海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術31
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陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は? 史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は? 近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。 初心者から本職まで、幅広く参加者募集。 煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。 現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。 ※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical) について主に扱うスレッドです。 世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。 過去スレ 海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 29 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521379754/ ※前スレ30 ワッチョイ無し https://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1529215122/ そっちはどっちかというと マニューバーというより、マニピュレートなんだよな でも超限戦というかマルチドメインに考えるなら世論も戦場だから 機略戦の概念は適応可能だよね >>210 同意 機動⊆運動は確実なのに機動の話する時に運動の話持ち出すのはほぼ意味ない せいぜい機略とかとの比較で動的要素をについて話したいときだけでいい なんか言葉遊び暴走させてないか maneuverなんて米軍の教範でも戦史ものでも動きを表すための動詞として使われてるから運動と訳して問題ない そこに特別な意味が現れるのはManeuver Warfareとかの大文字の固有名詞にされる時だから汎用的に語るもんじゃないだろ ※224 すまんが、その大文字のManeuverWarfareの話を皆はしてるんだが、運動で一くくりに できないから、旧軍も自衛隊も何とか概念を明確化しようと苦労してるのだが。 水と油は液体なんだから、液体でいいでしょという訳にはいかんで。 ニュアンス的には、 運動戦:有利な位置を占めるために移動する(おもに自軍を見ている) 機動戦:「機」を見て有利な位置を占めるために移動する(自軍だけでなく敵軍も見ている) 機略戦:敵を嵌めて麻痺させ混乱させ不利に追い込むために、その手段として機動する(自軍の動きによって敵軍に働きかける) って感じ Maneuver Warfareの最古典は孫子と言われ、 そこの大方針は基本的に、情報に力を入れて状況をよく把握し、自分に有利な態勢を作り出して常にそこに立つ 戦略面を含めて敵より先知先行は重要であり、機略という翻訳は日本で流行っているらしいが、寧ろ漢学がより発達する時代の「機動」翻訳より本質から離れていると感じる 土日どたばたしてた、騎兵資料のUPはもうちょい待っててくれ。 (できれば今日 帰宅後に実施したいところ・・・) >204 >砲兵火力の機動 これについては下記に判りやすい記述表現があります。 砲兵戦術講授録 原則之部 第五章 一九一六年陣地戦に於ける獨佛両軍砲兵 http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_1.htm >某一線に対する射撃間短時間不意に他線に火力を指向する火力機動 この場合は、目標健康の不意急襲射を行う事により、敵が十分な防御態勢をとれない状態での火力集中を行うようなニュアンスですが、 この砲兵火力の機動的運用というのは旧ソ連軍も大好きでよくk出てきます。 簡単に言えば、火力の機動とは。砲兵部隊が移動することなく、火力指向のみを変換していくことであり、その変換も目的としては ・目標を急に変換することで不意急襲射の効果を高める ⇒砲兵による奇襲的運用 ・制圧攻撃において敵陣内の移動を分断する阻止j砲撃 ⇒地上部隊による助攻や牽制同様の効果を砲兵にて発揮 ・制圧攻撃に続き、射撃縦深を延伸し、敵の後退や増援を阻止する阻止砲撃 ⇒地上部隊や航空攻撃の後方遮断と同様に、包囲的効果を一時的に発揮(敵の後退を妨害したり増援の到着を妨害する) 砲兵なので弾薬集積の準備内でしか出来ませんが、一時的でも立体的な包囲と同様な効果を得られます。 砲兵の機動運用で、火力包囲や火力による後方遮断を行っている間に、地上部隊が本格的に進出し包囲を完遂する等の連携を目指します。 機:ここだけは計画要素が強く、機会に応じてというよりも、機会を作るという意味合い強いかと 動:砲兵目標の変更で火力を振り回す 略:敵の移動を妨害したり、火力発揮を妨害したりで不利な状態に追い込む ?目標健康の不意急襲射 ↓ 〇目標変更の不意急襲射 目標健康ってなんじゃいwww マニューバの三要素をまとめてみる 1)機:機会の利用/機会の作為 2)略:相手を不利に陥れる 3)動:主導的運動 ※機会を利用するだけでなく、機会自体の作為も含める ※我の有利を求めるより、敵の不利による相対的有利を求める (我の有利のみを求めるのは運動戦) ※主導的運動であり、主動的運動ではない (手動的運動は運動戦の主要素) 日本の間違いは、三要素あるのに2文字の省略したのが、そもそもの間違いだったのかもしれない・・・ ※大正12年/陸軍大学/兵語之解→交戦前後または交戦間における軍隊の【機略的運動】 マニューバ→機略的運動→機動 この機略的運動という表現がもっともマニューバに適切だったはず。 省略により【略】が無くなったことで、現在に連なる間違った理解になっていったのではないか? ※機甲は機械化装甲の略称であり、機動の機とは全く違う意味。 最初の1文字と最後の1文字をつなげて略称とするのは同じなのだが・・・ 明治期の教範では ・行軍(行軍運動も使用) ・後進 ・動作 ・移動 ・運動(迂回運動も使用) という言葉は見受けられるが、機動という言葉が見当たらないぞ… ・若シ運動ヲ敵ノ翼方二開始スルトキハ ・戦闘配備二於ケル運動 (明治37年 露軍野外教令) などなど 明治15年の野外演習軌典 第一版 にも運動はあっても機動の文字は無いですね。 もしかして機動って大正時代から? 主動的運動により我の優位を求める というのは某組織伝統の考え方ですが・・・ そこに主導はなく、敵を不利に陥れることで我を有利にするという概念も薄く… 運動戦の範囲内だなぁ… 機動戦闘車や高機動車 さらには機動連隊や部隊の機動敵運用というのは全部 機会を利用して我の優位を求める方向だし・・・ 運動戦闘車や運動連隊じゃん… (人によっては、これらをを活用して、戦況を主導し敵を嵌めて我の優位を導くという場合もありますが・・・うん、とっても属人的) 大正期→昭和期においてマニューバを意味する機動の意味が劣化してるっぽい そして現在まで、その劣化した機動の意味で使われてきたっぽい (この劣化した機動は、モビル=運動とほぼ同意) 機略的運動 これが一番正しいっぽい? マニューバウォーフェア=機略的運動戦 すげーわかりやすいw いつも使ってたUPローダーが無くなってた 誰か、良いUPロダ知らんかね? >>236 > 運動戦闘車や運動連隊じゃん… 草www 警察の機動隊の方がマニューバーの概念に近いんじゃ... >241 しかし、英語にすると モビル・ビークル モビル・レジメント となり、そこそこカッコよくなるからのう・・・ >243 警察の機動隊も、略の要素が少なく 機会に応じ投入される制圧部隊 (交通機動隊も同様) 運動隊←モビルフォース と書くとカッコよくなるぞw 交通運動隊←交通安全運動の宣伝班みたいだww ちなみに、60年代以前のソ連軍の機甲浸透部隊は、オペレーショナル・マニューバ・グループ(OMG)ではなく、モビル・グループ(MG)とグランツ本では表記されています。 米軍が入手し英語翻訳し、それをさらに和訳した「ソ連陸軍の作戦術及び戦術の基本原則/サブキン労農赤軍大佐」には「移動グループ」と表記されてました。 やっぱり、ソ連軍は、マニューバとモビルを明確に使い分けています。 (このグランツ本での使い分けが気になったのが>166で機動と運動を調べなおしたキカッケ) 最初からロシア語で考えたら? 間に英語が入って最終的に日本語にしてる意味がわからないんだけど 無駄に話を難しくして結果より過程がメインになってる悪い哲学書みたいな会話だなと思う >246 該当資料のロシア語原本が入手できればそうしてるw だが、この問題は 英語→日本語 の翻訳がもともとおかしいのではないか? であり、もともとは英語のマニューバからの表現がどうなのかが主眼 英語から翻訳された言葉が、ロシア語と日本語で使い方が違うみたいというところから じゃあ、日本の翻訳表現や現在使われている意味は正しいのか?を考察した訳です。 なので、この場合に限ってはロシア語は違いに気づくキッカケにすぎない。 別に、ロシア語と日本語の使用方法の違いは本筋ではない。 マニューバの英語としての使用法と、訳語としての機動の日本語としての使用法の違い調べるのが主目的。 そうなの? ソ連の使い方を"正答例"のように扱っているように見えるから単なる"違いに気づくキッカケ"には読み取れない 問題は、なぜ米軍でマニューバーなのか、日本軍の機動は米軍のマニューバーと 違うか否かなんではないかな。 正直、ソ連軍において如何にというのは別物で、ロシア語がこうだから英語があっ てる間違ってるにはあまり意味がない気が。 ソ連軍の機動概念と米軍の機動あるいはマニューバー概念の違いなら別の意味が あるがね。 人もおらんし、Lans氏が火力の機動について史料紹介してることだし。 少し砲兵について書いてみようかの。 まずは日露戦争直前からじゃ。 この時代、火砲に画期的な進歩があったのじゃ。 皆も知ってるであろう、砲身後座式速射砲の開発じゃ これは海軍が先に採用して、仏陸軍がフレンチ75として野砲にしたのじゃ。 フレンチ75、速射性に優れていたのだがもう一つ 大きなメリットがあった。それは砲架がほぼ固定される ということじゃ。それまでの野砲は打つと後ろにゴロゴロと 動いて戻さねばならのは皆しっとるの。 ところが砲身後座式だと砲架は動かんし砲身は元にもどるしで 照準が合わさったままだったのじゃ。むろん微調節は必用だが 同じころ、主にドイツで要塞砲とされてきた重砲を野戦に使う研究が なされておった。 このドイツ陸軍の試みは日本陸軍に伝えられて鴨緑江会戦で威力を発揮 するのじゃが、ここに画期的な試みがなされた。それが間接照準射撃じゃ これ自体は要塞の砲台では実用化済だったが、野戦でも行えることが 実証されてのじゃった。ドイツ陸軍さまさまじゃな。 さて日露戦争が始まった時、ロシア軍は既に砲身後座野砲を採用しておった。 しかし更新が間に合わず、極東では未配備だった。 一方、日本陸軍は砲身後座野砲を不採用にした。 そして会戦、徳利寺会戦では、日本軍が数に勝る砲兵火力で圧倒して勝利をおさめる。 この時、ロシア軍には新式野砲が届いておらんかった。 続く大石橋では、ロシア軍に砲身後座野砲が到着、野砲が初めて実戦で間接照準射撃 を行ったのじゃ。 日本側砲兵はこれに手がだせず対砲兵戦に失敗。 なぜかというにロシア軍はそれまでの暴露陣地をやめ遮蔽陣地を採用したからじゃ。 見えない敵砲兵を撃つノウハウはまだなかったのじゃ。 日本軍は重砲でせっかく間接照準射撃を成功させたのに遅れをとった訳だわな。 日露戦争の話はここで御終い。 次は本題の一次大戦じゃが、少し休憩 説明を忘れ取った。砲身後座式野砲は砲身が戻るから照準が ほぼ固定できるから間接照準向きだったのじゃ。 日本の三一式野砲では、そうはいかんかった。 これが日露の差じゃ。日本陸軍も慌ててクルップから新野砲を 購入するも戦争には間に合わず。 >>254 > 日本側砲兵はこれに手がだせず対砲兵戦に失敗。 対砲兵戦って発想自体がね >>254 > 一方、日本陸軍は砲身後座野砲を不採用にした。 なぜだろうね? ____ >256 /MwmVm ⊥⊥__⊥ えー、キャラ付けダメなのかな・・・ |__/|ノノ))))〉 ノ ヘ.|l. T_Tノ| が、がお・・・ ((( ⊂I!Liつ )ノ fく/_|〉 ´ し'ノ >>261 元ネタ知ってる人今どのくらいいるんだろう... (ちなみにウリはしらんニダ) 質問的なレスがあったので書いとくわ。 日本陸軍が砲身後座式野砲を見送った理由。 国産にこだわったから。 で以下は推測、当時の日本の技術では 造れんかったからであろう。 しかし有坂御大がこれでいけると太鼓判押しちゃった。 加えて速射砲にしても砲弾供給が追い付かんからではないかと ハード中心にするともりは無いが、ハードの説明してかないと 戦術発達の説明ができんのだ。 さて始めるかな。 今度は本題の第一次大戦 知ってのとおり塹壕戦の始まり 正確には、動きの少ない陣地戦の始まりだ。 運動戦はマルヌ会戦から延翼競争で終わった。 互いに陣地に籠り間接照準射撃がメインに。 仏軍が考えてた最前線で速射野砲を直接目標に 向けて撃つ運用は時代遅れになった。 そして塹壕陣地の突破に苦労する。 仏軍、大砲をいっぱい揃えりゃいいじゃん。 これで攻勢正面のドイツ軍はほぼ壊滅。 ところがドイツ軍、もう少し後ろにも陣地を造っていた。 こうなると射程の長い大砲が欲しくなる。 ドイツ軍、塹壕だけでなく所々にトーチカも作る 重砲でないと潰せない。 仏軍は破壊射撃に地道を挙げて各種大砲を集めまくって 数日に及ぶ砲撃でドイツ軍の殲滅を図る。 一方、敵の砲兵は陣地帯の後方、前線から数キロから十キロ後方に 位置して砲撃。こうなるとお互いの砲兵は射程外なので潰せない。 ここまでは前提条件 さて仏軍、英軍もだけど数専門の火砲で数日間叩けば戦線突破楽勝でしょと楽観 いざシャンパーニュ会戦、ソンム会戦と攻勢を発動すると目も当てられない失敗に。 同じころ、東部戦線ではドイツ軍が攻勢を行ったりしていたけど、こちらもだんだ んに塹壕戦状態に。 その東部戦線にブルシーロフが登場。 ロシア軍じゃ砲弾が集めきれない、なら同時多発で短時間の集中射にして 後は奇襲に期待しよう。これが成功。 同じころ東部戦線のドイツ軍にブルックミュラー(ブルヒミュレル)現る 火砲集めて長時間射撃してもロ助ども掩体に隠れて効果ねえな。 なら砲撃は中途でやめて、ロシア兵が掩体から出た頃合いでもう一回撃とう これは成功したが、すぐに手の打ちを読まれ意味を失った。 ここまで1916年くらいの話 戦線突破のできない理由をまとめとく 破壊射撃には完璧な効果を期待できない。 僅かでも機関銃が残ると前進が阻害され、 もたつく間に防御側が阻止砲撃を開始。 無理に突破しようとすると損害続出。 ひとつの解決法として、歩兵集団の 大量投入が考えられた。 しかし密集しすぎて機動ができずに これも失敗。 なら歩兵集団が停滞する頃に、次の 歩兵集団を発進させよう。梯団攻撃の 始まり。 これ全部仏軍が試したこと。 砲兵の話にならなくてすまん。 ものすごく荒いまとめだなw 根本的に間違ってるとはいわないが。 短く書いたらこんなもんか。 さて皆さん、何かお気づきではないでしょうか。 ここまで書き連ねながら、私が歩兵の攻撃支援に ついて全然書いてないことを。 今度はその話。 砲兵が最前線から退いて遮蔽陣地に籠ると問題が起こります。 それは攻撃前進する歩兵を支援してくれる砲兵がいないとい うこと。 連絡手段が有線電話と信号拳銃と伝令しかないこの時代、 攻撃前進した部隊は支援砲撃を要請できない。 いやまあ、やってはみたんですが 1伝令、砲兵司令部までたどり着く保証が滅茶苦茶すくない しかもたどり着いたころにはタイミングを逃す。 ガリポリ題材のオーストラリア映画(タイトル忘れたスマン)を 見ると、この事情解るよ。 2有線、数が少ない、せいぜい大隊司令部まであればよい方。 3信号拳銃、実はこれが一番効果的。なのだが目標を指示できない ただ反撃を食らった時の防御射撃要請にはそこそこ使えた。 あと戦場の砲煙で視界が悪くなって信号弾の光が見えなくなる 問題もあった。 なので敵の機関銃に遭遇すると手が出なくなる。 これを歩兵戦術で対処する策も考えられたが、話がそれるのでパス >>254 例えば、 >野砲が初めて実戦で間接照準射撃 > を行ったのじゃ。 第二次ボーア戦争でイギリス軍が間接射撃を行ってたように思うが これは「榴弾砲」で「野砲」ではないってことか。 それを言い出すと、17世紀末ごろのオリジナルは2人でも運べるコーホーン(↓こんなの)が、 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/CScoehorn.jpg/220px-CScoehorn.jpg 城壁内で使用された場合、砲からは目標が見えないので、間接射撃の定義を満たしてる可能性がある って指摘は前からあるし >>269 見なきゃならんとは思ってるんですがこれでしたっけ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%93%E3%81%84_ (%E6%98%A0%E7%94%BB) 反対側で、どこぞの一匹狼な伍勤が一級鉄十字勲章取ったのもそれ相応の理由がある訳ですな。 >>264 勝手に補足していくと >互いに陣地に籠り間接照準射撃がメインに。 >仏軍が考えてた最前線で速射野砲を直接目標に >向けて撃つ運用は時代遅れになった。 ?塹壕戦になって間接射撃がメインになる前に、 例えば、フランス軍の師団砲兵は、国境会戦でも フランス軍の野砲よりも最大仰角が大きく大口径で威力の大きい 野戦榴弾砲を持ってたドイツ軍の師団砲兵に、 丘陵とか森の多い地形で撃ち負けたりしてるので、 塹壕戦にならなくて運動戦のままでも、フランス軍の 速射野砲一本槍の装備は時代遅れだったと思う >>266 > ロシア軍じゃ砲弾が集めきれない、なら同時多発で短時間の集中射にして > 後は奇襲に期待しよう。これが成功。 これは砲撃よりも同時多発的な重点のつかみにくい奇襲が成功の大きな要因 というのが一般的な見方だと思う。 さて話変わって仏軍 砲兵支援の問題に頭を悩ませます。西部戦線で攻勢に出るのは ほぼ英仏軍なので。 それで重要なことにやっと気づきます。 いくら時間かけて砲弾を大量に撃ち込んでも意味ない。 すでに戦争から3年程経過、何やってんだか。 だったら砲撃時間を短縮しても良い。射耗弾数も減らせておとく。 しかし、これにはもっと大きな効果があった。 長時間の砲撃は相手側に攻勢の近いことを知らせて対応させてしまうんですね。 相手側は戦線後方に大量の予備兵力を待機させて待ち構えます。 この際、第一線の多少の損害はやむを得ない、予備兵力で反撃しよう。 これが弾性防御の始まり。 ところが、砲撃時間を短縮すると予備兵力集める時間がなくなる。 だけど砲撃には試射が必要というネックがあった。 だったら試射を省いてもいいんじゃねとなる。どうせ当たらないだから。 この辺、細かい経緯があるけどパス。ただ独仏が同じ頃にこの境地に至る しかしながら、砲撃してる間は敵兵は表に出ない。 だったら攻勢開始直前だけ砲撃しよう。その間に歩兵は中間無人地帯を抜ける 位はできるはず。そのため砲弾を広くバラまいて攻勢正面を制圧すればよかろ う。これが地域射撃の始まり。 ただそれだと歩兵が前進した後の支援ができん。 だったら歩兵の前進に合わせて、弾幕も前に出せばいいじゃん。 これが移動弾幕射撃の始まり。 カリウスの戦記にソ連軍の砲兵弾幕がソ連軍の前進に構わずひたすら前にいって しまったという記述がありますが。二次大戦のソ連軍、移動弾幕使ってたんですね。 >>266 > 火砲集めて長時間射撃してもロ助ども掩体に隠れて効果ねえな。 西部戦線の連合軍みたいに、ドイツ軍が塹壕にこもったロシア軍を長時間砲撃したけど 効果なくて攻撃失敗、って事例あったっけ?(ブルックミュラーが指揮してた?) 勉強不足で知らないんで、どの戦いか教えてくださいませ。 皆さま鋭い突っ込みありがとうございます。 おおざっぱな書き方してるんで抜けなどあると思いますよ。 それでもこの長さ。 映画のタイトル、誓いです思い出しました、サンクス しかし配給会社、原題ガリポリだろ。 >>263 これどうもありがとう。 裏付けとなる史料が出てくるといいですね。 277さん その話はブルックミューラーの回想録にあったんですよ。 靖国偕行文庫でみました。十年くらい前なので間違いがあったら ご容赦を。 272さん それは攻城砲兵ですね。 攻城砲兵が重砲兵になります。 鴨緑江会戦の日本軍12榴の間接射撃も実は 要塞部隊編成の重砲兵だったんですよ。 野砲の間接射撃が標準化したのが日露戦争な訳で >>280 了解。 クルム要塞の砲兵司令官以降、第86師団の砲兵司令官以前ってことかなあ? >>281 いやいや、攻城側じゃない。初の間接射撃は要塞側の可能性って話。 274さん ご指摘のとおり、運動戦のままでも仏軍速射野砲 陳腐化したとは私も思います。 283さん 了解しました。 確かに要塞砲は古くからある種の間接射撃をやってます。 いわゆる隠顕砲台ってやつに大砲と兵員は隠れて撃ちますしね。 >>281 > 野砲の間接射撃が標準化したのが日露戦争な訳で いや、欧州の主要各国(ただしロシアのぞく)で 野砲の間接射撃が標準化したのは、第一次世界大戦中の それも運動戦から塹壕戦に以降してからだと思うぞ >>271 そう。第二次ボーア戦争でイギリス軍は重砲や海軍砲まで野戦に投入してる 移動弾幕射撃発想はいいんですが、実行は大変です。 皆さま、歩兵の攻撃前進に合わせて、砲兵が射撃を 延ばしていく、それも間接照準で、どうするのって 思いませんか。数学の得意な人なら簡単かもですが。 私は数学苦手。 さて仏軍、この頃(またかよ)画期的な事を始めます。 地図に座標を乗っけたんですね。今風の軍用地図の始まり。 この座標入り地図に敵陣地や部隊配置を書いたオーバーレイ 用紙を乗せて、それを見ながら砲兵将校が座標計算で諸元を 出して砲撃ということができるようになりました。 これなら観測も試射も省けなくもない。命中させたいならそうも いきませんが。 これを応用して歩兵の進路をタイムスケジュールを図上に落として その直線の式を出します。仮に式aと置きますね。 今度は砲兵の射線を図上に書いていきます。射線の式はbとします。 歩兵の速度は一定なので(ほんとは違うけど)、時間ごとの位置座標は 出ます。 それで計算的には直線aと直線bの交点座標を求めることで弾着地点の 座標が割り出せます。直線二本なので連立一次方程式の解X、Yです。 これを集中した数百から千の火砲に対して手計算で、ってやってられるか。 この結果、砲兵司令部の規模は大きくなります。計算要員が必要なので。 電算機が有ればね。しかし仏軍ほんとにやっちゃったんですね。 苦労のかいあって移動弾幕射撃、ベルダン戦の後半で大成功をおさめます。 しかし翌年には大失敗を招くことに。 今1916年後半くらいの話で書きたいことは多々ありますが、 いったん話を先に1917年に飛ばします。 ベルダン戦で1年費やしたフランス軍は性懲りもなく、新たな 大攻勢を計画します(銀英伝の同盟の元ネタ、フランス軍だよな) これがエーヌ会戦、この攻勢でも移動弾幕射撃を使ってというより これに期待をかけて実行しますが大失敗。 なぜか、弾幕と歩兵の前進が分離したからです。 まずドイツ軍は洞窟陣地に籠って砲撃に耐え(後に日本陸軍がまねします) 仏軍歩兵が来た時あるいは、通過した直後に湧き出て逆襲します。 また砲撃を食らっても一部の特火点は機関銃射撃で仏軍の移動を妨害。 その上、仏軍の移動は足元の悪さから、ぬかるみやら鉄条網の残骸やらで 計画通りにはいきません。こうして弾幕は勝手に前に行き、後はいつも どおり独軍の砲撃と逆襲となりました。 仏軍はこの失敗で息も絶え絶えしばらくはお休み。 あと戦車も使われましたが、話から外れるのでパス もう少しだけ書きますね 話変わって英軍 ここにJFCフラーという変人砲兵参謀がおりました。 どちらかといえば戦車軍団で有名ですが。 さてこの人、砲撃について変わったことを思いつきます。 当時、砲兵と言えば破壊がメイン、せいぜい混乱させる くらいに思われてた時代。 突如、麻痺という得たいのしれないことを言い出します。 フラーさん軍隊は組織、人体も組織ならどっちも神経系統が あるよね。だったら軍隊の神経系統をナニすれば軍隊組織も 麻痺するんじゃね。まあこの考え今に至るんで、実は機動戦 に結び付くんですが、だいぶ先の話。 とにかく麻痺はいいけど手段がない。フラーはその活路を 砲兵に求めます。もともと攪乱射撃という戦術が砲兵にはは あります、なら砲兵で敵司令部を砲撃すれば麻痺の効果があ るんじゃないか、こう考えた訳ですね。 このアイデア間違ってないけど時代を先取りしすぎ。理解は されないし、あまりうまくもいきません。 その間にフラーは戦車の方に行ってそっちで麻痺戦を考えます。 ただ英軍も砲撃は短時間に抑えて奇襲効果を利用した方がよい のではという境地に達します。 これは1917年のアラス攻勢で試して、そこそこ成功しました。 英軍は第二陣地帯まで突破したのです。 攪乱射撃の話がでたので解説。これは敵軍後方を 砲撃して嫌がらせをする戦術です、英語だとハラ スメントファイヤー。 攻城戦で使われて旅順では日本軍もやってます。 これ、うまくすると弾薬庫に命中したりします。 ベルダン要塞戦では仏軍の攪乱射撃が独軍弾薬集積所に 命中して例の42センチ砲の砲弾を吹き飛ばしたとか。 やはり掲示板だともう少し論点を絞った方がいいな 包括的に語っても冗長になりがち >>284 微妙に日本語が通じてないなあ。 速射野砲という兵器の陳腐化ではなく、 師団砲兵に75?ミリ速射野砲以外の榴弾砲がないという 編制とそれに沿った運用思想が、開戦時点ですでに陳腐化していた って話。 >>285 これも日本語が通じてないなあ。 >いわゆる隠顕砲台ってやつに大砲と兵員は隠れて撃ちますしね。 17世紀末に隠顕砲台はないでしょ。 間接射撃の歴史は長いよ。 大きく見積もると日露戦争より100年以上前から。 とりあえず英語のウィキでも読んでみたら? https://en.m.wikipedia.org/wiki/Indirect_fire >>289 > まずドイツ軍は洞窟陣地に籠って砲撃に耐え(後に日本陸軍がまねします) この洞窟って地下のワイン蔵とかじゃなかったっけ? 日本軍はこれをまねしたのかなあ? >>290 > ただ英軍も砲撃は短時間に抑えて奇襲効果を利用した方がよい > のではという境地に達します。 > これは1917年のアラス攻勢で試して、そこそこ成功しました。 アラスでも準備砲撃は5日間やってなかったっけ? 第二次シャンパーニュ会戦の3日間よりも ロースの戦いの4日間よりも長い。 ベルダンでの反撃前の準備砲撃も4日間じゃなかったっけ? あーと、第二次シャンパーニュとロースの戦いは1915年 ベルダンは1916年、アラスは1917年ね >>267 > なら歩兵集団が停滞する頃に、次の > 歩兵集団を発進させよう。梯団攻撃の > 始まり。 これって梯団攻撃みたいな組織立ったキレイなもんじゃなくて とにかくどんどん予備隊を注ぎ込む感じで、当のフランス軍が 前線でごちゃごちゃになって烏合の衆になってダメだから止める、 って教令だか戦訓報告だかに書いてなかったっけ >>276 >二次大戦のソ連軍、移動弾幕使ってたんですね。 2重弾幕射撃、3重弾幕射撃もやってたよ 移動する弾幕が2重、3重。 >>300 その図がまちがい 師団隷下の砲兵旅団は、野戦砲兵1個連隊と徒歩砲兵(重砲兵)1個連隊で 徒歩砲兵連隊は、7.7cm野砲1個大隊と10.5cm野戦榴弾砲1個大隊。 http://www.worldwar1.com/photos/germdiv1914.jpg Zabeckiの「STEEL WIND」でも、 OSPLEYの「World War I Battlefield Artillery Tactics」でも見てみな。 https://ospreypublishing.com/world-war-i-battlefield-artillery-tactics 同じ編制が載ってるし、国境会戦でフランス砲兵がドイツ砲兵に撃ち負けたことも書いてあるから。 . >>303 1つ間違うと間違ったソースは伝染するからな そのたぐいだろう 砲兵が撃ち負けたからというのは編制に関するソースには全くならない 軍団砲兵には10.5cm砲があったし兵力自体がドイツ軍の方が優勢なんだから砲兵力も当然優勢になる Hermann Cronの「Imperial German Army 1914-18: Organisation, Structure, Orders of Battle」も Jonathan M. Houseの「Toward Combined Arms Warfare」も、みんな同じ間違ったソースを見ていると? まあ、信じたいことだけを信じてたら? >>305 標準の編制ではないね 一部は大隊を置き換えた部隊もいたみたいだけど https://fr.wikipedia.org/wiki/10,5-cm_Feldhaubitze_98/09 En 1914, ce modele etait deploye a raison de 36 pieces au sein de chaque corps d'armee http://www.landships.info/landships/artillery_articles/lFH_98_09.html In some Regiments, however, the second battalion was equipped with the 98/09 (again 18 pieces) and the idea was that each Army Corps should dispose one of these "mixed" regiments as an extra resource. 君がいくつくらいの部隊を置き換えたのかの数字なんかを出してくれたら 10.5cm砲を師団砲兵として装備していた部隊がどの程度"標準的"だったのかわかるんだが 今のところは標準の編制ではないとしか結論できない Hermann Cronの「Imperial German Army 1914-18: Organisation, Structure, Orders of Battle」のP.135見とけ 教科書で愛を教える国と、憎しみを教えるカルトの違いを「信教の自由」の美名で混ぜこぜにして戦後70年を乱したのは誰だ? >>306 1つ間違うと間違ったソースは伝染するからな そのたぐいだろう もう>>302 時点でまともな話は無理な人 にぎやかだな。 風邪をひいて寝込んでるので、こないだの続きはまた後日書くとして 手っ取り早く見れるWWIデータブックのドイツの師団編制を見ると 野砲兵連隊に十榴が配備されるのは1914年10月からみたいだな。 1918年になると徒歩砲兵が配属されて15榴も来るようだ。 まあ参考程度に 英語文献が正しい保証もないけどな。 旧軍の史料が見つからんのですまんな。旧軍はドイツ軍のソースを そのまま翻訳してたりするし、直接聞いて来たりするから侮れん。 旧軍資料における独軍砲兵の解説 http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_1.htm 第二章 世界大戦前の独軍砲兵 各師団は七七密野砲三大隊、一〇五密軽榴弾砲一大隊より成る連隊二個を以て編成せる野戦軽砲兵一旅団を属す大隊は三中隊一中隊は六門編成とす但し予備師団は一連隊とす >予備師団は一連隊とす これが曲者で、後備師団には105oHが無いない しかし、正規師団には105oHがある これが >306 >http://www.landships.info/landships/artillery_articles/lFH_98_09.html >In some Regiments, however, the second battalion was equipped with the 98/09 (again 18 pieces) and the idea was that each Army Corps should dispose one of these "mixed" regiments as an extra resource. でいくつかの連隊とか書かれる原因と思われます。 あとは、動員時の正規師団と後備師団の数を数えれば解答が出るように思えますが、ここに落とし穴。 普通、戦闘に投入されるのは、まずは正規師団からなので、いくら後備師団を数えても、積極的に戦闘投入されたとは言い難い訳で… (ただし延翼競争の陣地配備には大活躍したとはおもいます) どちらにせよドイツ軍でも一部にしか配備できなかったなら軍団砲兵も含めたフランス軍の重砲軽視自体が誤ってはいたが 師団編制として陳腐化していたと言う表現は論点を見失う原因になると思うね >317 >どちらにせよドイツ軍でも一部にしか配備できなかったなら だからちょっと待て 戦闘のsty力となる正規師団には105oHはあったんですが… 後備師団と比べてどうするよ。 これは仏師団が独後備師団と同レベルという事を示すわけです。 なお、同時期の英軍は83.8oの他に、4.5インチ砲と127o砲を装備しています。 ロシア軍と比べても、露軍は75o砲12門1大隊で4個大隊=1個旅団48門 仏軍の75o12門1大隊で3個大隊=36門と列国の中で最弱 (というか師団規模として一番小規模である為、その分、数を編成できる訳ですが…) (仏15000名、独17500名、英18000名、露21000名) (砲兵が支援すべき大隊、連隊の数も併せて本来は考える必要がありますが…) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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