【M4シャーマン】汎用戦車 9【T-34】
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大戦中大量生産された戦車
どちらの方が優れているのだろうか? S・ザロガ、G・ワインバーグ、P・ケネディ
日本なら石津、白石あたりの著作からこんな記載があるとか
ネットでもコアなサイト見つけてくれば興味深いが
物知りを気取る拠り所がwikiはねーだろ、とは俺も思うわ 結局「戦車オタでも無い素人の質問にさえ答えられないレベル」まで落ちたコミュニティ()がここなのか… ケンカしてる両方がWikipedia引用じゃどうしようもないわ Wikipediaの記述でもちゃんと著作か何かの引用なら問題ないやろ
Wikipediaも日本語のに多い引用全くなしとかが駄目なだけ 正直なところ、実体験として見た、乗った、それこそ乗って戦ったというような話でもなければ、結局は誰もが他所からのデータの引用とか研究者の言説の受け売りにしかならないと思う。
我々は互いにこんな説があるよとかデータがあるよってな感じで交流を深めれれば良いのではないでしょうか。 >>345
今回の4式中戦車の自重24t全備重量30t自体がwikiからの数字なんだが グランドパワー2005年5月号(三式/四式/五式特集号)でのスペック表だと「自重24t」になってる
更にその出典は「四研史-第四陸軍技術研究所の歩み」と「歴史群像 太平洋戦史シリーズ34」だそうで
サイト「戦車研究室」の四式のスペック表では「全備重量30t」、出典はページ下に並んでる資料のどれか しかし24tとか、見てくれは立派なのに紙装甲にもほどがあるな 砲塔前面と車体前面が軽く傾斜した75mm
砲塔側面50mm-35mm、車体側面25mm そもそも狭軌で中戦車を輸送できたのだろうか
ドイツの機関車BR52は戦時急造ながらD51より軽く
パワーはC62をこえていたらしいが そもそも輸送できないなら試作の段階に移行しない
四式が25t級になった昭和18年6月頃の段階じゃ本土決戦自体考慮されてない
ただし、本土決戦が現実味を帯びてくると四式/五式の量産は中止に追い込まれてる。 四式に関しては生産計画の改訂で終戦間近の1945年3月末に生産計画が復活してる。 日本戦車にまつわる話は四研史や原乙未生の著書のように経験者の回想に基づく物が混じってたりするんで
事実なのか誇張なのかあるいは誤認なのか判断が難しいかも 五式は試作車にも主砲が搭載されないままで、なおかつ砲の生産発注が無かったので、完全に中断といえる >>352
中戦車はほぼ自走だろ
四国以外の各地方に中戦車工場があった
現在の国道16号とかは本土決戦に備えて戦車移動のために作られたとか
ソースは無いが まあ狭軌でも一応菱形戦車や四式を試験場近くまで運んでるからね >>351
しょっぱw
既に相手国のT34やM4を知らないわけでも無いだろに
よくそんなペラい戦車作るな
車体側面なんかPTRDでも楽に抜けちゃうな
その時点の状況下で実現可能な精一杯の設計だったんだろな 四式中戦車の装甲厚はドイツ経由で伝わったkv戦車の猛威と情報文書によるもの V号・W号の側面30o部分がスコスコぶち抜かれるって情報は
伝わらなかったのかしらね? >>361
全周35mmと正面だけは75mm、どっちに乗りたい? やっぱ正面一点豪華主義+75o砲って
戦局悪い中でギリな設計だったんやろな 日本は1942年の初頭辺りでT-34/76やKV-1・KV-2、M3中戦車の情報は摑んでいたが
ドイツ優勢という情報を真に受けていたので開発内容とかは暢気だった。
T-34/85とかスターリン戦車の情報が入るのは44年の段階で設計変更どころか四式の量産計画は凍結されてる チヘがフル生産でチヌがやっと制式になるかならないか頃だろうしな もしかりに、スターリンがモスクワ線で見切りをつけ
T-34を製造中止にして、つまりヘッツァーを大量生産していたら? 言ってる意味がよくわからんが、チェコ製のヘッツァー的な、軽戦車ベースの戦車駆逐車を作ったら、って話か?
モスクワ戦までに間に合った急造対戦車兵器は、軽装甲牽引車にZiS-2を載せたZiS-30しかない モスクワ防衛のためにT-60軽戦車を一万両の大量生産を指令
リンちゃんは「中戦車など高給複雑な戦車は時代遅れ」と言っていたので
76ミリ砲を固定化して45ミリの傾斜装甲を使用したT60の突撃砲型ですね! >>366
シャーマンがソ連の主力戦車になります
そんなに沈められなければ コムソくんはドイチュに鹵獲されて37oPakを乗せられた子もいるよね >>369
工場移転の真っ最中、コムソモーレツも生産終了してT-60に切り替え始めた時期なのでモスクワ防衛には間に合わないよ この4トンの57ミリ自走砲が日本に3万両ぐらいあればかなり助かったんだけどねぇ
現状でもジエイタイの戦車型突撃砲より役に立ちそう 当時のソ連でも口径の割に長い砲身の製造が難しく、コストがZiS-3野砲の何倍もする対戦車砲なんで、無理な話ですわ
同じ57mmでも6ポンド対戦車砲の方がまだ作れそう? しかも砲身寿命がクッソ短くて…
まあこの自走砲を三万門生産できる工業力ならナチなんざハナクソみたいなものだけどな ソ連の陸戦用火砲、単体・車載も混ぜこぜで聞いた事のある中口径以上だと
76.2o、85o、100o、107o、122o、152o、203o〜
レンドリースで75o、ほかにもあるかも
107oはKV2に試験的に搭載された例が有る話を読んだだけで
どんな砲なのか素性や詳細はわからない
105oは聞いた事が無い 量産ベースにのりそうで強力安上がりなのはソ連だと85ミリ
日本だと88ミリかな あとJSU-130って、長砲身130o砲を搭載した試作車量がクビンカにあったな 総統も「88がバランスよい、128は高い、寿命が短い」とけなしていたな
88もキング猫の長砲身は命数短かったからL56の事だろうけど 主力戦車に70口径の75o砲を積もう!って時点で
今更何言ってんだそれ?って感じだけどな >>380
日本だと88mmとかのいわゆる90mmクラスは対戦車砲として弱くて不適当という事で、105mm砲を開発してたぞ 実際に日本で作られた九九式八糎高射砲は、ドイツ海軍向けの艦砲/沿岸砲のコピーで、地上部隊用の8.8cm FlaK36/37に比べ重くて戦車用には使えない
そして8.8cmの前身であるボフォース75mmすらまともに量産できなかったんだからもうどうにもならない >>385
そういうレベルの話じゃ無くて、そもそも砲弾がウンコだから砲が完璧だったとしても90mm級だと弾が砕けるから使えないの
なので大きくて頑丈な砲弾の使える105mmに走ったというわけで ドイツの大砲は軽量だから戦後英仏米ソにコピーされまくったの?
でかい旧式砲は何処にもあるものね
ソビエト122野砲の戦後型もシュコダ105ミリベースで
フランスもラインメタルの影響受けてるしまぁこれは仏工場あったせいらしいが
単に設計盗用して開発費用をけちりたかったとか? >>386
普通に被帽徹甲弾作ればいいのに
日本のはほとんど徹甲榴弾だから純粋な徹甲弾より貫通力が劣り、装甲が厚いと貫通前に炸裂してしまう >>388
ごく一部の高初速砲の底上げにしかならないAPCBC系より、安上がりで軍全体の底上げになるHEATのほうが魅力的だったから、被帽の研究は後回しにされた。 >>388
>日本のはほとんど徹甲榴弾だから
日中戦争だけならザコ敵殲滅にもってこいだけどねぇ・・・ >>374
沖縄にまとまった数あったら米軍艦砲の射程から進めなかったかもな
でもその所要数から二桁小さい数も生産できないのが日本クヲリティ… 野砲やカノン砲としても使えるSU-76のほうが良いな。貧乏なんだから一台何役もこなしてくれないと。 >>390
実は榴弾と徹甲榴弾の区別がついてないだろ、君は >>391
ソ連軍でさえ101両しか作ってないから、ZiS-30は 一式七糎半自走砲 ホニだけどなんでチハ-の車体に乗せる必要があったんですかね
90式野砲は387kgしかないからTKやテケにのったんじゃないですかね? ZiS-30と同じく、一発撃つと小さい車体と弱いサスペンションが動揺、それが収まらずすぐに二発目の照準に入れない 間接砲撃専門ならまだしも、対戦車自走砲には普通付いてないぞ
頻繁に陣地を移動しないとやられてしまうから 対戦車目的な自走砲の後部に鋤のような大掛かりな安定機構を設けないのは
目的とする交戦距離が短いから
大射程の榴弾砲などでは射撃元の僅かな角度の狂いが弾着を大きく狂わせるので
それが装備された物もある
頻繁な陣地移動が必須だったら自走しない多くの対戦車砲は使い物にならない >>400
まあ実際、対戦車砲としてはなんとか気合いで移動できるpak40くらいまでしか使い物にならなかったそうだしね
pak42とかpak43とかpak44とかになると戦闘中は全く移動できないから、ちょっと回り込まれたら即放棄する羽目に
遠距離から先に撃ち込めば?とも思うけど先に飛んでくるのは露助の重ロケット、重榴砲弾の雨で、射撃位置についてた重対戦車砲は全部ゴミになるそうな いや戦闘中の移動(陣地変換)はPaK40だともう無理なんで、自走砲化が望まれたわけで
そして対戦車砲より背の高い自走砲は目立つので、何発か撃って位置がバレたら移動しないとやられてしまう
戦車ベースのはいいとして、遅いRSOベースのは機敏に移動できず損失が多く、本格生産が中止になった そもそも対戦車砲って照準器が遠距離射撃に対応してないような
3km以上先の戦車を撃破したという逸話こそあるけどそんな距離だとまず滅多に当たらないし
4km未満ではカチューシャや12cm重迫撃砲PM-38の有効射程に収まるから砲火から逃れるのは困難 PaK40でもハチハチの7割ぐらいのパワーがあるので
アメリカの76ミリシャーマンの主砲と互角
KVスターリンも貫通せずとも、直撃すれば先制パンチでダメになる ヒットラー総統は徹夜で戦車談義付き合いしてくれる仲間ポルシェが
気に入ってたけど
こんな深夜に煽ったり付き合いよくしてくれるこの住人にも
ドイツの総統はきっと博士号をくださるでしょう・・ >>404
PaK40は1942年に入って戦場に登場した途端、M3グラントやT-34やKVを余裕で撃破、ドイツ軍側が火力で優越するようになった
一方、敵戦車と直接撃ち合う過酷な任務故に損害も大きく、生産された23303門のうち、1945年3月までに17596門も失われている パンター主砲は7.5 cm KwK 40でよかったね
正面と砲塔側面まで装甲100ミリにしてくれれば砲塔乗員の生存性も確保
7.5cm KwK 42はいらなかった
サスは縦置きトーションバで、エンジンは6気筒連結で電動モーターでいいでしょう PaK 43みたいに360度射界があればまだましだったのかな 17ポンド砲の重量4,700ポンドというのもだいぶ重いけど、これは砲車こみの牽引重量かな? >>407
喪失した中にはソ連に鹵獲されたのも多そうだなあ
移動が大変だし >>390
暴れん坊将軍のように、日本刀でズバズバ斬るほうが効率的だよ? >>411
実際、牽引車やその燃料が無いと、他の重装備と共に撤退の際に放棄するしかなかった
砲脚がアルミ合金製の5cm PaK38でも補助輪を付けてやっと人力で動かせるレベルで、
反動が大きくなった分砲脚を鋼鉄製に強化しなくてはならなかったPaK40では重すぎて、
3.7cm PaK36の頃のような戦闘中の移動は不可能
一方、アメリカ軍の戦車駆逐大隊は歩兵の要請に応じて駆けつける自走砲中心だったのが、
ドイツ軍の牽引式対戦車砲の待ち伏せによる戦果の影響でもあったのか、3インチM5を装備したが
バルジの戦いでは牽引車から外す前に路上で撃破されてしまい、結局戦車駆逐大隊は全て自走砲化
(もっとも戦車駆逐大隊自体が、戦後まもなく解体されてしまうのだが) 実際単独の対戦車砲はべトンでガチガチに固めたブンカーにでも納めて無い限り
盛り土や土嚢で覆った程度の火点では、敵戦車に位置がばれたらOUTですわな
如何な重戦車をも葬れる火力が有ろうと、小〜中口径砲の榴弾でも近着喰らったらお終い
ソ連は前列からやられて行く事を承知で要衝には何列ものパックフロントを作って
最早対戦車砲など消耗品的な扱いだったけど
ドイツは一撃で敵戦車を撃破でき得る、高性能・強力・高額な対戦車砲を少数作って
対抗しようとしたのよね
結局は戦車開発の思想と似たようなもので、最後は物量に勝てなかったんだ うーむ イメージ的に88o/Pak43以降の話ね
75o/Pak40も23000門生産と、そこだけ書き出されると多いように見えるが
ソ連の76.2o/ZiS3は10万門以上生産されている PAK38、6ポンド砲、人力で扱うには1トン位が限界なのかな >>416
ZiS-3は(ZiS-2のような)歩兵を戦車から守るために歩兵師団に配備される対戦車砲じゃなくて、砲兵師団に配備される野砲(ソ連軍の呼称で師団砲)だもの
ソ連軍では重砲でも直接照準器が付いていて、いざという時には戦車を直接射撃できるようになっているだけで、PaK40の同類ではないから >>415
3万以上ってのは比較的新しい資料である「ドイツ国防軍の対戦車」(独ソ戦車戦シリーズ)からだが、おそらく自走砲に載せるために生産したPaK40/1から3等も含むと思う PaK43やそれを搭載するナースホルンくらいになると、敵戦車の射程外から一方的に狙撃する、視界の開けた東部戦線の平原に向いた兵器だな
山がちなイタリア戦線とかだと本領を発揮できず、接近されたらやられてしまう 少数でもそうした兵器を持っている事で、敵全体の勢いを低減できるんだよね
まあソ連が相手な場合は損害に構わず前進!が常套だったので
あまり意味は無かったようだけど ソ連の85ミリなどは威力も精度も低かったそうですが
7.5 cm KwK 40は、88ミリにくらべてものすごく値段が安いのですが
やはり命中精度が低い安物だったんでしょうか 88ミリの高射砲は全周旋回・高射可能な砲架が高く、全周旋回可能で対戦車専門のPaK43はそれよりは安く、PaK40はずっと小さく簡易なので安い 7.5 cm KwK 40搭載車両は
中東でもかなりイスラエル軍をボコってるので精度はセンチュリオンよりたかそう。
チェコスロバキア在庫一掃の良いお買い物。
コレを買ったほうが61式や74式より良かったりして >>422
「損害を構わず」とは言っても人や物も限度はあるからね。
量産性だけ考えれば、そのままKVやT-34-76の生産を続けてた方が良かったろうけど、
わざわざIS-2やT-34-85を開発したって事は看過出来ないレベルだったんでしょ。 ドイツ古参兵によればソ連兵が腕前あげるまえはノコノコと鴨のように88ミリの
まえに戦車が出てきて、数十両撃破とか正にかきいれ時だった
末期にはソ連兵の腕前があがってきてそれが致命的にまずいことになったという
ヒトラーは「ソ連戦車が鴨」だった古い情報のまま重戦車を開発してたと思う >>427
本当にカモだと思ったらパンターはちゃんとした中戦車のままで前線出てもうちょい広範囲を走り回ってたと思う うんパンツァーフロント的な展開で優位な装甲と火力で陣取って一方的にボコる 1941年における76.2mm戦車砲F-34またはZiS-5はドイツ軍戦車に対してアドバンテージを持っていたが、
PaK40やKwK40の登場で逆転、照準器の性能差も加わって有効射程外から撃破される状況に
クルスク戦の段階でもこの問題は解決しておらず、ソ連側はドイツ軍よりも多くの戦車を失った
T-34-85の登場時、受領した兵たちには僅か2時間の完熟訓練で戦場に送られたが、熱狂的にこの戦車を歓迎した T-34って76も85も何でマズルブレーキ付いてないの?
76なんか戦車砲の原型になった野砲仕様には付いてるのにね
一般論としてマズルブレーキ付いてた方が射撃時の後退距離を短く出来るのに
砲塔あんなに狭いのにね is2スターリンは部隊がマズルブレーキ嫌ったので122ミリに反対したが
噴煙で曝露しやすいのが表向きの理由
ドイツだけ採用なら敵味方を識別しやすい利点もありそうだがその話はなかった >>395
まあ兵器なんて状況次第ではあるから
平坦で見晴らしの良い東部戦線じゃこんなの使いようがないが、
複雑な起伏にとみ樹木は生い茂り、待ち伏せ奇襲する地形に不自由しない沖縄なら、最低限の動力でも対戦車砲野砲を機動させられるプラットフォームの価値は大きい >>433
タミヤの初代T-34(ゴムキャタピラ・モーターライズ)は実車取材をやってない時代で、レベルの古いキットを参考にしたから
この当時のタミヤの戦車キットは、付属する戦車兵フィギュアもレベルやモノグラムのコピーな事が多い でも実車取材出来るようになると実際に使われてた仕様ではなくて博物館のオリジナル修理とかまで再現されててなんとも 実際、初めて取材したT-34-85はイスラエルが鹵獲したチェコ製だったので、1/25キットは砲塔形状などがソ連型と違ってしまった >>431 歩兵大迷惑なの、戦車のマズルブレーキ。 マズルブレーキの噴射孔、左右でなく上方向だけに吹き出すようにできないのかね それはアサルトライフルのAKMでやっていて、連射時に銃身が跳ね上がるのを斜め上に吹き出すガスで抑えるもの
同じ物を戦車砲でやっても、後座距離を抑える役にはたたない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています