船体構造の不連続な部分があると強度的には不利

金剛から土佐まで船体に砲廓があってデコボコしていたが、天城でツライチになった

この後、米英独の新戦艦のように外舷ツライチ化に進むかと思われたが、大和で艦尾の段差や艦載艇出入口ができて、仏伊と共にこれに逆行する流れになった