【訃報】 木村九段 死去
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
令和3年6月29日(火)午前8時34分、木村義徳九段が京都市内の介護施設で老衰のためお亡くなりになりました。86歳でした。
謹んで哀悼の意を表します。葬儀は、ご親族のみにて執り行われましたことをご報告いたします
https://www.shogi.or.jp/news/2021/07/post_2033.html?mi=cu_event >>253
???
>>252
将棋界初の大学院修了棋士 >>252
木村先生の観戦記は味わい深い
文章力は新聞記者にも負けないものがあった >>255
アマのトップはプロの中ぐらい、重いと厚いはわすかな差、駒得は味わるし
など木村節が随所に冴えた京都新聞夕刊のアマチュア将棋の解説 木村九段の元弟子の田中沙紀が大野八一雄門下で女流棋士になる 木村九段に基礎を教わった後、大野九段に大野流三間飛車を教わった 飛車を振って王様を美濃に固く囲っておけば序盤は特に考えなくていいというのが
大野先生の教えだから、女流棋士でも覚えやすかったんだろうな 木村九段はオーソドックスな居飛車将棋だったからな
矢倉が得意だった >>267
義徳さんがB1から奇跡の昇級を果たした時期限定かな 木村先生も振飛車を指すことはあったよ
でも、大野先生のお株を奪うほどではなかった 源一さんほど強くなかったが、義徳さんも基本、振り飛車党 >>261
大野先生は大山名人にも振り飛車を教えていたよ
おかげで大山名人は代表的な振り飛車の使い手になった 早稲田の大学院で東洋史専攻
院生時代に三段で奨励会入り 将棋史については木村先生と大内先生が詳しかった
今の将棋の源流を探求しようとした 増川さんは7月11日に亡くなっているから木村九段の12日後だった 悪質すぎるわ
99,9999%の人は木村といったらおじさん思い浮かべるやろが
スレタイみてほとんどの人がえっ?ってびっくりするの想像して
ニヤケてる>>1が想像できる、通報したくなかったけどするほかなかった
この木村義徳??って人をしってる人がどれだけおんの?
うちのじいちゃんより年いってんねんけどまじで >>281
将棋やる人なら知ってていい棋士なんだがな
木村義雄の子供なんだし 多分読んだことは無いだろうが「弱いのが強いのに勝つ方」は、書名だけでも覚えとくべき名著 >>167
長年親しくさせて頂いた
→実際は大会の審判で来てた時に挨拶交わす程度だったんだろうな
ジジイは話を大きくしたがる、自分を大きく見せたがるから >>281
同感
おかしな逆上反応する奴は脳のキャパシティーがちっさすぎるんじゃねえの >>281
木村先生知らないとか将棋ファンの風上にもおけんわ
黙って半年ROMってろニワカ
将棋板だとひところは館長と呼ばれることが多かったが米長のせいで由来を知る人もどんどん減ってくな 将棋界きってのインテリだったからな
由来や故実に詳しかった かつては旧制中学を出ていればインテリ棋士と呼ばれたからな
大学院まで出ていた木村先生は超絶インテリ棋士だった 14世名人は義徳先生を棋士にしたかったのかな?
大学まで行かせてふつうのサラリーマンにしたかったような気がする 同姓の棋士では板谷四郎・進、高島一岐代・弘光、西川慶二・和宏、藤森奈津子・哲也が有名だが
木村義雄・義徳・嘉孝・一基についても記憶にとどめるべき >>10
勝負術の本としてはかなり優れた部類に入る >>296
むしろ学者だったかも
だから大学院にも行っている
三段付け出しなのは、当時、参加可能だった十段戦の予選で、芹沢などを相手に活躍できたから
名人の反対はなかっただろう
四段になった時にも、八段にはなれると言っていた
ただし、義徳が言うように、確かに親バカ
奇跡の最高齢A級昇級だった >>297
前者は家族関係
木村姓で、親子と同姓がごちゃまぜ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています