南雲忠一中将を再評価するスレ(三)
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前スレ [41代]南雲忠一中将を再評価するスレ(女) https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1626575493/ (>>132 〜 ミッドウェー情勢判断の章、>>476 〜 雲上飛行再考の章、 >>743 〜 シマード大佐の作戦指導考察の章) 過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし admiralnagumo@ウィキ http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo 「作戦計画第29−42号」「ミッドウェー島航空兵力全力をもって日本空母を攻撃せよ」 の2つの命令が出ているわけですよね。2つの命令に背反する部分があるのならどちらにより重きを置くか 判断しないといけないでしょう。 前者はは5月27日発令と時期も明らかで内容も明確ですね。 後者は「ニミッツ海軍大将は、シマード海軍大佐に対して、同環礁(ミッドウエー島) の防備は、対空砲火に一任することにして、 ”敵の航空母艦群に対して、全力を挙げて攻撃せよ”」 とりあえずこの2行しか明示されておらずどのような状況、想定で出された命令か分かりませんよね。 前者の命令(島の維持)に重きを置いたとしてこれだけの情報しかないにもかかわらず 命令違反は明らかだとは言えませんよ。 >>262 のリンクはアメリカ海兵隊本部G-3課歴史支部が書いたものです (ニミッツの命令は)実行中=実行に移されたわけですよね 海兵隊本部は戦闘機が随伴してないにもかかわらず命令は「実行された」と言っているのですよ >>270 迎撃に上がった戦闘機のうちF4F×7機は5/26に派遣されてきたばかりだから訓練する時間などほぼないのでは。残りはF2Aだし >>273 そうだ! ルーデル閣下の操るスツーカなんか、ソ連戦闘機をバッタバッタと斬り落とすぞ!! 海軍さんは必勝の信念が足らんようですな! >>274 いえいえ、「作戦計画第29−42号」に基づいて、ニミッツ長官がシマード大佐に 出した命令が>>152 です。 両者は矛盾するものではありませんよ。 >とりあえずこの2行しか明示されておらずどのような状況、想定で出された命令か分かりませんよね。 その通りです→>>230 の通り。 モリソン戦史を根拠に主張しています。 それに反論するなら、モリソン博士の記述を否定する根拠を挙げてくださいな。 貴官の主張は、これまでのところ解釈論に終始しているので、 もっと直接的な出典があればさっさと決着が着くのでは。 >>277 の続き 本職の主張はこれだけですよ。 「シマード大佐は命令違反をしているので、その点は批判されるべき」 南雲長官の兵装転換が批判される理屈に従うのならば。 その結果、シマード大佐が米海軍内でどのような評価をされているかは別問題 人物評価は、あらゆる面から総合的に行われるべきもので、 命令違反の一点だけで、シマード大佐の全評価が定まると考えるのは不自然ですね。 南雲長官の場合は、そうではないですけれどw 米海軍内で高く評価されているというのなら、そういうことなのでしょう。 >>275 そうですね。ただ、 「だから護衛を付けなかった」というのには、反対します。 防空戦闘機隊の目的は、敵爆撃機や雷撃機を撃墜することが第一目標ではありません。 彼らの照準を狂わせて爆弾や魚雷が外れれば、目的は達成されたとみなせるのです。 例えば陸攻や艦攻の水平爆撃では、どんなに対空砲火が激しくても、敵戦闘機に喰いつかれても、 編隊を崩してはならないと聞きます。 それは等速直線運動を続けないと、照準が狂ってしまうからです。 その点において、敵攻撃隊に戦闘機の護衛が付いていれば、 防空側は攻撃をためらいますよね。初対戦で敵の練度なんて分かりませんし、 そのわずかな猶予が、爆撃機や雷撃機にとっては重要なのですよ。 たぶんね。 >>254 の続き 戦前はテレビがなかったので、ニュースはラジオで聴くものでした。 そして映像ニュースは映画館で観るものだった。 それが週刊「日本ニュース」です。 日本ニュース 第34号(昭和16年1月28日) 米空母ホーネット進水式 https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300419_00000& ;seg_number=006 >>280 の続き 進水式ではお馴染みの、シャンパンを艦首に叩きつける場面がありますね。 このように米海軍にどんな空母があるのか、一般国民でも承知していたので、 海軍首脳部は「米空母は残り何隻か」を念頭に戦いを進めていたでしょう。 >>281 の続き 米空母9隻のうち、 ラングレーは旧式で、すでに航空機輸送艦となっており、 昭和17年2月に陸攻隊により沈められています。 レンジャーとワスプは大西洋艦隊に所属 なので、焦点はレキシントン級2隻とヨークタウン級3隻の 計5隻の動静ということになります。 >>282 一応考察っぽい体裁を取っていますが「南雲愚将」の結論ありきで書かれた単なる悪口ですねえ 個人の見解ですからお好きにどうぞという感想しかありませんでした Admiral Nimitz's orders for Captain Simard to "go all out for the carriers, " while Marine antiaircraft batteries worried about Midwayと「ニミッツ海軍大将は、シマード海軍大佐に対して、同環礁(ミッドウエー島) の防備は、対空砲火に一任することにして、 ”敵の航空母艦群に対して、全力を挙げて攻撃せよ” は同じ内容なんだと思いますよ。 でも、go all outのallにはカタリナは含まれてないでしょうから、全航空兵力を日本空母攻撃に出せとの命令ではないですね。 ニミッツ提督の命令の全文を見ないとシマード大佐が命令違反したか判断できないです。 >>283 愚将十傑の「その10」だからラスボス的扱いですな 南雲長官カコイイ! >>284 まぁ、評価は人それぞれでいいかと思いますが、 この人は「優柔不断」の意味を辞書で引いた方がいいですね。 決断すべきときに決断できないのが優柔不断であって、 南雲長官はちゃんと決断しています。 なんなら、この人が名将と崇拝している多聞丸をこきおろしてやりましょうか(ニヤニヤ) >>286 同意です。 >ニミッツ提督の命令の全文を見ないとシマード大佐が命令違反したか判断できないです。 本職がここまで”命令違反”にこだわるのは、 「対空砲火に一任することにして」 この一文が入っているからで、 ただ「全力で攻撃せよ」だけなら、解釈はそれぞれで良いと思っています。 モリソン博士がこの一文を入れるからには、ニミッツの命令文の中に その根拠となる文言が入っていたのではと考えますが、宿題ですね。 >>282 の続き レキシントン級については、総隊長の考察にある通り、 >先遣部隊の潜水艦がハワイの西方海面でレキシントンを撃沈したと >言ってきたのは今年(昭和17年)の1月11日だったか。>>223 昭和17年の年明けすぐに伊6潜によって、サラトガに魚雷を命中させています。 まず、この前にある騒動がありました。 それは米空母部隊の発見です。 >>290 の続き 戦史叢書(38)中部太平洋方面海軍作戦(1) http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=038 174頁 「昭和17年の元旦、先遣部隊のハワイ周辺哨戒監視の任にあった 第二潜水戦隊第七潜水隊所属の伊三潜(艦長殿塚謹三中佐)から 1630時、ハワイ諸島オアフ島の230度(南西)100浬に、 敵航空母艦1隻、巡洋艦2隻、針路270度(西進)の発見報告があった」 >>291 の続き 前月の12月8日に南雲機動部隊がハワイ奇襲を成功させ、 帰途、二航戦がウェーク島攻略を支援し、年末には内地に帰投している。 米空母のヒットエンアウェイ作戦が始まるのが昭和17年2月からなので、 まだ目立った活動はしておらず、ハワイ周辺の哨戒をしていた頃。 真珠湾攻撃の後も、日本潜水艦部隊はオアフ島周辺にとどまり、 監視任務を継続しており、そのうちの1隻が見つけたわけですね。 >>292 の続き 日本側にとっては”討ち漏らした”米空母について、待望の情報で、 「陛下からの御下問もあり、大本営、聯合艦隊司令部とも多大の 関心を示した」 とある通り、注目の的でありました。 >>289 話の腰を折って申し訳ないのですが、長官がこだわられてる「対空砲火に一任することにして」は本来のニミッツ提督の発言を日本語訳にする時にニュアンスが変わってるんではないでしょうか? >>286 で引用した英文の""の中はニミッツ提督の発言の引用だと思います。ここで読み取れるのは「海兵隊の対空火器が機能している間に敵空母を全力で攻撃しろ」という命令ですが、「対空砲火に一任することにして」とは言ってません。 推測で申し訳ありませんがニミッツ提督の命令の対象は爆撃機の運用で、「対空火器が機能している間は爆撃機は全力で敵を攻撃し、防空体制が弱くなったらSBDなどもミッドウェーの防空に回れ。」と言っている可能性もあります。 ですから、ニミッツ提督の発言の抜粋ではなくて全文を確認しないでシマード大佐を命令違反で詰るのは行き過ぎだと思います。 >>294 ええ、ですからこれまで繰り返している通りですね。 貴官の主張は推測に推測を重ねているだけなので、ひとつの意見としてうかがっておきます。 >>293 の続き これほどの関心を示したのは、なぜかというと、 「この部隊の動きに対する聯合艦隊司令部および現地部隊司令部の 判断は、本土空襲の算は少ないと感じながらも、その可能性ありと 判断して警戒していた」 >>296 の続き つまり、”西進”している米空母部隊の目標は、 マーシャル諸島など日本軍拠点の奇襲でもなく、 ウェーク島やグアムなどの奪還作戦でもなく、 日本本土、とくに東京空襲ではないかと警戒していたのです。 後世の我々からすると、比島以外の太平洋の拠点を失った米海軍が 日本の勢力圏内の懐深くまで入り込んで、空母で帝都空襲を狙うなんて あり得ないと思ってしまいますが、 >>297 の続き 「そのとき念頭にあったことは、断じて東京空襲をさせまいという ことであった」 相当に神経質であったことがうかがえます。 明日は忘年会のためお休みです。 まだおおっぴらには出来ない雰囲気なので、 こっそりチーム内だけで企画しました。 コロナが始まって2年が経ち、会議はすべてTeamsになってしまったので、 毎週声は聞いてるんだけど、1年以上会ってないという状態が続いています。 次に顔を合わせたときに覚えているかなぁ・・・ それではノシ >>298 の続き 幸か不幸か、米空母による本土空襲は、この時には起きなかった。 さらにwikiによると、 1月9日になって、伊18潜がオアフ島の西方550浬で、 空母レキシントンを旗艦とする第11任務部隊を発見。 その捜索に向かっていた伊6潜が空母サラトガを発見、 3本の魚雷を発射、命中音を確認し、撃沈と報告した。 >>300 の続き 直前に伊18潜が報告したのがレキシントンであったため、 伊6潜が”沈めた”米空母もレキシントンだと判断されましたが、 実際はサラトガでした。 サラトガは自力で真珠湾までたどり着いたものの、本格的な修理のために 西海岸まで戻り、半年足らずの間、戦線を離れることになります。 >>301 の続き 通常、潜水艦は魚雷発射後に敵駆逐艦の爆雷攻撃を避けるために 急速潜航するので、戦果を直接確認することはできません。 このときも、伊6潜水艦長の稲葉通宗中佐は2回の爆発音と、 それに続く断続的な船体破壊音を確認したため、撃沈と判定した。 たとえ沈められなくとも、長期間戦線離脱を強いたという確信は 得られたので、米空母は5−1=4、残り4隻ですね。 >>302 の続き この間のGFの反応について、 ミッドウェー海戦の公刊戦史(>>21 )の中に 宇垣参謀長の戦藻録、 三和参謀の三和日誌 の要約があります。 >>303 の続き 31頁 「(昭和17年)1月1日 ハワイ西方海面で西航する米空母部隊を潜水艦が発見、 ハワイ方面及びマーシャルに在る潜水艦に集中下令。 マーシャル、ウェーキ、本土警戒処置をとる」 これが>>291 の伊3潜が発見した米空母のことです。 年明けなのに、のんびりもしておれず、警戒態勢発令。 本土空襲も含まれていたことが分かりますね。 「1月2日 敵空母の情報なし、逸したか 1月4日 6日ごろウェーキ来週の可能性あり」 ハワイからウェーク島までざっと2千浬なので、 15ノットで5日余り。 1月1日に真珠湾を出撃したとしたら、6日にウェーク島来襲 というのは妥当な計算ですね。 ミッドウェーの話題ばかりだが、南雲が関係したセイロン沖海戦やサイパン島防衛戦は気にならないのか? >>304 の続き 続いて、 「1月6日、 米国ラジオは、5日ハワイ付近で空母が日本潜水艦の攻撃を 受けたと報ず。 米空母部隊ハワイ帰投と判断」 これは日本側の記録には無いようなので、 アメリカ側の誤報(誤認)と思われます。 >>306 の続き なにしろ真珠湾攻撃直後は、米海軍は極度に神経質になっており、 見張の敵潜発見報告が相次いでいたようです。 「鋭いが経験の乏しい見張員は、不安な気持ちから錯覚で潜望鏡や 魚雷を見つけたと思った。 ずっと前に船員がうっかりと舷側越しに落した甲板掃除用のモップの 枝が垂直に立ったまま漂流し、そのため機動部隊が高速で変針して 何千リットルもの燃料を空費し、1万人の乗員が戦闘配置に走った」 (『空母エンタープライズ』上巻 スタッフォード/著)p44 >>307 の続き ハルゼー中将も、あまりの誤報多発に、 「我々は中立である魚に爆雷を浪費し過ぎだ」 と嘆いたと言われています。 全くw 公刊戦史にある米国のラジオ放送も、この一環でしょう。 モップの枝を誤認して、爆雷をばらまいて、「敵潜撃沈」と報告すれば、 それが大本営発表として公表されるわけですからね。 昭和8年3月、軍令部長から海軍大臣宛てに「軍令部令及び省部事務互渉規定改正」の商議が廻ってきた。 内容の重大さを読み取った、軍令部第一課長・井上成美大佐が、軍令部との折衝役を買って出た。 押しかけてくる使者は毎日変わらない。「米沢の海軍」のひとりである軍令部第二課長・南雲忠一大佐だった。 南雲忠一大佐は海軍兵学校36期、井上大佐の1期先輩である。艦隊経験が長く、実戦派であった。 容易に井上大佐の信念が曲げられないと知った南雲大佐は、遂に「おいっ、井上!貴様みたいな、物分りの悪い奴は殺してやるっ!」と詰め寄った。 井上は「南雲!よく聞け、おれを殺したとしても、おれの精神は曲げられないぞ」と浴びせかけた。 ある日、軍令部長・伏見宮邸で恒例の園遊会が開催された。 場所柄もあり、とりあわずに立ち去ろうとする井上大佐に「井上の馬鹿!貴様なんか殺すのは何でもないんだぞ。短刀で脇腹をざくっとやれば、貴様なんかそれっきりだ」そこには南雲大佐の激しい殺気が感じられた。 https://blog.goo.ne.jp/oceandou/e/4f19e006ff0f3e635448375ba03b1ee0 昭和7年5月15日午後5時25分、海軍士官6名、陸軍士官学校生徒11名、農民同志らによる集団テロが決行された。 5.15事件を起した海軍青年士官に同情の立場をとっていた側に軍令部第二部長・南雲忠一大佐がいた。 南雲大佐は「五・一五事件の解決策」という一文を草し、強力なる海軍を実現して国を救おうと決起した青年士官らの行動を高く評価した。 昭和7年当時の軍令部長は伏見宮博恭王であった。この宮の威光を利用して、一気に事を運ぼうとする動きが活発になっていた。 その中心人物が軍令部次長の高橋三吉中将であり、軍令部第二課長・南雲忠一大佐であった。 陸奥での真珠湾攻撃図上演習の後、山口少将は、長官室にいる南雲中将のところに押しかけた。 「二航戦の飛行機を、五航戦に移すだって!」。かねて憂いていたことが、表面化したので、熱血漢の山口多聞は興奮し、逆上に近い状態になった。 山口少将は、いきなり、南雲中将の胸部を両掌でつかむと言った。「南雲、貴様、この二航戦をおいてけぼりにしようというのか」。興奮すると山口少将は上官も部下もなかった。 山本長官は後に、やはり真珠湾は第二撃を、行い徹底的に叩いておくべきだったと反省している。 連合艦隊司令部は第二撃下令を強行しなかった代わりに、真珠湾攻撃を終えて引き上げ中の機動部隊に、帰路、ミッドウェイ攻撃を行うよう指令した。 12月10日朝、この命令を受け取った赤城では、南雲長官よりも、草鹿参謀長がふんがいした。 「決死の大作戦を終わって、やっと帰途についたのに、こんな小さな島をついでにやって来いとは何たる言い草だ。機動部隊を小僧の使い走り使いのように考えてもらっては困る」と言った。 南雲長官も苦笑して「奇襲のけたぐりで、やっと横綱を倒したんだ。そしたら、帰りに、大根やねぎを買ってこいと言うのかね」と言った。 機動部隊は結局、天候不良を理由として、ミッドウェイ攻撃をやらなかった。 >>313 一撃してサッサと帰ってこいと命令書に書いておきながらこの言いぐさw >>309-311 若かりし頃の南雲長官については、初期のスレでやりましたけど、 ずいぶんと血の気が多かったようですねぇ >>312 結局、航続力不足の二航戦はドラム缶などに重油を詰めて、 通路などに並べることによって、なんとかハワイへ行けることになった。 指定の場所以外に可燃物を保管することは海軍の規定違反で 処罰の対象になるのですが、そこは南雲長官が掛け合って黙認をとりつけた。 もし途中で火災などを起こしたら責任問題になるのですが、 南雲長官の裁量で引き受けたわけですね。 多聞丸も感謝していたことでしょう。 >>313 まぁ、真珠湾で第二撃やれと主張する連中は後知恵以外の何ものでもない。 >>314 ですよねー ハルゼーのエンタープライズがハワイ近海まで戻ってきているのに、 敵空母は周囲に居ないと慢心して、基地を再攻撃するなんて、 空母戦術をまるで分かってない素人の発想でしょう! わらわら 南雲司令は作戦命令どおり戦果をあげて空母を無傷で持ち帰ったから山本長官から褒められると思っていたのに勝って兜の緒を締めろと言われて不満だったって聞く。 真珠湾攻撃成功で再攻撃を求める参謀たちに山本長官は南雲ならやらないだろと言ってたというが後からそんな対応するなら損害を省み図再攻撃しろと命令するべきだったよね。 >>308 の続き 続きです。 「1月7日 5日、潜水艦搭載機真珠湾偵察、港内に空母あり、帰港確実 第五艦隊も一部出撃下令、相当ひびくところ大 しかし警戒しないのはよくない」 この潜水艦とは、伊19潜のことで、 ソロモンで空母ワスプ、戦艦ノースカロライナ、駆逐艦オブライエンを 一挙に撃沈破した、あの伊19潜です。 >>320 の続き ただし当時の潜水艦長は木梨鷹一少佐ではなく、 前任の楢原省吾中佐。 伊19潜は乙型の3番艦で、小型水偵1機を搭載、カタパルトから 射出することが出来たので、それで真珠湾偵察を行った。 wikiによると、 「空母1隻、巡洋艦9隻、小型艦6隻の在泊」を報告したとのこと。 >>321 の続き 5日の推測(>>306 )通り、米空母部隊は真珠湾に帰投したと 判断したわけです。 それにしても、こんな”簡単に”真珠湾の状況が分かるのなら、 どうしてミッドウェーの時に実施しなかったんだろう、 という話ですよね。 >>319 そんな「損害を省みず」なんて、貧乏帝国海軍に許されるはずもない。 1隻も失わず太平洋艦隊壊滅させて来いという無茶振り作戦計画で、 しかも達成しちゃったんだから、南雲長官はネ申 半年後には空母4隻と艦載機全部損失するのだから、損失を恐れて真珠湾攻撃を一撃でやめてしまった南雲は愚か 真珠湾の米軍基地を徹底的に破壊するべきだった。 ミッドウェー作戦を知らされていたのなら、第5航空戦隊を第4艦隊に貸し出して珊瑚海海戦に参加させるべきではなかった。 第4艦隊指令長官井上成美中将は宿敵南雲に第5航空戦隊をボロボロにして返した 1944年(昭和19年)3月4日、日本海軍は中部太平洋方面艦隊(司令長官南雲忠一中将)を新編し、サイパン島に司令部を置いた。この時に第四艦隊はその隷下に入った。中部太平洋方面艦隊の隷下部隊のうち第十四航空艦隊は稼動機がなく、実質的に第四艦隊が戦力のすべてであった。サイパンの戦いで中部太平洋方面艦隊司令部は全滅し、遠隔地に取り残された第四艦隊は本土との補給がほぼ完全に止まり、終戦まで各部隊が自活を余儀なくされた。トラック環礁などを航空偵察拠点として細々と使用するだけの状態であった。 >>321 太平洋艦隊はこの偵察飛行に気づいているのだろうか? >>324 昭和16年9月の海大図演では、2日間にわたって「徹底的に破壊」 しようとした結果、基地の反撃を受けて空母部隊全滅判定でしたけど? >>327 気になるところですね。 たぶん偵察は薄暮から夜間にかけてでしょうが、 真珠湾は厳重に警戒されていただろうし、レーダーが探知するはずですからね。 >>322 の続き それは”簡単に”いかなくなったからで、 この時の真珠湾偵察時も、 ・潜水艦から水偵を発進させるときに米哨戒艇に発見された。 ・7日にPBY2機に発見され二回攻撃を受けた。 ・8日もPBYに発見されて攻撃を受けた。 このように、ハワイ近海の対戦哨戒は厳重になり、 近寄ることさえできなくなってしまった。 南雲中将は一航艦(基地航空隊)の司令官が適任だったのにな 中部太平洋で南雲中将と原中将を組ませたのに飛行機の殆どを一航艦に出させてしまった 車懸かり戦術提唱の山口少将は既に戦死 空母の集中運用と機動空襲の経験ある将軍に任せるチャンスはこれで消滅 理論派だと空母十数隻による進攻攻撃を理論化してた大西中将(実質、山口少将からの継承) だが彼に任せる頃には手遅れで特攻一択 もし佐藤賢了青年が希望通り海軍人になってたら基地航空隊を率いて勝てたかも ガダルカナルからはさっさと引け、カロリンやマリアナは基地が分散するから敵空母部隊に勝てず、フィリピンの線まで下がるべしと主張 陸軍ではなく海軍にいたら名将になれた惜しい人材 角田中将、小澤中将は空母部隊の力を過小評価してて航空戦に向いてなかった ミッドウェー海戦は連合艦隊の雷装待機を守ると基地の破壊と索敵が不備になるのは避けられない 之を無視して「君命といえど聞かず、もし負けたら死刑か切腹だ」 上が支離滅裂だと下も本来やっちゃいけないことをやらないと勝てないわけであり 航空攻撃についてまるで無知な軍人が連合艦隊司令長官として素人考えを押し付けてくる 「大艦の撃沈だけが航空じゃないぞ砲術バカ」と言ってやれるか、命令無視して勝つかの二択 せめて黒島あたりには昔の調子で吊し上げる勢いがあれば南雲長官は勝てたかもしれない 連合艦隊の横槍は酷くなっていった 第二次ソロモン沖海戦もガ島空襲に期限を切られたら進退随意が強みの機動部隊の威力はなくなって勝てなくなった 基地攻撃と索敵、雷撃を同時にやれるほど艦攻がないのに無理というのが軍艦攻撃しか知らない山本にはわからない 南太平洋海戦までには航空隊が消耗しててうまく戦えない 南雲中将に必要だったのは抗命と、抗命して勝っちゃった後に軍紀が荒れない算段だった ミッドウェーでいかに勝つかは、どうやったら連合艦隊の命令を無視しつつ、それで完勝しちゃった場合に専断が横行しない方策が立てられるかだと思う 山本に従うと負ける、さりとて抗命で手堅く勝ったら勝ったで艦隊が関東軍みたいになっちゃ困る 全軍がグッと来て軽挙妄動を戒め、規律を引き続き敬うような辞世まで用意しないと勝ちに行けない 東條幕府の「三奸四愚」 三奸:鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、 四愚:木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄 四愚の一人である佐藤賢了などに期待するのは間違い 南雲らの艦隊派が大角人事で条約派を粛清したのが人材不足の原因 佐藤賢了は経済のことはからきしダメだけど、航空作戦については全く正しい 政治経済に口出しすぎの陸軍中央ではなくて純粋に航空戦や軍隊の進退とか軍事に携わってたら狂犬扱いでは終わらなかった 海軍が色盲を理由に不採用としたのが後々まで祟ってる 佐藤賢了こそ航空隊一筋で育て、中央に持ってくるにも作戦屋だけやらせなきゃな というか軍人が統制経済をゴリ押しする異常な組織じたいが愚であり奸だから、良い魚が育つ水じゃない 不幸なことに 基地航空隊は大兵力が相互支援しないと空母部隊に負ける それゆえに地理的な特性を超えて勝利は得られない この原則は80年近く経ついまでもわかってる軍事評論家がほとんどいない 基地航空隊と空母のどちらが強いかは、基地の規模と密度、空母の数、相互作用で決まる これが海軍航空の部外者でありながら把握できてた佐藤賢了は海軍の司令官として適任だった アカの真似事の統制経済は最悪だったけどな ともあれ帝国海軍で航空はごく一握りの優秀な人材に支えられ、他は酷かった そこで空母部隊を率いなきゃいけなかったというのは決定的だよ 海軍が航空に詳しかったら、まずワシントン条約やロンドン条約で人材を失うこともない 飛行機の部隊は戦闘要員も地上要員も大尉や中佐がウジャウジャしてる 制空権の有無で海戦が決まり、主力艦の比率は問題ではない、と見抜けていたら 6割海軍でも世間の期待を集めつつ、指揮官や技術将校として士官のポストも増やせた 石油の専門家も海軍内部に抱え込めたんだな 逆にそういう見識を一切持たずにむざむざと人材まで軍縮してしまった後、海軍航空をやってくのは並大抵の苦労じゃない 大艦巨砲主義者が蔓延っててオレらの努力が水泡に、という航空隊や空技廠中堅幹部の愚痴は本音なんだろうと思うよ 航空隊を大きく育てた山本五十六が主力艦撃沈ばかり言って、その前提になる偵察や航空撃滅戦の苦労を知らない、あの調子なんだもの 山本大将が候補生?の「つぶさに敵情を偵察して・・・」の考えに対して 索敵の重要性を否定する発言をして候補生戒めたと阿川大尉の著書に あったのを思い出した。 >>333 南雲長官クラスの艦隊運用ができる海上指揮官はそうそういないかと >もし佐藤賢了青年が希望通り海軍人になってたら 海兵に落ちた? >>334 ちょっと違うかと >航空攻撃についてまるで無知な軍人が 山本長官が航空に先見の明があったことは間違いないので。 雷装待機の問題は戦術上の是非ではなく、 上級司令部が不必要に前線に介入したことですね。 例えば、レイテにおける「全世界は知らんと欲す」は有名ですけど、 あれはニミッツがハルゼー第三艦隊の現在位置を知らなかったのではなく、 「司令長官が前線指揮に介入すべきではない」という思想から、 ”比島沖に戻れ”といった直接的な命令を避けて、 あくまでも決断はハルゼーに委ねる形にしたかったので、 ”今どこにいるの?”的な電文になったようです。 >>335 そうですね。南太平洋海戦でもGFからの指示を律儀に守って、 反転反転で北に行ったり、南に行ったり・・・”ブルズラン”ではなく”南雲走り” >>336-337 これは>>333 に対するレスかな まぁ、「軍人は政治にかかわらず」ですね。 年末にNHKで山本五十六のドラマをやるみたいで、 先日も特集番組がありましたが、 「山本は職を賭する覚悟で開戦を止めるべきだった」とのありがたいお言葉でした。 普段、軍人は政治にかかわるなって言ってるのはお前らじゃないんかい >338 なるほど 戦力の集中という意味では基地航空隊は不利ですよね。 >>339 条約時代にそこまで分かっていた人がいるのかな >制空権の有無で海戦が決まり、主力艦の比率は問題ではない >>340 大将ってことはGF長官になってからの話ですか。 それは意外 >>346 もともとが軍偵察機と砲兵の観測機が軍用機の始まり そして彼らの活動を妨害するのが航空戦の始まりなので 日本は欧州で泥沼の戦争を経験しなかった代わりに、制空権の意義を一から学ぶ機会を失った というところなのかもしれない あと、ロシアが荒廃してホッとしてたから、将校が減ることに危機感がなかったとか アメリカは軍人を減らすふりして民間機と船舶、ROTCで隠れ航空軍拡、海軍軍拡 対するお人好しの日本は素直に軍縮 清国とロシア帝国が滅び、晴れて「戦後」の平和国家になったつもりでいたら、勃興した近隣国に追い詰められて、慌てて軍国主義になろうとしたら間に合わなかった、とでも総括できようかと思われますな 平和ボケ、というのも、航空の知識と別に本気で将校のポストを確保しようとしたら航空隊に目が行く 航空隊はテクノクラートと中間指揮官を獲得する最良の名目だと ポスト獲得亡者になりがちなエリート官僚たる陸海軍人がこれを見逃したからには、心の緩みがあったと言わざるを得ない 制空権の意義云々は、海軍が危機感を持ち人員整理に本気で抵抗する気概が有れば、議会対策で水兵から大将まで深達した、ハズ すみません、昨日は寝落ちしてしまいました。 あと月曜出勤すれば年末休みだ!がんばります。 >>332 の続き もともと潜水艦搭載の水偵を使っての偵察は 制約の多い作戦でした。 『世界の傑作機(47)日本海軍水上偵察機』によると、 零式小型水偵は、自重1072kgで三座水偵の半分 発動機天風はわずか340馬力、巡航速度80ノットで三座水偵の三分の二 航続距離も530浬しかありません(三座水偵は1800浬) >>350 の続き これは潜水艦の狭い空間に搭載するため極限まで切り詰めた 設計の結果であり、わずか10分で組立発進が出来るとのことですから、 空技廠の執念を感じますね。すごい! ただ当然ながら、三座水偵のような長距離哨戒などは無理な話で、 最高速度130ノットは練習機レベル 「三時間以上飛行できるが、実戦ではそんなギリギリなことはせず、 二時間以内に潜水艦に戻るのが常であった」 (『潜水艦入門』木俣滋郎/著)p226 >>351 の続き 2時間以内に戻るということは片道1時間で、 巡航速度が80ノットだから、真珠湾から80浬まで接近しなければならない。 しかも収容するまで、その海域にとどまらないといけないだけでなく、 海上で収容作業を行うわけですから、危険極まりない。 これが大艇ならば、一度の給油でウェーク島からでも往復できるのだから、 そちらを採用するのも無理ない話ですね。 佐藤賢了というのは、国会で、黙れ!事件起こしたり、仏印進駐を強行したKY愚将 伊達に四愚に選抜されていないw 飛行機に少しくらい詳しくても、トラブルや事件を起こして終了するだろう まあでもソロモン諸島と西太平洋での戦略を巡り本職の海軍の司令官が佐藤に甚だ劣ったのは間違いない マリアナ捨てたらB29が本土にッ!と色めき立ってる上官に「いやあ、捨てるも何もマリアナでは必敗だから、逃げた方がフィリピンに戦力残せるだけマシなんすよ」 これが言える海軍人が何人いたか? 佐藤はマリアナ堕ちたら失脚必至の東條に堂々とマリアナとカロリンは守らんから諦めて比島に下がれ(つまり、諦めろ)って言えたんだぞ 聞き入れてもらえなかったけどなw 東條英機は、サイパン島に3個師団まわしたから、米軍が上陸してきても撃退できる、という思い込みで楽観していた。 陸軍がサイパン島に投入した満州からの師団は、輸送船を沈められ実質1個師団しか到着していない。 南雲が指揮する海軍兵は約6000名いたが陸戦は素人で戦力とは言えない。 陸軍約25000名と合わせ約30000名。米軍上陸部隊は約66000名だが艦砲射撃と爆撃の支援があるので、単純に数だけでは比較できない。 しかも1つ覚えの水際撃退作戦とバンザイ突撃で日本軍全滅。 アメリカ軍の戦死者は約3500名、負傷約15000名 総指揮官南雲は切腹し終了。 >>348-349 第一次大戦の頃に、航空兵力で制海権も握れると考えてたら よほどの先見の明ですね。 まだ空母すらなかったのに >>353 そうですか。陸軍さんは人材豊富ですな。 >>354 当時マリアナを手放せと言える軍人がいたら、確かに驚きです。 >>355 南雲長官はそもそも”陸戦の素人”なのに、なんで防衛総司令官に 担ぎあげられたんですかねぇ >>357 米軍のサイパン島上陸時に陸軍の小畑中将はグアム島に赴いていたので サイパン島で最先任だった南雲中将が防衛戦の指揮を執った。 >>295 「モリソン博士がこの一文を入れるからには、ニミッツの命令文の中に その根拠となる文言が入っていたのではと考えます」 これも推測ですよね? 命令違反かどうかについてどちらも推測でしか語れないのなら 疑わしきは被告人の利益にで命令違反ではないと思います 1940年(昭和15年)11月1日 - 海軍大学校校長 1941年(昭和16年)4月10日 - 第一航空艦隊司令長官 1942年(昭和17年) 7月14日 - 第三艦隊司令長官 11月11日 - 佐世保鎮守府司令長官 1943年(昭和18年) 6月21日 - 呉鎮守府司令長官 10月20日 - 第一艦隊司令長官 1944年(昭和19年) 2月25日 - 軍令部出仕 3月4日 - 中部太平洋方面艦隊司令長官兼第十四航空艦隊司令長官 7月6日 - 自決 戦艦陸奥爆沈事件で解任された清水中将の後任として、南雲が第一艦隊司令長官になった しかし第一艦隊は解隊となり、行き場がなくなった南雲はサイパンへ送られた >>358 ありがとうございます。 wikiを読んで、少し理解できました。 もともとサイパン島は海軍の担当地域だったから第三一軍そのものが 聯合艦隊の指揮下に入っていたからなんですね。 >>359 いいえ、それは完全な読み違いで、 本職の主張は米海軍公刊戦史的扱いのモリソン戦史を根拠としているので、 推測でも何でもありません。 >>360 南雲長官の経歴ですね。 最後の第一艦隊司令長官か・・・よほど前線と縁があった人だなぁと思います。 >>352 の続き 続きです。 「1月8日 ハワイ、マーシャル間で、我が潜水艦、米小型空母撃沈」 これは公刊戦史の註釈にもあるとおり、後日誤認と判明したとか。 >>364 の続き 「1月9日 マーシャル正面、米空母出撃の無線情報あり。 同方面警戒配備、航空部隊、潜水部隊で索敵、 第五艦隊及び横須賀鎮守府の東京方面空襲に備える構え不十分」 またしても米空母情報 今度は潜水艦の発見報告ではなく無線諜報 おそらくクエゼリン基地が”米空母らしき呼出符号”を傍受したのでしょう。 この時も本土空襲、特に帝都空襲を警戒しましたが、結局続報無し。 >>365 の続き 以上、サラトガ撃沈?(>>290 )が発生する前、 昭和17年元日から、わずか10日足らずの間に、 様々な”米空母情報”が寄せられていたことが分かります。 そして、多くの誤報が入り混じっていることに注意しなければなりません。 モリソン戦史の記述から推測すると、根拠となる文言が入っているだろうというあなたの推測ですよね? そしてあなたは命令文を見ていませんよね?たとえそういう文言があったとしても 例えば第一波攻撃を受けたあとは(第二波が来る可能性は低いので)防空は対空砲に一任して全力攻撃せよという命令かもしれない。 この場合、友永隊に戦闘機をぶつけても命令違反にはならない。 >>362 モリソン戦史の序文にはこの作品の対象読者は "the general reader rather than the professional sailor." 「プロの船乗りではなく一般の読者」とあるらしいですが米海軍公刊戦史的扱いとまで祭り上げて良いのでしょうか? >>367 ねばりますねぇ >>277 の繰り返しになりますが、貴官は解釈論を繰り返しているだけで、 >それに反論するなら、モリソン博士の記述を否定する根拠を挙げてくださいな。 ひとつの資料について、様々な解釈を披露するのは自由だと思います。 ただし他人を説得する場合には、素手では戦えませんよ。 >>368 ええ、だから「米海軍公刊戦史」ではなく、「的扱い」と書いてますよね。 サミュエル・モリソンのwikiより 「1942年には、フランクリン・ルーズベルト大統領によって、第二次世界大戦における アメリカ海軍の戦史編纂担当者に任命された」 何か不都合でも? >>369 私はモリソン氏の記述を否定していません。その記述だけでは命令違反だと断定できないと言っています。 それにモリソン氏も命令違反だとは言っていませんよね 命令違反だと断罪する側がそれにたる明確な証拠を出すのが普通では? >モリソン博士の記述を否定する根拠 モリソン氏を否定するわけじゃないですが274で示した通り、アメリカ海兵隊本部G-3課歴史支部は戦闘機が随伴してないにもかかわらず命令は「実行された」と言っています。つまり対空砲に一任という文言があったとしても命令の範囲内の指揮をしていたと考えられる > ただし他人を説得する場合には、素手では戦えませんよ。 286氏は私があげた資料から命令違反とは断定できないと判断されたようです。 別にあなたを説得するのが主目的ではありません。あなたが納得しなくともシマード大佐が命令違反を犯したと安易に断定する人が減れば私の目的は達せられます >>371 まだねばるんですか・・・ >それにモリソン氏も命令違反だとは言っていませんよね だから逆は真じゃないんですってば モリソン博士があらゆる作戦行動について、命令違反か否かなんて 指摘するわけないでしょう。 モリソン戦史に「命令違反」の記述が無いのは、 当時の米海軍内で、シマード大佐の行動が命令違反だったかは 大した問題ではなかったことの証左です。 本職は結果論で指揮官を評価する風潮を良しとしないので、 あえて指摘しているわけです。 >>232 のとおりですよ。 前スレでも書きましたが、再掲しておきます。 https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1626575493/780 過去スレで色々と、とりあげて来ましたが、 似たような状況で、似たようなことやってるのに、 なぜ南雲長官だけ叩かれて、米提督はスルーされるの? もっと言えば、同じ日本海軍の中でも、 そんなこじつけの難癖トンデモ理論で批判されてるのって 南雲長官だけでしょ。 もっともっと言えば、同じ南雲長官についてのことなのに、 ミッドウェーでは付近に米空母は居ないと慢心して兵装転換したと叩かれ、 真珠湾では付近に米空母は居ない前提で再攻撃しろと叩かれる。 自分が十ページ前に書いたことも忘れてんのか? てなもんですよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる