初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 962
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前スレ
初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 961
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/162437
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初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を(ワッチョイ) 1
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1520550268/
ワッチョイスレ(IPアドレス表示なし)
初心者歓迎 質問スレ 867 (ワッチョイあり)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1556874094/
4724/ >>713
「戦争は数だよ!」というわけで、少ない乗員で運用可能な上に、一航海終えると乗員をそっくり入れ替えて常時即応可能な能力を保つにはもがみ型が不可欠だから。
そうでないと、護衛艦54隻体制を実現できても大半が定員割れで乗員不足だの、とりあえず浮かんでるだけになっちゃう。 >716
「氷河期は自己責任(ドヤッ」って感じですな
成功者が極僅かいるから自己責任と、
宝くじかとwwww 戦闘機のパイロットは数学ができる脳筋である
とこのスレで以前書き込みを見ましたが
飛行中に四則演算や分数の計算や微積分まで
やってるのですか >>716
それは要するに自衛隊の売りの一つである再就職斡旋は存在しないと言ってるようなものだな >>719
飛行時には計器の数字や燃料の残量を元に何時頃目的地につくかとかそこまで燃料の消費量はどのくらいか、空戦に備えてどのくらい燃料に余裕をもたせるかを素早く計算する必要がある
戦闘時なら3次元で飛行する相手の未来位置を予測して回避機動したり照準に入れなければならないので、実地では無意識に計算するにしろそうした予測をできる感覚を座学や訓練によって身につける必要がある 日本海軍機に愛称がないのが多いのは過剰な秘密主義が原因とも言われますが 陸軍戦車に愛称がないのはどうしてでしょう? >>720
企業がリストラする時や、定年が早い官公庁での再就職斡旋と同じで、「使うも使わず自力でやるもその人次第」ってだけの話だぞ?
世の中、制度を使わず転職する人なんてゴマンといるし、俺もハロワでとてつもなく経歴の長い履歴書持った元自衛官(転属多いから経歴欄がすごい事に)に会った事あるよ。 >>723
陸軍機に愛称がつくのは1941年以降に採用された機種からで、海軍だと1942年半ば以降だから、そもそも特に差は無い。 >>724
へー、じゃその人限定で、その人以外は人間の屑とwwww >>723
陸軍機のは年式+愛称だが、海軍機で年式が無いやつは愛称ではなくそれが制式名(英軍風?) >>724
定年で辞める人材だけを考えてるならそうだろうし
別に他の企業や公務員と同レベルで問題ないと思うが
任期制で30代前半とかで辞める隊員も結構いるし
そういう人材向けの再就職斡旋の事も考えるとそれだけの問題では済まないと思うけどね
まあ自衛隊に入ったからと言って大して再就職が優遇されてない自己責任体制自体の是非をここで云々する気はないが
要するに再就職斡旋が"売りにはならない"という話は変わらないのならこれ以上話すことはない >>715
名称がなんであれ貧弱な武装なのは間違いないじゃないですか
>>717
数が担保出来ないから質でカパーするのが自衛隊のドクトリンでしょ
イージス艦1隻の人員で仮に沿岸警備艦2隻運用出来たとしても、搭載出来るミサイルの数や戦力が4分の1になっては意味がなくないですか? >>数が担保出来ないから質でカパーするのが自衛隊のドクトリン
そんなワシントン条約の頃の日本海軍みたいなドクトリンだなんて、いったどんな資料に書いてあったんだ? >>729
>名称がなんであれ貧弱な武装なのは間違いないじゃないですか
もがみ型が代替する掃海艦艇に比べれば大幅な戦力アップじゃないですか
それにもがみ型はVLS16セルの搭載余裕がありますが
>イージス艦1隻の人員で仮に沿岸警備艦2隻運用出来たとしても、搭載出来るミサイルの数や戦力が4分の1になっては意味がなくないですか?
もがみ型はFFM(フリゲイト)で4個護衛隊群基軸のDD32隻とは別枠なんだけど
あの艦は平時において警戒監視任務に就き有事には対潜戦および対機雷戦に従事するためのもので
DDの戦力を外洋のより効果的な場所へ投入できるという非常に大きな意義を持つ >>719
戦車兵は中学生、パイロットは高校生、砲兵は大学生
軍曹は先生 これってひらたくいって非国民なんじゃ……?
https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392
米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)
同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を
通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。
内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を
懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。(以下略)
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1179266.html
歴代3位の吉田首相は、沖縄を日本から切り離したサンフランシスコ講和条約締結時に
政権を担当している。
講和条約交渉が東京で行われた1951年1月30日、ダレス米特使に対し、講和後の
沖縄の取り扱いについて「バミューダ方式(99年間の租借)」で沖縄を米国に貸すことを
提案している。日本が独立を果たした際、国の安全を米国に守ってもらう代わり、
沖縄を差し出すという内容だ。首相の提案は、天皇が長期の貸与(リース)を申し出た
47年の「天皇メッセージ」を具体化するような内容となっている。 天皇は国民じゃないんだから非国民にもなりようが無いだろ >>695
「F--16 エースパイロット 戦いの実録」でパイロット資格のないRIOを貶してるシーンがあったな 米空母は燃料を入れ替えますが、あの時の残存燃料ってどれくらいなのでしょうか?
ガソリンで言えばタンク半分とか四分の一とかわかりますけれど、核燃料だとどうなのか。 東京五輪の開会式で楽曲を担当する「コーネリアス」の小山田圭吾(52)がうんこをくわせたりしてたことを知りましたけどうんこくうと何か問題があるんですか?
ぼくには非国民が東京オリンピックを貶めるために東京オリンピック関係者を貶めているとしか思えません、自由民主党万歳 >>733
ナニ言ってんの、高校生ごときに先端機械の塊である飛行機が扱えるわけないでしょ? 戦中世代の祖母は「今だったら東大に行くような人が航空兵になっていた」とよく言っていたな
それは言い過ぎにしても、だ 予科練の応募資格は満14歳以上20歳未満、教育期間は3年だから、高校生くらいの歳で練習機を飛ばしていた者もいるわけだが 中世ヨーロッパでクロスボウは威力が高すぎる事を理由に1139年にキリスト教徒への使用が禁止されましたが
このクロスボウ禁止令はどれだけの期間キリスト教世界の国際ルールとして有効に機能していたんでしょうか?
Wikipediaに書かれている1199年のリチャード1世のクロスボウによる戦死を考えると
禁止令の半世紀後の12世紀末には既に形骸化してキリスト教徒間でも平気で使っていた感じですか?
また、銃はクロスボウよりも高威力だと思いますが14〜15世紀の銃登場時に使用禁止論は出なかったのでしょうか? 大戦末期だと、17歳で航空特攻して戦死した人もいるよ >>740
氷河期の大卒といえば今の大卒と違ってスーパーエリートだったが
自由民主党の若者皆殺し大作戦のおかげで皆殺しにされていってしまった
「失われた30年」と今は言いますけど、50年後には50年、100年後には100年って言ってるんだよな自由民主党 >>742
https://en.wikipedia.org/wiki/Second_Council_of_the_Lateran
1139年に開催された第2ラテラン公会議で公布されたカノン第29条ではクロスボウを名指ししたわけではなく、「弓とスリングのキリスト教徒への使用」を禁止するというものだった
当然のことながら取り締まる方法もなかったのでこれに従う君主は誰もおらず、全く無意味なものだった >>737について、原子力空母のことです。
書き忘れていました >>747
米海軍の空母の場合だと、燃料棒の交換でなく原子炉の交換で対応している。 壬申の乱から戦国時代について質問です。
今では白旗上げれば降伏のサインみたいに
戦闘時にも共通ルールがありますが、
壬申の乱から戦国時代までの間で日本の中で
戦闘中でも守るべき何らかの共通の所作、ルールは整備されていったのでしょうか? 日中戦争の直前〜戦中位の期間、
中国大陸の軍閥では贋作の銃
(ブローニングやモーゼル等の大手メーカー品に見えるがライセンス契約の無い勝手に作った銃)
が多数作られて、今でもたまにアメリカのオークションなんかでマニア向けに出てたりしますが、旧日本軍の制式銃の贋作もあるのでしょうか?
知っていれば教えて欲しいです >>742
西方教会の教皇名によるクロスボウ禁令は、1096年のウルバヌス2世によるもので、
クロスボウを名指しし使用者は破門という(当時の中世上層階級にとっては致命的な)
罰則が示されたこと、当時のクロスボウの有効性と普及率の低さから、西欧では兵器
としては殆ど消滅したとされてます
12世紀前半の叙任権闘争〜世俗分離で戦争慣習に対する教会の権威・裁定が決定的に
及ばなくなったこと、12世紀半ばに金属を用いてクロスボウの有用性が大きく向上したこと
などから、12世紀後半には西欧でも普遍的な兵器となります ボンバーマンの爆弾って現実に使われてたことあるんですか? >>752
ああいう「丸い本体に導火線が出ててそれに火をつけて投げる」爆弾を「擲弾(てきだん」といって近世から近代初期にかけて実際に使われてた。 「スプルーアンスは、訓練された空母の専門家ではなかった」!
『飛行機に乗ったこともないものに飛行機乗りの指揮をさせるから、こんなことになるのだ』
「航空畑の人から、航空畑外の指揮官が、航空戦を指揮する事に不満が起きました!」
「スプルーアンス提督は、自軍の航空畑の士官たちから、更迭を要求」
「スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者」
「スプルーアンス提督は、防御に徹したのです。
戦闘機も、防御に使いました。
それが、戦力の集中になって、マリアナの七面鳥打ちとなり、日本海軍を撃滅」 「米海軍は戦前から艦隊司令・艦長への空母戦の専門家教育が出来ていた」?
