南雲忠一中将を再評価するスレ(散)
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南雲長官はもっと評価されるべき(38代目)
前スレ
[37代]南雲忠一中将を再評価するスレ(阿)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562598586/
(>>9〜霧中変針の章、>>517〜友永隊艦攻全力案の章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>478の続き
米空母部隊の任務は、日本艦隊の撃破であって、
ミッドウェー基地の米海兵隊のような「死守命令」ではない。
普通に考えれば、空母部隊が全滅したら、
攻略作戦は中止になって、上陸船団は反転するはず。 >>479の続き
しかし、5日の日没(日本時間)時点で、
スプルーアンス少将が、それを判断する材料は
乏しかったと思われます。
前日(4日)には、ミッドウェー島に向かう日本船団を発見し、
B-17やPBYがその攻撃に向かっていますが、
それで船団の進攻を阻止できたわけではありません。 >>480の続き
日本船団の方は、三空母被弾の後、0920時に
GFからの命令で、北西方向に避退しています。
「二、AF攻略部隊ハ、一部ヲシテ輸送船団ヲ、一時北西方ニ避退セシムベシ」
(GF機密第294番電、GF電令作第155号) >>481の続き
ただし反転したのは、船団のみで、
戦闘部隊は、ミッドウェー島に向かって進撃を続けている。
1010時には、同じくGFから
「二、攻略部隊ハ、一部ノ兵力ヲ以テ、今夜AF陸上基地ヲ砲撃破壊スベシ」
これを受けて、栗田少将の第七戦隊(最上型重巡)が
島砲撃のために35ノットに増速。 >>482の続き
この後、砲撃中止命令が出て、
帰途に衝突事故を起こしたのは、過去スレの通り。
当然ながら、これらの経過もスプルーアンス少将は
知らなかったわけですね。 >>484 再評価はダメですか・・・
それでは好評価とチャンネル登録で→
Youtuberでも始めてみるか
>>485 ありがとうございます。
こんな動画があるんですねぇ・・・絵がオサレだ。
コメント欄が面白い。やっぱりみんな南雲長官が大好きなんだな! >>483の続き
さて、前スレまでのおさらいはここまで。
前述(>>477)の通り、スプルーアンス少将は日没を迎えて、
東方に避退を開始しました。
しかし、そのまま真珠湾に帰投するわけではありません。
再び戦場に臨まなければならない。
では翌朝までに、どこに向かえば良いのでしょうか。 [ミッドウェー海戦](6月5日16時頃)日本時間
1400時
×(B)日本空母1隻撃破(飛龍)
北西方向に約180浬
0730時 ×ヨークタウン(停止)
×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍)
西方に約190浬 △→
米空母部隊(スプルーアンス少将)
(エンタープライズ・ホーネット)
2320時
×(C)日本重巡衝突(最上・三隈)
南西方向に220浬
■ミッドウェー島
※方位と距離は、米空母部隊の視点から。
<情勢判断>
@日本空母4隻をおおむね撃破した
A5隻目の日本空母は所在不明
B日本軍はミッドウェー島攻略を未だ断念していないと思われる。 >>488の続き
だいたいの概況図です。
ただし最上と三隈の衝突は、この日の真夜中に起こったので、
日没(16時頃)時点では、まだ発生していません。
参考情報です。 >>489の続き
前スレでも話しましたが、
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1562598586/860
海上戦闘、特に200浬を隔てて行われる空母戦闘は、
劣勢側の離脱が容易なため、たいていは一日で終わってしまいます。
日をまたいでまで戦われるのは、双方が強い意思を維持している
場合に限ります。
ミッドウェーの場合、南雲長官側に強い戦闘継続意思があったかは
疑問ですが・・・
ともかく、スプルーアンス少将の方に離脱するつもりはありませんでした。 >>490の続き
そして、空母は夜間に作戦行動がとれないため、
日没と共に、いったん戦闘は中断されてしまいます。
つまり翌日は、再び索敵からやり直さなければならない。
となると、翌朝は
「どの地点から、どの方向に、何機の索敵機を出すか」が
重要になってきますよね。 >>491の続き
二日連続の空母戦となったミッドウェーと似た状況の戦いが
ちょうど一ヶ月前にありました。
そう、珊瑚海海戦です。 >>492の続き
珊瑚海海戦は、日本軍のMO作戦(ポートモレスビー攻略)の中で
生起した史上初の空母決戦ですが、
日本側は、翔鶴、瑞鶴の五航戦(原忠一少将)と、
攻略部隊掩護の祥鳳の空母3隻、
アメリカ側は、フレッチャー少将率いるヨークタウンとレキシントンの
空母2隻。 >>493の続き
ミッドウェーのちょうど一ヶ月前、
昭和17年5月7日〜8日の二日間にわたって戦われた。
一日目の5月7日、五航戦は索敵機が米空母を発見し、
攻撃隊を出しますが、後にタンカーの誤報と判明し、
空振りに終わる。
その間、米空母もまた索敵機の誤報により、
空母でない日本艦隊に向けて、攻撃隊を発進させますが、
こちらは近くに祥鳳がいたため、これを撃沈。 >>494の続き
あせった五航戦は、夕方から遠距離薄暮攻撃を敢行するも、
戦果はなく、夜間収容となり、損害を増しただけだった。
物語は、5月7日夜、薄暮攻撃隊を収容した後の
旗艦翔鶴艦橋から始まります。 >>495の続き
実はこの薄暮攻撃隊、
帰途、偶然にも米空母に遭遇します。
誤って、着艦しそうになるくらいに混乱していた。
収容時点で彼我の距離は、100浬を切っていたと
言われます。
ちょうどミッドウェーの飛龍と米三空母が最接近したくらいの
距離感で、飛行機ならわずか40分ちょいの超至近距離 [珊瑚海海戦一日目](5月7日20時頃)
(フレッチャー少将) (原忠一少将)
米空母部隊 MO機動部隊
─────△→ ←▲
ヨークタウン 翔鶴・瑞鶴
レキシントン (薄暮攻撃隊収容)
※MO機動部隊指揮官は高木武雄中将だが、
航空戦の指揮は五航戦司令官の原忠一少将に一任 >>497の続き
このまま接近すれば、夜戦(意味深ではない)が
始まってしまうので、
不意遭遇戦を恐れた両者は、反転して距離をとります。 >>498
この時の5航戦に有力な水上艦艇がいたら夜戦もありだよね。 >499 ありがとうございます。
素で間違えてました。>不期遭遇戦
全く予想してなかったことが起こるから「期せずして」なんですね。
>>500 夜戦で重要なのは、敵情の正確な把握ですから。
兵力の多寡ではなく、レーダーを持っているアメリカ側が有利でしょう。 >>498の続き
「不期」遭遇戦を避けるためだけならば、
敵と反対方向にひたすら逃げれば良いのですが、
作戦は継続中なので、翌朝には敵を索敵範囲内に捉えられる
ところまで、戻って来ないといけない。
これが難しいところですよね。
当然ながら、夜間に敵がどの方向に移動したかは分かりません。 [珊瑚海海戦一日目](5月7日2400時頃)
↑
▲MO機動部隊
┃(原少将)
┃
┃
━━━┛
─────┐
│
│
│
米空母部隊▽
(フレッチャー少将)↓ >>503の続き
実際は、こんな感じでした。
>>497の超近接状態から、日本空母は北上、米空母は南下したため、
双方の距離は開きます。
珊瑚海は北側にはソロモン諸島があり、日本軍の勢力圏だから、
米空母がわざわざそちらに向かうとは考えにくい。
態勢を立て直すつもりなら、おそらく南下するだろうとは
予想がつきます。
とはいえ・・・翌朝の位置を正確に予想することなど
不可能ですよね。 >>504の続き
それでなくても、前夜の薄暮攻撃で艦攻12機を失い、
攻撃兵力の不足が明らかな状況ですから、出来るだけ
索敵には艦攻を使いたくない。
最初、原少将は索敵に充てるのは艦攻2機だけで、
残りは五戦隊(妙高型重巡)、六戦隊(古鷹型重巡)の水偵から
拠出するつもりだったようです。 >>505の続き
ところが、五戦隊は荒天のため着水時に機体を破損しており、
六戦隊との合同は予定より遅れていたため、結局自前の
艦攻のみで索敵せざるを得なくなったのです。
こうして翌朝(5月8日)は、索敵に艦攻7機を出すことに
決まった。 >>506の続き
この経過は、当時の母艦運用の考え方を知るのに、
大変参考になります。
「艦攻7機による一段索敵」もミッドウェーの時と全く同じ。
しかし索敵軽視との批判は、本職は寡聞にして知らないですね。
・・・空母戦術(棒) [珊瑚海海戦二日目](5月8日0600時)索敵機発進予定地点
↑
▲MO機動部隊
┃(原少将)
┃
┃
━━━┛
─────┐ ×
│ (南緯13度・東経155度)
│
│
米空母部隊▽
(フレッチャー少将)↓ >>508の続き
上図のとおり、当初の索敵機発進予定点は、
南緯13度・東経155度で、
ちょうど前夜、日米両機動部隊が最接近した海域(>>497)にあたります。
これに従うならば、MO機動部隊は夜間北上した後に
南西方向に変針し、日の出前に×地点に戻って来るという
行動予定になります。 >>509の続き
さて、過去スレでも同じ問いを発しましたが、
この通りに翌朝索敵を行って良いのでしょうか。
その際、どの方位に、どれだけの進出距離で、飛ばしますか?
原少将になりきって考えてみてください。 >>508
一旦距離を開いたのはわかるとして
なんでその場所に敵艦隊が戻ってくると思ったんだろう? なんでその場所に敵艦隊が戻ってくると思ったんだろう?
と>>511はなんで思ったんだろう? >>508 すみません、途中色々はしょってますが、
当初の索敵機発進予定点(>>508の×印)は、薄暮攻撃隊を収容する前に
決められたことなので、米空母が至近距離に居たなどの敵情を、まだ
知らない段階での話ですね。
それゆえに、米空母が×印付近に戻って来ると思っていたわけでは
ありません。
>>512 まぁ、今は過去スレの抜粋で進めているので、
誤解を生んでしまうのはやむをえないか・・・ >>510の続き
おそらく戦史や戦記本でとりあげられることは、
ほとんどないと思いますが、
このときの原少将の決断は、実に素晴らしいもので、
過去スレ当時もそうでしたが、今も本職は絶讃するもので
あります。 >>514の続き
いったい何をやったのかというと、
「水偵の協力が得られないことを知った五航戦司令官は、索敵機数を少なく
するために、明朝の索敵開始点を120浬北に寄せることを、MO機動部隊
指揮官に意見具申した」 (『戦史叢書(49)南東方面海軍作戦』)
索敵開始点を当初の×印(>>508)から、北に移動させたのです。 >>515の続き
これは何を意味するのか。
>>508の通り、当初の索敵開始点(×印)は、最後に米空母が
確認された海域から、わずか20浬しか離れておらず、
翌朝ここから索敵機を発進させると、米空母が東西南北のどちらへ
移動したか分からないので、全周索敵を実施しなければなりません。
しかし既述の通り、水偵の協力が得られず、自前の艦攻の中から
索敵機を出さなければならない。
しかも薄暮攻撃により稼働機が減っている状況では、出来るだけ
索敵に割きたくない。
この状況で、全周索敵などやっている余裕はありませんよね。 >>516の続き
そこで、索敵開始点を北に移動させることにより、
索敵範囲を南半分に限定する=索敵機数を減らせる。
これが原少将の意図です。 [珊瑚海海戦要図] 日出は0420時、日没は1614時(日本時間)
□■ラバウル
□□□
□□□□□□□ □□ ソロモン諸島
□□ □□
□□□□ □□ □□
□□■ラエ □□ □□ □□
□□□□□ □□ ■ツラギ
□□□□□□□ ジョマード水道 □□□ガダルカナル島
□□□■□□□□ ↓ ルイジアード諸島
ポート □□□□■ □ □■ □ ■ロッセル島 □
モレスビー サマライ デボイネ
×索敵開始点
□
□□ 珊 瑚 海
□□
□□■クックタウン
豪□□
州□□ ニューカレドニア
□□□■タウンスビル □□
□□□□ □■ヌーメア
□□□□□□ >>518の続き
上図の通り、日米の空母部隊が接近した海域は、
ソロモン諸島のすぐ南で、西側にはニューギニア島があり、
米空母が夜間に北から北西方面に移動したとは考えにくい。
翌朝日本軍の基地航空攻撃圏内に入ってしまいますし。
次に東方は、まさに対敵側(>>497)になるので、
夜戦でも挑むつもりがない限り、可能性は低いでしょう。 >>519の続き
ここから、敵の移動方位は、南東から南、南西方面だと
見当をつけることができますね。
彼らが帰投するつもりなら、ヌーメア(南東)に向かうでしょうが、
楽観的すぎる情勢判断かと。
夜の間に一時避退して、態勢を立て直すことを考えているならば、
友軍の勢力圏(豪州方面)である、南から南西方面に向かったと
絞り込むことが出来ます。 >>520の続き
このように索敵開始点を北にずらすことにより、
索敵範囲を南方に限定することが可能になります。
問題は距離ですね。
いったい何浬移動すれば良いのでしょうか。 >>521の続き
あまり移動し過ぎると、米空母が索敵圏外に出てしまう
懸念があるし、
逆に足りないと、敵が南方以外の方角に移動した場合、
見逃してしまう危険が大きくなる。
>>503の通り、日米の空母が最接近したのは日付が変わる
真夜中の12時頃、それから日の出の4時半(>>518)までの間、
米空母が南下し続けたとして、どれだけ移動するか。 >>522の続き
例えばハワイ作戦のとき、南雲機動部隊の航海速力が14ノット。
これだと、63浬。
戦闘中にそんなのんびり移動するわけはないから、20ノットくらい
として、90浬。余裕を見て100浬程度。
となると、自らが約100浬北上すれば、夜明け頃の彼我の距離は
200浬くらいに開くと予測できるので、進出距離250浬で索敵機を
飛ばせば、捕捉できるという計算が成り立ちます。 >>523の続き
というのが本職の見立てですが、原少将の判断は
「120浬北上」でした。>>515
かなり思い切った行動ですね。
本職が航空参謀なら「100浬くらいにした方が・・・」
と具申するかもしれません。 >>524の続き
史実では、翔鶴の艦攻が米空母部隊を発見しましたが、
出発点からの距離は235浬でした。
航空索敵において±10浬程度は誤差範囲と言えますから、
進出距離250浬の索敵で、235浬というのはギリギリですね。 >>525の続き
一方、南下した米空母のフレッチャー少将は、18機のSBDを出して
全周索敵を行っています。
それと比較すると、7機の艦攻を140度(南東)〜250度(南西)に
限定して飛ばして、米空母捕捉に成功した原少将の機転は、
見事な采配と評価できるでしょう。 >>526の続き
公刊戦史の中にも紹介されていますが、
このときの心境について、原少将は「海軍をやめようと思った」
とまで回想しています。
前日5月7日は索敵ミスにより、攻撃隊が空振りに終わり、
祥鳳を沈められ、薄暮攻撃は失敗し、散々な一日だった。
基地航空隊の支援も不十分な状況で、自前の兵力のみで
米空母を捕捉するにはどうしたら良いのか。 >>527の続き
知恵をしぼった結果、決断したのが、
この索敵開始点の移動であり、
実際に翌8日の索敵では、
「なかなか発見報告がなく、もはや戦運に見放されたかと
考えていた。その時ぎりぎりのところで発見報告が入った。
直ちに攻撃隊を出したが、攻撃隊とともに突っ込む気持ちで
母艦は四戦速(30ノット)で急速南下した」
(『戦史叢書(49)南東方面海軍作戦(1)』)p307 >>528の続き
本職が最も感銘を受けたところですね。
さて、今はミッドウェー海戦、6月5日(日本時間)
一日目の戦闘が終わった夜です。
このとき、スプルーアンス少将は、翌朝の行動について
どのように考えていたのでしょうか。 >>529の続き
さて、名将の誉れ高いスプルーアンス提督ですが、
後知恵を排して、公平な評価を趣旨とする当スレでは、
特別扱いすることはありません。
すべての人に意地悪く(げそげそ
おっと、これは他人の持ちネタ(ry >>530の続き
マリアナ沖海戦では、日本側はターキーシュートや
大鳳翔鶴の喪失ばかりが注目されますが、
アメリカ側から見ると、至上最強の機動部隊を
上陸部隊に張りつけたままで、
初日は敵を発見できずに、一方的に攻撃されるがまま、
二日目の午後になってようやく攻撃隊を出したものの
敵に倍する兵力を持ちながら、わずかに飛鷹一隻沈めただけ。 >>531の続き
そして夜間収容となり、未帰還機を多数出すというオチまで付けて、
これではタワーズでなくても、
「空母部隊の使い方を知らないんじゃないの?」
と素人扱いされても仕方が無いでしょう。 >>532の続き
ミッドウェーでの米打撃部隊の編制は、
第17任務部隊(フレッチャー少将)
空母ヨークタウン、重巡2、駆逐艦6
第16任務部隊(スプルーアンス少将)
空母エンタープライズ、ホーネット、重巡6、駆逐艦9 >>533の続き
フレッチャー少将の方が先任司令官なので、
艦隊指揮全般を担当しますが、
もともと米海軍は、各部隊の独立性が強いので、
攻撃隊の編制や発進時期などは、各指揮官の裁量に
任される部分が多いですね。 >>534の続き
ヨークタウンが被弾して、フレッチャー少将が重巡アストリアに
旗艦移乗してからは、実質の航空戦指揮はスプルーアンス少将に
委ねられた。
すなわち、一日目の戦闘が終わった6月5日(日本時間)の日没以降は、
スプルーアンス少将独自の指揮ということになりますね。 >>531
マリアナのスプルーアンスの高い評価が気に食わない。
特に全戦闘機で防空して完勝したというところが。 >>531 そうですね。
本職はマリアナのスプルーアンスは高く評価すべき、とは思っています。
任務(友軍上陸支援)を完遂したからです。
軍人の評価とは、詰まるところ結果がすべて、ですからね。
しかし母艦航空戦術を正しく理解していたかは、また別の話ですよね。 >>536
小沢の機動部隊は自軍の行動半径外に位置し更に風向きは小沢艦隊には背を向
ける方向から吹いていた。
これでは防空戦闘に徹するしかあるまい? >>537
作戦を完遂したという目的結果論と
戦術指揮面の良し悪しは別にすべきかな? マリアナ沖海戦は実力差以上に惨敗していると聞くが
敵空母数隻を損傷させてれば負けは負けでもいい意味でVT神話とか
全戦闘機で防空したスプの指揮は下方修正されてたと思う。 現に台湾沖航空戦では戦果上げてるし。
(敵機動部隊壊滅なんてそれ以上に致命的な誤ミスやらかしてるが) >>540
敵空母数隻を損傷させてればというタラレバ持ち出さなくとも、
そもそも戦闘機を突破して敵機動部隊の高角砲圏内に入った日本攻撃隊自体が少ないというのが現実に起きていることなんだが
VT神話とやらが下方修正ってなんだろうねというか、”誰が下方修正”するという話なんだろうな?
何故か省略しているけど主語は大事な部分だと思うがな >>538
なるほど、風向きですか。
>>539
そんなところです。
過去スレでもやりましたが、小澤長官の作戦計画を高く評価しています。
だ、大丈夫かな・・・(チラッ
>>540
兵力差があっても、あれだけ一方的な戦いは、なかなかないですよね。
>>541
本来航空攻撃を完封するのは、難しいはずなんだが
>>542
世間一般の評価が、ってことですかねぇ >>535の続き
航空兵力で見ると、戦闘開始前は、
空母ヨークタウン
・F4F:25機
・SBD:37機
・TBD:12機
空母エンタープライズ
・F4F:27機
・SBD:38機
・TBD:14機
空母ホーネット
・F4F:27機
・SBD:35機
・TBD:15機 >>544の続き
しかし、第一次攻撃隊において、
日本空母3隻を葬った代償は大きく、その喪失数は、
(『モリソン戦史』第三巻)p296
空母ヨークタウン
・F4F:3機
・SBD:2機
・TBD:11機
空母エンタープライズ
・F4F:0機
・SBD:14機
・TBD:10機
空母ホーネット
・F4F:12機
・SBD:0機
・TBD:15機 >>545の続き
特に雷撃隊は壊滅に等しいですね。
残存数は、
空母ヨークタウン
・F4F:22機
・SBD:35機
・TBD:1機
空母エンタープライズ
・F4F:27機
・SBD:24機
・TBD:4機
空母ホーネット
・F4F:15機
・SBD:35機
・TBD:0機 >>546の続き
更に飛龍の反撃により、ヨークタウンは行動不能となり、
戦闘機隊は、全機防空に残されたため、第二次攻撃隊は、
空母エンタープライズ
・SBD:24機
(内ヨークタウン所属14機)
空母ホーネット
・SBD:16機
そして飛龍を炎上させ、被害は3機喪失にとどまった。 >>547の続き
この結果、6月5日の日没時点で使用可能兵力は、
空母エンタープライズ
・F4F:20機程度
・SBD:25機程度(ヨークタウン機含む)
・TBD:0機
空母ホーネット
・F4F:15機程度
・SBD:30機程度
・TBD:0機
これくらいではなかったかと。あくまで推測ですが・・・ >>548
SBDはヨークタウン含めているけど、F4Fの方はどうなの?
艦隊上空の防空戦闘していたヨークタウンのF4FがTF16に着艦していると思ったけど >>547
ヨークタウンごと沈んだ飛行機は多くないんだよなぁ。 >>549
すみません、今見返すとかなり適当な数字ですね。
真面目にやり直します・・・
>>550
そうですね。被雷時には戦闘機は全機防空に上がってただろうし、
レスリー隊は着艦前だったので、エンタープライズの方へ向かいましたからね。 >>548の続き
というわけで、昨晩の数字は適当すぎたので、
訂正させてください。
今回は真面目にアクションレポートで調べました。 >>552の続き
空母ヨークタウン
https://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ships/logs/CV/cv5-Midway.html
9 VF
2 VSB
8 VSB
10 VT
2 VT
F4F:9機喪失(5機被撃墜、2機着艦失敗、2機母艦と共に海没)
SBD:10機喪失(2機海上不時着、8機母艦と共に海没)
TBD:12機喪失(10機被撃墜、2機海上不時着) >>553の続き
空母エンタープライズ
http://www.cv6.org/ship/logs/action19420604.htm
1 VF
20 VSB
10 VT
F4F:1機喪失(燃料切れによる海上不時着)
SBD:20機喪失(被撃墜、着艦失敗)
TBD:10機喪失(被撃墜) >>555の続き
残存数は、
空母ヨークタウン→エンタープライズとホーネットに分散
・F4F:16機
・SBD:27機
・TBD:0機
空母エンタープライズ
・F4F:26機
・SBD:18機
・TBD:4機
空母ホーネット
・F4F:15機
・SBD:30機
・TBD:0機 >>556の続き
これは単純な残存機数なので、実際は損傷が大きく
使用不能な機体もあったでしょうから、稼働機はもっと少なくなります。
翌6日の谷風攻撃時の発進機数は
F4Fはすべて防空に残されたので、
エンタープライズ:SBD32機
ホーネット:SBD26機 >>557の続き
あらためて、5日日没時点での残存稼働機数(推測)は
空母エンタープライズ
・F4F:25機
・SBD:35機
・TBD:0機
空母ホーネット
・F4F:25機
・SBD:30機
・TBD:0機
今度はどうでしょう→ [ミッドウェー海戦](6月5日16時頃)日本時間
1400時
×(B)日本空母1隻撃破(飛龍)
北西方向に約180浬
0730時 ×ヨークタウン(停止)
×(A)日本空母3隻撃破(赤城・加賀・蒼龍)
西方に約190浬 △→
米空母部隊(スプルーアンス少将)
(エンタープライズ・ホーネット)
2320時
×(C)日本重巡衝突(最上・三隈)
南西方向に220浬
■ミッドウェー島
※方位と距離は、米空母部隊の視点から。
<情勢判断>
@日本空母4隻をおおむね撃破した
A5隻目の日本空母は所在不明
B日本軍はミッドウェー島攻略を未だ断念していないと思われる。 >>559の続き
それでは、材料が揃ったところで、
考察へと進めていきましょう。
テーマは、スプルーアンス少将の作戦指導について、
6月5日(日本時間)日没後、米空母部隊は
どのように行動すれば良かったのか。 >>560の続き
最初に、本職の考えを明らかにしておきますと、
「日没後に東進避退するが、夜中に反転西進し、
6日黎明時(0130時)には、5日第一次攻撃隊収容地点に達し、
北西から南西方向に索敵機を発進させる」
(註)
第一次攻撃隊収容地点とは、日本空母3隻を撃破した
マクラスキー隊らを収容した地点で、北緯30度30分、東経177度付近
>>559図の米空母部隊(△)より、約50浬西方にあたる。
索敵機はエンタープライズSBD10機、進出距離250浬、
索敵線は210度(南南西)から330度(北北西)にかけて、
索敵開度12度 >>561の続き
双方が接近したところで日没を迎える
というのは珊瑚海と似ていますが、
あの時の原少将に比べたら、
ミッドウェーのスプルーアンス少将は、
ずいぶんと恵まれた環境にあった。 >>562の続き
すでに日本空母4隻を撃破し、
ヨークタウンを欠いたものの、2隻は健在。
5隻目の日本空母の所在が気になるところではありますが、
翌6日の基本方針は「残敵掃討」になります。
米空母部隊指揮官としては、夜間一時的に避退はするものの、
翌朝は敵艦隊追撃のために積極的に西進しなければならない
状況にあったと言えるでしょう。 >>563の続き
珊瑚海では、敵艦隊の行動が不明なため、
全周索敵を視野に入れた情勢判断が必要でしたが、
ミッドウェーでは、日本空母が迂回して東方から出現する可能性は
考えなくて良いでしょう。 >>555
ホーネットは大損だなぁ。
戦闘機隊は全機水没、爆撃隊は空振り、雷撃隊は全機撃墜と。 低速で航続距離のないデバステーターが
各空母の雷撃隊が正確に飛んでる理由はあるのかな? >>557
敵戦闘機がいない水上艦艇ならともかく
飛龍攻撃に戦闘機をつけなかったのはどうして? >>565
そうなんですよ、>ホーネットは大損だなぁ
飛行長のリング中佐直率で、気合い入れて出撃したのに(笑)
>>566
雷撃隊がうまく会敵できたというよりは、米空母の場合、分散進撃で
各飛行隊長任せですからねぇ
ホーネット雷撃隊のウオルドロン少佐も、航法が正確だったからではなく、
”スー族(アメリカインディアン)の勘”で変針したら、日本空母が見つかった
ようです(笑)
>>567
それは母艦の防空を優先したからですね。
人命尊重の米海軍(笑) >>568
サラトガ隊による龍嬢撃沈でも戦闘機の護衛がなかったよね。 >>569
むしろ、護衛付きの方が珍しい気がする・・・ >>564の続き
6月5日の日没時点で、彼我の距離は150浬以上に離れていた。
第一次攻撃隊(マクラスキー隊、レスリー隊)を収容したときは
90浬の超近接でしたが、その後、米空母は東進を続けたので
ここまで開いてしまったわけです。 >>571の続き
例えば日本空母が、夜間20ノットで避退(西進)した場合、
黎明時(約7時間後)には、140浬まで開いてしまいます。
もともとが150浬だとすると、合わせて300浬弱となり、
進出距離250浬の索敵では届かない。 >>572の続き
つまり、夜中に東進し過ぎると、敵に逃げられてしまう。
早めに反転西進して、追いかけないといけない。
かといって、あまり急ぐと、日本軍の水雷戦隊が
夜戦を挑もうと待ち構えているかもしれない。
珊瑚海の原少将と同じく、こればかりは当事者には
分からないことなので、仮定に基づいて蓋然性に依った
推測を立てるしかありません。 >>568
サマール沖で栗田に追い掛け回されたタフィ3の救援要請に対しレイテ方面に逃
げることを禁じ逆方向に退避することを命じた。
スプレイグ少将も牽制目的で残燃料が僅かなTBFを射出させた。当然、そのTBF
は未帰還となった。 >>574
勇敢な米パイロットに敬礼
戦争に人道主義を持ち込むのは不毛・・・
って、『エリア88』で言ってたっけかな >>573の続き
とはいえ、日本空母が撃破炎上しているのは、複数の飛行隊長の
目により確認されているので、信頼して良い情報と思われる。
そんな敵空母が20ノットを出せるとは思えません。
せいぜい半分の10ノットでしょう。
夜間(7〜8時間)航行しても、せいぜい80浬。
翌黎明時の彼我の距離は150+80=220浬 >>576の続き
さらに索敵発進位置は、日没時より西方に50浬進出しているので、
彼我の距離は、220−50=170浬。
進出距離250浬の索敵なら、十分に捕捉できますね。
これが>>561の主張の根拠になります。 >>577の続き
この位置まで米空母を持っていくためには、
日没から2時間の間は東進を続ける。
日本艦隊の夜襲から逃れるために20ノット以上で避退。
(約40浬東へ)
それから反転して戻るのですが、燃料節約のため
14ノットの経済速力で、6時間かけてゆっくりと西方に進出。
(約84浬西へ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています