史実として、三菱重工は、昭和13年段階、フォッケウルフ社とのコンタクトがあった。

陸軍の依頼で三菱は、九二式重爆撃機の後継機としてユンカースJu90四発旅客機の購入検討のため、
ユンカース社に三菱重工の本社営業課長を派遣して交渉したが、交渉は1938(昭和13年)年9月に断念。
ドイツ滞在中の三菱スタッフはFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現する。

Fw190の初飛行はS14年6/1であり、J2Mの試作内示はこの年の9月である。
フォッケにコンタクトした重工のスタッフが、Fw190の開発に関して、多少なりとも情報交換ができていたなら、
海軍初めての(高速)局地戦闘機の開発のために、Fw190の輸入ライセンス生産を検討すること、
全くあり得ない話でもない。
実際、昭和16年には、ハインケルHe100Dを(日立に作らせる予定で)輸入してるわけだし。

高速機量産のノウハウない日立にライセンス生産させるなら、
有数の工業生産力がある(量産コピーしづらい)ドイツ機よりは、
SAI 207/403の全金属機改造を研究させた方が当時の日本向きじゃね、
と自分は思うけれどネ。
勿論、空冷V12から、空冷星型14気筒の栄とか瑞星に載せ替える前提でね。