実現しなかったものの、
実際に、ミッドウェー島砲撃を実施したとして、
どれほどの効果が期待できるのでしょうか。
離脱云々は抜きにして、
純粋に砲撃の効果のみに、話を限定します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています