当時の考え方を1つ紹介しておく、戦後色々と脚色されたりそんな意味の発言じゃないとか言われることがあるけど
あくまで例として。

1938年以降、長期化する日中戦争をどうするのか、米英仏の支援が続く限り終結させるのは難しく、
また戦力増強しようとしても、満州から兵を引き抜くのも日ソの緊張状態からこれも難しいとみられていた。

そこに現れたのが全ての国と順番に戦争する考え方で、これが基になって色々と変化していく。
まず満州に兵を集中しソ連を攻め、これと講和して満ソ国境を安定化し、満州の兵を転用できるようにする。
次いで英仏と開戦し援蒋ルートを切る、米が参戦するなら海軍がこれを迎え撃つ。
海軍が相手をしている間に中国を屈服させ傀儡政権を誕生させる。
支援するべき中国が親日となれば、米英仏は戦争目的を失い停戦に至る。

色々と都合のいい考えなのだが、この考え方が次第に独り歩きして発展してしまい、
収拾がつかなくなってしまったのが現実。