678名無し三等兵2021/07/17(土) 04:14:23.60ID:K+s1m3qq681687704
戦前の日本海軍には空母戦の専門教育システムが乏しく
開戦後も空母艦隊司令や空母艦長は砲術・水雷畑の門外漢が務めるのが日常茶飯事だったそうですが
米海軍は戦前から艦隊司令・艦長への空母戦の専門家教育が出来ていた
のでしょうか? 「空母の指揮官は飛行機に乗ってその運用に関してある程度知っていることが条件になっていた」!
681名無し三等兵2021/07/17(土) 06:12:02.82ID:4YfibQpJ
678
ttps://en.wikipedia.org/wiki/William_Halsey_Jr.#Interwar_years
ウィリアム・ハルゼーは当時大佐だった1934年に海軍航空局長だったキングから航空観測員講習の履修を条件に空母サラトガの艦長職をオファーされている
つまりこの時点で
空母の指揮官は飛行機に乗ってその運用に関してある程度知っていることが条件になっていた
ということになる
しかし彼は「観測員として後席に座ってパイロットに振り回されるよりはまし」と観測員ではなく12週間の航空士官養成コースを受け、1935年5月に当時最年長の52歳で航空士官の翼の記章を授与されている
言い換えればそこまでやる艦長はいなかったということにはなる
687名無し三等兵2021/07/17(土) 12:10:55.52ID:0oGGyDWH
678
機動部隊の司令官で有名なスプルーアンスやキンケイドは君の言う専門家なのか門外漢じゃないのかって話だけど
アメリカ海軍は空母艦長(艦隊司令は違う)はパイロットでなくてはならないという妙な縛りをつけているだけと言える
あれを見て専門家教育すげーにはならない 704名無し三等兵2021/07/17(土) 15:19:21.54ID:caXJ53I0
678
空母の艦長の仕事は操艦や個艦対空戦闘といった「そのフネに関連する仕事」であって、艦載機の航空戦の作戦指揮は艦長の職務ではないから極論航空の素人でもいい
司令や艦長の下につく航空戦のプロたる航空参謀が優秀で上はその作戦指導を適切に評価する嗅覚があるならば本人の実務的な航空戦指揮能力は問題じゃない
陸戦における指揮官と参謀のようなもの 「スプルーアンスは、訓練された空母の専門家ではなかった」!
『飛行機に乗ったこともないものに飛行機乗りの指揮をさせるから、こんなことになるのだ』
「航空畑の人から、航空畑外の指揮官が、航空戦を指揮する事に不満が起きました!」
「スプルーアンス提督は、自軍の航空畑の士官たちから、更迭を要求」
「スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者」
「スプルーアンス提督は、防御に徹したのです。
戦闘機も、防御に使いました。
それが、戦力の集中になって、マリアナの七面鳥打ちとなり、日本海軍を撃滅」 「スプルーアンスは、訓練された空母の専門家ではなかった」! 「通常は慎重さで知られるレイモンド・スプルーアンスは、ミッドウェイ海戦で参謀長の助言に留意し、大胆に攻撃隊を早い時刻に発進させた。そしてそれが成功につながった。
レイモンド・エイムズ・スプルーアンスは、ミッドウェイ海戦の直前に、アメリカ空母第16 任務部隊の指揮官に任命されて、有名になった。そしてあの重大な戦闘をアメリカ艦隊が戦術的に支配力を保って終えたのだった。彼のミッドウェイおよびその後の空母戦闘、とりわけ2年後のフィリピン海海戦(マリアナ沖海戦)での功績は、ニミッツ提督の人を選ぶ目の確かさの証拠となった。しかし
スプルーアンスは、訓練された空母の専門家ではなかった 。ミッドウェイ海戦の前は、彼は単に物静かで几帳面な、砲術の専門家として堅苦しい人物としてしか、知られていなかった。すなわち、服装においても行動においても空母士官の影響を受けたものを何も身に付けていない、「空母艦員」提督、戦艦男であった。
スプルーアンスは1886年に、メリーランド州ボルティモアで生まれた。しかしインディアナ州で育てられ、そこでアメリカ海軍兵学校へ入学した。第一次大戦を戦艦ペンシルバニアPennsylvania で仕えた。そして戦後、砲術指揮官による砲撃管制をアメリカ海軍が採用するのを促進するという特別任務を背負って英国へ渡った。戦間期、彼は1927年にアメリカ海軍大学校で上級教育コースを修了し、高い指揮能力を身に付けた。その後戦艦ミシシッピMississippi で管理士官を務めた。彼は2度、海軍大学校の職員メンバーとなった。1931年から1933年までと、1935年から1938年までであった。彼の上級大佐としての務めは、カリブ海での一続きの仕事で締めくくられ、1941年9月に、少将の位で巡洋艦部隊の指揮を執ることとなった。
真珠湾攻撃から1942年の5月まで、スプルーアンスはハルゼーの空母第16任務部隊で巡洋艦と駆逐艦を指揮した。ミッドウェイの危機が今にも起こりそうに大きく差し迫って来た5月16日に、任務部隊が緊急に真珠湾に呼び戻されるまで、マーシャル諸島やウェーク島、マーカス島で、日本軍を攻撃してはすぐ退却するという戦法を繰り返していた。その真珠湾への帰路の航海中にハルゼーが職務遂行不可能な皮膚病に倒れ、真珠湾へ到着するとすぐに入院した。ニミッツがハルゼーに、誰を代替者として推薦するか尋ねたとき、ハルゼーは躊躇なくスプルーアンスを推薦した。この極めて重大な任命に、技術的にもっと適任な他の多くの士官がいたが、ニミッツはハルゼーの直感に賭け、第16任務部隊(空母エンタープライズEnterprise とホーネットHornet )をスプルーアンスに任せた。 」 下記、レイモンド・エイムズ・スプルーアンスを参照ください。
ttp://ww3.tiki.ne.jp/~awata-a/naval_warfare/spruance.htm カスミンさぁ、1行レスで多用してる鈎括弧括り引用に!や?を付けてるのは否定なの?肯定なの?
未だにどっちがどっちか分らないからカスミンの意図が伝わってこないのよ 『飛行機に乗ったこともないものに飛行機乗りの指揮をさせるから、こんなことになるのだ』
「航空関係者は、スプルーアンスが世紀のチャンスを逸したのだと信じて疑わなかった。
そして、
『飛行機に乗ったこともないものに飛行機乗りの指揮をさせるから、こんなことになるのだ』
とだれもがこぼした」。
スプルーアンスの戦術の正しさが完全に立証されたのは、第二次世界大戦終了後」
『提督ニミッツ』E.B.ポッター。421ページ。 航空畑の人から、航空畑外の指揮官が、航空戦を指揮する事に不満が起きました!
それを解消するため、航空畑外の指揮官は、航空畑の参謀長を置く事になりました。
第5艦隊指揮官の、航空畑外のスプルーアンスの参謀長は、航空畑外の友人、カール・ムーア大佐 でした。
1944年6月のマリアナ沖海戦を戦いました。
1944年9月、航空畑の、アーサー・デイビス少将と代わりました。 「スプルーアンス提督は、自軍の航空畑の士官たちから、更迭を要求」
761名無し三等兵2019/07/11(木) 21:14:01.53ID:OOSJIxFm
203 名前:霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho 投稿日:2008/05/21(水) 22:56:23 ID:yGhaqZbL
191
>マリアナ沖海戦において、米軍は日本機動部隊を壊滅させた後、日本戦艦>部隊を叩くつもりだったんでしょうか?
霞ヶ浦の住人の回答。
「米軍は日本機動部隊を壊滅させた」ことを、知らなかった。そのため、「日本戦艦部隊」まで、考えが回らなかったと霞ヶ浦の住人は想像します。
説明。
マリアナ沖海戦後、
スプルーアンス提督は、自軍の航空畑の士官たちから、更迭を要求
されました。
「マリアナ沖海戦において、米軍は日本機動部隊を」取り逃がしたとの理由です。.
アメリカ海軍は、自軍の潜水艦が、日本海軍の主力空母を撃沈したことを知らなかったのです。
アメリカ海軍の潜水艦、アルバコアは、自艦が、大鳳を撃沈したことを知りませんでした。
魚雷6本を発射しました。
全部、命中しそこなかっと思いました。
そのうち、1本が命中して、それが大鳳を沈没させたとは知らなかったのです。
事実をアメリカ側が知ったのは、第二次世界大戦後のことでした。
日本海軍の主力の空母機動部隊を取り逃がしたと思っているときに、「日本戦艦部隊」まで、考えが回らなかったでしょう。 .
参考図書。
提督・スプルーアンス (1975年) [古書] (-)
トーマス・B・ブュエル (著),
提督ニミッツ (1979年) [古書] (-)
E.B.ポッター (著), 「スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者」
「13 非難されるスプルーアンス top
戦争全期間中、最大規模で、もっとも決定的な海戦の一つが終った。
日本艦隊の大部分を、撃破もせずに逃がしたという
スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者
の間から起った。
彼らはハルゼー提督だったら、もっと勇敢な方法でやったろうと、まじめに考えていた。
しかし、その方が、よりよい成果をあげたかどうかとなると、疑わしい。
もし、最初の空母間の戦闘で、双方が同時に攻撃をかけたとしたならば、もっと多くの日本軍の艦を沈没させることはできたろう。
しかし、米軍がうける損害も、また大きかったに違いなかった。
スブルーアンスは、実質的には奇跡にひとしいほどの僅かの犠牲で、日本の航空兵力を一掃し、このような大勝利をおさめたのである。「瑞鶴」「隼鷹」「千歳」「千代田」[瑞鳳」[竜驤」は逃したが、日本軍は、この海戦で失なわれた空母パイロットの養成は、とうとうできなかった。
最後の一戦がきたときには、生残った空母はすべて“キバのない虎”となっており、いけにえのオトリとして、日本の伝統的戦略に奉げられたのであった。」
下記、空母の歴史――日米機動部隊の激突を参照ください。
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/aircraft10.htm 「スプルーアンス提督は、防御に徹したのです。
戦闘機も、防御に使いました。
それが、戦力の集中になって、マリアナの七面鳥打ちとなり、日本海軍を撃滅」
32名無し三等兵2019/03/08(金) 18:39:41.10ID:O5WEM4Y/
ミッドウェーで、日本海軍は、上陸作戦の成功と、敵空母機動部隊の撃滅の、二兎を追いました。
マリアナで、アメリカ海軍は、上陸作戦の成功のみを求めました。
スプルーアンス提督は、防御に徹したのです。
戦闘機も、防御に使いました。
それが、戦力の集中になって、マリアナの七面鳥打ちとなり、日本海軍を撃滅
しました。
ミッドウェー海戦は、日本海軍の意思の統一がされていませんでした。
二重命令がだされたのです。
連合艦隊は、敵空母機動部隊の撃滅が命令されました。
軍令部からは、ミッドウェーの攻略が命令されました。 たぶん!や?をやたら付けてるのは「特攻の拓」のパクリ >全部、命中しそこなかっと思いました。
「全部、命中しなかったと思いました。」と「全部、命中しそこなったと思いました。」のハイブリット文章(の更に出来損ない)ですかねぇ >>767
>「瑞鶴」「隼鷹」「千歳」「千代田」[瑞鳳」[竜驤」は逃したが
龍驤はマリアナ沖より2年前の第二次ソロモン海戦で喪失してたんじゃなかったっけ?
引き揚げて修理再就役させたのか二代目を建造投入したんですかね? ドイツ空軍では200機以上落としたスーパーエースでも最後はB24に体当たりして死んだりしていますが生きて帰って再び出撃するよう教育が徹底していなかったんでしょうか お願い!
貴殿が、間違いを教えてあげてください!
サンケイ第二次世界大戦ブックス8 空母 日米機動部隊の激突
• 著者ドナルド・マッキンタイヤー著、寺井義守訳
• 出版社サンケイ出版
• 刊行年1971 [竜驤」
767名無し三等兵2021/07/18(日) 13:54:31.34ID:ItvE4wUz771
「スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者」
「13 非難されるスプルーアンス top
戦争全期間中、最大規模で、もっとも決定的な海戦の一つが終った。
日本艦隊の大部分を、撃破もせずに逃がしたという
スプルーアンス長官の用心深い戦略に非難が起った。
非難は、とくにアメリカ海軍の航空関係者
の間から起った。
彼らはハルゼー提督だったら、もっと勇敢な方法でやったろうと、まじめに考えていた。
しかし、その方が、よりよい成果をあげたかどうかとなると、疑わしい。
もし、最初の空母間の戦闘で、双方が同時に攻撃をかけたとしたならば、もっと多くの日本軍の艦を沈没させることはできたろう。
しかし、米軍がうける損害も、また大きかったに違いなかった。
スブルーアンスは、実質的には奇跡にひとしいほどの僅かの犠牲で、日本の航空兵力を一掃し、このような大勝利をおさめたのである。「瑞鶴」「隼鷹」「千歳」「千代田」[瑞鳳」
[竜驤」
は逃したが、日本軍は、この海戦で失なわれた空母パイロットの養成は、とうとうできなかった。
最後の一戦がきたときには、生残った空母はすべて“キバのない虎”となっており、いけにえのオトリとして、日本の伝統的戦略に奉げられたのであった。」
下記、空母の歴史――日米機動部隊の激突を参照ください。
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/aircraft10.htm 「龍驤はマリアナ沖より2年前の第二次ソロモン海戦で喪失」!
771名無し三等兵2021/07/18(日) 14:11:30.04ID:VN0rF6gT
767
>「瑞鶴」「隼鷹」「千歳」「千代田」[瑞鳳」[竜驤」は逃したが
龍驤はマリアナ沖より2年前の第二次ソロモン海戦で喪失
してたんじゃなかったっけ?
引き揚げて修理再就役させたのか二代目を建造投入したんですかね? お願い!
貴殿が、間違いを教えてあげてください!
サンケイ第二次世界大戦ブックス8 空母 日米機動部隊の激突
• 著者ドナルド・マッキンタイヤー著、寺井義守訳
• 出版社サンケイ出版
• 刊行年1971 「ドイツ国防軍空軍は体当たり戦術を使って制空権を取り戻そうと試み」 「ドイツ空軍」「生きて帰って再び出撃するよう教育が徹底していなかった」?
772名無し三等兵2021/07/18(日) 14:19:00.35ID:brUVYTw0
ドイツ空軍
では200機以上落としたスーパーエースでも最後はB24に体当たりして死んだりしていますが
生きて帰って再び出撃するよう教育が徹底していなかった
んでしょうか 「ドイツ国防軍空軍は体当たり戦術を使って制空権を取り戻そうと試み」 「ドイツ[編集]
1944年2月22日、あるメッサーシュミットBf109はアメリカ爆撃機のB-17フライングフォートレスに体当たりした[42]。
1944年5月25日、上級士官候補生のフーベルト・ヘックマンは銃が動作不能になった時に自機Bf109を使ってP-51マスタングに体当たりし、尾翼と後部胴体をアメリカの航空機から切り離した。アメリカ側のジョセフ・H・ベネット大尉は何とか脱出するも捕虜にされ、一方のヘックマンはドイツのボーテンハイム近郊に緊急の胴体着陸を行った。
1944年7月7日、軍曹のヴィリ・レシュケは銃が動作不能になった際、自機Bf109を使ってB-24リベレーターに体当たりした。スロバキアのマラツキ(英語版)近郊で2機の航空機は一緒につながった状態で落下し、墜落の寸前にレシュケは身体の自由を取り戻して脱出することができた。第二次世界大戦の後半、
ドイツ国防軍空軍は体当たり戦術を使って制空権を取り戻そうと試み
た。その計画は、空中戦の流れを変えるべくドイツ軍が大量のジェット戦闘機メッサーシュミット Me262を作るだけの充分な間を稼ぐため、連合軍の爆撃機パイロットに爆撃の実施をためらわせる目的だった。1945年4月4日、ハインリヒ・エールラーはB-24に体当たりして死亡した。1945年4月7日、体当たり攻撃を目的とした志願部隊ゾンダーコマンド・エルベ(エルベ特攻隊)が編成され、ヨーロッパでの戦争が終わる1ヶ月前に出撃した。これが同飛行隊の唯一の出撃となった。1機のBf109Gに体当たりされたB-24が僚機を巻き添えにして、結果2機が撃墜されたなど、一部のパイロットは爆撃機を破壊することに成功したが、連合軍の数が大幅に減少することはなかった。
ツェッペリンラマー(英語版)のように、体当たり技術を使うことを意図した飛行機を開発する計画も存在していた[43]。」
下記、ウィキペディアのエアラミングを参照ください。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0#%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84 >>772
ドイツの場合、日本の震天制空隊同様に、ぶつけると同時に脱出、パラシュート降下して再び戦うのが基本 >>772
その200機撃墜のエースさんちょっと訳ありでね
かなり無理筋な軍事的失陥を自分たちのせいにされた挙げ句本土防空部隊に飛ばされてさ
その時点で精神的に追い詰められ病んでたらしく虚偽の撃墜申告して同僚になじられたりしてる
多分名誉の戦死以外進む道がなかったんじゃないかな >>781
その部隊の話じゃないんですよ…
>>782
ありがとうございます。 >>773-776
>お願い!
>貴殿が、間違いを教えてあげてください!
嫌です
寧ろ誤記箇所を引用して回答した貴殿側に引用者責任があります
回答したこのスレではどこがどのように間違っているのか解説訂正し、引用元へは誤っている旨と内容を伝達する責があります
貴殿のほうも大概です
マリアナ戦の回答に龍驤の2文字を見て「これおかしくね?」とか感じなかったんですかね よくネトウヨの方が、日本の技術力は世界一!F3戦闘機は第6世代でF35以上の性能を誇る
みたいなことを言っているのを耳にするんですが
そもそもMRJなんかは1兆円以上予算注ぎ込んだのに凍結状態で、民間旅客機すらまともに飛ばせない
F2戦闘機も機体は殆どアメリカの技術設計でプラックボックス状態、とても国産戦闘機なんて言えないレベル
日本の航空技術力って、はっきり言って韓国にすら遠く及ばないと思うのですが
何故彼らは世界一と言い張るのですか?実際問題、日本の航空技術力ってどのレベルにあるんでしょうか? >>785
その世界一と言ってる人に聞いてください。 30年位前までは間違いなく世界の一線でしたけど
自由民主党の氷河期皆殺し大作戦で技術継承が途切れて死んだ
50年後には失われた50年、100年後には失われた100年と言っていそうですな 戦国時代の足軽は規則正しい行進って出来たんですか? 米軍のトラックが日本軍戦車と遭遇
トラック積載のM2機関銃弾が日本軍の中戦車の砲塔の回転部分に挟まり機能不全となりその後トラックに負けたという話は本当ですか?
「回転部分に異物が挟まり砲塔が動けなくなる」というのはよくあったことなんでしょうか?ラッキーパンチですかね? >>789
>>5
>・「〜って本当?」のような質問には情報ソースを要求して下さい。ソースが示されればそこから真偽を辿れる可能性が出てきます。
まあその話の真偽はともかく、駆逐艦の12.7cm砲弾とおぼしき命中弾で半ば戦闘不能になった挙げ句、霧島の14インチ砲弾が根元に命中して第3砲塔を旋回不能にされた
米戦艦サウスダコタとかの例もあるし、ラッキーパンチ的なもんで思わぬ損害を受ける例ってのは探せばある。 >マリアナ戦の回答に龍驤の2文字を見て「これおかしくね?」とか感じなかったんですかね
内容を読まずおかしいと感じる感じない以前の段階でコピペを投げ込んでる訳で
そういう認識度合いでは仮に中身を読んでも全く気付かないと思われ
てえか引用元への注進を「お願い!」する程に誤り内容も自覚したのに自分自身の回答は訂正しないんですかね
その文章を選び出して>>767にコピペしたのはドナルド・マッキンタイヤー氏でも寺井義守氏でもなく鈴木俊彦氏ですが >>748
??
えーと、だからなんなのでしょうか? >>788
当時の日本って、行進できるような広場が無かったんじゃないかな 軍のパラシュート降下兵は
着地と同時にわざと転がるのはなぜでしょうか? >>794
着地のときに身体、特に両足にかかる衝撃を逃がすため。
ああいうふうにしないと高確率で足の骨を折る。 >>737
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E7%94%A8%E6%B8%88%E3%81%BF%E6%A0%B8%E7%87%83%E6%96%99
3%濃縮ウラン燃料 1t が燃える前の組成はウラン238が 970kg、ウラン235が 30kg であるが、燃焼後は、ウラン238が 950kg、ウラン235が 10kg、プルトニウム 10kg、生成物 30kg となる
商用原子炉と違って艦艇用の原子炉はコンパクト化のため50%以上と桁違いの高濃縮ウラン燃料(HEU)使ってるからあくまで参考だけど
核分裂反応の過程で発生して炉内に蓄積する生成生成物によって中性子が吸収され、徐々に余剰反応度(核分裂反応の持続性)が低下するので、単純にU235の減少量だけで寿命が決まるわけではない 9月に英空母が日本に来る時横須賀の米海軍基地に寄港するらしいけど、
米海軍は物資補給代とか手間賃ってとるの? >>797
そのへんは米海軍というより国連軍としての寄港になるはずなので、国連軍協定で決まるんでないかと…
(朝鮮戦争の名残で、イギリスその他にも国連軍としての権利がある) 中性子爆弾が世界最強最新の兵器という認識でよろしいか?
土地建造物を一切汚染することが無いという強力なメリット
核戦力に順次置き換わる可能性は? 自走砲には砲塔が全周回可能なものがありますが、
必要なんでしょうか?
というのも、突撃砲や駆逐戦車は、
戦車と異なり生産費用・生産の手間がかかるためあえて砲塔をなくし、
安価で大量生産しと戦記物で読みました。
自走砲が、緊急時に砲塔を回転させる、ましてや真後ろに向けて
射撃することはほぼ想定されないので、
全周回砲塔は無駄な気がするのですが、
なぜ全周回を回転できる自走砲があるのでしょうか? >>799
中性子爆弾は核兵器の一種だし、現状存在する中性子爆弾は使うと(起爆させると土地や建造物その他を放射線と起爆した際に放出される放射性物質で汚染する。
原理的に「中性子しか出さない」中性子爆弾はまだ人類の科学技術力だと理論上でしか完成してない。
そして、理論を超えて実際に完成させたとしても、原理上放射線汚染が起きることは避けられない。
「起爆地の周辺環境を一切汚染することなく生物だけを殺傷できる」兵器としての中性子爆弾というものは現行の物理学に則ってる限り存在し得ない。
なのでどういう意味でも中性子爆弾が核兵器に置き換わることは、現在の延長線上としての未来にはないだろう。 >>800
自走砲の場合、砲塔式にして砲を旋回させられないと車体ごと動かさない限り砲を動かせる範囲が限られる。
当然ながら。
で、それだと距離に応じた非常に狭い扇状の範囲しか狙えない(着弾させられない)。
それでは運用できる範囲に制限が出る。
限定的な使い方しかしない(配置場所を限定して限定された特定の目標しか狙わない)なら多少砲架が左右に可動する程度で得られる射界でいいけど、そうでないとしたら、非常に使いづらい兵器になる。
特に自走砲の中でも機甲部隊に随伴して行動するものは「車体ごと動かさない限り得られる射界が限られる」となると極めて限定的な運用しかできない。
なので砲塔が全周旋回できる必要がある。
もっとも、「砲塔式だけど全周旋回はできない」「全周旋回は一応できるけど、方位によっては撃てる弾や取れる射程に制限がある」とかいうのも結構当たり前のようにあったりはするけど・・・。 >>800
追伸:
>緊急時に砲塔を回転させる、ましてや真後ろに向けて射撃することはほぼ想定されないので
前者はそれを想定しなければ砲塔式の自走砲以前に露天式の牽引砲としても使えないよ。
実際そんなことをどれだけやる機会があるのか、という問題はあるけど(でも実際に結構あった)、緊急時に左右旋回できないと、近距離に迫ってきた目標に直接照準で直射することが難しくなる。
そういうときにまさか左右の照準調節のために砲全体を砲員総出で押して動かすわけにはいかないんだから。
(でもそれをやった例は結構ある・・・)
砲塔式の自走砲で真後ろが撃てない(砲が真後ろに向かない)、となると、「高速で撤収しながら追撃してくる相手を撃つ」ってことができなくなる。
これまた「実際にそんな事することってあるんか?」っていうのはあるけど、追撃されてる状況で低速で後進しながら射撃を続けるわけにはいかないからね。
(撃てるだけ撃ったら車両ごと捨てる、殿として追いつかれて撃破されるまで戦い続ける、ってんなら別だけど) 戦場で負傷すると国に帰れるそうですが負傷の程度は問われないのでしょうか
また自傷行為はどうやって見分けるんですか? >>800
>>生産費用・生産の手間がかかるためあえて砲塔をなくし
違う、それは結果的なもので、車体サイズ的に旋回砲塔だと載せられないような一クラス上の砲を載せるため、車体に直接載せた
IV号突撃砲は戦車型と同クラスの砲を載せているが、これはIII突の代わりに作られたもので例外 >>806
場合によっては戦線後方の占領地での入院かもしれないし、本国に帰れるとは限らない
体内に残っていた銃弾が敵ではなく味方が使ってる口径でバレるとか >>807
3突初期型の75mm短砲身は後に3号戦車でも旋回砲塔で搭載できてるだろ >>809
それは突撃砲開発時の要求で、背の低さが求められていたから
あとその当時のIII号戦車の搭載砲は3.7cm砲 >>810
1940年のドイツ軍は3号戦車に75mm砲を回転砲塔で載せる技術力が無かったけど
1942年になると75mm砲を載せる技術を手に入れたの?
それはどういう技術? やりとりを読んでいてふと気になったのですが
V突初期型のV号の車体を使っておいて7.5cm短砲身砲という構成はかなり軽武装というか
武装に対して車体の大きさがあまりに大袈裟に感じますけど
V号戦車のように将来的な主砲換装を想定して余裕のある車体を選んだのでしょうか?
将来的な長砲身化や大口径砲への換装を考慮せず7.5cm短砲身で満足するのであれば
V号より若干小さいU号戦車の車体を突撃砲化しても十分入ったと思います >>812
ヘッツァーを見ればわかるように、入っても狭いだの弾薬があまり積めないだのって弊害が出るんで、できればそれなりに余裕は持たせたいところ。 >>811
1940年当時の3号戦車は極初期型でエンジン馬力が小さい。
1942年当時になるとエンジン馬力が増加してるしサスペンションも能力が向上してるから搭載可能な主砲の限界も向上してる。
砲塔も基本的な形は同じだけどより大きな砲が積めるように形が若干変更されてる。
ドイツ軍の考え方として3号は「対戦車戦闘戦車」なので、口径でかくて榴弾威力はあっても低初速短射程で対戦車用途に向かない7.5cm24口径砲を積む気はなかった。
N型は「もう3号で正面切った対戦車戦闘なんか無理」と判断されてるので、「歩兵支援戦車」として「砲塔のある3号突撃砲」というコンセプトで作られた。
同時期の3号突撃砲はよりデカくて重い48口径7.5cm砲積んでるわけで、「砲塔があると一段小さい砲しか積めない」のは変わらない。 当時の7.5cm砲って短砲身でも車載砲としてはかなりでかいぞ
そして何をさせるつもりだったのかと言えば歩兵に随伴してその場で支援する車輛なので、
あまりでかい砲積みすぎるとあのスタイルでは収まらず車高が高くなったり狭い中で四苦八苦しての操作で満足に戦えないし、
小さすぎる車輛に7.5cm積むと同様の問題にぶち当たる >>812
2号戦車を突撃砲化することは当初は検討されたけど
*戦闘室に余裕がない
*戦闘室に横方向の余裕が取れないのでその分縦に広くすることになる。しかしそうなると要求にある「低車高」が達成できない
*2号のエンジンでは要求される機動性が確保できない
といった理由で検討初期に放棄されてる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています