【訃報】 木村九段 死去
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令和3年6月29日(火)午前8時34分、木村義徳九段が京都市内の介護施設で老衰のためお亡くなりになりました。86歳でした。
謹んで哀悼の意を表します。葬儀は、ご親族のみにて執り行われましたことをご報告いたします
https://www.shogi.or.jp/news/2021/07/post_2033.html?mi=cu_event 木村14世名人の三男でアマからプロ転向したって凄い時代だな 去年まであんなに元気そうだったのに。おじおじありがとう
ご冥福をお祈りします 弱いのが強いのに勝つ法―勝負の理論 単行本 – 1980/9/1
木村義徳 (著) 高齢の存命引退棋士
大村和久 八段 93歳
宮坂幸雄 九段 91歳
北村昌男 九段 86歳
有吉道夫 九段 85歳
佐伯昌優 九段 84歳
田辺一郎 七段 82歳
若松正和 八段 81歳
内藤國雄 九段 81歳
加藤一二三 九段 81歳 ワニブックス『僕は陽気な負け犬』は、花村元司の『ひっかけ将棋入門』と並ぶ名著だと思う。 >>16
わざとそうではないと勘違いさせようとしてるだろ
悪質 研究者だったな、この人
将棋の内容の研究家じゃなくて、将棋史研究者 自分のことを弱いと自虐しながらA級まで行ったのはこの人と山崎くらいやな 将棋板覗くやつなら、スレタイで木村義徳のことだろなと普通は思うかな >>26
早稲田大学大学院修士課程修了(東洋史)
大学院在籍中に付け出し三段
アマでも参加可能だった読売十段戦予選で芹沢に勝利
『株は大局観』という著作も ほとんど人が来ない(というか入りづらい)将棋博物館館長
連盟が博物館のお宝を売り払った時に米長批判してたな、よう知らんけど >>30
勿論、私もすぐにそう思ったが、同時にスレ主の意図が垣間見れてイヤな気持ちになった >>35
正規には4人で、義徳は三男
二男が早逝だったかな
義徳曰く、会ったことがない人も入れたら10人ぐらいいたらしい アマ時代、父が名人なので、大会参加を拒否されたことも
しかし実際には2〜3局ぐらいしか指していないと言う
四段時代に大山当時名人に初手合いで快勝
五段時代に突撃の順位戦連勝を18でストップさせ、同時に昇級昇段
しかし本人は「弱がり」だった 「急逝」ならまだしも、義徳だって高齢記録の持ち主のA級棋士だけど 木村は複数いるのにわざわざ下の名前を書かないのは悪質かと B2から2年連続でA級昇級
すぐに2年連続降級
空前の珍記録
B2で降級点経験後のA級昇級も空前絶後 親子で棋士はあまりいないんだよな(女流棋士は除く)
その希少な例の西川慶二八段も、つい先日引退
ナベのところも子の育成は失敗したらしいし、今後なかなか現れないかもな >>12
> 北村昌男 九段 86歳
このかたは囲碁もプロじゃなかったかな? >>39
昔の大卒棋士は大内さんと加藤(治)さんぐらいでしょ。 >>47
囲碁でもプロ棋士は故・北村文男
>>46
板谷が先に親子でA級
A級棋士加藤博二の父親の竹次郎は五段
タナトラみたいに、子どもは元奨なら、高田丈資も
>>49
大卒どころか、義徳は大学院修了
在籍中に付け出し三段 木村九段かと思ったらやっぱり木村九段だった
木村義徳九段もうそんな年齢だったんだね 阿久津の惨敗記録の前にA級大敗記録もっていたとして名前を知った棋士
そういう意味では最近の人にも予想以上に知られているかも 木村義徳先生は早大大学院で中国史を専攻した。修士号を持つ棋士としてはたぶん初。
関西将棋会館にあった将棋博物館の館長を長く務めたけど、米長会長時代に閉鎖された。
東西どちらでもいいから、新将棋会館には将棋博物館を再興してほしい。
館長は東なら高見(立教大で日本史専攻)、西なら糸谷(阪大大学院で哲学専攻)かな。 石田和雄も全敗を義徳の翌年に
しかし、阿久津とも違い、義徳はA級ゼロ勝 B1時代、鈴木英春当時奨励会三段に練習将棋で鍛えられA級に 師匠は加藤治郎(将棋界初の大卒プロ・早大卒)で木村義雄ではないんだよな
これは早大繋がりなのかね
木村義雄には木村嘉孝という早大卒の弟子がいて名前も似てるからひどく紛らわしいw >>55
博物館見てみたいよね
でも天童の駅前の将棋資料館と大差ないとか? 旧三段リーグでの東西決戦
同じく早稲田卒の嘉孝が義徳に勝って昇段
その後、義徳は板谷に勝って昇段 木村九段の将棋史の本、図書館で借りて読んだわ。めっちゃ面白かった
史学専攻としては史料のあたり方や推論の立て方に甘いところも感じたけど、在野(と言っていいものか)であれだけ調べてるのはすごいと思った 失礼ながら、学部は二文
昭和30年代前半に大学院なので、東洋史専攻でも現代中国語はできなかったかもな 高見も立教の史学だけど、将棋史について研究してたのかな? >>64
してたら、叡王になった時に自分で言ってたと思えるが >>65
叡王は関係ないとは思うが…
自分も史学科だったから、どこを専攻してたのか興味ある A級昇級決定の際、老師からの「超大穴」「順位戦始まって以来」という言葉を期待していた義徳
実際には「率直に言って番狂わせ」程度だった
棋士仲間からは「若い者の励みになる」「見直したよ」と言われたとか 将棋の歴史をテーマに卒論を書きました。国内最古と言われる「平安時代の将棋の駒」が
奈良県の興福寺で見つかっているので、いつ伝来したのかということや、
当時のルールなども含め。諸説ある事柄も多かったので、国会図書館で文献を調べて
「この文書にはこう書かれている」と複数の説を記載したり。
自分にしかできないことだと思ったし、ちゃんと調べられて良かったです。
https://www.shogi.or.jp/column/2018/08/takami_03.html B1に再度落ちてから、西村戦で午前中の二手指し
ブルー野戦では、馬の疝気筋
以上の2反則負けを含み通算18連敗
B2に55歳までいて早い引退
順位戦は通算勝ち越し 『株は大局観』では「もうはまだなり、まだはもうなり」
観戦記者の田辺忠幸は早稲田の将棋部で義徳の先輩
棋士になってからも、「木村先生とは呼べない、義徳君だ」と豪語していた >>1
ぐおららららららら
ややこしいじゃねぇかあああああ
ご哀悼を表します。 一流の実力者のはずのA級棋士
弱いままA級に昇級した初めての画期的棋士と言われた B1順位戦で7戦全勝の時、英春との練習対局で1−9だった
「本番にお強い」とからかわれたとか
プライドに傷をつけられたと思わない謙虚さで、森安弟の9−3を抑えて、10ー2で昇級
(有吉と桐山に負け) 86か若いな
それに養老介護施設にはいっとたんか
健康寿命はとっくにつきとったんだわな
となりの爺さんはまだ一人で暮らしとるけどが 親父も糖尿なのに長生きだったよな
事故死の次兄は仕方ないとして長命の家系なのか 名前を書かないのは5chの様式美でこっちの木村だと思ったら案の定だった。
ご冥福をお祈りします。 >>80
大往生とはいわないとしても中往生くらいではあるまいか >>86
正直最初木村義雄の方かと思ってまだ生きてらしたのかと驚いた 1986年11月17日の将棋の日、木村義雄十四世名人が亡くなった日に生まれたのが飯野愛女流初段。
木村義徳九段が亡くなった2021年6月29日に、未来の女流棋士は生まれたのだろうか? 木村義コ先生は 確か 持ち駒の研究もしていて大内先生の将棋のルーツを探す旅の前から いろいろ将棋の歴史を研究していたはず。 一時期日経に観戦記書いておられたな
いやらしいヨイショやもったいぶった修辞のない淡白な文章で好きだった
ご冥福をお祈り申し上げます 昇級した時のB1順位戦、最後は故・高島弘光に勝利し、高島は降級
リーグ開始当初、強気で有名な高島に「ボクが首切り役」と言われていたのに、立場が逆になった スレタイが悪質かどうかって話だけど、訃報なのに名字しか書かない時点で悪質だよな
故人に対して非常に無礼だ 「同姓別人がいるのに」だろう
お一人しかいなければ、問題なかったはず B2から復帰のはずが、自他ともに新規昇級、と
下位の7−3で昇級
B2の残留者から、昇級者なのに「木村君がいなくなったので1勝、損をした」と言われたとか >>100
おじおじ・・・
毒舌だけど、人がいいことがあふれ出た人でしたね。
やせてたから病気だったんかな。
ご冥福をお祈りいたします。 「不調も三年続けば実力」は木村義雄の言葉?
控室でボヤいた桐谷に木村義徳が浴びせた言葉? B1順位戦で居飛車に急転向した義徳
関根に矢倉から大苦戦を逆転勝ち
感想戦に参加の桐谷から「義徳さんは矢倉の初心講座を読まれたらいかがですか」と言われていたことを、義徳が書いていた >>102
義徳は創作しても年少者にも浴びせない性格
義雄の創作を、父の言葉としてでなくとも、年少者に肯定することはあっただろう 義雄の父、義徳の祖父は、平凡な将棋ファン
ルールを間違えて義徳に教えた、とも
関東の人間だった義徳だが、四段昇段後、なぜか京都に一戸建てを建てて関西に移籍
(淫蕩な父が嫌だったか。飲み歩いていないはず)
好きな将棋で飯が食えれば一日二食でいいのを、親子4人で三食食えて幸せ、と
息子とは将棋を求められるままに指したが、初心者の入門レベルでだけだった、と 親しかった西村一義はA級には上がれず
しかしタイトル挑戦歴もあるし、勝ち星では義徳よりはるかに上
父・義雄が作った順位戦の功罪 >>107
その日に亡くなったから将棋の日になったのではなくて? ひふみんとは、珍しい、A級順位戦が初手合い
升田ー板谷進以来ぐらいだったかな 株でもうけた気楽さでA級昇進
株で負けて2連続降級 昔角落ちで記念対局させていただきました。俺も歳とる筈だよなあ、、、
ご冥福をお祈りいたします。 アマとの平手戦でも、結構負けたと自分で言ってらした スレタイ悪質だね〜
無名な人を苗字だけで有名な人と誤認させるのは悪質 なお「木村といえば木村名人の息子と普通は想像できる」とシラを切る模様 55歳で自主引退したけど、粘っていたらいつまで現役を続けられただろうか
※同年齢に有吉道夫がいる >>122
B2降級点1だった
65歳ぐらいまでだったかな
フリクラができた時、転出したと思う 普通に永世名人の息子だと思ったけど、知らない人には詐欺だよなこれは チーム早稲田の大先輩だな。大学院まで行っているし。 >>127
人を騙すのは詐欺だろ。法律用語云々言いたいなら精神病院行けや、お前 初の学士棋士は加藤治郎名誉九段、初の修士棋士は木村義徳九段、
初の博士棋士は飯田弘之七段だな。飯田七段は調べたら現在、
北陸先端科学技術大学院大学の副学長だ。偉くなってるんだな。
https://fp.jaist.ac.jp/public/Default2.aspx?id=429 スレタイに悪意を感じる。まじで一瞬超びびったわ、いや誰やねん >>94
大山が解任されて二上が会長になった時は
反大山による「大山おろし」と批判してたな >>83
事実を誤認させようとする意図が悪質で愉快犯的だ 例えば、木村姓が何人もいる大きな会社でそのうちの一人が亡くなったとして、
社内に回付するメールの件名を「木村さんが亡くなりました」とか「【訃報】木村氏」
としたら、常識を疑われる。「開けばだれかわかるからいいだろ」という問題ではない。 VIPなら>>1の個人情報晒されるな
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo
mailmaster@cnspcjzl.com >>14
『僕は陽気な負け犬』なつかしいなあ。
棋書を随分読んで、勉強になったり面白かったのは
たくさんあるが「笑えた棋書」はこれだけだった。 >>106
B1でばく進中に
西村「5連勝で優勝候補なんてトンデモナイ。
木村さんに限って、やっと降級候補だけは外れた。」 引退棋士なら元九段って書けよ
悪質なので通報しました 大体が元九段じゃないから 木村義雄元十四世名人w アホの発想 引退したって九段は九段だろ
ひふみんだって元九段じゃない >>142
A級に上がった義徳への西村の祝辞
「A級は9番指すのだから、木村さんでもまあ1番は勝てるでしょう
もし残留したら平伏して謝ります」
バスで出会ったファン
「勢いに乗って次は名人ですね」 >>151
大山だって何人もの仲居さんに手をつけてた
突撃もその路線
谷川は永世名人の伝統を引き継いでいない >>152
辞任を迫ろうとする場の空気を察して自ら会長職を退いた形だが
事実上の解任だもんな
大山の長期政権とワンマンぶりを批判したんだろうけど
関西会館建設時の資金集めなど会長としての多大すぎる功績を無視した
ひどい仕打ちと木村は感じたのだろう >>154
義徳がこれを「連盟のクーデター」と評し、2度ほど活字になったと >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo A級昇級決定の局後、なぜか祝杯を挙げる気にならなかった、と『将棋マガジン』の自戦記 亡くなられた木村義徳九段への追悼の念が少なく
てさすがに5ちゃんやってる人達のレベルが推し量れる。私以外の全員の程度が低すぎると言ったら言い過ぎだろうか。
一基九段のファンは開いて一安心だろうし、それをガヤガヤ騒ぎ立てる方が不愉快です。
なにより木村義徳九段と長年親しくさせて頂いた
私にとっては今でも木村九段と言えば亡くなられた義徳氏なのです。 B1順位戦の西村戦直前、練習対局で主任コーチを自称の奨励会員鈴木英春は穴熊で来た
本番では夕休に入ったがさし続け、西村がすぐ投了 >>77
桐山でなく、森安弟
桐山はA級順位戦初戦で負かされた 詰将棋の同人誌に反論寄稿してたのを覚えてる
引退後も将棋の本はだいたい目を通してたんだろうな >>167
それなら親しくしてたエピソードの3〜4つはあるんでしょ?
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>167
それなら親しくしてたエピソードの3〜4つはあるんでしょ?
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo 訃報で遊ぶんじゃねーよ
いくら5チャンネルだって不謹慎はNG 木村義徳先生の歴史学者(将棋史研究者)としての活動はネットでも確認できる。
木村義徳「将棋の日本到着時期をめぐって 増川宏一説に対する批判」
(『桃山学院大学総合研究所紀要』30-2、2004年)
https://www.andrew.ac.jp/soken/pdf_3-1/sokenk152-1.pdf
「増川の木村に対する批判の中で、増川の曲解に基づく行きすぎた暴言があり、
著しく木村義徳氏の名誉を傷つけたとして、「将棋世界」2006年9月号にて
増川の名で木村に対する謝罪広告文が出された。」(ウィキペディア「増川宏一」) 会ったことがあるとか、なくても自称ファンって、個人的経験からは「薄っぺらい」
ファンでなくても詳しい人もいるし
この故人でなくても、話をうまく振ってくれる人もいる >>169
「西村の投了が早すぎた」との評もあるみたいだが。 西村はむしろ、義徳に口頭でと金寄りを催促し、そのとおりに指されて即投了したはずだが 昔、NHK杯で負けたにもかかわらず堂々とお茶を飲んでいた姿を見て負けてもこうあるべきだと思いましたわ。 >>167
親しくさせて頂いたって
まさか京都新聞の大会に審判長で来てた時に
一言、二言挨拶交わす程度じゃないよね?
将棋ファンのジジイは話を大きくするホラ吹きが多いからなあ 石田和雄六段と木村氏の第28期順位戦。
微妙に奇妙な展開だったらしいが。 >>182
負けるのに慣れているから、堂々とされていたのだろう
勝ち慣れの棋士は、負けそうになると挙動不審と、義徳は書いていた >>183
「女優と親しくさせていただいている」とほざくオッサンのレベル
本当に昵懇なら、女優も言わせないし、女優自身も言わない
SNSででも、「さんづけ」のレベル
呼び捨てどころか、実情を書かれないのが勲章 社団法人日本将棋連盟の創業者の息子なので遺産の運用のためにプロ入りしたということだろう
奨励会三段に1959年編入、1961年26才でプロ入りというのは今見るとインチキ
奨励会の年齢制限が26才なのは木村のせい 奨励会に入る前で11勝7敗のプロ棋戦
四段になったごろ、年齢制限なし
その後の制限は30歳
京都の義徳の家ぐらい、師匠でない父から買ってもらったかな
隠し子兄弟も多かったのに 83 名無し名人 2021/07/06(火) 21:41:21.68 ID:aM1rH7gm
>>17
事実と異なる記載は一切ない。
こういう事言う奴って何歳ぐらいなんだろう? >>190
こういう事言う奴って何歳ぐらいなんだろう? >>196
そいついろんなスレに2レスだけ暴言吐くキチガイだぞ 「本当に昵懇なら、女優も言わせないし、女優自身も言わない」
ここの解釈ね 永世名人が艶福家
大山も仲居に手をつけ、突撃は身内に
谷川で途絶えたか 義徳は、故・山田道美に「大山さんを弱くしたような将棋」と言われたことがあった
それもあって振飛車党だったが、居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
この当たって砕けろの精神は、令和の将棋を予見していまいか A級からB2に戻り、なぜかまたいつしか振り飛車党に >>203
>居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
一発屋芸人みたいなもんだが、いちおう成功したな。
福崎文吾や中村修は一時はかなり強かったが、それができなかったからA級に行けなかった。 西村は義徳より200勝以上しているが、ノンタイトルでもあり、全敗でもA級に入った義徳とは違う 義徳のA級昇級時、花村との初戦はまだ振り飛車だった
次の大五郎は、義徳は相振りを指さない対抗型党ゆえ、居飛車
3局めの芹沢戦から居飛車
芹沢も居飛車党だったから、相居飛車だった 「弱いのが強いのに勝つ法」の木村九段か
謹んでご冥福をお祈り申し上げる 将棋世界の連載で、草創期(安土桃山から江戸初期)の名人の棋力について、
「今の名人には、二枚落ちでは勝てても飛車落ちでは勝てないだろう」
と推測していた
ただし「そのような状況で現代将棋のルールが生まれたのは驚異的」と述べている >>209
振り飛車の花村よりは、居飛車の花村のほうが戦いやすかったのではないか? 高島弘光とは義徳が振り飛車の対抗形が普通だったはずだが、昇級決定の一番では逆だった
有吉へのひねり飛車で連勝がストップ
その前、ひねり飛車の名手の丸田にひねり飛車で快勝
対局後に飲みに誘われ、思い出A級でいいから、行ってきたまえ、と変な激励をされている >>213
「思い出代打」「思い出ヘッスラ」みたいなフレーズは近年よく目にするが
40年以上前の当時から「思い出●●」みたいな言い方してたんだろうか ご教示に感謝
ややそれるが、当時は対抗型という言い方はなかったような
大山は好んではいたが、「飛車の正面衝突が好き」と言っていたはず 本当の本当に飛車の正面衝突なら向かい飛車になるねえ 義徳が8−1で迎えたB1順位戦の殴打との対局は、勝てばA級当確ということで、本人も知らううちに継ぎ盤で注目されていた
知っていたら勝てなかったかもしれない、と述懐
なぜなら、注目の一番など指したことがないから >>223
プレッシャーがなかったから昇進できた、ってのはあるだろうな。 芹沢に勝って3連勝
西村「やっと降級候補から外れた程度」
芹沢「みんなが勝てると思っているから危ない。ひょっとすると逃げられるぞ」
芹沢の慧眼 「人気薄の逃げ馬は買い」という言葉があるように
普段はノーマークの奴がレース序盤から先行(逃げ)してもすぐバテて力尽きるのだが
たまに奇跡的な大逃げで勝ってしまう事が競馬や競輪であるから
ギャンブル好きの芹澤はそのあたりを感じたかもしれない B1は一期抜けしたんだよね
中原、谷川、羽生レベルの快挙だった 初B1は一期で降級
2回めがよもや(?)のA級
戻ってきて即B2へ
B1「残留」歴なし A級棋士になって、副立ち会いの仕事が来た
温泉だったので、楽しかったっと >>36
トーナメントプロを引退しても段位はそのまま、
規定により上がることも 金易二郎さんは名誉九段だったなあ。
今は 名誉●段 を名乗る制度はないんだっけ? 高柳と佐瀬?
高柳は「九段は名人の段」と主張して九段は固辞 九段は名人経験者だけにして、その他の棋士は名誉九段でいいと思う
永世竜王保持者については、竜王戦が元九段戦だった経緯を尊重して、永世九段でいい そうすると囲碁界に比べて九段の人数が極端に少なくなってバランスが悪くなるから、
意図的に将棋の方でも九段を増やしてきたんだが >>235
それは囲碁界のほうがおかしいのだ。
とはいえ九段が濫造されてる事実には抗いようがないので、将棋界も九段を増やさなければなるまい。
しかしそれでは九段の価値が下がってしまうわけで、ならばどうするべきか。
段位としての十段を設けることだ。これは囲碁にも設けるべき。
そして十段の基準を厳格にして濫造させないこと。←ここ重要
これを破って緩くすると十一段が必要になってくる。
こんなことを繰り返してはいけない。
元はと言えば囲碁界が九段を濫造したことに原因がある。 タイトルとしての九段を経て 段位としての九段が生まれたのは昭和33年だから そんな昔のことでもない
でもその頃の九段はすごく重くて今でいう永世称号くらいの感覚だったんだよ
だからトップ棋士でも大半は八段だった
一方囲碁界は九段を量産した
だから囲碁のトップ棋士と将棋のトップ棋士がテレビで共演すると囲碁は九段で将棋は八段ということになる
テレビマンはその辺の経緯を知っているわけじゃないんで将棋の棋士は「格下扱い」を受けていたんだよ
それが悔しいというんで将棋界も九段を増やそうという動きが生まれたんだね
升田なんかは「九段は名人の段位である」と言って反対したんだが九段量産の流れは止められなかった >>36
木村先生が九段に昇段したのは引退して10年後のことだったんだよ
だから、九段が元九段になったのではなく、元八段が九段になった 8段になったのが遅かったので、現役時代は8段のまま引退し、引退後追贈で9段になったんだよな 解説はハキハキしていて聞きやすいしわかりやすい
ユーモアも交えるので、聞き手の女流棋士も笑っていることが多い (当時にそういう語はなかったようだが)対抗形を好み、振り飛車党時代でも、相振りは指さなかった記憶 >>245
女流棋士より永井さんの聞き手が多かったかな
解説では十四世名人のエピソードもよく話してくれた 現役時代、連盟に批判的で、連盟から除名されるのではと連名以外の人から心配された
本人は「株主を除名できる株式会社はない」という論理で」、どこ吹く風だった ネットではハゲとか書かれているけど実はロマンスグレーだったな >>253
???
>>252
将棋界初の大学院修了棋士 >>252
木村先生の観戦記は味わい深い
文章力は新聞記者にも負けないものがあった >>255
アマのトップはプロの中ぐらい、重いと厚いはわすかな差、駒得は味わるし
など木村節が随所に冴えた京都新聞夕刊のアマチュア将棋の解説 木村九段の元弟子の田中沙紀が大野八一雄門下で女流棋士になる 木村九段に基礎を教わった後、大野九段に大野流三間飛車を教わった 飛車を振って王様を美濃に固く囲っておけば序盤は特に考えなくていいというのが
大野先生の教えだから、女流棋士でも覚えやすかったんだろうな 木村九段はオーソドックスな居飛車将棋だったからな
矢倉が得意だった >>267
義徳さんがB1から奇跡の昇級を果たした時期限定かな 木村先生も振飛車を指すことはあったよ
でも、大野先生のお株を奪うほどではなかった 源一さんほど強くなかったが、義徳さんも基本、振り飛車党 >>261
大野先生は大山名人にも振り飛車を教えていたよ
おかげで大山名人は代表的な振り飛車の使い手になった 早稲田の大学院で東洋史専攻
院生時代に三段で奨励会入り 将棋史については木村先生と大内先生が詳しかった
今の将棋の源流を探求しようとした 増川さんは7月11日に亡くなっているから木村九段の12日後だった 悪質すぎるわ
99,9999%の人は木村といったらおじさん思い浮かべるやろが
スレタイみてほとんどの人がえっ?ってびっくりするの想像して
ニヤケてる>>1が想像できる、通報したくなかったけどするほかなかった
この木村義徳??って人をしってる人がどれだけおんの?
うちのじいちゃんより年いってんねんけどまじで >>281
将棋やる人なら知ってていい棋士なんだがな
木村義雄の子供なんだし 多分読んだことは無いだろうが「弱いのが強いのに勝つ方」は、書名だけでも覚えとくべき名著 >>167
長年親しくさせて頂いた
→実際は大会の審判で来てた時に挨拶交わす程度だったんだろうな
ジジイは話を大きくしたがる、自分を大きく見せたがるから >>281
同感
おかしな逆上反応する奴は脳のキャパシティーがちっさすぎるんじゃねえの >>281
木村先生知らないとか将棋ファンの風上にもおけんわ
黙って半年ROMってろニワカ
将棋板だとひところは館長と呼ばれることが多かったが米長のせいで由来を知る人もどんどん減ってくな 将棋界きってのインテリだったからな
由来や故実に詳しかった かつては旧制中学を出ていればインテリ棋士と呼ばれたからな
大学院まで出ていた木村先生は超絶インテリ棋士だった 14世名人は義徳先生を棋士にしたかったのかな?
大学まで行かせてふつうのサラリーマンにしたかったような気がする 同姓の棋士では板谷四郎・進、高島一岐代・弘光、西川慶二・和宏、藤森奈津子・哲也が有名だが
木村義雄・義徳・嘉孝・一基についても記憶にとどめるべき >>10
勝負術の本としてはかなり優れた部類に入る >>296
むしろ学者だったかも
だから大学院にも行っている
三段付け出しなのは、当時、参加可能だった十段戦の予選で、芹沢などを相手に活躍できたから
名人の反対はなかっただろう
四段になった時にも、八段にはなれると言っていた
ただし、義徳が言うように、確かに親バカ
奇跡の最高齢A級昇級だった >>297
前者は家族関係
木村姓で、親子と同姓がごちゃまぜ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています