【訃報】 木村九段 死去
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
令和3年6月29日(火)午前8時34分、木村義徳九段が京都市内の介護施設で老衰のためお亡くなりになりました。86歳でした。
謹んで哀悼の意を表します。葬儀は、ご親族のみにて執り行われましたことをご報告いたします
https://www.shogi.or.jp/news/2021/07/post_2033.html?mi=cu_event 木村14世名人の三男でアマからプロ転向したって凄い時代だな 去年まであんなに元気そうだったのに。おじおじありがとう
ご冥福をお祈りします 弱いのが強いのに勝つ法―勝負の理論 単行本 – 1980/9/1
木村義徳 (著) 高齢の存命引退棋士
大村和久 八段 93歳
宮坂幸雄 九段 91歳
北村昌男 九段 86歳
有吉道夫 九段 85歳
佐伯昌優 九段 84歳
田辺一郎 七段 82歳
若松正和 八段 81歳
内藤國雄 九段 81歳
加藤一二三 九段 81歳 ワニブックス『僕は陽気な負け犬』は、花村元司の『ひっかけ将棋入門』と並ぶ名著だと思う。 >>16
わざとそうではないと勘違いさせようとしてるだろ
悪質 研究者だったな、この人
将棋の内容の研究家じゃなくて、将棋史研究者 自分のことを弱いと自虐しながらA級まで行ったのはこの人と山崎くらいやな 将棋板覗くやつなら、スレタイで木村義徳のことだろなと普通は思うかな >>26
早稲田大学大学院修士課程修了(東洋史)
大学院在籍中に付け出し三段
アマでも参加可能だった読売十段戦予選で芹沢に勝利
『株は大局観』という著作も ほとんど人が来ない(というか入りづらい)将棋博物館館長
連盟が博物館のお宝を売り払った時に米長批判してたな、よう知らんけど >>30
勿論、私もすぐにそう思ったが、同時にスレ主の意図が垣間見れてイヤな気持ちになった >>35
正規には4人で、義徳は三男
二男が早逝だったかな
義徳曰く、会ったことがない人も入れたら10人ぐらいいたらしい アマ時代、父が名人なので、大会参加を拒否されたことも
しかし実際には2〜3局ぐらいしか指していないと言う
四段時代に大山当時名人に初手合いで快勝
五段時代に突撃の順位戦連勝を18でストップさせ、同時に昇級昇段
しかし本人は「弱がり」だった 「急逝」ならまだしも、義徳だって高齢記録の持ち主のA級棋士だけど 木村は複数いるのにわざわざ下の名前を書かないのは悪質かと B2から2年連続でA級昇級
すぐに2年連続降級
空前の珍記録
B2で降級点経験後のA級昇級も空前絶後 親子で棋士はあまりいないんだよな(女流棋士は除く)
その希少な例の西川慶二八段も、つい先日引退
ナベのところも子の育成は失敗したらしいし、今後なかなか現れないかもな >>12
> 北村昌男 九段 86歳
このかたは囲碁もプロじゃなかったかな? >>39
昔の大卒棋士は大内さんと加藤(治)さんぐらいでしょ。 >>47
囲碁でもプロ棋士は故・北村文男
>>46
板谷が先に親子でA級
A級棋士加藤博二の父親の竹次郎は五段
タナトラみたいに、子どもは元奨なら、高田丈資も
>>49
大卒どころか、義徳は大学院修了
在籍中に付け出し三段 木村九段かと思ったらやっぱり木村九段だった
木村義徳九段もうそんな年齢だったんだね 阿久津の惨敗記録の前にA級大敗記録もっていたとして名前を知った棋士
そういう意味では最近の人にも予想以上に知られているかも 木村義徳先生は早大大学院で中国史を専攻した。修士号を持つ棋士としてはたぶん初。
関西将棋会館にあった将棋博物館の館長を長く務めたけど、米長会長時代に閉鎖された。
東西どちらでもいいから、新将棋会館には将棋博物館を再興してほしい。
館長は東なら高見(立教大で日本史専攻)、西なら糸谷(阪大大学院で哲学専攻)かな。 石田和雄も全敗を義徳の翌年に
しかし、阿久津とも違い、義徳はA級ゼロ勝 B1時代、鈴木英春当時奨励会三段に練習将棋で鍛えられA級に 師匠は加藤治郎(将棋界初の大卒プロ・早大卒)で木村義雄ではないんだよな
これは早大繋がりなのかね
木村義雄には木村嘉孝という早大卒の弟子がいて名前も似てるからひどく紛らわしいw >>55
博物館見てみたいよね
でも天童の駅前の将棋資料館と大差ないとか? 旧三段リーグでの東西決戦
同じく早稲田卒の嘉孝が義徳に勝って昇段
その後、義徳は板谷に勝って昇段 木村九段の将棋史の本、図書館で借りて読んだわ。めっちゃ面白かった
史学専攻としては史料のあたり方や推論の立て方に甘いところも感じたけど、在野(と言っていいものか)であれだけ調べてるのはすごいと思った 失礼ながら、学部は二文
昭和30年代前半に大学院なので、東洋史専攻でも現代中国語はできなかったかもな 高見も立教の史学だけど、将棋史について研究してたのかな? >>64
してたら、叡王になった時に自分で言ってたと思えるが >>65
叡王は関係ないとは思うが…
自分も史学科だったから、どこを専攻してたのか興味ある A級昇級決定の際、老師からの「超大穴」「順位戦始まって以来」という言葉を期待していた義徳
実際には「率直に言って番狂わせ」程度だった
棋士仲間からは「若い者の励みになる」「見直したよ」と言われたとか 将棋の歴史をテーマに卒論を書きました。国内最古と言われる「平安時代の将棋の駒」が
奈良県の興福寺で見つかっているので、いつ伝来したのかということや、
当時のルールなども含め。諸説ある事柄も多かったので、国会図書館で文献を調べて
「この文書にはこう書かれている」と複数の説を記載したり。
自分にしかできないことだと思ったし、ちゃんと調べられて良かったです。
https://www.shogi.or.jp/column/2018/08/takami_03.html B1に再度落ちてから、西村戦で午前中の二手指し
ブルー野戦では、馬の疝気筋
以上の2反則負けを含み通算18連敗
B2に55歳までいて早い引退
順位戦は通算勝ち越し 『株は大局観』では「もうはまだなり、まだはもうなり」
観戦記者の田辺忠幸は早稲田の将棋部で義徳の先輩
棋士になってからも、「木村先生とは呼べない、義徳君だ」と豪語していた >>1
ぐおららららららら
ややこしいじゃねぇかあああああ
ご哀悼を表します。 一流の実力者のはずのA級棋士
弱いままA級に昇級した初めての画期的棋士と言われた B1順位戦で7戦全勝の時、英春との練習対局で1−9だった
「本番にお強い」とからかわれたとか
プライドに傷をつけられたと思わない謙虚さで、森安弟の9−3を抑えて、10ー2で昇級
(有吉と桐山に負け) 86か若いな
それに養老介護施設にはいっとたんか
健康寿命はとっくにつきとったんだわな
となりの爺さんはまだ一人で暮らしとるけどが 親父も糖尿なのに長生きだったよな
事故死の次兄は仕方ないとして長命の家系なのか 名前を書かないのは5chの様式美でこっちの木村だと思ったら案の定だった。
ご冥福をお祈りします。 >>80
大往生とはいわないとしても中往生くらいではあるまいか >>86
正直最初木村義雄の方かと思ってまだ生きてらしたのかと驚いた 1986年11月17日の将棋の日、木村義雄十四世名人が亡くなった日に生まれたのが飯野愛女流初段。
木村義徳九段が亡くなった2021年6月29日に、未来の女流棋士は生まれたのだろうか? 木村義コ先生は 確か 持ち駒の研究もしていて大内先生の将棋のルーツを探す旅の前から いろいろ将棋の歴史を研究していたはず。 一時期日経に観戦記書いておられたな
いやらしいヨイショやもったいぶった修辞のない淡白な文章で好きだった
ご冥福をお祈り申し上げます 昇級した時のB1順位戦、最後は故・高島弘光に勝利し、高島は降級
リーグ開始当初、強気で有名な高島に「ボクが首切り役」と言われていたのに、立場が逆になった スレタイが悪質かどうかって話だけど、訃報なのに名字しか書かない時点で悪質だよな
故人に対して非常に無礼だ 「同姓別人がいるのに」だろう
お一人しかいなければ、問題なかったはず B2から復帰のはずが、自他ともに新規昇級、と
下位の7−3で昇級
B2の残留者から、昇級者なのに「木村君がいなくなったので1勝、損をした」と言われたとか >>100
おじおじ・・・
毒舌だけど、人がいいことがあふれ出た人でしたね。
やせてたから病気だったんかな。
ご冥福をお祈りいたします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています