海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術31
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陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は? 史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は? 近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。 初心者から本職まで、幅広く参加者募集。 煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。 現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。 ※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical) について主に扱うスレッドです。 世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。 過去スレ 海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 29 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521379754/ ※前スレ30 ワッチョイ無し https://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1529215122/ >>177 近衛連隊の番号は? 近衛第三師団隷下だと、東金に配備される前にそっちで演習やってたってこと? 第6が大宮御所だから、第1、第2、第7の輪番で定期的に演習と陣地構築やってたのではないかと推測 なので第1で町田演習やったからといって第1が出る訳ではないと思いますが、どれか1コ聯隊位は出張ると思うです。 ミリクラの97式TKの記事で、また 独立混成第一旅団が騎兵管轄とか記事にかかれてるし・・・ 旅団長の藤田少将は、歩兵学校教官もしてた生粋の歩兵科将校。 騎兵管轄で騎兵肝いりの旅団で、歩兵科将校を旅団長にするんかい! なにか、おかしいと思わんのかい! さらに末期の戦車第4師団や各独立戦車旅団も、各反撃用の歩兵師団に配属させる戦車のプールとかのたまってるし! 第53軍の独立第2戦車旅団長が赤柴軍司令と、戦車の集中使用と分散使用で議論していますが、 これは戦車旅団の運用が定まっていなかったことを示します。 記事では、これら戦車師団/旅団は 連隊単位で戦闘団化されており、歩兵が少ないというのが歩兵支援用という判断理由らしいですが・・・ お前、それは独軍の装甲旅団の考え方だろうが! 日本の本土決戦において機甲部隊に求められたのは、レールにのったがごとく、到着次第突撃のところてん方式のものです。 そこに師団まとまっての行動は絶対視されていません。この場合、むしろ連隊で戦闘団化していた方が都合が良いです。 さらに歩兵がいないのは、そもそも歩兵は占領確保用ですが、本土決戦でそれは求められていません。 撃破して海に追い落とせばいいだけなので>< さらに現実には戦車特攻であり、敵に打撃を与え相打ちになるのを軍司令部では想定しており、占領は意識外(By原四郎) だから機動支援としての作業中隊(実質戦闘工兵+機動歩兵)で十分。 それに現場の地形を見ればわかりますが、連隊単位で作戦機動しないと無理。 当然、連隊単位での突撃や遭遇戦なので、最初から諸兵科連合は合理的。 あくまでも、独立混成第一旅団が騎兵管轄というのならば、 独立第一歩兵連隊の連隊旗が騎兵用だったらしいので、それくらいは根拠として提示して欲しい。 ただし、独混一旅の解隊後、独歩1連は歩88連になり連隊旗も歩兵用になっています。 しかも乗車歩兵であり、本来の騎兵運用ではなく、乗馬歩兵の系譜。 某氏が説くような縦深攻撃のものではありません。 (騎兵としての機動戦闘兵種ではない) 昭和十四年には騎兵第一旅団が自動車編制になって、 最初から自動車編制の騎兵第七十一連隊も新編されてるしな。 単に乗車する歩兵ではなく、騎兵的運用の自動車化歩兵というなら こっちだよな 以前、冒険の中の人に独混一旅の事を聞いたことがありますが、 その時も、「あれは騎兵ではない」ときっぱりと言われてますた。 >184 騎兵の系譜は捜索連隊に求めるべきです>< >昭和十四年には騎兵第一旅団が自動車編制になって これは大正期に騎兵の在り方が議論になtっており、騎兵の主軸は乗馬歩兵に傾いていたそうです。 そこに「それなら普通の歩兵に馬に乗れる訓練すれば良いだけ」という話になり、騎兵無用論に発展。 その後も議論は続きますが、単に馬⇒自動車では、より一層、騎兵無用論にいきます。 それが騎兵であり続けるには、それなりの運用の専門性が必要な訳です。 つまり騎兵連隊⇒捜索連隊こそが騎兵的自動車化部隊として認識すべきです。 (そして捜索連隊は軽戦車ではなく、重装甲車や軽装甲車なのだw) 旅団長が歩兵であることから、また戦車部隊が歩兵学校の戦車部隊が主であることから 独混1旅は ・縦深攻撃部隊ではなく、戦術的な機動打撃部隊 ・この機動打撃を自動車化+戦車で実施する ・歩兵連隊は自動車化するので、まずは騎兵(の乗馬歩兵派) ・戦車はその歩兵を支援する支援戦車(従来通り) なので旅団長は歩兵学校教官出の歩兵科将校 と見なすのが一番よさそうに思えるのだが… 独歩一連の連隊長の兵科と出自が知りたいなぁ 連隊旗が騎兵だから騎兵将校とは思うのですが… 乗馬戦闘派(生粋の騎兵派)なのか、乗馬歩兵派なのか・・・ いや、Wiki程度の調べでも十分ぽい 寺倉正三 歩兵科だった・・・ ドイツ出張組。 こちらも歩兵学校(研究部主事) その後に独立歩兵第1連隊長。 戦車大隊長も全部 歩兵化 (歩兵学校関連多い…) 騎兵が誰もいねぇw これで騎兵の管轄? なにをどう考えればそうなる???? そもそも騎兵の集中運用ってどんなの? 機動打撃としてふつーに使うの? >>185 冒険の人って聞くとレールガンと唱えたくなるニダ... 騎兵の集中運用ってのは襲撃でっせ。ソ連軍やロ助がようやるでしょ。 独混第一旅団は騎兵でも歩兵でもなく機械化部隊です。 機械化部隊=ドイツの電撃戦という図式は一回はずしましょう。 機械化部隊とは機械力を大幅に取り入れた機械化戦闘を行う部隊です。 よくわからんて人はオーストラリア軍のモナッシュでググるか、アミアンの戦いテーマにした 本読んでね。戦車大突破とかいうサンケイの赤本みたいな奴でも結構解りまっせ。 190 騎兵の集団を陣地正面に直接ぶつけるのはバカですが、戦線の隙間を抜けたり、迂回して敵軍後方に 回り込んで、後方連絡線を突くと相手はびっくりして効果的です。ソ連の戦略騎兵じゃ。 なお独ソ戦や満州では正面が広すぎて戦線が隙間だらけの模様、ウラー >191 そういえば某研究者さん、最近みないなぁ・・・ >192/193 機動打撃は、歩兵部隊でも行うので、歩兵科でも研究します。 (WW2末期の本土決戦用部隊でも、歩兵部隊でも機動打撃指定された師団や、防御任務師団内でも機動打撃指定された連隊などがありました) なお、上記の歩兵科将校は、歩兵科とはいっても歩兵学校において戦車研究に関連してた人達が多いです。 (当時の歩兵学校では戦車の使用法を研究しており、機甲科や戦車学校はそこからの分岐) (中には後の戦車第4師団長になった人とかも…) ちなみに騎兵には敵後方からの敵本体に対する襲撃として、スラッシングとかいうのがあるそうです。 ソ連戦略騎兵では、一時期研究と演習を繰り返してた模様(グランツ本に言及あり) だが、これもあくまでも襲撃であり、機動打撃とは別概念。 あ、あとで旧軍の偕行記事「騎兵大集団二対スル歩兵ノ戦闘」(明治43年12月)があるからUPする。 (騎兵の在り方論争の場合、騎兵の目指したかった方向の資料として「騎兵戦術論」川村秀一(騎兵少佐/戦術課長)や 明治期騎兵の現地戦術の解説「騎兵戦術講綬録 中隊の部」服部真彦騎兵大尉(陸軍騎兵実施学校)とか保有してますがページ数が多くPDF化大変なので、これらはアジ歴とか探してみて欲しい) (特に騎兵戦術論は、後の騎兵の方向性を探る重要な文献なので、アジ歴ならありそうな気がする) また、初期の戦車使用の旧軍の研究ですが・・・ 「戦車図上#現地戦術」三橋清陸軍歩兵少佐(陸軍歩兵学校将校集会所)が大正15年8月に出版されています。 内容は日本における最初期の戦車演習を基に作られた初期の戦車戦術研究書です。 (はっきりいえば戦車を用いる初の図上演習を基にしている) まだまだ探せば旧軍はいろいろ残していそうです。 さて、上でやった機動の表現分解の続きを書いてみる。 機略的運動を全部盛りで表現してみる。 【その時その場の変化に自在に応じ、自分の目的を達成するために相手をおとしいれる為に行う運動】 から、さらに機動の本質を掘ってみます。 上記を要素分解する。 1)機:その時その場の変化に自在に応じ 2)略:自分の目的を達成するために相手をおとしいれる 3)動:部隊の移動 変化に応じた移動だけでは駄目で、相手をおとしいれる(不利に追い込む)策略が必要であり それを主に移動によって達成する。 こう考えると、よく言われる 「機動戦とは戦場を浮動状況に追い込み、そこから勝ちを拾うものだ」 という認識も、 ・機:状況を見極めて対応する ・動:我の主導的運動により ・略:戦場を浮動状況に追い込む という三要素から成り立っていると言えそうです。 さらに言えば、策略をもって移動しても、機に応じ対応できないものはマニューバではない! とも言えそうです。 ソ連式では、当初は定型的な攻撃が行われるので「やはり機動戦ではないのでは?」とも取られかねませんが 作戦次元では、攻撃の進展を見極め柔軟に後続の投入地点の選定(重点の変更)を行います。 攻撃の成功地点にひたすら低いところに水がなだれ込むように後続の新規部隊を投入し続ける。 単純ではありますが、攻撃のとん挫した部分は見捨てて、あくまでも成功点に注力し続けるという一貫した姿勢です。 (スヴォーロフの「ザ・ソ連軍」(原書房)の説明が判りやすい) これにより、やはり上記の三要素は満たされています。 さらに考察 ・Fire &Movement 戦技、戦術の基本ですが… これMovementでありManeuverではないのですよね。 Fire &Movement 火力により敵を牽制(もしくは制圧)している間に、移動により優位な位置を確保する。 あくまでも有利な位置、効果的に射撃できる位置であり、まずは我のプラス効果を第一に求めています。 結果として敵は不利、つまりマイナス状態になりますが、あくまでもそれは結果であり手段としては我有利位置の獲得。 こう考えると、Maneuverではなく、あくまでもMovementという表記であるのも判るような… あ、「戦車図上#現地戦術」三橋清陸軍歩兵少佐(陸軍歩兵学校将校集会所) 国会図書館デジタルコレクションにあたー http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942294 なお、今回の機動・機略の要素分解による分析のきっかけは 友人がふってきた「イデオン」におけるバッフクランの行動だったりするのは機密事項であるw 富のは機動・機略と言う概念ではなく「駆け引き」としてさまざまな戦術や行動を表現している。 では駆け引きと、機動・機略の差はいったいどこだろう?という疑問から分解してみた。 古いアニメや特撮の敵は、よく策略を多用し、主人公はそれに対しチャンスをとらえた機転で逆転する。 これは機動戦(機略戦)といえるのか? でもなんか違う気がする。 ・敵は確かに策略と運動は使ってくるが、機転が出来てない(だから主人公に逆転される) ・主人公は機転を捉えて運動し、逆転するが、そもそも受動であり主導的な策略は使っていない。 あれ?要素は似てるが、お互いなにかが欠けているぞ。 という事で気づいたのが 機・略・動の3要素。 ああ。イデのゲージが上がっていく! (あれって下手すると世界の持つSUN値だよね) イデオン作った御大は機略戦概念が日本に導入されるはるか前だから、機略戦になってなくて当然。 とはいえ駆け引きと運動の合わせ技程度はやっている。 で行動全体で主導性の無い(だから逃げ回っている)主人公側は、受け身から機転(プラス・イデの力) で反撃というパターン多いです。 コスモ「小賢しいんだよ」のセリフからに敵未来位置にミサイルどばーとか 機動打撃は歩兵化でも研究します。 その通り。機動打撃は戦い方なので。 日本ではドイツ電撃戦に惑わされたか、機動打撃=機械化部隊のイメージ化が強すぎ。 機動打撃はできるなら機械化、歩兵、騎兵の全てで特に遭遇戦でやります。できるならね。 後、砲兵の火力の機動という用語もあるので考察よろしく。 >205 でも、機と動だけではマニューバにならず、モビル止まり。 機と動と略がそろってようやくマニューバ あ、機動戦士=モビルスーツ 結構、正しいのかw しかし機動巡洋艦ザンジバルの機動はモビルではなくマニューバでもよさそうに思えますが。 (大気圏外から相手の戦略的もしくは作戦的な脆弱点を襲撃し離脱できる。この意義はでかい) (まあ、木馬も能力は同様ですが、あれは地球→宇宙という連邦軍視点なので、対要塞や対コロニーの強襲揚陸艦でOKかと) でもモビルは運動なので・・・ モビルスーツ ガンダム=運動服ガンダム! よし! 議論するときは言葉の意味を調べるべし、ということで機の意味を調べてみた。 意味はふたつ、1つは細かい働き・からくり・しかけ・はた(機織りのこと) 2つは物事の起こるきっかけ・きざし・はずみ・しおどき・おり メカニカルという意味がー重機動メカって>からくりメカなのか ついでに略も調べると−はかる・はかりごと・たくらみ・うばいとる・かすめとる・はぶく かんたんにする・あらまし等々意味が多い 続き兵語の解によると運動戦は陣地戦の対義語らしい 運動戦ー動く戦い 陣地戦ー土地に留まる戦いらしい 言葉的には、運動戦と機動戦の違いという比較はおかしい 機動戦は運動戦のひとつとはいえるが。 運動戦の概念には、有利な位置を占めるとか、迂回するとか包囲するという意味はない。 ただし有利に戦うためには、迂回やら包囲やらといった動き(運動)が必要になるだけ。 兵語の解を見直してみたら、間違っとったわ。 書き直す。 運動戦ー地に固着しての戦いにあらず、敵も我も互ひにめぐり動きつつある間に 発生する戦い。 機動ー地に固執することなく、迅速なる運動によりて好き機会を狙ひて敵と戦ふ 運動性の作戦をいふ 機動戦―好機会に乗じて敵の不利なる形勢に乗ずる運動的性能を有する戦ひ、 陣地戦対する語 大正十一年発行 めっちゃ解りやすいやん で、動いて好機会を造り、敵の不利を突く運動的性能の戦いが機略戦でええんやないか つづき それで、好機会を作為したり、捉えたりするためにООDAループを速く回すのが 有利なんでないかい。 ぐずぐずしとると好機は無くなるよって、チャンスの神様には前髪しかないんや。 運動戦+機=機動戦+略=機略戦 機略を機と略に分離してみたw >機略戦 この翻訳は、まあ、目的は分かる、しかし「動」という大事な要素を取り消すと逆に言葉の本質から離れたと思う 局面を動く、人を動く、敵を動く、自分も動く、様々なことが動くためこその機動である 「動」の字は陽明学でいう「知行合一」の「行」の部分に相当するので、動がないと机上の空論に成りかねない。 むしろ機略を「動」のみに求めがちなのが問題という意識かも 機動戦要素をあまり含まない運動戦って例えばナポレオンの1815年戦役がそうなんだろうか? フランス軍の軍団は敵に対して局所的優位を作り出すために激しく運動して その意味では「機動によって敵に不利な体制を強いる」とも言えるかもしれないけど その目的はあちこちで局所的優位をつくりだすことで敵を殲滅することで、「敵を麻痺させ混乱させ精神的に不利に追い込むこと」が目的ではないよね >>216 たしかに「機」はあっても「略」がない感じだわ ※216 フリードリッヒ大王の斜行戦術も運動だけれど機動ではないような ナポレオンのイタリア戦役も運動戦かな 古いデジカメもちゃんとカメラ側で調整すれば結構サマになる色味の絵が出るな。 中古10K円のD200にこれまた古いタムロンの24mmを付けてお散歩である。 武蔵小杉は見た目はほぼ復旧していたな。 端っこに泥が残っているくらいで。 多摩川河川敷はけっこうひどく泥をかぶっていたが。 そっちはどっちかというと マニューバーというより、マニピュレートなんだよな でも超限戦というかマルチドメインに考えるなら世論も戦場だから 機略戦の概念は適応可能だよね >>210 同意 機動⊆運動は確実なのに機動の話する時に運動の話持ち出すのはほぼ意味ない せいぜい機略とかとの比較で動的要素をについて話したいときだけでいい なんか言葉遊び暴走させてないか maneuverなんて米軍の教範でも戦史ものでも動きを表すための動詞として使われてるから運動と訳して問題ない そこに特別な意味が現れるのはManeuver Warfareとかの大文字の固有名詞にされる時だから汎用的に語るもんじゃないだろ ※224 すまんが、その大文字のManeuverWarfareの話を皆はしてるんだが、運動で一くくりに できないから、旧軍も自衛隊も何とか概念を明確化しようと苦労してるのだが。 水と油は液体なんだから、液体でいいでしょという訳にはいかんで。 ニュアンス的には、 運動戦:有利な位置を占めるために移動する(おもに自軍を見ている) 機動戦:「機」を見て有利な位置を占めるために移動する(自軍だけでなく敵軍も見ている) 機略戦:敵を嵌めて麻痺させ混乱させ不利に追い込むために、その手段として機動する(自軍の動きによって敵軍に働きかける) って感じ Maneuver Warfareの最古典は孫子と言われ、 そこの大方針は基本的に、情報に力を入れて状況をよく把握し、自分に有利な態勢を作り出して常にそこに立つ 戦略面を含めて敵より先知先行は重要であり、機略という翻訳は日本で流行っているらしいが、寧ろ漢学がより発達する時代の「機動」翻訳より本質から離れていると感じる 土日どたばたしてた、騎兵資料のUPはもうちょい待っててくれ。 (できれば今日 帰宅後に実施したいところ・・・) >204 >砲兵火力の機動 これについては下記に判りやすい記述表現があります。 砲兵戦術講授録 原則之部 第五章 一九一六年陣地戦に於ける獨佛両軍砲兵 http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_1.htm >某一線に対する射撃間短時間不意に他線に火力を指向する火力機動 この場合は、目標健康の不意急襲射を行う事により、敵が十分な防御態勢をとれない状態での火力集中を行うようなニュアンスですが、 この砲兵火力の機動的運用というのは旧ソ連軍も大好きでよくk出てきます。 簡単に言えば、火力の機動とは。砲兵部隊が移動することなく、火力指向のみを変換していくことであり、その変換も目的としては ・目標を急に変換することで不意急襲射の効果を高める ⇒砲兵による奇襲的運用 ・制圧攻撃において敵陣内の移動を分断する阻止j砲撃 ⇒地上部隊による助攻や牽制同様の効果を砲兵にて発揮 ・制圧攻撃に続き、射撃縦深を延伸し、敵の後退や増援を阻止する阻止砲撃 ⇒地上部隊や航空攻撃の後方遮断と同様に、包囲的効果を一時的に発揮(敵の後退を妨害したり増援の到着を妨害する) 砲兵なので弾薬集積の準備内でしか出来ませんが、一時的でも立体的な包囲と同様な効果を得られます。 砲兵の機動運用で、火力包囲や火力による後方遮断を行っている間に、地上部隊が本格的に進出し包囲を完遂する等の連携を目指します。 機:ここだけは計画要素が強く、機会に応じてというよりも、機会を作るという意味合い強いかと 動:砲兵目標の変更で火力を振り回す 略:敵の移動を妨害したり、火力発揮を妨害したりで不利な状態に追い込む ?目標健康の不意急襲射 ↓ 〇目標変更の不意急襲射 目標健康ってなんじゃいwww マニューバの三要素をまとめてみる 1)機:機会の利用/機会の作為 2)略:相手を不利に陥れる 3)動:主導的運動 ※機会を利用するだけでなく、機会自体の作為も含める ※我の有利を求めるより、敵の不利による相対的有利を求める (我の有利のみを求めるのは運動戦) ※主導的運動であり、主動的運動ではない (手動的運動は運動戦の主要素) 日本の間違いは、三要素あるのに2文字の省略したのが、そもそもの間違いだったのかもしれない・・・ ※大正12年/陸軍大学/兵語之解→交戦前後または交戦間における軍隊の【機略的運動】 マニューバ→機略的運動→機動 この機略的運動という表現がもっともマニューバに適切だったはず。 省略により【略】が無くなったことで、現在に連なる間違った理解になっていったのではないか? ※機甲は機械化装甲の略称であり、機動の機とは全く違う意味。 最初の1文字と最後の1文字をつなげて略称とするのは同じなのだが・・・ 明治期の教範では ・行軍(行軍運動も使用) ・後進 ・動作 ・移動 ・運動(迂回運動も使用) という言葉は見受けられるが、機動という言葉が見当たらないぞ… ・若シ運動ヲ敵ノ翼方二開始スルトキハ ・戦闘配備二於ケル運動 (明治37年 露軍野外教令) などなど 明治15年の野外演習軌典 第一版 にも運動はあっても機動の文字は無いですね。 もしかして機動って大正時代から? 主動的運動により我の優位を求める というのは某組織伝統の考え方ですが・・・ そこに主導はなく、敵を不利に陥れることで我を有利にするという概念も薄く… 運動戦の範囲内だなぁ… 機動戦闘車や高機動車 さらには機動連隊や部隊の機動敵運用というのは全部 機会を利用して我の優位を求める方向だし・・・ 運動戦闘車や運動連隊じゃん… (人によっては、これらをを活用して、戦況を主導し敵を嵌めて我の優位を導くという場合もありますが・・・うん、とっても属人的) 大正期→昭和期においてマニューバを意味する機動の意味が劣化してるっぽい そして現在まで、その劣化した機動の意味で使われてきたっぽい (この劣化した機動は、モビル=運動とほぼ同意) 機略的運動 これが一番正しいっぽい? マニューバウォーフェア=機略的運動戦 すげーわかりやすいw いつも使ってたUPローダーが無くなってた 誰か、良いUPロダ知らんかね? >>236 > 運動戦闘車や運動連隊じゃん… 草www 警察の機動隊の方がマニューバーの概念に近いんじゃ... >241 しかし、英語にすると モビル・ビークル モビル・レジメント となり、そこそこカッコよくなるからのう・・・ >243 警察の機動隊も、略の要素が少なく 機会に応じ投入される制圧部隊 (交通機動隊も同様) 運動隊←モビルフォース と書くとカッコよくなるぞw 交通運動隊←交通安全運動の宣伝班みたいだww ちなみに、60年代以前のソ連軍の機甲浸透部隊は、オペレーショナル・マニューバ・グループ(OMG)ではなく、モビル・グループ(MG)とグランツ本では表記されています。 米軍が入手し英語翻訳し、それをさらに和訳した「ソ連陸軍の作戦術及び戦術の基本原則/サブキン労農赤軍大佐」には「移動グループ」と表記されてました。 やっぱり、ソ連軍は、マニューバとモビルを明確に使い分けています。 (このグランツ本での使い分けが気になったのが>166で機動と運動を調べなおしたキカッケ) 最初からロシア語で考えたら? 間に英語が入って最終的に日本語にしてる意味がわからないんだけど 無駄に話を難しくして結果より過程がメインになってる悪い哲学書みたいな会話だなと思う >246 該当資料のロシア語原本が入手できればそうしてるw だが、この問題は 英語→日本語 の翻訳がもともとおかしいのではないか? であり、もともとは英語のマニューバからの表現がどうなのかが主眼 英語から翻訳された言葉が、ロシア語と日本語で使い方が違うみたいというところから じゃあ、日本の翻訳表現や現在使われている意味は正しいのか?を考察した訳です。 なので、この場合に限ってはロシア語は違いに気づくキッカケにすぎない。 別に、ロシア語と日本語の使用方法の違いは本筋ではない。 マニューバの英語としての使用法と、訳語としての機動の日本語としての使用法の違い調べるのが主目的。 そうなの? ソ連の使い方を"正答例"のように扱っているように見えるから単なる"違いに気づくキッカケ"には読み取れない 問題は、なぜ米軍でマニューバーなのか、日本軍の機動は米軍のマニューバーと 違うか否かなんではないかな。 正直、ソ連軍において如何にというのは別物で、ロシア語がこうだから英語があっ てる間違ってるにはあまり意味がない気が。 ソ連軍の機動概念と米軍の機動あるいはマニューバー概念の違いなら別の意味が あるがね。 人もおらんし、Lans氏が火力の機動について史料紹介してることだし。 少し砲兵について書いてみようかの。 まずは日露戦争直前からじゃ。 この時代、火砲に画期的な進歩があったのじゃ。 皆も知ってるであろう、砲身後座式速射砲の開発じゃ これは海軍が先に採用して、仏陸軍がフレンチ75として野砲にしたのじゃ。 フレンチ75、速射性に優れていたのだがもう一つ 大きなメリットがあった。それは砲架がほぼ固定される ということじゃ。それまでの野砲は打つと後ろにゴロゴロと 動いて戻さねばならのは皆しっとるの。 ところが砲身後座式だと砲架は動かんし砲身は元にもどるしで 照準が合わさったままだったのじゃ。むろん微調節は必用だが 同じころ、主にドイツで要塞砲とされてきた重砲を野戦に使う研究が なされておった。 このドイツ陸軍の試みは日本陸軍に伝えられて鴨緑江会戦で威力を発揮 するのじゃが、ここに画期的な試みがなされた。それが間接照準射撃じゃ これ自体は要塞の砲台では実用化済だったが、野戦でも行えることが 実証されてのじゃった。ドイツ陸軍さまさまじゃな。 さて日露戦争が始まった時、ロシア軍は既に砲身後座野砲を採用しておった。 しかし更新が間に合わず、極東では未配備だった。 一方、日本陸軍は砲身後座野砲を不採用にした。 そして会戦、徳利寺会戦では、日本軍が数に勝る砲兵火力で圧倒して勝利をおさめる。 この時、ロシア軍には新式野砲が届いておらんかった。 続く大石橋では、ロシア軍に砲身後座野砲が到着、野砲が初めて実戦で間接照準射撃 を行ったのじゃ。 日本側砲兵はこれに手がだせず対砲兵戦に失敗。 なぜかというにロシア軍はそれまでの暴露陣地をやめ遮蔽陣地を採用したからじゃ。 見えない敵砲兵を撃つノウハウはまだなかったのじゃ。 日本軍は重砲でせっかく間接照準射撃を成功させたのに遅れをとった訳だわな。 日露戦争の話はここで御終い。 次は本題の一次大戦じゃが、少し休憩 説明を忘れ取った。砲身後座式野砲は砲身が戻るから照準が ほぼ固定できるから間接照準向きだったのじゃ。 日本の三一式野砲では、そうはいかんかった。 これが日露の差じゃ。日本陸軍も慌ててクルップから新野砲を 購入するも戦争には間に合わず。 >>254 > 日本側砲兵はこれに手がだせず対砲兵戦に失敗。 対砲兵戦って発想自体がね >>254 > 一方、日本陸軍は砲身後座野砲を不採用にした。 なぜだろうね? ____ >256 /MwmVm ⊥⊥__⊥ えー、キャラ付けダメなのかな・・・ |__/|ノノ))))〉 ノ ヘ.|l. T_Tノ| が、がお・・・ ((( ⊂I!Liつ )ノ fく/_|〉 ´ し'ノ >>261 元ネタ知ってる人今どのくらいいるんだろう... (ちなみにウリはしらんニダ) 質問的なレスがあったので書いとくわ。 日本陸軍が砲身後座式野砲を見送った理由。 国産にこだわったから。 で以下は推測、当時の日本の技術では 造れんかったからであろう。 しかし有坂御大がこれでいけると太鼓判押しちゃった。 加えて速射砲にしても砲弾供給が追い付かんからではないかと ハード中心にするともりは無いが、ハードの説明してかないと 戦術発達の説明ができんのだ。 さて始めるかな。 今度は本題の第一次大戦 知ってのとおり塹壕戦の始まり 正確には、動きの少ない陣地戦の始まりだ。 運動戦はマルヌ会戦から延翼競争で終わった。 互いに陣地に籠り間接照準射撃がメインに。 仏軍が考えてた最前線で速射野砲を直接目標に 向けて撃つ運用は時代遅れになった。 そして塹壕陣地の突破に苦労する。 仏軍、大砲をいっぱい揃えりゃいいじゃん。 これで攻勢正面のドイツ軍はほぼ壊滅。 ところがドイツ軍、もう少し後ろにも陣地を造っていた。 こうなると射程の長い大砲が欲しくなる。 ドイツ軍、塹壕だけでなく所々にトーチカも作る 重砲でないと潰せない。 仏軍は破壊射撃に地道を挙げて各種大砲を集めまくって 数日に及ぶ砲撃でドイツ軍の殲滅を図る。 一方、敵の砲兵は陣地帯の後方、前線から数キロから十キロ後方に 位置して砲撃。こうなるとお互いの砲兵は射程外なので潰せない。 ここまでは前提条件 さて仏軍、英軍もだけど数専門の火砲で数日間叩けば戦線突破楽勝でしょと楽観 いざシャンパーニュ会戦、ソンム会戦と攻勢を発動すると目も当てられない失敗に。 同じころ、東部戦線ではドイツ軍が攻勢を行ったりしていたけど、こちらもだんだ んに塹壕戦状態に。 その東部戦線にブルシーロフが登場。 ロシア軍じゃ砲弾が集めきれない、なら同時多発で短時間の集中射にして 後は奇襲に期待しよう。これが成功。 同じころ東部戦線のドイツ軍にブルックミュラー(ブルヒミュレル)現る 火砲集めて長時間射撃してもロ助ども掩体に隠れて効果ねえな。 なら砲撃は中途でやめて、ロシア兵が掩体から出た頃合いでもう一回撃とう これは成功したが、すぐに手の打ちを読まれ意味を失った。 ここまで1916年くらいの話 戦線突破のできない理由をまとめとく 破壊射撃には完璧な効果を期待できない。 僅かでも機関銃が残ると前進が阻害され、 もたつく間に防御側が阻止砲撃を開始。 無理に突破しようとすると損害続出。 ひとつの解決法として、歩兵集団の 大量投入が考えられた。 しかし密集しすぎて機動ができずに これも失敗。 なら歩兵集団が停滞する頃に、次の 歩兵集団を発進させよう。梯団攻撃の 始まり。 これ全部仏軍が試したこと。 砲兵の話にならなくてすまん。 ものすごく荒いまとめだなw 根本的に間違ってるとはいわないが。 短く書いたらこんなもんか。 さて皆さん、何かお気づきではないでしょうか。 ここまで書き連ねながら、私が歩兵の攻撃支援に ついて全然書いてないことを。 今度はその話。 砲兵が最前線から退いて遮蔽陣地に籠ると問題が起こります。 それは攻撃前進する歩兵を支援してくれる砲兵がいないとい うこと。 連絡手段が有線電話と信号拳銃と伝令しかないこの時代、 攻撃前進した部隊は支援砲撃を要請できない。 いやまあ、やってはみたんですが 1伝令、砲兵司令部までたどり着く保証が滅茶苦茶すくない しかもたどり着いたころにはタイミングを逃す。 ガリポリ題材のオーストラリア映画(タイトル忘れたスマン)を 見ると、この事情解るよ。 2有線、数が少ない、せいぜい大隊司令部まであればよい方。 3信号拳銃、実はこれが一番効果的。なのだが目標を指示できない ただ反撃を食らった時の防御射撃要請にはそこそこ使えた。 あと戦場の砲煙で視界が悪くなって信号弾の光が見えなくなる 問題もあった。 なので敵の機関銃に遭遇すると手が出なくなる。 これを歩兵戦術で対処する策も考えられたが、話がそれるのでパス >>254 例えば、 >野砲が初めて実戦で間接照準射撃 > を行ったのじゃ。 第二次ボーア戦争でイギリス軍が間接射撃を行ってたように思うが これは「榴弾砲」で「野砲」ではないってことか。 それを言い出すと、17世紀末ごろのオリジナルは2人でも運べるコーホーン(↓こんなの)が、 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/CScoehorn.jpg/220px-CScoehorn.jpg 城壁内で使用された場合、砲からは目標が見えないので、間接射撃の定義を満たしてる可能性がある って指摘は前からあるし >>269 見なきゃならんとは思ってるんですがこれでしたっけ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%93%E3%81%84_ (%E6%98%A0%E7%94%BB) 反対側で、どこぞの一匹狼な伍勤が一級鉄十字勲章取ったのもそれ相応の理由がある訳ですな。 >>264 勝手に補足していくと >互いに陣地に籠り間接照準射撃がメインに。 >仏軍が考えてた最前線で速射野砲を直接目標に >向けて撃つ運用は時代遅れになった。 ?塹壕戦になって間接射撃がメインになる前に、 例えば、フランス軍の師団砲兵は、国境会戦でも フランス軍の野砲よりも最大仰角が大きく大口径で威力の大きい 野戦榴弾砲を持ってたドイツ軍の師団砲兵に、 丘陵とか森の多い地形で撃ち負けたりしてるので、 塹壕戦にならなくて運動戦のままでも、フランス軍の 速射野砲一本槍の装備は時代遅れだったと思う >>266 > ロシア軍じゃ砲弾が集めきれない、なら同時多発で短時間の集中射にして > 後は奇襲に期待しよう。これが成功。 これは砲撃よりも同時多発的な重点のつかみにくい奇襲が成功の大きな要因 というのが一般的な見方だと思う。 さて話変わって仏軍 砲兵支援の問題に頭を悩ませます。西部戦線で攻勢に出るのは ほぼ英仏軍なので。 それで重要なことにやっと気づきます。 いくら時間かけて砲弾を大量に撃ち込んでも意味ない。 すでに戦争から3年程経過、何やってんだか。 だったら砲撃時間を短縮しても良い。射耗弾数も減らせておとく。 しかし、これにはもっと大きな効果があった。 長時間の砲撃は相手側に攻勢の近いことを知らせて対応させてしまうんですね。 相手側は戦線後方に大量の予備兵力を待機させて待ち構えます。 この際、第一線の多少の損害はやむを得ない、予備兵力で反撃しよう。 これが弾性防御の始まり。 ところが、砲撃時間を短縮すると予備兵力集める時間がなくなる。 だけど砲撃には試射が必要というネックがあった。 だったら試射を省いてもいいんじゃねとなる。どうせ当たらないだから。 この辺、細かい経緯があるけどパス。ただ独仏が同じ頃にこの境地に至る しかしながら、砲撃してる間は敵兵は表に出ない。 だったら攻勢開始直前だけ砲撃しよう。その間に歩兵は中間無人地帯を抜ける 位はできるはず。そのため砲弾を広くバラまいて攻勢正面を制圧すればよかろ う。これが地域射撃の始まり。 ただそれだと歩兵が前進した後の支援ができん。 だったら歩兵の前進に合わせて、弾幕も前に出せばいいじゃん。 これが移動弾幕射撃の始まり。 カリウスの戦記にソ連軍の砲兵弾幕がソ連軍の前進に構わずひたすら前にいって しまったという記述がありますが。二次大戦のソ連軍、移動弾幕使ってたんですね。 >>266 > 火砲集めて長時間射撃してもロ助ども掩体に隠れて効果ねえな。 西部戦線の連合軍みたいに、ドイツ軍が塹壕にこもったロシア軍を長時間砲撃したけど 効果なくて攻撃失敗、って事例あったっけ?(ブルックミュラーが指揮してた?) 勉強不足で知らないんで、どの戦いか教えてくださいませ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる