大山が中原にだけボコられたのはなぜ?2
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大山
https://i.imgur.com/Obcy0Hg.jpg
年齢的な衰えが原因なら、米長とか加藤一二三にもボコられてないと
おかしいんだが、むしろ勝ち越してる
なぜ中原にだけ圧倒的に弱かったのだろうか?
大山が中原にだけボコられたのはなぜ?
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1579057591/ ●○●●●●●
50歳の羽生が豊島にボコられているんだけどどうしてですか?
(答)弱いから 大山は50代でも中原以外にはボコられることはなかったけど、羽生は50歳時点で天彦、豊島、永瀬、藤井…等々、色んな棋士にボコられている。 50歳大山の中原との対戦成績
○●●●○●○●○
50歳羽生の豊島との対戦成績
●○●●●●● 50歳の大山の成績
対米長○○○●○●
対加藤○●○○ やっと謎が溶けた
中原の順位戦での振り飛車(大半が対振りだが)成績は23ー3(勝率.885)
米長や加藤の振り飛車は5割そこそこ。
つまり中原は対振りに対して異常な強さを誇っていて
だから大山をボコることができた。
大山は対振りにたいしてそんなに強くない米長、加藤一二三には年齢相応の戦いができた。
通算成績では中原の振り飛車は6割に収束するのだが
タイトル戦や順位戦など持ち時間の長い棋戦では異常に高い勝率になる。
当時の棋士は「中原=振り飛車戦強い」がそんなに浸透してなかったのでは 対抗形の成績が強いのは終盤に強い棋士の特徴
終盤が相手より弱いなら相居飛車の急戦形のほうが勝ち目があるだろうね 谷川は渡辺に6勝12敗でダブルスコア差を付けられた
最も残念なのはたったの18局しか対局がないことだ
しかも56歳のときが最後でここ2年間は対局なし
50歳以降一度も勝てず6連敗だ
それでも将棋通の評価は全盛期に当たっていたら実力は互角という見方をする
ところが大山は24歳差の中原に55勝107敗だ
60歳以降69歳までだけで谷川渡辺戦と同じ18局対局して2勝16敗
中原に最後に勝ったのが65歳のときだ
その前の18局を見ると58歳〜59歳の大山は中原に8勝10敗
谷川は50歳以降は渡辺に一度も勝てず6連敗だというのに大山の強さは際立っている 衰えて中原には抜かれたが、衰えてなお大山がナンバー2だったから
ナンバー1には勝てないがナンバー3以下には勝てるナンバー2
あまりに自然なことだな 衰えてもなにも全盛期同士でも大山より中原の方が強い
中原と同じくらいの強さの谷川がいて、谷川よりも強い羽生だな
大山が羽生の強さに到底及ばない >衰えてもなにも〜
この書き方が非論理クソ羽生信者丸出しで笑えるw 彼がどのスレパトロールしているかチェックすると面白い
羽生オタ丸出しで >>563
谷川の対大山戦成績
1981-05-07
谷川七段●王位リーグ 大山58歳
1982-05-10
谷川八段○王位リーグ 大山59歳
1982-06-10
谷川八段●十段リーグ 大山59歳
1982-08-31
谷川八段●十段リーグ 大山59歳
1982-11-18
谷川八段○棋聖戦本戦 大山59歳
1983-01-06
谷川八段○順位戦A級 大山59歳
1983-07-10
谷川名人●日シリーズ 大山60歳
1983-07-19
谷川名人○王位リーグ 大山60歳
以上の通り谷川は58歳〜60歳までの大山と4勝4敗で互角の成績
よって、全盛期の大山が相手なら負け越している
というか勝てない
谷川が29歳四冠だったときの順位戦プレーオフ局が最後の対局だったが、全力で挑まれた68歳の大山に負かされた
68歳(1991年)の大山が30年前の38歳の年(1961年)にタイムスリップしても四冠王には絶対なれない
四冠どころかA級棋士も絶対無理だろう
68歳の大山にも名人挑戦のチャンスがあるような低いレベルの時代に勝率7割がやっとの谷川では最強時の大山に絶対勝てない >>566
プレーオフ局でなく最終局だった
大山はこの1局に勝ってプレーオフ進出を決めたわけだ
残された時間は少なくこれが最後のチャンスという思いがあったから体力の消耗を恐れず時間を使って指していた
名人戦の舞台でなら命を落としてもいい覚悟があったのかもしれない
プレーオフ第1局の高橋戦で力尽きてしまったが、もし名人挑戦を決めていたなら本当に名人戦の最中に絶命していたかもしれない 谷川と大山は、谷川の16勝6敗だから谷川のボロ勝ちだな
大山が谷川よりも強いってことは間違いなくないな >>568
初対局が大山58歳のときで60歳までは4勝4敗の五分。谷川が勝ち越したのはその後だからはっきり大山の方が強い。 60代の大山は平均で5割ちょっとしか勝ててない平凡なのA級棋士だからね ちょうど今の谷川の年齢のときに王位挑戦者決定リーグで19歳の谷川七段と対局したのが大山○と谷川●の初手合いだった
この事実からだけでもいろいろわかる
(1)今の58歳谷川九段(B2)は王位挑戦者決定リーグに参加できていないから19歳谷川七段(B1)より弱い
(2)58歳大山王将(A級)は王位リーグで19歳谷川(B1)に勝っている
(3)よって、58歳大山>19歳谷川>58歳谷川だった
19歳谷川七段に匹敵する棋士は現在だと誰か?
18歳の藤井二冠は強すぎるが来期からB2の増田康宏六段(23歳)では格下だし、24歳の近藤誠也七段(B1)と比べられるのも心外であろうから19歳谷川に匹敵する棋士は永瀬王座(28)だとしよう
永瀬が来期A級に上がれるかまだ確定ではないが、19歳谷川は20歳A級、21歳名人だったから今の永瀬王座より弱いということはあるまい
つまり、58歳大山は今の永瀬と60歳時までの2年間の間に8局対戦して4勝4敗の成績を残せる棋士だったわけだ
58歳でも19歳谷川より強かった大山が全盛期にどれほど強かったかはいうまでもない
10年間大山が登場しなかったタイトル戦は一局もない
全タイトルを19期連続獲得するほどに強かった
まさに無敵の強さだったのだ
今の谷川九段では、永瀬王座どころか、近藤七段にも勝てない
というか、今後、対局機会すら滅多にない
来期からB2の増田六段に2年間負け越さなければよしとするほかないだろう
全盛期の強さ、58歳時の強さ、いずれからしても大山の強さは谷川の比ではない >>569
その時は谷川も強くなる前だからな
だんだんと強くなるにつれ大山は勝てなくなっていった
全盛期同士ならいうまでもない 永瀬が谷川よりも弱いわけないな
ぞもそも、今現在の順位戦A級と大山時代のA級じゃレベルが違いすぎて参考程度すらならない
勿論、今現在のA級の方がレベルが高いのはいうまでもない 谷川は大山が年齢的に衰えてから勝ち越せるようになっただけだよ
谷川にだけでなく60代の大山は勝率が落ちている
二上、加藤、米長なら彼らも年齢的に弱くなっているから大山に分があったが、中原には全然勝てなくなった
中原、谷川が強くなったわけでなく大山が弱くなっただけ
60代の大山に勝ったことを成績で自慢するほどみじめな事はない
全盛期の羽生に勝てなかった棋士が60代の羽生に勝ち越しても何の自慢にもならないのと同じこと
谷川は68歳の大山にだけでなく56歳の二上にも竜王戦1組(3位出場者決定戦)で負かされるなどしている
底力では二上より上かどうかもあやしい >>573
今の若手棋士のレベルが高くなっているのなら、羽生世代が20代のときのように20代棋士がレーティング上位を占めていないとおかしいが、そんなことにはなっていない
強さのピーク(タイトル戦に多く登場していた時期)をすぎた棋士が何人もレーティング上位にいるし、A級棋士にもいる
今期A級昇級を決めた棋士は39歳の山崎でもう一つの席は28歳の永瀬と47歳の木村の戦いになっている
24歳の近藤は木村と49歳郷田との3位争いだし、26歳の千田は45歳久保、49歳屋敷、40歳松尾との6位争いになっている
千田はこれでB1が3期目になることが確定している
全然若手棋士のレベルは上がっていない
今の若手棋士のレベルが高いのでなく、抜け出て強い棋士がいるというだけのことだ
木村―大山―中原―羽生―藤井という具合に歴史に残るような棋士が出てくるのは今も昔も変わらないから、そうした歴代棋士の強さを比較するのにあとの時代のほうがレベルが上がっているという根拠はまったくないわけだ 55年組が活躍した時もそうだったけど
タイトルホルダーが戦国大名のように乱立する時期はレベルが低い
大山は60過ぎてもA級にいられる理由を聞かれて、今ほどトップ層のレベルが低い時代はないから、と答えてる
今は渡辺藤井がちょっと抜けてるくらいであとは乱立なんで
はっきり言ってレベルが低い時期 大山が全盛期の強さでも全盛期の谷川や中原には及ばない >>576
> タイトルホルダーが戦国大名のように乱立する時期はレベルが低い
「乱立」の時期というのは、1人の棋士の「突出」という状況が終わり
変動係数(標準偏差CV)が下がっただけだと思う
将棋界は、囲碁界と比べれば明らかだが、1人による独占が起こりやすいので
その1人の調子・戦績が全体に及ぼす影響が大きいのかも知れない
突出が終わった理由や、それによって全体がどう変わったかは一概には言えないので
レベルとの関係は不明だと思う
https://i.imgur.com/TMAmhTM.png
一方、この「ツールで計算した各棋士の藤井と比較した強さ」という表の
一番右側には「A級」という項目があるが、この数字を信じるならば
レベルの低下など特にはなかったということになりそう
https://i.imgur.com/yH3IbXa.png
そもそも、そんなに急に上がったり下がったりするものとは思えないし >>573
レベルについては前項のツールによる計算以外にも以下のような考察ができる
以下の図は一人の棋士が
特に高い突出率(レートの偏差値を計算したのだが)を示した年度の比較
棋士レート ヒストグラム(全員)
1961&1995 https://imgur.com/QyeuDFV.png
1970&2004 https://imgur.com/eHOd0Dm.png
棋士レート 散布図(トップ20名)
1961&1995 https://i.imgur.com/HoFRMnp.png
1970&2004 https://i.imgur.com/x9Gkx1t.png
これを見て言えることは、後の時代の方が明らかに層が厚いため
「突出」するのがより困難であるということだと思う
また「突出」が容易な昔の方がレベルが高かったとするならば
それはよほどの「超少数精鋭軍団」でなければならず
時代背景などと照らし合わせても起こりにくいことではないだろうか? >>580
羽生は西山里見より弱いと言ってるのと同じレベル。 >>581
誤:変動係数(標準偏差CV)
正:変動係数(CV)(標準偏差と同種のもの) トップ数名のレベルが一斉に落ちたとき、世代交代のような状態が生じる。
下のレベルが一気に上がって顔ぶれが変わるのではなく
上のレベルが落ちてきたときに生じやすい状態だろう。
近年では2010年代半ば〜後半ころ
羽生世代が40代半ば〜後半にさしかかったことが原因かと。
先頭集団が1969〜1971年生まれと生年がかたまっていたので分かりやすい。
谷川や55年組が台頭した1980年代半ばを見ると
それまで引っ張ってきた中原、大山、米長、加藤らの状態を考える必要がある。
1923年生まれの大山は60代を迎えた。当然下がる。
数年前まで棋聖戦で奮闘していた1933年生まれの二上も50代半ばへ向かう。これも当然下がる。
1940年生まれの加藤は40代半ばから後半へ。
当時は大山という怪物がいたので分かりにくかったが、40代半ばというのは
羽生世代を見れば落ち目の年代。加藤も落ちていく。
1943年生まれの米長は四冠王などを経験したが、40代前半から半ばへ向かっていくところで
ほころびが見え始める時期だ。
ここまでは分かりやすい。
イレギュラーだったのが中原で、彼のレベルダウンが予想以上に早かった。
大山、米長、加藤らが落ちていけば中原1強となってもおかしくないところ
中原は大山らが衰える前にすでに自らが一段階の衰えを見せ、1人飛び抜けた圧倒的存在(20代)から
第1集団の先頭ランナー(30代半ば)でしかなくなっていた。
40歳に近づいていく時期の中原にはもはや4冠5冠狙う力はなくなっていたのだ。
加藤米長は通常の衰えで不思議なことは何もない。そこに、長持ちすぎる大山がいよいよ本格的に衰えたこと。
王者中原の劣化が予想より早かったこと、この2つが偶然で重なり合い、そこの時期に谷川55年組が出てこれた。 >>583
いや言ってない
大山は中原や谷川より弱いと言っただけ
勿論、羽生よりも弱い 大山は里見や西山よりは強いかもな
流石に何回も対戦したら、大山も負ける可能性もあるな 大山が長持ちすぎたことで、当時はいろいろと錯覚が起きていたように思う。
大山は50代、60歳間近にしてもまだ強い。
↓
トップ棋士とはそういうものなのだろう。中原米長加藤はまだ30代後半から40代前半。
衰えるはずもない。
↓
衰えていない中原米長加藤を倒して次々とタイトルを取り出した谷川55年組は本物だ、本当に強い若者だ!
という錯覚だ。
谷川55年組は強かった中原米長加藤を倒したのではなく、
彼らは超人大山と違いすでに劣化が始まっていたのだ。
谷川55年組が倒したのは劣化した中原米長たちだった。
当時はそれが分からなかった。
中原らは自分たちが衰えたのは認めない、認めたくない。
谷川らは上が衰えたから勝てただけだとは思いたくない。
「レベルが落ちたからタイトル取れたんだね」とは
どの時代でもあまり声高には言われない。
「素晴らしい若い力が出てきた」と言われがちなのは仕方のないことだ。
歴史が進めば55年組はそれほどの世代でもなかったことが浮き彫りになる。
「強さを維持していた中原らを倒した55年組を圧倒した羽生世代」ならば
羽生世代が大山中原米長らに負けることはない。2ランクの違いはなかった。
衰えた中原らと55年組がいい勝負で、その上に羽生世代というだけのことだった。
だから全盛期の中原米長と羽生世代は大差ない。これが結論だな。 大山だけじゃなく、升田も本気出してる順位戦は50代でも鬼のように強かったんで、錯覚が加速されたかも。
今にして思えば木見門下がおかしいだけだったが。 全盛期の羽生世代と全盛期の中原米長なら、圧倒的に羽生世代の方が強いだろう
そこに大山が入る余地もないけどな
まぁ力戦系の米長には大山は強かったみたいだけどな >>586
やっぱり何も理解できないお子さまだね。 >>591
事実だからな
お子ちゃまだとか、事実をどう言ったところで曲げようがない >>592
いままでの考察からも大山>羽生の方が事実。羽生>大山というのは100%有り得ない。 事実じゃなくて羽生ヲタさんの呪術なんじゃね?
効かないやつだけど w 大山は中原よりも弱いから、羽生と比較すること自体ふさわしくない >>595
自説も相手の説も考察もしていないお前に言われてもな >>597
お前がいくら喚いたところで、羽生>大山という現実は変わらない >>598
現実は大山>羽生だよ。反対のことを言ってるのはあなただけ。 >>599
現実は羽生>大山だな
お前が駄々をこねたところで変わらない >>590
衰えた50代前半の米長に4連敗するのが7冠達成後の羽生だからね
君の願望は残念ながら有り得ないね 全盛期の羽生>全盛期の大山
実際の対戦成績、羽生>大山
結局大山の負けだな 羽生ヲタってID変わっても口調が大体同じだし
約一名なんじゃねーかと思う 気づくの遅いっす
必死チェッカーにかければ彼がパトロールしているスレ及び
パトロールする時間帯まですぐ分かるっすよ 羽生>大山の事実が変えられないことかわかったからか、必死だな >>607
お前が必死なろうとも羽生>大山は変わらないけどな 大山、中原の中終盤ってソフトで解析すると
どれくらい強いの? まあ中原は別に55組に圧倒されたわけでもないけどな。
高橋が王位になってから南が棋聖を失うまでの同時期で比較すると、
55組16期
中原16期
米長11期
谷川11期
やはり衰えたとは言え中原が第一人者だったことがわかる。
そして羽生世代の台頭によって一掃されてしまった。
将棋の技術の革新に寄与し、研究会やパソコン活用もやり始めた世代だが、本当に
強かったのは高橋ぐらいだろう。南は衰えが早すぎて評価が難しい。タイトル7期
登場16回のS級棋士でこんなに早く衰えた棋士はいない。 大山1923年3月生まれ 加藤1940年1月生まれ 米長1943年6月生まれ 中原1947年9月生まれ
1970年代 中原全盛期
中原20代〜30歳過ぎ 大山50代 米長20代後半〜30代 加藤30代
1980年代 谷川名人誕生、55年組登場
中原30代半ば〜40代 米長30代後半〜40代 加藤40代 大山60代
1990年代中ごろ 羽生世代の活躍
中原50歳前後 米長50代半ば 加藤50代後半 大山死去
中原大山米長加藤の4強が力を落とし始めたのが1980年代
力が落ち切ったのが1990年代中盤から後半(今の羽生世代より高齢) レート差を見て考えてみる
名人戦における挑戦者とのレート差
https://i.imgur.com/0GflxQ8.png
※たとえば1955年度のレート差は
http://kenyu1234.php.xdomain.jp/rate.php?date=1955-03-31 で確認可能
大山は升田以外はレート差の大きい相手ばかりで楽勝といった印象
これは大山が強過ぎたからか周りが弱すぎたからか一応不明とはいうものの
しかし別に大山が常に8割の勝率をあげていたというわけでもないし
少し数学的センスがあれば結論は十分推察可能だろう
しかし中原の方は加藤、米長といったライバルを相手に激闘の数々
おまけに「終盤の革命児」谷川まで現れて2度の失冠、にもかかわらず
その若き谷川を破って2度の復位という離れ業
しかも盤外だの家族的雰囲気だのという話も一切聞かないし
大山に圧倒的勝率を残したのなんてむしろ当然という気すらする >>616
1953年10月を起点にA級棋士も一律1500で算出しているからだよ
1955年度のレートでは何の説明にもならない
大山が年間の全タイトルを制覇して東京新聞社杯とNHK杯でも優勝、年度勝率0.794だった1961年度は今ならレート2100を軽く越える理屈だが、1920にしかなっていない
前年の1960年度は勝率0.762でレート1位でも1865だ
これでは大山が過小評価なばかりでなく2位以下の棋士のレートも過小評価になっている
2位以下とのレート差で棋士のレベルを論じるなら1995年度のレートは酷すぎると言われてしまうだろう(実際に酷かった)
羽生と3位の深浦とで220の差がある
そもそもC2棋士4組の棋士のレートが3位だから大山の時代や今とでは比較にならない
http://kenyu1234.php.xdomain.jp/rate.php?date=1996-03-31 大山は坂口安吾の小説によるとヒロポンを使っていた可能性があって
疲れている相手、時間のない相手に悪手を指させて勝っていただけという説もある
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1573055243/401
このスレの対加藤戦の逆転拾い勝ちの多さを見るとあながち嘘でもなさそうな気すらしてくる
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1603527462/360
まあそういう旧時代の遺物なワケだから、もはやインチキ臭さすら感じる連覇記録だとかは
現代の将棋界と比較すべきでないものとして、無視した方が賢明なんじゃないかな?
そんな人間と、王道を行く中原じゃ、ろくに勝負にすらならなくて寧ろ当然とすら言えるだろうよ >>614
>>621
粘着気質。ストーカーだね。 ナンバー1の中原は誰にでも勝てたから
ナンバー2の大山は中原には勝てずそれ以外には勝てたから
これがナンバー9とかだと今の羽生のように誰にでもボコられる >>620
加藤だけじゃなくて升田にも悪手をたくさん指させてる(それほど詳しくチェックしていないので間違ってたら申し訳ないが)
1963-06-06 大山康晴 升田幸三 名人戦
https://shogidb2.com/games/139ad329cbba3660fe8f1fadc4b2c9dab676684c
115手目▲3四銀は△同玉と取って後手勝勢だったが本譜は▲5四玉としたため頓死
1962-11-20 升田幸三 大山康晴 十段戦
https://shogidb2.com/games/7d9506aff9a9eed81b0822b077a3b2d79c4ef839
138手目△8一歩には▲同成桂で先手有利のところ▲8三成銀としたため△8二香を食らいその後も疑問手連発で一気に負け
1959-05-12 大山康晴 升田幸三 名人戦
https://shogidb2.com/games/4d9d264f795d4510a132cedf3a34ed14e8f6438e
101手目▲2四歩には当然△同歩とすべきところだったが本譜は△7七歩成としたため簡単な頓死
1958-03-28 大山康晴 升田幸三 王将戦
https://shogidb2.com/games/2c1d1c6882db62802a14045062c9d6ab4b55623e
101手目▲9一龍に対しては△7七馬とすべきところ△8九飛成▲同玉△7七馬と不用意に駒を渡したため簡単に逆転
1957-06-29 大山康晴 升田幸三 名人戦
https://shogidb2.com/games/41c5aa42a8b61e8a2a17d74c4c3c393afd527089
135手目▲5一銀には次の▲3一金を防ぐべく△3三桂とすべきだったが
おそらくその筋に気付いていなかったらしく▲7九飛△8八玉で後手を引き▲3一金△同玉から頓死 最新ソフトで解析すると大山の時代はレベルが低い
ところが中原の時代はかなりレベルが高い
5棋士棋力(仮想対藤井勝率)推移
https://i.imgur.com/yH3IbXa.png
ソフト解析では大山は当時のA級の中で飛びぬけた存在ですらない
対A級勝率(シミュレーション)
https://i.imgur.com/TkVCR3r.png
しかし現実は「大独占」(まるで何かに選ばれたかのような存在のよう)
対A級勝率(現実)
https://i.imgur.com/ZIJaqqI.png このインタビューは裏を返すと、中原は、当時の大山には
もっとあっさり勝てたはずだと、ずっと思ってたということになりそう
https://i.imgur.com/JCv1H8p.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=dmZzVsq8QyM&t=372
ま、それぐらい実力差があるわけだからボコって当然でしょ >>627
レートの上では唯一マトモに勝負できそうな升田が
こんな1手バッタリのような将棋を連発では
レベルが低過ぎてお話にならんわな >>629
大山が弱い棋士だったなら全盛期の中原に55勝もできるわけがない
全盛期の羽生を相手に同世代の佐藤康光ですら55勝であるから、24歳年長で全盛期の中原から55勝するのはトンでもなく強い棋士でなければ不可能なことだとわかる
中原は羽生の23歳年長だが羽生から10勝しかしていない
羽生にしても永瀬、菅井、斎藤、勇気からの勝ち星を全部集計しても15勝にしかなっていない
今後これ以上いくらも伸ばせないだろう
20歳年少の豊島からですら18勝がやっとの羽生には中原級の全盛期の棋士を相手に55勝は絶対無理だ
いかに大山が強かったかわかるだろう
大山は24歳年少の中原から55勝、20歳年少の米長から58勝した
羽生は14歳年少の渡辺から41勝しかしていないが大山は17歳年少の加藤から78勝した >>628,631
羽生が一番指して見たい棋士に升田を上げていることも知らないのか? ソフトの評価でなく、プロ棋士がどう見ているかで棋士の強さは決まる
中原と羽生の両棋士の全盛期と対戦している米長が史上最強は大山だと言ったこと、
三浦や永瀬、藤井聡太、斎藤八段が大山全集を並べていたこと、
丸山が藤井猛に大山全集を勧めたエピソードなど
渡辺は升田についても「むちゃくちゃ強い」と言及している
そもそも、大したことがないとわかったら棋譜を「半分以上並べた」りしない
プロは現役棋士だろうと対局予定にない相手の棋譜を並べることはない
まして死んだ人の棋譜など見向きもされなくなるのがプロの世界だ
そこに特別の価値があるという評価を多くのプロ棋士から受けているのは現役棋士では唯一藤井二冠で、引退(死去)した棋士では大山と升田の二人だけといってよい >>631
悪手が多い棋譜を取り上げて升田は大したことがないということはできない
三段論法で
★強い棋士には悪手が多い棋譜がない
★升田には悪手が多い棋譜があった
★したがって升田は大したことがない
が成立するためには「強い棋士には悪手が多い棋譜がない」という証明がなされなければならない >>627
少なくとも基本的に負けた数だけ悪手があるので、頓死であれ、錯覚であれ、悪手は弱いことの証明にはならない
プロ棋士の実戦譜はリアルタイムに観戦してこそ強さや迫力が伝わる
生で観戦していなかった者があとから棋譜を評価するときは、少なくとも手数や終了時間、1分将棋、手強い相手、棋士の心理状態、読みの齟齬、などなど、悪手が多くなる原因を知った上で評価すべきだろう >>635
これ全部タイトル戦の番勝負の棋譜だし
しかも内容も随分とお粗末なミス(=ポカ)のようだし
これらを見たら当時の戦いのレベルは低かったと感じそうなものだけどな
升田は升田式石田流を初め数々の新戦法を編み出したし
多くの升田新手(今でも定跡として生きているものも多い)を指したし
そういった点で多くの棋士がその才能を時代を超えてリスペクトしているが
残念なことにポカが多かったのは事実だ
そしてそのポカを誘導して勝った大山の勝利は
将棋の棋譜の価値という点では劣ると思う >>637
頓死はさすがに投了後すぐ指摘されるわけで、それでも今日まで升田の評価は揺るがないことからプロ棋士の見解はわかる
誰にでもある頓死等の悪手で棋力が評価されることはないんだよ >>637
渡辺明 名人(王将・棋王)
「升田の将棋?むちゃくちゃ強いですよ。半分以上並べているけど、とにかく手が見える。攻めの手は、大山先生より見えると思う。手のなさそうなところに手を作る感覚は抜群。
自分も大山、升田を越えたという実感はない。羽生さんでどうかなあ。升田先生が体調万全だったらとんでもなかったと思う。
現代は、大山、升田を超えたとはいえない。現代のトップも当時のトップも、かなりぎりぎりのところまできている気がする。その意味では、今から50年後も、トップのレベルは変わらないでしょう。」
2010年 イメージと読みの将棋観2 161pより >>637
1950年代に限れば大山升田はほぼ互角の成績だが
一致率を調べてみると升田の方がはるかに高い
https://i.imgur.com/Vo9qssY.png
だからおそらく「ポカを誘導して勝った大山」というのはある程度当たっていると思う
もちろんそれも勝負の技術の一つとはいえ、なんか汚い印象だわな 升田は体調がよくないので二日目の夜戦になると疲労との戦いでもあった
そうしたこともあって強敵の大山とのタイトル戦であるからこそポカがあった
体調が万全だったら星の数は互角になっていたに違いない
全盛期は大山も升田もむちゃくちゃ強かったというのはプロ棋士が皆いっている
「当時の戦いのレベルは低かった」などと渡辺より棋譜がわかる人間でも言ってないし、「棋譜の価値が劣る」なら大山全集が再発行されることもない
「修業時代に影響を受けた本は?」
藤井 奨励会のころ、途中から大山全集を並べていて、非常に重厚な熱のこもった将棋が多くて勉強になりました それから ID:kaz1ouml は悪質な奴なので無視することをオススメする
データ捏造ガイジ ◆f7OmZ9ucu2
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/tubo/1607748475/ >>643
やはりそういうことか、なんか頭悪そうなのに必死な感じで気持ち悪いから
そいつにレスするの迷ったんだけど、やめときゃ良かったな
でももう「あぼーん」したから大丈夫
気持ち悪い奴は消え去ったw 升田なら、大山よりは現代のタイトルホルダーや順位戦A級に1発入れる力はあるかもね
でもポカが多く安定感がないから、順位戦上位維持やタイトル争いには絡めないな
大山はタイトル争いには絡めないだろう >>637
>これ全部タイトル戦の番勝負の棋譜だし
大山升田のタイトル戦局は全部で112局あるから、その中のたったの5局は逆転負けとしては随分と少ないよ
もちろん、ほかにも逆転負け(逆転勝ち)の局はあるだろうが、多い少ないの基準を持たずに君はレスしている
しょせん、羽生オタが大山升田時代はレベルが低いことにしたいために工作しているんだろう
わざわざ大山升田の棋譜をけなすことに熱心になるのは羽生オタしかいないから
>しかも内容も随分とお粗末なミス(=ポカ)のようだし
君がどの程度の棋力があるのかわからないが、図面なしでも理解できるなら5局について解説してやってもよい
この5局あながち逆転負けとは言えない名局だ
それがわからない君は相当に棋力がないフシアナのようだが 指摘(>>627)があった升田の「逆転負け」の棋譜について上から順番に1局ずつ棋譜を「正しく」観賞する視点で解説していこう
1963-06-06 名人戦
>115手目▲3四銀は△同玉と取って後手勝勢だったが本譜は▲5四玉としたため頓死
解説
中盤(といってもすでに84手目)まで互角の名局
ここまで、大山は持ち時間10時間の8時間以上、升田は9時間以上使っていた
ここで▲54歩としたのが悪手で升田の優勢となったが、大山は決め手を与えず差は広がらない
持ち時間が削られていながら互いに秘術を尽くした攻防は盤面に並べて味わってほしい
そして迎えたのが114手目の局面だった
評価値は-900ぐらいで後手升田に傾いているが、棋士の感覚ではどちらも確信が持てる状態ではなかったろう
ここで、大山は34にタダ捨ての銀を打った
考慮した時間は9分、升田の残り時間は17分ですでに時刻は22時を経過していた
根を詰めて2日間考え抜いて相当疲労がたまっていたに違いない
タダの銀を取るのはいわゆる毒まんじゅうで危険という予知が働くのは人間の心理というもの
銀を取っても詰まされることはないとしても、大山玉にも詰めろがかからないとしたら読み切るのは困難だ
取る手を含めて有力な手は4手でそのうち2手は詰んでしまう
以前にも解説したが短時間で王手への最善手を見つけるのはプロでも難しい
朝日杯の決勝でも藤井二冠が王手への対処を間違える場面があった
升田は残り10分を残して54玉と上部への脱出を図ったが大山はすかさず▲43角とした
これが13手の詰になっていた
升田は1分考えて投了
よくある頓死だが、大山の▲34銀はいわゆる「羽生マジック」と同じで勝因といってよいだろう >>648
コイツ単発IDで指摘された本人でないと反論できないことをレスしているが、ID:Z7x7JbglとID:xoT7r5DOが同一人間なのはバレバレだぞ 1962-11-20 十段戦
>138手目△8一歩には▲同成桂で先手有利のところ▲8三成銀としたため△8二香を食らいその後も疑問手連発で一気に負け
この棋譜の消費時間は調べていないが、157手の対局であるから持ち時間が削られる熱戦だったことだろう
超手数なのに大山に悪手が一つも記録されていない
ソフトの解析によると先手の升田有利で推移しているが評価値が1000を超えた局面はなく升田の逆転負けに分類される棋譜ではない
問題の局面はすでに互角で大山の△81歩がやや疑問だったが130手過ぎまで互角のタイトル戦は大山升田戦であればこそ
ここでの4択に升田がまちがえたわけだが、簡単な選択ではないだろう
指した▲83成銀の悪手で勝負がついたわけでもなくやはり王手への対処を間違えて勝負がついた1局だった
教訓:入玉が絡んだ終盤の早見え早指しで全盛期の大山の右に出る棋士はいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています