【おゆき】内藤國雄スレ
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>>2
演歌板ならまったり続くんじゃね?
伸びないけど 「おゆき」がヒットしていたころは本職の歌手だと思っている人が多くて、「将棋も
強いんですね」と言われることが多かったらしい
歌はそれくらいうまかった ヒット中はずっと歌番組に出ていたな
将棋を知らないうちの母も内藤先生のことは知っていた うちの母は好きな歌手を聞かれると「内藤さん!」と答えていたよ あの時代タイトル4期だっけ?
今ならタイトル8期くらいの扱いかな A級八段になって、タイトル3期以上による九段昇段だから、価値の高い九段
その後、昭和59年から始まった勝ち数規定による九段とは格が違う 当時のA級棋士の中でも強いほうだった
ひとつ抜けている感じだったね 内藤だけでなく
田中寅彦、神吉、先崎みたいな
上っ面だけの人気棋士もどきも
将棋板では全然人気ないよな さすがに内藤先生をそのクラスの棋士と同じにしては気の毒だ 引退されるときNHK神戸のニュースでやってて知りました 横歩の3三 誰か復活させて欲しい
内藤将棋のファンでした 内藤の将棋は華やかでファン受けして
大山の将棋はファン受けしないとか言われるが
内藤の将棋が面白いとは思えない
今なら屋敷や山崎を弱くしたレベルだろ 大山名人は内藤九段への評価が辛かったな
「アマチュアの方には人気のある将棋」みたいなことを言っていた 大山はそういうやつ
ただ大山がそう貶す程度には警戒されていて強かったと言える 内藤さんの 横歩もそうだけど 鳥刺し ひねり飛車 良かったよ
中原さんに 矢倉もやったよね 自在流 自身を「アマチュアには人気がない」と自覚していた大山は本当に幸せだったのだろうか? 内藤九段はかなり天性の素質に秀れた棋士だと思う
趣味の詰め将棋が高じて堂々のA級
華やかな芸能活動しながら横歩では時代を先取りしてた超感覚
大山が腐そうとするのはその辺を警戒してだからある意味勲章
なんとも思ってないお客さんならわざわざ貶さない 内藤九段は横歩取り研究の第一人者だからな
後手番の指し方の原型を作った
将棋の歴史に残る棋士と言ってよい 大山先生は内藤先生の将棋を線の細い将棋と見ていたようだね
一見華やかそうだけど、線が細いから、こういう指し方は自分には通用しないと 矢倉を指さない居飛車党は所詮二流
格で言えば
123>有吉>内藤 大山相手に3手目角交換してみたり、
どう見ても王道の将棋じゃないから
そういう所も含めて5〜10番手評価なんだろうな 66歳のとき、B2で59歳の森雞二と昇級争いしてた。
結局昇級したのは森雞二(1位は36歳のハタチン) 昇級争い覚えているよ
60代になってもふつうに強かった
当時はNHK杯の決勝戦の解説もしていたな 25年ぐらい前、甲陽園で火災が発生した時
内藤さんの家の近くやんと思ったら
近所どころか危うく巻き込まれそうになって
隣の家は焼けてしまったそうだ >>33
66歳と59歳の昇級争いなんて、B2って特殊な世界だね 三枚堂先生がおゆきを歌うのは、藤森先生が塚田スペシャルを指すようなものかな? >>38
このときの森鶏先生は順位戦最終局で屋敷に勝って昇級を決めたのはすごい >>42
三枚堂って内藤門下のイメージないんだよなぁ…
どうしても石田門下に思えてしまう >>44
佐々木勇気七段とイメージがかぶっているんじゃない?
どちらも師匠に可愛がられているね 石田先生が佐々木七段の対局の解説をしたとき、対局後の感想戦で佐々木七段に
「ゆうくんは今日はどうだった?」と優しく問いかけていたのを覚えている >>50
義徳が大名人?
義雄とは、ひふみんと違って指してない 東西決戦で義徳に勝った嘉孝
「木村孝」と「木村徳」で区別されていた >>54
紛らわしいことに木村嘉孝の師匠が木村義雄 内藤は師匠が藤内(ふじうち)
弟子は藤内(とうない) そのさらに弟子が内藤になって、ループしていってほしい 四段になり損ねた藤内は弟子取れないから
神吉にでも任すのか? 谷川は神戸出身なのに内藤の弟子ではないんだね
若松の弟子になった 内藤は長らく弟子はとらないつもりだったから
兄弟弟子で道場やってる若松がいいと思ったんだろう
森安や淡路に弟子入りを断られた神吉は仕方なく引き受けた 神吉はデカいから、内藤クラスでないと師匠として見栄えがしない >>64
なぜ断られたのだろう?
他にも弟子いるのに 若松は弟子の谷川が大成したことで評判が上がり、道場も繁盛するようになった
最初は街はずれにあったのに、いい場所に移転した >>39
サントリーののほのん茶じゃなかったっけ?
おーいお茶にも出てた? 内藤が若いころは自分では弟子とらない方針で若松に紹介してたんじゃなかったっけ 谷川が奨励会3級で足踏みしてた頃、内藤は心配したそうだが
若松は初段まで自力で行けないようでは見込みがないと突き放した
当時三段だった小阪を谷川の稽古に行かせたのは誰の配慮か知らないが 谷川のお父さんはプロにするのは心配で、ふつうに大学まで行かせたかったらしいね
お兄さんは東大に行ったし、谷川も勉強はよくできた
でも、若松がお父さんを「谷川には才能がある。八段までは私が保証する」と説得し、
プロの道を歩ませた 谷川より後は長子がプロ将棋に入るのも目立つから、谷川のイメージの良さが後の世代に与えた影響は大きいな 家の跡継ぎの長男が棋士になるのは憚られたんだな
親戚に対しても示しがつかなかった 奨励会試験の時に木下浩一の母親が羽生の母に
棋士の基本給は5万円(おそらくC2の21位以下の事)とか言って羽生の母親が不安を抱いたそうだし
谷川の活躍で棋士目指した層でもまだ安泰とは思ってないんじゃない 内藤先生が奨励会員だったころは降級点制度がまだなくて、一回の負け越しでC2から降級していたからな
このころだと棋士を目指すのも困難は大きかった >>74
師匠の藤内も内藤の兄に「八段になれる」と説得した
内藤の兄も学生強豪でプロの八段の凄さはわかっており
そこまで言われるならと後押しした
当時アマ初段ぐらいだったが終盤のセンスや、負けても引きずらない楽天的な性格を評したそうで
どうしても弟子が欲しくて出まかせ言ったのだろうと内藤は語ってたが
そして内藤も40面指しのイベントで一番最初に勝たせた谷川を
「プロにすれば八段は堅い」と評している
これもリップサービスだけど、まだ幼いから十分伸びしろがあると見たのだろう こういう話はよく聞くが、師匠の見立てが甘く、A級棋士どころかプロにもなれず、逆恨みされたことも少なくないはず 谷川の弟子の都成は四段になれたけど
弟子にする以上は名人になれる器と思ったはずだから
見込み違いだったかもしれんな 奨励会なんてほとんどの子供が地元では大天才で名人候補
他の実業界の分野でもそうだが成功した人のエピソードばかり取り上げられる 故・木村義徳は「失敗体験記」のほうが有効と言っていた 昔、将棋マガジンにラジオ収録の模様が載ってたけど
にこやかそうにしゃべる内藤に対し
アシスタントの女性が露骨に嫌そうな顔してたな
内藤って外面だけ良いから嫌われてたのかな 全盛期の内藤先生はユーモラスな反面、どこかとんがったところがあって、周囲は
扱いにくかったのかも知れない
豊川先生とかサトシン先生のような憎めない面白さとは違っていた その二人と違って内藤先生は強豪だから
当時のトップ連中は癖のあるタイプばかりだし 芹沢先生によると内藤先生は無茶苦茶酒に強いらしい
酒好きの芹沢先生がつぶされてしまうくらい飲む 勝負に淡白な所があって
長手数の将棋を指してる最中に
「こんな将棋を誰が並べるのだろう」と思ったりするようだが、
長手数の詰将棋を作って
「こんな詰将棋を誰が解くのだろう」
とは思わないのだろうか 升田と東京と大阪の間、食堂車で飲み続け、升田より飲んでいた話ああり 升田が毒づいてその場に居合わせた人を小バカにして
その人が怒り出しそうになると升田はフォローしてたが
そんな風にからかわれて面白い訳がなく徐々に升田から人が離れていった
ある時酒席で一斉にやり込められる升田を見かねて違う店に連れ出したなどと
升田シンパぶりを語っていた内藤も
結局離れていき
升田は最後は高島弘光しか飲み相手がいなくなった 高島は50歳代で現役のままガンで逝去
エルモ囲いを偶然好んでいた
テレビ早指し戦で穴熊の大山を撃破し決勝へ 高島は日本一の攻めといわれる猛攻が身上だったからな
相手が大山でも撃破することがあった スレチご容赦
エルモ囲いで大山に勝ったテレビ早指し戦
飛車取りの馬に当て返した☗3七飛
最後の頓死を誘う大山のうっかりが印象的
エルモ囲いの先駆者として、今の時代、話題にされるべき 完全形でなくても雁木と称しているので、☗7九金と囲っていれば、エルモの先駆とは言える
少なくとも、当時でも他に見かけず
スレチご容赦 内藤有吉の不仲説はプロレス的なものだが
内藤桐山の不仲はガチ
いったい何があったの? 芹沢と有吉が、仲が悪くなるほど接点があったとは思えないが 堅物の有吉も、破天荒すぎる芹澤も、
接点が少なくてもお互いを生理的に嫌ってそうなのはわかる
内藤と有吉はそこまでひどくないが
対局時のピリピリした雰囲気で
「内藤と有吉を同じ場にセッティングしてはいけない」と
周囲が必要以上に気を遣いすぎた
晩年、連続じゃないけど3期B2で一緒だったのに
なぜか順位戦で手合いがつかなかったのも作為的な配慮を感じた 芹沢のほうが有吉を嫌っていたらしい
芹沢は山田道美、加藤一二三のことも嫌っていた 内藤は山田道美とは付き合いもないけど
大山アンチで一致する所もあって嫌ってはいない 大山名人のほうは内藤九段を軽んじているような態度だったな
将棋の内容もあまり評価していなかった 二上は終盤だけ、加藤は無駄が多い、
山田は中終盤が非力で挑発的言動が目に余る、内藤も本格派とは言い難いって事で
大山は、中原が出てくるまで誰も認めなかったのはわかる 大山は内藤の将棋を「アマチュアの方々が好むような指し方」とか言っていたな 塚田正夫が16人制(順位戦上位のみが原則)だったNHK杯戦では、見る人がワクワクする将棋を、と言っていたのをなぜか連想した 内藤の空中戦素敵やん
読み抜けや構想ミスってぼろ負けとかもあったのかな あと、気分屋で出来不出来の差が激しい
大山が「面白味がある内は天才」と言ってたのも内藤あたりを指したのか
面白味があって本格派でもあって強い中原が一番 中原名人の解説はわかりやすいよ
でも、米長永世棋聖や内藤九段のように冗談を交えることはない >>101
何が有ったという以前に根本的に馬が合わない
パリピー系で気心有る仲間とワイワイやるのが好きな内藤と
基本一人で静かにじっくりした時間を楽しむ桐山
派手な空中戦的魅せる将棋の内藤と
いぶし銀の異名通りの渋い堅実な将棋の桐山
酒好きでは有るけどギャンブルやゲームは好まない内藤と
ギャンブルやゲーム等を好んで酒呑まずによくやってる桐山
何から何まで接点が正反対過ぎて自分の好きは相手の嫌い(もしくはその逆)
って言うノリや気性だったんで自然にお互い口すら利かない仲に
>>102 >>104
芹澤は一時期「将棋は才能とセンス、努力や研究でやる奴は偽者。」とか言ってたんで
努力で研究家の山田や有吉を暗に嫌ってたのは実際有る
その山田は芹澤は芹澤の盟友の佐藤尚平を滅茶苦茶嫌ってたって話が有るとか >>107
芹澤が内藤の将棋を絶賛してて素晴らしい卓越した将棋って言ってたのに対して
大山は内藤の将棋をアマチュアの方々に見せるには面白い将棋って
暗に器じゃない言い回ししてたからな
因みに内藤、有吉、桐山、芹澤の4人はそれぞれ色々有るんだけど
奇しくも4人一致していたのは加藤一二三が大嫌いだった部分
で山田はその加藤の生涯の盟友だったんだな
山田ってある意味畠山鎮を更に過激に二回りほど強くしたタイプって評してた人いたな >>122
アマチュアの方々だけど
谷川将棋には華があるが内藤将棋は見てて疲れるだけ >>122
山田の棋書は非常に緻密で、「将棋の本」というより「将棋論文」といった感じ
加藤一二三が若いころに書いた棋書も緻密だった
互いに共感するところがあったのかもしれない 山田は研究会を主宰して若手を集めて研究していたから、今の将棋の先駆者ともいえる 本将棋 内藤九段将棋秘伝はコンピュータ将棋選手権に出場した唯一の家庭用ゲーム機ソフト >>125
昭和50年ごろの雑誌『近代将棋』巻末の山田が主人公のシリアスな劇画
ひふみんが登場してきて、仲よく語り合っていた
山田の日記をもとにしたらしく、登場したひふみんが驚いて、翌号の読者投稿欄に感想をしみじみ述べていた コンピューターソフトにも理解があった
今お元気だったら激指の監修とかをされていたに違いない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています