>>699
答えを言うと航空基地なんぞ問題では無くて問題は海軍基地であって、フィリピンへの米海軍配置させる事を不可能にしたからワシントン海軍軍縮会議の基地条項は日本の外交的勝利だとされているんだ

当時、フィリピンの米陸海軍は防衛作戦で対立をしていて陸軍はマニラ湾を守るバターン半島に要塞を作り、海軍は隣のスービック湾に海軍基地を作っていた。これだと陸から攻められたら海軍基地が無くなるので政治解決が求められていたのだが、ワシントン会議で突然要塞・海軍基地建設が禁止となった事から裸の海軍基地と海軍基地を守らない要塞だけが残った
日露戦で言うと旅順港では無く大連に要塞があった様な状況だ
だから米太平洋艦隊はバルチック艦隊と同じく海軍基地なしで日本艦隊と戦う必要が生じた これは殆ど必敗の形で日本海海戦での戦艦比率から考えても米艦隊に勝ち目は無いと考えられた
戦間期にこれらの問題についてずっと米海軍は計画を練っていたから真珠湾攻撃後直ちに浮きドックや強襲揚陸母艦の発注をかけて44年の反抗作戦に間に合わせた
同様に航空兵力の西太平洋への展開作戦は1929年経過から取り込んでいる