羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★27
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数字の上では歴代1になったが、何か足りないモノがあるもの事実。
名実ともに文句の付け様が無い地位まで登り詰める事が出来るのか?
これからも目が離せない。
前スレ
羽生善治は大山康晴に追いつくことができるのか?★26
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1603468565/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 年度末レーティング1位の連続期間
大山 12年連続 1957-1968
中原 7年連続 1970-1975
羽生 11年連続 1992-2011
1956年度の1位は升田幸三 39歳
1969年度の1位は内藤國雄 30歳
1976年度の1位は加藤一二三 37歳
1991年度の1位は森下卓 25歳
2012年度の1位は渡辺明 27歳
グリコに変わる前のイロレーティングのときのデータなので誤りではない
多少の違いがあるのがレーティングで、区切りによっても変わるレーティング1位の回数で競おうとする羽生オタが哀れなだけだよ 羽生オタが自慢する羽生の通算勝率7割は、ロートル棋士や格下棋士の層が厚い時代に勝ち抜き戦で連勝した貯金のおかげ
年度勝率は5年連続6割を切っている
A級昇給後の勝率 0.686
30歳以降の勝率 0.674
これが羽生の実相
大山は羽生より凄い
45歳時に100局77勝
51歳時に100局72勝
57歳時に100局74勝
*50歳以降の100局の勝率が7割を超えたのは大山だけ
*60歳になるまで100局勝率が5割を切ったことは一度もなし
*最晩年の100局勝率が他のレジェンド棋士の50代勝率を越えていた
歴代棋士の直近100局勝率推移
https://i.imgur.com/fHaDLYp.png 例えるなら、大山は王貞治、羽生はイチローでしょ
どちらが上かなんて議論、一生答え出ないよね
ちなみに木村義雄は川上哲治、升田が長嶋、中原が落合てとこかな >>34
元はと言えば羽生信者がことあるごとにあちこちの棋戦スレで羽生が一番だと記録を自慢するから叩かれている
羽生応援スレだけにしていたら文句は出ない
それが巣から出てきて過去の偉大な棋士をリスペクトすべき場で無知な羽生自慢をしたら叩かれるのは当然だろう
王とイチローなら記録は重ならないが、プロ棋士の記録は重なっている記録が大半だ
羽生の記録を上回る記録を上げている棋士(大山)がいるのを無視して(知らずに)羽生が一番だと吹聴したら横槍を入れられるは当たり前だ
多くはやんわりと水を差す程度のことなのだが、羽生信者は大山をdisったりあらぬ人格攻撃をしたり将棋ファンとは思えない言動をするようになった
どうしても羽生を一番にしたいばかりに森内をdisったり渡辺をdisったりしたのと同じことをしている
こんな信者が純粋に記録を楽しむ将棋ファンに嫌われるのは必然だし、そのことに気付けない人間がいるからスレが伸びているのだろう 自分のほうから記録を持ち出しておきながら大山の記録のほうが上だと指摘されると、大山の記録はレベルが低い時代の記録だから・・・といったり、盤外戦術で勝っただけとか、忖度があったからとかあたかも記録が偽物かのようにdisりだす
記録の不備や不一致には敏感なのに訂正された記録に基づいて議論することは避けている
訂正前でも訂正後でも羽生の記録が大山を超えることはないからだ
「大山の記録はレベルが低い時代の記録」と中身論争を仕掛けたばかりに本当にそうなのか精査されて逆に「羽生の七冠獲得は恵まれたものだった」と反撃されるしまつ
元はと言えば羽生信者が撒いた種にほかならない 私がいままでこのスレを読んできて思うのは、大山派は冷静に記録を分析し論理的に話を展開しているのに対し、羽生派は強引に羽生最強を叫び続けるだけで、都合が悪くなると人格攻撃にまで走るという、人間としてどうか?というところまで墜ちている点。 >>38
ほんとこれ
羽生信者はまったく理知的ではない >>38
強引というか壊れたテープレコーダーだよね
ただひたすら繰り返すだけ
本当に頭が壊れているんじゃないあ 1953年以前の大山の戦績を無料で見れるところはないんですか? 大山は不世出の棋士
大山は少なめに見積もっても100年に一人
史上最強の筆頭あ候補
羽生は30〜50年に一人くらいだろう 羽生オタ「羽生さんは史上最強棋士」
普通の将棋ファン「二大タイトル勝率4割台だろ?」 勝率には意味はない
どういうことかアホにわかりやすくいえば
渡辺の二大タイトルの勝率見ればわかるだろ
二大タイトルだったら合計の獲得期数を見ればいいだけ
ただし大山の場合は読売タイトルのほうが年齢が遅れて出来たことを加味して まあ大山は史上最強すぎるね
スレタイに沿った答えを言えば羽生が大山追いつくのは無理 二上達也九段「陣屋が一番なつかしい対局場なんだ。私の将棋より、陣屋のことをいっぱい書いてよ」
https://shogipenclublog.com/blog/2020/12/21/futakami-5/
二上の強さと
大山が紛れもなく史上最強であることが分かる名文 2日制タイトル戦の勝ちスコアと出現割合など
大山
2-0 01回(名人0 九十1 王将0 王位0)
3-0 04回(名人0 九十1 王将3 王位0)
4-0 07回(名人3 九十1 王将1 王位2) 18.75%(2-0、3-0含むストレート勝ちスコア)
4-1 22回(名人10 九十2 王将5 王位5) 34.38% ☆☆
4-2 16回(名人3 九十4 王将5 王位4) 25% ☆
4-3 14回(名人2 九十5 王将6 王位1) 21.88%
通算 64回(名人18 九十14 王将20 王位12)
名人戦18期中13期を4-0or4-1の圧勝スコアで仕上げている。本気度が伺える。
九段戦十段戦は14期中9期が4-2、4-3などもつれるスコアが多い(主に升田、二上が相手)。
羽生
4-0 11回(名人3 竜王2 王将5 王位3) 23.91%
4-1 15回(名人3 竜王2 王将4 王位6) 32.61% ☆☆
4-2 08回(名人2 竜王2 王将0 王位4) 17.39%
4-3 12回(名人1 竜王3 王将3 王位5) 26.09% ☆
通算 46回(名人9 竜王7 王将12 王位18)
王将戦では一方的に勝負をつけることが多い。
名人戦竜王戦での獲得は比較的少ない。
全体的に4-2勝ちがやや少ない(圧勝できないとフルセット接戦にもちこまれるケースが大山中原より多い)。
中原
4-0 05回(名人1 十段1 王将1 王位2) 12.2%
4-1 10回(名人4 十段3 王将2 王位1) 24.39% ☆
4-2 16回(名人5 十段4 王将3 王位4) 39.02% ☆☆
4-3 10回(名人5 十段3 王将1 王位1) 24.39% ☆
通算 41回(名人15 十段11 王将7 王位8)
名人戦15期中10期が4-2、4-3などもつれるスコアが多い。
大山、羽生と比較して圧勝は少なく、番勝負全体で勝っていればいいという戦績となっている。 「出征前だし負けてくれるだろう」
http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/ohyama.html
日本将棋連盟で会長だった大山の下に二上が理事として入っても
「大山はことさら二上を軽んじるようなそぶりを見せ続けた。それも、二上を対局で負かす手段の
一つだったのである」(49ページ)。かくも勝負に冷徹であり続けた理由を
河口は大山の出征直前の対局にあったのではと見る。
出征のはなむけで昇段させても良いところを大山が拒否したか、
誰も言い出さなかったかで特進はならず、かわって昇段規定に連勝すれば達する4番を
出征前に慌ただしく差すことになった。だが、ここで当時の常識なら対局相手は
出征兵士へのはなむけと負けるところを、1人大山に勝ってしまった棋士がいて、
昇段が果たせなかった。「負けてくれるだろう、などという甘い考えは、将棋に於いては
禁物なこと、そして、自分が棋界内部で好かれていないことなどを思い知った。
五十歳までの勝負の場での大山の冷酷な感じは、この敗戦があったからだと思う」
と書かれている通り、出征7か月前の将棋ともなると
さすがに相手が勝ちを譲っているのが実際に露骨に見て取れる
1943-09-21 ▲岡崎史明×△大山康晴
https://shogidb2.com/games/856bfe1f434f109b523e50fd69afffdbf6d4fe0d
143手目 ▲6八金としておけば先手有利だったが△6七銀成を許すという危険な指し方をしている
152手目 そのおかげで大山の勝勢となったのだがこの△2七同龍の大悪手で一気に大山の負けになった
153手目 そして▲2九香と指せば先手勝ちのはずが何故か指し手▲2八香で頓死、結局大山の勝ちとなった
「負けてくれるだろう」「棋界内部で好かれていない」などとという表現がでてくることからも
当時の「勝負」は「人間力」「政治力」などが大きく影響し、現代とはまるで別物であったと推察される その将棋は
0060 ○ 1943-09-21 岡崎史明 五段 朝日番附
このときのものだろうけど、時期的にも棋戦的にも出征前とかは関係ない時期
出征前に関係があるのはこちらの4局
0102 ○ 1944-04-20 大野源一 八段 昇降段戦 香
0103 ○ 1944-04-21 高島一岐代 六段 昇降段戦
0104 ● 1944-04-22 松浦卓造 四段 昇降段戦 香落ち
0105 ○ 1944-04-23 星田啓三 四段 昇降段戦 香落ち
河口は例のごとく、自分の中での結論ありきでどんどんストーリーを作ってしまったようだが…
昇降段戦は相手も昇段降段がかかる勝負なので手を抜くということは有り得ないと思われる
そして河口は結論ありきでストーリーを作ったので
状況の下調べがイマイチだったのだろうが、大山が1敗したのは「香落ち戦」だ
のちにA級となる実力者松浦卓造相手なので不思議はない
(4戦のうち対大野戦は、先輩の大野側が香落ちだった)
言うまでもないことだが、これらはお互い本気でやった結果の勝敗に過ぎない
「大山は嫌われているから負けるはずのない勝負に負けて」
「その痛恨の1敗のせいで大山は二度と負けないと誓った、こういう設定にしよう」
河口の脳内ではこのようなストーリーが作られたのだろうか
大山本人が言ったのならともかく、河口の文章は創作過剰なのが気になる
よく読めば分かることだが伝聞表現の形を借りた都合のいい妄想が多い
「こういう話が伝わっているのだが」「〜であるに違いない」などの組み合わせ
ひも解くとそこに事実はないケースが多い 物書きとして、そういう手段に走りたくなる気持ちは分からなくはない
正直、妄想創作の結果生まれた設定のほうが、現実より面白いからな
しかし文章の面白さを優先して
本人に取材していない件を事実かのように描くのはどうなのだろう
書物として残ると、誤読する人間というのは必ず出てくるからな
「大山二上王将戦、長老が二上にわざと負けるように頼んだ」エピソードも
当事者の二上がしっかり否定しているからまだいいが
二上が否定した文章には触れず河口の文章だけ読む人間は信じ込むだろうし
二上が否定しても「当事者は否定するだろ」とかわけのわからないことを言って
当事者が否定しているにも関わらず事実認定しようという動きすらある
書かれたことを信じきって真に受ける人間もいるのだから、ズルい手段は使わないでもらいたい
まあ、河口はこのように批判されても
「事実とは書いてませんやん、噂話として書いただけ」というように逃げ道を作ってあるのがまたズルいのだが
そこを読み解けない読者もいる >>52
河口の発想は面白いけどノンフィクションとして書いてはいけないよね。これが小説なら問題ないのに…。 確かに『大山康晴の晩節』の評価は難しいね。河口の主観が立ちすぎて史料とは言えない。フィクション混じりのノンフィクションとでも言うのか… 「大山はことさら二上を軽んじるようなそぶりを見せ続けた。
それも、二上を対局で負かす手段の一つだったのである」
これも断定口調で書いているけど、断定口調で書いていいのは大山本人から
「私はね、ひたすら二上さんを軽んじてきたんです、普段から。それは盤上の将棋で負かすためにね」
という発言があった場合だけじゃないかな。
まあ、こういうことはもちろん言わないだろうから、第3者である河口が見てて感じたことでしかない。
だから「〜手段の一つだったのではないか」と書かねばならない。
しかしそういう表現ばかり使うと妄想の積み重ねだと見破られてしまうので、河口は巧みに表現をズラしている。
そもそも事実か分からない二上軽んじエピソードから出発して
その原因が出征前のことにあったのではないか、というところですでに妄想の積み重ねをしている
「かくも勝負に冷徹であり続けた理由を河口は大山の出征直前の対局にあったのではと見る。」 妄想の上乗せ
さらに
「だが、ここで当時の常識なら対局相手は出征兵士へのはなむけと負けるところを〜」
本当に当時そんな常識があったのかという疑わしい設定がまた上乗せ
(普通に考えれば勝負にはなむけとかないから普通に勝負して普通に負けてんじゃないかと思うのだが…)
妄想3つの上に、さらに以下の妄想が始まる
「負けてくれるだろう、などという甘い考えは、将棋に於いては禁物なこと、
そして、自分が棋界内部で好かれていないことなどを思い知った。
五十歳までの勝負の場での大山の冷酷な感じは、この敗戦があったからだと思う」
確かに面白くできているが…大山に聞けば根底から覆されるかもしれない
「別に私、勝負のために二上さんを軽んじたなんてことありませんよ」と言われれば最初から間違ってるし
「出征前のはなむけなんてありませんよ」で終わってしまうかもしれない。
だから最後の「自分がすかれていないことを思い知った」の部分まで来るとまったく的外れな可能性が高いというね。
だってスタートの時点から妄想だからさ。 C級棋士の限界だろ
全てC級棋士の発想なんだよ
わざと負けたみたいなネタ関連は全て
負けん気の人一倍強い人間が上に行ってんだから
C級棋士には名人やA級のことは分からない うん、大山15世ってのはシンプルに
「将棋が史上最強クラスに圧倒的に強いから」「負けたくない気持ちがやたら強いから」
これで説明がつく棋士のはず
大山が加藤をなぶり殺しにして以降勝てなくなった、というエピソードも定着しているが
「そのように見えてしまうほど棋力差があった」「安全勝ちを目指す受けの棋風なので自然とそうなる」
からの「別に加藤はその件でその後勝てなくなったわけではない」という結論が出てしまう可能性が高い
けれども事実として定着している
面白いから話が広がり伝わるけど、事実じゃない可能性の高いネタが多い
そこが良くない
盤外をおもしろおかしく描くのは漫画的なんだよね、大山の憎らしさと超人度が増してしまっている >>56
河口に大山伝記は些か荷が重かったんだろう。というか誰も適任はいないな。 >>50
人の生き死にが関わってるんだぞ
そりゃ花もたせてくれることもあるだろ…
しかしこのエピソードは、それでも容赦無い人もいたという証左でもある
想像力も読解力もないのかよ 読解した結果、妄想だと判定したのだよ
想像力といえば聞こえがいいがねえ 河口のエピソードは大山の敗戦が昇降段戦であることと香落ちであることが抜けている
この勝負は、大山だけの昇級に関わる勝負だったのか
そこの情報もない
大山が負けた新四段の松浦
彼の対大山の勝ち負けは、彼の昇級に関わる可能性が十分ある
自分だって昇段しなきゃならんのだから、わざと負けたりはできない
そこが重要だ >>55
何そんなにムキになってんだか…
河口の文章も虚実とりまぜかもしらんが
アンタの検証だってただの想像 ふーん
想像だと指摘すると想像ってことになってしまうのか
こういう輩が河口の想像を事実化してきたのだろうけど
三浦事件は冤罪ですというと「想像だ」というようなもんですな
よろしくないね
河口を擁護したいのなら「河口の想像じゃない」という証明をすべきなんじゃないのかねえ 元奨のプロ入り編入試験のような、片方だけに関わるような
つまり大山だけの昇段に関わるなら「はなむけ」とやらもできたかもしれないが
順位戦のような
大山の対局相手の昇段にも関わる勝負なら「はなむけ」などやりようもない
河口はちゃんとそこまで調べたのかねえ
出征して帰ってこない前提ではなむけ妄想しているけど
戦争で戻ってきている棋士も多いからねえ
本当にあったのかね、はなむけとやらは
あったという裏付けがほしいんだよ、なければ妄想なんだからさ C級棋士の限界だよ
はなむけで昇段させてもいいところを、とか思っちゃうんだよ >>63
少なくとも大山と同時代に生きそばで見ていた河口の文章があり、
それを想像だというなら、挙証責任はアンタだよ 河口は1936年生まれだから戦前の将棋界についての生き証人にはなれない
妄想で書いているだけ >>67
いやその理屈は完全におかしい
断定口調で書物に書いてあることの証拠を求めているのであって
こちらで何かを証明する必要はない
書いてあることが真実だというなら根拠がなくては駄目だろう
本人の発言でもなんでもいい
三浦がクロだと書物に書かれていればその証拠を求める
当然だろう
シロである証拠をこちらが出せとなるか?
もう一つ
そばで見ていれば何を書いてもいいということはない
よく覚えとけ まず最初に
誰が戦争出征へのはなむけ昇段をしているのか
その例があるのか
河口支持者はそれを示してほしい 大山河口は13歳も歳が違うんだな
羽生と渡辺くらいの年の差だ
渡辺が羽生の低段時代を見てきたかのように書いているようなもんだ
おかしな話だわな笑 河口嫌いだわ
本業でさえないのを伝聞小説書いて憂さ晴らし >>69
別にオレは河口の書いていることを真実だと言っているわけではない
大山と13歳しか歳の違わない(今から見れば、当時の様子や噂を圧倒的によく知りうる立場)の者が書いている書物を見て、
「ふーん。そんなこともあったのかもねー」と思ってるだけ
それを、本当ではないかもしれない、と言うだけならならともかく、
必死こいて、妄想だー、とわめいているから、
逆に妄想だという根拠を訊いてるだけだけどな 二上は「こんな話は全くの根も葉もない捏造であり、河口などという嘘を吹聴して回るような男は
けしからんから追放すべきだ」とでも書いておけばよいものを、何故かそれはやらないものだから
「とにかく解釈の相違すらあれ、何かしら密約的なものが持ち掛けられたのは事実だろう」と多くの人は思うんだよ これは棋譜からさえもみてとれる
1961-02-13 ▲二上達也×△大山康晴
https://shogidb2.com/games/0aaed0840329979d9a0cada97b06901b5bb4b15e
77手目▲9五歩の緩手(617→188)でとりあえず混戦にしておいて
97手目▲1三龍(-108→-815)で八百長負けを決断しその流れに踏み込み
107手目▲9五香 109手目▲8四銀(-1588→-2822)で完全に負けを実現したとみることもできると思う
河口が指摘しているのは多分このあたりの手のことだと思う >>75
なんだ、別スレで▲73飛や△81玉について書いているけど、結局河口本の引用かよ
都合のいいところは河口に依拠し、都合が悪くなると妄想だとわめく
大山オタは気持ち悪いね
羽生オタは単なるバカだけど、大山オタは気持ち悪い >>78
河口からの引用など一つもない
大山の△81玉はあまりにも有名で河口が広めた手でないし、
新刊案内「将棋界の巨人 大山康晴忍の一手」 〜第1回大山康晴検定〜
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=69543
俺の解説は完全オリジナル
攻めを誘って凌いで勝つというのは大山の棋譜の随所に見られる
代表的な棋譜は中原との名人戦第2局の△81玉だろう
https://i.imgur.com/wEPnAFP.png
これで何とか凌いで勝ちと見切るのは相当に勇気がいる
大山は随分前から指し切り勝ちを目論んで中原の攻めを誘ったのだ
その局面が16手前の△65歩だった
https://i.imgur.com/lCgD6E2.png
以下▲55銀△53金▲33歩成△54歩と進んだ
こうなると中原の銀は助からないので中原は暴れるしかない
もちろん中原も承知で勝算があればこそ攻めに出たわけだ
▲86桂△73玉▲74銀△72玉▲73銀打△同桂▲同銀成△同玉▲85桂△72玉▲73飛は気持ちのいい攻めで普通こんなふうに攻められて寄らないわけがない
だからこの変化を普通の棋士なら避けるものだ
大山だけがこの先の変化も読み切っていたからノータイムで▲93桂が角取りで王手になる△81玉と逃げ平然としていたわけである 大山の自戦記には
・・・「他の手は皆悪い。とすればこれ以外にない」と前から読んでおいた手で、一種の消去法ともいえるが、これが中原さんの意表を突いた・・・
とある
△81玉以下▲93桂成△同香▲74桂が有力だったが大山は▲71銀で受かっている(他の手はすべてダメ)と読み切っていた
大山はこの一局を「中原さんの攻めを催促して勝つことができた」と振り返っている 河口の話は他人の気持ちを妄想して書いているだけなんだが
なぜかそれを鵜呑みにするバカが多いんだよな笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています