>>943
その言い方で言うなら「どちらも」。

明日もしかしたら米ソが全面核戦争に突入するのでは、という時代に「全面核戦争が起きても大国なら莫大な損害を出しつつも政府(=国家体制)は存続できるだろう」なんて考えてた人はそんなにはいないし、
ポスト核戦争ネタで政治的な話をやるなら「政府は崩壊して統治機構も消滅しました」ではお話が作れない
(そういう状況であえて、ってな設定にする事はあるとは言え)

今だと「流石にそこまでの状況にはならないのでは・・・」となってる「核の冬」が結構本気で信じられていたように、冷戦時代は「全面核戦争=先進国の消滅=近代文明の崩壊」だったし、そもそも「そうなったらどうする」から
お話が作られているのだから、「でなければ困る」というか「それは大前提」であったわけだ。


変な言い方だけど、現実ではフィクションみたいに人の頭を殴ったり腹をドツいたりしてもそう簡単には気絶しないし、「気絶したけどしばらくすれば何事もなかったかのように目を覚ますし、後遺症も出ない」ということもまずない。
一昔前のアクションによくある「撃たれた! 大丈夫かすり傷だ」ってのも同様。
でもそれだと「殴って気絶させる」「撃たれたけどそのまま行動続行」ってのが前提のシーンや物語構成にできない。

この場合「現実的医学的に考えるとどうか」ってことはどうでもよく、「お話の都合上それが必要かどうか」だけが重要なのだ。
上で出てる「ミッドウェー海戦で戦艦同士の艦隊決戦が発生する可能性はあったのでしょうか?」ってのもそうだけど、創作において重要なのは「それ」が必要かどうか」であって、
「現実に倣ったものなのでしょうか?」ていうのは、副次的なものなのだ。