>>152
>第二次大戦の時、日本は無差別爆撃食らいながら工場稼働してたんですけどね

本土が無差別爆撃食らいだしたのが1944年末くらいからだからね。
終戦の一年前くらいまでは、空襲食らってなかったから。
それまでに十分製造できてたが、いったん空襲食らいだすと、それまでの工場は、瓦礫の山で
ちかくの山林下に掘り進めた地下壕へ焼失を間逃れた機械を持ち込んで細々とした製造が行えてただけ。
家の市内も戦中戦前は、航空爆撃機の一大生産工場があったが空襲と共にほぼ全壊し、
工場が埋め立て地であったことから近くの埋め立て前に島だった山すそに地下壕掘って
加工機械を移設した跡がいまだに残ってる。当然爆撃を受けた後は、航空機の生産は、不可能。
工場焼失後は、他の軍事物資を細々と生産してた程度だったはず。

しかも当時、軍事工場は、日本各地に点在し同じ型の小銃でも日本中何10社が
それぞれの生産設備で生産していた。
現状の自衛隊のように一社独占ってことは、なかったからね。
小銃一つとっても38式にしろ99式にしろ日本各地の数社が平行して生産してたから。