陸軍将校だった祖父は堺の機甲科学校でトラックの整備から運転まで全て教えていた
トラックはシボレー

だから170cmはないとペダルに脚が届かないから
不合格だったとか

戦争の話はごまかしたりとぼけたりであまりしてくれなかったが遺品からは機甲科学校を出て配属された人たちからのお礼のハガキが束になってできてた

母が全部捨ててしまったけどね
「なんやこれ○○殿宛てでお礼ばっかり書いて置き場所あらへん」って捨てた

女ちゅうのはそういう男の人情、仁義が欠落した生き物な
親とはいえ今でもむかつく

あと戦闘日記やら陸軍少尉任官状やら従軍記章やらかたっぱしから放ってもうた
軍ではないが 従七位の免状も放りよった

もう死んだから恨む気持ちはないが「アホや」とは今でも思う