★ WW2の戦車について広く浅く語る2 卍
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第二次世界大戦に登場及び計画された戦車について、生温かく語るスレです
AFV、ガルパン等の話題もOKの、新兵からヲタまで垣根無しの書き込み寺です
前スレ
★ WW2の戦車について広く浅く語る 卍
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1538748277/ ティーガー1型 1.355台
ティーガー2型 492台
ヤクトティーガー 48〜100台(諸説あり)
とってもレア物(´ω`) >>7
素人でもわかる操縦、生産コスト、メンテナンスのしやすさ、機動性、攻撃、防御
総合的に見て、T-34-85が第二次世界大戦の最高傑作戦車ってことだな クラッチ・ブレーキ式で変速機とレバーが長い鉄棒で繋いであるため非常に重く、
望む方向に曲がるためには片側のブレーキを解除するタイミングに慣れが必要で、
運転するなら軽いステアリングハンドルで曲がれるティーガーの方が遥かに楽だった 積層防弾ガラスの展示
https://pbs.twimg.com/media/DIc3TodW0AESd1n.jpg:medium
拳銃弾を防ぐ18.5mm厚から、14.5mm対戦車ライフルを防ぐ130mm厚まで
ドイツ戦車の覗き窓の防弾ガラスでは14.5mmが全く防げないのがよくわかる
大戦中の戦闘機のキャノピー前面防弾ガラスは中程の44〜62mmくらいだけど
これでも7.62mm機銃弾を防ぐ程度でしか無い 例え14.5oや12.7oの直撃を防ぎ切れないにしても
何も無い所に弾が飛び込んだら即死確実だし
拳銃・小銃・砲弾の破片程度が防げれば無いよりマシでしょ
乗員の精神衛生上もw ドイツ軍はもっと根本的に解決した
すなわち防弾ガラス入りクラッペそのものを廃止したり、スリットを溶接で潰して埋めてしまったり >>4
流石にパンター並みではない。
寧ろ長砲身四号に近い。 レンドリースでM4A2(76)Wを受け取ったソ連軍は、自軍のT-34-85に匹敵する戦闘力と評価、
親衛師団の精鋭に優先配備している レンドリースで一番大きかったのは、鉄道かな
100両しかなかったのに2000両きたからねー >>6
連合軍側多すぎないか?
おじいちゃんの昭和の記憶だと、
M4もT34も生産台数3万代だった気がするが シャーマンは1941〜1945年の間で49,324両のはず、54,000両ってのは同じシャーシを使う自走砲とか入ってると思う
昭和の頃はシャーマン系が最多生産数ってことになっていたが、ソ連崩壊後にT-34の正確な製造数が判明し、
大戦中に最も作られた戦車はT-34系(T-34+T-34-85)ということになった
なお戦後のT-54/55+59/69式が合わせて約94,000両(うちソ連製T-54は約35,000両、T-55が27,500両)と言われているので、
T-34系でも史上最多ではない T−34は大戦で大半を消耗してしまったが
M4は大半が生き残り戦後も活躍 シャーマンは全て戦時中のラインで作っていた中古だが、T-34-85もいっぱいあったし、戦後にチェコ・ポーランドが作ってるけどね
シャーマンの場合、本土で訓練専用で使われ、その後武装や足回り、エンジンを交換しレストアされた状態の良いものが多かった 戦車や軍用車両など国内の複数の工場で生産した物は
誰か一人が生産の全てを実際に見て管理・把握して居た訳では無いだろうな
傘下の国なども生産に加わっていれば更に実数把握は困難になる
目標数やノルマがあって、結果報告された台数の集計であれば
戦時の事だしそこには嘘や誤魔化し、プロバガンダ的に多目に吹聴してる
なんて事も有るかも
数万台なんて数字には数百台レベルの誤差は普通に生じそう
むしろ1台単位まで判明してるデータとかマユツバもの そのへんは後から記録が出てきたことで、昔より数字が明確になってきたわけで
ソ連と違いそのへんの情報を非公開にしてないアメリカでさえ、シャーマンの生産工場や
タイプ別の具体的な生産数が判明したのは、研究が進んだ近年のことだし 後からつぶさに調査したらいろいろ数字が出て来たが
この数字を公式見解としようぜ的な整理の仕方は有るかもな
まあ実際に生産してるのを横でずっと見て勘定してた奴は居ない訳だから
後はそれを信じるかどうかだけ
>むしろ1台単位まで判明してるデータとかマユツバもの
これは実際そうだと思う 例えばヤクトティーガー
完成したのは48台だという説が有る一方
工場サイドでは82台を送り出したと言う
部隊配備数の合計は60台余りだと言う説も有れば
戦地への輸送実績の記録は100台以上だと言う
わかんねーんだよ、そんなのは
どれか台数を決めてそれが正なんだと勝手に決めるしか無い
それが実際の台数と合ってるかどうかなど誰にもわかんねぇ そりゃ終戦間際の混乱で、記録が失われてるからだよ、終戦時の工場でほぼできている物を含めるかどうかってのもあるし
対して、勝者側のアメリカやソ連ではそんな極端な例は無い どうせ何処かの誰かが言ってた、何かの本に書いてあったと言うだけ
こんなスレに現体験で見てた奴なんか居ない
疑問を持つ事から始まる議論も有るけど
何かを信じないと話にならんわな
台数に限らずだw 役所仕事ナメんなと
記録が色々消失している敗戦国はともかく戦勝国は、金が絡むだけにそれなりの確度の数字が残ってる
再生車両の数字がダブったり扱いが変更されたり、それでも相当数の変動はありうるが
戦車じゃなくて戦闘機だが、スピットファイアなんかは全生産機の記録が残って公刊されてるんじゃなかったかな ウィキペ先生によると
ドイツの装甲戦闘車両は
三突は11000台
三号戦車は5700台
四号戦車は8500台
四突は1100台
四号駆逐戦車は2000台
ヘッツァーは2800台 戦後ソ連のT-10重戦車は、情報部の推測で約8000輌も生産され多数の独立重戦車旅団を編成したといわれたが、
ソ連崩壊後の情報公開で、各型合計1539両にすぎなかったと判明している で、前スレの引継ぎだけど、バグラチオンの
ドイツ戦死者40万人、ソ連は18万人、ドイツだっせ〜は合ってるでいい? ロシア版Wikipediaの数字だと、ソ連側死者行方不明者が計178507人、ドイツ側側死者行方不明者が計40万人以上
(後者の数字のソースはミハイル・ポリカールポフ著『バグラチオン作戦』) そらそうだろうな
そうじゃなきゃ前線が崩壊するわけがない ドイツ中央軍集団に対し戦力を集中、6倍の兵力で押しつぶしてしまった
本命は南部からの攻勢で中央は揺動だと勘違いした上に、ヒトラーの死守命令もあって拠点防衛してたら、後退できず包囲殲滅されてしまた 1941年の2ヶ月間、不利な状況で戦死するまでにドイツ戦車・自走砲58両を撃破したドミトリー・ラヴリネンコ
ゲームのWoTにもラヴリネンコ勲章というのがあるほど ドイツ軍戦車の塗装の変遷
https://hnnh3.exblog.jp/28583294/
昔はプラモの塗料だと、基本色がジャーマングレーとダークイエローしか無かったのに ラブリネンコ中尉はT34-57 駆逐戦車を支給された
長砲身73.口径
BMWガソリンエンジンという
T3476の火力と加速力
欠点をすべて排除した
ガンダムのようなスペシャル品で大戦果を挙げた どこに書いてあったんだそんなデタラメ?
T-34-57は1941年10月10日に編成された第21戦車旅団に配備されたが、30日までに全滅している
ラブリネンコの所属は第4戦車旅団(改称され第1親衛戦車旅団)で、乗っていたのは通常のT-34で、
戦死したのは12月18日 あとBT-7と同じM-17Tガソリンエンジン搭載のT-34は、T-34-57ではない普通のT-34のごく一部
WoTでもやりすぎたか? 57o砲搭載のT-34て、ごく少数の試験的生産で
通常型の76o砲をも上回ると言う、その主砲の威力を実践評価すべく
ドイツ戦車を求めて、他数台のT-34と共に出撃したが接敵が無く
部隊は目標を近隣の野戦飛行場に変更
これは折良く悪天候の中の奇襲の形となり、駐機していたHe-111、
Ju-52など数機と、守備に付いて居た自走砲2台他を撃破したが
105o-leFH18榴弾砲、88oFlak36などの反撃を受けて、ほぼ全滅
生きたドイツ戦車に対する戦火は無かった
これが俺の聞いてる話 グランドパワー2017年8月号に、詳しく解説されてるよ
T-34-57というのは近年の研究者による通称で制式名は無く、あえて呼ぶなら「T-34 57mm戦車砲ZiS-4搭載I型」
この試作車が生まれた当時、ZiS-4の改造元であるZiS-2は250門しかなく、うち100門はコムソモーレツ牽引車に
搭載した自走砲に使われ、戦車砲型は1941年10月5日にウラジミールに送られた10両分しかなかった模様
そこで通常のT-34 9両と合わせ19両、BTが32両、さらに軽戦車による第21戦車旅団を編成、その数日後に
カリーニン地区でドイツ軍のいる街に突入、更に飛行場で暴れまわり、4日間の戦闘で戦車34両・車両210両・
対戦車砲25門・火炎放射器6器・兵1000名の戦果を主張
この戦いでT-34-57は全ての損失原因が記録されており、10月16日に損傷放棄されたものから30日に炎上喪失
したものまで、9両全損で1両が回収されて後送、全滅している
雪の中で撃破放棄された車体番号20のT-34-57の写真が残されているが、これはノモンハン事件でソ連邦英雄
勲章を受けた連隊長ルーキン大佐の乗車で、彼はそこで戦死している 訂正:「T-34 57mm戦車砲ZiS-4搭載I型」>「T-34 57mm戦車砲ZiS-4搭載型」、タイプミス >>31
重戦車はJS-2の約3500両が一番多かったわけか。
(KV-1Sも含めればKV-1、
同サイズのパンターを実質重戦車として考えればパンターの方が多いが) >>47 誤爆
>>46
T-34の総生産数が普通はT-34-85を含めた数字なので、KVの生産数にKV-1Sも含めていいのでは >>48
其処ら辺の線引きって結構曖昧だよな。
T-72とT-90みたいに国やメーカーも都合で分けたりもあるし。
普通はT-34の生産数にはT-34-85、
M4の生産数にM4(76)やM4(105)を含めるけど、
その観点だとKV-1にKV-1Sを含めるよりは、
別物として扱ってるKV-1とKV-2を一括りに、
同じく別物扱いのKV-1SとKV-85を一括りにした方が近い様な気もする。 日本もせめてBT−7かM3スチュワートレベルの戦車が
開戦時にあればなぁ いちおう新砲塔チハは1942年4月にフィリピン戦に急遽投入、M3軽戦車を正面から撃破可能 BT-7が優れていたのは、出現当時としては対戦車戦闘能力の高い45mm砲と、高いエンジンパワーによる機動力
装甲は砲塔前面と車体前面傾斜部が15mm、操縦席前面と下部前端(曲面になってるところ)で20mmと薄く、日本軍の三十七粍速射砲で撃破可能
M3スチュアートは主砲防盾が51mmと厚く、砲塔前面と操縦席前面は38mm、下部前端は44mmだが、前面傾斜部は16mmと薄かった あのさ、キングタイガーってのはティーガー2でしょ?
ティーガー2は歴史に名を残せる活躍できたの?
ヴィットマンとかカリウスは乗ってたの? マイケルビットマンの相方ヴォルは
キングタイガー車長
カリウス部下のケルヒャーも そうなんだ
戦争末期だから搭乗員はクソしかいないと思ってた ヴィットマンは所属部隊がティーガーIIに更新される前に戦死、カリウスはヤークトティーガーの部隊の中隊長に 映画「バルジ大作戦」で、「(劇中M47が演じた)キングタイガーが大活躍した」イメージができあがったが、
実際のバルジの戦いでパイパー戦闘団の先頭に立って戦ったのは、パンターとIV号戦車
ティーガーIIは降下猟兵を便乗させて戦闘団の最後尾をついてきたが、狭い曲がりくねった森の中の
道で頻繁にギアチェンジしながらだったので、途中で故障して脱落する物が続出、他にも動けなくなった
物は自爆放棄、しかしアメリカ兵はパンターに撃たれても「タイガーにやられた!」と大騒ぎしていた 朝鮮ベトナムと無差別爆撃の空襲はすさまじく建物一つ残らなかったというが
政府の戦争遂行に支障はきたしてない
装甲部隊も空襲は通用しないのだろうか だって米軍が朝鮮戦争で無差別絨毯爆撃したのは平壌だけど、戦争後半の脅威となったのは
北朝鮮軍ではなく中国人民志願軍、そして中国本土を爆撃できなかったんだから当然じゃん しかし一般人にはたまったものではないので
空襲のない南ににげるとかありそう 四発重爆撃機による対地支援攻撃は、双発爆撃機による低空攻撃と違って、戦場を絨毯爆撃することになる
結果、ノルマンディーでは誤爆でドイツ軍よりも味方やフランスの民間人に多大な被害を出してしまったが、
一方で、コブラ作戦では1500機の爆撃が装甲教導師団の戦区を直撃し、同師団の装甲車両と兵員に大損害を与えている まぁ空襲の爆音がきこえたら
そこにある1メートルほどのタコツボに
飛び込めば助かるから
爆撃馴れした国にはほぼ死者はでないけど クラスター爆弾みたいな一発あたりが小さく破片をばらまいて殺傷する爆弾には有効だが、コブラ作戦の時は250ポンド(113kg)爆弾とかだし
近くに落ちると蛸壺ごと生き埋めなので、運次第 第二次世界大戦で装甲列車と戦車がガチで戦ったことってあるの?
どっちが強い?ソ連みたいな広大な領土だと列車での移動や物流が大事だから
それなりに対地能力や対空能力にも長けたに違いないと思うが まずポーランド侵攻の時に、ポーランド軍の装甲列車シミャウィ号が火力の小さいドイツ軍軽戦車を相手に無双、40両ほど撃破している
独ソ戦ではドイツ・ソ連の装甲列車に共に戦車の砲塔を搭載した物が作られ、戦車と撃ち合って勝ったり負けたりしている じゃあ立てつけとしては、装甲列車は戦車より強いってことか
ティーガー1ならシミャウィ相手に勝てるにしても
レール外せば列車には勝てるからあえてガチ勝負する選ぶ必要はないと思うけど いやポーランドの時は戦車がI号とかII号とかで弱すぎ
装甲列車は総合火力こそ大きいものの、動ける範囲が決まっているし、回避も身を隠すこともできず、装甲も厚くないので不利な点が多い 装甲列車なんて戦車で撃ち合いなんかせずに攻撃機呼べって案件だわな
車両そのものより軌条潰したほうがいいようなもんだし 装甲列車はどちらかと言えば防御的性格の強い兵器
それを先頭に押し立てて攻め込もうって物じゃ無い
それこそ相手は線路を壊せばいい話で
爆薬さえ用意すれば少人数の部隊でも阻止出来てしまう >>64
戦車じゃないけどヴィットマンが突撃砲で装甲列車と戦闘しているよ ディスカバリーでみたけど
ヴィットマン凄すぎる
3号突撃砲初期型で、偵察任務でいきなり1人でT-34を6両も撃破したとこ
突撃砲は砲塔がないから車体ごと傾けないと当たらないのに それは小林源文の劇画やWikipediaの突撃砲の記事では、T-34ではなくT-26だった ドイツで105ミリ榴弾砲ってあるよな?
T34に苦戦してたときから持ってたらしいやん
榴弾砲ってどこまで戦車相手に通用してたの?
88ミリ砲高射砲が活躍してたのに
17ミリも砲が大きい105ミリが活躍できないのはおかしくない? 105mm榴弾砲はT-34・M4級戦車にあまり効果的ではない
HEATさえあれば良いけども、そうでない場合は通常榴弾であれ破甲榴弾であれいずれも効果が安定しない。命中精度も良くないから当てにくい
そもそも榴弾砲のお仕事は対戦車戦闘じゃないし、自衛戦闘てなければ積極的にやるべきじゃなかった。 緊急時には水平射撃で対戦車戦闘しており、独ソ戦序盤の1941年7-9月におけるT-34の損失原因の2.9%が10.5cm砲によるもの
なお英軍の25ポンド砲、米軍の105mm砲(後にHEAT弾も使用)、ソ連軍の122mm砲も同様 なお当時のT-34の鋳造製砲塔の場合、榴弾が命中すると内壁がホプキンソン効果で剥離して
飛び散る欠点があり、それにより砲塔内の乗員が死傷するケースもあった 「戦争に勝つため」じゃなくて「商品」なんじゃないかって気がするよ
末期にタイガーUなんか作って意味あんのかと。
パンサーとヘッツァー作りまくればよくね? クルスクに必要なのは、X号戦車パンターD型、フェルディナント重駆逐戦車、フンメルではなく、まともに動く戦車
すなわち、4号H型と6号E型、そしてホルニッセ フェルディナントがまともに動かない戦車だと思ってるのは昭和脳、情報が古すぎ 5号については、1943年中は改良と故障潰しを行い、1943年11月からG型を量産開始 >>83
ルーズベルトが
「共産主義者」と呼ばれているのは知ってる? >>84
そんな三文記事を真に受けてるのか
黒幕はハリー・ホワイトだよ 本来はアカとナチを潰すべきだったのに
日本を追い込んだバカだからな
毛沢東レベルの重罪人だよ 素朴な疑問
カールの主砲って戦艦大和にどこまで通用するの? 航行中の大和に対し、カールは砲弾を命中させることができないので、全く通用しない 有効射程4.3kmだからねぇ(初期)
弾着までにだいたい31秒
弾着による修正を行っての他車砲撃はほぼ不可能だから、ある程度の公算射撃で一斉砲撃をするしかない 砲は旋回できないから、鈍重な車体ごと回さないと左右の照準修正ができず、移動目標に追随できないしね 大和って40発の魚雷と40発の爆弾受けたんだよな
この耐久力といい射程40キロの主砲といい
すげえ
大和だけでマジノやセヴァストポリ攻略できそうだな 大和→ガス溶接→魚雷10発
武蔵→電気溶接→魚雷20発
と思っていた ドイツの戦車って戦後はあらゆる国でどこまで転用されたの?
あんまり聞かないよね
T-34はよく聞くけど >>99
仏軍のパンサー、イスラエルの4号、チェコが戦後も生産したSdkfz251くらい? スペイン・トルコに輸出された3号4号戦車が1950年代まで在籍。
東欧やフランス、イタリアの参戦/占領国はやはり1950年代まで残った車体を運用してる。
東欧で対独戦に参加した国はソ連から鹵獲車両のドイツAFV(主として3,4凸)を供与されてもいる。
ルーマニアはパンターをロシアから供与されて1950年代中盤まで運用している。
フランスもパンターを運用したそうだけどすぐ廃止したくらいしかしらん。
ヨーロッパの3号4号戦車3凸、4凸はその後中東諸国に売却されて中東戦争に参加してる。
シリアの4号戦車は第3次中東戦争(1967)まで現役で南部(ガラリア湖畔)の戦いで壊滅。
チェコはヘッツアーの生産を戦後再開して1960年代初頭まで生産をしてる。(チェコ名ST-1)
チェコは1950年代末まで、スウェーデンは1960年代初頭まで、スイス(G13)は1970年代まで運用してる。
オリジナルのヘッツアーはワルシャワ条約機構軍内で1950年代まで運用されたらしい。
※1950年代に西側では米国AFV、東側ではソヴィエト製AFVへの更新が進んでる。 敗戦国で部品供給とかないからほとんど使われてないよ
フランスのパンターとかも短期間だし
ある程度の数継続的に使われたのってスイスのヘッツァーぐらいか?
あれは戦後生産だけど >>100-102
なるほどね。ちなみにティーガー1、2はなんで転用しなかったの?
名前だけで拍があるし、名前で敵が恐れることもありうる
まあ、機動性の問題は大きいと思うけど、それなら
例えば1960年代の場合、
ティーガー2を動かせる十分なトランスミッション技術ってのは1940年代よりも
ぐっと発達していたはずだから、それを使えば戦場で不自由なく使えたんじゃないの? 虎Uは重すぎて60年代の技術でもまともに動かせないよ
なんせエイブラムスより重い
レオパルドがパンターより信頼性向上したのは、技術の進歩もあるけどそれ以上に防御力犠牲にしたダイエットのおかげ
それに生産数が少なすぎて残存個体も少ないから、あえてあんな金食い虫運用維持する意味ないわ でも、これみたらすごい人だよね
エイブラムスやレオパルドでこんなに人集まらないよ
維持費はこれで集客売上で帳消しみたいなもん
それだけティーガー伝説が凄まじいということだと思う。
ttps://www.youtube.com/watch?v=cl0TQ8XR4g4
ttps://www.youtube.com/watch?v=dXP0QhbBDC8 終戦時にティーゲル1,2を撃破できる戦車を英米ソは保有してますし戦後はソヴィエトのJS-3を撃破できる戦車が要求されますゆえに。
わざわざ部隊編成をして使うには大変すぎますかね。
1960年代だと重戦車は120o砲級ですし中戦車(主力戦車)も100o、105o砲になってきてるので装甲火力ともにかなり見劣りしますね。
>>105
ソミュールの動態保存の車体かな。
動態保存されてるティーガー2は世界でこれ一両だけ。
ティーガー伝説は人気があるが集客売り上げで維持ができるなら苦労はしないのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています