【軍事】 - 新・戦艦スレッド 81cm砲
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艦の元祖ロイヤル・サブリンから
最後の戦艦ヴァンガードまで
+未成・計画艦も
色々語りませう
ワッチョイ禁止
前スレ
【軍事】 - 新・戦艦スレッド 80cm砲
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1537690465/ 負けないシナリオという意味であれば欧州における独伊の勝利を前提とした英の屈服、インドの脱落により米国の戦意喪失を狙うのが日本の戦争終末促進だった 心理学者の岸田秀氏は日本がアメリカに戦争を挑んだのは
鎖国という惰眠をむさぼっていたのに無理やり起こされアメリカに強姦されたその
(股でなく港を開かせられたと比喩している)屈辱の復讐という感情性の爆発であり、
何を目標としどこで終えるかという合理をまったく無視していた戦争だったという
ペリーが率いてきた戦艦と真珠湾で撃沈した戦艦がともに四隻とは何たる附合かとも
(まあうち2隻は引き揚げられたけど) 考えたら日本航空機に沈められた2隻の仇は大和と武蔵を航空機で沈めることで
とられちゃったけど 実際は鎖国なんてのは明治になってから作られた話で江戸時代は鎖国なんてしてなかったわけだが
ペリーがやった事は元々開かれてた港の数を少し増やしただけったいう・・・ 鎖国令ってのはあとからつけた名称だけど
海外渡航禁止、海外からの帰国も禁止、難破した外国船の救助も禁止
(ここらは有名なメルヴィルの『白鯨』なんかにも書かれている。
日本は救助してくれないから日本近海は万全の準備をして渡航するとある)
だから、閉鎖してたのは確かでやんしょ >>308
いや政府の許可しない出入国は認めないのは今でも同じなんだが・・・
したら不法出入国な
日本の民間人の海外渡航は前面禁止だったが外人は指定の地域に限り入国を許可されてる >>302
実際には戦隊ごと、駆逐艦なら駆逐隊ごとの演習はなんとかできてたが、
艦隊、水雷戦隊といった規模では不十分で、特に水雷戦隊の夜戦演習はできてなく、
図演通りの行動ができるのか、演習通りの命中率が発揮できるか問題とされてる。
基地航空部隊の陸攻部隊の機動演習もやっと機数が揃って内南洋で始めたのは1941年6月あたり。
飛行場の問題が露呈してくるのはまだ先の話だし。
まぁそれでも1941年後半の目の前にあるアメリカ太平洋艦隊とアジア艦隊の陣容なら、日本が勝てるというのも間違いではない。
なによりアメリカ海軍自体、現戦力で艦隊決戦すると勝てないからやらないと決めてるしね。 1941年が歴史上日米もっとも海軍力の差が縮まったときだったのは確かあkと(少なくとも太平洋艦隊との)
翔鶴型が2隻できて高速空母の数なんて彼を凌駕したし、制空戦闘機の力も中国で証明された。
46p砲搭載艦もじき完成。今こそ時来たれり! みたいな感じはあったんでしょうね >>305
岸田秀って自説の意趣返しで韓国は統合失調症と指摘されて火病っていた人か もう後一年もすると新戦艦や空母がどんどん完成してくるというのも認識していたような。 >>312
その話は知らないけど韓国関係ならもっと面白いこと言ってるよ
日本は百済の植民地だったんだってさ
663年の白村江の戦いは百済が植民地である日本にいた部隊を呼び戻して
唐と新羅の連合軍と戦ったんだって。百済人は日本語しゃべっていたらしく、
少なくとも百済が同盟国だからではなく、同民族、運命共同体だから軍隊が海を渡ったと言っている。
それで負けた百済が日本列島に逃げ込んで興した国が日本なんだと。
そのときに歴史書を書き換えて日本書紀が誕生した。
いや本当か俺は知らないよ。俺がそう信じているわけでも。彼がそう書いているってだけで。
しかし当時、軍事的には中国に近いほうが進んでいたという説は説得力あると思った。
白村江でも唐がすごい戦艦持っていたから惨敗したらしいし。
そう考えたら日本がいまだ大和最強とか戦艦にこだわるのも分からないでもない希ガスなw >>314
そんな珍説が発掘品の年代測定ができる現在でも通用すると思ってるんだろうかw >>311
一年限定で楽しいゲームが出来るんだから、後は野となれ山となれの精神だからな >>314
・広開土王碑
「百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。
而倭、以辛卯年[391]來、渡毎破百殘、更□新羅、以爲臣民。」
百済と新羅は高句麗の属国だったが、391年に日本が海を渡って攻めてきて百済を打ち破り、さらに新羅も打ち破って属国にした。
・隋書 巻八十一 東夷伝 倭国
「新羅百済皆以倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来」
新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い、仰ぎ、つねに使いを送り、往来している
・宋書 巻九十七 夷蛮伝 倭国
「興死弟武立 自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大
將軍倭國王(中略)…詔除武使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事
安東大將軍倭王 」
倭王武の時代に宋から使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を受ける。
・三国史記 新羅本紀
倭国と好誼を通じ、奈勿王の子未斯欣を人質とした。 均貞に大阿滄を授け、仮に王子として倭国に人質として送ろうとした。
・三国史記 百済本紀
(阿宰)王は、倭国と好誼を結び、太子の腆支を人質とした。
太子であった扶余豊は、かつて倭国に人質となっていた。
・梁職貢図
斯羅國(新羅國)
「斯羅國本東夷辰韓之小國也魏時曰新羅宋時日斯羅其實一也或属韓或属倭國王不能自通使聘暜通二年其王姓募名秦始使随百濟奉表獻方物其國有城號曰健年其俗與麗相類無文字刻木為範言語待百濟而後通焉」
斯羅國(新羅國)はもともと東夷の辰韓の小国であり、魏の時代は新羅といわれ、宋の時代は斯羅といわれ、その実は同一の国である。
或は韓に属し、或は倭に属し、そのため国王は自ら使者を派遣することが能わず、普通二年(521年)に、その時の斯羅王「姓は募・名は秦」(法興王)が百済に随伴して始めて使者を遣わし貢物を捧げるようになった。
その国には健年という城があり、その習俗は高麗と類似し、文字はなく木を刻んで範としていた。言葉は百済の通訳により通じていた。 >>310
アメリカが決戦を挑むとしたら1942年後半頃かな? それはないな
42年後半ならエセックスは就役の寸前だし、アイオワ級も鋭意建造中
ドイツ大型艦はすでに大西洋に不在なので、米空母や戦艦は大西洋では使い道がない
新鋭艦の太平洋回航を待たずに何の決戦? 原爆完成させてからだから1945の秋以降だな
原爆さえあれば大和だろうが武蔵だろうがワンパン でもミッドウェイはほとんど艦隊決戦の形になってると思うんだけどね。
彼我の参加勢力的にも、結果の重さにしても。しかも日本に有利な。
戦艦に活躍の場がなかったから当初想定的であった『決戦』として見られないだけで。
マリアナは『決戦』つうより日本最後の通常航空戦力を伴った抵抗って感じだし
話飛ぶがサッカーのW杯とか見ててもミッドウェイ思い出すことが多い
日本人は詰めが甘いというか、油断しやすいというか、大逆転食らいやすいというか・・・・
緊張感が持続しないというか執念深くないというか、やはり淡白な国民ってことなのかな >>318
その辺は史実のマリアナ沖海戦が起きた1944年以降だろうね
日本でもアメリカでもこの辺りには戦力差が大きく開くのは知ってたから
アメリカは早めに決戦する必要は無い
日本はそれまでに決戦を相手に強要したい
そのせめぎあいだからね じゃあこういうことか
日本に有利だった艦隊決戦=ミッドウェイ海戦
アメリカに有利だった艦隊決戦=マリアナ沖海戦
どっちとも日本完敗。あかんやん。 マリアナで大和武蔵長門金剛対米新戦艦7隻の水上砲戦が起きる可能性はあったけど、日本の前衛部隊が引き上げてしまった
その水上砲戦は米制空権下で行われるので日本艦隊は虐殺されただろうが
だから日本戦艦は引き上げたんだし
その後のレイテは日本艦隊をすり潰す覚悟の勝ち目のない出陣で、事実すり潰された >>319
1942年後半だとトーチ作戦の支援のため空母レンジャーや戦艦マサチューセッツが
大西洋で働いてるし、ティルピッツへの抑えやDデイで戦艦テキサス、ネバダ、アーカンソー
がその後も尽力してたよ。 >>324
>米制空権下で行われるので
結局これだよね。 >>321
ミッドウエイ海戦って、当面侵攻する形の艦隊決戦はやらないと決めたアメリカが開戦前に想定してた通りの戦いなんだけどね。
想定と違うのは、本来ならアメリカも後方に戦艦部隊準備するはずだった。
ところが真珠湾攻撃以降の作戦転換で、開戦後大西洋から回されたニューメキシコ級は西海岸待機。
ノースカロライナの太平洋行きはミッドウエイ終わってからだし戦艦をどう使うか悩んでる頃なんだな。 ミッドウェーなんか米軍が戦艦同士の砲撃戦をやる意思も戦力も無いのに艦隊決戦も糞もないだろ
日本海軍の詰めが甘いのも相手に対して数的不利を覆せない現実を理解してるからこその艦隊保全主義だし 山本長官は、どうせ2年で破綻する対米戦なら無茶な作戦の連続ともいえる前方決戦思想の強要で
米軍に打撃を与え続けようと考えたらしい。しかし失敗
もしも山本五十六を排除したとして、米艦隊の侵攻時期は1941年〜45年まで複数の意見が出てる。
しかしその時期を決めるのは名無しではなくアメリカ。日本は様々な可能性を想定するのみ。
仮にずっと侵攻してこないなら太平洋の要塞化を進め、航空隊の練度向上、飛行場整備などを頑張るだけ。
そして侵攻してきた米側に出血を強要する。この方が妥当だろう >>330
それが本来の戦争指導方針だったんだけどね。
ただ要塞化はなかなか進まないと思われる。
何故なら海軍が侵攻を止めて持久に入るのを1942年前半と想定して、
陸軍は成都への侵攻作戦を計画し、輸送船をこちらへ振り向ける予定だった。
海軍が太平洋で持久してる間に全力で中国を屈服させ、
その後余裕のできた戦力でインド方面に侵攻しイギリス圧力を加えるか、
もしくはソ連に侵攻するという(マテw)しごくまともな戦略だった。 中華民国が首都を移していた内陸部への成都への侵攻作戦に輸送船が必要? >>332
内地から運ばなきゃいけないものもたくさんあるだろう。
ゲームみたいに現地の補充ポイントで完結ってわけにはいかんぞ。 史実ではミッドウエイ作戦とそれに続くガ島の戦いで
輸送船及び資材の割り当てを受けられず、結局四川侵攻の5号作戦は放棄された。
陸軍がこの作戦に必要としたのは輸送船10万トン、鉄5万トン、航空燃料5万トン(すべて現状割り当てプラス分) そりゃ内南洋諸島の要塞化って言ってもアメリカが明治時代に略取して要塞化進めたハワイに比べて
軍縮協定期限切れからやっと手をつけた日本とじゃ雲泥の差ですし
トラックの竹島なんかコンクリの巨大空母みたいな有様に造成したけど重油備蓄やドック施設とか
肝心の部分は全く間に合わず大多数の島じゃ手掘りの洞窟陣地が関の山 大根拠地のトラックでさえも荷揚げの能力不足してたんだから
内南洋諸島の要塞化が間に合わないのは当たり前
まあ根本的な国力不足なんだから時間かけて国力蓄える以外
どうにもならんのだけど 民生用の荷揚げ設備としてふ頭やクレーンだけでも整備しときゃ そこで歴史改変のポイントとしては、ブルドーザーをどうやって手に入れるかという話になる。 連合軍がD-dayで使ったマルベリーみたいな人工港でも用意できればな・・・ 普通に明石さん量産でええやろ、量産でコストダウンも期待できます 国内の工場でも工作機が足らんのに中身空っぽの明石さん増産ですか しかも明石搭載の工作機械って大半が輸入品じゃないの? 同じような国産機械だってあるだろ、工作艦は複数必要なんだからある程度の性能定価は仕方ない ひょっとして軍艦が一回完成したら沈むまで完全無傷で故障も0とかおもってるガイジ? おいおい、スレの流れ無視して話し逸らして何がしたいのかね? 工作できる施設か工作艦がないとなにかダメージやトラブルが起きるたびにいちいち日本に帰らないとならないですよ、物凄く時間と燃料の無駄ですよね 工作艦で直せるのは精々小破程度で本国に戻る応急修理くらいだけどね
アメリカでも大中破すりゃハワイで直せなくて本国送りよ みんなが島嶼要塞化の話をしてるところに、
突然イミフの話を始めて、指摘されると逆切れ、そして居直り。
やってるのはいつも同じ人間だろうなぁ。
無駄にスレ荒れるだけ止めてくれよ。 >>343
まみちゃんに立派な冷房付き宿泊施設をつけたような艦つくって
そいつを連合艦隊旗艦にすればよかった
そしたら大和も特に武蔵も余計な空間とられず
何より後方待機の足枷はずせたのに 大和とかトラック在住の戦艦は原油を代用重油に使うための静置脱水タンク代わりにされてたから
保養艦だけ用意してもやっぱり放置プレイだったのは変わらんよ 暇なら大和武蔵で交互にブルネイと行き来すれば差し引き1往復3000トンくらい運べたんでは。 まあ何か犠牲にして30ノットにしたところで機動部隊に随伴したかも怪しいし
随伴したところで何ができたかも怪しい
機動部隊のための偵察任務は利根筑摩の独壇場で
そもそも「戦艦から空母のための偵察機なんて出せるか!」ってなりそうだし
使い道ないないづくしですな 大和はトラック島に兵員輸送してる時に雷撃されて損傷してるからな・・・ 開戦前に連合艦隊旗艦は廃止にして通信能力の高い陸上基地にする方針にして
大和武蔵は艦隊司令レベルで運用できなかったのかな?
だいたい名目的に連合艦隊旗艦とか高雄級でええやろ シマロンみたいな給油艦を無条約時代から年に1〜2隻着工とかいう発想にはならないのか? 大体、島国は資源ないから輸送艦が潜水艦に狙われるのは大西洋でわかっちょるんじゃけん
護送船団方式も含めた対潜設備の開発、運用を勉強、投資せにゃあいけんよ >>357
対米開戦数ヶ月前の一艦隊司令部の新設あたりが
聯合艦隊司令部を陸に上げる良い機会だったと思うけど、
まだその頃にはそこまで思い切れなかったかね。 96艦攻をなら羽布と鋼管で主戦力な航空機と競合しないで量産できたんだし
西南諸島沖、バーシー海峡や仏印沿岸を哨戒するんではいかんのだろうか?
対空レーダー付き米潜を一時的に潜らせるだけでも制圧効果はあんでないの? >>357
そういうのを即決できるような柔軟な組織なら(つまり戦争に勝てる組織なら)戦争になってない定期。
いやまあ何をしても最後は力尽きる相手だが まるで日本海軍が輸送船護衛に関心が無かったかのような意見が多いが太平洋の彼方の
占領地や拠点とシーラインを維持するなんて想定が無かっただけで主要航路の沿岸航路護衛用の
小型護衛艦は作ってた
石油なんかアメリカから買ってアメリカのタンカーで運んでたし護衛なんかする発想が無かった
アメリカと険悪になってインドシナとの貿易が急増するようになって足の長い護衛艦を探したら
国境警備と漁業保護用の海防艦が目に付いたので転用しようってなった程度 >>361
でも英国の輸送船団護衛隊とドイツ通商破壊潜水艦隊との技術応酬(欧州の洒落じゃないが)みてたら
まず第一に日本はやっぱ基礎的に科学工業力劣っていたとあらためて認識せざるを得ないッスわ >>364
こういうのを数字で見せられると、嫌でも認識せざるを得ない。
ttp://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6597/ind.html >>359
そんな事に割ける予算も資源も無いから長期戦はやらないというのが海軍の基本方針
なにより米英同時開戦とか想定外。
海上交通線の確保は本土周辺と対米戦はオホーツク海、対英戦の場合は南シナ海、南洋諸島交通
対米戦での南シナ海、南洋諸島の水上交通線は状況許す限り確保に努める、努力目標なんだな。
だから開戦時に護衛艦艇主力の海防艦は占守型4隻の北方向けしか持ってなかった。
南方資源地帯からの輸送と護衛なんて、開戦になって初めてどうしようとなったんだよ。 あと高速輸送船、タンカーについても助成制度で建造を促進してはいる。
でもあれが限界なんだな。
面倒だからリンク先参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/船舶改善助成施設
https://ja.wikipedia.org/wiki/川崎型油槽船
大型船欲しいのはわかるけど、軍艦建造と造船所取り合いになるんだよね。 なんのためにW W1地中海派遣駆逐艦隊を送ったのかわからんなw 世界大恐慌後の世界中で係留されたままの商船が1400万総トン。
日本でも37万総トンが港に係留されたまま。
そんな中、助成して新造船に置き換えようとしたんだから評価されるべきなんだけどな。
それに乗ってタンカー建造に助成した海軍の方針もね。 昭和11年度帝国海軍作戦計画の対米戦防備として、
オホーツク海、日本海、黄海、東海及び本邦太平洋沿岸の海上交通線を確保し、
シナ海及び南洋群島方面は状況許す限り確保
昭和13年にはシナ海を南シナ海に改訂、昭和15年12月17日裁可の昭和16年度作戦計画もこれを踏襲している。
つまり日本近海と大陸交通線の確保で対米戦をやれると考えていたわけで、
対潜護衛艦艇は近海行動に合わせて駆潜艇が主力で開戦時23隻を保有・・排水量300トン以下だけど・・ WWIの時の対潜作戦なんか浮上中や露頂航行中の潜水艦に砲撃とか体当たりですし
学ばなかったのかとか言われても・・・ 逆に長期戦になれば船舶も護衛艦艇も到底足りないから短期決戦しか無い
それには正面戦力充実させるしか無い
こんな風に思考が変わったんじゃないかな?
日露戦争の戦訓で補給線の防衛が重要な事は理解している筈だし >>373
変わったというより対米戦というのは侵攻するのではなく、
現状の日本の勢力範囲において待ち受けて戦う事が基本。
アメリカが潜水艦による補給線攻撃をしかけるような、まともな総力戦では勝てないので、
都合よく1度の艦隊決戦で勝敗を決しようという自分の都合だけの作戦思想なんだな。 いや一部妄信下級士官以外は対米戦になれば勝ち目が無いのは分かってたからこその
短期決戦主義だろう
問題は抑止に足る予算の確保 日本の国家戦略方針というか陸軍の戦略方針も絡んでくるんだよね。
満州事変以降の満州国建国によるソ連との緊張と、
上海事変以降の大陸をどうするかという問題。
対米戦、対英戦が短期決戦想定なのも実はこのあたりに関係してくるんだな。
何のために開戦するのかってところが問題な訳でね。 蒋介石がドイツ人に炊きつけられて上海事変が起きるまでは陸軍は満州確保の保全主義なわけだが
蒙古の領土問題が表面化するノモンハン事件て上海事変の後ですし しかし短期決戦つうがどういう状況に追い込んでどんな形にしての終戦(あるいは休戦)
にするかってのは考えてたわけ? まず満州方面は1935年までの国境紛争は小規模でそう多くはなかった。
ところがソ連の外交方針の転換で1935年以降の満ソ国境紛争は大規模化し、
回数も増えていく。乾岔子、張鼓峰、ノモンハン
一次上海で問題になったのは、米英が密かに中国を支援しているのではないかという疑念
米退役軍人が航空部隊にいたことで米に抗議をしている。
盧溝橋から2次上海以降は米英は日中が宣戦布告していない事から公然と支援物資を送っている。
対米戦、対英戦を考えるようになったのは1938年以降あたりからなんだけど、
このあたりの経緯っていろんな本に書いてあるし、いろんな説もあり状況に応じて変化してるので、
これが正解っていうのは難しいんだけどね。 少なくとも南部仏印進駐による石油禁輸が原因ではないって事、
ただの口実でそうなると判っていてやったと考えられる。
そうでなきゃ海軍の出師準備発動と合わないからね。 当時の考え方を1つ紹介しておく、戦後色々と脚色されたりそんな意味の発言じゃないとか言われることがあるけど
あくまで例として。
1938年以降、長期化する日中戦争をどうするのか、米英仏の支援が続く限り終結させるのは難しく、
また戦力増強しようとしても、満州から兵を引き抜くのも日ソの緊張状態からこれも難しいとみられていた。
そこに現れたのが全ての国と順番に戦争する考え方で、これが基になって色々と変化していく。
まず満州に兵を集中しソ連を攻め、これと講和して満ソ国境を安定化し、満州の兵を転用できるようにする。
次いで英仏と開戦し援蒋ルートを切る、米が参戦するなら海軍がこれを迎え撃つ。
海軍が相手をしている間に中国を屈服させ傀儡政権を誕生させる。
支援するべき中国が親日となれば、米英仏は戦争目的を失い停戦に至る。
色々と都合のいい考えなのだが、この考え方が次第に独り歩きして発展してしまい、
収拾がつかなくなってしまったのが現実。 あいた口がふさがらないなw 特に
>海軍が相手をしている間に中国を屈服させ
って何、その「ゴールを先頭で駆け抜ける作戦」みたいなの
断片ばかりで、決定の中枢がなく無責任な我が国らしいっちゃらしいんだが >>382
そうなんだよね。
まぁ対米積極開戦じゃないところがまだ救いとも言えて、
英仏への宣戦布告後は米の対応を見て、参戦してきたら相手しますというスタンス。
元々がこんな煮え切らない方針だったから、長期持久には資源地帯占領とか、どうせなら対米先制攻撃とか、
どんどん妄想が発展していき、最終的にどこで講和できるのか落としどころさえ無くなってしまった。 >>383
でも短期決戦の落としどころがないってことは、
すなわち短期決戦というポリシー自体に意味がないということにw
これじゃあ最初から『特攻』してたようなものだわい 輸送船舶に関して言えば開戦時日本の所有する船舶量は633万総トン
民需と生産に300万トンが必要と見なされ残り333万トンを陸海軍が徴用する計画だった。
開戦時が徴用船舶量が最大で、民需用は220万トンで南方作戦終了後陸軍徴用船を返却すればなんとかなるという計画だった。
備蓄ヤードの鉄鉱石や石炭を使い尽くすまでには余裕があると。
そしてそれは実行されたのだが、問題は海軍は大作戦を続けた為、海軍徴用船は減ることが無かった。
その為四川侵攻5号作戦に必要な10万総トンの船舶量さえ確保できなかった。
予想された開戦1年での船舶被害は80〜100万トンで実際は95万トンと予測通りではあった。
昭和17年末の陸海軍連絡会議で民需から29.5万トンの徴用が決定したが、
その折に昭和17年は427万トンの鉄鋼生産だが、この徴用で来年は300万トンに減ると試算される。
おまえらの要求通り船舶徴用していたら鉄鋼生産は200万トンになってしまう、これでどうにかしろと東條首相に釘を刺されてる。 >>381
想定自体が実際の時系列や事実と乖離してて意味がわからない
ノモンハンも蒙古の小競り合いに日ソが子供の喧嘩に親が出る状態で始まっただけだし
中国は元々軍閥割拠で国の体を成してなかったから蒋介石軍と戦ってる最中に傀儡政権立てて
対米開戦前に同盟国にしてたんだが・・・ >>386
ソ連極東軍の問題はノモンハン以前から、1935年のソ連外交方針の転換により1936年以降紛争が絶え間なく続いている。
大は乾岔子、張鼓峰、ノモンハン、小さいのも上げれば1937年以降年100件を超えている、認識が甘い。
中国に傀儡立てて日中戦争が終結したのかね? >>387
小競り合いが起きても日満側は不拡大方針なのは変わってないし傀儡政権立てても
紛争が終わってないのはこっちが突っ込んでる事なんだが? 国力の限りを集中して開戦前の試算では80万トン/年の建造予定だったのを100万トン/年に増強した・すべく粉骨砕身の努力をした経緯が伺い知れるな
それでもなお1年でその3倍沈められた現実は厳しいな・・・ >>388
満ソで起こる紛争を拡大させない事と、根本的に攻めて紛争の禍根を断つのは別の事だ。
準備してないのに拡大して何の利がある?
現実に日本陸軍の仮想敵はどこだったのかね?
北進論、南進論も基本的な方針があったからどっちを先にという話になるんだよ。
中国を屈服させて傀儡政権立てるのと、蒋介石と軍閥、共産匪をそのままにして別に傀儡政権立てるのが同じことだと思ってるのか?
悪いけど言葉遊びはやめてくれよ、まさか本当に理解してないんじゃないだろうな? もうそれだけ沈められちゃった時点で「こらもうあかん一刻でも早く降伏しないと、そしてあわよくば連合国側で参戦ハァハァ」にならなかったところがイタリアと違って馬鹿 >>391
大本営政府連絡会議では1943年の時点で国内生産体制は限界に達しつつあると要するに「生産力的にはもう駄目だ」ということが報告されているが、
日本は良くも悪くも単独講和などという同盟関係にあって無責任な行動はできなかったんやな ガダルカナルへの補給船舶の割り当てを巡って作戦部長が軍務局長と殴り合いのケンカして
翌日東條首相にもっと輸送船建造しろ、バカヤローと面罵して左遷されるくらいでしたからね。 輸送船の建造よりも先に輸送船の護衛体制の整備とか輸送船自体への武装の強化とかやったほうがまだ >>390
理解してないのはそっちだろう
仮想敵の事を調べて対抗できるようにするのは平時でも当たり前の事で攻め込んで勝つためじゃない
抑止力とか知らないのかね?
当時の中国は国の体を成してない軍閥割拠の状態だったんだが?
蒋介石の国民党軍も軍閥の一つに過ぎない
だから引き抜いた汪兆銘と日本に日和った軍閥で政権を立てさせたんだぞ >>395
論点がズレてるよ、あなたいつも話しすり替えて意味のないこと繰り返すよね
もう飽きたよ。 スペインみたいな日和見に徹する方針は取れなかったんかいな? >>380
>(海軍の対米戦決意は)少なくとも南部仏印進駐による石油禁輸が原因ではないって事〜海軍の出師準備発動と合わないからね。
そう。アメリカは昭和14年に日米通商航海条約の廃棄を通告。資源物資の対日輸出に厳しい制限を加えてきた。
石油を完全に止められるのも時間の問題。とすれば日米戦も時間の問題。したがって準備が必要。
昭和15年11月15日に海軍は出師準備を実施。翌年の昭和16年4月10日完了へ
「海軍は来年(昭和16年)〜四月になれば対米戦に自信がある。対米兵力比が七割五分になるからである」
昭和15年10月28日 軍令部作戦課先任部員・神重徳中佐談
半藤一利氏の「昭和史1926―1945」より
https://ameblo.jp/ko269/entry-11451960831.html?frm=theme >>400
ところで昭和16年4月の時点で戦艦大和武蔵は未完成。
そしてノースカロライナは同年4月、ワシントンは同年5月に完成する。日本戦艦は非常に劣勢
しかし空母ほか補助艦艇が充実する。これにより戦艦は劣勢でも全体でみれば7.5割になる訳。
さらに日本海軍の砲雷戦能力や航空隊の性能・実力を考慮すれば7.5対10の艦隊決戦でも勝利することができるという考え アメリカはヨーロッパファーストだから、最初からこの時期に日本と対決する意思は無い
エセックス級とアイオワ級がすでに発注されており、就役の時期も見えているので、それを待てばいい状態 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています