何で将棋って試合の途中で投了するのが美学なの?
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多数の人が思ってる疑問だと思う。
投了なんて途中で諦める行為だからね。
プロ野球で、初回に8点取られても最後まで戦う。
これが、初回に7点取られた時点で負けましたって言って試合終了したらおかしいでしょう。
投了はそれと同じ行為。
最後まで戦えよ。 後手の持駒:なし
9 8 7 6 5 4 3 2 1
+---------------------------+
|v香v桂v銀v金 ・ ・ ・v桂v香|一
| ・ ・v玉 ・v金v飛v銀 ・ ・|二
| ・v歩v歩v歩v歩 ・v角v歩v歩|三
|v歩 ・ ・ ・ ・v歩v歩 ・ ・|四
| ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 歩 ・|五
| 歩 ・ 歩 ・ 歩 ・ 歩 ・ ・|六
| ・ 歩 ・ 歩 銀 歩 ・ ・ 歩|七
| ・ 角 ・ 玉 金 ・ ・ 飛 ・|八
| 香 桂 銀 金 ・ ・ ・ 桂 香|九
+---------------------------+
先手の持駒:なし
後手番
手数=19 ▲3六歩(37) まで
【右ミレニアムを含みにした△7二玉型四間飛車対策決定版】
△4三銀→▲7八銀から対振り銀冠、隙あらば銀冠穴熊。
△8二玉→右ミレニアムが消えたので、▲7八玉から居飛車穴熊を目指す。
△6四歩→▲7八玉。△4三銀には▲5五角で6筋を咎めに行く。△8二玉には▲7七角からやはり居飛車穴熊模様。 相手は忘れたけど、長岡が敵玉に詰みがある局面で投げたのを見た記憶があるな 終盤の逆転なんて
相手が頓死したぐらいだろ
自分の棋力に関係ないし
そんなの期待するぐらいなら
投了したほうがいいだろ 昔は詰まされるまで指してたけど、ソフトの駒捨てるだけみたいなクソ粘り見ると
こういうのあんまりよくないなと思った。 初手一手だけ指して投了するのも美学なのかな
対局料金さえ貰えばよし時間給考えるとありか >>97
美学って理解するにも感性が必要だからな
まともな人間には理解出来ない美学を持つ奴も入れば、お前みたいな一般人でも美学の欠片さえ無いと思う行動をありと感じる奴もおる
深いなぁ >>64
20歳代のつかぽんに30歳ちょい超え(7年年長)のタナトラが、NHK杯の塚田森下戦の解説で序盤に攻めすぎて敗勢になったつかぽんを「これで投げないのは私の時代なら破門」などとdisり続けていた。
いくら直前のタナトラつかぽん戦でタナトラ優勢の局面でタナトラの手が駒から離れずに記録係に10を読まれて逆転されたからといってもあんまりだと思った。
なお、NHK杯は森下青年が自分の手番3手一組のココセみたいな手を指してつかぽんの大逆転勝ち。
タナトラざまーと思った。
今でもワイドショーで将棋ファンにもわかりにくいし将棋を知らない人にはもっとわからないであろう比喩ヲして偉そうなので、俺の中の老害ナンバーワンといえばタナトラ >>85
あれは神谷先生が1分将棋で詰みを見つけられてなかったからしょうがない。
とりあえず王手を指せば追っかけているうちに詰め手順が見つかったかもという説もあるが 美しくない棋譜を残したくないという意味で美学だ。
しかしそれを強要するのは美学がないというか下品
ルールを破ってるわけではないからな
つまり棚トラは下品 >>92
勝浦は本間爽悦に、3手詰のある局面で、投了してもらった >>1
将棋(その仲間も)は戦争ゲームだからだよ。
降参しないと全滅してしまうから勝ち目がない時点で
降参するようにできてる。玉を詰ましにいかないといけない
というルールはないからね。全部の駒を取り上げて
延々と「と金」を作っても反則じゃないから。
降参(投了)で勝負がつくことが前提のゲームなんだよ。 >>105
確かに戦争の例えは良いかも。
賢ければ本国(近現代国家だろうが古代国家だろうが諸侯の領土だろうが同じこと)に障らない程度で負けを認めて講和する
全駒されるまで続けようとしたアホウな例もないわけではないが 球技とかで考えるから矛盾が生じる
ボクシングのタオル投げみたいなもんだろ ボクシングは試合止めないと後に響く深刻なダメージを負いかねないからね
戦争も同じ
でも将棋は最後まで指しても失うものは何もないし、万分の一で相手が間違えて逆転する可能性もないではない >>109
無駄に兵士が死んでるやんけ
構ってしまったぜ 囲碁では投了せずに大差で負けるやつが
一部で話題になってるな
95目差とか 詰みや受けなしで投了はわかるけど模様が悪いというだけでまだ中盤〜終盤の入り口くらいなのに投了は正直どうかと思うね 途中投了を認めずに詰みまでさすのが義務化されると
勝ちの見込みがなくなったらどうする?
無駄な体力を消費してまで全力で粘るのか?
それとも敗戦処理的感覚で、早く負けに行くのか? 嫌なのは「棋譜汚し」とか言う愚か者がいること
その後に逆転した将棋がどれほどあったことか
勝敗が決することとと諦めることは違うと思うわ >>120
釣り針が大き過ぎると釣れないよ
落ち着いて行こうぜ RV下げると色々な面で効率化されるな
飛車振れないけどw スポーツの感覚とは逆だよな
やる気がなくなって早投げするのも構わないが、僅かな逆転の可能性に賭けて全力で頑張るのも悪くないと思う
実際スポーツと同じで大逆転もたまにあるのだから、後者を棋譜汚しなどと非難するのは昔から違和感ある
個人的には勝ってる時も寄せて詰めるまでしっかり考えてやりたいので、早く投げられるとちょっと拍子抜けする(勝つのはもちろん嬉しいが) >>130
分からん奴には理解出来んから無駄だろ
俺からしたら、仮に高レベルな激戦でも最後が低レベルなソフトみたいに頭へ駒を全部打つだけの棋譜だと萎える
切れ負けの将棋だと珠にある
時間も俺が勝ってる状態から持ち駒無くなるまで王手してくる奴
投了しない教の方が違和感あるけどね
どっちもルール違反や無いから自由で良い
強くなれば自然と住み分けされるから
段位上がるまでの辛抱 プロは記譜が後世まで残ることを意識して対局している 生活もかかっているので形勢が悪くなっても頑張るわけだがどうしようもないない局面になったところで投了となる
詰みまで指すのは悪あがきとなり棋譜を汚すという価値観によるものである この投了のタイミングは棋士によって若干異なるところはあるようだ でも過去の棋譜を遡って
「この棋譜は後手が粘り過ぎてみっともない将棋になってしまいましたね」
なんて感想持つのかな 序中盤で悪くして攻防見込みなしで投げることあるけど、相手が不服そうな顔してることあるな
そういう将棋を投げずに指し継ぐこともあるけど、大会に参加してるとかの理由でもない限り勝ってもあんまり嬉しくない
逆に終盤で投げないのは投げきれないか詰みが見えてないか頓死筋狙ってるか、そんなとこだろう 投了=試合の終了
つまり投了は試合の途中ではなされない 行為としての投了はゲームの途中で為され
投了という行為の結果としてゲームが終了する 物事は比較して考えるのが基本
将棋も候補手を比較するだろーが 投了禁止にしたら最後は王手放置の反則をするしかなくなる。 投了の美学を理解できないのは超低級だからしゃーない 強くなると………
無理なもんは無理って解るからなぁ 将棋は戦争だからな
投了も打ち歩詰の反則も敵陣に入ってパワーアップも全て戦争 真剣勝負の舞台では
先を見通す知性と対局相手への信頼と敬意(尊重)
どれかひとつ欠けても投了なんて成立しない
投了が美学なんてのは初耳だが、もしそうならこのあたりが理由だろう 中盤で投げたのは別にしても
終盤の投了ならソフトのおかげで初心者でも割と分かるようになっった >>150
最近では名人でもそこがわからなくて、相手のミスだけにすがって指し続けるのもいるからな
あれは無様だった プロ棋士の仕事は、後世に残る美しい棋譜を残すことだろう
途中で投了するのは、それ以上指しても美しくないから コンピュータと比較して雑魚の棋譜なんてゴミだから、美しいはもう通用せんなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています