海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術31
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陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は? 史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は? 近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。 初心者から本職まで、幅広く参加者募集。 煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。 現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。 ※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical) について主に扱うスレッドです。 世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。 過去スレ 海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 29 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521379754/ ※前スレ30 ワッチョイ無し https://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1529215122/ で、エアランドバトルで第二梯団を叩くってのが出てきて 前線の圧力が弱まった時に反撃するって話になったわけ それでも無理では?ってのをLansがどっかのスレで書いてたな あと、ライン川より下がったらフランスが勝手に戦術核を使いそうな気もするw そのためにNATO脱退したようなもんだし >>409 純戦理的にはそれが正解かもw ま、戦争は政治と分離できないわけだけど アメリカ軍、こんなにドイツ軍と仲良くしてたのに、エアランドバトルも 途中から作戦術を入れるようになって、実はソ連軍の軍事理論を 高く評価してるんだよなあ。 アメリカ軍の認識がどんどん変わっててるし。 >>417 ドイツの軍人のウソがバレたんだろ。オレたちは対ソ戦の専門家だ〜機動防御がヒトラーに妨害 されなきゃ勝っていた〜、細かく検証したら全部ウソでした。 ※418 1975年のベトナム敗退が契機なので1980年代が転換期ですね。 米軍ー戦術的には勝ってた→なのに負けた そういや戦術と戦略をうまく連結できてなかった。 これが作戦術に注目しだした原因 砲兵火力の機動について付けたし 昭和4年の「砲兵戦闘原則の研究」から抜き書き 「砲兵の本領は、威力強大にして機動迅速なる火力に依り戦闘の骨幹を成形」 「其の火力は迅速なる機動性を有し巧妙なる火力の運用を許し、或いは殲滅的にして 且急襲的なる集中火力の発揚を可能ならしむる」 ここでいう火力の機動はすばやく目標を変更して瞬発的に砲撃すること。 続き その後の文脈で 「火力の増大に関連して著意すべきは砲兵の運動性及び戦術的用法の敏活性である」 として機動と運用を使い分けてる。 その上で「将来の機動戦に応じ得るや否やは一の疑問である」としてます。 それから「我が砲兵の編制装備は正に東亜の戦場に於ける機動戦に際し威力大なる 火力と共に十分なる運動性を具備するもの」と自画自賛しとります。 まとめると あちこち砲撃して回るのが火力の機動。 砲そのものを動かすのが運動。 と思われます。 >422 >「火力の増大に関連して著意すべきは砲兵の運動性及び戦術的用法の敏活性である」 >機動と運用を使い分けてる。 砲の展開(設置、射撃準備、照準、調整)といった一連の【動作】は運動性?運用?どちら寄りのニュアンスですかね? >417 >実はソ連軍の軍事理論を高く評価してるんだよなあ。 一部の作戦術論文には、ナポレオン〜モルトケを作戦術のはじめとして認識するようなものがあります。 (70年代頃から出始める) これが西側的な作戦術理解の端緒で、でも何か違う?でも作戦次元の存在意義はなんとなく判った! となってる所を、80年代になってアクティブディフェンスの批判からクラウゼヴィッツ派が入り込み、概念整理。 エアランドバトルに流れる過程で作戦術概念の再定義が行われ、その時に、ソ連の作戦術も参考にされたというのが実相ではないかと推測しています。 (実は、この時の再定義が中途半端だったので、2000年代初頭の作戦術不要論の根っこになったのではないかと推測) なお、ソ連側は、逆に米軍の原則の存在に注目し、「ソ連陸軍の作戦術及び戦術の基本原則」を書いてます。 (この中でソ連側は軽快な運用を是とする米軍ペントミック部隊の理論を高く評価しているのは、実にソ連らしいです) >>420 どこが戦術的に勝ってんだよ。効果あったのラインバッカー作戦だけだろ。 >>426 推測ばかりだな それでも、軽々しく断言した後にツッコむと無視か推測だとわかる誰かさんよりマシだなw >427 米軍は勝っていたと認識していましたよ。 テト攻勢も最終的には制圧したし、ケサンだってディエンビエンフーと違って守り抜いた。 次々と侵入する北ベトナム軍は見つけ次第、即時撃退しているし国境を維持している。 なによりの証拠が、この敵のし体の山だ。 と まあ、戦術次元の戦闘には勝っていたのですよ。 その上位レイヤーで負けが溜まっていることに気が付かず・・・ 軍事系の板だと、今でも米軍は軍事的には勝っていた 政治、プロパガンダで負けたとのたまう人はいるからなあ。 >>425 砲の展開はおそらく動作と思われます。 部隊移動が運動ではないかな。 >>429 ケサンとマクナマララインは死守できたけど、その隙に 北の正規軍師団がラオスから侵入してたんだよな。 フランス軍が1940年に崩壊せず連合国陣営の陸軍戦力の中心として活躍し続けていたら西側諸国の陸軍ドクトリンがドイツとの戦争後にソ連に劣る事も無かっただろう フランスは1940年時点で独ソに続く第3位の戦車師団保有国であり フランス電撃戦の後半では既に戦力で圧倒的に不利な中で 縦深陣地と機械化師団による火消し部隊を組み合わせた防御戦でドイツ軍に対し多大な損害を強いた 433 たぶん無理 ドイツ軍に損害を強いたは解るが、多大ではない。 それ以前にソ連軍に比べてフランス軍のドクトリンが優ってたとはいえん。 433 「仏軍大単位部隊の運用」(タイトルうろおぼえ)を読むと 仏軍のドクトリンが時代の趨勢にマッチしていないのがわかるよ。 田村直也の歴史群像の記事を参照するよろし >430 ベトナム戦争の北ベトナム軍の戦死者数は117万とか言われてますからね (さらに民間死者300万人) 米軍の戦死者と比べて圧倒的な数であり 南越軍の戦死者を加えても、まだまだ北ベトナムの被害の方が圧倒的に多いのです。 なので【定量的に米軍の大勝利】とかのたまう輩がいるわけです。 まあ、ノモンハンでソ連軍の方が被害が大きかったから、日本軍の勝利!とか言うのと同じ。 もまえら、戦争目的はどこいったw と小一時間w (懐 これを当時は当の米軍自体が言ってましたし、戦後のベトナムと米国の国交正常化の後のレセプションかなんかで 米軍の将官とベトナム軍の将官が同席し 米軍 「いやぁ、戦闘では勝ってたんですけどね(苦笑」 とか言ったところ 越軍 「そうですね、米軍強かったです。ま、戦争勝ったは我々ですけど(にこり」 みたいな返しをされて ぐうの音も出なかった とかいう話をどこかで読んだ記憶があります。 それは米軍に作戦術受容を書いた本かと、私も見た覚えが。。。 マクナマラも戦後ベトナム訪問で同じようなことを言ってた覚えが。 ちなみにナム戦は砲兵の機動とも関わってくるよ。 後、機動戦とも後々関係するよ(こっちは野中の本でも読んでね) >>434 >>435 戦訓をまとめる前に軍が崩壊したのが最大の問題だからだよ ここでの最大の比較対象は独ソと言うよりも英米陸軍 彼らの1940年時点での陸軍はドクトリン以前に編制の段階で完全にフランス軍以上に前時代的だったしなんなら1941年以降でもフランス軍よりも後進的な部分を含んでいた 西側連合国陣営の陸軍の脆弱さの補完ができた可能性があったのがフランス軍 大単位部隊戦術的用法教令だけでフランス軍の可能性全てを論じる事はできない 第一次世界大戦でも1914年のフランス軍と1918年のフランス軍は全く違った >439 当時の仏軍が作戦次元と作戦術の必要性を認識できたとは思えないし・・・ その時点で、仮に仏軍が残っていても、労農赤軍には追い付けないです。 労農赤軍は1930年代に基本的な作戦次元と作戦術の概念の扉を開いています。 (その扉の中に入れたのは1944以降ですががが・・・) >>440 いつも言える事だけど"ソ連の書いた教科書が正答例でそれに近いほど良い"みたいな単純過ぎる認識は改めた方が良いと思うよ >441 それは貴官の被害妄想 なんといっても、ソ連は現在存在しない。 それがソ連軍の限界でもあったのですよ。 ただ少なくとも、冷戦時西側最高!西側のみが正解だったのだ!という論調には、とてもじゃないですが迎合できませんががが >>439 冷戦時代に仏軍は二度目の大戦の戦訓を取り入れてドクトリンを作ってるのですが。 その結果が英仏独よりましだったとは思えん。同程度とは思うけど。 プル―トンミサイル主体でソ連機甲部隊を(西ドイツで吹き飛ばそう)というのは まあ面白いが。フランスに任せてたら世界が滅びかねんわ。 >>439 とはいえ1940年の仏軍が電撃戦を押しとどめていたらというのは 面白い想定ではあるな。 実際、マンシュタインプランでなければ、もっと時間稼ぎはできたと思われる。 ただ仏軍は浸透への対処が甘い。 作戦テンポへの理解が薄い。 なので、ここを克服できるか否かがカギかな。 なんだよな。 >>446 大戦後の仏軍のドクトリンは史実とあまり変わらんと思うが。 >>446 しかし、面白い仮定なので貴官の意見を賜りたい。 どんなドクトリンになったと思う。 1940年の大敗北と軍隊の一時的な消滅はフランス軍を余りにも大転換させすぎた 要するに連合軍内での主導権を失って英米軍と同一化し過ぎた結果劣化した あれが無かったらフランス軍はその後ドイツ軍に対応できる様な運動的な要素を取り入れつつも 基本的には大規模徴兵軍である点は変更せず機甲戦力を拡充させてた筈だ ソ連軍を表した言葉の1つである"巨大なスチームローラー"という表現は元々はリデルハートが第一次世界大戦のフランス軍に対して使った表現であったわけだが 戦間期から正統に進歩したフランス軍もやはりその路線を行っただろう だからイメージ的にはソ連軍に似るがここに西部戦線と東部戦線の違いが出てくる 東部戦線では戦線は縦横に広がり軍隊の運動は果てしない物になるが西部戦線では地形のせいで自由度が大幅に下がる この要素から西部戦線では東部戦線以上に運動戦を活かす機会は少なくなる 西方電撃戦が成功したのは横に狭い戦場で縦の浸透を活かしたからだが この成功もそもそもドイツ軍の戦力の優越あってのものでイギリス軍があと10個師団も増援を増やしていたらそんな余裕は無かった フランス軍は最初の攻撃を耐えた後は戦車戦力の拡大を待って1942年頃を目処にオランダから攻勢に出る予定だったが 結果として第一次世界大戦のプラン1919を1940年以降の技術で引き継ぐような戦場が見られるようになる筈だ 1番の大きな誤解はフランス軍があくまで攻勢に主眼を置いた軍隊なのに1940年の戦闘でそうせざるを得なかったせいで防勢を主眼に置いた様な軍隊だと思われている事 1940年のフランス軍は真価を発揮する前に消滅したと言う前提を忘れない方がいい >>450 部分的には同意 蒸気ローラーはリデルハートのはるか前からロシア軍に対して使われてたような (ソースは八月の砲声) 機甲戦力拡充は異論は無い、仏軍が単純に防勢重視でないというのは解る。 D計画からしてもね。 ただマンシュタインに裏を欠かれた時に、うまく阻止できなかったドクトリンは どうかと思う。いずれにしても仏軍のドクトリンではうまく攻撃はできないので はないか。 作戦レベルの用兵が慎重すぎて、今でいうООDAループ上の問題があるように思う。 補足しとくと、第二次大戦期の仏軍には空挺部隊編成の予定もあったみたいですね。 それと自由フランス軍の行動、ビルハケイムの戦いとか、イタリア戦線でのカッシノ でのリ河谷突破とか見るべきものはあるとは思う。 一次、二次とも仏軍馬鹿にされすぎとは思う。 フランス軍の問題点はよく言われるのは"テンポ"みたいな表現だが 実際の所その最大の問題は"前大戦の勝者"であるが故の"完璧主義"だよ "前大戦の敗者"であるドイツ軍は近視眼的な戦勝を求め "全大戦の勝者"であるフランス軍は包括的な戦勝を求めてしまった アルデンヌを突破された直後ですらフランス軍の脳裏にあったのは 第一次世界大戦緒戦のシュリーフェンプランに対する大規模な反撃戦における凄まじい損害(ヴェルダンやシュマン・デ・ダームやカイザーシュラハトより遥かに多大だった)であり その事が大規模な反撃戦に打って出るより一旦確実な防衛線を引き直したいという消極的な方向性に向かった これはドクトリンによる問題と言うよりも前大戦による一時的なトラウマみたいな物で永続的な物ではない 5月の戦闘の経験だけで6月のフランス軍は大きく進歩していた 黄作戦と赤作戦を比べるとドイツ軍の損害は2倍にまで膨れ上がってる これはフランス軍が軍の主力と同盟軍のほぼ全てを失った後である事も考えると驚異的な増加だった フランス軍にもバルバロッサの時のソ連軍の様に許容範囲内での敗北が必要だったが西方電撃戦はそれを超えていた wikiによるとフランス戦でのドイツ軍の損害は 戦死2万7074人 戦傷11万人 行方不明者1万8384人 ざっと15万5000人か 今どきウェストポイントの戦況図だけじゃ入り口も入り口だろう http://www.atf40.fr/ATF40/divers/afficarte.html Grandes Unites Francaises - Historiques Succints , edites par le SHAT en 1967 でフランス電撃戦の連合軍の毎日の配置が Der Westfeldzug, 10. Mai bis 25. Juni 1940: Ein Lageatlas der Operationsabteilung des Generalstabs des Heeres でドイツ軍の毎日の配置とドイツ軍が把握していたフランス軍の配置がわかる この2冊の本はフランス電撃戦の研究において必読だろう まあ趣味の範囲なら数枚の地図でわかったつもりになってもいいだろうけど マルヌ川の線から12日間で左右両翼は500キロくらい下がってるなw ドイツ軍の進撃を見ると、冷戦期の機械化が進んだ赤軍が ピレネーまで突破とか夢想してた気分がわかるわw フランス戦後半でドイツ軍の進撃の足かせになってたのは もしかして戦闘よりも兵站じゃないかね? それでもフランス軍は、ドイツ軍に戦線に穴を開けられずに下がれるようになった だけでも進歩だな、えらい、えらい たぶん突破に必要な砲弾がなかったんじゃね?って気もするが(個人の感想です) そもそも師団数でドイツ軍は約2倍優越してたからな ウェイガンライン付近の1週間程度の戦闘の様子が1番重要なポイント おおまかにまとめられた地図だけでしか分析しないとこういう雑な結論しか出せない ま、このへんはそのものズバリの本としてかなり新しい本でもある「CASE RED」がせっかくあるので興味が出たなら熟読されたい https://pbs.twimg.com/media/DOGwFhbW4AAiBjM.jpg 読む前からそんなに分かるなんて凄いなあと思うけど(君は1冊読む前にわかった気になってる訳だが) フランス電撃戦の本も主眼はセダン突破から海峡到達乃至ダンケルク撤退らへんであってダンケルク以降はどの本も政治的描写が多くなってしまうわけで その辺を補完してくれる本が「CASE RED」だと俺としては思ってるから 当然前提として"典型的なフランス電撃戦の本"であり"過去のバイブル"である レンデントンの電撃戦とかフランス第三共和制の興亡とか電撃戦の幻とかアリスティア・ホーンとかを読んでるべきだと思った上で紹介してるから これだけ読めば良いなんて言うつもりはなかったよ こうじゃなくて、この1冊でいわゆるウェイガンライン付近での戦闘とか フランス軍とかを分かった気になると危ないって話 そもそも1冊読んで分かった気になると危ないのは別にこの話に限った事じゃないと思うんだけど 今回そう思った根拠がもう少し詳しく聞きたいな 俺の書いてる事が怪しいからそう思ったのか? 本の著者や概要を調べて怪しいと思ったのか? 何かしら引っかかったから特にこの本が危ないと思ったんでしょ? >450 >東部戦線では戦線は縦横に広がり軍隊の運動は果てしない物になるが西部戦線では地形のせいで自由度が大幅に下がる そこは同意するが… >西方電撃戦が成功したのは横に狭い戦場で縦の浸透を活かしたからだが、この成功もそもそもドイツ軍の戦力の優越あってのもので ここは不同意。 全体でみれば独軍は戦力優勢には「ほど遠い(WW1もWW2も) この戦力優位は独軍の作戦により作為されたものであり、作戦次元と作戦術を理解しなければ、またひっかかる危険は多分にあると思います。 さらに機動に対する理解と準備が、より仏軍に対し運動性の優位を獲得しており、局所的優位を得やすくなっていたと考えます。 (今でいうOODAループの優越に近いもの。判断だけでなく、通信や連絡といった情報の重視や任務指揮による末端にまで行き渡った行動の素早さ等も影響) ※ただし、これは独軍に作戦術があることを意味しない。独軍は作戦次元は把握しており、作戦-戦術の重複領域まではなんとなく理解しつつあったと思う。 このなんとなく、というのはあくまでも全軍に共有された訳ではなく、一部優秀な高級将校が属人的に会得していたものという意味。 それでもそのあたりの認識の殆どない仏軍には優位に立ちやすい。 (さらに一部将校においては戦略-作戦の重複領域も属人的に理解していた節がある) (また高級将校だったりすれば、下位に影響を及ぼすので、それなりうの効果が発揮される…しかし、あくまでも一部なので独軍としての評価とすると扱いに困る・・・) 仏軍はこのあたりをなんとかしなければ、いくら機甲師団を持とうが、戦力拮抗しようが 独軍に翻弄され、局所優位を得られ、判断が飽和し、指揮が麻痺し… を繰り返してしまうのではないか? (もちろん、独も1940ほどの一気大進撃は無いだろうが…) ウォーゲームで全体の先を見通せず、各ターン毎に最良の手を打ち続けてるだけでは、なかなか勝てない。 相手が先を見通して手を打ってきた場合、結局じり貧になる。 TACTICSIIのような初心者向けゲームで、よく起きる現象 (というか、あのゲームは両軍戦力が同等なので、なにも考えずに普通に戦ったら勝敗が付かなくなるw) (かえって史実系ゲームよりも、勝つのが難しい、おそろしいゲーム) (ルールが簡単と、プレイが簡単は、実は両立しない) (まあ、初心者同志でもプレイできるし、偶然と最善の積み重ねでも勝利は来るので、初心者でも十分に楽しめるが、 上級者同志でプレイするとお互いがなかなか大きな間違いを侵さないのでWW1並に戦況が硬直する。 その状態で勝つには、明確な戦略に基づいた作戦立案が必要になります。作戦のセンスという奴ですかね) >>471 フランス電撃戦でドイツ軍の戦力は事実上明確に優勢だったよ 概ねフランス軍には全師団で90個師団がありドイツ軍には130個師団があり オランダ軍は10個師団でベルギー軍が20個師団でイギリス軍が10個師団だから 総数はほぼ同一だったけど この数字を見て戦力が拮抗してると見るのはドイツ軍に対して判定が甘すぎるだろう フランス軍が望むと望まざるとに関わらずベルギー軍は開戦直後に単独でドイツ軍を相手にして消耗するし オランダ軍は開戦5日目で降伏したしイギリス軍は本来上位だったフランス軍の命令を無視して海岸に向けて撤退したんだから 連合軍はドイツ軍に対して互角に並べられる戦力が足りてたとは到底言えない 開戦前から自由に兵隊を並べられるなら話は別だったろうけどね まあ総数を見て拮抗してるから優勢じゃないとかそれでも110個師団対130個師団くらいには持ち込めるから優勢じゃないとか フランス軍の努力でそんなのはどうにでもできたとか言う認識ならそれは根本的に見解が合わない事になるんだけど もしフランス軍が連合軍全師団を自由に動かせて中立国国境にバラバラに配置する必要もない状態で中立国降伏なんかを考慮する必要が無かったら戦力は拮抗した状態と言えると思うけどね ドクトリンの優越を重視し過ぎてもっと単純な情勢の分析が足りてないと思う >>439 > ここでの最大の比較対象は独ソと言うよりも英米陸軍 海軍国と、動員前の常備軍が超小さい国が比較対象かよ >彼らの1940年時点での陸軍はドクトリン以前に編制の段階で完全にフランス軍以上に前時代的だった アメリカ軍は州兵の4単位師団でさえ歩兵師団の師団砲兵が自動車化されてたし 野砲が馬匹牽引の北東型のフランス軍歩兵師団の編制の方が前時代的じゃないか? >>433 > フランスは1940年時点で独ソに続く第3位の戦車師団保有国であり 攻勢には使えない歩兵部隊がてんで足りない装甲予備師団じゃんw > フランス電撃戦の後半では既に戦力で圧倒的に不利な中で > 縦深陣地と機械化師団による火消し部隊を組み合わせた防御戦でドイツ軍に対し多大な損害を強いた ドイツ軍の損害は10万もいかないでしょ? 同期間のフランス軍の損害は? >474 独軍が西方戦役にそこまでの師団を投入出来たこと自体が作戦次元の利用だと思わないのか? 例の一部の属人的能力となるが、本来、東部を支えるはずの戦力さえ一時的に西部にもってきている。 (このあたりは、戦略-作戦の重複領域の分野) (さらにいろいろ不可侵条約とか、政治的マニューバも多用しての成果だが) これがなければ、普通は西方に130個集められないぞ。 (当時の常識的なものとして) さらに、西方においてもで段階的に会戦を連続し状況を作為し、連合軍の戦力の誘引、拘束という作戦術的なものがある。 ※あくまでも属人的だが←(ここは勘違いされたくないので特に強調しておく。軍としてのドクトリンとしては確立していない) >>450 > 結果として第一次世界大戦のプラン1919を1940年以降の技術で引き継ぐような戦場が見られるようになる筈だ 鈍足の歩兵戦車を歩兵師団にばらまいてノロノロ前進する戦術か? >>451 > 機甲戦力拡充は異論は無い、仏軍が単純に防勢重視でないというのは解る。 > D計画からしてもね。 > ただマンシュタインに裏を欠かれた時に、うまく阻止できなかったドクトリンは > どうかと思う。 D計画で、むしろマンシュタインの罠には深々とハマってるんだよな。 >>454 > 実際の所その最大の問題は"前大戦の勝者"であるが故の"完璧主義"だよ 戦争そのものの根本認識に「戦争は不確実なものだ」っていう認識が欠けてるから計画性を重視してて 結果、その逆の認識を持ってるドイツ軍に勝てないんだよね。 ドクトリン上の最大の問題点はここ。 >>470 > そもそも1冊読んで分かった気になると危ないのは別にこの話に限った事じゃないと思うんだけど そうそう、そのとおり。 > 今回そう思った根拠がもう少し詳しく聞きたいな この件に限らず常に、定番本に加えて1冊2冊読んだだけじゃね。 > 俺の書いてる事が怪しいからそう思ったのか? ツッコミはいろいろしたのでどうぞ。 >>477 >独軍が西方戦役にそこまでの師団を投入出来たこと自体が作戦次元の利用だと思わないのか? 結論から言うと思わないね そもそも人口的にドイツはフランスよりずっと多いし順当に揃えられる師団は多くなる フランスも植民地やイタリアやスペインがある割には対独方面にかなり極端に多くの師団を集結したけどそれでもこの数字になってるがそもそもの総戦力に差が大きすぎた そういうそもそもの人口差みたいな背景よりも"作戦次元の利用"が上位に位置するとは思えない >>475 ・英米軍と仏軍の比較が駄目って事は英米軍と独ソ軍の比較も君は否定するのか? ・歩兵師団の砲兵自動車化具合のみを持って先進的か前時代的かを結論付けるのはおかしい >>476 ・"戦車予備師団"は誤った名称で"戦車師団"が正しい これは他の師団と協力する事で十分に攻撃に使える 師団単独の戦力だけで攻撃に使えるか使えないかを判断するのは早計 ・ここで考慮してもらいたいのは黄作戦と赤作戦の比較と赤作戦でのドイツ軍の圧倒的な有利状態と赤作戦自体の推移とドイツ軍の損害の全体的な結果であって数字だけで話が解決する単純な話と思ってほしくないんだがな >>478 フランス軍が鈍足の歩兵戦車を歩兵師団にばらまいてノロノロ前進する戦術を使うかどうかはそれがプラン1919かは置いておいて それが成功しないと確信してるのもよくわからないな >>481 ツッコミは色々したようだが本当に雑なツッコミとしか言いようがない そもそもまず論点を絞れないタイプなんじゃないのか君は? そしてこの戦役に詳しくないなら別に話に加わってこなくていいよ 西方電撃戦は詳しくないのですが、多分お互い論点を明確にした方がいい奴では 個人的な素人考えでは、作戦のコンセプトがどうこう以前にフランス軍が初動から全体的にもっとカオスを恐れず反撃してもう少し乱戦に持ち込んでいれば 戦力差はあるにしろある程度マシな結果になったろうし、独軍の損害もかさんだのではないかと思うのですが 推測するに、 多分Lans氏の主張の根幹は 「1940年5月始め(以下当時)のフランス軍には一貫した作戦的コンセプトを定義する文化(あるいは能力)が無い +機動戦(本質的に流動とカオスの許容を含む)に対する理解が無い=戦力が互角であっても同時刻のドイツ軍には手玉に取られるだけ」 であって、 Kjtzs63v = Fvfrgmea 氏の主張の根幹は 「当時のフランス比べて軍はそもそもが同時刻の独逸とくらべて戦力不足 +当時のフランス軍はWW1のトラウマのせいでカオス(ひいてはその中で生じる我の損害)を極端に忌避していた=最初の一当たりに耐えられるだけの戦力があれば、その中でトラウマを克服して独自の軍事思想を育てていけただろう」 である と考えているのですが 私の主張全てを妄想と切り捨てるなら議論の余地はもう無いだろう 何を言ってもお互い納得しようがない >486 ちょと違うかな 1940年5月始め(以下当時)のフランス軍は ・作戦次元の意義を理解していない →一貫した作戦的コンセプトを定義できない(作戦術が出来ない) →この状態で緒戦を生き残ってもドクトリンの進化は期待できない これを覆す為には緒戦の敗退から作戦次元の意義と作戦術を見いだせれば… あるいは進化の可能性はあるのかもしれない。 しかし戦後の仏軍をみてさえ、そのような方向性が見られていない。 ※ただし、運動戦は出来たかもしれない。しかしそれは機動打撃や単なる機甲部隊を用いた突破戦の範疇に収まり 作戦次元における機略的運動戦に到達するのは難しく見えます。 ここに至るには、作戦次元の理解と作戦術(最悪属人的でもOK)が必要。 属人的な作戦術の為には軍人の教育や軍隊文化が大きく影響します (独軍が作戦術を軍全体の制度化できなくても、一部の高級将校が属人的にそれを会得し主導できたのも、そこに鍵があると思います) (そのおかげで結果的に西方戦役などのいわゆる電撃戦が行えた。詳しくはムートのコマンドカルチャー読むと吉) こういうの仏軍の文化にはないし・・・ 結局、戦後の仏軍の行動は作戦単体毎に動くので、まあNAM戦の米軍同様に植民地治安戦争に敗北してるし… やっぱ無理じゃね? 各所なぜその結論に辿り着いたのか分かりにくいんだが 作戦次元の意義を理解していないとか仏軍の文化にはないとか そもそもLansが1940年のフランス軍にそこまで詳しいとは残念ながら今までの文章からは読み取れない 戦後の米英の影響を色濃く受けた後のフランス軍には多少自信があるようだが 1940年時点のフランス軍については信頼できない 突っ込みごめん 戦後の仏軍はさほど米英軍の用兵思想面での影響はないよ。 そもそも英軍には属人的なもの以外にドクトリンないし。 米軍ドクトリンは1950年代は仏軍に近い。 仏軍が史実より粘った場合のドクトリンと書いてるものの進化系が、結局のところ 戦後の仏軍のドクトリンに他ならない、と私は思う。 前にも書いたが仏軍自体はもう少し評価されるべきとは思うけど。 という以前に、一般的に電撃戦と呼ばれる何かを理解できてないだろ。 ※454 貴兄が書いてるように、その完璧主義が作戦テンポの遅れを招いているのですよ。 じゃ作戦テンポとは何か。営業マンが仕事になりそうな案件を取ってくる、しかし 社長が完璧を求めてなかなか決済しない。その間に、現場で決済する同業他社に案件を 取られてしまうこんな感じ。 この判断、決済のテンポが速い方が他社に出し抜かれる可能性は低くなる。 これってООDAループの話なんだけどね。 まあ454氏が消耗戦派なのは何となく解かった。自覚してないと思うけど。 ※489 ナム戦の仏軍敗退はしょうがないと思うぞ。 対ゲリコマには強い英軍の例があるにせよ、当時はまだまだゲリコマ対処は 軍事学的に未熟な時代だし。 なんかイマイチ一々説明が足りないレスの書き方だな 言葉が多い割に突拍子もないというか前行と繋がってないと言うか 電撃戦と呼ばれる何かを理解できてない…とか 消耗戦派なのはわかった理解できてないと思うけど…とか 結構言い切る割にはそのレスはその前後とは繋がってないのが言ったもん勝ちみたいな要素を感じる とりあえずそのバラバラにレスを投稿するのやめたら? コイツ火砲スレでもブツブツとぶつ切りにレスするんだよなぁ 1レスにまとまる内容を何レスもちまちまブチブチにレスされると鬱陶しいし煽りにしか見えん >491 >そもそも英軍には属人的なもの以外にドクトリンないし。 そうですね。 英軍が統一されたドクトリンの必要性を認識したのが80年代ですから。 ちなみに英軍が取っていた属人的な将校育成方法については「兵学研究」西浦進(田中書店)に西浦が戦後に英軍高級将校から聞いた話が記述されていました。 何名か成績とは別に「おもしろ枠」があり、常に一定数の型にとらわれない将校を採用し育成するそうです。 だから英軍は、なぜか必要な時に「なぜこんな考えが出来る将校がいたのだ?」というのがいたりするのです。 平時では異端でも、戦時に有能な将校として機能する事を期待して、将校陣に多様性を持たせる訳ですね。 (変人と見なされるような人物さえも積極的に含むことを多様性とかっこいい言葉でくくっていいのかは、まあ置いておく) 独:軍事の天才はなかなかいない。ならば秀才を多数作って集団知でいく。 英;軍事の天才はなかなかいない。なら多様性で有事の天才がいる事を期待して囲っておく。 うん、真面目な独らしさと、斜め上の英国らしさがモロに出ています。 (だが、この多少性が戦時に非常うまく働くのですよね…だから英国は戦争に強いと言われてきたのだと・・・) (しかし、平時においては英国面を生み出す源泉にもなっている訳ですが・・・) なお、統一ドクトリンの整備がなかなか出来なかった理由としては 英国は世界各地に植民地があり、それぞれの地域でそれぞれの特性があり、統一ドクトリンでは対応できないと考えていた節があります。 そりゃあ、本国とインドで同じドクトリン使って両方上手くいかせるのは難しいですよ。 60年代から70年代にかけて植民地が独立していった過程があって、初めて80年代で統一ドクトリンが作れる状況になったという一面もあるかと思います。 この英軍の統一ドクトリンへの困難は障害は、同じように世界各地に植民地を持っていた仏も同様な枷があったと思っています。 なので仏軍内でのドクトリン改革は、そう簡単には進められないのではないか?とも思うのです。 そこにWW1以降、WW2直前までの防勢政策(※軍のドクトリンではなく政策や軍政の方)が長く続いたこともあり 1940の緒戦を、もし仏軍が抑える事に成功したら、まずは防勢中心に一旦は寄るのではないでしょうか? もし仏軍が本来持つ攻勢性が急速に進化するとしたら、D計画が成功した場合くらいしか状況的に思いつかないのですが? でも、D計画も決戦による敵破砕というより、防衛線構築による阻止が主眼であり、どう考えても陣地戦に持ち込むの為の運動にすぎず、じゃあ止めた後どうする?がない訳です。 戦役計画としてエンドステートが不明瞭って・・・作戦術の理解には程遠いかと… ここで次を考えるようになっていれば、進歩の兆しが見えると言えるかもですが… >>498 > 何名か成績とは別に「おもしろ枠」があり、常に一定数の型にとらわれない将校を採用し育成するそうです。 オード・ウィンゲートが典型的だな >>491 > 米軍ドクトリンは1950年代は仏軍に近い。 > 仏軍が史実より粘った場合のドクトリンと書いてるものの進化系が、結局のところ > 戦後の仏軍のドクトリンに他ならない、と私は思う。 戦後の運動戦を追求していく(その中でARL44やAMX50が時代遅れになっていく)フランス軍だよね。 大戦中の米英軍装備の破棄を決めたフランス軍。 さらに言えば、ドゴール派の戦車有用論も、独軍への反撃戦力としての機動力と衝撃力としてのもの。 つまり機動打撃という防御決戦に向けたものである。 この侵入した独軍に対する防御で終わっているかぎり、作戦術の理解はなかなか難しいものがあると思います。 (これは現在までの日本にも言える事で…防御側でいる限り、状況作為になかなか目が向かないのです) (防御に必要なのは、状況作為よりも、受動的な状況誘導と状況利用) (攻勢のような能動的な状況作為の必要性が、一番作戦術の必要性に気づきやすいと思います) (なお、旧軍の本土決戦構想は、一見すると防御や持久に見えるのですが、あれの本質は攻勢なので要注意w) (戦後の自衛隊の構想とは、実はその点で大きな差異があると思っています) (なので、もしかしたら旧軍は作戦術を理解する下地はあったかも(そして無意識の属人的な作戦術が機能する余地も残されている) (しかし、戦後自衛隊が、なかなか作戦術の必要性に今まで気づけなかったのは、上記のような状況もあったのかも?と最近ちと思っています) >>492 > 貴兄が書いてるように、その完璧主義が作戦テンポの遅れを招いているのですよ。 まず、それが理解できているのか? 理解できていないという自覚はあるのか?って話だな。 だから、 >>491 > という以前に、一般的に電撃戦と呼ばれる何かを理解できてないだろ。 という指摘になる。 「完璧主義」で結果的に作戦テンポの遅い軍隊だからこそ 馬匹牽引の砲兵部隊でも問題が出ない。 徒歩歩兵の前進速度に合わせた鈍足の歩兵戦車でも問題が出ない。 逆に、作戦テンポだけ上げても(ドクトリンだけ進化させても) 編制や装備の面で実行できないだよな。 >501 アラビアのロレンスことトーマス・エドワード・ロレンスも忘れないでくれたまえ。 さらに、ある意味、チャーチルもその枠だった可能性があると思っておるのだがね。 >>502 補足レス > 大戦中の米英軍装備の破棄を決めたフランス軍。 大戦中に自由フランス軍に供与された米英軍装備の破棄を決めた戦後のフランス軍 1940年のフランス軍が乗り越えなければならないハードルのうち まずドクトリンや用兵思想に関しての過去レスをまとめると、 ・作戦次元の意義を理解していない →一貫した作戦的コンセプトを定義できない(作戦術が出来ない) →この状態で緒戦を生き残ってもドクトリンの進化は期待できない つまり、作戦術の活用によってドイツ軍より優位に立つことが期待できない 機動戦(本質的に流動とカオスの許容を含む)に対する理解が無い =戦力が互角であっても同時刻のドイツ軍には手玉に取られるだけ」 つまり、機動戦でドイツ軍に対抗できない。消耗戦で戦うしかない。 ちなみに戦後(70年代)に仏軍将校が欧州向けの面白い戦法案をだしてます。 「国防の論理-西ドイツの安全保障と憲法との関係」小林宏辰(日本新聞工業社) に詳細が記載されていますが、小規模部隊の重層的な多層防御で敵機甲部隊を漸減させていくものです。 そこではATGMを主とした小規模な歩兵部隊が多数の各拠点で通過していく敵を漸減させると共に 機甲部隊とヘリ部隊も小規模軽快な部隊で運動戦をしかけ敵の消耗を図ります。 最終的に消耗し損害累積した敵は停止し退却せざる得ない。 敵をあえて拠点で阻止せず、通過させながら漸減させ最終的に攻撃衝力を消尽させる。 このあたりまでくれば、防勢でも作戦術的な意識(多層、多種機能の連動防御なのでそれぞれの連携の重要性が増加)が生まれる可能性はでてきますかね。 (これ、仏軍が失敗した植民地治安戦争の戦訓が入ってるように思えます…) (まあ、仏軍はやられた方なのですが・・・) >>503 > (これは現在までの日本にも言える事で…防御側でいる限り、状況作為になかなか目が向かないのです) > (防御に必要なのは、状況作為よりも、受動的な状況誘導と状況利用) > (攻勢のような能動的な状況作為の必要性が、一番作戦術の必要性に気づきやすいと思います) 本題から外れるが、陸自の戦術関係の参考書を見ると、 防御においても、攻勢に対して、まず初手、次の手、と効果的な対抗策をどんどんと打っていくことで 主動性を奪還していくことを述べているものもあるぞ(おおむね作戦次元ではなく戦術次元だがな。 7Dが大規模な機動打撃をやったら作戦次元といえるだろうけど)。 >>404 はそれを言ってる。 >>508 > そこではATGMを主とした小規模な歩兵部隊が多数の各拠点で通過していく敵を漸減させると共に これだけだと、だたの消耗戦(アトリション)だな。 > 機甲部隊とヘリ部隊も小規模軽快な部隊で運動戦をしかけ敵の消耗を図ります。 極小規模の機動打撃だな。ここでは能動的な状況作為が生じる可能性はあるが、 所詮は戦術次元であって、作戦術に発展する望みは薄いと言わざるを得ない。 > 最終的に消耗し損害累積した敵は停止し退却せざる得ない。 全体的には消耗戦(アトリアション)だな。能動的な状況作為への発展は望み薄だろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる