>>713
現実として当時の半マイル長の滑走路が何を意味するかといえば大型爆撃機を持ってこようとしてんだよ
逆にそうやって太平洋方面で陸軍航空隊の顔がデカくなってたからミッチェルを討ち取る必要があったんだ
爆撃機隊で艦隊を撃破云々が本土にとどまらず、と言うかむしろそのためのインフラがフィリピンに出来上がってる
これはマジな話でマニラ周辺の基地群は1920年初頭に、10年以上の計画、建設を経て完成してる
1929年から推進どころの話じゃない
当然、バターンなんかどうでもいいくらいカビテの防御に有力だ
しかも、当時すでに浮きドックをもつアメリカとしてはマニラ湾でも十分価値があるんだ
対する日本は南洋でバトルしたら浮きドック並みの施設を求めてどこまで退避するのか
そういうところまで含めて日本の気が回ってなかったのに付け込まれてる
日本としては航空基地群で遅れてる分、空母は対等にさせろとか大きな浮きドックの設置を保障させるとか、そういう発想がもう1922年には必要だった
陸奥がどうこうとか海軍同士で話がつく時代じゃないんだもはや
日露戦争の2年後には対日の比島の航空基地化を指導して、その4年後に最初の基地ができてる
大型艦を修理できる浮きドックが建造されたのもその頃だ
それが形になって現れた1920年頃、技術的奇襲どころか日本はその意義すら理解できず、気づいた時にはヤバいことになってたんだよ