【訃報】 木村九段 死去
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令和3年6月29日(火)午前8時34分、木村義徳九段が京都市内の介護施設で老衰のためお亡くなりになりました。86歳でした。
謹んで哀悼の意を表します。葬儀は、ご親族のみにて執り行われましたことをご報告いたします
https://www.shogi.or.jp/news/2021/07/post_2033.html?mi=cu_event >>151
大山だって何人もの仲居さんに手をつけてた
突撃もその路線
谷川は永世名人の伝統を引き継いでいない >>152
辞任を迫ろうとする場の空気を察して自ら会長職を退いた形だが
事実上の解任だもんな
大山の長期政権とワンマンぶりを批判したんだろうけど
関西会館建設時の資金集めなど会長としての多大すぎる功績を無視した
ひどい仕打ちと木村は感じたのだろう >>154
義徳がこれを「連盟のクーデター」と評し、2度ほど活字になったと >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>1
震えて眠れ
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo A級昇級決定の局後、なぜか祝杯を挙げる気にならなかった、と『将棋マガジン』の自戦記 亡くなられた木村義徳九段への追悼の念が少なく
てさすがに5ちゃんやってる人達のレベルが推し量れる。私以外の全員の程度が低すぎると言ったら言い過ぎだろうか。
一基九段のファンは開いて一安心だろうし、それをガヤガヤ騒ぎ立てる方が不愉快です。
なにより木村義徳九段と長年親しくさせて頂いた
私にとっては今でも木村九段と言えば亡くなられた義徳氏なのです。 B1順位戦の西村戦直前、練習対局で主任コーチを自称の奨励会員鈴木英春は穴熊で来た
本番では夕休に入ったがさし続け、西村がすぐ投了 >>77
桐山でなく、森安弟
桐山はA級順位戦初戦で負かされた 詰将棋の同人誌に反論寄稿してたのを覚えてる
引退後も将棋の本はだいたい目を通してたんだろうな >>167
それなら親しくしてたエピソードの3〜4つはあるんでしょ?
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo >>167
それなら親しくしてたエピソードの3〜4つはあるんでしょ?
0new0era0aaaa0aaaa0@johny2021.tokyo 訃報で遊ぶんじゃねーよ
いくら5チャンネルだって不謹慎はNG 木村義徳先生の歴史学者(将棋史研究者)としての活動はネットでも確認できる。
木村義徳「将棋の日本到着時期をめぐって 増川宏一説に対する批判」
(『桃山学院大学総合研究所紀要』30-2、2004年)
https://www.andrew.ac.jp/soken/pdf_3-1/sokenk152-1.pdf
「増川の木村に対する批判の中で、増川の曲解に基づく行きすぎた暴言があり、
著しく木村義徳氏の名誉を傷つけたとして、「将棋世界」2006年9月号にて
増川の名で木村に対する謝罪広告文が出された。」(ウィキペディア「増川宏一」) 会ったことがあるとか、なくても自称ファンって、個人的経験からは「薄っぺらい」
ファンでなくても詳しい人もいるし
この故人でなくても、話をうまく振ってくれる人もいる >>169
「西村の投了が早すぎた」との評もあるみたいだが。 西村はむしろ、義徳に口頭でと金寄りを催促し、そのとおりに指されて即投了したはずだが 昔、NHK杯で負けたにもかかわらず堂々とお茶を飲んでいた姿を見て負けてもこうあるべきだと思いましたわ。 >>167
親しくさせて頂いたって
まさか京都新聞の大会に審判長で来てた時に
一言、二言挨拶交わす程度じゃないよね?
将棋ファンのジジイは話を大きくするホラ吹きが多いからなあ 石田和雄六段と木村氏の第28期順位戦。
微妙に奇妙な展開だったらしいが。 >>182
負けるのに慣れているから、堂々とされていたのだろう
勝ち慣れの棋士は、負けそうになると挙動不審と、義徳は書いていた >>183
「女優と親しくさせていただいている」とほざくオッサンのレベル
本当に昵懇なら、女優も言わせないし、女優自身も言わない
SNSででも、「さんづけ」のレベル
呼び捨てどころか、実情を書かれないのが勲章 社団法人日本将棋連盟の創業者の息子なので遺産の運用のためにプロ入りしたということだろう
奨励会三段に1959年編入、1961年26才でプロ入りというのは今見るとインチキ
奨励会の年齢制限が26才なのは木村のせい 奨励会に入る前で11勝7敗のプロ棋戦
四段になったごろ、年齢制限なし
その後の制限は30歳
京都の義徳の家ぐらい、師匠でない父から買ってもらったかな
隠し子兄弟も多かったのに 83 名無し名人 2021/07/06(火) 21:41:21.68 ID:aM1rH7gm
>>17
事実と異なる記載は一切ない。
こういう事言う奴って何歳ぐらいなんだろう? >>190
こういう事言う奴って何歳ぐらいなんだろう? >>196
そいついろんなスレに2レスだけ暴言吐くキチガイだぞ 「本当に昵懇なら、女優も言わせないし、女優自身も言わない」
ここの解釈ね 永世名人が艶福家
大山も仲居に手をつけ、突撃は身内に
谷川で途絶えたか 義徳は、故・山田道美に「大山さんを弱くしたような将棋」と言われたことがあった
それもあって振飛車党だったが、居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
この当たって砕けろの精神は、令和の将棋を予見していまいか A級からB2に戻り、なぜかまたいつしか振り飛車党に >>203
>居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
一発屋芸人みたいなもんだが、いちおう成功したな。
福崎文吾や中村修は一時はかなり強かったが、それができなかったからA級に行けなかった。 西村は義徳より200勝以上しているが、ノンタイトルでもあり、全敗でもA級に入った義徳とは違う 義徳のA級昇級時、花村との初戦はまだ振り飛車だった
次の大五郎は、義徳は相振りを指さない対抗型党ゆえ、居飛車
3局めの芹沢戦から居飛車
芹沢も居飛車党だったから、相居飛車だった 「弱いのが強いのに勝つ法」の木村九段か
謹んでご冥福をお祈り申し上げる 将棋世界の連載で、草創期(安土桃山から江戸初期)の名人の棋力について、
「今の名人には、二枚落ちでは勝てても飛車落ちでは勝てないだろう」
と推測していた
ただし「そのような状況で現代将棋のルールが生まれたのは驚異的」と述べている >>209
振り飛車の花村よりは、居飛車の花村のほうが戦いやすかったのではないか? 高島弘光とは義徳が振り飛車の対抗形が普通だったはずだが、昇級決定の一番では逆だった
有吉へのひねり飛車で連勝がストップ
その前、ひねり飛車の名手の丸田にひねり飛車で快勝
対局後に飲みに誘われ、思い出A級でいいから、行ってきたまえ、と変な激励をされている >>213
「思い出代打」「思い出ヘッスラ」みたいなフレーズは近年よく目にするが
40年以上前の当時から「思い出●●」みたいな言い方してたんだろうか ご教示に感謝
ややそれるが、当時は対抗型という言い方はなかったような
大山は好んではいたが、「飛車の正面衝突が好き」と言っていたはず 本当の本当に飛車の正面衝突なら向かい飛車になるねえ 義徳が8−1で迎えたB1順位戦の殴打との対局は、勝てばA級当確ということで、本人も知らううちに継ぎ盤で注目されていた
知っていたら勝てなかったかもしれない、と述懐
なぜなら、注目の一番など指したことがないから >>223
プレッシャーがなかったから昇進できた、ってのはあるだろうな。 芹沢に勝って3連勝
西村「やっと降級候補から外れた程度」
芹沢「みんなが勝てると思っているから危ない。ひょっとすると逃げられるぞ」
芹沢の慧眼 「人気薄の逃げ馬は買い」という言葉があるように
普段はノーマークの奴がレース序盤から先行(逃げ)してもすぐバテて力尽きるのだが
たまに奇跡的な大逃げで勝ってしまう事が競馬や競輪であるから
ギャンブル好きの芹澤はそのあたりを感じたかもしれない B1は一期抜けしたんだよね
中原、谷川、羽生レベルの快挙だった 初B1は一期で降級
2回めがよもや(?)のA級
戻ってきて即B2へ
B1「残留」歴なし A級棋士になって、副立ち会いの仕事が来た
温泉だったので、楽しかったっと >>36
トーナメントプロを引退しても段位はそのまま、
規定により上がることも 金易二郎さんは名誉九段だったなあ。
今は 名誉●段 を名乗る制度はないんだっけ? 高柳と佐瀬?
高柳は「九段は名人の段」と主張して九段は固辞 九段は名人経験者だけにして、その他の棋士は名誉九段でいいと思う
永世竜王保持者については、竜王戦が元九段戦だった経緯を尊重して、永世九段でいい そうすると囲碁界に比べて九段の人数が極端に少なくなってバランスが悪くなるから、
意図的に将棋の方でも九段を増やしてきたんだが >>235
それは囲碁界のほうがおかしいのだ。
とはいえ九段が濫造されてる事実には抗いようがないので、将棋界も九段を増やさなければなるまい。
しかしそれでは九段の価値が下がってしまうわけで、ならばどうするべきか。
段位としての十段を設けることだ。これは囲碁にも設けるべき。
そして十段の基準を厳格にして濫造させないこと。←ここ重要
これを破って緩くすると十一段が必要になってくる。
こんなことを繰り返してはいけない。
元はと言えば囲碁界が九段を濫造したことに原因がある。 タイトルとしての九段を経て 段位としての九段が生まれたのは昭和33年だから そんな昔のことでもない
でもその頃の九段はすごく重くて今でいう永世称号くらいの感覚だったんだよ
だからトップ棋士でも大半は八段だった
一方囲碁界は九段を量産した
だから囲碁のトップ棋士と将棋のトップ棋士がテレビで共演すると囲碁は九段で将棋は八段ということになる
テレビマンはその辺の経緯を知っているわけじゃないんで将棋の棋士は「格下扱い」を受けていたんだよ
それが悔しいというんで将棋界も九段を増やそうという動きが生まれたんだね
升田なんかは「九段は名人の段位である」と言って反対したんだが九段量産の流れは止められなかった >>36
木村先生が九段に昇段したのは引退して10年後のことだったんだよ
だから、九段が元九段になったのではなく、元八段が九段になった 8段になったのが遅かったので、現役時代は8段のまま引退し、引退後追贈で9段になったんだよな 解説はハキハキしていて聞きやすいしわかりやすい
ユーモアも交えるので、聞き手の女流棋士も笑っていることが多い (当時にそういう語はなかったようだが)対抗形を好み、振り飛車党時代でも、相振りは指さなかった記憶 >>245
女流棋士より永井さんの聞き手が多かったかな
解説では十四世名人のエピソードもよく話してくれた 現役時代、連盟に批判的で、連盟から除名されるのではと連名以外の人から心配された
本人は「株主を除名できる株式会社はない」という論理で」、どこ吹く風だった ネットではハゲとか書かれているけど実はロマンスグレーだったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています